福井 仁士(ふくい まさし、1938年1月 - 2007年1… 福井 仁士(ふくい まさし、1938年1月 - 2007年12月7日)は、日本の脳神経外科学者。九州大学名誉教授。
九州大学:1,187人
福井 仁士(ふくい まさし、1938年1月 - 2007年1… 福井 仁士(ふくい まさし、1938年1月 - 2007年12月7日)は、日本の脳神経外科学者。九州大学名誉教授。
小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械… 小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械工学者、熱工学者。九州大学名誉教授、元北九州市立大学国際環境工学部教授。日本工学アカデミー正会員。工学博士(九州大学、1976年)。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に九州大学工学部機械工学科卒業後、1966年同大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学。1976年に「予混合気における発火と火炎伝ぱに関する基礎的研究」で工学博士号を取得した。 1966年九州大学工学部講師、1967年助教授を経て、1978年教授。1979年からは同大学大学院総合理工学研究科教授を併任(1998年まで)。1999年に同大学大学院工学研究科教授となり、2001年退官、名誉教授。
後藤 宗俊(ごとう むねとし、1938年 - )は、日本の考… 後藤 宗俊(ごとう むねとし、1938年 - )は、日本の考古学者。別府大学名誉教授。大分県出身。 1961年、九州大学文学部史学科考古学専攻卒。1992年、九州大学において学位論文「東九州歴史考古学的論考-古代豊国の原像とその展開」で文学博士を取得。その後、別府大学文学部の教授に就任。2009年に定年を迎え、名誉教授に就任。1987年、坪井清足賞受賞。
永田 一良(ながた いちろう、1938年 - )は日本の実業… 永田 一良(ながた いちろう、1938年 - )は日本の実業家。 九州大学卒業後、1961年に日立製作所入社。後に日立製作所研究開発本部技術主管、1995年に日立製作所取締役電機システム事業本部長に就任。1997年には日立エンジニアリング代表取締役社長に就任し、2005年に退社。 CDP統括小委員会委員長、 日立理科クラブ副代表理事、日本技術士会理事を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動… 林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動車エンジニア。日産自動車でエンジン開発を手がけた後、2012年3月まで東海大学工学部教授を務めた。 日産時代には1989年に実戦デビューした日産・VRH35の開発主管を務め、以下のような実績を挙げた。 モータースポーツ分野の研究が盛んに行われている。中でも開発コースにおいては、全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)やル・マン24時間へ参戦する為の車両開発が行われている。同学科ではプロトタイプレーシングカーの開発を行っており、前述の通り2008年にはル・マン24時間レースへの参戦を果たした。その後も2009年 - 2011年にかけてアジアン・ル・マン・シリーズに参戦するなど活動を続行してきたが、2012年3月に林が退任することに伴い、2012年1月に富士スピードウェイでテスト走行を行ったのを最後にプロジェクトを終了した。
三好 正堂(みよし せいどう、1938年(昭和13年) - … 三好 正堂(みよし せいどう、1938年(昭和13年) - )は、日本の医師。専門は神経内科、リハビリテーション科。 広島県生まれ。1964年、九州大学医学部卒。九州大学神経内科(黒岩義五郎教授)で5年間の研修、ニューヨーク大学リハビリテーション科(Howard A. Rusk)で3年間の留学。1974年九州労災病院、1975年九州厚生年金病院(現JCHO九州病院)リハビリテーション科部長を経て、1981年開業。リハビリテーション専門医として34年間で1万人以上の患者を改善させた実績を持つ。早期回復のための運動として、椅子を利用して立ったり座ったりするシンプルな「起立-着席運動」を提唱し、脳卒中急性期の片麻痺、大腿骨頚部骨折、肺炎など、多くの疾患で効果を上げている。
箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )… 箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社元社長。公益財団法人日本対がん協会顧問、一般社団法人日本外交協会理事。福岡県福岡市東区出身。
熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10… 熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10月30日 - 2020年〈令和2年〉11月11日)は、日本の裁判官、弁護士。袴田事件第1審の担当判事(左陪席)として無罪の心証を形成しつつも裁判長・右陪席の説得に失敗し死刑判決を下したが、後年良心の呵責から合議の秘密を破って被告人(袴田巌)の無実を訴えた人物として知られる。 1937年(昭和12年)佐賀県東松浦郡打上村(後の鎮西町、現:唐津市)に生まれる。父母ともに小学校教員をつとめる家庭の長男として厳格な教育を受ける。 1953年(昭和28年)に鎮西町立打上中学校(現:唐津市立海青中学校)卒業、佐賀県立唐津高等学校(在学中に分離により佐賀県立唐津東高等学校となる)入学。
大囿 純也(おおぞの すみや、1937年9月13日 - )は… 大囿 純也(おおぞの すみや、1937年9月13日 - )は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県出身。1960年に九州大学文学部を卒業し、南日本新聞社に入社。1993年12月に取締役に就任し、1995年12月に専務を経て、1999年12月から2003年12月までに社長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 … 泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 ‐ )は、日本の運輸官僚、政治家。勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、国家公安委員会委員長(第75・76代)、内閣府特命担当大臣(防災担当、食品安全担当)などを歴任した。息子は財務官僚の泉恒有。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。福岡県立明善高等学校、九州大学工学部土木工学科卒業。 運輸省に入省、本省港湾局開発課長、同建設課長、第四港湾建設局長などを歴任した。また、和歌山県庁に一時出向しており、土木部港湾課にて課長を務めた。1991年4月、大臣官房審議官を最後に退官。 なお、この間には、中国、フィリピン、ペルー、メキシコなどの発展途上国を訪問しており、技術協力等の活動を展開した。
牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日… 牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日本の物理学者である。理学博士。研究分野は、理論物理学素粒子論。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校、九州大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院数物系研究科物理学専攻修了(理学博士)。京都大学理学部助手、同大学基礎物理学研究所助教授を経て、1982年から2001年まで広島大学理学部教授。2001年より2007年5月21日まで、広島大学学長。 2007年10月より2009年6月まで、福山大学学長。2011年から2015年まで、マツダ株式会社社外取締役。 広島大学学長在任中、同大相撲部をモデルとした映画「ちゃんこ」に学長役として特別出演した。
阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日… 阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日 - )は、日本の政治活動家、著述家。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の反共活動を1960年代から支えた。「12双」の一人でもある。 世界戦略総合研究所会長。教団の広報委員長、国際勝共連合事務総長などを歴任した。 福岡県京都郡犀川町(現・みやこ町)に生まれる。1960年3月、九州大学文学部社会学専攻卒業。 1967年11月頃、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の日本会長の久保木修己は、東京都渋谷区の統一教会本部に沢浦秀夫、野村健二、阿部らを招き、「勝共啓蒙団」を結成した。「勝共啓蒙団」は李相憲が書いた『新しい共産主義批判』の原稿を韓国から入手し、野村と阿部が中心となって日本語に訳し、出版した。
黒積 俊夫(くろずみ としお、1937年3月6日 - 201… 黒積 俊夫(くろずみ としお、1937年3月6日 - 2012年10月19日)は、日本の哲学者。 兵庫県神戸市出身。九州大学文学部哲学科卒、1966年同大学院博士課程満期退学、1994年「カント批判哲学の研究 統覚中心的解釈からの転換」で九州大学博士(文学)。九大教養部講師、助教授、名古屋大学文学部助教授を経て、教授。2000年定年退官、名誉教授となる。イマヌエル・カントが専門。
山上 敏子(やまがみ としこ、1937年3月2日 - )は、… 山上 敏子(やまがみ としこ、1937年3月2日 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は行動療法。福岡県生まれ。
三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 201… 三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 2011年2月8日)は、満洲国生まれ・大分県出身の経済評論家。 1955年、大分県立大分舞鶴高等学校卒業。1959年、九州大学経済学部卒業後、同年日興証券(株)に入社。 1970年、ノースウェスタン大学経営大学院留学(企業派遣) 、翌年スイス銀行チューリッヒ駐在。 1972年、日興証券ニューヨーク支店勤務を経て、1974年日興証券ロサンゼルス支店長に就任。 1976年、日興証券を退職後、三原淳雄事務所((株)インパルス)を設立。経済評論家として活動を開始する。さらに、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会特別顧問、社団法人日本商品投資販売業協会、東海東京調査センター理事にも就任。
神田橋 條治(かんだばし じょうじ、1937年2月5日 - … 神田橋 條治(かんだばし じょうじ、1937年2月5日 - )は、日本の医学者・精神科医・精神分析家。学位は、医学博士。 九州大学精神神経科にて長年、精神分析療法を専攻。1971年から1年間、モーズレイ病院ならびにタビストック・クリニックに留学。専門は精神分析、精神療法。その力点は内省療法、さらに対話精神療法であったが、現在は雑談精神療法を目指していると言う。精神療法の達人として知られる。
亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本… 亀田 博(かめだ ひろし、1937年1月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。山口県下関市長(1期)、下関市議会議員(5期)を歴任。市長経験者が落選後、市議に転進するのは全国的にも珍しい。 下関市出身。1959年、九州大学法学部を卒業。 1963年、自治省に入省。以後、鳥取県総務部長、自治省財政局指導課長、徳島県副知事、消防大学校校長などを歴任し、1987年に退官。 その後、地方債協会常務理事、地域総合整備財団常務理事を務め、1991年に下関市長選挙に当選して一期務めた後に2003年より下関市議会議員に在任中。 2024年(令和6年)春の受勲に於いて旭日中綬章が授けられることが決定された。 泉田芳次・前市長時代に計画・設立された第三セクターによる日韓高速船事業を引き継ぎ、1991年7月に運航が開始されたものの、経営不振で開設後約1年半の1992年12月に休業、そのまま廃業。
岡村 堯(おかむら たかし、1937年1月2日 - )は、日… 岡村 堯(おかむら たかし、1937年1月2日 - )は、日本の法学者・弁護士・環境運動家。学位は、法学博士(九州大学・1974年)(学位論文「ヨーロッパ共同体裁判所による司法的規制の研究 ヨーロッパ共同体裁判所判例を中心としたヨーロッパ共同体法の実証的研究」)。上智大学名誉教授、 中国生まれ。九州大学法学部卒、1965年同大学院法学研究科修士課程修了、同大学法学部助手。 西南学院大学法学部助教授、教授、1982年上智大学法学部教授、地球環境研究所長、2007年定年、名誉教授。 1974年学位論文「ヨーロッパ共同体裁判所による司法的規制の研究 ヨーロッパ共同体裁判所判例を中心としたヨーロッパ共同体法の実証的研究」で九州大学より法学博士の学位を取得。
勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日… 勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日本の医学者。医学博士(九州大学)。筑波大学名誉教授。東亜大学大学院名誉教授。専門はスポーツ科学、環境生理学、運動生理学(特に体力医学・栄養生理学)。研究テーマは骨格筋線維の可塑性、超高齢エリートアスリートの身体機能とパフォーマンスなど。日本体育学会副会長。 日本体力医学会理事、評議会会長。 日本バイオメカニクス学会監事。日本運動生理学会理事。秩父宮記念スポーツ医・科学賞受賞(2020年)。 スポーツ医科学分野における研究者であると同時に自身もアスリートであり、80歳を超えてもなおテニスプレーヤーとして活動している。高校・大学時代はレスリングや柔道に没頭していたが、30歳を超えてからセカンドスポーツとしてテニスを始めた。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
千石 好郎(せんごく よしろう、1936年11月21日 - … 千石 好郎(せんごく よしろう、1936年11月21日 - 2019年10月 )は、日本の社会学者、松山大学名誉教授。 鹿児島県生まれ。1961年九州大学文学部社会学科卒、1966年同大学院博士課程満期退学。1966年鹿児島女子短期大学講師、1968年西日本工業大学講師、1970年熊本商科大学助教授、1977年教授、1978年松山商科大学教授となる。1986年松山大学(校名変更)人文学部長、1995年同総合研究所所長。2010年定年、名誉教授となる。マルクス主義の立場から研究した。
有村 隆広(ありむら たかひろ、1936年10月27日 - … 有村 隆広(ありむら たかひろ、1936年10月27日 - )は、ドイツ文学者、翻訳家。九州大学名誉教授である。 1936年、鹿児島県で生まれた。九州大学文学部独文科で学び、1961年に卒業。同大学大学院に進み、1964年に修士課程を修了。 その後、山口大学助手に採用された。1966年に同大学教養部講師となり、学部再編に伴い1967年より文理学部講師。1969年、九州大学教養部助教授に転じた。1986年に同大教授昇格。1988年からは同大言語文化部教授。2000年に九州大学を退官し、名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、… 岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県玉野市出身。 1959年に九州大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1992年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月には会長に就任し、2003年6月に相談役に退いた。
津曲 裕次(つまがり ゆうじ、1936年7月25日 - )は… 津曲 裕次(つまがり ゆうじ、1936年7月25日 - )は、障害者教育・福祉の歴史研究を専門とする研究・教育者。筑波大学名誉教授、高知女子大学名誉教授、長崎純心大学大学院教授を経て、現在、長崎純心大学客員教授。社会福祉法人滝乃川学園石井亮一・筆子記念館顧問。 本籍は鹿児島県。1961年東京教育大学教育学部特殊教育学科卒、1964年東京教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、1966年東京教育大学大学院教育学研究科博士課程退学、奈良教育大学助教授、1972年東京教育大学講師、1975年東京教育大学助教授、1976年筑波大学助教授、1988年教授に就任。1996年筑波大学退官の後、1998年高知女子大学教授、2002年長崎純心大学大学院教授。
野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、… 野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、日本の免疫学者。愛媛県松山市生まれ。九州大学名誉教授、元社団法人日本臓器移植ネットワーク理事長、元日本移植学会理事長。九州大学生体防御医学研究所の創立者。九州大学医学部卒業、九州大学大学院修了。 野本教授は生命科学を理解するための新しい学問領域として「生体防御学」を提唱し、その理論体系である生体防御論の確立と科学的実証を行ってきた。生体防御論では、生体防御機構を、外来異物あるいは異物的自己を排除することにより生体の恒常性を維持するメカニズムの全体と位置付けている。現在では、この「生体防御」が学術用語として定着し、大きな学問領域として認知されるに至った。
石川 敬一(いしかわ けいいち、1936年4月21日 - )… 石川 敬一(いしかわ けいいち、1936年4月21日 - )は、日本の実業家。九州電力副社長や、九電工会長、福岡アジア都市研究所会長、アクロス福岡館長、九州システム情報技術研究所理事長等を歴任した。 福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学経済学部卒業。1959年九州電力入社。九州電力取締役営業部長を経て、1995年九州電力常務取締役。1998年九州電力取締役副社長。2004年九電工取締役会長。福岡経済同友会代表幹事、九州経済同友会代表委員、福岡アジア都市研究所会長、アクロス福岡館長、九州システム情報技術研究所理事長。2004年九州大学学術研究都市推進機構理事長。2005年山崎広太郎福岡市長を支持するために大手企業らで設立された希望ふくおかの会長に就任。
國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月2… 國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月26日 - )は、日本の化学者・教育者・会社役員。理研ベンチャーである株式会社ナノメンブレン取締役および北九州産業学術推進機構の理事長。北九州市立大学元副学長。 福岡県久留米市に生まれ、久留米大学附設高等学校卒業後、九州大学工学部応用化学科に入学。大学4年時に秋吉三郎教授、麻生忠二助教授の高分子化学講座へと配属される。修士課程修了後、秋吉教授の「アメリカの大学院を範とする基礎研究重視の大学院教育システムの確立」のため、ペンシルベニア大学の博士課程へと進学する (Ph.D. Adviser, Charles. C. Price)。約2年半で博士学位を取得し、カリフォルニア工科大学のCarl G. Niemann Groupで博士研究員として研究を行う。
宮本 康昭(みやもと やすあき、1936年〈昭和11年〉2月… 宮本 康昭(みやもと やすあき、1936年〈昭和11年〉2月26日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は刑法。ひめしゃら法律事務所所属、元東京経済大学現代法学部教授、元裁判官。満洲国チチハル市出身。 九州大学法学部法律学科卒業。司法試験合格後、司法修習(13期)を経て、1961年(昭和36年)4月に判事補へ任官にする。1964年(昭和39年)、簡易裁判所判事に任官し、簡易裁判所判事が本務、判事補が兼務となる。なお、司法修習の同期には、のちに最高裁判所長官に就任した町田顕、のちに法務省官房長に就任した堀田力がいた。 1967年(昭和42年)5月、東京地方裁判所に赴任。1970年(昭和45年)4月、熊本地方・家庭裁判所に赴任。
江本 寛治(えもと かんじ、1936年1月28日 - 201… 江本 寛治(えもと かんじ、1936年1月28日 - 2015年9月1日)は、JFEホールディングス相談役、元会長。川崎製鉄社長としてNKKの下垣内洋一社長と経営統合の方針を決め、JFE誕生に導く。福岡県出身。1958年、九州大学工学部冶金学科を卒業後、川崎製鉄に入社。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
奥田 拓道(おくだ ひろみち、1936年1月22日- 202… 奥田 拓道(おくだ ひろみち、1936年1月22日- 2023年11月1日)は、日本の医学者、栄養学者、愛媛大学名誉教授。専攻は生化学。 福岡県に生まれる。1962年九州大学医学部卒業。1969年徳島大学医学博士。徳島大学医学部付属酵素研究施設酵素生理部助手、同助教授、愛媛大学医学部助教授をへて、同教授。2000年定年退官、名誉教授、熊本県立大学環境共生学部教授。 農林水産省学術審議委員として学術面で指導的役割を果たし、1993年には、愛媛大学内に「機能性栄養学」の講座を開設した。和漢医薬学会会長、日本肥満学会会長、第54回日本栄養・食糧学会大会会頭などを歴任。日本東洋医学会会員、日本キチン・キトサン学会会員。
川﨑 晃一(かわさき てるかず、1936年 - 2014年)… 川﨑 晃一(かわさき てるかず、1936年 - 2014年)は日本の医学者。九州大学名誉教授。 福岡県出身。1955年福岡県立修猷館高等学校卒業。1961年九州大学医学部卒業。九州大学医学部附属病院にて実地修練ののち、九州大学医学部第2内科(勝木司馬之助教授)に入局し、大学院に入学。1969年9月助手となる。 1973年1月から1975年1月にかけて米国に留学し、アメリカ国立衛生研究所(NIH)訪問研究員として研究。1977年6月九州大学医学部講師を経て、1981年12月九州大学健康科学センター教授に就任。1978年には、食塩感受性という遺伝的要因が高血圧を発症させる事実を発見し報告している。1997年4月から1998年3月にかけて留学生センター長、1998年11月から1999年3月にかけて健康科学センター長を務めた。
梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月… 梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月18日 - )は、日本の実業家。東京放送(現・TBSホールディングス)元常務取締役。テレパック・TBSサンワーク元社長。お笑いタレントの渡部建は甥。 梅本正倫・とねの次男として奈良県に生まれる。1958年(昭和33年)九州大学経済学部を卒業。同年東京放送に入社。 1978年(同53年)6月パリ支局長、1986年(同61年)6月人事労務局長、1988年(同63年)2月制作局長、1989年(平成元年)1月テレビ編成局長を経て、1991年(同3年)6月テレパック社長に就任。 1992年(同4年)6月東京放送取締役、1993年(同5年)6月同社常務を経て、1995年(同7年)TBSサンワーク社長に就任。
田﨑 雅元(たざき まさもと、1935年(昭和10年)9月6… 田﨑 雅元(たざき まさもと、1935年(昭和10年)9月6日 - )は、日本の実業家。川崎重工業元社長。満洲国奉天市生まれ。ハルビン市、京城府、大連市を経て、日本の降伏後宮崎県高千穂町に引き揚げ、宮崎市出身。父は都城市生まれで満州医科大学出身の医師で京城帝国大学医学部助教授などを務めた。
大和 文哉(やまと ふみや、1935年8月29日 - 202… 大和 文哉(やまと ふみや、1935年8月29日 - 2024年2月28日)は、日本の経営者。間組社長を務めた。 福岡県出身。1958年に九州大学工学部土木工学科を卒業し、同年に間組に入社。1993年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1996年6月に副社長に就任し、1987年6月に社長には昇格。2003年6月から特別顧問を務めた。 2024年2月28日、老衰のため死去した。88歳没。
高橋 睦正(たかはし むつまさ、1935年8月26日 - 2… 高橋 睦正(たかはし むつまさ、1935年8月26日 - 2013年9月16日)は、日本の医学者、熊本大学名誉教授。叙正四位、瑞宝中綬章追贈。 九州大学医学部を卒業後、在日米軍の空軍病院でインターンを行い、放射線医学の道に進むことを決意した。当時放射線治療の役割しか与えられていなかった放射線科医を放射線診療を行えるようにアメリカでレジデント、フェローとしての臨床修練を受けた。1984年に日本神経放射線学会会長“沿革:歴代会長”. 日本神経放射線学会. 2010年10月16日閲覧。、1991年の日本磁気共鳴医学会の大会長を務めた。1994年に北米放射線学会の名誉会員に推挙され、2001年の大会では同学会のGold Medal賞を受賞した。
櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7… 櫻井 哲雄(さくらい てつお、1935年(昭和10年)8月7日 - 2021年(令和3年)12月3日)は、日本の政治家。宮崎県延岡市長(3期)。 福岡県北九州市生まれ、宮崎県川南町育ち。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
有吉 孝一(ありよし こういち、1935年7月20日 - 2… 有吉 孝一(ありよし こういち、1935年7月20日 - 2025年10月14日)は、日本の経営者。安田火災海上保険社長、会長を務めた。福岡県出身。 1959年に九州大学経済学部を卒業し、同年に安田火災海上保険に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年4月に常務を経て、1993年4月には社長に就任。1999年4月に会長に就任し、2000年6月に相談役に就任。 2012年11月に旭日重光章を受章。 2025年10月14日、胃がんのため死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 20… 重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 2017年5月3日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本セラミックス協会会長、北九州商工会議所会頭などを務めた。正四位旭日重光章。 福岡県田川郡添田町生まれ。福岡県立田川高等学校を経て、1958年九州大学工学部卒業、東洋陶器(現TOTO)入社。1983年取締役。1987年常務取締役。1992年専務取締役。1994年代表取締役副社長。 1998年から東陶機器代表取締役社長を務め、人員削減などの経営改革にあたり、また、大建工業やYKK APと業務提携しリフォーム事業の確立を行った。2003年代表取締役会長。
諫山 正(いさやま ただし、1935年7月3日 - 2021… 諫山 正(いさやま ただし、1935年7月3日 - 2021年9月3日)は、日本のマルクス経済学者。新潟大学名誉教授。元新潟青陵大学学長。元新潟市都市計画審議会会長。 新潟県新潟市出身。1959年九州大学経済学部経済学科卒業。1963年東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了、文学修士。1967年同博士課程単位取得退学。1980年新潟大学経済学部教授。1990年新潟大学経済学部長、新潟大学大学院経済学研究科長。2001年定年退職、新潟大学名誉教授、新潟青陵女子短期大学教授。2004年新潟青陵大学短期大学部教授、新潟青陵大学短期大学部学長代行。2005年学校法人新潟青陵学園評議員、学校法人新潟青陵学園理事。
石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2… 石川 春律(いしかわ はるのり、1935年4月22日 - 2008年9月23日)は、日本の細胞生物学者、医師。群馬大学名誉教授。日本電子顕微鏡学会会長や、日本細胞生物学会会長を務めた。 鹿児島県出水市出身。1960年九州大学医学部医学科卒業後、整形外科入局。1965年九州大学大学院医学研究科修了、医学博士。1966年ペンシルベニア大学医学研究員。1972年東京大学医学部助教授。1983年群馬大学医学部解剖学第二講座教授。1994年群馬大学医学部長、日本細胞生物学会会長。2000年日本電子顕微鏡学会会長。2001年群馬大学名誉教授。2008年没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
川村 博忠(かわむら ひろただ、1935年1月25日 - )… 川村 博忠(かわむら ひろただ、1935年1月25日 - )は、日本の古地図学者、東亜大学名誉教授。 1935年年、朝鮮半島の京城府で生まれた(福岡県出身)。九州大学文学部西洋史学科で学び、1961年に卒業。その後、広島大学文学部に進み、地理学専攻を1965年に卒業。 卒業後は、佐世保工業高等専門学校助教授に就いた。1978年に山口大学教育学部助教授に転じた。1981年、学位論文『江戸幕府撰国絵図の研究』を広島大学に提出して文学博士号を取得。1986年に同教授昇格。1997年に東亜大学教授に転じた。2006年に退任し、東亜大学名誉教授となった。
立元 幸治(たちもと こうじ、1935年 - )は、日本の文… 立元 幸治(たちもと こうじ、1935年 - )は、日本の文筆家。 1960年、九州大学卒業後NHKに入局。主に教養番組の制作に従事。 チーフ・プロデューサー、部長、局長、審議委員等をつとめる。主な制作番組に、「情報と現代」「自然のシステムと人間」「近世日本の私塾」「日本の政治文化」「明治精神の構造」「大学の未来像」「無意識の構造」などがある。NHK退職後、九州産業大学などで「現代メディア論」や「情報文化論」「現代社会論」などの講義と研究に携わり、東和大学教授を定年で退職。現在は主に執筆講演活動を展開している。 主たる著作に、『転換期のメディア環境』(福村出版)、『こころの出家』(筑摩書房)、『こころの養生訓』『器量と人望~西郷隆盛という磁力』(PHP研究所)、『貝原益軒に学ぶ』(三笠書房)、『東京多磨霊園物語』『東京青山霊園物語』『鎌倉古寺霊園物語』(以上、明石書店)、『威ありて猛からず 学知の人西郷隆盛』(新講社)、『墓碑をよむ~無名の人生が映す、豊かなメッセージ』『人は鹿より賢いのか~甦る鳩翁道話、柴田鳩翁は、いま何を語るのか』『デュオする名言、響き合うメッセージ~墓碑を歩き、人と出会う、言葉と出会う』(以上、福村出版)、『還って来た山頭火~いま、私たちに何を語るのか』『年はとっても、年寄りにはなりたくない~いま、山頭火と語る、老いと人生』(以上、春陽堂)『いま、私たちは幸せに生きているのか~貝原益軒が語る新・幸福論』『〃出会い〃が人生を創る~〃自分の人生〃の物語を紡ぐ』『名言は、二度語る~一度はソロで、二度目はデュオで』(以上、展望社)などがある。
佐々治 寛之(ささじ ひろゆき、1935年 - 2006年8… 佐々治 寛之(ささじ ひろゆき、1935年 - 2006年8月1日)は、日本の動物学者。 長崎県出身。旧姓・神谷。長崎県立長崎東高等学校、九州大学農学部卒、同大学院、1967年農学博士(九州大学)。福井大学教育学部助教授、教授。99年定年退官、名誉教授。 佐々治寛之は、甲虫類、とくにテントウムシを中心とする標本の収集・整理にも尽力し、その結果得られた標本群は佐々治寛之コレクションとして九州大学総合研究博物館のデータベースとして公開されている。現在公開されているデータには学名・採集年月日・採集地・採集者などが収録され、2020年12月末時点での標本データは4,456件である。
立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月2… 立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月24日)は、日本の政治運動家、文筆家。 熊本県菊池市生まれ。1959年九州大学経済学部卒業、在学中から日本社会党青年部で活動。1960年安保闘争の最中、雑誌『社会主義』(社会主義協会)の編集者となる。 社青同(日本社会主義青年同盟)港支部(東京)を組織。浅沼社会党委員長刺殺抗議デモに参加。三池無期限全面スト支援のため各労組をオルグ。 1961年三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織。医療労働者の人権侵害、労働条件改悪に抗議する闘争支援(十仁・愛育・船員・慶応病院など)。 1964年社青同第四回大会で書記長に選出される。1965年反戦青年委員会設立に努める。
三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月2… 三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月23日)は、西洋中世哲学研究者。南山大学名誉教授。中世哲学。 福岡市出身。九州大学教育学部卒、同大学院、南山大学助教授、教授、2004年定年退職、名誉教授。
太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は… 太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は日本の火山学者、地質学者。九州大学名誉教授。長崎県南高来郡国見町出身。九州大学理学部教授(1988-1994年)。九州大学理学部卒、九州大学大学院中退。専門分野は火山学、温泉学。2015年現在、島原市弁天町在住。
龍円 恵喜二(りゅうえん えきじ、1934年12月1日 - … 龍円 恵喜二(りゅうえん えきじ、1934年12月1日 - 2021年)は、日本の政治学者、帝京大学名誉教授、政治学博士。専攻は政治過程論、政治変動論。長女は元テレビ朝日アナウンサーで東京都議会議員の龍円愛梨。 長崎県出身。九州大学を卒業後、東洋工業(現・マツダ)勤務を経てスウェーデン・ウプサラ大学政治学研究科修了(Ph.D、政治学)。オスロ国際平和研究所リサーチ・フェローなど滞欧20年を経て、帝京大学法学部教授に就任。2005年、同大学名誉教授。 政治学者の傍ら、老年学・福祉国家論などにも取り組み、全国シルバー人材センター事業協会・評議員も務めている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月… 時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月30日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本の政治家、内科医。医学博士、大分県宇佐市長(3期)。 大分県宇佐市出身。1959年、九州大学医学部卒業。1967年「飲泉の胆汁分泌におよぼす影響に関する研究」により九州大学から医学博士号を授与された。九州大学温泉治療学研究所講師を務めた。1970年、地元で内科医院を開業する。2000年宇佐市長選挙に立候補し、初当選する。2004年には無投票で再選。翌2005年宇佐市は宇佐郡院内町と安心院町と合併し、新たな宇佐市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。合併後の宇佐市長を2009年まで1期務めた。
清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2… 清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2023年1月25日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所調査官や東京高等裁判所部総括判事等を歴任した。 九州大学法学部卒業後、1963年に裁判官任官。最高裁判所調査官や東京地方裁判所部総括判事、水戸家庭裁判所長を経て東京高等裁判所部総括判事。知的財産訴訟関連の仕事が多く、東京地裁や東京高裁では知的財産担当の部署に配属され、最高裁調査官時代には最高裁判例に採択されることとなる事件も取り扱った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 20… 増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 2025年6月3日)は、日本の実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、日本防衛装備工業会会長等を務めた。 長崎県または静岡県出身。佐賀高校を経て、1957年九州大学工学部卒業、三菱造船(現三菱重工業)入社。1987年三菱重工業広島製作所副所長。1989年三菱重工業下関造船所長。1991年三菱重工業取締役下関造船所長。1992年三菱重工業常務取締役機械事業本部長。1994年三菱重工業取締役副社長機械事業本部長。1995年三菱重工業取締役社長。1999年三菱重工業取締役会長、日本原子力発電取締役。2000年日本防衛装備工業会会長。2001年経済産業省産業構造審議会航空機宇宙産業分科会航空機委員会委員長。