野村 寅三郎 (のむら とらさぶろう、1902年 <明治35… 野村 寅三郎 (のむら とらさぶろう、1902年 <明治35年> 11月30日 - 1985年 <昭和60年> 1月22日)は、日本の交通経済学者。神戸大学名誉教授。元日本海運経済学会副会長。位階は正四位。 京都市下京区四条通室町東入函谷鉾町生まれ。1921年京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校)卒業。級友に新庄博神戸大学名誉教授がいた。 1924年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科第二学年修了。1927年東京商科大学(現一橋大学)卒業。内池廉吉ゼミ出身で、専門は交通論。同年同大学補手。1928年中央気象台附属測候技術官養成所(現気象大学校)講師。1929年神戸商業大学助手。 1930年から文部省留学生として、ドイツやウィーン、イタリア、アメリカ合衆国に留学し、レオポルト・マイヤーに師事するなどした。
浅井 孝二(あさい こうじ、1902年8月3日 - 1992… 浅井 孝二(あさい こうじ、1902年8月3日 - 1992年2月20日)は、日本の実業家。住友銀行元頭取。石川県金沢市出身。 1921年に大阪明星高校、1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に住友銀行に入行。1947年に取締役、1952年に常務、1958年に専務、1963年に副頭取を経て、堀田庄三の後を継ぐ形で、1971年6月から1973年5月までに頭取を務めた。 その一方で、1974年から1981年までに大阪商工会議所副会頭を務め、1981年に大阪商工会議所会頭の座を巡り、関西財界を二分した「大商戦争」の際に、佐伯勇会頭の続投を支持しつつ、事態の収拾にも努めた。1972年に勲二等瑞宝章を受章した。
矢口 麓蔵(やぐち ろくぞう、1902年(明治35年)7月5… 矢口 麓蔵(やぐち ろくぞう、1902年(明治35年)7月5日 - 1990年(平成2年)8月13日)は、日本の外交官。初代外務省入国管理部長、初代外務省移住局長、駐チリ特命全権大使、駐キューバ特命全権大使。 山形県出身。旧制山形県立鶴岡中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)を経て、1924年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科卒業。1931年外務省入省。特別調達庁事業局次長兼経営部長、連絡調整中央事務局第三部長、外務省管理局入国管理部長などを経て、外務省移住課参事官として移民政策を構想した。日本・カンボジア平和条約が締結された1955年からは外務省移住局長を務め、農業労働者のカンボジアへの移民を行う旨の大綱について合意を獲得した。
古林喜楽(こばやし よしもと、1902年5月26日 - 19… 古林喜楽(こばやし よしもと、1902年5月26日 - 1977年1月11日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士・1953年)(学位論文「賃銀形態の研究」)。神戸大学名誉教授。第2代神戸大学学長。「経営労務論研究のパイオニア」と評される。 岩手県一関市出身。兵庫県立神戸商業学校、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、1927年京都帝国大学経済学部を卒業した。 卒業後は和歌山高等商業学校講師となり、1928年に教授に昇進する。 1931年、神戸商業大学附属商学専門部教授に転じ、神戸商業大学助教授(1932年)を経て、1940年に教授に昇進した(1944年に大学名の変更で神戸経済大学教授)。
藤本 秀二(ふじもと しゅうじ、1901年11月21日 - … 藤本 秀二(ふじもと しゅうじ、1901年11月21日 - 1990年1月31日)は、日本の経営者。同和火災海上保険社長を務めた。兵庫県出身。位階は従五位。 1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に神戸海上火災保険に入社。1945年に同和火災海上保険に転じ、1947年に取締役に就任し、1949年に常務を経て、1962年6月には社長に就任し、1968年6月までに務めた。 1966年9月に藍綬褒章を受章し、1972年5月に勲四等瑞宝章を受章。 1990年1月31日呼吸不全のために死去。88歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
塩尻 公明(しおじり こうめい、1901年11月6日 - 1… 塩尻 公明(しおじり こうめい、1901年11月6日 - 1969年6月12日)は、日本の哲学者、神戸大学名誉教授。J・S・ミルが専門だが、宗教的な人生論を多く書いた。 岡山県吉備郡岡田村(現:倉敷市)出身。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第一高等学校在学時に出講していた河合栄治郎と出会う。東京帝国大学法学部卒業直後、西田天香の一灯園に入り求道生活を送り、のち高知高等学校教授、戦後神戸大学教育学部教授、65年定年退官、帝塚山学院大学教授。
浅沼 隆男(あさぬま たかお、1901年8月28日 - 19… 浅沼 隆男(あさぬま たかお、1901年8月28日 - 1992年2月14日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。岡山県出身。 旧制岡山一中(現:岡山県立岡山朝日高校)を経て、1924年に神戸高等商業学校経済学部(現:神戸大学)を卒業。明治製菓での勤務を経て、1964年11月に明治乳業副社長に就任し、1966年11月には社長に昇格。1972年5月から相談役を務めた。 1992年2月14日老衰のために死去。90歳没。
越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月2… 越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月26日 - 1991年(平成3年)4月2日)は、日本の実業家。元伊藤忠商事社長・会長。戦後再発足した伊藤忠商事・初代社長・小菅宇一郎の後任者。「伊藤忠中興の祖」、「繊維相場の神様」とよばれた。滋賀県出身。
中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年〈明治34年〉3… 中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年〈明治34年〉3月11日 - 1970年〈昭和45年〉3月6日)は、日本の実業家。大洋漁業副社長。大洋漁業創業者中部幾次郎の三男。 兵庫県明石市出身。中部幾次郎の三男。1924年、神戸高等商業学校を卒業。中部農事、林兼商店各監査役、大洋捕鯨取締役、林兼商店、林兼工業各常務、林兼造船副社長同社長を経て1951年、大洋漁業副社長。1955年、林兼産業社長。1963年、長崎放送社長。1964年、藍綬褒章・紺綬褒章を受章。 宗教は浄土宗、仏教。趣味はゴルフ、将棋。住所は山口県下関市上田中町3丁目、同町1丁目、同市竹崎町、兵庫県明石市東魚町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
安宅 英一(あたか えいいち、1901年1月1日 - 199… 安宅 英一(あたか えいいち、1901年1月1日 - 1994年5月7日)は、日本の実業家。安宅産業会長、相談役社賓。芸術家のパトロン・美術品コレクターとしても知られた。 安宅産業創業者安宅弥吉、静子の長男として生まれる。英国領であった香港で生まれたため「英一」と名付けられた。 弟に重雄(安宅産業第2代社長)、妹に登美子(長谷川周重夫人)がいる。 大阪偕行社付属小学校(現:追手門学院小学校)を経て、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)に入学。一中時代の同級生には有馬大五郎(NHK交響楽団副理事長、国立音楽大学学長)がおり、親友として晩年まで過ごした。また16歳の頃から、登美子のピアノ練習に触発され、上京してピアノのレッスンを受けた。
張 仲直(ちょう ちゅうちょく、繁体字: 張仲直; 簡体字:… 張 仲直(ちょう ちゅうちょく、繁体字: 張仲直; 簡体字: 张仲直; 拼音: Zhāng Zhòngzhí; ウェード式: Chang Chung-chih、1901年 - 1951年5月20日)は、中華民国の政治家。南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会の要人で、王克敏の腹心と目された。 1919年に日本へ留学し、神戸高等商業学校の第17回生として入学した。1923年に卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進学している。 1937年(民国26年)12月に中華民国臨時政府が成立した後、翌1938年(民国27年)5月15日に同政府行政委員会委員長兼行政部総長・王克敏の下で行政部秘書となった。同年10月22日、行政委員会事務処処長に任命されている 1940年(民国29年)3月、臨時政府が汪兆銘政権に合流し華北政務委員会に改組された後も、委員長・王克敏の下で張仲直は引き続き腹心を務めた。
出原 信造(いずはら のぶぞう、1900年11月11日 - … 出原 信造(いずはら のぶぞう、1900年11月11日 - 1991年12月27日)は、日本の経営者。大同生命保険社長を務めた。 大阪府出身。1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に大同生命保険に入社。1947年7月に取締役に就任し、1950年6月に常務、1961年1月に専務を経て、1963年1月に社長に就任。1973年1月に会長に就任し、1978年4月に取締役相談役を経て、1986年7月には相談役に就任。 1991年12月27日老衰のために死去。91歳没。
宮下 孝吉 (みやした こうきち、1900年10月27日 -… 宮下 孝吉 (みやした こうきち、1900年10月27日 - 1971年6月5日)は、日本の西洋経済史学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 静岡県細江町(現浜松市)生まれ。浜松商業学校(現静岡県立浜松商業高等学校)を経て、1922年神戸高等商業学校(現神戸大学)第二学年修了。1925年東京商科大学(現一橋大学)卒業。神戸で坂西由蔵に師事し、東京では坂西の師である福田徳三に師事した。また在学中三浦新七からも文明史の指導を受けた。 失明した坂西の後任候補として1925年に母校神戸高等商業学校講師となる。一年志願兵(歩兵第6連隊)、大日本帝国陸軍一等計手を経て、1927年神戸高等商業学校教授。
福井 慶三(ふくい けいぞう、1900年10月1日 - 19… 福井 慶三(ふくい けいぞう、1900年10月1日 - 1987年12月24日)は、日本の実業家。日本綿花(現双日)第11代社長や、オリエント・リース(現オリックス)初代社長を務めた。 兵庫県出身。神戸高等商業学校(現・神戸大学)卒業後、1923年に日本綿花(後の日綿実業、ニチメン、現・双日)入社。長年にわたりインドに駐在し、1939年にボンベイ支店長、1947年に取締役、常務、専務をそれぞれ歴任。1960年に社長就任し、1966年に会長就任。それに先んじて1964年には、乾恒雄や宮内義彦らとともにオリエント・リース(現・オリックス)設立に携わって初代社長となり、3年間務めた。 1967年には中小企業振興業団(現・中小企業事業団)を設立するほか、日中貿易センター監事や毎日放送取締役なども務めた。
田中 寬次(たなか かんじ、1900年8月23日 - 197… 田中 寬次(たなか かんじ、1900年8月23日 - 1972年7月26日)は、日本の経営者。神戸新聞社、サンテレビジョン各社長を務めた。 島根県出身。1924年に神戸高等商業学校を卒業。朝日新聞東京本社、満州通信社、満州弘報協会での勤務を経て、1941年に神戸新聞社取締役に就任し、常務、専務を経て、1949年に社長に就任した。1958年3月に関西テレビ放送の創立に携わり、副社長に就任し、1968年3月にはサンテレビジョン社長に就任。 1970年秋に勲二等瑞宝章を受章した。 1972年7月26日、心不全のために死去。71歳没。
森 治樹(もり はるき、明治33年(1900年)5月3日 -… 森 治樹(もり はるき、明治33年(1900年)5月3日 - 平成6年(1994年)11月4日)は日本の実業家。元資生堂社長。幼名治。
中川 不器男(なかがわ ふきお、1899年12月24日 - … 中川 不器男(なかがわ ふきお、1899年12月24日 - 1967年10月13日)は、日本の実業家。位階は正四位。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)の4代目社長である。大阪府堺市生まれ。神戸高等商業学校(現神戸大学)卒。 1921年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。三井銀行から派遣されていた折りの1961年、4代目トヨタ自動車工業代表取締役社長就任に至る。就任当時、佐吉の甥であり喜一郎の従兄弟である豊田英二が適任と見られていたが、貿易・資本の自由化、自動車業界再編の時流に即し、経営能力に長けた中川の方がより適任と判断されたと見られている。 1967年10月、東京でトヨタ自動車販売の会議に出席し、名古屋に戻った後に体の不調を訴えて急逝。
加茂 儀一(かも ぎいち、1899年11月6日 - 1977… 加茂 儀一(かも ぎいち、1899年11月6日 - 1977年11月7日)は、日本の科学史学者。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立神戸第一中学校から神戸高等商業学校(現神戸大学)入学。1921年に東京商科大学(現一橋大学)へ転学し、1924年に卒業。三井物産に就職。中央気象台では気象技術官養成所教授として英語を教える。 戦後東京工業大学教授、東京社会科学研究所理事長。1957年に小樽商科大学学長に就任し、1965年まで務める。 1966年に関東学院大学教授へ転じる。その間日本科学史学会会長(1964年1月 - 1970年5月)を務めた。 1977年11月7日、関東学院大学教授在職のまま死去。78歳没。
西川 政一(にしかわ まさいち、1899年9月5日 - 19… 西川 政一(にしかわ まさいち、1899年9月5日 - 1986年6月4日)は、日本の経営者。日商岩井社長、会長を務めた。兵庫県氷上郡竹田村(現在の丹波市)出身。 1924年に神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業し、同年に鈴木商店に入社した。1928年に高畑誠一、永井幸太郎に誘われて、日商の設立に加わり、1958年11月には社長に就任した。岩井産業との合併に尽力し、1968年に日商岩井初代社長に就任した。1969年11月から1972年6月までに会長を務めた。 バレーボール選手でもあり、日本のバレーボールの先達・多田徳雄に神戸高商時代にバレーボールの指導を受け、日本代表(全日本)にも選ばれた。その後多田らと関西排球協会を設立し、普及活動にも力を入れ、1948年5月から1977年3月までに日本バレーボール協会会長も務めた。
沖 豊治(おき とよじ、1899年6月16日 - 1981年… 沖 豊治(おき とよじ、1899年6月16日 - 1981年6月6日)は、日本の経営者。兼松社長を務めた。 石川県金沢市出身。1921年に神戸商科大学を卒業し、同年に神戸兼松商店に入社した。1944年に兼松取締役に就任し、1948年に専務を経て、1952年から1965年11月までに社長を務めた。 1961年に藍綬褒章を受章し、1969年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 1981年6月6日、急性心不全のために死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瀬戸 直一(せと なおいち、1899年4月6日 - 1990… 瀬戸 直一(せと なおいち、1899年4月6日 - 1990年2月16日)は、日本の経営者。長野県出身。 1922年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に日出紡織に入社。 1941年に大和紡人絹(のちの大和紡績)に転じ、1948年に取締役に就任し、1952年に常務、1955年に専務を経て、1962年に副社長に就任し、1963年には社長に昇格。1974年6月に会長を経て、1977年6月には相談役に就任した。 1967年10月に藍綬褒章を受章し、1974年5月に勲三等旭日中綬章を受章。 1990年2月16日心不全のために死去。90歳没。
本多 謙三 (ほんだ けんぞう、1898年11月30日 - … 本多 謙三 (ほんだ けんぞう、1898年11月30日 - 1938年3月7日)は、日本の哲学者。東京商科大学(現一橋大学)予科教授を務めた。唯物論研究会発起人。 兵庫県神戸市塚本通出身。父本多一太郎は神戸商業会議所副会長も務めたマッチ製造業者。神戸市立兵庫小学校を経て、寺尾亨邸に寄宿し、早稲田尋常小学校、東京高等師範附属小学校(現筑波大学附属小学校)、同中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1921年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科2年修了。1924年東京商科大学(現一橋大学)本科卒業。左右田喜一郎門下。 1925年東京商科大学予科兼専門部講師、中央気象台附属気象技術官養成所(現気象大学校)獨乙語講師。
三木 哲持(みき てつじ、1898年8月12日 - 1984… 三木 哲持(みき てつじ、1898年8月12日 - 1984年8月17日)は、日本の経営者。倉敷紡績社長を務めた。兵庫県出身。 1921年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に倉敷紡績に入社した。 1951年に常務に就任し、専務、1953年12月に副社長を経て、1955年6月に社長に就任。1965年6月に会長を経て、1971年5月には相談役に就任。 1964年11月に藍綬褒章を受章し、1968年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1984年8月17日心不全のために死去。86歳没。
田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982… 田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982年9月20日)は、昭和の地理学、経済地理学者。神戸大学名誉教授。子爵。
一井 保造(いちい やすぞう、1898年5月22日 - 19… 一井 保造(いちい やすぞう、1898年5月22日 - 1985年3月27日)は、日本の実業家。三井船舶社長や、同社会長、日本船主協会会長などを務めた。 兵庫県神戸市で生糸商伊藤商店の三男として生まれる。のち篠山藩士一井家に養子入りする。兵庫県立神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)、神戸高等商業学校(現神戸大学)を経て、1923年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。上田貞次郎ゼミ出身。大学同期に中山伊知郎がいる。 大学卒業後兼松入社。のち三井物産入社。1946年から三井船舶社長を務め、同社を日本郵船とならぶ海運業大手に成長させた。1951年東京水上防火協会初代会長。1954年造船疑獄により逮捕されるが釈放される。
橋本 忠司(はしもと ちゅうじ、1898年3月9日 - 19… 橋本 忠司(はしもと ちゅうじ、1898年3月9日 - 1985年9月12日)は、日本の経営者。蝶理社長、会長を務めた。大阪府出身。位階は従四位。 1919年に神戸高等商業学校を卒業。三井物産、東洋曹達工業での勤務を経て、1951年に互洋貿易社長に就任し、1960年1月には蝶理社長に就任。1970年5月に会長に就任し、1978年6月に相談役を経て、1980年6月には顧問に就任。 1970年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1985年9月12日心不全のために死去。87歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
相田 長平(あいだ ちょうへい、1898年2月22日 - 1… 相田 長平(あいだ ちょうへい、1898年2月22日 - 1983年8月8日)は、日本の経営者。富士電機製造社長、会長を務めた。 栃木県出身。1919年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に富士電機製造(現在の富士電機)に入社。1946年に取締役に就任し、1953年12月に常務を経て、1964年11月に副社長に就任し、1965年に社長に昇格。1968年11月に会長を就任。 1968年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1983年8月8日心不全のために死去。85歳没。
箕田 貫一(みのた かんいち、1898年 <明治31年> 1… 箕田 貫一(みのた かんいち、1898年 <明治31年> 1月6日 - 1983年 <昭和58年> 1月13日)は、日本の経営者。栗本鐵工所社長を務めた。位階は正五位。 和歌山県出身。1926年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に日本綿花に入社した。1938年に栗本鐵工所に転じ、1944年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1950年8月から1953年3月までと1953年9月から1961年5月までに社長を務めた。 1965年に藍綬褒章を受章し、1968年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1983年1月13日老衰のために死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年… 生島 広治郎(生島 廣治郎、いくしま ひろじろう、1897年(明治30年)7月4日 - 1983年(昭和58年)10月2日)は、日本の経済学者。経済学博士。近畿大学名誉教授。 兵庫県神戸市元町通1丁目、生島藤吉の二男。1920年、神戸高等商業学校卒業。1922年、東京商科大学専攻部卒業(商学士)、同年に神戸高等商業学校商業研究所調査員。1923年、神戸高等商業学校講師。1926年、神戸高等商業学校教授。 1930年、神戸商業大学助教授。1933年、神戸商業大学教授。1944年、神戸経済大学教授となる。1945年、神戸経済大学より「世界経済学ノ根本問題」で経済学博士の学位を授与され、同大学を退官する。
森崎 了三(もりさき りょうぞう、1897年(明治30年)3… 森崎 了三(もりさき りょうぞう、1897年(明治30年)3月23日 - 1978年(昭和53年)8月27日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 兵庫県、現在の姫路市で森崎理也の長男として生まれる。1919年(大正8年)神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業。1936年(昭和11年)家督を相続した。 神戸商工会議所議員、兵庫県商工経済会理事、同県貨物自動車運送事業組合理事長、全国貨物自動車運送事業組合連合会理事、同監事、日本自動車輸送研究所理事長、兵庫県トラック協会長、全国通運業連盟副会長、近畿通運連絡会長、日本食堂(現日本レストランエンタプライズ)取締役、神戸トヨペット取締役、大同通運取締役社長、兵庫タイヤ販売取締役社長などを務めた。
市川 忍(いちかわ しのぶ、1897年1月9日 - 1973… 市川 忍(いちかわ しのぶ、1897年1月9日 - 1973年11月2日)は、日本の実業家。丸紅の初代社長。 1897年1月9日、茨城県北相馬郡布川町(現:利根町布川)に生まれる。 1919年に神戸高等商業学校(現:兵庫県立大学)を卒業し、伊藤忠商事に入社。同系列の大同貿易を経て、丸紅商店に移り、貿易部長、上海支店長を歴任。 1941年9月、丸紅と伊藤忠商事と岸本商店の合併によって設立された「三興」の専務となり、1944年9月に三興と呉羽紡績と伊藤忠商事の貿易部門として分離していた大同貿易が合併され、「大建産業」が設立された後も専務を担当した。 1949年、GHQによる過度経済力集中排除(財閥解体)の中で、丸紅初代社長に就任。
平井 泰太郎(ひらい やすたろう、1896年10月15日 -… 平井 泰太郎(ひらい やすたろう、1896年10月15日 - 1970年7月2日)は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授。第2代日本経営学会理事長。 兵庫県神戸市出身。1918年神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業し、東京高等商業学校(現一橋大学)商工経営科に進学。1920年に卒業して、商学士の学位を取得した。同期に福田敬太郎第3代神戸大学学長がいる。上田貞次郎門下。神戸高等商業学校講師となり、1921-1925年欧米に留学し、ベルリンでハインリヒ・ニックリッシュ(ドイツ語版)に、ライプツィヒでバルドウィン・ペンドルフ(ドイツ語版)に、フランクフルトでフリッツ・シュミットに師事。留学中1923年に教授となる。
落合 豊一(おちあい とよかず、1896年3月22日 - 1… 落合 豊一(おちあい とよかず、1896年3月22日 - 1958年10月2日)は、日本の経営者。第3代日商社長。 徳島県生まれ。1917年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業、鈴木商店入社。鈴木商店シアトル支店に勤務し、1918年には日本人初のシカゴ商品取引所メンバーとなった。1928年日商入社、1954年日商社長。1958年逝去、正六位勲四等瑞宝章。
宮田 喜代蔵 (みやた きよぞう、1896年1月23日 - … 宮田 喜代蔵 (みやた きよぞう、1896年1月23日 - 1977年7月7日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1896年、岡山市で生まれた。1914年に金川中学校(現・岡山県立金川高等学校)を卒業し、神戸高等商業学校(現・神戸大学)本科に進んだ。在学中は坂西由蔵に師事した。1918年に卒業。その後は東京商科大学(現・一橋大学)専攻部領事科に進み、1921年に卒業。福田徳三ゼミに所属し、福田ゼミの同期には赤松要、大熊信行、梅田政勝がいた。 卒業後は名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)教授となった。1922年から2年間欧州留学を命じられ、イギリス、ドイツ、アメリカに留学。
佐渡 卓(さど たかし、1896年 - 1984年2月9日)… 佐渡 卓(さど たかし、1896年 - 1984年2月9日)は、日本の実業家。元日本国土開発代表取締役社長。 島根県中ノ島菱浦の旅館佐渡家に生まれる。1919年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。1930年三井信託銀行入行。1947年三井信託銀行代表取締役。1955年日本国土開発代表取締役社長。1971年日本国土開発取締役会長。屋敷跡は佐渡公園として整備された。鳥居坂教会で洗礼を受けたクリスチャン。墓所は多磨霊園(12-1-1)。 妻の壽々は福井菊三郎三女。 『隠岐四島 : 定本句集』玉藻社 1966年
久 琢磨(ひさ たくま、1895年11月3日 - 1980年… 久 琢磨(ひさ たくま、1895年11月3日 - 1980年10月31日)は、日本の武道家。大東流合気柔術の継承者である。 1895年、高知県安芸郡佐喜浜村(現・室戸市)出身。大阪の成器商業学校(現在の大阪学芸高等学校・附属中学校)を卒業後、神戸高等商業学校に入学(第13回生)。神戸高商では相撲部のキャプテンを務め、関西学生相撲大会で優勝するなどした。 1919年(大正8年)に神戸高商を卒業し、鈴木商店に入社。鈴木商店と深い関係がある高知商業学校(現在の高知商業高等学校)の校友となり、職務の間に同校をたびたび訪れて相撲部のコーチを務めた。鈴木商店内には「高商派」(神戸高商出身者)と「土佐派」(高知県出身者、とくに高知商業出身者)の派閥があり、久はその双方に属し得る立場であったが、金子直吉の側近を自負した久は土佐派の中核となって行動し、台湾銀行からの金子退陣要求に対して強い抵抗を示した。
前田 幸作(まえだ こうさく、1895年(明治28年)4月2… 前田 幸作(まえだ こうさく、1895年(明治28年)4月28日 - 1987年(昭和62年)9月19日)は、昭和期の実業家、映画興行主、政治家。衆議院議員。旧名・幸三郎。 京都府紀伊郡深草村(深草町を経て現京都市伏見区深草)出身。神戸高等商業学校(のち神戸商業大学)で学んだ。 京都市寺田キネマ (株)に入社し、第二京極支配人を務めた。その後、東亜キネマに移り、その経営となった福岡市の映画館東亜倶楽部(前名・抜天〔バッテン〕館)支配人として1927年(昭和2年)3月に赴任した。昼・夜入替制を連続興行に変更し、低料金制の導入、ポスターの全廃、無料入場券の配布、割引券の飛行機による散布などの奇抜な宣伝を行い話題となった。
坂口 二郎(さかぐち じろう、1895年(明治28年)1月1… 坂口 二郎(さかぐち じろう、1895年(明治28年)1月19日 - 1975年(昭和50年)6月16日)は、日本の実業家。ユニチカ初代社長。関西棋院理事長。 揖野要太郎の四男として、島根県安濃郡大田町(現:大田市)に生まれる。 1918年(大正7年)神戸高等商業学校(現:神戸大学)、1920年東京高等商業学校(現:一橋大学)専攻部をそれぞれ卒業する。同年坂口製糸合資会社を前身とする日本製糸に入社する。翌年、坂口財閥の初代・坂口平兵衛に懇望されて長女の婿養子となり、1922年に常務に抜擢され、1926年には副社長に昇格した。社長は初代・平兵衛で二郎は事実上のトップだった。 1942年(昭和17年)、戦時下の企業統合で日本製糸は大日本紡績(現:ユニチカ)の子会社・日本レイヨンに吸収合併されると、常務に転じ、戦後の1946年、社長に昇格した。
浜川 友十朗(濱川、はまがわ ともじゅうろう、1895年 <… 浜川 友十朗(濱川、はまがわ ともじゅうろう、1895年 <明治28年> 1月15日 - 1981年 <昭和56年> 9月5日)は、日本の経営者。三菱倉庫社長を務めた。位階は従四位。 高知県出身。1917年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。取締役、常務を経て、1949年9月に副社長に就任し、1959年8月には社長に昇格。1968年5月に相談役に退いた。 1961年に藍綬褒章を受章し、1965年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1981年9月5日老衰のために死去。86歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
高木 作太(たかぎ さくた、1894年9月19日 - 196… 高木 作太(たかぎ さくた、1894年9月19日 - 1966年1月31日)は日本の実業家。 現在の熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名中学校(1913年卒業)を経て、[要出典]1917年に神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業した。 1917年、三菱合資会社に入社して炭鉱部に所属し、翌年三菱鉱業が設立されると移籍した。1950年に社長に就任する。武甲セメントでも社長を務めた。 社外では日本石炭協会会長のほか、経済団体連合会や日本経営者団体連盟(いずれも日本経済団体連合会の前身)の理事などを歴任した。
坂本 彌三郎(さかもと やさぶろう、1894年4月 - 19… 坂本 彌三郎(さかもと やさぶろう、1894年4月 - 1981年2月20日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。神戸大学名誉教授。初代神戸大学経済学部長や、初代神戸学院大学経済学部長を務めた。 1894年、広島県尾道市で生まれた。尾道商業学校(現・広島県立尾道商業高等学校)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部貿易科に進んだ。1917年に卒業。 1919年、神戸高等商業学校教授に就いた。1929年より神戸商業大学(現・神戸大学)助教授兼神戸商業大学附属商学専門部教授。1930年に神戸商業大学教授に昇格。 新制大学への包摂に伴い、1949年からは神戸大学教授兼神戸大学神戸経済大学教授。
五百籏頭 眞治郎(いおきべ しんじろう、1894年(明治27… 五百籏頭 眞治郎(いおきべ しんじろう、1894年(明治27年) - 1958年(昭和33年)10月1日)は日本の経済学者。専門は経済政策、経済思想史、イタリア経済学。神戸大学名誉教授、経済学博士。敬虔なクリスチャンであり、キリスト教所有権思想の研究などを行った。イタリア政府より聖マウリッツィオ・ラザロ勲章コンメンダトーレ章を、ローマ教皇庁より大聖グレゴリウス勲章コンメンダトーレ章をそれぞれ受章。
森 廣三郎(もり ひろさぶろう、1893年 <明治26年> … 森 廣三郎(もり ひろさぶろう、1893年 <明治26年> 12月9日 - 1973年 <昭和48年> 4月22日)は、日本の経営者。位階は従四位。 京都府出身。1917年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に三井物産に入社。 1949年に東洋レーヨン(現在の東レ)に転じ、常務に就任し、1960年3月から1966年11月までに社長を務めた。 1967年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1973年4月22日心機能不全のために死去。79歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
渡部 義雄(わたなべ よしお、1893年3月25日 - 19… 渡部 義雄(わたなべ よしお、1893年3月25日 - 1964年12月17日)は、日本の会計学者。 東京府東京市麻布区(現:東京都港区)生まれ。麻布中学校より大倉高等商業学校(現:東京経済大学)予科、本科を経て、1913年神戸高等商業学校(現:神戸大学)卒。東会計人事務所に入所。各務鎌吉の援助で、1920-1922年英国に留学し、英国勅許会計士の会計事務所において訓練を受けた。のち立教大学講師を務めた。
鈴木 重光(すずき しげみつ、1892年 <明治25年> 1… 鈴木 重光(すずき しげみつ、1892年 <明治25年> 11月23日 - 1978年 <昭和53年> 4月12日)は、日本の経営者。トーメン社長を務めた。 愛知県出身。1915年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に三井物産に入社。 1920年に東洋綿花(のちのトーメン)に転じ、1953年2月には社長に就任。1962年6月から1964年11月までに会長を務めた。 1959年10月に藍綬褒章を受章し、1965年4月には勲三等瑞宝章を受章。 1978年4月12日、老衰のために死去。85歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 -… 大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 - 1977年5月9日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。 近代経済学から始め、ベルリン大学留学後、マルクス経済学者となり、治安維持法で検挙された。日本の降伏後復帰し、日本学士院会員、日本ドイツ民主共和国友好協会会長等を務めた。フンボルト大学名誉哲学博士。 1892年、東京府神田で生まれた。旧制神戸第一中学校(現兵庫県立神戸高等学校)を経て、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進学。在学中は授業料免除特待生であり、坂西由蔵ゼミで学んだ。その後東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部に進み、坂西の師にあたる福田徳三ゼミで指導を受けた。1916年に卒業。
伊藤 茂八郎(いとう もはちろう、1892年(明治25年)5… 伊藤 茂八郎(いとう もはちろう、1892年(明治25年)5月 - 1985年(昭和60年))は、日本の実業家。初代三興線材工業社長。第2代伊藤忠兵衛基金理事長。 滋賀県犬上郡豊郷町生まれ。1911年滋賀県立彦根中学校(滋賀県立彦根東高等学校)卒業。1915年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。1916年伊藤家に入籍。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部卒業。 1920年の欧米への視察出張中設立された大同貿易の取締役に就任。1928年伊藤忠商事取締役。1934年伊藤忠商事取締役支店事務管掌。1937年伊藤忠商事取締役為替管理部長兼輸入部監督兼羊毛雑品部長。1939年伊藤忠商事取締役総務部長。
中村 文夫(なかむら ふみお、1892年 <明治25年> 2… 中村 文夫(なかむら ふみお、1892年 <明治25年> 2月28日 - 1982年 <昭和57年> 9月20日)は、日本の経営者。日本板硝子社長を務めた。位階は従四位。 兵庫県出身。1916年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に住友総本店に入社。1921年に日本板硝子に転じ、1933年に取締役に就任し、1942年に常務を経て、1943年12月に社長に就任。1968年11月に相談役に退いた。 1959年に藍綬褒章を受章し、1965年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1982年9月20日老衰のために死去。90歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
長田 清治郎 (ながた せいじろう、1891年〈明治24年〉… 長田 清治郎 (ながた せいじろう、1891年〈明治24年〉7月27日 - 1961年〈昭和36年〉1月10日)は、日本の実業家。三菱化工機社長。 鳥取県鳥取市出身。呉服太物商・長田幾蔵の長男。1915年、神戸高等商業学校を卒業。三菱合資に入社、三菱重工業に配属され長崎支店をふり出しに、本店営業第五部長、機械部長、三原車輛製作所長等を歴任して1946年12月に取締役に選任される。 1950年中日本重工業の取締役に転じて活躍中、偶々三菱化工機が潰れかかったので同社の再建に起用され、1952年1月同社に顧問で入り、翌2月社長に就任する。 1961年1月10日、突然脳出血を起こして東京都世田谷区上馬1丁目の自宅で逝去する。
小池 卯一郎(こいけ ういちろう、1891年(明治24年)3… 小池 卯一郎(こいけ ういちろう、1891年(明治24年)3月 - 1972年(昭和47年)4月2日)は、日本の実業家。官選和歌山県知事。 福井県大野郡大野町(現大野市)出身。小池末五郎の長男として生まれる。実家の小池家は代々機業を営み、父の代に葉煙草製造を業としていた。神戸高等商業学校を経て、1914年、東京高等商業学校(現一橋大学)専攻科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大阪商船に入社した。以後、神戸支店南洋課長、本店船客課長、秘書役などを務め、1922年に退職。 以後、中橋徳五郎の秘書となり、1927年4月、中橋が田中義一内閣の商工大臣に就任すると、その秘書官を務めた。1929年7月に退官し、同年11月、宇治川電気 (株) に入社。