稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三… 稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三重県出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は175cm。組み手は左組み。得意技は大外刈。
天理大学:210人
稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三… 稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三重県出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は175cm。組み手は左組み。得意技は大外刈。
伊藤 亮(いとう あきら、1981年3月10日 - )は、埼… 伊藤 亮(いとう あきら、1981年3月10日 - )は、埼玉県出身の男子フィールドホッケー選手である。ALDER飯能(旧・飯能市ホッケークラブ)所属。173cm、65kg。ポジションはフォワード。 飯能市立飯能西中学校、埼玉県立皆野高等学校、天理大学卒業。日本代表として活躍し、シニア代表選手として国際キャップ数80。W杯[いつ?]でも歴代最高位に並ぶ9位[要説明]となる。 同年[いつ?]のアジア大会では日本チームを4位に導いた。
今田 祐介(いまだ ゆうすけ、1981年2月20日 - )は… 今田 祐介(いまだ ゆうすけ、1981年2月20日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 兵庫県相生市出身。母親の影響で青葉台小学4年(相生JVC)よりバレーボールを始める。天理大学を経て、2003年にVリーグの東レアローズに入団。2007年全日本代表に選出され、同年ワールドリーグに出場した。 2013年4月、黒鷲旗大会をもって引退し、社業に専念することが発表された。
川村 達郎(かわむら たつろう、1980年6月20日 - )… 川村 達郎(かわむら たつろう、1980年6月20日 - )は、長崎県出身のソフトテニス選手。日本代表。 長崎南山中学校-長崎南山高校-天理大学-岡山市役所 -宇部興産。2003世界選手権代表予選に優勝し初代表。国際大会代表歴は2003,2004,2006,2007の4度、その内3度が予選会一位での自力出場。ポジションは前衛。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
筒井 宏樹(つつい ひろき、1978年10月23日 - )は… 筒井 宏樹(つつい ひろき、1978年10月23日 - )は三重県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は189cm。 稲生高校から天理大学へ進学すると、3年の時には優勝大会と体重別団体で3位になった。4年の時には優勝大会と体重別団体及び正力杯90kg級でそれぞれ3位になった。オーストリア国際では2位だった 2001年には平成管財の所属となると、2002年の日本国際柔道大会では5位だったが、講道館杯では決勝で明治大学2年の泉浩を破って優勝を飾った。その後階級を100kg級に上げると、2003年の実業個人選手権では決勝で日本道路公団の深川幸太郎を破って優勝した。2005年には実業個人選手権の決勝で綜合警備保障の近野貞治を破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。
羽地 登志晃(はじ としあき、1978年8月28日 - )は… 羽地 登志晃(はじ としあき、1978年8月28日 - )は、大阪府堺市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはFW。 天理大学在学中にセレッソ大阪へ加入するも2シーズンに渡り出場機会に恵まれなかった。 2002年9月にJFLに所属していた佐川急便大阪へレンタル移籍。公式戦6戦で4得点、天皇杯でも1得点を挙げるなど活躍するも、同年限りでセレッソ大阪との契約が満了となる。 その後モンテディオ山形、ジェフユナイテッド市原、柏レイソルと渡り歩き、2005年よりJリーグ(J2)へ参入したばかりの徳島ヴォルティスへ移籍。徳島では2005年に12得点、2006年に9得点を挙げるなどエースストライカーとして充分な成績を残した。
森 大助(もり だいすけ、1978年8月23日 -)は北海道… 森 大助(もり だいすけ、1978年8月23日 -)は北海道旭川市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長187cm。体重110kg。得意技は小外刈。 柔道は8歳の時に始めた。北都中学から旭川大高校に進むと、3年の時にインターハイ軽重量級と全日本ジュニアの95kg級でそれぞれ3位となった。1997年に天理大学へ進学すると、全日本学生柔道優勝大会では1年生から4年連続で3位、学生体重別団体では3年生から2年連続3位になるなど団体戦では一定の活躍を示したが、個人戦では際立った活躍が見られなかった。2001年には北海道警察所属となり、全国警察柔道選手権大会100kg級で優勝した。2003年の全日本選手権では準決勝で世界チャンピオンである綜合警備保障の井上康生と対戦すると、先に谷落で技ありと小外刈で有効を取るなど大きくリードする健闘を見せたが、その後背負投で逆転負けを喫したものの、3位入賞を果たした。
東 幸一(ひがし こういち、1978年8月23日 - )は、… 東 幸一(ひがし こういち、1978年8月23日 - )は、日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。 大学時代は、関西2部のベストイレブンやアシスト王を獲得。2001年よりサガン鳥栖に加入し、1年目から主力として活躍。 引退後は地元奈良に戻り、アマチュア選手としてプレーを続けていたが、2010年限りで引退を表明。 また現在は、奈良市・木津川市で「ジョインサッカースクール」を運営。 奈良育英高校1年の時に楢崎正剛や中谷勇介らとともに出場した第73回全国高校サッカー選手権大会では初戦で優勝候補筆頭の清水商業高校と対戦し、コーナーキックから見事なボレーシュートを決めチームを勝利に導いた。
植田 裕子(うえだ ゆうこ、1977年6月16日 - )は、… 植田 裕子(うえだ ゆうこ、1977年6月16日 - )は、奈良県出身の日本の柔道家。57kg級と63kg級の選手。身長161cm。得意技は内股。 奈良教育大学附属中学から天理高校を経て、天理大学へ進学した。2年の時には選抜体重別61kg級の2回戦でアトランタオリンピック金メダリストである恵本裕子に合技で一本勝ちするなどして3位になった。3年の時には63kg級で3位となった。4年の時には正力杯で優勝を飾った。2000年にミキハウスの所属となると、全国女子体重別で3位に入った。2001年のオーストリア国際では2位だった。2002年には実業個人選手権の決勝で三井住友海上の徳久瞳を破って優勝した。全国女子体重別では3位となった。
森本 さかえ(もりもと さかえ、1977年1月20日 - )… 森本 さかえ(もりもと さかえ、1977年1月20日 - )は、奈良県橿原市出身の元女子ホッケー選手。ポジションはFW。165cm、63kg。天理高教諭。 天理高校卒業。天理大学卒業。ゴールドウイン入社(1999年)。天理大学職員(2000年~2009年)。天理高校(2009年~ ) 天理高校で、ホッケーを始め、天理大2年で日本代表(現さくらJAPAN)入り。 1999年、ゴールドウインに入社。日本リーグ、社会人、全日本、国体の四冠を獲得。 2000年12月、所属チームの休部に伴い、天理大に移籍。同大社会人ホッケーチームの選手兼コーチとなる。 2004年、アテネオリンピックに出場(日本代表五輪初出場、8位入賞)。
小林 竜一(こばやし りゅういち、1976年11月23日 -… 小林 竜一(こばやし りゅういち、1976年11月23日 - )は、日本のボブスレー選手。鳥取県鳥取市出身。2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック出場。財団法人鳥取県体育協会所属。 鳥取市立湖南小学校、鳥取市立湖南中学校、鳥取県立鳥取商業高等学校、天理大学(体育学部)卒業。 高校時代には陸上競技・円盤投の選手として全国大会に出場した経験がある。大学まで陸上選手で鳴らした。 23歳のとき先輩の紹介で競技を始め、3年が過ぎたころオリンピック出場を目指すようになった。2003年、ボブスレー日本代表に選出。 2006年トリノオリンピックには、アジア枠で出場。FIBTは一度アジア枠での出場を認める通知をしたが、IOCと合意した選手数上限を超えるとして直後に撤回。
江種 辰明(えぐさ たつあき、1976年10月28日 - )… 江種 辰明(えぐさ たつあき、1976年10月28日 - )は、日本の柔道家。野村忠宏と同じく長く日本の60kg級を代表する選手。得意技は背負い投げ、釣込腰。 福岡県行橋市出身、福岡工業大学附属城東高等学校・天理大学卒。 アジア大会やアジア選手権で優勝経験があるほか、2005年と2007年の世界柔道選手権大会にも出場している。2008年、嘉納治五郎杯東京国際柔道大会ワールドグランプリ2008優勝。 拓殖大学柔道部特別コーチとして指導も行なっていた。 1994 愛知国体柔道競技少年男子(福岡チーム先鋒) 優勝 1995 全日本ジュニア柔道選手権大会 優勝 1998 グルジア国際柔道選手権大会 優勝 1998 講道館杯全日本体重別選手権大会 3位 1999 嘉納治五郎杯国際柔道選手権大会 2位 1999 アジア柔道選手権大会 (温州) 3位 1999 フランス国際柔道選手権大会 2位 1999 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位 1999 熊本国体柔道競技成年男子(東京チーム先鋒) 優勝 1999 韓国国際柔道選手権大会 3位 1999 講道館杯全日本体重別選手権大会 3位 2000 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2位 2000 韓国国際柔道選手権大会 3位 2000 ロシア大統領杯国際柔道大会(団体) 3位 2000 アジア柔道選手権大会(東京) 優勝 2001 アジア柔道選手権大会(ウランバートル) 3位 2001 ハンガリー国際柔道選手権大会 優勝 2001 チェコ国際柔道選手権大会 3位 2001 宮城国体柔道競技成年男子(東京チーム先鋒) 優勝 2002 日本国際柔道選手権大会 2位 2002 ロシア国際柔道選手権大会 優勝 2002 エストニア国際柔道選手権大会 優勝 2002 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位 2002 ワールドカップ国別団体柔道大会(スイス・バーゼル) 優勝 2002 モスクワグランプリ国際柔道選手権大会 優勝 2002 講道館杯全日本体重別選手権大会 優勝 2003 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位
岡村 育子(おかむら いくこ、1976年9月17日 - )は… 岡村 育子(おかむら いくこ、1976年9月17日 - )は、埼玉県飯能市出身の女子競輪選手、元女子ホッケー選手。競輪選手としては、日本競輪選手会埼玉支部所属、ホームバンクは西武園競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。師匠は田淵浩一(55期)。 埼玉県立飯能高等学校に入学後、友人に誘われてホッケー部に入部。以後、ポジションはゴールキーパー一筋であった。 その後、ホッケーの名門、天理大学を経て、H.F.C - HANNOに所属。また、駿河台大学のコーチも務めていた。 2011年、競輪学校第102回(女子第1期)適性試験に合格。在校競走成績は1勝で第29位。 2012年5月1日、日本競輪選手会埼玉支部所属の競輪選手として登録された。
長岡 千里(ながおか ちさと、1976年4月5日 - )は、… 長岡 千里(ながおか ちさと、1976年4月5日 - )は、日本の女子ボブスレー選手。兵庫県飾磨郡夢前町(現・姫路市)出身。2006年トリノオリンピック出場。NISグループ(旧・株式会社ニッシン)所属。2014年から秋葉原に本社がある廣瀬無線電気(株)勤務。 夢前町立前之庄小学校・夢前町立鹿谷中学校・兵庫県立姫路商業高等学校を経て・天理大学体育学部卒業。 2006年トリノ冬季五輪ボブスレーの日本代表の出場が危ぶまれた際、日本テレビ系、ザ!情報ツウに生電話出演。司会の峰竜太と会話。オリンピックに出場したい旨を訴えた。 その後、念願叶って桧野真奈美と共にトリノ冬季五輪ボブスレー日本代表として出場。ボブスレー女子2人乗りの結果は15位。
岩尾 幸美(いわお さちみ、1976年(昭和51年)2月20… 岩尾 幸美(いわお さちみ、1976年(昭和51年)2月20日 - )は、日本出身の女子フィールドホッケー選手。 大分県玖珠郡九重町出身。天理大学を卒業し、中学教員となる。夏季オリンピックに3回(2004年、2008年、2012年 )出場した。イタリアのローマで開催された2006年の女子ホッケーワールドカップ予選で最優秀選手に選ばれた。 1 浅野祥代 |2 林なぎさ |3 加藤明美|4 岩尾幸美 |5 中川未由希 |6 村上藍 |7 大塚志穂 |8 山本由佳理 9 三橋亜記 |10 駒澤李佳 |11 藤尾香織 |12 柴田あかね |13 阿久津智恵|14 眞鍋敬子 |17 佐藤雅子 |21 田中泉樹 |監督: 安田善治郎 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
大口 真洋(おおぐち まさひろ、1976年1月6日 - )は… 大口 真洋(おおぐち まさひろ、1976年1月6日 - )は、大阪府堺市堺区出身のプロバスケットボール選手である。B.LEAGUEの三遠ネオフェニックス所属。ポジションはシューティングガード。
鈴木 健一(すずき けんいち、1975年〈昭和50年〉12月… 鈴木 健一(すずき けんいち、1975年〈昭和50年〉12月3日 - )は、日本の政治家。三重県伊勢市長(5期)。元伊勢市議会議員(2期)。 三重県伊勢市出身。三重県立伊勢高等学校、天理大学国際文化学部ロシア学科卒業。1999年(平成11年)4月、ボウリング・アミューズメント企業の株式会社ラウンドワンに就職。2001年(平成13年)に同社を退社。同年、衆議院議員山村健の公設秘書になる。2003年(平成15年)、秘書を退職。 2003年(平成15年)、伊勢市議会議員に当選就任。2005年(平成17年)11月27日執行の市議選で2期目の当選。 2009年(平成21年)10月7日、伊勢市長の森下隆生が中部国際空港海上アクセス事業不振の責任をとり辞職。
浅見 重紀(あさみ しげき、1975年11月21日 - )は… 浅見 重紀(あさみ しげき、1975年11月21日 - )は、兵庫県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級と66kg級。現役時代は身長173cm。 荒井中学3年の時に全国中学校柔道大会の65kg級で2位になった。高砂高校3年の時にインターハイの軽中量級で優勝を飾った。さらに全日本ジュニア65kg級でも優勝した。1994年には天理大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアで2位だった。4年の時には正力杯で優勝すると、正力国際の66kg級でも決勝で世界チャンピオンである韓国の金赫に背負投で一本勝ちして優勝を飾った。1998年には大阪府警の所属になると、体重別で3位になった。講道館杯では決勝で横浜そごうの鳥居智男に敗れて2位だった。
大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は… 大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は兵庫県出身の元柔道家。鍼灸師。柔道整復師。在日韓国人3世で本名は姜義啓朝: 강의계。 韓国の100kg超級および無差別級の柔道代表として2000年アジア柔道選手権大会銅メダル、1999年夏季ユニバーシアード銅メダル、2001年世界柔道選手権大会無差別級ベスト8。 在日韓国人3世として明石市に生まれる。小学5年生の時に地元道場、陽明館に通う。中学卒業後は岡山県作陽高等学校を経て天理大学体育学部に進学、卒業後はダイコロに所属。韓国代表として1999年夏季ユニバーシアード100kg超級で銅メダル、2000年アジア柔道選手権大会100kg超級でも銅メダルを獲得。
筑井 利江(つくい としえ、1975年7月30日 - )は、… 筑井 利江(つくい としえ、1975年7月30日 - )は、日本の元フィールドホッケー選手。 栃木県鹿沼市出身。天理大学を卒業後、飯能市役所、飯能市教育委員会に所属。 2008年北京オリンピックに出場した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
水越 潤(みずこし じゅん、1975年1月15日 - )は、… 水越 潤(みずこし じゅん、1975年1月15日 - )は、奈良県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 右サイドを中心に豊富な運動量で活躍。 Jリーグやオランダでプレーした経験を活かし、2006年から所属したニューウェーブ北九州ではコーチを兼任していた。 2008年からは古巣のディアブロッサ高田FCに復帰、同年秋に奈良クラブに移籍した。また同年はヴィッセル神戸でスクールコーチを務め、2009年より神戸のアカデミーのコーチに就任した。 2013年10月10日、奈良クラブ矢部次郎の監督退任、GM専任に伴い、同クラブの監督に就任した。 2013年12月18日、奈良クラブのホームページ上で、2013年シーズン限りで監督を退任することが発表された。
野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )… 野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )は、日本の男性柔道家。医学博士。ミキハウス所属。柔道七段。得意技は背負投。身長164cm、体重62kg。
松代 直樹(まつよ なおき、1974年4月9日 - )は、奈… 松代 直樹(まつよ なおき、1974年4月9日 - )は、奈良県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。
八ッ橋 修身(やつはし おさみ、1974年4月2日 - )は… 八ッ橋 修身(やつはし おさみ、1974年4月2日 - )は、日本の元ラグビー選手。2016年現在、天理大学ラグビー部のBKコーチを務めている。
山堀 貴彦(やまほり たかひこ、1974年(昭和49年)3月… 山堀 貴彦(やまほり たかひこ、1974年(昭和49年)3月30日 - )は、滋賀県米原市出身の男子フィールドホッケー元日本代表選手(フォワード)。 山堀貴彦は、1974年(昭和49年)3月30日に滋賀県坂田郡伊吹町(現滋賀県米原市)に生まれ、10歳(小学校4年生)の時に伊吹スポーツ少年団でホッケーに出会い、小学校6年生時に全国スポーツ少年団交流会で準優勝し、伊吹山中学3年時に全日本中学ホッケー選手権大会で準優勝するが、小学校から中学校まではレギュラーではなかった。高校は滋賀県立長浜北高等学校に進学したが、県強豪の伊吹高校に阻まれ全国大会出場はなかった。 大学は天理大学に進学した。全国トップ選手が集まるチームの中で、初めて「競争にもまれる」との意識を持ち、「落ちこぼれたくない」という思いからホッケーに取り組み、徐々にポイントゲッターとして頭角を現し、関西学生ホッケー最優秀選手、得点王などのタイトルを毎年獲得した。
眞喜志 慶治(まきし よしはる、1973年11月13日 - … 眞喜志 慶治(まきし よしはる、1973年11月13日 - )は、日本の柔道家(2017年4月現在、七段)。沖縄県那覇市出身。苗字は、正確には旧字体「眞喜志」を使う。 沖縄尚学高等学校柔道部の監督を務めていた父親の影響で小学校4年の時に柔道を始めた。この当時から高校生に混じって練習をしていた。本人によれば、いつのまにかやらされていた感じで、本当はあまりやりたくもなかったし、楽しくもなかったという。しかし、小学校6年の時に県大会で優勝したあたりから、自分には柔道しかないと思い始めた。 沖縄尚学中学に入学すると、2年の時には全国中学校柔道大会の78kg超級で3位になった。3年の時には小学生の時の同級生で後に大相撲に転進することになる阿嘉宗彦が柔道を始めたことにより、団体戦で一緒に試合に出ることを目的に、阿嘉の在籍する古蔵中学へ転向した。
田中 順子(たなか じゅんこ、1973年10月2日 - )は… 田中 順子(たなか じゅんこ、1973年10月2日 - )は、日本の元アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手である。学校法人常葉大学系列中学・高等学校教諭、体育教諭。現姓は平島 順子(ひらしま じゅんこ) 1973年(昭和48年)生まれ。静岡県静岡市出身。天理大学卒業。1996年アトランタオリンピックシンクロで銅メダルを獲得した。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - )… 篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - )は、日本の柔道家(六段)、タレント。 兵庫県神戸市長田区出身。身長190cm、体重135kg。 得意技は大外刈り、内股、内股すかし。 父親は建築業をしていた。10歳年下の妹がいる。30歳を過ぎる頃まで本籍地は父親の出身地である鹿児島県日置郡金峰町大坂(現:南さつま市金峰町)に置いていた。 中学入学と同時に新設された柔道部に入部して柔道を始め、育英高等学校を経て天理大学体育学部へ進学。 大学生の時に才能が開花し、外国人に負けない体格とパワー、巧みな技術によって多くの大会を制覇した。 天理大学卒業後は旭化成に入社し、2000年シドニーオリンピック100kg超級にて銀メダルを獲得する(後述する誤審判定問題を参考)。
亀田 忠彦(かめだ ただひこ、1972年〈昭和47年〉9月2… 亀田 忠彦(かめだ ただひこ、1972年〈昭和47年〉9月26日 - )は、日本の政治家。奈良県橿原市長(2期)。元奈良県議会議員(2期)。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立明石城西高等学校、天理大学体育学部体育学科卒業。1995年4月から奈良県の県立高等学校の保健体育科講師を経て、1998年4月、高校サッカー部監督の紹介で田野瀬良太郎衆議院議員の秘書となる。2010年12月からは公設第一秘書となり、2012年12月からは田野瀬太道衆議院議員の公設第一秘書となる。 2015年4月12日に行われた奈良県議会議員選挙において13,597票を獲得し当選。 2019年4月7日に行われた奈良県議会議員選挙において12,924票を獲得し当選したが、後述の橿原市長選挙に出馬するため9月に県議会議員を辞職。
弓矢 竜太(ゆみや りゅうた、1972年9月19日 - )は… 弓矢 竜太(ゆみや りゅうた、1972年9月19日 - )は、日本の柔道家(65kg級)、柔道指導者。三重県いなべ市出身。身長168cm。 いなべ市立大安中学校から四日市中央工業高校を経て、1991年に天理大学へ進学。1年の時に新人体重別の65kg級で3位となった。2年の時には正力杯の決勝で筑波大学4年の内村直也を破って優勝すると、ジュニア体重別でも決勝で筑波大学2年の南條充寿を破って優勝を飾った。4年の時には体重別の決勝で近藤興産の内村に敗れて2位だった。正力杯の決勝では順天堂大学4年の和合徹を破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。嘉納杯では決勝で世界チャンピオンである東海大学4年の中村行成に敗れて2位だった。
東明 有美(とうめい ゆみ、1972年(昭和47年)6月1日… 東明 有美(とうめい ゆみ、1972年(昭和47年)6月1日 - )は、日本の元女子サッカー選手、博士、大学教員。選手時代のポジションは主にディフェンダー(右サイドバック)だが、フォワードやミッドフィールダーとして登録されたこともある。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校を経て天理大学卒業。後に大阪教育大学大学院にも在籍した。 岐阜高校に在学していた1988年、プリマハムFCくノ一に加入。ディフェンスの要として日本女子サッカーリーグでは第7回日本女子サッカーリーグ(1995年)と第11回日本女子サッカーリーグ(1999年)の2度の制覇に貢献した。 日本代表でも活躍し、世界選手権(W杯)では第2回大会(1995年)と第3回大会(1999年)に、またアトランタオリンピック(1996年)にも出場した。
SHINGO★西成(シンゴ にしなり、1972年5月9日-)… SHINGO★西成(シンゴ にしなり、1972年5月9日-)は、大阪府大阪市西成区出身のヒップホップMCである。本名:池上 真悟(いけがみ しんご)。 また、ヒップホップグループ・ULTRA NANIWATIC MC'Sの一員でもある。
吉田 啓(よしだ あきら、1970年11月13日 - )は、… 吉田 啓(よしだ あきら、1970年11月13日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 天理大学を卒業後の1993年から1994年まで京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に在籍。1995年に教育研究社FCに移籍。関西サッカーリーグでは1996年から1999年まで4年連続でベスト11に選出され、1997年度は最優秀選手に選出された。2000年にチームは日本フットボールリーグに昇格、FC KYOKEN 京都やFC京都BAMB1993へ名称が変更した際にも在籍し、2004年をもって現役を引退した。 また、1999年からは並行して指導者の道に進み、2004年からは京都府サッカー協会の育成強化コーチや京都サンガのU-12スペシャルクラスコーチなどに就任。
萩原 隆(はぎはら たかし、1970年6月9日 - )は、山… 萩原 隆(はぎはら たかし、1970年6月9日 - )は、山梨県勝沼町(現:甲州市)出身のサクソフォーン奏者。管楽器用・ソロ楽譜シリーズ「めちゃモテ・サックス」の著者であり、アレンジの他、そのデモ演奏を担当する。天理大学卒業。 中学時代には吹奏楽部で、チューバを担当。サックスは高校の吹奏楽部からスタート。天理大学に進学後、学内の軽音楽部であるビッグバンド、アルス・ジャズ・オーケストラに所属し、ジャズに傾倒。在学中に山野ビッグバンドジャズコンテストに於いて、優秀ソリスト賞を受賞(最優秀なし)。 卒業後に京都・大阪をホームとするファンクロックバンド『THE JANGO』に参加し、ファンハウス(FUN HOUSE, INC.)よりメジャーデビュー。
平野 貴也(ひらの たかや、1969年9月-) は、日本のス… 平野 貴也(ひらの たかや、1969年9月-) は、日本のスポーツ学者、元ウィンドサーフィン選手。博士(スポーツ健康科学)。スポーツ社会学、コーチ学・野外教育が専門、水泳・マリンスポーツ・ウインタースポーツ・キャンプなどアウトドアの実技指導が得意。特にセーリング、水泳指導では多くの優秀なアスリートを育成している。現在は奈良県にある天理大学体育学部の教授として教鞭をとる傍ら、一般社団法人レジャースポーツ研究所の代表理事、マリンサービス エルスポーツラボの代表として、マリンレジャーの振興、地域活性、指導者育成などの活動に従事している。 (2010年より設置団体が学校法人から公立大学法人に変更)
元渕 幸(もとぶち ゆき、1968年12月23日 - )は、… 元渕 幸(もとぶち ゆき、1968年12月23日 - )は、日本の元飛込競技選手で、現在は指導者。東京都出身。天理大学卒業。現姓・金戸。 3歳のときからバレエを始める。奈良県天理市に転居したのを機に、9歳のとき飛込競技に転向。1988年のソウルオリンピックでは、高飛び込み15位、飛び板飛び込み16位。1992年のバルセロナオリンピックでは、高飛び込み26位、飛び板飛び込み11位の結果を残す。 1996年のアトランタオリンピックでは、3m飛び板飛び込みで6位入賞。女子飛び込みとしては60年ぶりの入賞を果たした。 翌1997年、同じくソウル・バルセロナ・アトランタ五輪に出場した飛び込み選手・金戸恵太と結婚。
堀越 英範(ほりこし ひでのり、1968年5月17日 -)は… 堀越 英範(ほりこし ひでのり、1968年5月17日 -)は奈良県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長173cm。現在は稲生高校の教諭を勤めている。
水野 俊平(みずの しゅんぺい、1968年(昭和43年)1月… 水野 俊平(みずの しゅんぺい、1968年(昭和43年)1月5日 - )は、日本の言語学者。北海商科大学教授。文学博士。研究テーマは朝鮮語教育(論文講読)、北東アジアにおける国家・民族間相互感情の分析と異文化コミュニケーションの展開可能性。野平 俊水(のひら しゅんすい)というペンネームで執筆することもある。野平名義の自著において「韓国で一番有名な日本人」と呼ばれたとする。 北海道室蘭市出身。登別南高等学校を経て、1990年(平成2年)に天理大学外国語学部朝鮮学科卒業。韓国の国立全南大学校国語学部国語学科大学院に留学し、1993年(平成5年)に修士学位をとり、1995年(平成7年)に博士課程を修了、同大学の日本語学科非常勤講師として働き始めた。
中谷 弘(なかたに ひろし、1967年6月5日 -2021年… 中谷 弘(なかたに ひろし、1967年6月5日 -2021年 )は、兵庫県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長183cm。体重118kg。 荒井中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦決勝で弦巻中学と対戦すると、代表戦で相手エースの小兵である古賀稔彦に内股で一本勝ちしてチームを優勝に導いた。天理高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権の団体戦で優勝した。2年の時にはインターハイ団体戦で優勝を飾った。3年の時にはインターハイ団体戦で3位にとどまったが、個人戦重量級では決勝トーナメントに入ってから八王子高校3年の小川直也を破ると、決勝でも日大三島高校3年の秋山勝彦に勝利して優勝を飾った。
徳田 真三(とくだ しんぞう、1967年4月5日 - )は、… 徳田 真三(とくだ しんぞう、1967年4月5日 - )は、京都府出身の、日本の柔道選手である。階級は86kg級。身長171cm。 京都商業高校2年の時にインターハイ軽重量級決勝で大垣日大高校3年の岡田弘隆に敗れて2位だった。1986年に天理大学へ進学すると、1年の時には新人体重別86kg級で優勝を飾った。2年の時には正力国際でも優勝した。3年の時には優勝大会で優勝した。4年の時には優勝大会と正力杯で3位だった。1990年には桂中学の教員になると、講道館杯と体重別で3位となった。1991年にはダイコロに所属が変わると、1993年の講道館杯では3位だった。一方で、京都教育大学の大学院修士課程を修了後に龍谷大学短期大学部の講師に就任した。
肥塚 一晃(こえづか かずあき、1967年2月10日 - )… 肥塚 一晃(こえづか かずあき、1967年2月10日 - )は、日本の元サッカー選手。サッカー指導者。大阪府出身。174 cm、67 kg。現役時代のポジションはMF。 大阪府立清水谷高等学校から天理大学に進み、サッカー部では点取り屋 として活躍した。 1989年に松下電器産業サッカー部に加入。俊足 のウイングタイプ のミッドフィールダーとして期待され、1年目にはオランダに短期留学を経験した。2年目には第70回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝で延長に入って投入され初優勝に貢献するなど 後半戦では主力として定着する。Jリーグ発足後も引き続きガンバ大阪に選手として所属。1994年に当時ジャパンフットボールリーグの京都パープルサンガに移籍。
岡本 昭彦(おかもと あきひこ、1966年〈昭和41年〉12… 岡本 昭彦(おかもと あきひこ、1966年〈昭和41年〉12月23日 - )は、日本の実業家、芸能プロモーター。吉本興業ホールディングス株式会社代表取締役社長。 奈良市富雄の団地で生まれる。幼少期は母の内職であった筆ペンづくりを手伝う。6歳下に弟がいる。週末、難波まで馬券を買いに行く父に連れられ、大阪球場で南海ホークスの試合を見るのが楽しみだったという。 中学は野球部に入り、3年で外野手のレギュラーとなる。中学卒業後、奈良県立西の京高等学校に入学。高校でも野球部に入学し、投手に転向。2年生で背番号1を背負う。教師から入学推薦の声がかかり、天理大学外国語学部への進学を決める。学科はインドネシア学科。
小倉 勉(おぐら つとむ、1966年7月18日 - )は、大… 小倉 勉(おぐら つとむ、1966年7月18日 - )は、大阪府出身のサッカー指導者。 天理大学を卒業後、同志社香里高校で指導者のキャリアをスタート。1990年にドイツへ渡り、ヴェルダー・ブレーメンユース、ジュニアユースで監督を務めるなど、海外での指導経験を積む。1992年に帰国し、その後はジェフユナイテッド市原・千葉でコーチや強化部を歴任。2002年には、日本人で初となるAFC公認プロフェッショナルライセンスを取得した。 2005年、日本サッカー協会のナショナルコーチングスタッフに就任。2006年からはA代表のコーチを務め、イビチャ・オシム、岡田武史両監督を支えて、2010 FIFAワールドカップでの16強入りに貢献。
中村 順(なかむら じゅん、1966年3月1日 - )は、日… 中村 順(なかむら じゅん、1966年3月1日 - )は、日本の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。 1966年3月1日、大阪府出身。大阪府立高槻南高等学校を経て天理大学体育学部卒業。高等学校、大学とサッカー部に入部してプレーした。天理大学卒業後、ドイツに渡り、ドイツ体育大学ケルン(ケルンスポーツ大学)に留学。留学の理由は『ドイツの強さの理由を知りたかったから』。 ドイツ留学中にはケルンのサッカークラブ・BC Efferenでプレーしつつ、サッカー指導者を目指して勉学に励む。 帰国後、1995年に通訳兼コーチとしてガンバ大阪に入団したのを皮切りにブランメル仙台、ジェフユナイテッド市原・千葉、京都パープルサンガなどでコーチを歴任。
山村 幸広(やまむら ゆきひろ、1963年10月-)は、日本… 山村 幸広(やまむら ゆきひろ、1963年10月-)は、日本の実業家。ダブルクリック、エキサイトの代表取締役社長を歴任、元グラムメディア・ジャパン株式会社CEO兼シニアバイスプレジデント。2014年パズルリング設立。スクウエア・エニックスホールディングス社外取締役、プロジェクト8株式会社(集英社100%子会社)非常勤取締役、トランス・コスモス株式会社 顧問、xAd Japan 顧問を兼任している。 京都市出身。京都東山高校卒業、天理大学外国語学部フランス学科卒業、1986年トランスコスモス入社。同社営業副本部長から米国法人の取締役、取締役事業企画開発副本部長を経た後、1997年にダブルクリック株式会社設立と共に代表取締役社長へ就任。
柴田 博之(しばた ひろゆき、1963年4月26日 - )は… 柴田 博之(しばた ひろゆき、1963年4月26日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。専門は走幅跳。現在は洛南高等学校の教員で、同校陸上部監督。 京都府城陽市出身。妻は元400m走日本記録保持者の柴田こずゑ。 城陽市立城陽中学校時代に陸上競技に出会い、走高跳の選手として活躍。洛南高等学校進学後は走幅跳に転向し、インターハイ2位の実績を残す。 天理大学に進学し、4年生時に全日本インカレで優勝。卒業後は母校・洛南高等学校の教員になりながら、現役を続行。1988年の日本選手権で初優勝し、同年のソウルオリンピックの男子走幅跳の日本代表に選出された。 1992年に選手を引退し、以降、洛南高等学校陸上部での指導に専念している。
羽賀 善夫(はが よしお、1963年1月8日 - )は、京都… 羽賀 善夫(はが よしお、1963年1月8日 - )は、京都府出身の、日本の柔道家。階級は95kg級。身長183cm。長男の善之介は六角橋中学3年の時に全日本選抜少年柔道大会無差別で優勝した。次男の龍之介は2015年の世界選手権100kg級のチャンピオンとなった。 大谷高校から天理大学へ進むと、1年の時に優勝大会で優勝した。全日本ジュニアの95kg級では3位になった。2年からは優勝大会で3年連続2位にとどまった。無差別で争われる全日本学生選手権では3回戦で国士舘大学4年の斉藤仁を有効で破るなどの活躍で3位に入った。3年の時には全日本選手権で5位になった。正力杯決勝では、後に世界選手権を2連覇する同期のライバルである東海大学3年の須貝等を破って優勝を飾った。
正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - … 正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - )は、大阪府忠岡町出身の日本の柔道家、スポーツ科学研究者。天理大学体育学部体育学科教授。
大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - … 大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - )は、日本の柔道家。8段を取得。宮崎県西諸県郡野尻町(のちの小林市)出身。身長178cm。 1988年ソウルオリンピック(男子86kg級)銅メダリストで、のちに全日本柔道連盟強化コーチを務める。 宮崎県中央部に位置する西諸県郡野尻町で、 農林業を営む大迫家5人姉兄の末っ子として生まれる。柔道は、地元の紙屋中学校時代に始めた。中学時代は無名選手だったが、県立宮崎商業高校の藤井猪徳監督(当時)に誘われ、1976年に同校へ入学。高校時代は藤井の家に下宿しながら3年間を過ごし、高校3年次にはインターハイの団体戦でベスト8に入る。 1979年に天理大学へ進学すると、2年次よりレギュラーとして活躍し、この間に同大学は全日本学生優勝大会において、1980年3位、81年優勝、82年準優勝という好成績を収めている。
久松 真一(ひさまつ しんいち、1960年10月23日 - … 久松 真一(ひさまつ しんいち、1960年10月23日 - ) は日本の脚本家、劇作家、演出家。 福岡県北九州市八幡東区出身。天理大学外国語学部フランス学科卒業後、天理教道友社出版部に勤務。1987年より2年間、富良野塾にて脚本家倉本聰に師事する。第五期生。 1991年、日本テレビの連続ドラマ『助教授一色麗子 法医学教室の女』(主演篠ひろ子)の最終回を執筆してデビュー。2004年、NHKのドラマ『玄海〜わたしの海へ〜』で、放送文化基金賞テレビドラマ部門本賞を受賞。2011年、WOWOWのドラマ『再生巨流』で、ATP賞テレビグランプリ2011、ドラマ部門優秀賞を受賞。同年、渡哲也、渡瀬恒彦の兄弟が40年ぶりに共演した話題のドラマ、ドラマ特別企画2011『帰郷』(TBS)を執筆。