加藤 昭夫(かとう あきお、1934年1月1日 - 2020… 加藤 昭夫(かとう あきお、1934年1月1日 - 2020年6月3日)は、日本の化学者。無機材料化学専攻。九州大学名誉教授。日本セラミックス協会会長や、人工結晶工学会会長を務めた。 山口県出身。1956年九州大学工学部応用化学科卒業。 1962年、工学博士(九州大学)の学位を取得。同年九州大学助教授。1972年九州大学教授。1979年窯業協会学術賞受賞。1980年名古屋大学教授併任。1984年粉体粉末冶金協会研究功績賞受賞。1987年電気化学協会九州支部長。1988年粉体粉末冶金協会理事。1994年人工結晶工学会会長。1995年日本セラミックス協会会長、日本化学会九州支部長。 1997年九州大学名誉教授、崇城大学工学部応用化学科教授、九州ファインセラミックス・テクノフォーラム会長。
根本 道也(ねもと みちや、1934年 - )は、日本のドイ… 根本 道也(ねもと みちや、1934年 - )は、日本のドイツ語学者・ドイツ文学者。九州大学名誉教授。 1934年、鹿児島県鹿児島市で生まれた。九州大学文学部独文科で学び、卒業。同大学大学院修士課程を修了。 その後は福岡女子大学講師に就いた。後に助教授昇格。その後、九州大学教養部教授となった。1998年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。 専門は、ドイツ語語彙論、ドイツ・ロマン派文学。
森本 芳樹(もりもと よしき、1934年 - 2012年5月… 森本 芳樹(もりもと よしき、1934年 - 2012年5月29日)は、西洋史学者、九州大学名誉教授。父と母は数学者の森本清吾、治枝。兄は天文学者の森本雅樹。息子はイスラム史の研究者、森本一夫。
梶原 壌二(梶原壤二、かじわら じょうじ、1934年 - 2… 梶原 壌二(梶原壤二、かじわら じょうじ、1934年 - 2025年6月12日)は日本の数学者。長崎県生まれ。 1956年九州大学理学部数学科卒。九州大学名誉教授。九州大学白菊会理事長。理学博士。専攻は多変数関数論、無限次元複素解析学。 2013年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )… 佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )は、日本の経営者。山陽新聞社社長を務めた。 福岡県出身。1958年、九州大学教育学部を卒業し、同年に山陽新聞社に入社。1988年2月、取締役に就任。1990年2月、常務に就任。1992年2月、社長に就任。2006年12月、会長に就任し、2012年2月、取締役相談役に退いた。 2009年11月、旭日重光章を受章。
犬童一男(いんどう かずお、1933年12月1日 - 200… 犬童一男(いんどう かずお、1933年12月1日 - 2007年3月28日)は、日本の政治学者(イギリス政治史)。神戸大学名誉教授(法学部)。 長男は日本経済新聞記者で広報室長、犬童文良。 熊本県生まれ。九州大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修了。神戸大学法学部教授・大阪経済法科大学教授を歴任。 2007年3月28日、食道癌のため死去。
田才 益夫(たさい ますお、1933年10月7日- )は、日… 田才 益夫(たさい ますお、1933年10月7日- )は、日本の演出家、チェコ文学の翻訳家。舞台監督協会、日本演出者協会、各会員。 福岡県出身。1959年九州大学文学部哲学科卒業。劇団俳優座、1986年プラハ国立劇場での文化庁芸術家在外派遣研修員などを経て、フリーの舞台監督、演出家として活躍。この間、1977年からチェコ語を学び始める。 2006年の『チャペック戯曲全集』で日本翻訳出版文化賞受賞。カレル・チャペックの作品を多数翻訳。 妻の田才秀季子は、尾崎秀実・尾崎秀樹の妹。田才は、尾崎秀樹主宰の雑誌『ゾルゲ事件研究』(監修者:石堂清倫、今井清一、尾崎秀樹、編集者:高橋千劔破、田才、田辺貞夫)にも共同編集者として参加している。
小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、… 小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、日本の考古学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1980年)(学位論文「九州考古学研究 歴史時代篇」)。福岡大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1957年九州大学文学部史学科卒業。1960年同大学院博士課程中退、九州大学文学部助手、1971年別府大学文学部助教授。1980年「九州考古学研究 歴史時代篇」で九州大学より文学博士の学位を取得。1983年北九州市立考古博物館館長。1988年福岡大学人文学部教授。1995-1999年下関市立考古博物館館長を兼ねる。2004年福岡大学定年退職、名誉教授。1977年西日本文化賞団体賞、1992年『日韓交渉の考古学』で雄山閣考古学賞受賞。
重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 -… 重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 - )は、日本の政治家。元・自由民主党参議院議員(竹下派、1期)。 福岡県出身。1952年福岡県立八女高等学校、1956年九州大学経済学部卒業。1960年防衛施設庁に入る。1981年臨時行政改革推進審議会事務局総務課長。1984年参事官に就任した。1986年中部管区行政監察局長。1987年審議官。1988年行政情報システム参事官を経て、1989年官房審議官。1990年12月に退官。1991年の福岡県知事選に出馬したが落選。同年9月の参院補選に自民党公認で立候補して当選。1992年に落選。1995年の福岡県知事選に再び立候補したが落選。同年の参議院選挙で無所属から立候補したが落選した。
高浜 素秀(たかはま もとひで 、1933年〈昭和8年〉4月… 高浜 素秀(たかはま もとひで 、1933年〈昭和8年〉4月1日 - 2024年〈令和6年〉12月13日)は、日本の医学者・病理学者。医師。宮崎県延岡市出身。主に大学医学部において病理学教育・研究に従事し、後年には健康・美容分野における一般向け書籍の著者・監修者としても活動した。 高浜素秀は1933年4月宮崎県延岡市にて生まれる 1958年3月九州大学医学部を卒業後、1959年4月東京医科歯科大学にて病理学を専攻。フルブライト奨学金を得て渡米し、アメリカ・マウントサイナイ医科大学(Mount Sinai School of Medicine)に留学した。帰国後は東京医科歯科大学の講師として教育・研究に従事し、その後、埼玉医科大学第2病理学教室に所属し、臨床病理学の分野で活動した。
手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日… 手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日本の法学者・法学博士、九州大学・熊本県立大学名誉教授。専門は憲法・行政法・行政学。 香川県高松市生まれ。1953年九州大学法学部卒業、同助手、56年助教授、64年「アメリカ行政学史論」で法学博士。66年九大法学部教授、94年退官、名誉教授、熊本県立大学学長、教授、名誉教授。2001年退任。専門は憲法・行政法・行政学。妻のるりは江崎悌三の次女。長谷部銀次は孫。 2004年3月23日、弁護士登録(福岡弁護士会)。2010年12月28日、著述に専念のため、弁護士会を退会。
丸山 雍成(まるやま やすなり、1933年2月27日 - )… 丸山 雍成(まるやま やすなり、1933年2月27日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近世史、交通史。九州大学名誉教授。 現在の熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て1957年に東北大学文学部国史学科を卒業した。1965年に東北大学大学院文学研究科博士課程を修了した。 駒澤大学で講師・助教授を務めた後、1973年に[要出典]九州大学助教授に移り、九州大学で教授に昇格して、九州文化史研究施設長も務めた。この間、1977年に「近世宿駅の基礎的研究」により、東北大学より文学博士号を取得した。1994年に「日本近世交通史の研究」で日本学士院賞を受賞する。1996年に[要出典]九州大学を定年退官して、名誉教授となる。
融 道男(とおる みちお、1933年1月31日 - 2017… 融 道男(とおる みちお、1933年1月31日 - 2017年5月7日 は、日本の医学者・精神科医。専門は精神薬理学。東京医科歯科大学名誉教授。元東京医科歯科大学学生部長(副学長)。元日本精神神経学会会長。元信州大学医学部教授。学位は、医学博士(東京医科歯科大学・1969年)。
広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年(昭和8年)1月2日 … 広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年(昭和8年)1月2日 - 2020年 (令和2年) 2月7日)は、日本の実業家。富士紡績元代表取締役社長。廣瀬資料館理事長日田広瀬家第11代当主。江戸時代の儒学者広瀬淡窓の弟・広瀬久兵衛の子孫である。 父は日田市長、佐藤内閣で郵政大臣などを歴任した日田広瀬家第10代当主広瀬正雄。実弟にテレビ朝日会長、日本民間放送連盟会長を務めた広瀬道貞、通商産業事務次官の後、大分県知事を5期務めた広瀬勝貞、興銀証券常務を務めた広瀬興貞がいる。
大久保 英雄(おおくぼ ひでお、1933年 - )は、日本の… 大久保 英雄(おおくぼ ひでお、1933年 - )は、日本の医学者。九州大学医学部第一内科元准教授。医学博士(1967年、同大学にて取得)。専門は内科、消化器病、糖尿病、肝臓病。 福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。福岡県立小倉高等学校を卒業。九州大学医学部を卒業。同大学第一内科に入局し、1967年、同大学にて医学博士を取得。同年から同大学第一内科講師、1978年から1985年まで同大学同科助教授を歴任。その間、1969年アメリカのオクラホマ大学に留学。公益社団法人日本糖尿病協会員。1992年から1999年まで北九州市立医療センター総括副院長。新栄会病院南ヶ丘病院最高顧問、北九州市保健福祉局嘱託医(2009-2019)、公益社団法人日本糖尿病協会療養指導医である。
田代 和彦(たしろ かずひこ、1933年 - )は、日本の郵… 田代 和彦(たしろ かずひこ、1933年 - )は、日本の郵政官僚。郵政大学校長を務め、郵便業務に携わる人材の育成に努めた。長崎県出身。 1933年生まれ。長崎県出身。1956年九州大学法学部を卒業後、郵政省に入省。同省大臣官房郵政参事官や各地域の郵政監察局長を経て、1983年郵政大学校長に就任した。同省退官後は、簡易保険郵便年金福祉事業団理事、日本高速通信(現・KDDI)専務などを務めた。2005年に瑞宝中綬章受章。
五十川 潔(いそかわ きよし、1933年 - )は、日本の翻… 五十川 潔(いそかわ きよし、1933年 - )は、日本の翻訳家。 宮崎県生まれ。1938年、数学教師の父に伴ってソウルに渡る。幼少期をソウルで暮らし、のちに現在の北朝鮮江界市に転居。実母、継母ともに死別。 1946年11月、父の郷里の大分県佐伯市に帰着。1952年、九州大学教養部理科に入学し、のちに九州大学文学部哲学科に転部。1958年、同大学大学院文学研究科(心理学専攻)修士課程修了。 1958年、福岡県庁に入庁、社会福祉に従事する。1963年、愛知県に移籍し、児童相談所などに勤務。 韓国語が堪能で、1988年頃に友人を介して画家ペク・ヨンスの『回想録』を知り、親交を深めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
岩﨑 四郎(いわさき しろう、1933年 - 2010年3月… 岩﨑 四郎(いわさき しろう、1933年 - 2010年3月4日)は、日本の法務官僚、刑務官。元名古屋矯正管区長。退官後は長崎原爆の研究に取り組んだ。 1933年生まれ。12歳の時に長崎市で被爆した。1956年に九州大学法学部を卒業後、法務省に採用され入省。矯正研修所教官、法務総合研究所研究官を務め、刑事政策に関する論文を多く著した。福岡矯正管区長、広島矯正管区長、名古屋矯正管区長などを歴任して、1993年に退官。2003年に勲三等瑞宝章を受章した。退官後は長崎原爆について研究し、投下に至った経緯を検証するとともに、核軍縮や反戦を訴えた。2010年に腹部大動脈瘤破裂のため死去。
東 清二(あずま きよじ、1933年 - 2018年11月2… 東 清二(あずま きよじ、1933年 - 2018年11月28日)は、日本の昆虫学者。琉球大学名誉教授。 沖縄県石垣市白保出身。九州大学農学部卒、1977年「沖縄におけるサトウキビ重要害虫の生態学的研究,特にサトウキビ品種の変遷と害虫の発生消長について」で農学博士。琉球大学農学部助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授。ヨナグニサンの人工飼育に成功した。
横山 哲夫(よこやま てつお、1933年 - 2026年5月… 横山 哲夫(よこやま てつお、1933年 - 2026年5月6日)は、日本の化学者。研究分野は、高分子化学。福岡県出身。 元玉木女子短期大学及び長崎大学学長。 2026年5月6日午前9時21分、食道がんなどのため長崎市の病院で死去。92歳没。
野村 達朗(のむら たつろう、1932年12月18日 - 2… 野村 達朗(のむら たつろう、1932年12月18日 - 2020年12月14日)は、日本のアメリカ史学者、愛知県立大学名誉教授。 鹿児島県出身。1955年九州大学文学部西洋史学科卒、1960年同大学院文学研究科博士課程満期退学、1966年愛知県立大学文学部講師、助教授、教授を務める。1996年定年退官、名誉教授、愛知学院大学文学部教授となり、2003年定年。 アメリカ労働史研究の草分けで、アメリカ学会会長を務め、名古屋アメリカ研究会の設立者の一人だった。 2011年11月瑞宝中綬章受章。
毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 20… 毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 2016年3月12日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。明治維新史学会顧問。専門は日本近代史(政治史・外交史)。 千葉県千葉市生まれ。1956年九州大学法学部卒業。1969年九州大学大学院法学研究科博士課程修了(日本政治外交史専攻)、「明治維新政治史序説」で法学博士。九州工業大学助教授、大阪市立大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、広島市立大学国際学部長・教授、2003年退職。 維新の十傑の江藤新平は縁戚にあたる。 2016年3月12日に腎不全のため死去。83歳没。 従来の研究では明治六年政変で西郷隆盛や江藤新平が下野したのは征韓論という外交問題での対立が原因という見方が支配的だった。
杉岡 洋一(すぎおか よういち、1932年11月6日 - 2… 杉岡 洋一(すぎおか よういち、1932年11月6日 - 2009年11月27日)は、日本の医学者。整形外科医。第20代九州大学総長。広島県生まれ。 福岡県立東筑高等学校を経て、1958年九州大学医学部卒業。1970年、米ペンシルヴェニア大学に留学。1972年、大腿骨頭壊死症の新しい手術法を考案。九州大学医学部助教授を経て、1983年同教授に就任。1995年から2001年まで同学長を務める。この間東北大学などとともに、国立大学初の人物重視を掲げたアドミッションオフィス入試(AO入試)を導入。 学長退任後の2002年3月、韓国国民勲章無窮花章を受章。2008年秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章。 2009年11月27日、十二指腸癌のため死去。
日浦 勇(ひうら いさむ、1932年10月24日 - 198… 日浦 勇(ひうら いさむ、1932年10月24日 - 1983年10月18日)は、日本の昆虫学者。 徳島県生まれ。1955年、九州大学農学部農学科卒業。1957年、大阪市立自然科学博物館(後の大阪市立自然史博物館)に勤務する。1958年、同館学芸員補、1959年、同学芸員。1971年、同館主任学芸員。1974年、同館学芸課長。1983年、急性心不全のため急逝した。 東京大学教授の日浦勉は息子。
福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、… 福田 豊(ふくだ ゆたか、1932年10月19日 - )は、日本の経済学者。社会主義協会の機関誌『社会主義』の編集長を務めた。法政大学名誉教授。 熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1955年に九州大学経済学部を卒業後に同大学大学院に進み、1960年に博士課程を修了した。九州大学経済学部助手、法政大学第二教養部助教授、教授を経て、社会学部教授となる。 学生時代より向坂逸郎に師事し、1960年代前半に構造改革論批判などで頭角をあらわす。福田の論文にはカール・マルクスやウラジーミル・レーニンの著作からの豊富な引用が行われているが、それは社会主義協会の理論が向坂の指導でマルクス・レーニン主義へ転化していくのにたいしマルクス・レーニン主義の歴史的・理論的限界を明らかにし、この理論の援用にたいして慎重であるべきことを求めたものであった。
吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 200… 吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 2006年1月27日)は、元日本相撲連盟会長・九州電力副社長。大分県湯布院町(現由布市)出身。 1956年、九州大学経済学部を卒業。卒業後、九州電力に入社。資材部長、常務を経て1993年に副社長に就任。1997年から2002年まで顧問を務めた。2000年から2002年まで九州大学経済学部同窓会会長。ほかに、九州・山口経済連合会副会長、九州・山口経済連合会専務理事、九州国立博物館設置促進財団募金活動推進本部長、西日本新聞モニター会議委員、福岡経済同友会幹事などの要職を歴任した。特に九州国立博物館の建設に当たっては、募金活動推進本部長として奔走し、41億円の募金を集めた。
吉次 邦夫(よしつぐ くにお、1932年〈昭和7年〉5月2日… 吉次 邦夫(よしつぐ くにお、1932年〈昭和7年〉5月2日 - )は、日本の政治家。元長崎県諫早市長(4期)。旭日小綬章受章。 長崎県出身。九州大学法学部卒業。卒業後は長崎県庁に入る。東京事務所長、生活福祉部長、総務部長、県教育長、県土地開発公社理事長などを歴任する。 1996年諫早市長選挙に立候補し、現職を破って初当選する。2000年と2004年の選挙はともに無投票で当選。2005年諫早市は北高来郡飯盛町、森山町、高来町、小長井町および西彼杵郡多良見町と合併し、新たな諫早市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、当選した。合併後の諫早市長を2009年まで1期務めた。同年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 201… 嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 2019年12月19日)は、日本の陶磁器研究家。 石川県小松市生まれ。立教大学卒業、九州大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了。1959年石川県美術館職員となる。資料課長、専業課長、1980年石川県立美術館開設準備室長、1983年石川県立美術館副館長、1991年館長。石川県七尾美術館館長、石川県文化財保存修復工房所長を兼任する。 2019年12月18日にホテル日航金沢で開かれていた「第60回美術家まつり」の席上で意識を失い、翌12月19日に虚血性心疾患のため石川県立中央病院で死去した。87歳没。 兄に嶋崎弘(雲井社長)、嶋崎均(参議院議員)、嶋崎譲(政治学者・衆議院議員)、東方歩(東洋交通社長)、妹に嶋崎晶子(立正短期大学教授)がいる。
敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017… 敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017年9月12日)は、日本の元検察官、弁護士。 1932年2月13日福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、九州大学法学部法律学科卒業。1956年検事任官。1957年ハーバード大学ロースクール留学。
広田 良吾(ひろた りょうご、1932年2月1日 - 201… 広田 良吾(ひろた りょうご、1932年2月1日 - 2015年1月17日)は、日本の数学者、物理学者、工学者。専門は非線形波動、差分学、離散可積分系。非線形偏微分方程式を双線形化し直接的に解く独自の手法は非常に有名であり、その名を冠して広田の方法と呼ばれる。 広田良吾 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は… 丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は、日本の裁判官、弁護士。浦和地方裁判所長や東京高等裁判所部総括判事、男女共同参画審議会委員などを務めた。福岡県出身。 大学在学中に司法試験に合格。女性裁判官が地方裁判所長になるのは丹宗が2人目で、家庭裁判所長も含めると4人目。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
柴田 稔彦(しばた としひこ、1932年 - )は、日本の英… 柴田 稔彦(しばた としひこ、1932年 - )は、日本の英文学者、翻訳家。福岡大学名誉教授。専門はシェイクスピアなど英国演劇。 福岡県生まれ。1954年九州大学文学部卒、1957年東京大学英文科大学院修士課程修了、福岡女子大学、九州大学助教授をへて1964年東大教養学部助教授、1982年福岡大学教授、2002年定年退職、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
原 寛(はら ひろし、1932年 - 2025年10月16日… 原 寛(はら ひろし、1932年 - 2025年10月16日)は、日本の医師、医史学者である。病院と看護学校を経営しながら、高齢化社会のための「養生学」に取り組んでいる。 1932年福岡市に生まれる。福岡県立福岡高等学校、九州大学医学部卒業。九大精神神経科入局、医学博士号修得(九州大学医学研究院生理学)。 1967年原土井病院を開設、同病院理事長。1976年原看護専門学校を設立。2013年、「博多養生処」を開設。日本慢性期医療協会、全国公私病院連盟などの理事。多々良福祉会、能古博物館の理事長を務める。
藤井 茂利(ふじい しげとし、1931年12月20日 - )… 藤井 茂利(ふじい しげとし、1931年12月20日 - )は、日本の言語学者。 中国大連市生まれ。福岡県出身。1954年九州大学文学部国語国文学科卒、1958年同大学院文学研究科修士課程修了。韓国で文学博士号取得、ハワイ・イオンド大学名誉博士。洛星中学校・高等学校教諭、西山短期大学助教授、東海大学文学部助教授、鹿児島大学法文学部教授、韓国祥明女子大学・釜山女子大学客員教授、福岡大学人文学部教授、2002年定年。韓国新羅大学校特別教授。福岡日韓フォーラム会長、東アジア日本語教育・日本文化研究学会会長、日韓交流博多会(ナドリ倶楽部)会長・顧問、福岡韓国語弁論大会実行委員長。
新城 長有(しんじょう ちょうゆう、1931年〈昭和6年〉1… 新城 長有(しんじょう ちょうゆう、1931年〈昭和6年〉10月31日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、日本の育種学者。琉球大学名誉教授。 世界各地のイネ品種が持つ遺伝様式のメカニズムを解明し、超多収米(ハイブリッド米)を開発した日本における先駆者である。 沖縄県石垣市石垣出身。1957年に琉球大学農家政学部(現在の農学部)を卒業後、1960年に九州大学大学院農学研究科農学専攻修士課程修了。琉球大学講師となり、イネの育種研究に打ち込む。その間、1958年(昭和33年)に雄性不稔性のあるイネ品種をインドの野生種から発見している。そこから研究を重ね、通常の栽培種では1つの花の中に雄しべと雌しべが同有しており、交配による雑種強勢を困難としてきたイネにおいて、雄性不稔性を持つジャポニカ米の一代雑種イネを開発。
貞永 方久(さだなが まさひさ、1931年9月22日 - 2… 貞永 方久(さだなが まさひさ、1931年9月22日 - 2011年7月14日)は、日本の映画監督。 満洲国新京の生まれ。敗戦と同時に無一文のまま日本に引き上げ、戦後の動乱を身いっぱいに受けて育つ。大分県立別府鶴見丘高等学校から九州大学法学部を1956年に卒業。 大学時代は演劇活動に熱中し、木下惠介、黒澤明らを通じて日本映画に強い関心を抱いており、卒業後、松竹京都撮影所演出部に入社。大曾根辰保、五所平之助、篠田正浩、野村芳太郎の作品の助監督を務めた。1961年からはテレビのドキュメンタリー番組の演出も手がけ始めた。1965年、京都撮影所の閉鎖に伴い大船に移籍。1968年、助監督職のまま山根成之との共同監督で、原田芳雄主演のハードボイルド作品『復讐の歌が聞える』で監督デビュー。
中村 栄子(なかむら えいこ、1931年(昭和6年)8月1日… 中村 栄子(なかむら えいこ、1931年(昭和6年)8月1日 - )は、日本のフランス文学者、西南学院大学名誉教授。佐賀県小城町(現小城市)生まれ。旧姓・永淵。1953年九州大学文学部卒、58年同大学院フランス文学専攻博士課程満期退学。1965年西南学院大学助教授、67年教授、1970年よりパリ第4大学博士課程、1972年同文学博士。2002年西南学院大学を定年、名誉教授。フランス政府より教育功労章シュヴァリエを受ける。
向井 純一郎(むかい じゅんいちろう、1931年(昭和6年7… 向井 純一郎(むかい じゅんいちろう、1931年(昭和6年7月30日) - 1998年(平成10年)1月5日)は、日本の生化学者。九州大学名誉教授。学位は農学博士。専門は農芸化学。 1967年(昭和42年)「家蚕幼虫の核酸消化酵素に関する研究」 で農芸化学賞 を受賞する。 フリッツ・アルベルト・リップマンとの共同研究による共著論文 がある。 応用化学者の向井參之充と英文学者の母の間に生まれる。 熊本県立済々黌高等学校を卒業したのち、九州大学に入学。同大学を卒業し、大学院を修了。九州大学助教授、教授を経て、同大学名誉教授。九州大学を定年退官したのち、尚絅短期大学教授に就任するも、在職中に熊本市内で急死。
荒巻 禎一(あらまき ていいち、1931年(昭和6年)7月2… 荒巻 禎一(あらまき ていいち、1931年(昭和6年)7月22日 - )は、日本の政治家、弁護士。元京都府知事。 旧制福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)4年修了、旧制福岡高等学校1年修了、九州大学法学部卒業
瀬野 精一郎(せの せいいちろう、1931年7月20日 - … 瀬野 精一郎(せの せいいちろう、1931年7月20日 - 2022年1月11日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専門は日本中世史、主な研究対象は中世武士。 長崎県佐世保市生まれ。1954年九州大学文学部国史学科卒業。1957年同大学院修士課程修了、九大助手。1960年東京大学史料編纂所教務職員、1962年同助手、1976年同助教授、1977年早稲田大学文学部助教授、1978年「鎭西御家人の研究」で早稲田大学文学博士。1982年同教授。2002年定年退職、名誉教授。2022年1月11日、前立腺癌のため死去。90歳没。 門下生に海老澤衷(早稲田大学文学学術院教授)、久保健一郎(早稲田大学文学学術院教授)、高木徳郎(早稲田大学教育・総合学術院教授)、大塚ひかりなどがいる[要出典]。
三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年… 三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年7月14日)は日本出身の技術者、技術系管理者を経て、実業家。NHKで番組編成補助・自動送出などのコンピュータ化を行い、IBMで技術系部門の高級管理者として活躍し、IBM退社後には技術系投資ファンドを管理。
吉村 徳重(よしむら とくしげ、1931年(昭和6年)6月2… 吉村 徳重(よしむら とくしげ、1931年(昭和6年)6月23日 - )は、日本の法学者。専門は、民事手続法・民事訴訟法。九州大学名誉教授。元日本学術会議会員。2010年瑞宝中綬章受章。弁護士。福岡県生まれ。
阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年… 阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年1月 )は、教育学者、国立教育研究所名誉所員、福岡県立大学名誉教授。 北九州市出身。1954年九州大学教育学部卒、1959年同大学院教育史専攻博士課程満期退学、九大助手、福岡工業大学助教授、国立教育研究所に入り、アジア教育研究室長、名誉所員。福岡県立大学教授、2000年退官、名誉教授。南京師範大学名誉教授。1992年、「清末中国における近代学校制度の成立過程に関する研究」で九州大学より教育学博士を授与された。
日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2… 日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2023年5月23日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 鹿児島県出身。1956年に九州大学工学部機械工学科を卒業し、1960年に富士製鉄(現在の日本製鉄)に入社。 1987年に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1993年6月に山陽特殊製鋼副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に就任。 2023年5月23日老衰のために死去。92歳没。
池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 … 池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 年1月20日)は、山口県周南市の徳山大学を経営する学校法人徳山教育財団理事長。元東洋鋼鈑株式会社専務取締役兼下松工場工場長。北九州市小倉北区出身。2022年1月20日午前6時01分誤嚥性肺炎で死去。
山崎良也(やまざき よしや、1931年3月30日-2010年… 山崎良也(やまざき よしや、1931年3月30日-2010年11月15日)は、日本の経済学者。九州産業大学学長を務めた。 長崎県生まれ。長崎大学経済学部卒。1958年九州大学大学院博士課程満期退学。1964年「加速度原理と景気循環の一側面」で経済学博士。西南学院大学講師、滋賀大学経済学部助教授、熊本大学教養部助教授、九大経済学部助教授、教授、1990年九州産業大学教授、95年学長、2004年定年、名誉教授。
池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は… 池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は、日本の裁判官。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学法学部を卒業した。 広島地方裁判所(1960年着任)を皮切りに、佐賀地方裁判所唐津支部(1963年)・長崎地方裁判所(1966年)・熊本地方裁判所人吉支部(1969年)などで判事補を務めた。1972年に福岡地方裁判所の判事となる。1979年に福岡高等裁判所判事に移り、1984年からは熊本地方裁判所で第二部総括判事を務めた。 1989年に福岡地方裁判所小倉支部長に就任、1991年からは鹿児島地方裁判所長を務めた。1993年に福岡高等裁判所刑事部第二総括判事となった。 1996年3月15日に定年退官した。
石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、… 石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、日本の昆虫学者、東京都立大学名誉教授。初期には膜翅目の系統分類学の研究に携わり、やがてオサムシの種分化の研究を開拓した。 京都府生まれ。横浜国立大学理学部生物学科卒業。九州大学大学院農学研究科昆虫学専攻博士課程満期退学。1971年「日本産コツチバチ属の検討」で、理学博士(北海道大学)。国立科学博物館研究員、東京都立大学理学部教授、95年定年退官、名誉教授。
平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年… 平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年9月14日)は、日本の美術史学者、九州大学名誉教授 1931年、佐賀県で生まれた。九州大学文学部を卒業し、同大学大学院に進んだ。 修了後は九州大学文学部助手に採用され、その後奈良国立文化財研究所所員となった。1971年、九州大学文学部助教授に就いた。1978年に教授昇格。1995年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は長崎純心大学教授として教鞭をとった。1996年、学位論文『絵仏師の時代』を九州大学に提出して文学博士号を取得。2004年1月、講書始で「絵仏師」を御進講。 2013年9月、膀胱癌のため、自宅で死去。82歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 199… 藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 1994年7月24日)は、日本の作曲家、指揮者、音楽教育家である。 大分県竹田市生まれ。 幼児の頃から母に生田流箏曲を学ぶ。旧制福岡高等学校時代、福岡合唱協会で知り合った指揮者の石丸寛から影響を受ける。 九州大学工学部造船学教室へ進学し、1953年卒業。在学中より作曲を始める。同年、東京新聞主催の全国邦楽コンクール作曲部門で「和楽器と管弦楽協奏の為の一楽章」を自演(箏)して作曲部門の第1位となり、文部大臣賞、NHK賞を受賞。以後、放送音楽を中心とする作曲・指揮活動に入る。 作品には「東洋の楽器による交響曲・西遊記」(1967年文部省芸術祭レコード部門受賞)、「絲竹交響」、「伊勢物語抄」などの邦楽器楽曲、「北原白秋の詩による9つのカノン」、「筑紫のわらべ唄」などの合唱曲、オーケストラ作品等、作曲・編曲多数。