岩手 嘉雄(いわて よしお、1888年〈明治21年〉3月 -… 岩手 嘉雄(いわて よしお、1888年〈明治21年〉3月 - 1947年〈昭和22年〉8月26日)は、日本の外交官。駐コロンビア公使。 東京府において元津和野藩士で、下総御料牧場職員を務めていた岩手厚雄の子として生まれる。早逝した父の前妻は同藩の国学者である石河正養の二女。 1913年(大正2年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)専攻科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。領事官補、外交官補としてアメリカ合衆国に赴任した。公使館三等書記官、領事、外務事務官、総領事、外務書記官・文書課長・翻訳課長、在カナダ日本国公使館一等書記官、ホノルル総領事、イタリア大使館参事官を歴任。1934年(昭和9年)から駐コロンビア公使を務めた。
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松嶋 鹿夫(まつしま しかお、1888年1月16日 - 19… 松嶋 鹿夫(まつしま しかお、1888年1月16日 - 1968年11月28日)は、日本の外交官。外務次官や終戦連絡中央事務局次長、貴族院議員等を務めた。
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坂根 準三(さかね じゅんぞう、1888年〈明治21年〉1月… 坂根 準三(さかね じゅんぞう、1888年〈明治21年〉1月 - 1945年〈昭和20年〉10月10日)は、日本の外交官。駐コロンビア公使。 東京府出身。1913年(大正2年)、高等文官試験に合格し、1915年(大正4年)に東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業した。1917年(大正6年)、外交官及領事官試験に合格し、イギリスに領事官補として赴任した。リヴァプール領事、外務事務官・通商局監理課勤務兼特許局事務官、通商局第二課長兼農林書記官、アントウェルペン領事などを歴任。1927年(昭和2年)、漢口総領事となり、のち青島総領事に転じた。1935年(昭和10年)休職となるが、1937年(昭和12年)に復職し、サンパウロ総領事となった。
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天羽 英二(あもう えいじ、1887年〈明治20年〉8月19… 天羽 英二(あもう えいじ、1887年〈明治20年〉8月19日 - 1968年〈昭和43年〉7月31日)は、日本の外交官。 日独伊三国同盟締結時(1940年〈昭和15年〉9月25日)は駐イタリア特命全権大使。三国同盟に反対の立場の天羽は三国同盟締結直前(1940年〈昭和15年〉9月6日)に松岡外相によってイタリア特命全権大使の任を解かれ(いわゆる松岡旋風人事)、後任の駐イタリア特命全権大使として堀切善兵衛が選ばれた(1940年〈昭和15年〉9月30日に正式任命)。外務次官(近衞文麿内閣)や情報局総裁(東條英機内閣)を務め、戦後A級戦犯容疑で巣鴨拘置所に収監され公職追放となった(のちに解除)。1945年(昭和20年)12月にA級戦犯容疑で巣鴨拘置所に収監された天羽は遂に起訴されることなく3年後の1948年(昭和23年)12月に釈放された。
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熊崎 恭(くまさき きょう、1887年4月 - 1923年1… 熊崎 恭(くまさき きょう、1887年4月 - 1923年10月2日)は、明治時代の日本の外交官。元在ニューヨーク総領事。 父は外交官の熊崎寛良で大蔵省葉煙草専売所長等を務めた。弟の熊崎武良は哲学者で早稲田大学教授を務めた。本籍地は東京府東京市麻布区本村町(現元麻布・南麻布)。父が在リヨン在勤中に同地で生まれ、リヨンの小学校を経て、神田の旧制中学校に途中入学し、1908年(明治41年)東京高等商業学校(現一橋大学)卒業、専攻部進学。ボート部出身。 1期下の酒匂秀一(のちに駐ポートランド大使)や大島堅造(のちに住友本社取締役)とは、英語教師のフレデリック・イーストレイクや、高商時代のドイツ語教師だったリヒャルト・ハイゼの家に遊びに行くなど親しかった。
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酒匂 秀一(さかわ しゅういち、1887年(明治20年)2月… 酒匂 秀一(さかわ しゅういち、1887年(明治20年)2月2日 - 1949年(昭和24年)7月23日)は、日本の外交官。ロシア通として知られ、南洋協会理事長等を務めた。 1909年に東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、同校専攻部に進学。同期の大島堅造(のちに住友本社取締役)や1期上の熊崎恭(のちにニューヨーク総領事)とは英語教師のフレデリック・イーストレイクや、高商時代のドイツ語教師だったリヒャルト・ハイゼの家に遊びに行くなど親しかった。 駐ポーランド特命全権大使在任中、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻を前に、1939年(昭和14年)1月ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー総統とポーランド外務大臣ユゼフ・ベック大佐の直接会談を実現。
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西山 勉(にしやま つとむ、1885年4月18日 - 196… 西山 勉(にしやま つとむ、1885年4月18日 - 1960年9月21日)は日本の銀行家、外交官。満州中央銀行総裁、終戦連絡中央事務局次長等を務めた後、戦後 GHQにより公職追放を受ける。追放解除後は初代駐インド大使を務めた。高知県出身。
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堀 義貴(ほり よしあつ、1885年(明治18年)2月5日 … 堀 義貴(ほり よしあつ、1885年(明治18年)2月5日 - 没年不詳)は、日本の外交官。駐メキシコ公使兼初代駐エルサルバドル公使、初代駐グアテマラ公使、初代駐ホンジュラス公使、初代駐ニカラグア公使、初代駐コスタリカ公使。 鹿児島県に吉利靖の三男として生まれ、堀千夫の養子となった。1905年(明治38年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)専攻科を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。領事官補、シンガポール領事、外務事務官・書記官、外務大臣秘書官、内閣総理大臣秘書官、中華民国公使館一等書記官、浦塩派遣軍政務部長、ロンドン総領事、中華民国大使館参事官、イギリス大使館参事官を歴任。 ロンドン海軍軍縮会議に全権事務所情報部長として参加し、1931年(昭和6年)、旭日中綬章受章。
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坪上 貞二(つぼかみ ていじ、1884年6月1日 - 197… 坪上 貞二(つぼかみ ていじ、1884年6月1日 - 1979年5月28日)は、日本の外交官。拓務次官、満洲拓殖公社総裁を経て、太平洋戦争中に初代駐タイ特命全権大使として日泰攻守同盟条約に調印した。戦後公職追放され、追放解除後に日本海外協会連合会(現 国際協力機構)会長を務めた。 佐賀県出身。1909年東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業。外務省入省。1912年ウラジオストク外交官補。外務省アジア局第2課長や、外務大臣官房会計課長、文化事業部長、拓務次官を経て、1935年に満洲国、南満洲鉄道、三井合名会社、三菱合資会社の出資で設立された満洲拓殖株式会社総裁に就任。1937年満洲拓殖公社総裁、1940年満洲国参議府参議。
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阿部 嘉八(あべ かはち、1884年(明治17年)2月 - … 阿部 嘉八(あべ かはち、1884年(明治17年)2月 - 1938年(昭和13年)5月18日)は、日本の外交官、実業家。在シカゴ帝国領事、在バンクーバー帝国領事、大阪鐵工所取締役等を歴任した。 熊本県熊本市生まれ。壷川小学校を経て、1900年(明治33年)熊本商業学校卒業。1904年(明治37年)東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、大阪商船に入社。1906年(明治39年)同校専攻部卒業。柔道部出身。1907年(明治40年)外交官試験に合格し、領事官補任官。1908年(明治41年)在ホノルル総領事代理。1909年(明治42年)在サンフランシスコ領事官補。 1910年(明治43年)在シアトル領事官補。
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佐藤 尚武(さとう なおたけ、1882年(明治15年)10月… 佐藤 尚武(さとう なおたけ、1882年(明治15年)10月30日 - 1971年(昭和46年)12月18日)は、日本の外交官、政治家。林内閣外務大臣、第二次世界大戦末期のソ連対日参戦当時の駐ソビエト連邦大使、戦後には参議院議長(第2・3代)等を歴任した。 旧弘前藩士で当時大阪府警部であった田中坤六の次男として大阪府に生まれる。旧制正則中学校(正則高等学校の前身)卒。1904年(明治37年)、東京高等商業学校(一橋大学の前身)全科卒。同専攻部領事科へ入学。一橋では同級生の向井忠晴(三井総元方理事長や大蔵大臣を歴任)や福島喜三次(元三井合名理事)と首席を争った。後年、向井に駐米大使を打診したが飛行機嫌いであるとして固辞されている。
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矢田部 保吉(やたべ やすきち、1882年(明治15年)4月… 矢田部 保吉(やたべ やすきち、1882年(明治15年)4月1日 - 1958年(昭和33年)10月8日)は、日本の外交官。駐シャム(タイ王国)公使在任中タイ立憲革命を支援。第二次世界大戦時にはタイ人留学生受入れを進め日泰攻守同盟条約慶祝答礼使節団大使等を務めた。 山口県出身。1907年(明治40年)に東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。翌年、外交官補としてシャムに赴任。安東領事官補、ロンドン領事官補、蘇州領事官補、汕頭領事官補、シドニー領事官補、ボンベイ(現在のムンバイ)領事、廈門領事・台湾総督府事務官、外務事務官・参事官、イタリア大使館一等書記官、外務書記官、在アメリカ合衆国大使館一等書記官、青島総領事などを歴任。
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山崎 馨一(やまざき けいいち、1882年(明治15年)2月… 山崎 馨一(やまざき けいいち、1882年(明治15年)2月28日 - 1948年(昭和23年)9月12日)は、日本の外交官。駐ペルー公使。 神奈川県出身。1905年(明治38年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)専攻部を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。領事官補となり漢口、ニューヨークに勤務した。さらにシカゴ領事、イギリス大使館三等書記官、同二等書記官、ロンドン総領事、上海総領事、ホノルル総領事、駐ペルー公使を歴任した。 退官後は後藤風雲堂株式会社取締役会長、後藤風雲堂製作所株式会社社長を務めた。 1948年(昭和23年)9月12日、病気療養中に東京都世田谷区の自宅で死去、63歳。
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池邊 龍一(いけべ りゅういち、1881年(明治14年)1月… 池邊 龍一(いけべ りゅういち、1881年(明治14年)1月1日 - 1960年(昭和35年)1月11日)は、日本の外交官。内閣総理大臣秘書官等を経て、東洋拓殖総裁として大日本帝国下における植民地経営にあたった。第二次世界大戦後連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により公職追放された。 長崎県出身。池邊政五郎の三男。私立商工中学校を経て、1904年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。 外務省入省。1907年韓国統監府属。外交官及領事官試験合格の同期に吉田茂(のちに内閣総理大臣)、広田弘毅(のちに内閣総理大臣、外務大臣)、武者小路公共(のちに駐ドイツ大使)、平田知夫(第一次世界大戦でモスクワ総領事在任中、39歳で夭逝)、林久治郎(のちに駐ブラジル大使)、尾崎洵盛(のちに陶磁器研究家)などがいる。
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尾崎 洵盛(おざき のぶもり、1880年〈明治13年〉11月… 尾崎 洵盛(おざき のぶもり、1880年〈明治13年〉11月29日 - 1966年〈昭和41年〉1月31日)は、日本の陶磁器研究家、外交官、男爵。中国の陶磁器の権威として知られた。元文化財専門審議会専門委員。 東京生まれ。慶應義塾幼稚舎を経て、1903年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1905年同専攻部卒業。1906年外交官及領事官試験に合格し、外務省に入省。在上海日本国総領事館総領事事務代理、在アメリカ合衆国日本国大使館三等書記官、外務省参事官、在ベルギー公使館二等書記官等を経て、1918年退官。陶磁器研究を行い、中国の陶磁器の権威として知られた。元文化財保護委員会文化財専門審議会専門委員。
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川島 信太郎(かわしま のぶたろう、1880年(明治13年)… 川島 信太郎(かわしま のぶたろう、1880年(明治13年)3月14日 - 1957年(昭和32年)8月7日)は、日本の外交官。駐ギリシャ公使。 京都府出身。1907年(明治40年)に東京高等商業学校専攻部(現在の一橋大学)を卒業し、外交官及領事官試験に合格した。諸井六郎領事や、阿部守太郎参事官の下で、日米通商航海条約(小村条約)の改正に向けた調査にあたったのち、1912年(大正元年)からアメリカ合衆国在勤。 領事官補、外交官補、大使館三等書記官、同二等書記官、外務事務官・書記官、同参事官を歴任。1924年(大正13年)、ハンブルク総領事に就任した。1927年(昭和2年)、駐ギリシャ公使に任命され、駐アルバニア公使も兼ねた。
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鈴木 榮作(すずき えいさく、1879年〈明治12年〉2月1… 鈴木 榮作(すずき えいさく、1879年〈明治12年〉2月15日 - 1940年〈昭和15年〉6月2日)は、明治・大正期日本の外交官。香港総領事や、シドニー総領事を務めた。 靜岡県出身。1900年高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。1902年外交官領事官試験合格、外交官補任官。群山理事庁理事官、ニューヨーク総領事代理などを経て、1908年シンガポール領事。1910年南京領事。1912年待命領事(外務大臣官房記録課臨時勤務)。1916年外務大臣官房会計課長心得兼務。1917年香港総領事、高等官三等。1921年シドニー総領事。1925年依願退官。 妻のふみは室田義文貴族院議員の三女。外交官の古谷重綱は義兄。
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出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25… 出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25日 - 1947年(昭和22年)8月19日)は、日本の外交官、政治家。外務次官、在アメリカ合衆国日本大使、貴族院勅選議員、参議院議員。位階は正三位、勲等は勲一等。 岩手県第一大区一小区仁王村(現盛岡市梨木町)で旧盛岡藩藩士の次男として生まれる。旧制盛岡中学校(岩手県立盛岡第一高等学校の前身)卒、1902年旧制東京高等商業学校(一橋大学の前身)専門部貿易科卒業。同期に山中千之元国際連盟委任統治委員、高嶋菊次郎元中支那振興総裁、上田貞次郎元帝国学士院会員など。 1902年、外交官及び領事官試験に合格し外務省入省。京城在勤、ドイツ在勤、政務局第一課長を歴任。
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沼野 安太郎(ぬまの やすたろう、1878年2月1日 - 1… 沼野 安太郎(ぬまの やすたろう、1878年2月1日 - 1919年4月26日)は、日本の外交官。初代在ポートランド領事、在天津総領事などを務めた。 東京府平民・沼野安五郎の長男として生まれる。東京府立第一中学校を経て、1903年(明治36年)に東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、1904年(明治37年)に第13回外交官及び領事官試験に合格。同年外交官補に任官し、叙高等官七等、韓国在勤となった。 1905年(明治38年)ダーハム・W・スティーブンス韓国外交顧問補佐官。1906年(明治39年)在ロンドン領事官補、在ロンドン総領事事務代理。1908年(明治41年)初代在ポートランド領事。1910年(明治43年)在ハンブルク総領事代理。
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田中 都吉(たなか ときち、1877年1月26日 - 196… 田中 都吉(たなか ときち、1877年1月26日 - 1961年10月3日)は、日本の外交官。外務次官、在ソヴィエト連邦特命全権大使、同盟通信社理事会長、日本新聞会会長等を務めた。 京都府宮津市生まれ。旧制京都府尋常中学校(京都府立洛北高等学校・附属中学校の前身)経て、1898年東京高等商業学校(一橋大学の前身)領事科卒。1898年に第7回外交官及領事官試験に合格し外務省入省、同期に本多熊太郎や埴原正直らがいる。同年から領事官補としてソウル、ホノルル、ニューヨークに在勤。1903年から領事として、シンガポール、香港、シアトルに在勤。1908年に帰国し、通商局第二課長に就任。 駐アメリカ合衆国日本大使館参事官を経て、1919年外務省通商局長、1921年同省情報部次長、1922年同省次官兼臨時平和条約事務局長兼情報部長。
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山中 千之(やまなか かずゆき、1877年1月23日 - 1… 山中 千之(やまなか かずゆき、1877年1月23日 - 1949年)は、明治・大正期日本の外交官。元国際連盟委任統治委員。 青森県弘前市笹森町生まれ。1896年青森県第一尋常中学校(現青森県立弘前高等学校)卒業。1900年高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。1902年同専攻部銀行科卒業。 同期に出淵勝次元駐米大使、鈴木榮作元シドニー総領事、高嶋菊次郎元中支那振興総裁、上田貞次郎元帝国学士院会員など。また、在学中青森県出身学生のための寮として初めて東京に設立された修養社で佐藤尚武元外務大臣とともに住み、佐藤はのちに山中の紹介で山中の叔父佐藤愛麿の娘婿となった。 1903年在ホノルル領事館領事官補。
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有吉 明(ありよし あきら、1876年〈明治9年〉4月15日… 有吉 明(ありよし あきら、1876年〈明治9年〉4月15日 - 1937年〈昭和12年〉6月25日)は、明治、大正、昭和前期の外交官。国際連盟設立メンバー。上海総領事、スイス公使、ブラジル大使、中華民国公使を経て、大使館昇格に伴い初代駐中華民国大使となる。対中国外交に尽力、軍部の中国侵略に抵抗。 京都府丹後国与謝郡宮津町(現:宮津市)出身。 父は宮津藩藩士・京都留守居役・郡長の有吉三七。 1899年(明治32年)に東京高等商業学校(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。駐ブラジル大使として日本人のアマゾナス州進出を支援。 国際連盟設立メンバーの1人で、第2回から第4回までの国際連盟総会で日本代表を務めた。
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高橋 橘太郎(たかはし きつたろう、1872年2月3日 - … 高橋 橘太郎(たかはし きつたろう、1872年2月3日 - 1909年10月17日)は、明治時代の日本の外交官。元在漢口総領事。 常陸国笠間生まれ。茨城県士族。松島火薬庫爆発事故で死亡した高橋辰三郎海軍機関大尉は弟。妻は三増久米吉元在京城領事の娘。1895年(明治28年)東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。同年第2回外務書記生試験に合格し、領事館書記生として仁川、牛荘、重慶に在勤した。同期に中村巍など。1898年(明治31年)の戊戌の変法の際には、梁啓超や王照の日本亡命のため宮島に出迎えた。同年辞職。 翌1899年(明治32年)の第8回外交官及領事官試験に合格。1900年(明治33年)在天津領事官補、在清国外交官補。
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山下 芳太郎(やました よしたろう、1871年12月24日(… 山下 芳太郎(やました よしたろう、1871年12月24日(明治4年11月13日) - 1923年4月7日)は、日本の実業家、言語政策研究家、外交官である。 漢字は非能率的であると考え、改良カナ文字とカナ文字タイプライターの普及をめざした。遺書も墓もカタカナで書かれている。 山下興作の長男として愛媛県に生まれた。旧制高松中学校(後の香川県立高松高等学校)、旧制松山中学校(後の愛媛県立松山東高等学校)を経て、1892年7月に東京高等商業学校(後の一橋大学)を卒業した。1917年(大正6年)2月に家督を相続している。 1893年(明治26年)12月から外務省につとめ、領事館書記生および領事事務代理としてボンベイで、副領事としてリヨンおよびロンドンで働いた。
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矢田 長之助(やだ ちょうのすけ、明治4年9月20日(187… 矢田 長之助(やだ ちょうのすけ、明治4年9月20日(1871年11月2日) – 昭和15年(1940年)11月27日)は、日本の外交官。駐シャム(タイ)公使。 島根県簸川郡塩冶村(現在の出雲市)で矢田伝四郎の長男として生まれる。1895年(明治28年)東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。教員を経て、1899年(明治32年)に外交官及領事官試験に合格した。1900年(明治33年)より領事官補として天津、漢口に勤務した。その後、駐メキシコ公使館三等書記官、同二等書記官、バンクーバー領事、オタワ総領事、ニューヨーク総領事、ホノルル総領事を歴任した。1921年(大正10年)より駐シャム公使を務めた。 退官後は横浜市立横浜商業学校・横浜市立横浜商業専門学校校長事務取扱を務め、さらに財団法人暹羅協会(のち日本タイ協会)常務理事・理事長を務めた。
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坂田 重次郎(さかた じゅうじろう、1869年12月24日(… 坂田 重次郎(さかた じゅうじろう、1869年12月24日(明治2年11月22日)- 1919年(大正8年)11月26日)は、日本の外交官。外務省通商局長や、在スペイン特命全権公使を務めた。 出雲国仁多郡三成村(現島根県奥出雲町)で旧家の金坂太八郎の次男として生まれる。兄の金坂儀一郎は村長を務めた。小学校卒業後大志を抱き上京したが、資金が尽きたため帰郷した。島根県師範学校に入学し3年間在学したが、休校となったため退学。1890年に坂田マスの養子となり坂田姓となる。1894年に高等商業学校(後の東京高等商業学校、一橋大学)本科卒業後、1896年第3回高等文官試験(外交科)に合格し、外務省入省。 高等商業学校在学中、1893年に学校から旅費を支給され、同校学生の福田徳三(のちに経済学者)とともに栃木県、群馬県、長野県、新潟県、富山県、石川県、福井県に視察に行った。
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上野 季三郎(うえの すえさぶろう、1864年4月11日(元… 上野 季三郎(うえの すえさぶろう、1864年4月11日(元治元年3月6日)- 1933年(昭和8年)2月28日)は、日本の外交官、宮内官僚。宮内大臣秘書官、宮内省式部官、大膳頭等を歴任した。 出羽国由利郡(現秋田県由利本荘市岩城)出身。亀田藩藩校長善館を経て、1887年高等商業学校(現一橋大学)卒業。在ドイツ公使館書記等を経て、1897年香港二等領事。1901年にサンフランシスコ領事に着任。在任中アメリカ合衆国での排日運動の高まりで日本人が公立学校への入学を拒否されるなどの事態が生じ、カリフォルニア州知事への抗議などを行い対応にあたった。1907年シドニー総領事。1909年宮内大臣秘書官兼式部官。
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藤田 敏郎(ふじた としろう、1862年8月1日(文久2年7… 藤田 敏郎(ふじた としろう、1862年8月1日(文久2年7月6日) - 1937年(昭和12年)1月29日)は、明治・大正期日本の外交官。初代シンガポール領事や、ロンドン総領事、サンパウロ総領事等を務めた。 岡山県津山市出身。父は津山藩士・渡邊政。明治維新後に没落し藤田家に養子入りした。英語などを学び、商法講習所(現一橋大学)卒業。共同運輸会社入社後、母校商法講習所の矢野二郎校長の勧めで、1885年に外務書記生となった。翌1886年から在ホノルル日本領事館勤務。 1888年から在サンフランシスコ日本領事館書記生を務め、在任中メキシコでの日本人殖民地建設を建議し、1891年に中南米初の日本領事館がメキシコに開設されると初代領事代理として赴任した。
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宮川 久次郎(みやかわ きゅうじろう、文久2年2月3日(18… 宮川 久次郎(みやかわ きゅうじろう、文久2年2月3日(1862年3月3日) - 没年不詳)は、明治期日本の外交官、銀行家。在広東副領事、在香港副領事、在ニューヨーク一等総領などを歴任した。 東京府出身。高等商業学校(現一橋大学)卒業後、外務省入省。森有礼文部大臣による上申により、1888年に交際官試補と兼任して母校高等商業学校教諭に任じられ、統計を講じた。1889年広東副領事。同年汕頭副領事及び瓊州副領事を兼務。1890年香港副領事。1895年ニューヨーク一等領事。1897年に非職となり、のち横浜正金銀行副支配人などを務めた。1900年叙正六位。1908年の申酉事件では、成瀬隆蔵、図師民嘉、村瀬春雄、八十島親徳と大学問題実行委員に就任。
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水城 幾雄(みずき いくお)は、日本の外交官。
鈴木 一泉(すずき かずみ)は、日本の外交官。グアテマラ、コ… 鈴木 一泉(すずき かずみ)は、日本の外交官。グアテマラ、コロンビア駐箚特命全権大使。
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野川 保晶(のがわ やすあき)は、日本の外交官。在ジュネーヴ… 野川 保晶(のがわ やすあき)は、日本の外交官。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部大使、外務省研修所所長を経て、駐ニュージーランド特命全権大使。
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高橋 正太郎(たかはし しょうたろう)は、日本の外交官。ニュ… 高橋 正太郎(たかはし しょうたろう)は、日本の外交官。ニューヨーク総領事や、駐イラン特命全権大使、駐フィンランド特命全権大使を務めた。 秋田県北秋田郡鷹巣町(現北秋田市)出身。旧制秋田県立能代中学校(現秋田県立能代高等学校)、旧制東京商科大学(現一橋大学)を経て、1943年外務省入省。 バンコク、ワシントンでの大使館勤務を経て、科学技術庁原子力局国際協力課長や、外務省アメリカ局安全保障課長、駐連合王国大使館公使、駐クウェート特命全権大使、1977年ニューヨーク総領事、1981年駐イラン特命全権大使、1983年北海道担当特命全権大使(駐道大使)を歴任し、1984年から1987年まで駐フィンランド特命全権大使を務め、マウノ・コイヴィスト第9代フィンランド大統領の来日の際には、昭和天皇への進講を行うなどした。
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鏡 武(かがみ たけし)は、日本の外交官。シリア駐箚特命全権… 鏡 武(かがみ たけし)は、日本の外交官。シリア駐箚特命全権大使、アイルランド駐箚特命全権大使などを経て、査察担当大使を最後に退官。公益財団法人中東調査会副理事長および副会長を経て同会参与。 川越市立川越第一小学校、川越市立川越第一中学校を経て、1962年(昭和37年)埼玉県立川越高等学校卒業。昭和42年度外務公務員採用上級試験に合格し、1968年(昭和43年)に一橋大学法学部卒業後、外務省に入省。1969年(昭和44年)9月、英語研修で英国ケンブリッジ大学に留学。1971年(昭和46年)6月、同大学経済学部を卒業。 その後、外務本省では、情報文化局、経済協力局、国際情報局等で勤務し、その後国際報道課長、官房文書課長を歴任。
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海部 篤(かいふ あつし)は、日本の外交官。儀典長、外務省軍… 海部 篤(かいふ あつし)は、日本の外交官。儀典長、外務省軍縮不拡散・科学部長を経て、在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使、包括的核実験禁止条約機関準備委員会議長。 岐阜県出身。1984年愛知県立一宮西高等学校卒業。1988年一橋大学法学部卒業、外務省入省。外務省アジア局北東アジア課課長補佐、外務省北米局安全保障条約課首席事務官、外務省総合外交政策局総務課外交政策調整官、外務省欧州局中・東欧課長、外務省国際法局経済条約課長兼法務省司法試験考査委員、内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付兼内閣総務官室、国家戦略室室員)、在アメリカ合衆国日本国大使館公使等を経て、2016年在ドイツ日本国大使館公使。
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甲斐 紀武(かい のりたけ)は、日本の外交官。宮内庁式部官や… 甲斐 紀武(かい のりたけ)は、日本の外交官。宮内庁式部官や、駐チュニジア特命全権大使、日本国際フォーラム所長、東アジア共同体評議会常任副議長、法務省難民審査参与員等を歴任した。 大阪府立天王寺高等学校を経て、1964年一橋大学法学部卒業後、外務省に入省し、フランス語研修を受けた。国際科学技術博覧会協会外事部長や、アフリカ第一課長、大臣官房儀典官兼式部官、在メキシコ日本国大使館公使、在イタリア日本国大使館公使、駐パナマ特命全権大使、駐レバノン特命全権大使、駐チュニジア特命全権大使を経て、2003年鹿児島県立短期大学教授。2004年から日本国際フォーラム参与を務め、伊藤憲一理事長の補佐にあたった。
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浮田 郷次(うきた ごうじ)は、戦前日本の外交官。シンガポー… 浮田 郷次(うきた ごうじ)は、戦前日本の外交官。シンガポール総領事や、宮内省閑院宮付式部官を務めた。浮田和民の甥。 熊本藩士浮田眞郷の二男として熊本市で生まれる。浮田和民の甥にあたる。1889年から高等商業学校(現一橋大学)で学び、1894年に第一回書記生登用試験に合格し、外務省書記生となった。在上海総領事代理、在バタビヤ領事、在バンクーバー領事、在シンガポール総領事、宮内省閑院宮付式部官を経て、1934年に退官後、外務省嘱託、日本学術振興会嘱託。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
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齊藤 貢(さいとう みつぐ)は、日本の外交官。内閣官房内閣審… 齊藤 貢(さいとう みつぐ)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官等を経て、2018年から2020年にかけて駐イラン特命全権大使。2020年退官。2021年より、東洋英和女学院大学非常勤顧問。 東京都出身。1980年一橋大学社会学部卒業、外務省入省。カイロで2年間アラビア語研修を受け、エジプトのアメリカン大学を経て、1983年から1年間オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジ/中東センターにシニア・アソシエイト・フェローとして留学して中東現代史を専攻。 1984年から在サウジアラビア日本国大使館に赴任。1986年外務省中近東アフリカ局中近東第二課課長補佐。1988年防衛庁防衛局防衛課総括・政務班部員。
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シュテファン・ヘルツベルク(ドイツ語: Stefan And… シュテファン・ヘルツベルク(ドイツ語: Stefan Andreas Herzberg)は、ドイツの外交官。駐日本臨時代理大使、駐ベネズエラ特命全権大使や、駐ペルー特命全権大使などを務めた。 ピルマゼンス生まれ。1975年にアビトゥーアを取得し、兵役後、1976年から1981年までフランクフルト大学で法学を修めた。1984年に司法修習を修了し、第2次国家司法試験合格。同年から一橋大学に留学した。 一橋大では妻とともに課外日本語クラスを受講しながら学び、1987年一橋大学大学院法学研究科修了、法学修士。指導教官は久保欣哉で修士論文は「日本における訴訟外の紛争解決制度と仲裁」。同年ドイツ外務省入省。
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辻本 甫(つじもと はじめ)は、日本の外交官。アラブ首長国連… 辻本 甫(つじもと はじめ)は、日本の外交官。アラブ首長国連邦駐箚特命全権大使、ブルネイ駐箚特命全権大使などを経て、帝京大学教授。 1969年(昭和44年)一橋大学経済学部在学中に外務公務員採用上級試験に合格し、卒業と同時に外務省に入省した。1972年(昭和47年)6月、英国ケンブリッジ大学社会・政治学部を卒業した。 退官後、帝京大学法学部法律学科教授に就任。開発関係論の講座を担当している。 2020年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
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豊田 薫(とよだ かおる)は、日本の外交官。太平洋戦争開戦前… 豊田 薫(とよだ かおる)は、日本の外交官。太平洋戦争開戦前の1939年9月から1940年10月まで在シンガポール日本総領事を務め、在任期間中に領事館「嘱託」職員による情報工作を指揮、領事館職員がコックス事件や篠崎スパイ事件に関連して英海峡植民地警察当局に相次いで逮捕された。日本占領時期にはシンガポール(当時の昭南特別市)政庁総務部長を務めた。 豊田は、1946年5月24日に米軍OCCIOで尋問を受け、1939年9月から1940年10月までの英領マラヤ総領事時代に日本領事館員が行っていたスパイ活動に関する質問に答えている。その中で豊田は、自身が情報工作を行っていたことは否定したが、自身の知らないところで領事館員が情報工作のためにスパイを使っていたかもしれない、と証言した。
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中村 實宏(なかむら みつひろ)は、日本の外交官。ヴァチカン… 中村 實宏(なかむら みつひろ)は、日本の外交官。ヴァチカン国駐箚特命全権大使等を経て、退官後、外務省参与。 1965年外務公務員採用上級試験合格。1966年一橋大学商学部卒業。外務省国際連合局専門機関課首席事務官を経て、1983年外務省国際連合局専門機関課長。1984年外務省国際連合局社会協力課長。同年在イラン日本国大使館参事官。1986年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。1988年在アルジェリア日本国大使館参事官。 1992年東京都生活文化局外務長。1995年ドミニカ共和国兼ハイティ国駐箚特命全権大使。1998年象牙海岸共和国駐箚兼トーゴー国ニジェール国ブルキナ・ファソ国ベナン国駐箚特命全権大使。
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三橋 秀方(みつはし ひでかた)は、日本の外交官。内閣官房内… 三橋 秀方(みつはし ひでかた)は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官兼インドシナ難民対策連絡調整会議事務局長等を経て、2000年(平成12年)から2002年(平成14年)までルーマニア駐箚特命全権大使を務めた。 岐阜県出身。岐阜大学附属長良小学校(現岐阜市立長良小学校)、岐阜県立長良高等学校を経て、1964年一橋大学法学部卒業、外務省入省。在ソ連邦日本国大使館外交官補として1966年には橋本宏らとモスクワ大学歴史学部に留学。休職外務事務官を経て、1982年に外務省欧亜局東欧課長として復職。1983年外務省研修所総括指導官。1985年在ポーランド日本国大使館参事官。1988年在ギリシャ日本国大使館公使。
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