川澄 祐勝(かわすみ ゆうしょう、1931年(昭和6年) -… 川澄 祐勝(かわすみ ゆうしょう、1931年(昭和6年) - 2017年(平成29年)10月10日)は、日本の真言宗の僧侶。高幡山明王院金剛寺第三十三世貫主。 埼玉県秩父郡皆野町に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1956年(昭和31年)に高幡山明王院金剛寺に入山する。総務部長・執事長を経て、1989年(平成元年)に貫主に就任する。日本一と伝えられる丈六不動三尊(重文)の修復、身代わり丈六不動三尊の造立、宝輪閣・奥殿の建立等、一貫して一山の興隆、文化財の保護に尽力する。また、東日本大震災で被災した宮城県名取市の観音寺の再建を全面支援する。 2005年(平成17年)に密教教化賞を受賞する。 2017年(平成29年)10月10日に死去、享年86。
遠藤 光男(えんどう みつお、1930年(昭和5年)9月13… 遠藤 光男(えんどう みつお、1930年(昭和5年)9月13日 - 2016年(平成28年)5月16日)は、日本の法曹。元最高裁判所裁判官、弁護士。位階は正三位。 1930年(昭和5年)9月13日、東京に生まれる。1952年(昭和27年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格する。大在学中は法政大学弁論部に在籍し活動した。1955年(昭和30年)に弁護士登録し、法政大学の講師を兼務する。1981年(昭和56年)、司法研修所民事弁護教官を務め、1984年(昭和59年)に法制審議会委員に就任する。1986年(昭和61年)に東京弁護士会司法修習委員長、1988年(昭和63年)に日弁連司法修習委員長を務める。
遠藤孝(えんどう たかし、1930年8月5日 - )は、日本… 遠藤孝(えんどう たかし、1930年8月5日 - )は、日本の会計学者、駒澤大学名誉教授。 東京生まれ。法政大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学、81年「財務会計制度の展開」で経済学博士。1962年駒澤大学商経学部専任講師、63年助教授、65年経済学部助教授、教授。2001年定年、名誉教授。
玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29… 玉川 信明(たまがわ のぶあき/しんめい、1930年6月29日 - 2005年7月6日)は、日本の評論家。玉川しんめいの表記も用いた。 富山県富山市旅籠町に生まれる。神通中学校に入学し、学制変更で富山県立富山中部高等学校となり、卒業。 在学中、日本青年共産同盟(青共)に加入。富山市の臨時職員ののち、群馬県の工場で勤務。のち、法政大学第二経済学部に進学し、黒田寛一らを知るが、退学して帰郷する。 文通により竹内好に師事し、29歳で上京して、東京都立大学の中国文学科の特別聴講生として二年半をすごす。雑誌社に二年半勤務したのちに、結婚・退社してふたたび帰郷する。 33歳、34歳のころ、辻潤に熱中してアナーキズムに傾倒し、40歳をすぎてから著作活動をはじめる。
松本 亨(まつもと とおる、1930年5月11日 - 199… 松本 亨(まつもと とおる、1930年5月11日 - 1997年1月7日)は、経済評論家・元日刊投資新聞社社長。株式に関する書籍多数[要説明]。 宮城県仙台市出身。法政大学卒業。 バブル時代、株価予想で人気を得た。日刊ゲンダイに株式についての連載コーナーを持っていた。ファミコン用ソフト『松本亨の株式必勝学』『松本亨の株式必勝学II』のモデルとなり、監修を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
相澤 秀禎(あいざわ ひでよし、1930年1月20日 - 2… 相澤 秀禎(あいざわ ひでよし、1930年1月20日 - 2013年5月23日)は、日本の実業家、芸能プロモーター。サンミュージックプロダクションの創業者で初代社長。本名は相澤芳郎(與四郎とも記されている)。自伝によれば姓名判断で上記の通称に改めたという。
宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史… 宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史学者。宿場女郎について研究してきた。 神奈川県小田原市生まれ。1953年法政大学法学部通信教育部卒、小学校、中学校、高校教師をへて退職。1983年、法政大学文学部史学科卒、1989年、法政大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学、1993年、「近世助郷制の研究」で文学博士。大学非常勤講師、町史・市史編纂委員、法政大学史学会評議員などを務めた。
立花 雄一(たちばな ゆういち、1930年(昭和5年) - … 立花 雄一(たちばな ゆういち、1930年(昭和5年) - )は、日本の歴史家。富山県生まれ。法政大学を卒業後、1963年同大学院修士課程修了。法政大大原社会問題研究所所員。横山源之助ほか明治期の下層社会を研究している。
保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月1… 保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月16日 - 2006年(平成18年)2月15日)は日本の歴史学者。岡山大学名誉教授。専門は近代ロシア史。 静岡県浜松市に生まれる。法政大学社会学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科西洋史学専攻修士課程を修了する。1958年(昭和33年)に岡山大学に赴任し、ロシア革命前のミール(農村共同体)、日露関係史を研究する。1995年(平成7年)に退官し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大島 雄次(大嶋 雄次、おおしま ゆうじ、1929年〈昭和4… 大島 雄次(大嶋 雄次、おおしま ゆうじ、1929年〈昭和4年〉10月25日 - 2021年〈令和3年〉10月5日) は、日本の実業家。明治安田生命名誉顧問。富山県出身。 安田財閥の創設者、安田善次郎の生家から20分ほどの町で生まれる。 1947年(昭和22年)法政大学予科入学。1952年(昭和27年)法政大学法学部法律学科卒業。1954年(昭和29年)同大大学院社会科学研究科私法専攻修士課程修了。法政大学在学中は、法政大学弁論部に所属していた。 一時は大学に残ることまで考えたが、郷里の大先輩である安田の名前に親近感を覚え、安田生命保険相互会社に入社。 阪神支社長等を経て、1979年(昭和54年)取締役、1983年(昭和58年)常務取締役、1988年(昭和63年)専務取締役資産運用本部長委嘱、1991年(平成3年)取締役副社長営業総局長委嘱を担い、「営業の鬼」として名をはせた。
永谷 博(ながたに ひろし、1929年(昭和4年)9月30日… 永谷 博(ながたに ひろし、1929年(昭和4年)9月30日 - 2011年(平成23年)5月26日)は、日本の実業家。元永谷園会長。 1929年(昭和4年)9月30日、東京府に生まれる。1952年(昭和27年)に法政大学経済学部を卒業し、大和証券に入社する。 1955年(昭和30年)、永谷園本舗に入社し、1958年(昭和33年)に取締役工場長、1962年(昭和37年)に常務、1974年(昭和49年)に専務を経て、1990年(平成2年)に社長に就任する。 1992年(平成4年)に社名を現社名「永谷園」に変更し、1996年(平成8年)に副会長に就任、のち会長、相談役に就任する。 2011年(平成23年)5月26日に死去、81歳。
日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010… 日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010年12月28日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(外野手)。 兄に大阪タイガースでプロ野球選手として活躍、引退後は政治家となった日下章がいる。息子は育英高校の夏の甲子園優勝監督(1993年)である日下篤。 鳴尾中学から法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中1回優勝。リーグ通算71試合出場、223打数71安打、打率.318、0本塁打、34打点。首位打者1回(1950年秋季リーグ)。 1952年に近鉄パールス入団。翌1953年には開幕から一番打者、右翼手に抜擢され、規定打席(10位、打率.285)にも到達した。1954年は近鉄の野手で初めてオールスターゲームに出場。
山際 素男(やまぎわ もとお、1929年5月21日 - 20… 山際 素男(やまぎわ もとお、1929年5月21日 - 2009年3月19日)は、日本のノンフィクション作家、インド文化研究家、翻訳家。専門はインド文学。 三重県大王町出身。中学、高校でそれぞれ中退を経験し、法政大学文学部日本文学科卒。朝日新聞東京本社、世界労連東京事務所勤務を経て、インドに留学。インド国立パトナ大学(英語版)、ビスババラティ大学(英語版)で学ぶ。帰国後、文筆活動に入る。 代表作として、インドにおけるカースト制度の実態を告発した『不可触民 もうひとつのインド』がある。1998年には、古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の翻訳で第34回日本翻訳出版文化賞を受賞した。 チベット問題にも関わり、『ダライ・ラマ自伝』他、チベット関連書を翻訳。
山崎 賢二(やまざき けんじ、1929年5月5日 - 200… 山崎 賢二(やまざき けんじ、1929年5月5日 - 2000年3月21日)は日本の実業家、桐原書店創業者。 長野県上水内郡桐原村(現・長野市)生まれ。昭和28年(1953年)法政大学文学部英文学科卒業。岩波書店入社が内定していたが、母から帰郷を厳命され、長野女子高等学校の英語教諭となる。昭和38年(1963年)に上京し、都内の私立高校教諭を経て、昭和41年(1966年)に故郷にちなんで「桐原書店」を創業した。英語の副教材を主力とする教育書や学習分野を出版していたが、『積木くずし』(穂積隆信著)のベストセラー化を契機に、人生全般にわたる文化に寄与する総合出版社に転換した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
武石 彰夫(たけいし あきお、1929年3月31日-2011… 武石 彰夫(たけいし あきお、1929年3月31日-2011年 )は、日本の仏教文学の研究者。元高知大学教授・仏教文化研究所所長。 東京市(現文京区)生まれ。1958年法政大学文学部日本文学科卒業。1971年『仏教歌謡の研究』で國學院大學より文学博士。大東文化大学助教授、高知大学教授、千葉大学講師、東洋大学講師、同大学院講師、朝日大学教授、聖徳大学教授などを経て、仏教文化研究所所長。『平家物語』『徒然草』などを講義した。また大学受験ラジオ講座の講師も勤めた。
粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009… 粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 - 2009年4月28日)は、日本のグラフィックデザイナー。 東京都目黒区出身。法政大学専門部中退。絵画・デザイン技法は独学である。背景やフォルムを緻密な線や混沌とした色彩で構成し、一見ファインアートであるかのように見える作風が特徴。油彩作品も多数制作している。建築家の原広司とは1960年代に出会い、原は粟津潔邸の建築デザインを施した。 1955年の日本宣伝美術会展(日宣美)で日宣美賞受賞。1960年に建築家の有志を募り『メタボリズム』を結成する。その後、武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、デザイン教育に携わる。
ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010… ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010年11月8日)は、日本の元プロレスラー、元レフェリー。 本名は樋口 寛治(ひぐち かんじ)。愛称は「ジョー」。 神奈川県横浜市出身。法政大学卒業。俳優の樋口隆則は息子。 日本プロレスと全日本プロレスでレフェリー、外国人係を務めた後、プロレスリング・ノア監査役、GHCタイトル管理委員長を歴任した。 実家は本牧の洋食材の問屋で、幼少時からコーヒーを嗜み、ジャズを愛好する少年だった。周囲の環境から、英語や洋食の調理もお手のものであった。また柔道の道に進み、二段まで昇段。終戦後は進駐軍に柔道を教えていた(この時期に英語をマスターしたとの記述もある)。
大久保 博(おおくぼ ひろし、1929年 - )は、日本の英… 大久保 博(おおくぼ ひろし、1929年 - )は、日本の英米文学者、翻訳家。法政大学名誉教授。 マーク・トウェインの作品を主として翻訳した。 法政大学文学部英文科卒業。法政大教養部英語教授を務めた。門下に金原瑞人など。 Kindle版(電子出版のみ)。大半は旺文社版の改訳。 2014 - 2015 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
岡部 英男(おかべ ひでお、1928年8月20日 - 202… 岡部 英男(おかべ ひでお、1928年8月20日 - 2020年2月4日)は、日本の政治家。位階は正五位。 茨城県議会議員(7期)、茨城県議会議長、衆議院議員(1期)を歴任。自由民主党所属。 茨城県出身。1951年に法政大学工学部卒業。茨城県議を7期務め、1985年に議長に就任した。1998年2月、塚原俊平の死去に伴う衆議院茨城5区の補欠選挙で当選した。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、民主党の大畠章宏に敗れて落選した。2014年、旭日中綬章受章。 2020年2月4日、肺炎のため死去。91歳没。死没日をもって正五位に叙される。
阿部 昭吾(あべ しょうご、1928年〈昭和3年〉8月10日… 阿部 昭吾(あべ しょうご、1928年〈昭和3年〉8月10日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の政治家。位階は正四位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)、社会民主連合書記長(第2代)・国会対策委員長、衆議院環境委員長、山形県議会議員(2期)を務めた。 山形県飽海郡一条村(現酒田市)の農家に生まれる。法政大学法学部在学中から左派社会党所属の上林与市郎衆議院議員の秘書を務める。1951年、法政大学法学部卒業。1954年、全日本農民組合連合会青年部長をするなど農民運動に携わり、1959年、山形県議会議員選挙に立候補し当選。2期務める。 1967年、上林の地盤を引き継ぎ、第31回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧山形2区(定数4)から立候補。
葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 201… 葉治 英哉(はじ えいさい、1928年7月18日 - 2016年2月29日)は、日本の小説家。本名は奥山英一(おくやま えいいち)。 青森県出身。八戸市在住。青森師範学校中退。 法政大学文学部日本文学科卒業。1957年「農婦トヨ」で第1回東奥小説賞(佳作2席)受賞。1989年「戊辰牛方参陣記」で第37回地上文学賞受賞。1994年「(またぎ)物見隊顛末」で第1回松本清張賞受賞(「またぎ」は「犭+又」) 。 2016年2月29日死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
市瀬 由自(いちのせ よしみ、1928年4月3日 - 没年不… 市瀬 由自(いちのせ よしみ、1928年4月3日 - 没年不明)は、日本の地理学者、地形学者。 長野県下伊那郡竜江村(現飯田市)に生まれ、1948年4月上京し、法政大学高等師範部地歴科に入学、資源科学研究所の嘱託研究員として勤務(1970年3月まで)する傍ら、1953年に文学部地歴科を卒業、新設された法政大学大学院人文科学研究科地理学専攻修士課程の第一期生として入学、1965年には博士課程を修了し、法政大学文学部専任講師、1968年助教授、1970年教授となり、1999年定年退職するまで、多くの学生を指導した。 河川源流部における地滑りや崩壊地の形成、付随する土砂暦の供給と運搬に関する研究に始まり、人間の生活の舞台として位置づけられる沖積平野を主に地殻運動の観点から調査し、平野の形成過程を吟味し、沿岸部の砂丘地形に関する研究や、平野の地形環境と遺跡の立地と分布に関する研究など、地形形成に関与する「河川の作用」をベースに研究を進めた。
野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 200… 野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 2007年8月10日)は、琉球政府および沖縄県の政治活動家。 琉球独立党(現・かりゆしクラブ)の前党首で、2005年以降は「名誉党首」。沖縄県与那国町出身。ペンネームは「野底 土南(ぬか どなん)」。 1928年(昭和3年)3月27日生まれ。沖縄本島に渡り沖縄県立首里第一中学校(現在の沖縄県立首里高等学校)入学する。その後台湾に移住し、台北州立基隆中学校(現在の国立基隆高級中学)に転校する。 終戦後、台湾から島づたいで北上し、法政大学経済学部に進学する。在学中には沖縄県出身者では初の公認会計士の資格を取得した。卒業後はアメリカ統治下であった沖縄県に戻り、沖縄大学の講師に就任した。
関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)… 関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)、1928年3月25日 - 2006年8月23日)は、日本のコメディアン、俳優、声優。栃木県足利市出身。 1945年3月旧制栃木町立栃木商業学校(現・栃木県立栃木商業高等学校)を卒業して、陸軍特別幹部候補生として入隊するも、終戦で除隊。その後、法政大学政治経済学部に入学、1951年最後の旧制大学専門部を卒業した。 浅草の税務署に勤務していたが、出征中に演じた素人芝居が忘れられずに仕事をさぼって度々喜劇の舞台に出演するようになる。榎本健一のエノケン劇団を経て、浅草フランス座に所属した。当時は渥美清や谷幹一と出会い、三人で下積み時代を支えあった。
木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5… 木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5月26日)は、日本の歯科医・政治家。参議院議員(2期)。 新潟県新発田市出身。旧制新発田中を経て日本歯科医学専門学校を1949年に卒業。更に法政大学法学部に進学し、1951年に卒業した。その後、日本歯科大学歯科薬理学教室研究生として在学,歯学博士の学位を取得する。 政治に早くから関心を持ち、法政大学在学中に亜細亜青年連盟を結成して1953年の総選挙に立候補。この時は得票が法定得票数にも満たず泡沫候補に終わるが、その後5回も総選挙に出馬し続けて得票を伸ばし続けた。その一方で歯科医として歯友会歯科技術専門学校の創設に関わり、歯科技工から実業界にも進出。
高橋 康夫(たかはし やすお、昭和3年(1928年)2月13… 高橋 康夫(たかはし やすお、昭和3年(1928年)2月13日 - )は、日本の実業家。 シーコム常勤監査役。TBS元総務局次長。 全国朝日放送取締役の高橋義治の弟。電通顧問の高橋治之、イ・アイ・イグループ代表高橋治則の叔父。 長崎県出身。高橋猪之助・信の次男。 昭和26年(1951年)法政大学経済学部経済科を卒業。同年東京放送(現:TBS)に入社。 昭和45年(1970年)秘書部長、昭和52年(1977年)総務局次長、昭和58年(1983年)退社。 その後、同社関連会社ジー・アンド・シー常務、昭和62年(1987年)代表社長、平成3年(1991年)相談役に就任。 平成4年(1992年)4月、ジー・アンド・シーをT・B・Sプラザと改称し、翌年退任。
宮崎昭威(みやざき てるたけ、1928年1月12日-2015… 宮崎昭威(みやざき てるたけ、1928年1月12日-2015年2月9日)は、英文学者。東京出身。法政大学文学部英文科卒、同大学院中退、中央大学経済学部助教授、教授、98年定年退任、名誉教授。
小林 末男(こばやし すえお、1928年(昭和3年) - )… 小林 末男(こばやし すえお、1928年(昭和3年) - )は、日本の経営学者、経済学者。経済学博士(法政大学、1982年)。専門は経営管理で、特に行動科学的組織論。拓殖大学北海道短期大学学長、産業能率大学常務理事、同監事などを歴任。 北海道有珠郡壮瞥町生まれ。北海道庁立帯広中学校(旧制)に学び、北海道勇払郡野安部太小学校の代用教員となる。 上京し、学習院大学に学ぶが、1954年に中退して大正製薬に入社。その後、法政大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科修了。1963年、産業能率短期大学能率科講師。1968年、拓殖大学商学部助教授。1972年、拓殖大学商学部教授。1977年、同大学院商学研究科教授。
原 薫(はら かおる、1928年 - )は、日本の経済学者、… 原 薫(はら かおる、1928年 - )は、日本の経済学者、歴史学者。法政大学名誉教授。専門は近現代日本経済史、特にインフレーション研究。神奈川県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - … 阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - 2012年)は、日本文学研究者、東京経済大学名誉教授。専門は古代日本文学。 東京生まれ。1950年、鎌倉アカデミア文学科卒業。1953年、法政大学文学部日本文学科卒業。1953年からの日本文学協会勤務を経て、1959年に法政大学文学部助手。1962年、法政大学大学院博士課程単位取得満期退学。西郷信綱に師事。1963年、東京経済大学専任講師。1966年、助教授を経て、1972年に教授。1998年、定年退職、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長谷 和夫(はせ かずお、1927年11月21日 - 没年不… 長谷 和夫(はせ かずお、1927年11月21日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 東京市出身。1951年法政大学文学部卒業、52年松竹京都撮影所監督部入所、助監督として酒井辰雄、大曾根辰夫につき、溝口健二の教えを受ける。『海猫が飛んで』などのシナリオを執筆。64年松竹大船に移り、65年監督昇進。『その口紅が憎い』でデビュー。倍賞千恵子、三田佳子ら主演の映画を監督したあと、『戦いすんで日が暮れて』など松竹製作のテレビ映画中心に移行、『必殺仕掛人』『科学捜査官』『甘ったれるな』などを演出。76年フリーとなり、テレビのシリーズもの、2時間ドラマを手がけ、『無人霊柩車殺人事件』(1980、テレビ朝日)『女弁護士 朝吹里矢子 レイプされた恋人』『どたん場で第三の男』などを演出。
北島 春信(きたじま はるのぶ、1927年10月1日 - )… 北島 春信(きたじま はるのぶ、1927年10月1日 - )は、日本の児童文学作家。熊本県生まれ。法政大学法学部法律学科卒。「草っぱらの子どもたち」で日本児童演劇協会賞受賞。成城学園初等学校教諭。児童読物、児童劇などを書いた。
藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2… 藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2003年5月28日)は、日本の政治学者(日本政治思想史)、法政大学名誉教授。戦後、丸山学派を代表する左派系の思想史家。 丸山眞男の弟子で、寡作ではあるが丸山学派を代表する。天皇制国家の構造分析は戦後思想史において画期的意味をもちつづける。鶴見俊輔らとともに行った『共同研究 転向』では中心的役割を果す。晩年に『藤田省三著作集』(みすず書房)が刊行されている。 愛媛県今治市出身。父藤作は大三島出身の小学校代用教員。兄2人姉2人の5人兄弟の末っ子だが、2人の兄はともに太平洋戦争で戦死した。今治中学校(現・愛媛県立今治西高等学校)を経て、陸軍予科士官学校に入学(当時の校長は牟田口廉也)。
安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 20… 安岡 昭男(やすおか あきお、1927年9月12日 - 2016年7月27日)は、日本の歴史学者。法政大学名誉教授、文学博士(法政大学・論文博士・1971年)。専門は日本近代史。 1927年、後に山梨県知事となる安岡正光の子として兵庫県神戸市に生まれる。1945年、獨逸学協会学校中等部卒業、東京工業専門学校機械科第二へ進学(のち中退)。1949年、法政大学高等師範部歴史地理科卒業、法政大学二部文学部史学科に入学。1953年、法政大学二部文学部史学科卒業、川村高等学校教諭に着任するかたわら、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程へ進学。1956年、川村短期大学専任講師に着任。1957年、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程修了、同博士課程へ進学。
岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - … 岩村 卯一郎(いわむら ういちろう、1927年9月8日 - 2004年8月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。新潟県議会議員(6期)。新潟県議会議長。長男は、新潟県議会議員の岩村良一。 新潟県北蒲原郡(現在の新発田市)出身で、新発田中学校を経て17歳の時に予科練に志願。1953年、法政大学法学部卒業。渡邊良夫衆議院議員の秘書を務め、第2次岸内閣で厚生大臣に任命されたときは、大臣秘書官を務めた。 1967年から新潟県議会議員を6期務め、副議長と議長を各1年務めた。自民党新潟県連の幹事長だった1989年には、君健男が癌のため新潟県知事を辞職したのに伴って多数の同党県議から推されて知事選への立候補の意思を表明したが、後に金子清への候補者一本化に同意した。
入江 春行(いりえ はるゆき、1927年8月31日 - 20… 入江 春行(いりえ はるゆき、1927年8月31日 - 2022年6月3日)は、日本の文学研究者。元大谷女子大学教授。主に与謝野晶子の研究をしていた。 東京出身。法政大学文学部卒。大阪外国語大学講師、大谷女子大学助教授、教授、日本文芸学会常任理事を務めた。与謝野晶子倶楽部名誉会長。雑誌「与謝野晶子研究」主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
飯田 清悦郎(いいだ せいえつろう、1927年8月22日 -… 飯田 清悦郎(いいだ せいえつろう、1927年8月22日 - )は、日本のジャーナリスト。 北海道爾志郡熊石町(現・二海郡八雲町)生まれ。筆名・富岡良介。1953年法政大学社会学部卒、北海道経済新聞、産経新聞経済部記者をへて、フリージャーナリスト。1976年北海道乙部町でブドウ栽培とワイン生産を始めた。
粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日… 粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 - 2024年(令和6年)4月19日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。「歴程」同人。法政大学名誉教授。 1927年、愛知県西尾市生まれ。京都府立第一中学校、第三高等学校で学び、卒業した。1948年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。1952年に東京大学を卒業し、その後はフランス文学の翻訳、美術評論等を多く手掛けた。 1964年に法政大学経済学部助教授となり、後に教授昇格。1997年に法政大学を定年退職して名誉教授となった。草野心平と1960年代に出会って以降、生涯にわたって交友が深く、後にいわき市立草野心平記念文学館長を務めた。
神阪 昂哉(こうさか たかや、1927年8月15日 - )… 神阪 昂哉(こうさか たかや、1927年8月15日 - )は、日本の銀行家、経営者。近畿銀行社長を務めた。 奈良県出身。1947年に法政大学専門部政経科を卒業し、1950年に近畿相互銀行に入行。1968年に取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に副社長を経て、1983年6月には社長に就任。1993年6月からは会長を務めた。
大坪 稔(おおつぼ みのる、1927年(昭和2年)8月4日 … 大坪 稔(おおつぼ みのる、1927年(昭和2年)8月4日 - 1995年(平成7年)7月8日)は、日本の民法学者。鹿児島大学名誉教授、西日本短期大学学長。専門は財産法。 1927年(昭和2年)8月4日、福岡県八女市に生まれる。1953年(昭和28年)に法政大学法学部法律学科を卒業し、1955年(昭和30年)に同大学大学院社会科学研究科(私法学専攻)を修了する。 1957年(昭和32年)に西日本短期大学専任講師、1964年(昭和39年)に九州産業大学商学部助教授を経て、1967年(昭和42年)に同教授。1974年(昭和49年)に北九州大学法学部に転任し、1982年(昭和57年)に鹿児島大学法文学部に転任する。
樋口 秀雄(ひぐち ひでお、1927年(昭和2年)7月15日… 樋口 秀雄(ひぐち ひでお、1927年(昭和2年)7月15日 - 1992年(平成4年)1月12日)は、歴史学者。 1927年、埼玉県浦和市(現・さいたま市)で生まれた。法政大学文学部史学科で学び、1951年に卒業。 卒業後、東京国立博物館学芸部に文部技官として勤務。専門は、美術文化史、日本博物館史、日本印刷文化史。
杉本 圭三郎(すぎもと けいさぶろう、1927年6月25日-… 杉本 圭三郎(すぎもと けいさぶろう、1927年6月25日-2015年7月10日)は、日本の国文学者。 栃木県生まれ。1956年法政大学第二文学部日本文学科卒、1959年同大学院修士課程修了、文学部助手、1963年教養部専任講師、助教授、文学部教授、1998年定年退任、名誉教授。中世文学を主として研究し、『平家物語』の全現代語訳をおこなった。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
高橋 忠治(たかはし ちゅうじ、1927年5月15日 - 2… 高橋 忠治(たかはし ちゅうじ、1927年5月15日 - 2020年12月23日)は、日本の児童文学者。民話にも造詣が深い。詩人・童話作家としても知られ、地域に根ざした児童文学の創作を掲げる。 1927年(昭和2年)、長野県飯山市に生まれる。長野師範学校の研究科から法政大学文学部を卒業後教員として故郷に戻り、小学校へ赴任する。教鞭をとりつつ独創性のある教育論を述べ、地元文芸誌「信州白樺」などで連載を行う。民俗学者として特に民話に深く通じ、1955年に日本児童文学者協会に加盟。はまみつをや和田登らとともに信州児童文学会を立ち上げ、1978年から同会会長も務める。1958年から同会発行の文芸誌「とうげの旗」編集委員を務め、数多くの詩や童話を掲載している。
大森 昭(おおもり あきら、1927年3月20日 - 201… 大森 昭(おおもり あきら、1927年3月20日 - 2012年5月21日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 全逓信労働組合中央副執行委員長。社会党では政権構想研究会に所属した。 法政大学を卒業し、1946年(昭和21年、逓信省入省。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙全国区初当選。1983年(昭和58年、第13回参議院議員通常選挙再選。1985年(昭和60年)、参議院逓信委員長。1986年(昭和61年)、日本社会党選挙対策委員長。 1989年(平成元年)7月、第15回参議院議員通常選挙当選。8月、参議院環境特別委員長。1993年(平成5年、参議院議院運営委員長。
関根 潤三(せきね じゅんぞう、1927年3月15日 - 2… 関根 潤三(せきね じゅんぞう、1927年3月15日 - 2020年4月9日)は、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現:東京都渋谷区)出身(北豊島郡巣鴨町〈現:豊島区巣鴨〉生まれ)のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 現役時代は近鉄、巨人で活躍。打者で1000本安打・投手で50勝を記録、またオールスターゲームでは初めての投手・野手の両方でのファン投票選出を記録した。2003年、野球殿堂入り。 藤田省三が監督を務める旧制日大三中へ進学したものの、入学初年度は小柄であったため、練習に参加させてもらえなかった。2年生に進級後ようやく参加できたが、それでも外野の球拾いであった。やがて、兼務していた法政大に掛り切りとなった藤田が去り、後任監督から二塁手として抜擢されたのが転機となり、試合に出場できるようになった。
丹治 健蔵(たんじ けんぞう、1927年2月8日 - 202… 丹治 健蔵(たんじ けんぞう、1927年2月8日 - 2023年12月26日)は、日本史学者。 東京府(現東京都杉並区)生まれ。1945年慶應義塾商業学校卒業。1950年法政大学専門部政治経済科卒業。1952年同大学文学部史学科卒業、1959年同大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程修了。1952~1961年玉川学園中学部・高等部教諭。1961~1964年法政大学第二工業高等学校講師。1964~1967年同大学文学部研究助手。1967年同大学大学院博士課程(授業料免除)を修了し、文学部兼任講師に就任。1985年「関東河川水運史の研究」で文学博士。その後、青山学院大学文学部・埼玉大学教育学部兼任講師、与野市総務部参事兼市史編さん室長・同市史編さん委員長、東京都日の出町史専門委員長、歴史地理学会常任委員、交通史研究会常任委員・監事、交通史学会顧問を務める。
貴舩 悦光(きふね よしみつ、1927年(昭和2年)1月16… 貴舩 悦光(きふね よしみつ、1927年(昭和2年)1月16日 - 2010年(平成22年)9月5日)は、日本の政治家。山口県岩国市長(2期)。 山口県岩国市今津町出身。1952年法政大学経済学部卒。同年興亜石油に入社。1961年帰郷し旭興産(現:アラインテック株式会社)に勤務し、1965年に社長に就任する。1991年に岩国市長に当選。それにより同社の会長に就任した。1999年に市長を引退、社長に復帰した(会長兼務)。 2010年9月5日死去。11月25日に市民葬が営まれ、現岩国市長の福田良彦が葬儀委員長を務めた。
平島 成夫(ひらし ましげお、1927年(昭和2年) - 1… 平島 成夫(ひらし ましげお、1927年(昭和2年) - 1993年(平成5年)4月14日)は、日本の教育者。元高松短期大学教授。 福岡県で生まれ。法政大学文学部卒業。国語教師として都立高校で教鞭を執る傍ら、NHK教育放送の常任講師、日本文学協会の『国語教育』の編集委員を務める。 1980年(昭和55年)から中国上海の華東師範大学や広州外国語学院大学(現・広東外語外貿大学)大学院で、さらにブラジルの連邦大学で日本語教育と日本語教育課程の作成に携わる。 1986年(昭和61年)に帰国し、高松短期大学教授に就任する。 1993年(平成5年)4月14日に死去、66歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
高瀬保(たかせ たもつ、1926年12月14日-1996年7… 高瀬保(たかせ たもつ、1926年12月14日-1996年7月25日) は、日本の地方史学者。 富山県射水郡本江村(現・射水市)出身。1953年法政大学経済学部卒。富山県内の中学・高校教諭。1981年富山県立新湊高等学校教頭を最後に退職、のち富山大学講師。この間、68年から87年まで富山県史の編纂に携わり、県史編纂室主幹を務めた。1986年には富山県古文書研究会を結成。88年10月から富山市郷土博物館長。
林 輝太郎(はやし てるたろう、1926年10月17日-20… 林 輝太郎(はやし てるたろう、1926年10月17日-2012年2月28日)は日本の相場師。商品先物取引で名を上げ、一般投資家教育にも尽力した。酒田罫線法を中心に相場技術に詳しく、その著書は証券会社の講習などにも使われる。 陸軍士官学校第61期生。法政大学経済学部および文学部卒業。 幾度も小豆での成功と失敗を繰り返した後、技法を中心とした取引に転換する。ヤマハ通商での事業は成功させることができなかった。その際、林は「相場の世界は実に単純なんです。値動きは激しいし、生き馬の目を抜く世界ですが、すべてが規格化されていて価格の交渉や仕入れ、販売ルートをつくる努力とか、そんなものは不要です。だが相場の世界でうまく立ち回れるからといって、いわゆる商売が上手にできるということではありません」と述べている。