岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月… 岩元 達一(いわもと たついち、1909年(明治42年)9月1日 - 1982年(昭和57年)6月23日)は、日本の実業家、政治家。山形屋会長、貴族院多額納税者議員。 鹿児島県鹿児島市で、実業家・岩元善蔵(岩元信兵衛弟)の三男として生まれ、伯父・信兵衛の養嗣子となり、山形屋の6代目を継承した。第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1934年(昭和9年)慶應義塾大学法学部を卒業した。その後、東京銀座の松屋に入社し、デパート経営を経験した。 1935年(昭和10年)山形屋の取締役に就任し、1943年(昭和18年)会長となる。その他、田辺鉄工所監査役、新生工業副社長、日本瓦斯取締役、小牧組取締役などを務めた。
新田 圭二(にった けいじ、1909年〈明治42年〉8月27… 新田 圭二(にった けいじ、1909年〈明治42年〉8月27日 - 1996年〈平成8年〉12月14日)は、日本の政治家、経営者。山口県宇部市長(第17代)。宇部興産(現:UBE)取締役山陽無煙鉱業所長、日本石灰工業所社長。 1934年(昭和9年)、慶應義塾大学法学部を卒業。宇部興産(後のUBE)グループにおいて、同社取締役山陽無煙鉱業所長、宇部化学工業(後の宇部マテリアルズ)専務取締役を歴任した。1947年(昭和22年)4月22日、宇部市基本財産として多額の私財を寄付し紺綬褒章を受章。 また社業と並んで宇部市議会議員を務め、1952年(昭和27年)には教育委員会制度の発足に伴い市議会代表として教育委員に選出。
和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2… 和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2月21日 - 1997年 <平成9年> 10月18日)は日本の政治家。岩手県普代村長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 普代村出身。盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進むが、健康を害して中退、普代に戻った。 1933年、普代村で約600人の死傷者を出した昭和三陸地震の津波を体験した。後に著した回想録『貧乏との戦い四十年』では「阿鼻叫喚とはこのことか。堆積した土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時にはなんと申し上げてよいか、言葉も出なかった」と述懐している。 普代村役場で働いたのち、1947年に村長選挙に出馬して当選し、以後1987年まで10期40年に亘り務める。
有馬 英治(ありま えいじ、1908年3月27日 - 197… 有馬 英治(ありま えいじ、1908年3月27日 - 1976年5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 福岡県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、時事新報経済部記者を経て読売新聞政治部記者となる。 第21回衆議院議員総選挙で当選し護国同志会を経て無所属倶楽部に所属。政府提出の市町村制改正案に対して官僚の権力増強案だとして反対して議会に波乱をおこし、東條英機の怒りを買って指名召集を受け軍隊に強制入隊。のちに復員し、商工大臣秘書官、大蔵省委員、商工省委員。 戦後は推薦議員のため公職追放となり、追放解除後は鳩山一郎の側近として活躍し、鳩山内閣で内閣総理大臣秘書官。第2次池田第1次改造内閣で運輸政務次官、次いで鉄道建設、九州地方開発各審議会委員。
長谷山 行毅(はせやま こうき、1908年(明治41年)3月… 長谷山 行毅(はせやま こうき、1908年(明治41年)3月10日‐ 1977年(昭和52年)11月23日) は、昭和期の検察官、弁護士、政治家。参議院議員(1期)、秋田県雄勝郡田代村長。 秋田県雄勝郡田代村(現羽後町田代)で生まれた。1932年(昭和7年)慶應義塾大学法学部を卒業し、その後、同大学院を修了した。 1937年(昭和12年)検事に任官し、東京地方裁判所検事局、札幌地方裁判所検事局などで勤務した。戦後に帰郷して、1947年(昭和22年)田代村長に就任し、秋田県町村会副会長などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で秋田県地方区から自由党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
岡崎 真一(眞一、おかざき しんいち、1907年〈明治40年… 岡崎 真一(眞一、おかざき しんいち、1907年〈明治40年〉5月4日 - 1971年〈昭和46年〉1月20日)は、昭和期の実業家、政治家。岡崎財閥の2代目総帥岡崎忠雄の長男。義父に大谷尊由。 兵庫県出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学経済学部を1932年(昭和7年)に卒業し鐘紡、岡崎汽船を経て、神戸海上運送火災保険に入社した。同社取締役を歴任して、昭和19年(1944年)3月、戦時経済・金融統制の下、横浜火災海上保険、共同火災海上保険、朝日海上火災保険(楽天損害保険との旧社名と同じだが無関係)と4社が合併して誕生した、同和火災海上保険の新社長に就任した。 戦後は、東京衡機製造所、日豊海運など岡崎家系列の企業の社長や、日本航空、日本テレビ、東洋パルプなどの取締役、1955年(昭和30年)から1964年(昭和39年)に掛けて神戸商工会議所会頭を務めたのに加え、日本商工会議所副会頭も歴任した。
木島 公之(きしま きみゆき、1904年〈明治37年〉9月8… 木島 公之(きしま きみゆき、1904年〈明治37年〉9月8日 - 2001年〈平成13年〉)は、日本の実業家、政治家。鳥取県八頭郡若桜町長。鳥取県議会議長(45代、48代、54代)。日本海新聞社長。自民党鳥取県連顧問。 鳥取県八頭郡若桜村(現・若桜町)出身。木島岩太郎の長男。1929年(昭和4年)、慶應義塾大学経済学部を卒業する。林業を営む。27歳で若桜運送取締役、ついで大同木材、若桜林材などの経営に参画する。 1944年(昭和19年)、若桜町長に選ばれる。終戦後の最初の衆議院選に進歩党(のちの民主党)公認として出馬したが、次点に終わる。1951年(昭和26年)、県議選に出馬して当選する。 1952年(昭和27年)6月24日、県議会議長に就任する。
連 震東(れん しんとう、1904年〈明治37年〉4月23日… 連 震東(れん しんとう、1904年〈明治37年〉4月23日 - 1986年〈民国75年〉12月1日)は、中華民国の政治家。中国国民党所属で、第1期(中国語版)国民大会代表、台北県長、内政部長などを歴任した。日本統治下台湾の台南庁(現:台南市)出身の本省人。字は定一。歴史学者の連横(中国語版)は父で、中華民国副総統、中国国民党主席などを歴任した連戦は長男。 1904年(明治37年)、台南庁(現:台南市)で生まれる。板橋林家の林熊徵(中国語版)から資金援助を受けて内地の慶應義塾大学経済学部に進学し、1929年(昭和4年)に卒業した。台湾に戻ると昭和新報に入社した。 1931年(昭和6年)4月10日、父の連横が中国国民党・国民政府の元老であり旧友の張継に手紙を書き、連震東に対し「台湾を解放したければ、まず祖国を建設しなければならない。
山崎 始男(やまさき もとお、1904年(明治37年)3月1… 山崎 始男(やまさき もとお、1904年(明治37年)3月18日 - 1983年(昭和58年)10月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岡山県吉備郡総社町(現総社市)で、米穀問屋・山崎重の長男として生まれる。岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1931年(昭和6年)慶應義塾大学政治学科を卒業した。名古屋市において製陶会社で勤務したり木材関係貿易に従事した。1944年(昭和19年)に帰郷し会社経営を行う。 1948年(昭和23年)初の公選制による岡山県教育委員に選出され、1949年(昭和24年)副委員長に就任。1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で岡山県第2区から出馬して初当選。
渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)… 渡辺 浩太郎(わたなべ こうたろう、1904年(明治37年)2月17日 - 1994年(平成6年)11月28日)は、日本の政治家。新潟市長、全国市長会会長。
荊木 一久(いばらぎ かずひさ、1903年(明治36年)11… 荊木 一久(いばらぎ かずひさ、1903年(明治36年)11月13日 - 1952年(昭和27年)1月4日)は、衆議院議員(日本進歩党→民主党)、弁護士。 新潟県中頸城郡春日村(現在の上越市)出身。荊木久三郎の長男として生まれた。1927年(昭和2年)に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1929年(昭和4年)に高等試験に合格した。原法律事務所に勤務の後、1931年(昭和6年)に高田市に事務所を開いた。春日村会議員、新潟県会議員、同参事会員に選出された。 戦後の1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選。第23回でも再選された。その間、日本進歩党常議員、同監察副部長、同部長、民主党政務調査会理事を歴任した。
木村 禧八郎(きむら きはちろう、1901年2月2日 - 1… 木村 禧八郎(きむら きはちろう、1901年2月2日 - 1975年5月13日)は、日本の政治家、経済評論家。日本社会党参議院議員。野党随一の財政政策通として知られて、特にインフレーション抑止政策を一貫して主張した。 東京の呉服商の家に生まれた。少年時代から勉強好きで知られ、1924年、慶應義塾大学経済学部を卒業する。同年時事新報に入社し、経済記者として活躍する。その後、毎日新聞、エコノミストを経て、戦後は北海道新聞に移り論説委員長を務める。記者時代からインフレーションに強い関心を持ち、1939年、岩波書店から『インフレーション』を出す。 1947年、第1回参議院議員通常選挙に社会党公認で全国区から立候補し当選する。
殷 体新(いん たいしん、1901年または1902年 – 1… 殷 体新(いん たいしん、1901年または1902年 – 1939年3月23日)は、中華民国の政治家。冀東防共自治政府に参与した人物で、政務長官・殷汝耕の甥である。 日本に留学し、慶応義塾大学経済学部を卒業。 1935年(民国24年)11月24日、冀東防共自治委員会が成立した。この際に殷体新は、委員長・殷汝耕の下にある8委員の1人となった。翌月に冀東防共自治政府へ改組されると、殷体新は参政の地位に移る。1936年(民国25年)4月に秘書長兼外交処長・池宗墨が満洲国との修好使節として新京に向かった際には、殷体新も同行している。 同年夏、自治政府実業庁が建設庁から分離されると、殷体新が実業庁長に任命された。
大谷 贇雄(おおたに よしお、1900年11月2日 - 19… 大谷 贇雄(おおたに よしお、1900年11月2日 - 1970年12月23日)は、日本の政治家。名古屋市会議員(2期)、参議院議員(3期)。愛知県教育委員長(初代)、農林政務次官、参議院懲罰委員会委員長などを歴任した。位階勲等は従三位勲二等。 明治33年(1900年)11月2日、学校法人桜花学園の創立者である大渓専の長男として、鹿児島県に生まれる。鹿児島市出身。2歳になるまでを鹿児島、姫路にて過ごした後に、父の郷里である愛知県幡豆郡横須賀村(後の吉良町、西尾市)で育つ。大正8年(1919年)3月に旧制尾張中学校(現・名古屋大谷高等学校)を卒業した。 大正14年(1925年)3月に慶應義塾大学文学部を卒業すると、桜花高等女学校(現・桜花学園高等学校)で教鞭をとった。
木村 守江(きむら もりえ、1900年4月6日 - 1996… 木村 守江(きむら もりえ、1900年4月6日 - 1996年11月3日)は、日本の政治家、医師。福島県知事(公選第6-9代)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)を務めた。男性。 現在の福島県いわき市四倉生まれ。旧制磐城中学(現福島県立磐城高等学校)、慶應義塾大学医学部を経て医学博士、開業医となる。1938年1月、歩兵第65連隊の軍医として南京での捕虜の扱いについて『磐城時報』に軍事郵便で報告を寄せている。第二次世界大戦でも軍医でニューギニアなどで従軍。 1950年の第2回参議院議員通常選挙に福島県選挙区からで自由党から立候補し、当選。参議院議員を1期務めた後、衆議院に鞍替えし、1958年の第28回衆議院議員総選挙で旧福島3区から出馬して初当選(自民党)、以後3期連続当選を果たす。
竹山 晋民(たけやま しんみん、本名は竹山 晋一郎=たけやま… 竹山 晋民(たけやま しんみん、本名は竹山 晋一郎=たけやま しんいちろう、1900年 - 1969年)は、日本の鍼灸師・ジャーナリスト・政治家。 茨城県真壁郡出身。早稲田実業学校を経て1925年に慶應義塾大学経済学部を卒業、大阪時事新報に入社し社会部記者となる。病を得て一時危篤状態に陥った際に漢方医の治療で一命を取り留めたことから東洋医学に関心を持ち、駒井徳三の紹介で1938年に雑誌『東邦医学』編集部入り。1939年に弥生会(現経絡治療学会)の世話人となる。1941年に漢方医学復興の理論を出版し、1942年に鍼灸師資格を取得。戦後は1953年の第26回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で茨城県第3区から出馬したものの落選した。
小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年… 小野瀬 忠兵衛(小野瀨忠兵衞、おのせ ちゅうべえ、1899年(明治32年)8月21日 - 1977年(昭和52年)12月11日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 茨城県新治郡九重村生まれ、同県河内郡龍ケ崎町出身。旧制土浦中学校(現茨城県立土浦第一高等学校)、慶應義塾大学部理財科を卒業後、興亜製作所社長、茨城県塩業株式会社取締役。 次いで茨城県肥料卸商業組合、竜ヶ崎地方生活必需品配給統制組合、同食料品配給統制組合、同食糧営団格理事長。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に茨城全県区から出馬し当選。衆議院経済安定委員長となり、茨城県司法保護委員。日本進歩党院内総務、民主党民情部長、民主自由党会計監督を務める。
柴田 兵一郎(しばた ひょういちろう、1899年(明治32年… 柴田 兵一郎(しばた ひょういちろう、1899年(明治32年)6月4日 - 1976年(昭和51年)3月30日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員、岩手県岩手郡沼宮内町長。岩手町名誉町民。正四位勲二等。 岩手県岩手郡沼宮内町(現岩手町)で、柴田兵右衛門の孫として生まれた。1924年(大正13年)3月、慶應義塾大学経済学部を卒業。1925年(大正14年)に第一銀行に入り、東北銀行初代頭取、盛岡電燈取締役、沼宮内信用組合長、同農会長等のほか、沼宮内町長(1931年5月から3期在任)、盛岡地方裁判所人事調停委員などを務めた。 1939年(昭和14年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し、同和会に所属して1946年(昭和21年)4月16日まで在任。
恒松 安夫(つねまつ やすお、1899年(明治32年)3月1… 恒松 安夫(つねまつ やすお、1899年(明治32年)3月18日 - 1963年(昭和38年)5月20日)は、日本の政治家・歴史学者。島根県知事(2期)、大田市名誉市民。政治家・恒松隆慶の孫。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 島根県安濃郡長久村(現大田市長久町)で、恒松嘉吉・ケン夫妻の二男として生まれる。杵築中学校(現島根県立大社高等学校)在学中は剣道に励んだ。祖父隆慶と岡本かの子の父・大貫寅吉が親しかったことから、慶應義塾大学予科に進学後、岡本一平・かの子の家に寄宿していた。岡本夫妻はともに家事家計が苦手であり、見るに見かねて手伝っているうちに家事一切や幼い息子太郎の世話、夫妻の給金や原稿料の貯蓄、かの子の執筆のための資料集めや原稿の清書までやる羽目になったという。
池田 政鋹(いけだ まさとし、1899年(明治32年)1月3… 池田 政鋹(いけだ まさとし、1899年(明治32年)1月30日 - 1945年(昭和20年)7月17日)は、日本の官僚・政治家。貴族院議員、子爵。従四位勲四等、研究会所属。 岡山県生まれ。本籍地は東京府。池田詮政の二男。伯父(詮政の兄)で鴨方藩知事であった池田政保の養子となる。 1924年(大正13年)、慶應義塾大学法学部を卒業。同年以降、臨時帝室編修官補、拓務属、朝鮮総督秘書官となるほか、麻布銀行取締役となる、また拓務省、大東亜省各委員、朝鮮農地開発営団監事などになる。 1937年(昭和12年)2月4日、養父が隠居し、家督を相続し同月15日、子爵を襲爵した。1939年(昭和14年)5月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し死去するまで在任した。
常岡 一郎(つねおか いちろう、1899年〈明治32年〉1月… 常岡 一郎(つねおか いちろう、1899年〈明治32年〉1月12日 - 1989年〈昭和64年〉1月2日)は、日本の政治家、参議院議員(2期)、宗教家、文筆家。 1899年(明治32年)福岡県糟屋郡古賀町(現古賀市)に生まれる。慶應義塾大学部理財科に在学していたが、卒業前に結核に倒れ、同大学を中退。闘病と共に天理教の修養を始める。 1935年(昭和10年)修養団体『中心社』を創設。その後、月刊誌「中心」を主宰し中心社主幹。この他、養護施設中心学園、養護老人ホーム中心荘を経営して社会福祉に貢献、健康学園を創建。兼ねてよりの持論である5健運動を推進する。 1950年(昭和25年)第2回参議院議員通常選挙全国区に緑風会から出馬し参議院議員に当選。
星野 靖之助(ほしの やすのすけ、1899年(明治32年)1… 星野 靖之助(ほしの やすのすけ、1899年(明治32年)1月1日 - 1988年(昭和63年)10月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 大分県出身。星野太三郎の長男として生まれる。大分県立大分中学校を経て、1925年(大正14年)3月、慶應義塾大学経済学部を卒業した。 同年4月、三井鉱山に入社し、1927年(昭和2年)3月、三井合名会社に転じた三井総元方情報主任となり、司法省刑事局嘱託、内務省警保局嘱託も務めた。1942年(昭和17年)4月の翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け旧北海道4区から出馬して当選、衆議院議員を1期務めた。この間、翼賛政治会総裁秘書、小磯内閣で小林躋造国務大臣秘書官、行政査察使随員、幣原内閣で海軍参与官、同第二復員参与官などを歴任。
大西 禎夫(おおにし よしお、1898年〈明治31年〉9月2… 大西 禎夫(おおにし よしお、1898年〈明治31年〉9月28日 - 1966年〈昭和41年〉3月30日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。 香川県三木郡氷上村長楽寺(現三木町長楽寺)で大西行礼の三男として生まれる。高松中では野球部に入部し、1915年にはエースとして第1回甲子園への出場を果たしている。1921年(大正10年)慶應義塾大学部理財科を卒業した。 卒業後は帰郷して讃岐信託に入社。そのかたわら母校・高松中の野球部監督に就任。26年夏、28年春夏連続の甲子園出場を果たしている。その後1935年には讃岐信託の常務となった。 1945年(昭和20年)高松琴平電気鉄道社長に就任して、21年間在任した。
川野 芳満(川野 芳滿、かわの よしみつ/ほうまん、1898… 川野 芳満(川野 芳滿、かわの よしみつ/ほうまん、1898年(明治31年)9月22日 - 1979年(昭和54年)7月2日)は、日本の政治家、衆議院議員(9期)。 現在の宮崎県宮崎市で生まれた。1919年(大正8年)慶應義塾大学専修科卒業。 宮崎市議会議員、宮崎県通貨安全委員会会長を経て、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に日向民主党から初当選、日本自由党から自由党、自由民主党へと所属政党を替えながら当選9回。両院法規委員会委員長、大蔵委員会、運輸及び交通委員会、社会労働委員会各委員長を経て、第三次鳩山内閣の通商産業政務次官となる。藍綬褒章を受章し、証券民主化議員連盟委員長、宮崎県酒造組合、全国酒卸協同組合各連合会長、全国酒造組合中央会理事などを務めた。
鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年… 鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年〉4月28日 - 1969年〈昭和44年〉3月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 群馬県前橋市連雀町(現・本町)で、鈴木留太郎の長男として生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科に進んだが、父の病により帰郷して家業を継承した。 1934年(昭和9年)群馬林業社長、全国燃料組合理事組合長に就任。その他、群馬県木炭連合会長、同燃料林産組合長、全国燃料組合連合会副理事長、前橋商工会議所商業部長、群馬県商工倶楽部理事長、全国燃料会館副理事長、前橋文化服装学院(現前橋文化服装専門学校)理事、日本燃料機社長、鈴木商会社長などを務めた。
住谷 啓三郎(すみや けいざぶろう、1897年〈明治30年〉… 住谷 啓三郎(すみや けいざぶろう、1897年〈明治30年〉7月12日 - 1975年〈昭和50年〉1月27日)は、日本の政治家。高崎市長(1955年 - 1971年)、高崎市議会議員、同議長。 高崎市田町の荒物問屋、住谷喜平の長男として生まれる。旧制高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)を経て、慶応大学理財科に進むも中退し、1920年(大正9年)早稲田大学専門部法律科を卒業。少壮実業家として高崎セロファン工場を起業する傍ら、高崎中学の同窓であった井上房一郎や蠟山政道と高崎新人会を創設。1932年(昭和7年)に高崎市議会議員に当選し、翌1933年(昭和8年)に市議会議長に選ばれる。戦後は関東ロクロ会社を設立し社長に就任した。
高橋 長治(たかはし ちょうじ、1897年(明治30年)5月… 高橋 長治(たかはし ちょうじ、1897年(明治30年)5月21日 - 1981年(昭和56年)12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員、神奈川県会議長。 神奈川県、現在の横浜市南区で生まれる。1918年(大正9年)慶應義塾大学部理財科を卒業した。 1928年(昭和3年)神奈川県会議員に選出され(5期在任)、さらに、同議長(2期)、同行政監査委員長、同公安委員会長、同観光審議会副会長、横浜市観光協会(現横浜観光コンベンション・ビューロー)副会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に神奈川県第1区から民主党公認で立候補して当選。第25回総選挙では改進党から立候補して当選し、衆議院議員を通算2期務めた。
山中 義貞(やまなか よしさだ、1897年3月5日 - 19… 山中 義貞(やまなか よしさだ、1897年3月5日 - 1986年2月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 愛媛県出身。慶應義塾大学部理財科修業。土居村(のち土居町、現在の四国中央市)議、愛媛県議、小作調停委員、村農会長、宇摩郡煙害調査会長、愛媛県山林会評議員、土居村青少年団長、愛媛県青少年団副団長などを務める。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では愛媛2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。1951年追放解除。 このほか芸備銀行、伊予電気鉄道各(株)監査役、愛媛新聞、山中商店、南海放送各(株)社長、第一石産、日本ベルト各(株)会長、広島銀行、伊予鉄道各(株)取締役、県工業俱楽部会長、県体育協会会長、県公安委員、全日本剣道連盟副会長を歴任した。
武藤 嘉一(むとう かいち、1897年(明治30年)2月20… 武藤 嘉一(むとう かいち、1897年(明治30年)2月20日 - 1968年(昭和43年)7月23日)は、日本の政治家・教育者。衆議院議員。慶應義塾大学教授。武藤醸造所社長。 岐阜県出身。武藤嘉門の息子。慶應義塾大学部理財科卒業。慶大卒業後、アメリカに留学。帰国後は慶應義塾大学教授、菊川酒蔵社長、旭紡績社長などを歴任。 1946年(昭和21年)4月、戦後初の総選挙にて初当選。1952年(昭和27年)8月の解散までの約6年衆議院議員を務める(当選3回)。 1963年(昭和38年)4月、各務原市長選に立候補し当選。初代各務原市長となる。1967年5月の春の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する。
寺田 甚吉(てらだ じんきち、1896年(明治29年)12月… 寺田 甚吉(てらだ じんきち、1896年(明治29年)12月21日 - 1976年(昭和51年)1月24日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員。寺田甚与茂の長男。妻は元女優の筑波雪子。正四位勲二等、研究会所属。職業野球チーム・南海軍(現在の福岡ソフトバンクホークス)創設者・初代オーナー。 大阪府出身。慶應義塾大学卒業。甚与茂の死去後は、寺田合名会社社長をはじめ、和泉銀行頭取、南海鉄道、岸和田紡績(後の大日本紡績、現在のユニチカ)、日本純生食品工業各社長を歴任した。南海鉄道社長時代には阪急電鉄の小林一三と阪神電鉄取締役の細野躋に誘われる形で現在の福岡ソフトバンクホークスの源流に連なる職業野球チームの南海軍を創設し、初代オーナーを務めた。
綿貫 佐民(わたぬき すけたみ、1896年〈明治29年〉4月… 綿貫 佐民(わたぬき すけたみ、1896年〈明治29年〉4月25日 - 1950年〈昭和25年〉9月7日)は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員の綿貫民輔は長男。 兵庫県三原郡賀集村(現・南あわじ市)の南家に生まれる。父は兵庫県議、自由民権家の南嘉五郎。慶應義塾大学部理財科卒。卒論は交通経済学。卒業後は日本電力に入社し、日本電力社員として小牧ダム建設のため富山県井波町(現・南砺市)に入る。ダム建設反対運動のさなか、運動家たちとの接触を通じてダム反対派の中心メンバーの一人だった綿貫栄と知り合う。綿貫栄らが条件闘争派として反対運動からの分派行動をとる過程で親しくなり、綿貫栄の長女と結婚する。綿貫栄の長男が交通事故で亡くなったため婿として綿貫家に迎えられる。
鈴木 忠吉(すずき ちゅうきち、1895年(明治28年)12… 鈴木 忠吉(すずき ちゅうきち、1895年(明治28年)12月9日 - 1962年(昭和37年)1月25日)は、昭和時代の政治家。実業家。衆議院議員。静岡県賀茂郡下田町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉。 静岡県賀茂郡下田町(現・下田市)に生まれる。自宅は、江戸時代から続く廻船問屋「雑忠(さいちゅう)」。父も明治末期と大正初期に当時の下田町長をつとめている。賀茂郡立中学豆陽学校を経て[要出典]、慶應義塾大学部理財科に学ぶ。 下田町会議員、同町長(在任:1935年(昭和10年)2月 - 1936年(昭和11年)4月)を歴任。ほか、全国貨物自動車運送事業組合理事、同静岡県組合理事長、下田船渠、東海自動車各取締役、東海パルプ、伊豆合同電気各監査役、伊豆通運、東海自動車各社長を務めた。
9代九鬼 紋七(くき もんしち、1895年(明治28年)10… 9代九鬼 紋七(くき もんしち、1895年(明治28年)10月13日 - 1990年(平成2年)11月17日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)を務めた。旧名・徳三、号・寿園。 三重県出身。四日市で代々肥料商を営む大地主の長男として生まれる。家業を継いだ父親の先代紋七は三重県の多額納税者であり、九鬼産業の重役を務めた。1921年慶應義塾大学部理財科卒業。1927年に父親が死去し、家督を相続。英国留学、欧米視察の後、東洋紡績監査役、東洋電線監査役、日本無線電信取締役、三重銀行頭取などを務め、1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後、日本進歩党に加入するが、推薦議員のため公職追放となる。
井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月… 井之口 政雄(いのぐち まさお、明治28年(1895年)4月28日 - 昭和42年(1967年)6月30日)は、日本の政治運動家、革命家、ジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)。 沖縄県那覇市出身。1912年(大正元年)鹿児島一中を卒業、1916年(大正5年)慶應義塾大学部予科に入学し、卒業。1918年(大正7年)同大学部理財科に進む(後に中退)。在学中に、「日本社会主義同盟」、山川均らが主宰していた水曜会で活躍。1921年(大正10年)12月より翌年11月まで一年志願兵として鹿児島歩兵連隊に入隊。24年春から秋頃まで大阪の『関西日報』の記者となる。 1923年(大正12年)に日本共産党に入党。
八木 幸吉(やぎ こうきち、1895年(明治28年)2月25… 八木 幸吉(やぎ こうきち、1895年(明治28年)2月25日 - 1976年(昭和51年)7月26日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 大阪府大阪市出身。八木商店創業者八木与三郎の二男として生まれる。1917年(大正6年)慶應義塾大学部理財科を卒業した。 鐘淵紡績(のちカネボウ)に入社し、営業部蚕業課長、兵庫工場長などを歴任。武藤山治の秘書となり、1919年(大正8年)ワシントンで開催の第1回国際労働会議に傭主側代表となった武藤に父の与三郎とともに随行して出席した。1921年(大正10年)武藤の次女二三子と結婚。 実業同志会理事に就任し、1930年(昭和5年)2月の第17回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。
松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1… 松本 淳三(まつもと じゅんぞう、1895年(明治28年)1月1日 - 1950年(昭和25年)10月9日)は、日本のプロレタリア詩人、無政府主義者、政治家。衆議院議員。本名・淳造。 島根県美濃郡高城村神田(現益田市)で、山口唯美、松本カノ夫妻の長男として生まれ、祖父養軒に養育された。1914年、島根県立浜田中学校を卒業し、慶應義塾大学部理財科に進んだが1916年に中退し、その後、西日本各地や東京などを放浪した。 1918年、久原鉱業佐賀関製錬所に作業員として就職。1920年、堺利彦の推薦で雑誌『中外』の記者となり、日本社会主義同盟に加盟。1921年、自由人連盟の演説会で右翼に刺された。同年9月、再刊された『種蒔く人』の同人となる。
奥 主一郎(奧、おく しゅいちろう、1894年(明治27年)… 奥 主一郎(奧、おく しゅいちろう、1894年(明治27年)9月12日 - 1976年(昭和51年)11月22日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、参議院議員。 京都府出身。政治家・奥繁三郎の長男として生まれる。1919年(大正8年)慶應義塾大学部理財科を卒業した。同年、三井銀行に入行した。 以後、京都倉庫社長、京都瓦斯副社長、愛宕山鉄道監査役、渡良瀬水電監査役、帝国瓦斯協会(現日本ガス協会)参事、丸物百貨店取締役、山城八幡銀行取締役、安田火災海上保険(現損害保険ジャパン)取締役、大日本政治会京都支部幹事長などを務めた。 1942年(昭和17年)京都府多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され、同年5月19日に就任し、交友倶楽部に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
町田 三郎(まちだ さぶろう、1894年〈明治27年〉9月3… 町田 三郎(まちだ さぶろう、1894年〈明治27年〉9月3日 - 1975年〈昭和50年〉9月30日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。渋川市長(2期)。 群馬県渋川市出身。父は米穀商で渋川町長もつとめた町田久三郎。1913年(大正2年)慶應義塾商工学校卒。翌年慶應義塾大学中退。 1920年(大正9年)から太平洋戦争中まで丸久組製糸所を経営した。1933年(昭和8年)渋川町会議員となり、1936年(昭和11年)から渋川町長を務めた。 生糸製造業に従事し、上毛精機、渋川製作所各(株)を創立し、社長となり、太平工業、吉野組製糸所、町田織物、東京建鉄各(株)の社長となる。群馬商工経済会理事も務める。
7代 野田 六左衛門(のだ ろくざえもん、1894年(明治2… 7代 野田 六左衛門(のだ ろくざえもん、1894年(明治27年)8月 - 1989年(平成元年)8月17日)は、明治から昭和時代の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。前名は文二。 滋賀県出身。先代六左衛門の二男。1902年に先代六左衛門が買収した今津酒造を子供ながら事業承継。1915年(大正4年)滋賀県立八幡商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)卒業、のち慶應義塾大学に進んだ。 1924年(大正13年)以降、野田酒造代表取締役、滋賀県地方木材社長、日野町耕地整理組合長、日野町会議員、同学務委員などを歴任した。 1939年(昭和14年)滋賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで務めた。
佐藤 洋之助(さとう ようのすけ、1894年(明治27年)7… 佐藤 洋之助(さとう ようのすけ、1894年(明治27年)7月9日 - 1984年(昭和59年)7月7日)は、日本の政治家、実業家。所属政党は戦前は立憲政友会→政友会革新同盟→日本進歩党、公職追放解除後は自由党→自由民主党。衆議院議員を通算10期務めた。 茨城県猿島郡古河町(現在の古河市)の旧家・佐藤長之助の長男として生まれる。慶応義塾大学中退。古河町会議員、茨城県会議員、同副議長を経て、1932年の第18回衆議院議員総選挙で茨城県3区(当時)から政友会公認で立候補して初当選。1939年の政友会分裂に際しては中島知久平が総裁を務める政友会革新派に参加。1942年の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。
金 度演(キム・ドヨン、朝鮮語: 김도연、1894年6月16… 金 度演(キム・ドヨン、朝鮮語: 김도연、1894年6月16日 - 1967年7月19日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。二・八独立宣言、朝鮮語学会事件で検挙された。本貫は永川金氏、号は常山(サンサン、상산)。 京畿道陽川郡の陽東面(金浦郡を経て現・ソウル特別市江西区)にて誕生。父は金鍾遠、母は草渓鄭氏。次男として誕生。7歳の頃から漢字を学習。太極学校で初等教育を受け、普成中学校に進学。 1913年に日本に留学し、錦城学校尋常中学校3年生に編入学。「半島中学会」という組織を作って活動。卒業後は慶應義塾大学部理財科に入学。朝鮮系留学生による組織『朝鮮留学生学友会』で総務として各種活動を主導。
中村 幸吉(なかむら こうきち、1894年 <明治27年> … 中村 幸吉(なかむら こうきち、1894年 <明治27年> - 1968年 <昭和43年> 2月19日)は、日本の政治家。三重県会議員を2期務めた後、初代鳥羽市長に就任し、鳥羽市の発展の基礎を築いた。位階は従五位。 慶應義塾大学教授で政治学者の中村菊男の父である。 1894年(明治27年)、三重県志摩郡答志村大字答志(答志島、現・鳥羽市答志町)に生まれる。父・与助は初代の答志村長や三重県会議員(2期)を務めた政治家であった。 鳥羽町会議員に当選したのを皮切りに政界入りし、1939年(昭和14年)11月に三重県会議員選挙の志摩郡選挙区で石原円吉とともに当選した。1943年(昭和18年)11月の改選は任期延長のため実施されず、1947年(昭和22年)4月の選挙まで県会議員を務めた。
4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26… 4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26年〉11月4日 - 1967年〈昭和42年〉11月21日)は、日本の資産家、実業家、政治家(貴族院多額納税者議員)。「弥右衛門」の名前は代々襲名されており、本記事に記載するのは4代目である。 岩手県稗貫郡花巻町出身。出生名は周蔵。花巻町でも有数の豪農である瀬川家に、3代弥右衛門の子として生まれ、父の死去に伴い1922年(大正11年)1月に家督を相続し弥右衛門を襲名した。 慶應義塾大学経済学部を卒業。父が没した1922年の時点では瀬川家は県下一の多額納税者であった。この時期には農家から貸金業に中心は移っていたとみられている。豊富な資金を岩手軽便鉄道・花巻電気などに投資し、その役員となった。
前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31… 前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31日 - 1970年(昭和45年)6月2日)は、日本の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県名草郡安原村字吉原(現・和歌山市)で前田和一の長男として生まれ、1910年、前田勝之助の養子となる。北海道庁立上川中学校を経て、慶應義塾大学部理財科で学んだ。北海道に戻り農業を営む。 旭川信用組合監事、北日本無尽 (株) 監査役、下村育英財団理事、前田和一商店社長、旭川小型モータース社長、旭川信用金庫理事、旭川瓦斯 (株) 常任監査役、人事調停委員などを務めた。 政界では、旭川市会議員、同議長、北海道会議員、同参事会員を歴任。この間、旭川市長候補者に推薦されたが承諾しなかった。
塩川 政巳(しおかわ まさみ、1893年〈明治26年〉3月2… 塩川 政巳(しおかわ まさみ、1893年〈明治26年〉3月29日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。佐久銀行頭取。浅間山観光、塩久各社長。長野県会議員。曹洞宗玄江院総代会長。 長野県・塩川幸太の長男。塩川三四郎の甥。1917年、慶應義塾大学部政治学科を卒業。第一銀行に入行。1923年、佐久銀行に転じる。1936年、家督を相続する。 佐久銀行常務を経て頭取に就任。長野貯蓄銀行、千曲自動車各監査役、東京美術館取締役、浅間山観光、塩久各社長、県選管委員長などをつとめる。 宗教は曹洞宗、禅宗。趣味はスポーツ、美術品愛好、運動、俳諧。長野県小諸市在籍で、住所は長野県北佐久郡三岡村森山(現・小諸市森山)、東京宅は赤坂区丹後町。
木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・正一(まさかず)、18… 木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・正一(まさかず)、1893年〈明治26年〉2月17日 - 1967年〈昭和42年〉7月10日)は、日本の政治家、実業家、群馬県多額納税者。位階は正三位。衆議院議員(8期)、参議院議員(2期)、運輸大臣。伊香保温泉の旅館業、木暮旅館主。群馬県観光協会、日本温泉協会各会長。群馬銀行取締役会長、関東いすゞ自動車販売社長、群馬バス社長。25代目武太夫。 群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)出身。先代・木暮武太夫(元衆議院議員)の長男。 1912年(明治45年)、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒業。1917年(大正6年)、慶應義塾大学理財科を卒業。はじめ三井銀行に勤めたが、退社して家業の旅館業に従事した。
阿部 時一 (あべ ときいち、1892年(明治25年)12月… 阿部 時一 (あべ ときいち、1892年(明治25年)12月4日 -1957年(昭和32年)10月17日)は、日本の地方政治家。初代岩手県一関市長。 岩手県西磐井郡一関町(現・一関市)生まれ。1921年慶應義塾大学部理財科卒。卒業後は第三銀行に就職したが、間もなく退職した。帰郷し、1929年一関町会議員。その傍ら『磐井毎夕新聞』を発行。同紙は後に合併により『岩手日日新聞』となる。1938年保証責任西磐井郡北部販売組合連合会専務理事となるが、翌年退任。その後は一関町助役となる。 1947年一関町長に当選。翌1948年市制施行により一関市長に就任する。一関市は市制施行の年を挟みカスリン台風、アイオン台風の被害を大きく受け、多数の死者、行方不明者を出した。
田川 誠治(たがわ せいじ、1892年(明治25年)8月5日… 田川 誠治(たがわ せいじ、1892年(明治25年)8月5日 - 1965年 <昭和40年> 9月2日)は、日本の商人(米穀並びに酒類商)、実業家、政治家。位階は従六位。 神奈川県三浦郡田浦町(現横須賀市)出身。田川平三郎の二男。1916年3月、慶應義塾大学部理財科卒業。米穀並びに酒類商を営む。神奈川県会議員に当選し、2期つとめた。 横須賀酒類商業組合理事長、横須賀タクシー会長、湘南商事、神奈川県容器各社長、田浦土地建物、神奈川無尽、神奈川県油工業、神奈川県食糧工業各取締役、神奈川県食糧営団専務理事などをつとめた。1965年死去。死没日付をもって従六位に叙された。 自由主義者で、福沢諭吉の「独立自尊」を信奉しており、子供には干渉しなかった。
野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月3… 野坂 参三(のさか さんぞう、1892年〈明治25年〉3月30日 - 1993年〈平成5年〉11月14日)は、日本の政治家、共産主義者。衆議院議員(3期)、参議院議員(4期)。コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表、日本共産党の第一書記、議長、名誉議長などを務めたが、大粛清時代に同志の山本懸蔵らをNKVDに讒言密告して死刑に追いやっていたことが最晩年になって発覚し、日本共産党から除名された。初名は小野 参弎(おの さんぞう)。中国では岡野 進や林 哲とも称した。ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。 山口県萩市の商家に生まれる。3月30日生まれだったため参弎と名付けられた。9歳で母の実家である野坂家の養子となり、野坂姓となる。
関矢 孫一(關矢、せきや まごいち、1892年2月13日 -… 関矢 孫一(關矢、せきや まごいち、1892年2月13日 - 1942年5月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 新潟県北魚沼郡下条村(広瀬村、広神村を経て現魚沼市)で、素封家・関矢橘太郎、チエの二男として生まれた。慶応義塾大学に学ぶ。農業を営み、広瀬村信用組合監事、同理事、同村議、新潟県議、同議長、北魚沼郡青年団長、小出銀行取締役会長、堀ノ内銀行取締役、小出尾製糸(株)社長、北越殖民(株)監査役となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において新潟10区から憲政会公認で立候補して初当選。1928年の第16回衆議院議員総選挙には不出馬。1930年の第17回衆議院議員総選挙では新潟3区から立憲民政党公認で立候補して復帰した。