山﨑 舜平(やまざき しゅんぺい、1942年7月8日 - )… 山﨑 舜平(やまざき しゅんぺい、1942年7月8日 - )は、日本の工学者、発明家。工学博士(同志社大学)。半導体エネルギー研究所設立者。シリコンテクノロジーの研究開発に従事。IEEE Life Fellow。同志社社友。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。同志社大学工学部卒業。1967年、同志社大学大学院工学研究科修士課程修了。大学時代より加藤与五郎の薫陶をうける。フラッシュメモリとして知られる不揮発性メモリのトランジスタ構造を博士課程在学中の1970年に発明。1971年、同志社大学大学院電気研究科博士課程修了(工学博士)。同年、東京電気化学工業入社、不揮発性メモリの研究に従事。1973年、TDKフェアチャイルド入社、品質管理課長。
伊庭 嘉兵衞(いば かへえ、1942年(昭和17年)5月21… 伊庭 嘉兵衞(いば かへえ、1942年(昭和17年)5月21日 - )は、日本の政治家。元滋賀県草津市長(1期)。 滋賀県出身。1966年同志社大学経済学部卒。卒業後は草津市役所に入り、総務部長、助役などを務める。2004年草津市長芥川正次が逮捕され、市長を辞職した。これに伴う選挙に立候補し、初当選する。在職中は草津市地域福祉計画を策定した。また、行財政改革に取り組み、市債残高を848億円に削減した。2008年の市長選挙に立候補し、再選を目指し、4年間の実績を強調したが、元市職員の橋川渉に敗れた。
福本 武久(ふくもと たけひさ、1942年4月21日 - )… 福本 武久(ふくもと たけひさ、1942年4月21日 - )は、日本の小説家。 京都市出身。京都市立堀川高等学校、同志社大学法学部卒。 繊維関連メーカに勤めながら、大阪文学学校に遊んだのをきっかけにして、小説を書きはじめる。同人誌活動もそのころからはじめ、仲間とともに「風」「構図」などを創刊。とくに「らぐたいむ」には、毎号小説作品を発表した。1978年春、「電車ごっこ停戦」で第14回太宰治賞を受け、作家としてスタートする。それ以降は小説(知的障害児と家族をテーマにしたもの、歴史に素材をもとめた伝記物、スポーツを背景にした青春物)、エッセイ(サラリーマンの世界をテーマにしたもの)、ドキュメンタリー、児童文学(創作)などを柱に執筆活動をつづけている。
佐藤 紘彰(さとう ひろあき、1942年3月21日 - )は… 佐藤 紘彰(さとう ひろあき、1942年3月21日 - )は、アメリカ合衆国の翻訳家。日系アメリカ人。元日本国籍。 警察官だった父親の赴任先の台湾で生まれたが、終戦により家族とともに長崎に転居。貧しい暮らしの中、街で見かけるユニフォーム姿の米兵に心奪われ、アメリカに憧れて英語を学び始める。1968年、同志社大学英文科大学院修士課程修了するとすぐニューヨークに渡り、1969年、日本貿易振興会 (JETRO) に入る。2005年に JETRO が改組により日本貿易振興機構となるとともに上級研究員。 1979年、アメリカ俳句協会会長。1985年、聖アンドリュース・プレスビテリアン・カレッジ日本文学講師。
松田 司郎(まつだ しろう、1942年3月13日 - )は、… 松田 司郎(まつだ しろう、1942年3月13日 - )は、児童文学作家・評論家。大阪国際大学名誉教授。 大阪出身。同志社大学文学部英文科卒業。その後、出版社に勤務し、退社後にフリーライターを経て、創作活動に専念。1981年に川村たかし、那須正幹ら児童文学者ともに児童文学創作集団「亜空間」を結成し、同タイトルである「亜空間」を季刊誌として創刊した。大阪国際大学人間科学部心理コミュニケーション学科教授を務めた。2006年『宮沢賢治 存在の解放(ビッグバン)へ』で日本児童文学学会賞特別賞受賞。実作のほか、宮沢賢治について多くの著書がある。
豊原 洋治(とよはら ようじ 1942年1月1日 - )は、… 豊原 洋治(とよはら ようじ 1942年1月1日 - )は、広島県出身の実業家。元豊田通商代表取締役副会長。豊田通商のプロパー社員。
仲田 正機(なかた まさき、1942年1月1日 - )は、日… 仲田 正機(なかた まさき、1942年1月1日 - )は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(立命館大学・1985年)(学位論文「現代企業構造と管理機能」)。立命館大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。1964年同志社大学商学部卒、1967年同大学院商学研究科修士課程修了。1985年「現代企業構造と管理機能」で立命館大学より経営学博士の学位を取得。長崎県立国際経済大学講師、助教授、1981年立命館大学経営学部助教授、教授、2012年定年となり、名誉教授。
太田 進一(おおた しんいち、1942年 - )は同志社大学… 太田 進一(おおた しんいち、1942年 - )は同志社大学大学院名誉教授。大学院商学研究科教授、総合政策科学研究科教授を兼務。専攻は中小企業論、ネットワーク経営論。 1942年神戸市生まれ。同志社大学商学部卒業、同大大学院商学研究科修士課程修了、商学博士(同志社大学)。大阪府立商工経済研究所勤務、経済企画庁出向等を経て現職。2023年、瑞宝中綬章受章。 主著に『企業と政策―理論と実践のパラダイム転換』(単著)、『企業政策論と総合政策科学』(単著)、『知識ビジネス―オンライン取引と知識の商業化の統合』(共訳)、『知識ネットワーキング―企業連携の創造』(共訳) 、『総合政策科学入門』(共編著)、『ITと企業政策』(単著)、『ビジネスモデルと企業政策』(共著)等がある。
塩川 京子(しおかわ きょうこ、1942年ー )は、日本の美… 塩川 京子(しおかわ きょうこ、1942年ー )は、日本の美術史家・評論家。 中国・南京に生まれる。旧姓・馬場。1968年同志社大学大学院文化史学修士課程修了。同年京都市美術館に勤務。2000年退職。上村松園ら、関西の美人画家を中心に著書、編纂書を多く執筆した。
長澤 邦彦(ながさわ くにひこ、1942年 - )は、日本の… 長澤 邦彦(ながさわ くにひこ、1942年 - )は、日本の哲学研究者。同志社大学名誉教授。国際フィヒテ学会編集委員、日本フィヒテ協会会長、日本哲学会編集委員、日本哲学会委員、関西哲学会委員などを歴任。 同志社大学文学部哲学科・文学研究科修了、ミュンヘン大学でDr.phil取得。隈元忠敬、大峰顕とともに1985年日本フィヒテ協会の設立に携わる。現在同志社大学名誉教授および同大学財務理事。 2022年、瑞宝中綬章受章。 入江幸男共著『フィヒテ知識学の全容』晃洋書房、2014年
深田 三徳(ふかだ みつのり、1942年 - )は、日本の法… 深田 三徳(ふかだ みつのり、1942年 - )は、日本の法学者(法哲学、法思想史)。同志社大学名誉教授(法科大学院)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 法概念論 - 法価値論 - 法学方法論 - 正義論 - 自然法論 - 歴史法学 - 法実証主義 - 分析法学 - 自由法学 - 利益法学 - 法と経済 法制史 - 法解釈学 ベンサム - ジョン・スチュアート・ミル - サヴィニー - ハンス・ケルゼン - グスタフ・ラートブルフ - ハーバート・ハート 穂積陳重 - 尾高朝雄 - 碧海純一 - 長尾龍一 - 井上達夫 - 田中成明 - 矢崎光圀 - 加藤新平 - 恒藤恭 - 井上茂 - 深田三徳 - 陶久利彦 - 大屋雄裕
太田 義勝(おおた よしかつ、1941年12月28日 - )… 太田 義勝(おおた よしかつ、1941年12月28日 - )は、日本の実業家。ミノルタ代表取締役社長を経て、コニカミノルタホールディングス取締役代表執行役社長や、同社取締役会議長を務めた。 京都府出身。1964年同志社大学法学部卒業、ミノルタカメラ(のちのミノルタ)入社。1987年複写機事業部複写機営業部長。1991年取締役複写機事業部長兼複写機営業部長。1994年情報機器事業統括本部長兼情報機器営業本部長。1995年常務取締役。 1999年からミノルタ代表取締役社長を務め、コニカとの経営統合を行い、2003年持株会社となったコニカミノルタホールディングスの取締役代表執行役副社長及び事業子会社のコニカミノルタビジネステクノロジーズ代表取締役社長に就任。
山本 哲彦(やまもと てつひこ、1941年(昭和16年)11… 山本 哲彦(やまもと てつひこ、1941年(昭和16年)11月25日 - )は、日本の工学者。琉球大学名誉教授。元徳島工業短期大学学長。 同志社大学工学部卒業。同志社大学大学院工学研究科修士課程修了。鳥取県出身。 鳥取県出身。1966年(昭和41年)に同志社大学工学部を卒業。1968年(昭和43年)に同大学大学院工学研究科修士課程を修了。1972年(昭和47年)より琉球大学理工学部の講師となり、1974年(昭和49年)に同大学工学部の助教授、1995年(平成7年)に同大学工学部の教授に就任。 2007年(平成19年)に琉球大学を退官し名誉教授となる。同年に徳島工業短期大学学長に就任し、2013年(平成25年)まで務めた。
相羽 秋夫(あいば あきお、本名:澤田健一郎、1941年9月… 相羽 秋夫(あいば あきお、本名:澤田健一郎、1941年9月20日 - )は、日本の演芸評論家、放送作家、エッセイスト。大阪芸術大学芸術計画学科元教授・学科長。日本笑い学会副会長。 愛知県名古屋市出身。1966年同志社大学法学部を卒業後、松竹芸能に入社。寄席のスタッフ職員・構成作家として活動した。一時は、大村崑、正司敏江・玲児などのマネージャーを務めている。 1978年に松竹芸能から独立した後は、フリーランスの上方演芸研究家として多数の演芸評論・エッセイを執筆するかたわら、放送作家として『すてきな出逢い いい朝8時』(MBSテレビ)の構成を担当。「M-1グランプリ」では、第1回(2002年)から第6回(2007年)まで、大阪予選の審査員を務めていた。
横井 軍平(よこい ぐんぺい、1941年〈昭和16年〉9月1… 横井 軍平(よこい ぐんぺい、1941年〈昭和16年〉9月10日 - 1997年〈平成9年〉10月4日)は、日本の技術者、ゲームクリエイター。ゲーム業界に多大な貢献を行ったことから「ゲームの父」や「携帯ゲームの父」の異名で知られる。 京都府京都市出身。同志社大学工学部電気工学科卒。 任天堂開発第一部部長として『ゲーム&ウオッチ』、『ゲームボーイ』、『バーチャルボーイ』等の開発に携わり、宮本茂と並んで任天堂を世界的大企業へと押し上げる原動力となった。 趣味は鉄道模型で、小学3年生でOゲージを買ってもらい、中学2年生でHOゲージに転向、高校時代に完成させたレイアウト「SPライン(Sはsilk=絹、Pはparasol=傘、絹傘→きぬかさ→衣笠、当時の住所から使ったとのこと)」を専門誌『鉄道模型趣味』に投稿し、1958年1月号に掲載されている。
ゆうき 哲也(-てつや、1941年9月9日 - )は、日本の… ゆうき 哲也(-てつや、1941年9月9日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優。元チャンバラトリオメンバー。旧芸名は結城 哲也で、一時期ゆう輝 哲也と改名していた時期がある(全て読みは同じ)。俳優の井上茂は実の弟にあたる。
石塚 広治(いしづか こうじ、1941年9月7日 - )は、… 石塚 広治(いしづか こうじ、1941年9月7日 - )は、京都府出身の元ラグビー選手。
中山 賢一(なかやま けんいち、1941年8月19日 - )… 中山 賢一(なかやま けんいち、1941年8月19日 - )は、日本の経営者。小松マテーレ代表取締役会長兼社長、日本染色協会会長、石川県染色工業協同組合理事長などを歴任。 1941年(昭和16年)石川県小松市生まれ。石川県立小松高等学校卒業後、1964年同志社大学経済学部卒業
夏目 和良 (なつめ かずよし、1941年7月7日 - )… 夏目 和良 (なつめ かずよし、1941年7月7日 - )は、日本の実業家。元中部日本放送、CBCテレビ社長、会長、相談役。 愛知県出身。同志社大学経済学部卒業。大学卒業後の1965年4月、中部日本放送に入社。1997年6月東京支社長。1998年12月テレビ営業局長。1999年6月取締役テレビ営業局長。2001年6月常務取締役。2003年6月代表取締役社長。2008年6月代表取締役会長。2011年9月CBCラジオ取締役。2014年4月CBCテレビ代表取締役会長。同年6月取締役相談役名誉会長、取締役相談役。2016年退任。 2013年11月旭日中綬章受章。
牧本 幹男(まきもと みきお、1941年〈昭和16年〉7月3… 牧本 幹男(まきもと みきお、1941年〈昭和16年〉7月3日 - )は、日本の政治家。第10代福山市長(2期)。 広島県福山市に生まれる。牧本利夫の長男。1960年 (昭和35年) に広島大学附属福山高等学校、1964年(昭和39年)に同志社大学商学部を卒業、琴の生産で知られる牧本楽器株式会社に入社。1974年(昭和49年)、同社専務に就任。 1983年(昭和58年)8月21日に行われた福山市長選挙に、日本鋼管福山製鉄所の全面的な支持を受けて立候補。現職市長の中川弘、元市長の立石定夫、日本共産党公認の新人らを相手に戦い初当選した。市長選の前年12月、土木行政をめぐる汚職事件で助役の土屋陽光が逮捕されており、中川は1期で退くこととなった。
森田 進(もりた すすむ、1941年4月26日 - 2018… 森田 進(もりた すすむ、1941年4月26日 - 2018年7月27日)は、日本の詩人。 埼玉県浦和市(後のさいたま市)生まれ。日本詩人クラブ、日本キリスト教詩人会所属。同志社大学文学部美学専攻、早稲田大学第一文学部国文科卒。梅光女学院高等学校教諭、四国学院大学教授、恵泉女学園大学教授を歴任。 1978年韓国・崇田大学の日本語・日本文学客員教授として家族と共に赴任した経験での、韓国の人々との交流と葛藤を独自の詩世界に結実した。 全国詩誌『詩と思想』(土曜美術社出版販売)の編集長として、社主・加藤幾惠、編集メンバー・詩人の麻生直子、葵生川玲、中村不二夫、小川英晴と、地方在住の詩人に呼びかけ詩の興隆運動を展開し、新しい世代の詩人を送り出した。
宮地 克実(みやじ かつみ、1941年3月10日 - )は、… 宮地 克実(みやじ かつみ、1941年3月10日 - )は、日本の元ラグビー選手及び指導者。 大阪府立四條畷高等学校を経て、同志社大学へと進む。同大学在籍時代には坂田好弘らとともに第2回日本協会招待NHK杯で近鉄を下し、事実上のラグビー日本一を経験した。その後、東京三洋に加入した。日本代表選手の経験もあり、1969年のアジア選手権に出場し、キャップ1を獲得している。 現役引退後は1978年と1984年に日本代表監督を2度務めた。そして恩師でもある前任者の岡仁詩の突然の辞任により、第1回のラグビーワールドカップが開催された1987年に3度目の代表監督に就任し、同大会での指揮を執った。 その後、三洋電機(現在の埼玉パナソニックワイルドナイツ)の監督を務めた。
坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )… 坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で現在は競馬評論家である。 同志社香里中学校・高等学校、同志社大学卒業。父の坂口正二も元調教師でハマノパレード等を管理した。長男の坂口貴大は調教助手。元調教師の坂口正則は従兄弟に当たる。 1965年にアメリカのカリフォルニア競馬・グリーンステッド厩舎でエキササイズボーイ(調教助手)となった後、1966年に父の坂口正二厩舎で調教助手となる。1974年に調教師免許を取得し、1976年に厩舎を開業。初出走は同年3月7日、阪神競馬第10競走のレイクルーラーで落馬・競走中止という珍しい記録である。
山尾 孝雄(やまお たかお、1941年2月13日 - )は、… 山尾 孝雄(やまお たかお、1941年2月13日 - )は、大阪府大阪市 出身の元プロ野球選手(外野手)。
田中 隆雄(たなか たかお、 1941年2月12日 - 20… 田中 隆雄(たなか たかお、 1941年2月12日 - 2006年10月11日)は、日本の会計学者。公認会計士第2次試験委員(平成13年)。日本管理会計学会会長、日本原価計算研究学会常任理事。青山学院大学経営学部教授。同学部長。 1941年大阪府大阪市に生まれる。同志社大学商学部卒業。同志社大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学。経営学博士(明治大学)。 2006年10月11日、転落事故による肝臓出血のため、鎌倉市内の病院で死去。享年65。
沖津 嘉昭(おきつ よしあき、1941年1月23日 - )は… 沖津 嘉昭(おきつ よしあき、1941年1月23日 - )は、日本の経営者。岩井コスモ証券社長、会長を務めた。大阪府出身。 1973年に同志社大学大学院を修了し、1984年に岩井証券に入社。1990年に取締役に就任し、1991年に常務、1993年に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2012年5月に岩井コスモ証券社長に就任し、2016年11月には会長に就任。 2012年11月に旭日双光章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
各務 英明(かがみ ひであき、1941年(昭和16年) - … 各務 英明(かがみ ひであき、1941年(昭和16年) - )は、日本のジャーナリスト、元産経新聞整理部長。 岐阜県生まれ。1964年(昭和39年)同志社大学文学部卒業。産経新聞社大阪本社に入社し、中部総局、京都支局、社会部、夕刊フジを経て、産経新聞整理部長、夕刊フジ関西総局次長兼整理部長などを歴任。退職後は大阪成蹊大学現代経営情報学部、大阪成蹊短期大学の非常勤講師も務めた。 産経新聞時代、同社の実在する15人家族の新聞記者一家のルポルタージュを出版。1991年(平成3年)この本を原作としてTBSテレビが女優・岡江久美子を主役にしたホームドラマ番組「天までとどけ」を制作。「愛の劇場」枠で放送され、シリーズの最高視聴率19%という昼のドラマとしては驚異的な高視聴率を記録、幾度も続編が作られ2004年まで続き話題となった。
中丸 明(なかまる あきら、1941年 - 2008年1月)… 中丸 明(なかまる あきら、1941年 - 2008年1月)は、日本のエッセイスト。日本統治時代の朝鮮の京城(現韓国ソウル市)生まれ。本名・栗原裕。同志社大学卒業。日西協会終身会員。
朝堂院 大覚(ちょうどういん だいかく、本名:松浦 良右、1… 朝堂院 大覚(ちょうどういん だいかく、本名:松浦 良右、1940年〈昭和15年〉12月9日 - )は、日本の男性実業家。YouTuber。同志社大学法学部卒業。大阪府大阪市出身。 朝堂院大覚を名乗るようになったのは、1996年からであり、それまでは松浦良右という本名で活動していた。 大阪府大阪市出身。同志社香里高等学校卒業、同志社大学法学部卒業。大学を卒業後に浪速冷凍機工業(後のナミレイ)へ入社し、後に同社の会長に就任。しかし、1982年(昭和57年)に空調大手の高砂熱学工業に対して業務提携などを強要したという容疑で逮捕され懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。 2013年〈平成25年〉に自身のYouTubeチャンネル「JRPtelevision」を開設し、YouTuberとして活動を開始した。
清水 昶(しみず あきら、1940年11月3日 - 2011… 清水 昶(しみず あきら、1940年11月3日 - 2011年5月30日)は、日本の詩人、評論家。花火研究者の清水武夫は父、詩人の清水哲男は兄。 東京生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。在学中、正津勉らと詩誌「首」を創刊。1966年、第7回現代詩手帖賞受賞(選者:大岡信、入沢康夫、中江俊夫)。詩のほかに、文芸評論、俳句も書く。 2011年5月30日、心筋梗塞のため東京都武蔵野市の自宅で死去。70歳没。墓所は三鷹市野崎のメモリアルガーデン三鷹。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
上田 健二(うえだ けんじ、1940年9月21日 - 201… 上田 健二(うえだ けんじ、1940年9月21日 - 2010年2月3日)は、日本の法哲学者、刑法学者。 京都市生まれ。同志社大学法学部教授。ドイツのミュンヘンに留学し、グスタフ・ラートブルフの弟子であるアルトゥール・カウフマンに影響を受けた。ドイツの法哲学について造詣が深く、アルトゥール・カウフマン『法哲学』を代表とした数多くの訳業がある。 他にも『同志社法学』などに発表した訳業が数多く存在する。
今西 紘史(いまにし ひろし、1940年8月13日 - )は… 今西 紘史(いまにし ひろし、1940年8月13日 - )は日本の実業家。任天堂の元取締役。 同志社大学法学部卒業後、1963年に任天堂に入社する。経理、企画など、様々な部署を経験する。『ウルトラハンド』を生み出した横井軍平のために開発課を発足させた際、今西が経理関係を担当した。 1975年5月総務部長に就任。1994年6月、広報室長に就任。強面の顔をした広報室長として知られ、任天堂のスポークスマンとして活躍する。同社の取締役も務めた。 2002年5月、取締役を退き、顧問に就任。 この項目は、ゲーム関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugi… サンダー杉山(サンダーすぎやま / Thunder Sugiyama、本名:杉山 恒治 / すぎやま つねはる、1940年7月23日 - 2002年11月22日)は、日本のプロレスラー、アマチュアレスリング選手。 新潟県糸魚川市出身。明治大学農学部農業経済学科卒業。第2代IWA世界ヘビー級王者、第3代第7代IWA世界タッグ王者。レスリングで1964年東京オリンピックに出場後、プロレスラーに転向。現役引退後はタレント活動の他、実業家としても成功した。一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構では、連絡先を求めている。 東海高校から同志社大学に入学して柔道部に所属していたが、1年の終わりに部を辞めている。
高谷 保宏(たかや やすひろ、1940年4月23日 - )… 高谷 保宏(たかや やすひろ、1940年4月23日 - )は、日本の経営者、銀行家。近畿大阪銀行頭取を務めた。 兵庫県出身。1964年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に近畿相互銀行(のちの近畿銀行)に入行した。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1998年1月に専務を経て、1999年6月に社長に就任し、2000年4月から2003年4月までに近畿大阪銀行頭取を務めた。
田上 起一郎(たがみ きいちろう、1940年4月12日 - … 田上 起一郎(たがみ きいちろう、1940年4月12日 - 2020年ころ?)日本の芸能マネージャー、田上事務所代表。劇団「雲」の裏方を長く務めた後、芸能事務所である田上事務所を設立して独立し、名古屋章ら「雲」に関係のあった俳優たちを中心に、マネジメントを担った。 東京府東京市大森区(後の東京都大田区大森)に生まれる。 中学1年の時から大阪で育つ。 同志社大学在学中に小劇団に加わり、卒業後は普通の就職活動はせず、親の反対を押し切って上京し、福田恆存が主宰していた劇団「雲」に就職して、舞台の裏方の様々な仕事を経験した。 「35歳で独立」して田上事務所を立ち上げたが、これは劇団「雲」の解散に至る、混乱期のさなかのことであった。
藤井 良清(ふじい よしきよ、1940年3月27日 - )は… 藤井 良清(ふじい よしきよ、1940年3月27日 - )は、日本の経営者。日本ハム社長を務めた。香川県出身。 1962年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に日本ハムに入社。1988年11月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、2002年6月に社長に就任。2007年4月に会長に就任。 2019年春に旭日重光章を受章。
田中 弘文(たなか ひろふみ、1940年2月23日- )は… 田中 弘文(たなか ひろふみ、1940年2月23日- )は、日本の経営者。アサヒペン社長、会長を務めた。大阪府出身。 1961年に同志社大学経済学部を中退し、同年5月にアサヒペンに入社した。1970年11月に取締役に就任し、1977年5月には社長に昇格した。1995年4月に副会長に就任し、2003年6月から相談役を務めた。 2012年11月に旭日単光章を受章。
森本 益之(もりもと ますゆき、1940年 <昭和15年> … 森本 益之(もりもと ますゆき、1940年 <昭和15年> 1月10日 -2017年 <平成29年> 11月24日)は、日本の法学者。元摂南大学学長、大阪大学名誉教授。専門は刑法、刑事政策。法学博士(同志社大学、1987年)。高知県出身。位階は正四位。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4… 田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4日 - 2025年〈令和7年〉1月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、同志社大学経済学部卒業後、公明新聞に入社。1986年の第14回参議院議員通常選挙では比例区から公明党名簿第14位に登載され立候補したが、この時には落選している。 1993年の第40回衆議院議員総選挙で公明党の公認候補として旧大阪1区(定数3)から立候補し、同区でトップ当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は大阪3区から新進党公認で立候補し、2期連続当選を果たした。その後は新進党の解党により新党平和を経て、再結成された公明党と所属政党を変えつつも、連続当選した。
玉村 和彦(たまむら かずひこ、1940年 - )は、日本の… 玉村 和彦(たまむら かずひこ、1940年 - )は、日本の経営学者、観光学者。同志社大学名誉教授。 1940年(昭和15年)長野県生まれ。1959年(昭和34年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1963年(昭和38年)同志社大学商学部卒業。1965年(昭和40年)同志社大学大学院商学研究科修了。2002年(平成14年)エクセター大学大学院地理学・考古学研究科地理学専攻。 同志社大学商学部助教授、教授、2000年(平成12年)同志社大学キリスト教文化センター所長を経て、2006年(平成18年)定年退官。同志社大学名誉教授
国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の… 国松 俊英(くにまつ としひで、1940年 - )は、日本の児童文学作家。 日本児童文学者協会、日本児童文芸家協会、日本野鳥の会、宮沢賢治学会会員。 滋賀県守山市生まれ。滋賀県立八幡商業高等学校、同志社大学商学部を卒業。上京して児童文学同人誌「ピノキオ」に加わり、童話創作を始める。砂田弘に師事し、1979年より文筆生活に入る。古田足日児童文学塾で学ぶ。 童話や児童小説を書く一方、ノンフィクション文学の世界で新しい分野を切り開いて活躍している。1996年に発表した「宮沢賢治 鳥の世界」では、賢治の童話や詩に登場する鳥類を解析し、これまで誰も書かなかった賢治文学の魅力を明らかにした。また1996年出版の「鳥を描き続けた男 - 鳥類画家・小林重三」では、博物画家として大きな仕事を世に残した動物画家・小林重三の生涯と仕事を発掘して注目を集めた。
木村 聖哉(きむら せいや、1940年 - )はフリーライタ… 木村 聖哉(きむら せいや、1940年 - )はフリーライター。 中国・大連生まれ。同志社大学文学部社会学科卒。大阪労音事務局、「話の特集編集室」等を経てフリーに。 ハンセン病であった藤本としの同名随筆集を、ひとり芝居とした結純子「地面の底がぬけたんです」公演プロデューサー。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
鳥飼 慶陽(とりがい けいよう、1940年 - )は、日本の… 鳥飼 慶陽(とりがい けいよう、1940年 - )は、日本の牧師、社会運動家。 鳥取県関金町出身。同志社大学神学部卒、1964年同大学院修士課程修了。日本基督教団の牧師となる。1964年滋賀県仁保教会伝道師。1966年神戸イエス団教会伝道師。1968年番町出会いの家開設。2009年賀川豊彦賞を受賞。部落解放運動にもたずさわる。
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月… 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち(なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない)。 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる。父親は群馬県、母親は江別市出身。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生、西部邁は中学校の1年先輩に当たる。
上杉 満生(うえすぎ みつお、1939年11月13日 - 2… 上杉 満生(うえすぎ みつお、1939年11月13日 - 2009年12月25日)は、日本の写真家。琵琶湖などの風景写真を得意とした。 第1回前田真三賞(旧風景写真新人杯)受賞者。日本風景写真協会(略称JNP)創立に参画。日本風景写真協会の創設に尽力し、同協会初代会長として卓越したリーダーシップを発揮して1400名を超える組織を育て、まとめて来られたことは多くの風景写真愛好家の知るところである。 前田真三賞: 風景写真では国内最高峰の写真コンテストで二年がかりで審査される。一年目の予選は10枚二年目の本選は30枚の組写真を提出する必要があり、全て一貫性のあるテーマによって組まれていなければならず大変高いレベルが要求される。
立石 義雄(たていし よしお、1939年(昭和14年)11月… 立石 義雄(たていし よしお、1939年(昭和14年)11月1日 - 2020年(令和2年)4月21日)は、日本の実業家。オムロン創業者立石一真の三男で、同社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭等を歴任した。 大阪府大阪市西淀川区野里出身で、立石一真の三男である。1958年に同志社高等学校を卒業し、1962年には同志社大学経済学部を卒業した。 1963年、立石電機(現:オムロン)に入社し、徐々にキャリアを積み重ねた。1987年、兄の立石孝雄の後任として、同社代表取締役社長に就任した。「会社は創業家のものではない」との考えから、1990年に創業者の苗字を冠した「立石電機」という社名を「オムロン」へと改称した。
浅井 敬壹(あさい けいいち、1939年10月24日 - )… 浅井 敬壹(あさい けいいち、1939年10月24日 - )は、日本の合唱指揮者である。血液型はB型。日本合唱指揮者協会相談役。2006年より2014年まで全日本合唱連盟理事長を務め、現在は名誉会長。 2歳から8歳までを満州国(現:吉林省)にて過ごす。終戦に伴い日本に引き揚げ、その後は京都府京都市で育つ。京都市立堀川高等学校を経て同志社大学法学部卒業。在学中は同志社グリークラブに所属し、学生指揮者を務めていた。 大学卒業後は民間企業に勤務する一方で、1963年(昭和38年)、ロシアから来日した当時「世界一」と謳われたインスブルック合唱団の演奏会を聴き、「この合唱団のレベルが世界一だとするならば、(京都エコーを)十年間で世界一にできるのではないか」と感じ、「千年の古都・京都に世界一の合唱団を」との理想を掲げ、合唱団京都エコーを設立。
松元 省一(まつもと しょういち、1939年10月3日 - … 松元 省一(まつもと しょういち、1939年10月3日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。京都府出身。同志社香里中学校・高等学校、同志社大学卒業。父は松元正雄元調教師で、弟に松元茂樹元調教師(ビリーヴ、ギルデッドエージなどを管理)が、甥に茂樹の実子で元競艇選手の松元弥佑紀がいる。 同志社大学卒業後、自動車販売の会社に勤めていた。 1965年に父の松元正雄厩舎にて厩務員となり、その年のうちに調教助手となる。1975年に調教師免許を取得し、翌1976年に栗東で厩舎を開業。初出走は同年7月3日中京競馬第2競走のイチモンジで7着。初勝利は同年11月6日京都競馬第3競走のシゲパワーでのべ18頭目であった。
豊嶋 三千春(てしま みちはる、1939年(昭和14年)9月… 豊嶋 三千春(てしま みちはる、1939年(昭和14年)9月15日 - )は、シテ方金剛流能楽師。京都市在住。
重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月1… 重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月14日 - )は、脚本家(映画、TV)。兵庫県西宮市生まれ。 兵庫県立鳴尾高等学校~同志社大学文学部(1962年)卒。在学中は「第三劇場」に所属。卒業後、劇団仲間と結婚し上京、離婚後シナリオ研究所に学ぶ。在学中に浦山桐郎と知り合い、1970年に浦山との間の娘を出産。