山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2… 山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2014年8月6日)は、日本の俳人。本名・公夫。大阪府出身。 大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。卒業後は眼科医として勤務。1948年に「馬酔木」入会、水原秋櫻子に師事。また1949年より「南風」入会し山口草堂にも師事する。「馬酔木」「南風」同人、「南風」副主宰を経て、2004年に「南風」代表に就任。 句集に『眞竹』『白蔵』『山麓』『翠微』『四時抄』『晩翠』『春の顔』。1995年、『翠微』により第35回俳人協会賞、2003年『四時抄』により第3回山本健吉文学賞および第4回俳句四季大賞を受賞。ほかに馬酔木新人賞、南風賞などを受賞。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。
津村 俊弘(つむら としひろ、1931年5月10日 - 20… 津村 俊弘(つむら としひろ、1931年5月10日 - 2022年3月13日)は、日本の情報制御/システム工学者・航空宇宙工学者。工学博士(大阪大学)。大阪府立大学名誉教授。大阪工業大学情報科学部情報システム元教授。ビークルオートメーション研究会初代会長。日本人間工学会関西支部元支部長(航空人間工学部会所属)。瑞宝中綬章受章。 専門は、航空情報システム・航空宇宙工学、情報制御/システム工学・ビークルオートメーション(特に移動体制御:飛行機・自動車・ロボット等)。 1960年大阪大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了、工学博士(大阪大学)。同年、大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部航空工学科助手。
田中 靖郎(たなか やすお、1931年(昭和6年)3月18日… 田中 靖郎(たなか やすお、1931年(昭和6年)3月18日 - 2018年(平成30年)1月18日)は、日本の物理学者(X線天文学)。位階は正四位。学位は理学博士(大阪大学・1961年)。宇宙科学研究所名誉教授、東京大学名誉教授、名古屋大学特別教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学原子核研究所助手、名古屋大学理学部助教授、東京大学宇宙航空研究所教授、宇宙科学研究所教授、日本学術振興会ボン研究連絡センターセンター長、 独立行政法人日本学術振興会ボン研究連絡センターセンター長などを歴任した。 大阪府生まれ。1953年に大阪大学理学部物理学科卒業、東京大学原子核研究所助手を経て、1961年大阪大学理学博士 「空気シャワー中の核子成分の考察(英文)」。
坂本 賢三(さかもと けんぞう、1931年3月16日 - 1… 坂本 賢三(さかもと けんぞう、1931年3月16日 - 1991年1月9日)は、日本の科学史家、哲学者。哲学・科学史・技術史を専攻。 兵庫県神戸市に生まれる。1953年大阪大学理学部物理学科卒業。同大学院文学研究科(哲学)博士課程中退。 1960年大阪経済大学講師、1962年桃山学院大学講師、1964年助教授、1968年教授、1974年神戸商船大学教授、1986年千葉大学教授となる。 在任中の1991年1月19日、直腸癌のため死去。
牛嶋 正(うしじま ただし、1931年〈昭和6年〉2月25日… 牛嶋 正(うしじま ただし、1931年〈昭和6年〉2月25日 - 2024年〈令和6年〉10月5日)は、日本の経済学者、政治家(参議院議員〈1期〉)。名古屋市立大学名誉教授。位階勲等は正四位勲三等。 兵庫県生まれ。1955年(昭和30年)京都大学経済学部卒。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了。その後名古屋市立大学経済学部教授の傍ら、税制調査会の委員や愛知県や名古屋市の委員を務める。1990年(平成2年)に日本都市学会会長に就任。1995年(平成7年)名城大学都市情報学部教授。 1992年(平成4年)、第16回参議院議員通常選挙で公明党(比例区)から名簿順位1位で立候補し当選。1994年(平成6年)に新進党の結成に参加した。
長山 泰孝(ながやま やすたか、1931年2月13日 - 2… 長山 泰孝(ながやま やすたか、1931年2月13日 - 2015年3月15日)は、日本史学者、大阪大学名誉教授。 大阪府出身。1959年大阪大学文学部史学科卒。同大学院中退、1964年京都府立大学女子短期大学部講師、1966年助教授、1968年大阪大学教養部助教授、1975年「律令負担体系の研究」で阪大文学博士。1980年教授、1994年定年退官、名誉教授、帝塚山大学教授、1998年神戸女子大学教授。 2015年、自宅で癌の為死去。
古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 20… 古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 2014年10月21日)は、日本の医師・医学者。 大阪府堺市出身。大阪大学医学部卒、同大学院循環器内科博士課程修了、1960年医学博士。1961年阪大医学部助手、1972年講師、1975年東京大学医学部教授、1989年国立大阪病院院長。長崎県立大学学長・長崎県立公立大学法人副理事長を務めた。 1973年ベルツ賞2等賞受賞。
玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 -… 玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 - )は、日本の言語学者・日本語学者。同志社大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。1951年大阪外事専門学校フランス科卒業、1953年大阪外国語大学フランス語科卒業、1957年京都大学大学院言語学専攻修了。1955年京都府立高等学校教諭、1968年大阪外国語大学講師、71年同助教授、1974年同志社大学文学部助教授、82年同教授。この間、京都大学、大阪大学・同大学院、京都府立大学、龍谷大学、仏教大学、国立国語研究所等に出講。2001年定年、同志社大学名誉教授。2002年「日本語語彙の研究」で龍谷大学博士(文学)。 日本語教育学会理事・編集委員長・副会長、新村出記念財団代表理事、京都国際文化協会理事などを歴任した。
木辺 弘児(きべ こうじ、1931年(昭和6年) - 200… 木辺 弘児(きべ こうじ、1931年(昭和6年) - 2008年(平成20年)2月2日)は、日本の作家、小説家。本名は住田 晴幹(すみた はるき)。 1931年(昭和6年)に兵庫県神戸市に生まれる。大阪大学理学部を卒業後、カメラメーカーであるミノルタに入社するも1958年(昭和33年)、肺結核のために休職する。 ストレプトマイシンによる軽快後、1960年代、コンピューターが取り入れられたばかりのレンズ設計に従事し、ミノルタSRシリーズ用の交換レンズを送り出す。コンピューターを用い、OTFを評価関数としたレンズの自動設計を研究し、1970年(昭和45年)、応用物理学会分科会日本光学会光学論文賞を受賞。
福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 20… 福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の生化学者。学位は理学博士。大阪大学名誉教授。専門は生化学、酵素科学。正四位、瑞宝中綬章受章。 1931年(昭和6年)、兵庫県で生まれる。 川西小学校から県立伊丹中学に進むはずだったが、6年生の担任から勧められたこともあり、1944年(昭和19年)、旧制甲南高等学校尋常科入学(尋常科4年、高等科3年)。終戦後の学制改革により高等科を1年で修了。大阪大学へ進学。 1958年、「Enzymatic studies on the phosphorus in potato starch.」で理学博士。 2026年3月18日、腎不全のため死去。
守谷 亨(もりや とおる、1930年12月17日 - )は、… 守谷 亨(もりや とおる、1930年12月17日 - )は、日本の理論物理学者、 神奈川県出身。1953年大阪大学卒業。ベル電話研究所研究員などを経て、1972年東京大学教授、のちに東京理科大学教授に就任。物質の磁性の基礎理論を専門とし、反対称交換相互作用(ジャロシンスキー・守谷相互作用)を発見した。 この項目は、物理学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:物理学/Portal:物理学)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
楢崎 正也(ならさき まさや、1930年(昭和5年)11月2… 楢崎 正也(ならさき まさや、1930年(昭和5年)11月21日 - 2025年(令和7年)11月9日 )は、日本の建築学者。大阪大学名誉教授。 社団法人日本建築学会環境工学委員会空気環境運営委員会、NPO法人日本健康住宅協会空気環境部会などに参画。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田辺 明雄(たなべ あきお、1930年11月8日 - 200… 田辺 明雄(たなべ あきお、1930年11月8日 - 2002年12月4日)は、演劇・文芸評論家。 大阪府出身。大阪大学文学部仏文科卒、同大学院中退。文学者を目ざして小説や評論を書いたがものにならず、競艇場の管理人をして糊口をしのぐ。のち箕面市役所に勤務したが競艇場の管理はかわらなかった。1976年『真山青果』で毎日出版文化賞。関西文学賞特別賞受賞。劇作も行った。
天野 源博(あまの もとひろ、1930年10月13日 - 2… 天野 源博(あまの もとひろ、1930年10月13日 - 2005年1月20日)は、日本の実業家。 愛知県西春日井郡西春町(現・北名古屋市)出身。1951年に大阪大学薬学部を卒業した後に、天野製薬に入社した。1971年から1995年までに天野製薬社長を務めた。天野製薬を医薬品や食品用の酵素剤でトップに導いた。1995年6月から会長を務め、ドラッグストアのアマノとカメラのアマノの会長も兼任した。1994年から1997年までに中部経済同友会代表幹事や名古屋商工会議所常議員を務め、中部国際空港の早期実現と愛知万博の誘致に力を入れた。日本製薬団体連合会理事や名古屋駐在オランダ王国名誉領事も務めた。 2005年1月20日、腹部大動脈りゅう破裂のために死去。
豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )… 豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )は、日本の医学者。東京大学名誉教授。大阪大学名誉教授。専攻はウイルス学・腫瘍学。1969年に世界で初めてトリ肉腫ウイルスからガン遺伝子を発見。この分野の先駆けとしてその後のガン研究に大きな貢献をした。84~94年には「対ガン10カ年総合戦略」の研究総括。また、DNAのガイドライン策定に参加。ヒトクローン倫理問題でも総合科学技術会議文部科学省専門委員会の委員や科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会 特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会の主査などを務めた。1998(平成10)年文化功労者。2001(平成13)年文化勲章受章。医学博士(大阪大学、1959年)。大阪府出身。
渡辺 英二(わたなべ えいじ、1930年(昭和5年)9月26… 渡辺 英二(わたなべ えいじ、1930年(昭和5年)9月26日 - )は、日本の実業家。元日揮社長、同会長。 三和銀行名誉会長の渡辺忠雄・みのるの二男として北海道に生まれる。1953年(昭和28年)大阪大学理学部化学科を卒業し、翌年から3年間に渡りスイスおよび米国へ留学し有機化学の研究に従事する。1957年(昭和32年)昭和電工に入社し、1970年(昭和45年)日本揮発油(現日揮)に転じ、1976年(昭和51年)取締役国際事業本部本部長委嘱、1978年(昭和53年)常務、1982年(昭和57年)専務を経て、1988年(昭和63年)同社社長に就任した。 1994年(平成6年)6月、会長兼社長となり、11月には藍綬褒章を受章した。
向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002… 向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002年1月4日)は、日本のエッセイスト。 大阪府和泉市生まれ。1953年、大阪大学文学部仏文学科卒業、1955年、大阪大学大学院修士課程修了。在学中から開高健、谷沢永一らの同人誌『えんぴつ』に参加。 1960年4月、電通入社、1982年3月退社。 21年間コマーシャルの世界にいて、そのうち11年間は製作現場におり、日航の広告“東京午前零時”など多くのテレビCMを手がけた。勤務のかたわら「電通報」、毎日新聞のコラムを執筆。1977年、テレビCMを論じた『紋章だけの王国』を上梓。 退社後の1983年に、CM批評『虹をつくる男たち』でサントリー学芸賞受賞。
笹山 隆(ささやま たかし、1930年8月28日 - 201… 笹山 隆(ささやま たかし、1930年8月28日 - 2018年11月4日)は、英文学者、関西学院大学名誉教授。大阪大学文学部卒業。ハーヴァード大学大学院留学。関西学院大学教授を経て名誉教授。1983年『ドラマと観客』で河竹賞受賞。エリザベス朝、ジャコビアン朝のイギリス・ルネサンス演劇が専門。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月2… 川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月23日 - )は、日本の医学者、医師。国立循環器病センター名誉総長。大阪大学名誉教授。医学博士(大阪大学、1961年)。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪府池田師範学校附属国民学校(現:大阪教育大学附属池田小学校)卒業。大阪府立豊中中学校(旧制)、旧制大阪府立浪速高等学校を経て京都大学工学部に入学するも中退。その後、大阪大学医学部に入学し、卒業。 体外循環の安全性の向上の研究を行い、先天性心臓奇形に対する川島手術など多くの新しい手術を世界に先駆けて発表するなど、日本の心臓外科医の第一人者として活躍。学校法人大阪薬科大学の理事長なども務めた。
藤井 康男(ふじい やすお、1930年8月14日 - 199… 藤井 康男(ふじい やすお、1930年8月14日 - 1996年11月10日)は、日本の実業家、生化学者、文筆家。 東京都出身で、3代目得三郎(勝之助)の子。千葉大学薬学部卒業後に、大阪大学大学院理学研究科に進学。 1955年、家業の製薬会社龍角散に入社。1960年大阪大学理学博士。1963年龍角散社長。1967年から1977年まで北里大学助教授。1995年龍角散会長。 日本初の臨床試薬会社ヤトロン(現在のLSIメディエンス)の社長などを兼任。クラシック音楽に精通し、龍角散室内管弦楽団では自らソリストを担当した。千代田区教育委員も務めた。 息子の藤井隆太は、1995年から株式会社龍角散の社長に就任。
久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989… 久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989年4月5日)は、日本の経営者。内田洋行社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法経学部経済学科を卒業し、同年に内田洋行に入社。1961年6月に取締役に就任し、1963年4月に専務を経て、1966年5月には社長に就任した。 1989年4月5日、心不全のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
栗本 一(くりもと はじめ、1930年5月23日 - 199… 栗本 一(くりもと はじめ、1930年5月23日 - 1995年1月15日)は、日本の経営者。栗本鐵工所社長を務めた。大阪府出身。 1953年に大阪大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月に住友金属鉱山に入社。 1962年7月に住友金属工業を経て、1964年4月に栗本鐵工所に転職。1978年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。1995年1月に体調不良により、社長を辞任。 1995年1月15日肺炎のために死去。64歳没。
井村 哲夫(いむら てつお、1930年5月2日- )は、日本… 井村 哲夫(いむら てつお、1930年5月2日- )は、日本の国文学者、京都府立大学・京都外国語大学名誉教授。 大阪府生まれ。大阪大学文学部卒業。1963年関西大学大学院博士課程単位取得修了。園田学園女子大学助教授、教授、京都府立大学教授、同名誉教授・京都外国語大学教授をへて、同名誉教授。文学博士。『万葉集』が専門。『万葉集全注 巻第5』では万葉歌を五七五七七の短歌体で現代語訳する試みに取り組んだ。
元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本… 元木 健(もとき けん、1930年3月31日 - )は、日本の教育学者、同和教育研究者、大阪大学名誉教授。
浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月… 浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月29日 - 2010年2月14日)は、日本の翻訳家。 SF作品の翻訳で著名であり、特にカート・ヴォネガット、フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスンの作品を多く翻訳している。 また、同業者の伊藤典夫と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、伊藤と分担して翻訳・紹介した。 日本の代表的な海外SF翻訳家の一人である。なお、エッセイ集によると日本から外に出たことはないという。日本SF作家クラブ会員。 大阪府大阪市出身。
金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)… 金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)3月7日 - 2012年(平成24年)11月13日)は、日本の物理学者、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は従三位。 第13代大阪大学総長、財団法人国際高等研究所所長、財団法人国際高等研究所上級研究員、財団法人山田科学振興財団理事長を務めた。 大阪市出身。近畿日本鉄道(近鉄)の実質的な創業者の一族に生まれたが、順次郎は嫡流でなかったこともあり、学界へと進んだ。
更田 豊治郎(ふけた とよじろう、1930年2月10日 - … 更田 豊治郎(ふけた とよじろう、1930年2月10日 - 2016年2月29日)は、日本の物理学者。第2代原子力規制委員会委員長の更田豊志は子。 上海生まれ。1953年3月、大阪大学理学部物理学科卒業。1957年1月、大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)に入所。1989年1月、副理事長。1993年退職。 1961年6月8日、大阪大学より理学博士号取得。 一般社団法人日本原子力学会副会長、財団法人原子力データセンター(現高度情報科学技術研究機構)理事長、財団法人環境科学技術研究所会長、財団法人日本海洋科学振興財団理事長を歴任した。 2000年、勲三等旭日中綬章を受章。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
瀬尾 摂(せお せつ、1930年1月27日 - 2010年1… 瀬尾 摂(せお せつ、1930年1月27日 - 2010年10月31日)は日本の医師。専門は耳鼻咽喉科。日本医師会理事および常任理事を務めた。 兵庫県尼崎市に生まれる。父は、医師の瀬尾正。旧制浪速高校を4年修了(いわゆる飛び級)で、大阪大学医学部に進学した。1953年に大学卒業後、瀬尾耳鼻咽喉科院院長として、歴代副院長や歴代勤務医らと、入院治療、手術治療を多数手がける。 院外では、兵庫県医師会および尼崎市医師会の会長、日本医師会理事および常任理事、日本耳鼻咽喉科学会理事、兵庫県教育委員委員長、兵庫産業保健センター長などの役職を歴任した。 2010年10月31日、肺炎のため死去(満80歳没)。没後、従五位に叙された。
大西 俊一(おおにし しゅんいち、1930年 - ) は、日… 大西 俊一(おおにし しゅんいち、1930年 - ) は、日本の生物物理学者。京都大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。 1953年大阪大学理学部卒業。レーヨン会社からの内定が取り消され、1957年に日本放射線高分子研究協会大阪研究所研究員となった。1961年大阪大学理学博士。1963年京都大学理学部助教授。1964年フルブライト奨学金でスタンフォード大学に留学。1966年帰国。1968年京都大学理学部教授。1988年日本生物物理学会会長。1993年退職、京都大学名誉教授、龍谷大学教授。1998年退職。 1985年内藤記念科学振興賞受賞。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
秦 政明(はた まさあき、1930年 - 2003年3月)は… 秦 政明(はた まさあき、1930年 - 2003年3月)は、元URC社長。大阪府出身、大阪大学卒業。 14歳で敗戦を迎え、戦後日本共産党に入党。大阪大学時代は、日本共産党細胞キャップ(地方支部との意味)の指導的メンバーだった(べ兵連の活動にも参加した真継伸彦の著書「青空」に登場する「万里小路君」は秦がモデルとされていると、法制史研究者の蘆田東一が「秦政明さんを偲ぶ」で書いている)。蘆田によると、秦は日本共産党が毛沢東思想に準じて作った山村工作隊の一員として、「吹田事件」を主導したという。この事件の後、秦は在日朝鮮人宅に匿われるなど、しばらく逃亡生活を続けたという。 その傍ら歌ごえ運動に没頭し(その頃からの知人に田川律がいる)、28歳で卒業後の1958年大阪労音に入社。
花房 秀三郎(はなふさ ひでさぶろう、1929年12月1日 … 花房 秀三郎(はなふさ ひでさぶろう、1929年12月1日 - 2009年3月15日)は日本のウイルス学者。ロックフェラー大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所名誉所長。兵庫県西宮市生まれ。 ニワトリにがんを起こす「ラウス肉腫ウイルス」を使った研究で、正常な細胞の中にがん遺伝子の原形が存在し、それをウイルスが取り込み、がんを引き起こす遺伝子(がん遺伝子)に作りかえることを実証した。また、複数のがん遺伝子に共通する構造も見つけた。がんは細胞の遺伝子変異で起きるという発がんの基本的な概念を確立した。
高 昇孝(こうしょうこう、こすんひょ、朝: 고승효, 192… 高 昇孝(こうしょうこう、こすんひょ、朝: 고승효, 1929年9月21日 - 1994年7月19日)は、朝鮮出身の経済学者。 1929年、済州島生まれ。大阪大学法経学部経済学科を卒業し、大学院に進んで経済学博士号を取得。 卒業後は、大阪外国語大学講師などを務めた。在日朝鮮社会科学者協会顧問。1950年、金鐘鳴を中心に姜在彦、金時鐘、呉在陽らと共に『朝鮮評論』を創刊した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小泉 進(こいずみ すすむ、1929年〈昭和4年〉8月5日 … 小泉 進(こいずみ すすむ、1929年〈昭和4年〉8月5日 - 2024年〈令和6年〉10月31日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授、帝塚山大学名誉教授。専門は計量経済学、マクロ経済学、産業組織論。兵庫県神戸市出身。
榛葉 豊明(しば とよあき、1929年7月15日 - 200… 榛葉 豊明(しば とよあき、1929年7月15日 - 2009年7月19日)は日本の映画監督で、記録映画、教育映画、科学映画などを手掛けた。岩波映画製作所(現在は解散)に所属し、科学的、論理的な視点に基づく緻密なシナリオと演出で、ドキュメンタリーのジャンルで数々の賞を受賞した。 1952年、大阪大学理学部卒。大学時代は、理論物理学研究者で後年日本学術会議の会長になる伏見康治教授の門下生だった。大学卒業後、まだ創立間もなかった東京の岩波映画製作所に入社。この年、同社は社員募集をしていなかったが、応対した役員の前で「私を採用しなかったら、後悔しますよ」と啖呵を切ったのが認められ、採用が決まった。その後助監督を経て記録映画の監督に。
尾崎 敏(おざき さとし、1929年7月4日 - 2017年… 尾崎 敏(おざき さとし、1929年7月4日 - 2017年7月22日)は、アメリカ合衆国の物理学者(高エネルギー物理学・素粒子分光学・ハドロン分光学)。勲等は瑞宝中綬章。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1959年)。大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授、ブルックヘブン国立研究所名誉専任教授。 マサチューセッツ工科大学研究助手、ブルックヘブン国立研究所教授、ブルックヘブン国立研究所専任教授、高エネルギー物理学研究所物理研究系教授、高エネルギー物理学研究所物理研究系研究主幹、高エネルギー物理学研究所トリスタン計画推進部衝突ビーム測定器研究系研究主幹、高エネルギー物理学研究所トリスタン計画推進部研究総主幹、高エネルギー物理学研究所加速器研究部研究総主幹、ブルックヘブン国立研究所NSLS計画加速器システム部部長、ブルックヘブン国立研究所所長上席顧問などを歴任した。
熊谷 信昭(くまがい のぶあき、1929年(昭和4年)5月1… 熊谷 信昭(くまがい のぶあき、1929年(昭和4年)5月19日 - 2018年(平成30年)1月21日)は、日本の工学者。専門は電子・通信工学、電磁波工学。工学博士。大阪大学名誉教授。文化功労者。位階は従三位。 旧関東州旅順市生まれ。第12代大阪大学総長、兵庫県立大学初代学長、国際電気通信基礎技術研究所会長、科学技術会議(現総合科学技術会議)議員などを歴任。日本学士院賞、瑞宝大綬章などを受賞。 研究活動としては、一貫して新しい電磁波論の開拓と電磁波の工学的応用に関する研究を推進し、近代電磁波論の発展と、今日、電磁波工学とよばれている重要な工学の分野の学問・技術の確立に貢献した。 電磁波論の研究における特筆すべき業績としては、世界に先駆けて相対論的電磁波論に関する一連の研究を創始し、従来の定説や常識を覆す数々の興味ある電磁現象や多くの重要な学術的新知見を次々に見出して国内外の学界に大きな論議をまき起こし、この分野の世界的な研究活発化の端緒を開いたほか、多くの有用な電磁界解析技法を考案・開発するなど新しい電磁波論の発展に寄与し、電磁波の各種の工学的応用への基礎を拓いた。
中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月1… 中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月18日 - )は、日本の文筆家。 札幌市在住。道銀文化財団副理事長・堀江オルゴール博物館理事・札幌市民芸術祭実行委員会委員を歴任。 北海道函館市生まれ。旧制函館中学校(現、函館中部高等学校)、旧制弘前高等学校(現、弘前大学)を経て、大阪大学経済学部卒。教師、雑誌の編集者、会社経営者を経て文筆業。
寺西 忠幸(てらにし ただゆき、1929年3月1日 - 20… 寺西 忠幸(てらにし ただゆき、1929年3月1日 - 2025年11月10日)は、日本の実業家。キリン堂の創業者。兵庫県出身。 1951年に大阪大学薬学部を卒業し、同年10月に京阪薬品工業に入社。1952年3月に専務を経て、1958年3月にキリン堂を設立し、社長に就任。2003年9月には会長に就任し、2015年4月までに務めた。 2018年4月に旭日小綬章を受章。 2025年11月10日、死去。96歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
五十嵐 力(いがらし つとむ、1929年2月9日 - 200… 五十嵐 力(いがらし つとむ、1929年2月9日 - 2005年9月17日)は、日本の経営者。栗本鐵工所社長、会長を務めた。 高知県室戸市出身。1951年に大阪大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月に栗本鐵工所に入社した。1979年6月に取締役に就任し、1981年6月には社長に昇格した。1994年6月に会長に就任し、1999年4月に取締相談役を経て、2001年6月から相談役を務めた。 1996年4月に藍綬褒章を受章した。 2005年9月17日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木原弘二(きはら ひろじ、1929年2月5日- )は、日本の… 木原弘二(きはら ひろじ、1929年2月5日- )は、日本の生化学者、慶応義塾大学名誉教授。 京都府出身。1951年大阪大学理学部化学科卒、医学博士。大阪市立大学理工学部講師、1963年慶應義塾大学医学部助教授、教授となる。95年定年、名誉教授。
平岡 英信(ひらおか ひでのぶ(えいしん)、1929年 - … 平岡 英信(ひらおか ひでのぶ(えいしん)、1929年 - )は、大阪府出身(出生地は京都市)の教育者。清風学園(清風高等学校・中学校)理事長・元校長。清風南海学園理事長。
村上 温夫(むらかみ はるお、1929年 - 2022年6月… 村上 温夫(むらかみ はるお、1929年 - 2022年6月)は、日本の数学者。神戸大学名誉教授。専門は関数解析、数学教育。主に数学教育の分野で活躍した。 1929年生まれ。旧制大阪大学理学部卒、理学博士。神戸大学工学部教授、同大学国際交流センター長、同大学院自然科学研究科長などを歴任。定年退官後、1997年まで甲南大学理学部教授。神戸大学名誉教授。その間、米国や豪州などの大学でも教鞭をとる。情報科学、数学教育の分野での活躍も広く、1994年スペインで開かれた国際数学教育会議では、遠隔教育部門のチーフ・オーガナイザーを務めた。ハンニバルの研究家でもあり、「ハンニバル アルプス越えの謎を解く」(白水社、2000年10月)の訳書もある。
秦野 節司(はたの さだし、1929年 - 2022年2月3… 秦野 節司(はたの さだし、1929年 - 2022年2月3日)は、日本の生物学者。1966年、動物の筋肉以外から世界で初めてアクチンの単離に成功した。名古屋大学名誉教授。理学博士。神谷宣郎、大沢文夫 の直弟子。2022年2月3日死去。叙従四位、瑞宝中綬章追贈。 研究室の大沢文夫教授は、アクチンが生物運動の基本的要素と考えていた。1966年、大沢研究室の助手だった秦野節司は植物の細胞質流動はアクチンが担っていると考え、真正粘菌からアクチンの単離に成功した 。つまり、動物の筋肉以外から世界で初めてアクチンの単離に成功したのである。 この非筋アクチンは、原形質流動だけでなく、細胞分裂や細胞移動にも機能することがわかり、細胞運動の分子機構の解明は大きく前進した。
山中 永之佑(やまなか えいのすけ、1928年(昭和3年)1… 山中 永之佑(やまなか えいのすけ、1928年(昭和3年)12月12日 - )は、日本の法制史学者、大阪大学名誉教授。日本近代法制史が専門。 大阪府生まれ。1953年大阪大学法経学部法学科卒、大学院に進む。 1957年大阪大学法学部助手、1961年8月同講師、1965年1月同助教授、1970年3月同教授。1975年「日本近代国家の統治機構の法的構造に関する研究」で、法学博士(大阪大学)の学位を取得。1983-1985年法学部長、1988年日本学術会議会員、1992年阪大を定年退官、名誉教授、追手門学院大学経済学部教授、1995年経営学部教授。2000年退職。 2008年瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
森 禮次郎(もり れいじろう、1928年11月23日- 20… 森 禮次郎(もり れいじろう、1928年11月23日- 2017年4月11日 )は、日本の経営者。住友金属工業会長、三菱住友シリコン社長を務めた。 大阪府出身。1951年に大阪大学工学部機械工学科を卒業し、同年に住友金属工業に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1998年10月には会長に昇格した。2001年6月から相談役を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2017年4月11日、死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
寺村 秀夫(てらむら ひでお、1928年9月8日 - 199… 寺村 秀夫(てらむら ひでお、1928年9月8日 - 1990年2月3日)は、日本の言語学者・日本語学者。専門は日本語文法。 兵庫県揖保郡龍野町(現・たつの市)生まれ。 1950年に大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)英米科を卒業。1953年に京都大学法学部を卒業。1963年にハワイ大学大学院修士課程を修了。 1965年4月から1968年7月まで大阪外国語大学専任講師、留学生別科で日本語教育に従事。1968年8月から1974年1月まで同大学助教授、1968年9月から1970年8月までカンザス州立大学東洋言語文学科客員助教授を兼任。1974年2月から1979年3月まで同大学教授。1979年4月から1987年5月まで筑波大学文芸・言語学系教授。
荻野 泰正(おぎの やすまさ、1928年8月30日 - )は… 荻野 泰正(おぎの やすまさ、1928年8月30日 - )は、日本の電気工学者。工学博士。大阪工業大学工学部電気工学科元教授・電気クラブ初代会長。元電気工学教室担当。電気学会関西支部元評議員・会計幹事。第3回日本ロボット学会学術講演会1985実行委員。 専門は、電気回路・電気工学、電力工学(インバータ/コンバータ)・パワーエレクトロニクス(特に誘導電動機 /リニアモータ)、ロボット・メカトロニクス。 1952年大阪工業大学工学部電気工学科卒業(第1期生)。1957年大阪大学大学院工学研究科修士課程修了、工学修士(大阪大学)。1959年大阪工業大学工学部電気工学科に着任、電気工学教室を担当。その後、講師、助教授を経て、同学科教授、工学博士。
石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 20… 石田 喜久夫(いしだ きくお、1928年7月11日 - 2001年6月30日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(神戸大学・論文博士・1980年)。神戸大学名誉教授、京都学園大学名誉教授。京都市出身。 1948年第三高等学校文科乙類卒業。1951年大阪大学法経学部卒業。同法経学部助手。1956年大阪大学法学部専任講師。1961年大阪市立大学経済学部助教授。1968年大阪市立大学経済学部教授。1969年神戸大学法学部教授。1975年神戸大学評議員。1980年神戸大学より法学博士の学位を取得。 1990年経済企画庁消費者保護功労者表彰。1991年3月31日神戸大学定年退官。同名誉教授。京都学園大学法学部教授。
安岡 重明(やすおか しげあき、1928年7月5日 - 20… 安岡 重明(やすおか しげあき、1928年7月5日 - 2017年6月12日)は、日本の経済学者・経営学者・歴史学者。同志社大学名誉教授。専門は、日本経済史・経営史。学位は、経済学博士(大阪大学・1959年)。近世経済史研究を皮切りに、主に近現代経済史・経営史特に三井財閥に関する研究で知られる。 大阪府大阪市出身。1953年大阪大学経済学部卒業。1959年同大学院博士課程修了、経済学博士の学位を授与される。同年同志社大学助手。1967年同大学教授。1980年同大学商学部長。1986年同大学教務部長を経て1999年同大学名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。