長沢 正夫(ながさわ まさお、1911年(明治44年)3月2… 長沢 正夫(ながさわ まさお、1911年(明治44年)3月25日 - 2004年(平成16年)5月3日)は日本の実業家。元野村證券投資信託委託会長・野村證券専務。 大阪府に生まれる。1935年(昭和10年)に法政大学経済学部を卒業し、野村證券に入社する。1948年(昭和23年)に同社営業第一部長、1949年(昭和24年)に同社引受部長、1952年(昭和27年)に同社取締役、1959年(昭和34年)に同社常務、1962年(昭和37年)に同社専務を経て、1968年(昭和43年)に野村證券投資信託委託社長に就任する。1973年(昭和48年)に同社会長に就任し、1975年(昭和50年)に証券投資信託協会会長を務める。
中畑 義愛(なかはた よしちか、1910年(明治43年)8月… 中畑 義愛(なかはた よしちか、1910年(明治43年)8月15日 - 1991年(平成3年)7月14日)は日本の実業家。元電通代表取締役社長、元日本広告業協会会長。奈良県吉野郡十津川村出身。
三嶋 栄(みしま さかえ、1910年(明治43年)7月6日-… 三嶋 栄(みしま さかえ、1910年(明治43年)7月6日-2008年(平成20年)8月4日)は日本の実業家。元王子製紙会長。 1910年(明治43年)7月6日、島根県に生まれる。1936年(昭和11年)に法政大学経済学部を卒業後、旧王子製紙に入社する。1946年(昭和21年)に日本パルプ工業に移り、資材部長に就任する。 1949年(昭和24年)に米子工場長、1960年(昭和35年)に取締役、1964年(昭和39年)に常務、1969年(昭和44年)に専務、1971年(昭和46年)に副社長、1973年(昭和48年)に社長に就任する。1979年(昭和54年)、旧王子製紙との合併により王子製紙会長に就任する。
小山 武夫(こやま たけお、1909年7月3日 - 2003… 小山 武夫(こやま たけお、1909年7月3日 - 2003年1月1日)は、日本の新聞記者・実業家。中日新聞社相談役および中日ドラゴンズのオーナー兼球団社長を歴任した。静岡県出身。 1909年(明治42年)7月3日、静岡県駿東郡楊原村(現在の沼津市)で芹沢常晴の五男として出生。旧制沼津中学校を経て、1934年(昭和9年)に法政大学経済学部を卒業。 満州国通信社、同盟通信社で記者として勤務し、1944年(昭和19年)5月に応召、陸軍に入隊し歩兵第19連隊に配属される。1946年(昭和21年)5月に中部日本新聞社(現在の中日新聞社)へ入社し、東京総局政治部長などを経て、1952年(昭和27年)に『中国国民政府との講和締結会談の報道』でボーン国際記者賞を受賞する。
中條 晴夫(ちゅうじょう はるお、1906年(明治39年)3… 中條 晴夫(ちゅうじょう はるお、1906年(明治39年)3月27日 - 1995年(平成7年)5月17日)は、日本の実業家。元百十四銀行頭取、中條文化振興財団設立者。 1906年(明治39年)3月27日、香川県高松市に生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法文学部法律科を卒業する。 1929年(昭和4年)に百十四銀行に入行し、営業部次長、取締役を経て、1948年(昭和23年)に常務に就任する。 1952年(昭和27年)に専務、1959年(昭和34年)10月に副頭取、1975年(昭和50年)12月に頭取、1979年(昭和54年)12月に会長に就任し、1989年(平成1年)6月に取締役相談役に退く。
小山 久二郎(おやま ひさじろう、1905年9月7日 - 1… 小山 久二郎(おやま ひさじろう、1905年9月7日 - 1984年1月12日)は、日本の出版人、実業家。出版社・小山書店の設立者で、安倍能成の甥。チャタレー事件の被告となったことでも知られる。 愛媛県松山市生まれ、温泉郡南吉井村(現東温市)出身。法政大学中退。岩波書店を経て、1933年に小山書店を設立する。1941年に下村湖人『次郎物語』がベストセラーとなる。 戦後、三木清『読書と人生』、出隆『哲学以前』などを出版し、1950年に発行した伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』がわいせつ文書として告発される(チャタレー事件)。1957年、最高裁判決で有罪とされ罰金刑を受ける。のち、赤ちゃんとママ社を設立する。
金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月… 金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月10日 - 1969年以前)は、満洲国の公務員、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清南道瑞山郡出身。泰安公立普通学校(現・泰安初等学校(朝鮮語版))、普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))、法政大学法文学部卒。日本弁理士試験・満州高等文官試験合格。満洲国間島省各県の官吏、大韓民報社社長などを務めた。1948年の初代総選挙で当選したが、1950年の第2代総選挙で落選した後は農業に従事した。1968年の『国会20年』によると、この本の出版時点ではすでに死去したとされる。
大澤 嘉平治(おおさわ かへいじ、1905年(明治38年)5… 大澤 嘉平治(おおさわ かへいじ、1905年(明治38年)5月17日 - 1983年(昭和58年)8月21日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期、民主党→民主自由党) 1905年(明治38年)に栃木県で生まれ、法政大学商業学校を卒業する。野洲繊維工業、安足産業、安足自動車運送、大澤建設工業、日本化工、東京タクシーなど多くの社長を務め、佐野商工会議所初代会頭に就任する。 1947年(昭和22年)に第23回衆議院議員総選挙に栃木県第2区から出馬し、当選する(連続2期)。また、民主自由党総務を務める。 1980年(昭和55年)秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章。 1983年(昭和58年)8月21日死去、78歳。
城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11… 城 義臣(じょう ぎしん、1904年(明治37年)10月11日 - 1976年(昭和51年)9月21日)は日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)。 1904年(明治37年)、熊本県に生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法文学部哲学科を卒業し、1929年(昭和4年)に早稲田大学政治経済学部を卒業する。 法政大学社会学研究室助手・講師、九州日報編集局員、日本ピアノ輸入・帝國土地建物・甲南航空工業・天産航空部品・城興産・竜門木材工業各取締役、私塾城山学舎舎主、福岡文化学園理事長兼校長を歴任する。 1948年の参議院熊本県選挙区補欠選挙に日本自由党から出馬し、当選する。第3次吉田内閣で行政管理政務次官に就任し、自由党政務調査会副会長、同党顧問を務める。
中野 勝義(なかの かつよし、1904年(明治37年)8月1… 中野 勝義(なかの かつよし、1904年(明治37年)8月10日-1960年(昭和35年)11月16日)は、日本の実業家。全日本空輸創立の中心的人物であった。 1904年(明治37年)8月10日、北海道上川郡東旭川村に中野光造の次男として生まれる。旭川中学校を経て、1924年(大正13年)法政大学予科に入学し、1930年(昭和5年)に法政大学法文学部仏法科を卒業する。 朝日新聞に入社し、日本学生航空連盟理事などを務め、法政大学による軽飛行機『青年日本号』の訪欧飛行(1931年)、朝日新聞による『神風号』の訪欧飛行(1937年)の実現に尽力した。1940年(昭和15年)、大日本飛行協会参与に就任し、1942年(昭和17年)に朝日新聞を退社し、大日本飛行協会常任参与・庶務部長に就任。
佐藤 俊夫(さとう としお、1904年〈明治37年〉7月20… 佐藤 俊夫(さとう としお、1904年〈明治37年〉7月20日 - 1990年〈平成2年〉1月12日)は、日本の実業家。新潮社の第3代代表取締役社長。東京府出身。 1928年に法政大学法文学部を卒業と同時に、父・義亮の経営する新潮社に入社。1947年に『小説新潮』を創刊し、その編集長に就任する。1958年に新潮社3代目代表取締役社長に就任。1967年に兄・義夫が急逝し、社長の座を兄の息子・亮一に譲り代表取締役会長となった。 1990年1月12日に肺炎のため死去、86歳。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
尹 泳善(ユン・ヨンソン、朝鮮語: 윤영선、1904年または… 尹 泳善(ユン・ヨンソン、朝鮮語: 윤영선、1904年または1905年 - 1997年12月18日(旧暦11月19日))は、大韓民国の実業家、政治家。初代光州市長、第2代韓国国会議員を歴任した。 本貫は海南尹氏(朝鮮語版)、孤山尹善道の13世宗孫である。元朝鮮総督府中枢院参議の尹定鉉(朝鮮語版)は父。長男の尹亨植は長い間、14代宗孫として海南尹氏宗家の緑雨堂(朝鮮語版)に住んでいる。 全羅南道海南または光州出身。法政大学政経学部卒。郡属、府属、理事官、光州農科大学・光州医科大学期成会理事、国民会全羅南道総務部長を経て、東光新聞副社長、初代(または第5代)全羅南道光州市(現・光州広域市)長、木浦白泉企業会社会長、興国海運会長、国会財経委員、成均館理事長を務めた。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年3月1日 - 没年不… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年3月1日 - 没年不明)は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。濱地甚兵衞の三男として生まれ、小林長兵衛の養子となる。1925年に法政大学経済科を卒業し、ロンドン大学を経て、1930年12月に神戸有馬電気鉄道に入社し、取締役にも就任。1938年1月に専務を経て、1946年4月に社長に就任し、1949年4月から1960年3月までに神戸電鉄社長を務めた。 アメリカ合衆国総領事ハンター・シャープの住宅を1944年に取得し、1980年に「小林家住宅(旧シャープ住宅)」という名称で重要文化財に指定される。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
布川 角左衛門(ぬのかわ かくざえもん、1901年10月13… 布川 角左衛門(ぬのかわ かくざえもん、1901年10月13日 - 1996年1月29日)は日本の編集者、実業家。栗田出版販売会長、筑摩書房代表取締役、普連土学園理事長。 新潟県長岡市生まれ。父母の離婚後、父に引き取られ、小学校1年から静岡県沼津市にて義母に育てられる。 旧制沼津中学校(静岡県立沼津東高等学校)を経て法政大学文学部哲学科に進み、野上豊一郎や安倍能成に師事する。 1928年、岩波書店編集部に入社し、岩波文庫、岩波全書などの編集にあたる。1945年、終戦後、東京拘置所から三木清の遺体を東畑精一と引き取り、荷車を借りて東畑邸まで運ぶ。1956年、編集部長を最後に55歳で定年退職した後、63歳で栗田出版販売の社長に就任。
田淵 光一(田渕 光一、たぶち こういち、1900年(明治3… 田淵 光一(田渕 光一、たぶち こういち、1900年(明治33年)2月3日 – 1972年(昭和47年)5月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。「田渕」と表記される場合がある。 和歌山県有田郡、のちの金屋町(現有田川町)で生まれた。法政大学専門部法律科で学んだが、関東大震災で負傷し中退した。 1937年(昭和12年)日本林産鉱業取締役社長、1938年(昭和13年)明治採炭鉱業社長にそれぞれ就任し、1942年(昭和17年)から三重県、奈良県で亜炭鉱山上野炭鉱などを経営した。その他、奈良県亜炭鉱業会長、近畿亜炭鉱業会理事、全国亜炭鉱業連合会常任理事、奈良県亜炭協同組合理事長、石炭増産協力会推進専門委員、全国亜炭産業会総務理事、全国亜炭協会長、国際化成社長、伊賀窯業取締役などを務めた。
趙 之成(ちょう しせい、1899年 – 没年不明)は、中華… 趙 之成(ちょう しせい、1899年 – 没年不明)は、中華民国の官僚・実業家。号は蔚如。中華民国臨時政府で各職を歴任した。当時において、王揖唐の派閥に属していた人物と見なされている。また、江紹杰と共に王揖唐の側近における重鎮格と評価する文献もある。 清末に日本へ留学し、法政大学法律科を卒業したとされる。なお、同様の経歴を持つ先輩格の人物として、王揖唐や江紹杰がいる。親日政権に参加する以前、北京政府や国民政府での趙之成の動向は不詳である。 王克敏・王揖唐らが中華民国臨時政府を創立すると、趙之成もこれに参与した。1938年(民国27年)1月1日、趙は教育部(総長:湯爾和)参事に任命された。同年9月18日、組織改革により内政部が成立すると、王揖唐が内政部総長となる。
森山 武彦(もりやま たけひこ、1898年(明治31年)10… 森山 武彦(もりやま たけひこ、1898年(明治31年)10月31日‐ 1964年(昭和39年)4月3日) は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)で生まれた。1920年(大正9年)法政大学専門部法律科を卒業。 東京市、都城市に森山航空精工所を設置して経営を行った。その後、木材業を営んだ。 1936(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から中立で立候補したが、最下位で落選。戦後、1946(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に宮崎県全県区から日本社会党公認で立候補したが落選。1947(昭和22年)4月の第23回総選挙で宮崎県第2区から出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
福島 敏行(ふくしま としゆき、1895年〈明治28年〉3月… 福島 敏行(ふくしま としゆき、1895年〈明治28年〉3月23日 - 1983年〈昭和58年〉3月23日)は日本の実業家。元日本通運社長、元学校法人日通学園理事長。 1895年(明治28年)3月23日、島根県松江市に生まれる。 1916年(大正5年)、法政大学法学部を卒業し、内国通運(現・日本通運)に入社する。 1960年(昭和35年)、日本通運社長に就任し、1968年(昭和43年)に辞任する。辞任後、いわゆる日通事件により業務上横領の疑い等で逮捕される。1971年(昭和46年)9月に東京地裁で懲役4年の判決が出、1977年(昭和52年)10月に最高裁で確定する。しかし、病気のため刑の執行は停止される。
後藤 圀彦(ごとう くにひこ、1891年(明治24年)7月2… 後藤 圀彦(ごとう くにひこ、1891年(明治24年)7月2日 - 1945年(昭和20年)10月27日)は、日本の実業家。京成電気軌道第二代取締役社長。今日の京成電鉄の礎を築く。 大分県直入郡竹田町(現・竹田市)の後藤定彦の次男として生まれる。中学二年の時、中川伯の所有林で山火事を起こし、金5円を持って上京。 学生時代は新聞配達など苦学をし、1911年に法政大学政治学科を卒業。読売新聞社に職を奉じ、政治部長、経済部長となる。米国に渡り経済事情を調査し、帰朝後、中国へ視察に赴く。その後、松方正義や財界のまとめ役の男爵郷誠之助の知遇を得て、実業界に身を転じる。関東大震災前頃には、郷を囲う会として岩倉具光、河合良成とともに番町会を設立。
名川 侃市(ながわ かんいち、1883年〈明治16年〉6月1… 名川 侃市(ながわ かんいち、1883年〈明治16年〉6月1日 - 1944年〈昭和19年〉8月19日)は、日本の政治家、弁護士、会社役員。衆議院議員(広島県第一区選出、当選6回)。鉄道政務次官。司法参与官。第一東京弁護士会会長。松竹監査役。 東京弁護士会会長、国家公安委員を務めた名川保男の兄。 広島県高田郡坂村(のち向原町、現安芸高田市)に生まれた。名川次郎平の長男。1903年(明治36年)、明治法律学校(現明治大学)卒業。1906年(明治39年)、法政大学卒業。 判事検事登用試験合格。1909年(明治42年)、東京地方裁判所判事に任官。1917年(大正6年)に退官し弁護士となる。一般訴訟事務を取り扱う。
内貴 清兵衛(ないき せいべえ、1878年(明治11年) -… 内貴 清兵衛(ないき せいべえ、1878年(明治11年) - 1955年(昭和30年))は日本の実業家、文化人。日本新薬の創設者、島津製作所・日本電池・京都織物などの役員を歴任、北大路魯山人等のパトロン。元京都市長・内貴甚三郎の長男。洛北や城南に広大な土地を保有した。田中源太郎、中井三郎兵衛らとともに「京都四天王」とよばれた。 1878年(明治11年)、京都市初代市長で実業家の内貴甚三郎の長男として生まれる。和仏法律学校(現法政大学)を卒業後、実家の呉服問屋『銭清』を継ぐ。 1919年(大正8年)に市野瀬潜と共に日本新薬を創設する。また、島津製作所・日本電池など多くの企業で役員を務める。 1928年(昭和3年)から1934年(昭和9年)、1936年(昭和11年)から1941年(昭和16年)まで、財団法人立命館の協議員を務めた。
一柳 貞吉(ひとつやなぎ さだきち、1876年(明治9年)1… 一柳 貞吉(ひとつやなぎ さだきち、1876年(明治9年)12月15日 - 1941年(昭和16年)11月4日)は、日本の実業家・著述家。王子製紙取締役・監査役を務めるかたわら、一柳家にまつわる歴史の編纂や史跡の保護にあたった。諱として「直幹」、号として「南峰」を称している。 1876年(明治9年)、岐阜県大垣生まれ。父は大垣藩で藩校教授を務めていた一柳元吉(1842年 - 1919年、諱は「薫」、号「芳洲」)。実弟に、文部省社会教育局長・国民精神文化研究所所長となる関屋龍吉がいる。生家の一柳家は、江戸時代初期に伊予国西条藩主であった一柳家の流れを汲む。西条藩一柳家は3代藩主一柳直興の時に改易処分を受けたが、直興の弟・一柳直照が5000石で別家を立てており、その家は大身旗本として幕末まで存続した。
保科 陽治(ほしな ようじ、1876年(明治9年)10月12… 保科 陽治(ほしな ようじ、1876年(明治9年)10月12日 - 1945年(昭和20年)2月7日)は、明治後期から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、島根県簸川郡出西村長。 島根県出雲郡阿宮村(簸川郡出西村、斐川村、斐川町を経て現出雲市斐川町阿宮)で、保科昌三郎の長男として生れ、1904年(明治37年)家督を相続。1892年に和仏法律学校(法政大学)を卒業する。1893年(明治26年)4月に上京し、1897年(明治30年)東京専門学校(現早稲田大学)邦語政治科を卒業。農業を営む。 出西村会議員、学務委員、所得税調査委員に在任。1906年(明治39年)島根県会議員に選出され、同参事会員、出西村農会長、島根県農会幹事、簸川郡会議員なども務めた。
黒住 成章(くろずみ せいしょう、前名・佐平治、1875年(… 黒住 成章(くろずみ せいしょう、前名・佐平治、1875年(明治8年)12月16日 - 1928年(昭和3年)7月17日)は、日本の弁護士、会社役員、政治家。衆議院議員(当選3回、立憲政友会)。族籍は岡山県平民。 1875年(明治8年)12月、岡山県津高郡一宮村(後の御津郡一宮町一宮、現在の岡山市北区一宮)で生まれる。黒住秀治の長男。生家は代々農業を営む。小学校卒業後、家業に従事する。 家が貧しく、学資を得ず、上京して牛乳配達、新聞配達等を勤めながら、1902年(明治35年)、和仏法律学校(現・法政大学)を卒業。 1903年(明治36年)、判検事登用試験に及第し、この年の12月に司法官試補を命ぜられ函館地方裁判所に勤務する。
上畠 益三郎(うえはた ますさぶろう、1873年(明治6年)… 上畠 益三郎(うえはた ますさぶろう、1873年(明治6年)1月7日 - 1938年(昭和13年)1月25日)は、日本の政治家、法律家、実業家。衆議院議員、弁護士、大阪株式取引所理事長、日本信託銀行取締役、法政大学監事を務めた。 大阪市生まれ。上畠又兵衛の二男として生まれた。 1891年(明治24年)に和仏法律学校(現法政大学)邦語法律科を卒業。その後、判事検事登用試験に合格し、徳島地方裁判所検事、大阪地方裁判所検事を経て弁護士になる。1920年(大正9年)に第14回衆議院議員総選挙に大阪府第2区から無所属で出馬し当選。当選後は庚申倶楽部に所属した。その後、大阪株式取引所理事長、日本信託銀行取締役に就任。
守屋 荒美雄(もりや すさびお、1872年6月20日(明治5… 守屋 荒美雄(もりや すさびお、1872年6月20日(明治5年5月15日) - 1938年(昭和13年)2月8日)は、日本の教育者であり実業家。地理教育に関する書籍、特に地理教科書や学校用地図帳を多数出版。帝国書院、関東第一高等学校、吉祥女子中学校・高等学校の創立者。 幼名は荒三(あらぞう)で、のちにキリスト教(カトリック)の洗礼を受け、「最高の賢者」を意味する「すさびお」に改名した(「人物」参照)。 1872年5月15日、岡山県浅口郡西原村(のちに西阿知町大字西原、現在の倉敷市西阿知)に生まれる。生家のあった土地は河川改修で高梁川に消えた。1890年に岡山県師範学校の小学校簡易科教員学力検定試験に合格して教員になる。
永井 作次(ながい さくじ、1871年12月21日(明治4年… 永井 作次(ながい さくじ、1871年12月21日(明治4年11月10日) - 1930年(昭和5年)6月5日)は、日本の政治家、法律家、実業家。衆議院議員、鹿児島座社長、九州電力(旧鹿児島電気)社長。従七位。 1871年(明治4年)11月に鹿児島県諸県郡、のちの宮崎県北諸県郡都城町(現都城市)で生まれた。 1894年(明治27年)、和仏法律学校(現・法政大学)邦語法律科を卒業する。 鹿児島地方裁判所検事・鹿児島区裁判所検事をつとめ、退官後弁護士となる。 鹿児島座(1912年(大正1年)完成、1913年(大正2年)1月1日開場)の社長に就任する。九州で初めて専属の少女歌舞伎団「若葉会」を擁し、少女歌舞伎を常打ちした他、東京から一流の芸人を招いて、歌舞伎・新派・浪曲・義太夫・講談・落語・奇術などの興行を行った。
佐藤 亀八郎(さとう かめはちろう、1871年11月20日(… 佐藤 亀八郎(さとう かめはちろう、1871年11月20日(明治4年10月8日) - 1936年(昭和11年)7月15日)は、日本の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員、宮城県農工銀行頭取、宮城県販売購買組合理事長。 仙台県名取郡柳生村(宮城県名取郡中田村を経て現仙台市太白区柳生)で、素封家・佐藤惣十郎の長男として生まれる。1889年(明治22年)宮城農学校、1896年(明治29年)和仏法律学校(現法政大学)を卒業。1903年(明治36年)に家督を相続し、同年、宮城県会議員(-1927年(昭和2年))に当選する。その他、中田村会議員、宮城県農会長、同県産米改良協会会頭、帝国農会議員、仙台商業会議所常議員などを務めた。
藤野 正年(ふじの まさとし、1871年2月20日(明治4年… 藤野 正年(ふじの まさとし、1871年2月20日(明治4年1月2日) - 1943年(昭和18年)12月13日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員、大阪米穀取引所理事。 1871年(明治4年1月)、愛媛県松山市で生まれる。東京法学校(現・法政大学)で法律を専修する。1907年(明治40年)、大阪米穀取引所理事に就任する。その後、浪花火災保険と大日本冷蔵会社などの創設にも力を尽くした。1915年(大正4年)には、鬼度川水力電気取締役や、日本製麻専務にも就任した。1917年(大正6年)に第13回衆議院議員総選挙に愛媛県郡部選挙区から立憲政友会所属で出馬し、当選する。1920年(大正9年)の総選挙は実業多忙を理由として、選挙戦の最中に立候補を取り下げた。
角 弥太郎(角 彌太郎、かど やたろう、1870年〈明治3年… 角 弥太郎(角 彌太郎、かど やたろう、1870年〈明治3年〉 - 1967年〈昭和42年〉)は、日本の実業家。日立鉱山の初代庶務課長および同第4代所長を歴任し、日立鉱山の煙害問題に取り組んだ。息子は洋画家の角浩。孫は角章。 1870年(明治3年)、広島県芦品郡木野山村(合併後は大正村、現・府中市木野山町) に生まれた。17歳で大正村の収入役、法曹界を志して和仏法律学校(現・法政大学)に入学し、卒業後は宮内省御料局に勤務した。 1900年(明治33年)、上司より小坂鉱山からの求人依頼を受けたが適任者が見つからず、裁判官になる夢を捨てて自ら小坂に赴き庶務課助役として勤務した。1907年(明治40年)、久原鉱業所に入社し、日立鉱山に移り、初代庶務課長(後に第4代所長に就任)に着任した。
高木 益太郎(たかぎ ますたろう、1869年3月7日〈明治2… 高木 益太郎(たかぎ ますたろう、1869年3月7日〈明治2年1月25日〉 - 1929年〈昭和4年〉12月11日)は、日本の実業家、政治家、資産家、弁護士。 衆議院議員(当選6回)。法律新聞社長。尾西鉄道社長。法政大学総務部長、同大理事。従五位勲三等。族籍は東京府平民。 1869年1月25日、東京に生まれる。高木益喜の長男。幼少の頃、日本橋元浜町の尾張屋質店の丁稚小僧に出される。当時知人某が法律の不知からある高利貸しのためさんざんな目に遭わされたことに憤慨し、「弱者の味方となり、正義公正な権利擁護に尽くそう」と心機一転して法律の勉強を志す。 銀行に勤めるかたわら東京法学校(現・法政大学)に通学し、1887年に卒業する。
赤間 嘉之吉(あかま かのきち、1868年3月21日(慶応4… 赤間 嘉之吉(あかま かのきち、1868年3月21日(慶応4年2月28日) - 1926年(大正15年)8月24日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、伊藤商店総支配人、東亜煙草理事、九州興業社長。 1868年(慶応4年2月)に筑前国嘉穂郡鎮西村(現飯塚市)にて生まれる。和仏法律学校(現・法政大学)を卒業後、大蔵省煙草専売局事務官などを経て、伊藤商店の総支配人となる。 1917年(大正6年)に第13回衆議院議員総選挙に当選する(当選2回、政友会)。 また、九州興業社長、東亜煙草理事、東京電気雷管・大正鉱業の監査役などを歴任した。 1926年(大正15年)8月24日に死去、享年59。 大蔵省を経て、筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の右腕として、伊藤家の支配人となる。
赤尾 彦作(あかお ひこさく 慶応3年4月15日(1867年… 赤尾 彦作(あかお ひこさく 慶応3年4月15日(1867年5月18日) - 昭和28年(1953年)11月26日)は、日本の政治家、弁護士、実業家。衆議院議員、横浜弁護士会会長。 1867年(慶応3年)-甲斐国八代郡(のちの山梨県東八代郡英村、石和町を経て現笛吹市)に生まれる。 1889年(明治22年)-和仏法律学校(現在の法政大学)を卒業し、1893年(明治26年)に横浜市で弁護士を開業する。 1902年(明治35年)-横浜市会議員当選(以後1942.9まで連続10期当選)する。 1903年(明治36年)-横浜電気軌道株式会社取締役に就任し、1909年(明治42年)平沼銀行を創立に参画し、同年横浜取引所顧問に就任する。
夏井 保四郎(なつい やすしろう、1864年10月19日(元… 夏井 保四郎(なつい やすしろう、1864年10月19日(元治元年9月19日)- 1933年(昭和8年)5月4日)は、日本の政治家、弁護士、実業家。衆議院議員(立憲政友会)、松山電気軌道・海南新聞社社長。 1864年(元治元年9月)、伊予国温泉郡坂本村(久谷村を経て現松山市)で正岡権平の三男に生まれる。1884年(明治17年)に愛媛県師範学校を卒業し、小学校に訓導として勤める。その後、上京し明治法律学校に入学するも、和仏法律学校(現・法政大学)に転じ1889年(明治22年)に卒業する。1890年(明治23年)に代言人試験に合格し、大阪で開業する。 1896年(明治29年)に帰郷し、松山市で開業する。
野上 嘉平(のがみ かへい、1863年9月4日〈文久3年7月… 野上 嘉平(のがみ かへい、1863年9月4日〈文久3年7月22日〉 - 1913年〈大正2年〉10月3日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員(憲政本党)。勲等は勲四等。 淡路国三原郡賀集村(現・南あわじ市)に生まれる。東京法学校(現・法政大学)で学んだ後、賀集村会議員、三原郡町村組合会議員などを務める。1892年(明治25年)2月、兵庫県会議員に三原郡選出で当選した。その後、再選した。1894年(明治27年)5月25日に賀集村長に就任した。1896年(明治29年)10月1日、府県制施行に伴い、県議を失職した。同月20日に村長を退任した。また、同年当選期の三原郡会議員に補欠当選して、1899年(明治32年)まで務めている。
横山 富次郎(よこやま とみじろう、1863年(文久3年2月… 横山 富次郎(よこやま とみじろう、1863年(文久3年2月) - 1936年(昭和11年)3月21日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員(政友会)。 1863年(文久3年2月)、江戸日本橋に呉服木綿問屋横山五兵衛の第三子として生まれる。中江篤介の仏学塾などで学んだ後、1888年(明治21年)に東京仏学校(現・法政大学)を卒業する。家業に従事しながら、1897年(明治30年)に貿易会社大和商会を興し、経営する。 1891年(明治24年)に日本橋区会議員、1892年(明治25年)に東京府会議員、1893年(明治26年)に東京市会議員、1898年(明治31年)に第6回衆議院議員総選挙(東京府第4区)に当選する。
神戸 挙一(かんべ きょういち、1862年3月21日(文久2… 神戸 挙一(かんべ きょういち、1862年3月21日(文久2年2月21日)-1926年(大正15年)11月25日)は日本の実業家。 東京電燈社長。甲州財閥の重鎮。 1862年3月21日(文久2年2月21日)、甲斐国都留郡東桂村に出まれる。生家の没落により、苦学して和仏法律学校(現法政大学)を卒業する(1888年(明治21年))。山梨県会書記となるが、若尾逸平に認められて東京馬車鉄道の支配人に抜擢される。その後、日本鉄道の専務取締役を経て、甲州財閥系の東洋モスリンの設立に参画し専務取締役に就任する。 1911年(明治44年)に東京電燈に入社し、翌年佐竹作太郎のあとを受けて社長に就任する。折から激化していた東京の電力供給の覇権を争った三電抗争で東京電燈を勝利に導き、東京電燈の黄金時代を築いた。
奥村 七郎(おくむら ひちろう、1861年4月18日(文久元… 奥村 七郎(おくむら ひちろう、1861年4月18日(文久元年3月9日) - 1922年(大正11年)1月21日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(憲政会)、博多米穀取引所理事長、博多商業会議所会頭。 1861年(文久元年3月)、筑前国遠賀郡浅木村(現福岡県遠賀郡遠賀町)に生まれる。東京法学校(現・法政大学、明治23年)、英吉利法律学校、明治法律学校を卒業し、弁護士となる。福岡市会議員、同市参事会員を経て、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。 また、博多米穀取引所理事長、博多商業会議所会頭、博多電灯(後の九州電灯鉄道)・九州生命保険・鎮西倉庫各社の取締役、第十七銀行監査役などを務めた。
紀藤 織文(きとう おりぶみ、1858年8月22日〈安政5年… 紀藤 織文(きとう おりぶみ、1858年8月22日〈安政5年7月14日〉 - 1947年〈昭和22年〉8月17日)は、日本の政治家、実業家。 1858年、長州藩の永代家老福原家の家臣の家に生まれる。 父は紀藤海蔵、兄に紀藤宗介(後の宇部共同義会初代会長)、紀藤礼蔵らがおり、1878年(明治11年)に家督を相続し、前名の織人から織文に改名した。 長じて和仏法律学校に入学して法律学を修め、郷土の民政に参与した。1898年(明治31年)6月から1902年(明治35年)6月まで宇部村長を務めた。そのほか、厚狭郡会議員、山口県会議員などに選ばれ、地方政治に貢献した。一転して宇部村の実業が盛んとなったものの、殖産興業に必要な銀行がないことに憤りを感じ、1912年(明治45年)に宇部銀行を設立し、その初代取締役頭取に就任した。
三谷 軌秀(みたに のりひで、1858年2月18日(安政5年… 三谷 軌秀(みたに のりひで、1858年2月18日(安政5年1月5日) - 1934年(昭和9年)3月8日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。幼名は五市。 1858年2月18日(安政5年1月5日)、土佐国長岡郡粟生村(現在の高知県大豊町)に生まれる。1886年(明治19年)に東京法学校(現在の法政大学)を卒業する。 1887年(明治20年)に公証人試験に合格するが、同年保安条例に触れ、三里以外の地に退去を命じられる。 1889年(明治22年)に大阪で公証人となり、1891年(明治24年)に大阪商業会議所の特別会員となる。 1893年(明治26年)に片岡直温らとともに帝國物産を設立し、その顧問に就任し、1894年(明治27年)に日本時計製造の設立に参加し、その監査役に就任する。
岡部 政太郎(おかべ まさたろう、1855年2月9日(安政元… 岡部 政太郎(おかべ まさたろう、1855年2月9日(安政元年12月23日)- 1934年(昭和9年)12月2日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国彼杵郡、現在の長崎県長崎市古町で、代々の呉服商の家に生まれた。明治の初め東浜町(現浜町)に転居し呉服商を営む。1910年(明治43年)に和仏法律学校(現法政大学)を卒業する 。1934年(昭和9年)岡政百貨店を開業した。その他、長崎市商業会議所特別議員、長崎市呉服商組合副取締などを務めた。 日露戦争時には、長崎市奉公会の設立に参画し会計監督となった。1905年(明治38年)所得税調査委員となり4期在任。1907年(明治40年)9月、長崎県会議員に選出された。
野長瀬 美慧(のながせ みえ、6月21日 - )は、日本の… 野長瀬 美慧(のながせ みえ、6月21日 - )は、日本の声優、女優、MC、 経営者。 マレーシアのクアラルンプール出身。アクロス エンタテインメント所属。株式会社LORETTA MARTIN代表取締役。 日本人の父とマレーシア人の母との間に生まれ、マレーシア育ち。日本語の他、英語、マレー語が話せる。 高校生の時に日本に帰国し、大学は法政大学グローバル教養学部を卒業。大学在学時に友人に誘われ声優の養成所の体験授業に参加したのをきっかけに声優を目指す。 以前はぷろだくしょん★A組、アル・シェアに所属していた。 2019年にアクロスエンタテインメントに所属することを報告。 2022年に音響制作会社、株式会社LORETTA MARTINを設立。
伊藤 達男(いとう たつお)は日本の実業家。日本相互証券株式… 伊藤 達男(いとう たつお)は日本の実業家。日本相互証券株式会社 元代表取締役社長日興コーディアル証券元取締役副社長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
立澤 賢一(たつざわ けんいち)は日本の実業家。HSBC証券… 立澤 賢一(たつざわ けんいち)は日本の実業家。HSBC証券会社前代表取締役社長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
下西 孝(しもにし たかし)は、日本の実業家。下西技研工業株… 下西 孝(しもにし たかし)は、日本の実業家。下西技研工業株式会社代表取締役会長。 和歌山県出身。自営工場の代表を務めていた父のもとで生まれ、和歌山県立桐蔭高校へ進学する。高校卒業後、法政大学法学部へ合格し大手出版流通企業に就職。そこで営業や人事などの経験を6年間積み、100時間ほど研修を受けられるチャンスをもらい、人材育成の重要性を学んだ。その後、アメリカはロサンゼルスへと赴き見聞を深めた。アメリカンドリームの姿を目の当たりにし国内で起業することを決意。1990年に東大阪にて構造部品・複合部品メーカーの下西技研工業(SIMOTEC・サイモテック)を創業した。 下西技研工業においては当初、マグネットキャッチを専門に開発していたが付加価値の低さなどから、より重要度の高いヒンジの商品開発へと移行した。
高橋 辰輔(たかはし たつすけ)は日本の実業家。箱根登山鉄道… 高橋 辰輔(たかはし たつすけ)は日本の実業家。箱根登山鉄道元代表取締役社長。 1962年(昭和37年)法政大学法学部卒、1965年箱根登山鉄道入社。1993年取締役、1997年常務、2001年専務、2002年6月代表取締役社長。神奈川県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
長 裕章(ちょう ひろあき)は、日本の実業家。三菱UFJ銀行… 長 裕章(ちょう ひろあき)は、日本の実業家。三菱UFJ銀行常務執行役員よりジェーシービー代表取締役兼専務執行役員、2023年6月よりみどり会代表取締役社長。学校法人 法政大学理事。 1962年生まれ。1985年法政大学経済学部卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行 2013年6月 三菱東京UFJ銀行 執行役員リテール事業部長委嘱 兼MUFG執行役員リテール事業企画部長委嘱 2016年6月 同社 常務執行役員 第3営業本部長並びに金融・公共担当 2018年6月 (株)ジェーシービー 取締役兼常務執行役員総合企画部、経理部担当 2020年6月 同社 代表取締役兼専務執行役員 プロセシング事業統括部門長、営業本部長 2021年4月 学校法人 法政大学 理事(社外)、評議員 2023年6月 (株)みどり会 代表取締役社長 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
二瓶 克博(にへい かつひろ )は、日本の実業家。巣鴨信用金… 二瓶 克博(にへい かつひろ )は、日本の実業家。巣鴨信用金庫理事長。 1989年3月、法政大学法学部卒業 1989年、巣鴨信用金庫入庫。 2020年、常勤理事、人事総務部長。 2022年6月、理事長に昇格。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。