濁澤 一仁(にごりさわ かずひと、1970年5月15日 - … 濁澤 一仁(にごりさわ かずひと、1970年5月15日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 東海大学第一高校を経て、日本サッカーリーグ1部・ヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)に入団。ジャパンフットボールリーグを経て1995年にJリーグ昇格したが、7月にジャパンフットボールリーグ・鳥栖フューチャーズに期限付き移籍した。
東海大学:1,075人
濁澤 一仁(にごりさわ かずひと、1970年5月15日 - … 濁澤 一仁(にごりさわ かずひと、1970年5月15日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 東海大学第一高校を経て、日本サッカーリーグ1部・ヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)に入団。ジャパンフットボールリーグを経て1995年にJリーグ昇格したが、7月にジャパンフットボールリーグ・鳥栖フューチャーズに期限付き移籍した。
橋本 雄二(はしもと ゆうじ、1970年5月13日 - )は… 橋本 雄二(はしもと ゆうじ、1970年5月13日 - )は、茨城県日立市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 東海大学時代はユニバーシアード代表にも選出され、1993年から6年間、プロサッカー選手としてガンバ大阪、サガン鳥栖でプレー。引退後は指導者の道に進み、2004年にバンディオンセ加古川(旧名:セントラル神戸)の監督に就任し、2005年と2006年に関西リーグ1部連覇へと導いた。 2007年に佐川印刷SCの監督に就任。2008年に加古川の強化部長、2009年から監督に就任したが、加古川の経営難の責任を取る形で監督を退任した。 2017年よりレイジェンド滋賀FCの監督兼U-15テクニカルアドバイザーに就任した。
山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は… 山田 利彦(やまだ としひこ、1970年4月16日 - )は、日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。了徳寺大学教授。また、了徳寺学園の柔道部監督も務めている。 岡山県出身。東海大相模高校時代には団体戦で活躍して、1年と2年の時に全国高校選手権で3位、金鷲旗では2年と3年の時に2位、インターハイは1年と3年の時に3位、2年の時に2位となったものの、全国優勝までには至らなかった。しかし、インターハイ個人戦の重量級では3年の時に優勝している。さらに、新人体重別でも優勝を果たした。 東海大学に進学すると、1年と2年の時に優勝大会で優勝した。また、1年の時には早くも全日本選手権に出場を果たすものの、初戦で綜合警備保障の金野潤に敗れた。
山木 勝博(やまき かつひろ、1970年4月16日 - )は… 山木 勝博(やまき かつひろ、1970年4月16日 - )は熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 長崎県立国見高等学校では1学年上に二宮浩や吉田裕幸、同期に永井秀樹、1学年下に原田武男らがいる。2年時の高校総体では準優勝。冬の高校選手権(第66回)では、決勝の東海大学第一高校戦において決勝点となるボレーシュートを決め、同校の初優勝に貢献した。大会後には優秀選手に選ばれ、日本高校選抜の欧州遠征に参加した。3年時の高校選手権(第67回)ではベスト8に終わったが前年に続き優秀選手に選ばれた。 高校卒業後に駒澤大学へ進学したが、その後中退し、1992年に日本サッカーリーグ2部の住友金属工業蹴球団に加入。
大石 博暁(おおいし ひろあき、1970年3月13日 - )… 大石 博暁(おおいし ひろあき、1970年3月13日 - )は、広島県出身の陸上競技(円盤投)・ボブスレー選手である。現在はスポーツトレーナーをしている。 広島県に生まれ、崇徳高等学校から東海大学体育学部体育学科へ進み卒業する。1996年の広島国体には陸上競技の円盤投げ選手として出場し優勝する。その後、陸上競技とボブスレーの2足のわらじを履きながら、1996年にボブスレー日本代表入りをする。1998年には長野オリンピックのボブスレー日本代表として出場。竹脇直巳と男子2人乗りで結果は17位であった。男子4人乗りは15位。次の2002年ソルトレークシティオリンピックではパイロットとして出場し、三浦伸二との男子2人乗りで結果は29位。
伊東 浩司(いとう こうじ、1970年1月29日 - )は、… 伊東 浩司(いとう こうじ、1970年1月29日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本陸上競技・短距離走元選手、指導者。2020年4月より甲南大学全学共通教育センター教授。 多くの日本人選手が短距離界で活躍するネグロイドに合った走り方をしていた中、一人日本人に適した走り方を求め当時タブーとされていた「腕を軽く振る」「足をあまり上げない」「少し前傾姿勢」といった走法を取り入れた選手であった。その結果1998年に100mで10秒00の日本記録を打ち出した。この記録は2017年9月9日に桐生祥秀が9秒98を記録するまで、19年にわたって更新されなかった。 神戸市立鵯台中学校、報徳学園高等学校を経て、東海大学政治経済学部経済学科を卒業後、富士通株式会社に入社。
澤登 正朗(さわのぼり まさあき、1970年1月12日 - … 澤登 正朗(さわのぼり まさあき、1970年1月12日 - )は、静岡県富士宮市出身の元サッカー選手(MF)、元日本代表、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)・解説者。 Jリーグの初代新人王で、1999年にはベストイレブン、日本年間最優秀選手賞を受賞。1990年代の日本を代表する司令塔の一人で、フリーキックの名手。1992年のJリーグ加盟10チームの中で唯一実業団を母体としない市民球団として結成された清水FCエスパルス(現・清水エスパルス)の契約第3号選手(第1号大卒新人選手)で、プロデビューから引退までクラブ一筋のバンディエラ。 1990年代後半、クラブ消滅危機に瀕したエスパルスにあって、主将としてクラブ史上初のタイトル(Jリーグカップ)獲得をはじめ、J1ステージ優勝(年間勝ち点1位)や国際タイトル(ACWC99-00)獲得に貢献。
後藤 太郎(ごとう たろう、1969年12月24日 - )は… 後藤 太郎(ごとう たろう、1969年12月24日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。
土井 善和(どい よしかず、1969年11月26日 - )は… 土井 善和(どい よしかず、1969年11月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)、元コーチ。 寝屋川市立第二中学校時代はバレーボール部に所属。 大阪市立桜宮高等学校では2年秋からベンチ入りし、後に中日ドラゴンズに入団する1年先輩の矢野輝弘とバッテリーを組む。3年夏は大阪府大会ベスト4。野球部の1年先輩に矢野の他、後に漫才コンビ・ベイブルースを結成する河本栄得・高山知浩がいた。 進学した東海大学では、4年秋に首都大学野球リーグで最優秀投手賞を受賞したほか、全日本大学野球選手権大会にも出場している。 大学卒業後の1992年に日本生命に入社。杉浦正則らと共に長年にわたって主戦としてチームを支えた。
小宮山 修(こみやま おさむ、1969年11月4日- )は、… 小宮山 修(こみやま おさむ、1969年11月4日- )は、日本の馬術選手。東海大学出身。山梨県代表として、国体優勝11 回を含む19年連続入賞。全日本選手権優勝6回。釜山アジア競技大会2002の馬術、障害飛越団体で金メダルを獲得した。既婚。子どもあり。 中学3年生の時、障害飛越を始める。国体馬術成年男子で2013年まで18年連続入賞を果たす。全日本選手権では優勝6回(2011年)。2002 年プサンアジア大会では障害飛越団体金メダル(小宮山、森本、林、岡崎)、障害飛越個人4位。山梨県馬事振興センターに2015年まで所属。2016年より(株) ホースブリッジの取締役。現在はESJ専属エグゼクティブインストラクターも勤める。
下出 善紀(しもで よしのり、1969年10月27日 - )… 下出 善紀(しもで よしのり、1969年10月27日 - )は、日本の柔道家(6段)。石川県河北郡内灘町出身。
加藤 望(かとう のぞむ、1969年10月7日 - )は、宮… 加藤 望(かとう のぞむ、1969年10月7日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元柏レイソル監督。 東海大学時代まではFWでプレー。礒貝洋光や澤登正朗、山口素弘らと共に黄金期を築いた。 大学卒業後の1992年、柏レイソルの前身である日立製作所本社サッカー部に入団した。入団当初の2年間は出場機会に恵まれなかったが、「試合に出ている人と同じことをしていてはダメだ。練習をするしかない」という危機感から打ち込んで1994年には主力選手となり、同年の柏のJリーグ昇格に貢献した。翌1995年には日本代表候補にも選出された。
成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、… 成田 貴志(なりた たかし、1969年10月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)。身長185cm、体重75kg。北海道登別市出身。ポジションはセッター。 現在、熊本県・鎮西高校女子バレー部の監督を務めている。また、2020年よりアルテミス北海道のGMを務める。
本山 博幸(もとやま ひろゆき、1969年9月28日 - )… 本山 博幸(もとやま ひろゆき、1969年9月28日 - )は、日本の政治家、建築士。神奈川県松田町長(4期)。 佐賀県武雄市出身。東海大学工学部卒業。2000年(平成12年)頃、松田町に移り住んだ。住宅建築会社社長を務める。 2013年(平成25年)9月8日に行われた松田町長選挙に立候補。現職の島村俊介との一騎打ちを制し初当選した。9月23日、町長就任。 2017年(平成29年)、再選を果たす。2021年(令和3年)、3選。 その後、2025年(令和7年)9月に改選を迎える直前に、2014年(平成26年)に定めていた「連続して3期を超えて在任することのないよう努める」とするいわゆる多選自粛条例の廃止を求める住民の直接請求が町議会で審議され、同年5月3日に条例廃止を賛成多数で可決している。
伊藤 直人(いとう なおと、1969年8月15日 - )は、… 伊藤 直人(いとう なおと、1969年8月15日 - )は、ノルディックスキージャンプの元選手。 北海道稚内市生まれで5歳からジャンプを始める。兄の伊藤克彦はW杯出場経験がある元複合選手。下川町立下川中学校3年時の全国中学2位で頭角を現し、東海大四高では2年で世界ジュニア選手権代表、3年でインターハイ優勝。北海道東海大学3年時の札幌ユニバーシアード大会は個人(ノーマルヒル、ラージヒル)、団体の3冠に輝いた。1992年、雪印乳業に入社。W杯は95年ファルン大会(スウェーデン、ラージヒル)3位が最高で、同年ノルディックスキー世界選手権代表にも選ばれた。 1968年から連載、翌69年にはテレビ放送された漫画「タイガーマスク」の主人公伊達直人と名前が一字違いであることから、これにあやかりヘルメットとフェースガード、ジャンプスーツまでトラ柄にしてファンにアピールした。
石原 健次(いしはら けんじ、1969年7月29日 - )は… 石原 健次(いしはら けんじ、1969年7月29日 - )は兵庫県出身の放送作家である。 東海大学在学中の1990年に増本庄一郎、高野信宏とともにお笑いトリオ「インパクト」を結成。1999年に解散。『極楽とんぼのとび蹴りゴッデス』で放送作家に転身。放送作家として、主にテレビ番組の構成を手掛けている。 2010年、第2回沖縄国際映画祭で、最高賞となる審査員特別賞ゴールデンシーサー賞長編プログラム「“Laugh部門”海人賞グランプリ」の2冠を果たした、森三中の黒沢かずこが主演する映画『クロサワ映画』の脚本を担当する。 放送作家になったのはなりゆきであり、インパクト時代にマッコイ斎藤がパーソナリティーを務めていたSHIBUYA-FMの番組に呼ばれたのがきっかけ。
鈴木 竜馬(すずき りょうま、1969年7月 - )は、日本… 鈴木 竜馬(すずき りょうま、1969年7月 - )は、日本の音楽プロデューサー、音楽ビジネス実業家。東京都出身。 The Orchard Japan代表。元ワーナーミュージック・ジャパン執行役員で、同社内レーベル unBORDE の創設者・初代代表。 また、アーティストビジネスを横断的に支援する 株式会社CENTRO の代表取締役CEO を歴任した。 革新的なアーティストを輩出するunBORDEのレーベルヘッドとして、これまでに「きゃりーぱみゅぱみゅ」「ゲスの極み乙女。」「高橋優」「WANIMA」「あいみょん」など、数多くのアーティストをプロデュースして成功に導いてきた。また現場のA&Rとして携わってきた「RIP SLYME」や「BONNIE PINK」とは25年以上の付き合いとなる。
加藤 高康(かとう たかやす、1969年6月7日 - )は、… 加藤 高康(かとう たかやす、1969年6月7日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 東海大学では首都大学リーグで12試合登板し2勝2敗。NTT東北では2年目に補強選手として都市対抗野球に出場、秋の日本選手権では完投勝利でベスト4進出に貢献した。1993年のNPBドラフト会議前に、この年導入された逆指名制度を利用して千葉ロッテマリーンズを逆指名し、会議当日にロッテから1位で指名され交渉権を獲得。契約金1億6000万円、年俸1200万円(金額は推定)で入団した。この契約条件は同年時点で球界史上最強の契約条件であり、「大型左腕」「金田二世」「開幕即戦力」と高い期待をかけられた。 1994年に一軍デビューし、1完封を含む2勝を記録。
小泉 洋史(こいずみ ひろし、1969年5月25日 - )は… 小泉 洋史(こいずみ ひろし、1969年5月25日 - )は、神奈川県出身のドライバー・実業家。血液型はA型。身長は164cm、体重は55kg。 洗足学園小学校、東海大学付属相模高等学校・中等部、東海大学卒業。中学・高校・大学と柔道部に所属し、高校3年生の関東大会では60kg以下級で優勝もしている。大学卒業後はツムラ→プルデンシャル生命保険を経て独立し、セルフケア事業の会社を立ち上げて財を成したが、2024年現在は本人曰く「無職」である。 事業活動の傍ら、2004年にインテグラ関東シリーズに参戦してレース活動を開始。以後スーパー耐久やSUPER GT・GT300クラスなどに参戦する。2014年全日本F3選手権(Nクラス)にてシリーズチャンピオンを獲得し、当時のF3選手権における最年長チャンピオン(45歳)となった。
礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月… 礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月19日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身の元サッカー選手。元日本代表。 小学校時代に全日本少年サッカー大会に出場すると天才サッカー少年として脚光を浴びた。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。 1985年に帝京高校に入学すると1年生から10番を背負った。1986年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場した。 1988年に東海大学に入学すると澤登正朗と共に1年時からレギュラーとして全日本大学サッカー選手権大会を始め多くのタイトルを獲得した。また、1991年に日本代表に選出され、4月のスパルタク・モスクワ戦と5月のバスコ・ダ・ガマ戦でプレーしている(在学中はAマッチ出場は無し)。
南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日… 南 由紀夫(みなみ ゆきお、1969年4月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 北海道出身。東海大四高校時代、成田貴志・清水克彦らと共に春の高校バレーで2年連続決勝進出、1987年の第18回大会では同校史上初めての優勝を果たす。 1992年、富士フイルムに入社。身長は190センチに満たずセンタープレーヤーとしては小柄であったが、サウスポーから繰り出される速攻を武器に活躍。高校時代から一緒にプレーしてきたセッター・成田貴志との多彩なコンビネーションも、外国人選手を採用せずに戦う富士フイルムにとって大きな武器となった。2001年、現役を引退し、社業に専念。引退後は社業の傍らでバレーボール教室等の普及活動にも努めている。
勝又 清和(かつまた きよかず、1969年3月21日 - )… 勝又 清和(かつまた きよかず、1969年3月21日 - )は、将棋棋士。石田和雄九段門下。棋士番号は215。 神奈川県座間市出身。東海大学理学部数学科卒。 1983年に第8回中学生名人戦で優勝。その年に奨励会に入会。 1級までは順調に昇級したが、そこからの各昇段に2年以上ずつかかり、22歳でようやく三段に昇段する。しかし、三段リーグでも昇段のチャンスをつかめず、一時は退会も考えた。年齢制限(26歳)も迫っていた。 転機となったのは、第52期(1994年度)名人戦の七番勝負を戦う米長邦雄名人と羽生善治四冠の闘志あふれる姿を見たことだった。勝又は同年度4月 - 9月の第15回三段リーグでは昇級を逃すも、リーグ表順位で勝又より下の近藤正和と同星の12勝6敗の成績を収める。
鹿原 徳夫(かばら のりお、1969年2月8日 - )は、茨… 鹿原 徳夫(かばら のりお、1969年2月8日 - )は、茨城放送(IBS)の元アナウンサー。青森県三戸郡階上町出身。 2011年10月2日の『IT's きたかん』の放送をもって、担当番組から全て降板した。但し2023年の時点で全国高等学校野球選手権茨城大会の実況を担当している。
山口 素弘(やまぐち もとひろ、1969年1月29日 - )… 山口 素弘(やまぐち もとひろ、1969年1月29日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロサッカー選手(元日本代表キャプテン)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)、サッカー解説者。現役時代のポジションはMF、主にボランチ。 1984年、前橋育英高等学校入学。1985年、鳥取国体に群馬県代表として出場。1987年1月、全国高校サッカー選手権大会に出場。 1987年4月、東海大学に入学。1988年、全日本大学サッカー選手権大会で優勝(東海大学はこの年が同大会へ初出場であり、この年を含めて6年連続で決勝に進出した)。関東選抜(対関西選抜戦)に選出され、同試合にてMVPに選出される。また、1学年下で礒貝洋光、澤登正朗が加入し、ポジションを守備的ミッドフィルダーに移す。
栗原 正尚(くりはら しょうしょう、1968年12月12日 … 栗原 正尚(くりはら しょうしょう、1968年12月12日 - )は、日本の男性漫画家。東京都台東区出身。作品に『怨み屋本舗』がある。 東海大学教養学部卒業。1986年、17歳の時に江原正一名義で『週刊ヤングジャンプ』にてデビュー。大学在学中に『週刊少年ジャンプ』の月例賞(ホップ☆ステップ賞)で、審査員特別賞(荒木飛呂彦)を受賞。「ストレンジャー」が第44回(1992年下期)手塚賞佳作を受賞。「マップワールド」が第45回(1993年上期)手塚賞佳作を受賞。『ビジネスジャンプ』第153回月例一旗コミック新人賞にて「妻は復讐する」が佳作を受賞。 ペンネームを栗原正尚に変更。ビジネスジャンプ増刊『エクストラビージャン』にて『怨み屋本舗』の連載を2000年に開始。
岡中 勇人(おかなか はやと、1968年9月26日 - )は… 岡中 勇人(おかなか はやと、1968年9月26日 - )は広島県出身 の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。前日本文理大学サッカー部監督。
小野 克典(おの かつのり、1968年(昭和43年)8月26… 小野 克典(おの かつのり、1968年(昭和43年)8月26日 - )は、日本の政治家。埼玉県桶川市長(4期)、元埼玉県議会議員(2期)、元桶川市議会議員(2期)。日本会議地方議員連盟正会員。 埼玉県桶川市出身。桶川市立加納小学校、桶川市立加納中学校を経て、東海大学浦安高等学校、東海大学工学部建築学科卒業。20代で警備会社を立ち上げた。 1999年(平成11年)11月、桶川市議会議員に初当選。2003年(平成15年)、再選。 2007年(平成19年)4月、埼玉県議会議員に初当選。同年5月、中屋敷慎一、舟橋一浩、鈴木正人らとともに会派「無所属刷新の会」を立ち上げ、同会派の幹事長に就任する。2011年(平成23年)、再選。
巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は… 巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 帝京高等学校ではサッカー部に所属し、第63回全国高等学校サッカー選手権大会では1年生で早くも試合に出場している。決勝戦は長崎県立島原商業高等学校と対戦し、1対1で引き分け、両校優勝となった。国立競技場を経験したことについて「自分を大きく成長させてくれた場所である」と語っている。同期に岩本三郎、井出俊哉1学年下に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、2学年下に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、浅沼達也がいる。 東海大学を経て、1991年に日本サッカーリーグ2部に所属していたNTT関東サッカー部へ加入し 2シーズンを過ごす。
小島 圭市(こじま けいいち、1968年7月1日 - )は、… 小島 圭市(こじま けいいち、1968年7月1日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。 東海大学高輪台高では3年夏の東東京大会ベスト8まで進出。 東海大学へ進学予定だったが、読売ジャイアンツの入団テストに合格し1986年オフにドラフト外で入団。 入団6年目の1992年。7月3日のヤクルト戦で1点ビハインドの3回から登板。その後に味方が逆転、9回までの7イニングを3失点(自責点1)に抑えてプロ初勝利をあげる。その後、7月8日の中日戦では、同点の6回表から2番手で登板。2イニングを2失点ながら味方の援護で2勝目。7月12日の広島戦ではプロ初先発。7回5失点だったが、味方打線が12得点と大量援護に守られ3勝目。
原田 雅彦(はらだ まさひこ、1968年5月9日 - )は、… 原田 雅彦(はらだ まさひこ、1968年5月9日 - )は、北海道上川郡上川町出身の雪印乳業所属の元スキージャンプ選手、指導者、解説者。血液型A型。1998年長野オリンピックスキージャンプ団体金メダリスト。1993年及び1997年ノルディックスキー世界選手権スキージャンプ個人金メダリスト。 小学校3年生時からスキージャンプを始め、上川中学校時代に全国中学選手権で2度優勝。東海大学付属第四高等学校(現東海大学付属札幌高等学校)でインターハイ優勝。卒業後、1987年に雪印乳業入社。 日本代表入りし、1990年代以降、日本を代表するスキージャンプ選手となる。1991年に世界選手権に初出場。日本人の中でも早くからV字ジャンプに取り組み、そこから頭角を現した。
甲斐 康浩(かい やすひろ、1968年4月30日 -)は福岡… 甲斐 康浩(かい やすひろ、1968年4月30日 -)は福岡県大牟田市出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長173cm。
塩川 哲也(しおかわ てつや、1968年4月10日 - )は… 塩川 哲也(しおかわ てつや、1968年4月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 清水東高校では1学年上に武田修宏、同期に長澤徹らがいる。3年時には高校総体に出場したが、高校選手権は静岡県予選決勝で東海大学第一高校に敗れた。 高校卒業後に順天堂大学へ進学し蹴球部に入部。同期に大嶽直人、1学年下に森山泰行らがいる。4年時の1990年には主将を務めると中盤を牽引し、関東大学選手権、総理大臣杯、関東大学リーグの三冠獲得に貢献した。 1991年に日本サッカーリーグ1部の松下電器産業サッカー部に加入。1990-91シーズンのJSL1部第11節で追加登録され、同年3月24日に行われた本田技研戦でデビュー。
岡泉 茂(おかいずみ しげる、1968年4月2日 - )は、… 岡泉 茂(おかいずみ しげる、1968年4月2日 - )は、埼玉県出身の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長180cm。得意技は背負投。 小学校2年の時に柔道を始めた。前橋商業高等学校、東海大学と進むも、新人体重別で3位に2度入った(1986,88年)以外にこれといった活躍をする事はなかったが、新日本製鐵に入社して社会人になって、それまでの86キロ級から95キロ級に階級を変更してから実力を発揮し始めた。1993年から講道館杯で2連覇するなど実績を積み上げていった。1994年には広島アジア大会代表になり、その決勝では背負い投げからの抑え込みで一本勝ちして見事な逆転勝ちの優勝を飾った。翌年千葉で開催された世界選手権にも代表となり、前回のチャンピオンであるハンガリーのアンタル・コバチを破る健闘を見せるものの、ポーランドのパウエル・ナツラには敗れるが、何とか3位は確保した。
東 国幹(あずま くによし、1968年〈昭和43年〉2月17… 東 国幹(あずま くによし、1968年〈昭和43年〉2月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。自由民主党副幹事長、自由民主党安全保障関係団体委員長、自由民主党政務調査会国防部会長代理。 財務大臣政務官(第2次石破内閣)、北海道議会議員(5期)、旭川市議会議員(1期)などを歴任した。 北海道上川郡風連町(現:名寄市)に生まれる。北海道深川西高等学校卒業。東海大学法学部法律学科に進学。大学在学中は原田義昭の書生だった。この頃、旭川オリンピック構想が持ち上がるが、五輪の招致に失敗したことに影響を受け、政治家を志す。1990年3月、東海大学卒業。同年、佐藤静雄の秘書となり、4年間佐藤の事務所に勤務した。
村上 力(むらかみ ちから、1968年2月7日 - )は、日… 村上 力(むらかみ ちから、1968年2月7日 - )は、日本の実業家。ハートブレインアンドコンサルティング株式会社代表取締役。千葉県出身。 東海大学法学部卒。英国国立ウェールズ大学経営大学院MBA経営学修士修了。新日本証券(現新光証券)を経て、エートス・キャピタルマネジメント代表取締役社長に就任。同社退社後、株式会社日本未公開企業研究所主席研究員、米国大手プライベート・エクイティ・ファンドのジェネラルパートナーであるウエストスフィア・パシフィック社東京事務所ゼネラルマネージャーを経て、ハートアンドブレインコンサルティング株式会社を創業。
羽鳥 裕明(はとり ゆうみょう、1968年(昭和43年) -… 羽鳥 裕明(はとり ゆうみょう、1968年(昭和43年) - )は日本の真言宗智山派の僧侶、心理カウンセラー。 真言宗智山派淨蓮院住職、寺子屋心理カウンセリングルーム代表。俗名は、羽鳥 裕明(はとり ひろあき)。 群馬県生まれ。前橋市立東小学校、前橋市立東中学校、東京農業大学第二高等学校を経て、東海大学工学部電子工学科を平成3年に卒業。同年、マックス株式会社に入社。平成12年2月にマックス株式会社を退社。同年7月に真言宗智山派の総本山である智積院にて得度し、僧侶となる。「僧侶として悩みを抱える方々の身近な存在でありたい」との思いから、平成15年に寺子屋心理カウンセリングルームを設立。その後、悩み相談の駆け込み寺として、群馬県のほか、東京と大阪に事務所を設立。
小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は… 小久保 悟(こくぼ さとる、1967年12月29日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはフォワード。 鹿児島商業高校では1学年上に池ノ上俊一がいる。東海大学を卒業後、1990年に日本サッカーリーグの古河電気工業サッカー部に加入。JSL1部第1節の、ヤマハ発動機戦でリーグ戦デビューを果たし、この試合で初アシストを記録した。1990-91シーズンにはリーグ戦通算11試合に出場したが、翌1991-92シーズンは4試合の出場に留まった。1992年、ジェフユナイテッド市原とプロ契約を結ぶも同年限りで退団。 引退後は郷里の鹿児島に戻り、1993年に創部されたばかりの鹿児島城西高校のサッカー部の監督に就任。
大竹 一樹(おおたけ かずき、1967年〈昭和42年〉12月… 大竹 一樹(おおたけ かずき、1967年〈昭和42年〉12月8日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優。お笑いコンビ・さまぁ〜ずのボケ担当。相方は三村マサカズ。東京都墨田区出身。ホリプロ所属。身長170 cm、血液型O型。妻はフリーアナウンサーで元フジテレビアナウンサーの中村仁美。 墨田区立鐘淵中学校[要出典]・東海大学付属高輪台高等学校工業科卒業[要出典]。東海大学文学部北欧文学科ノルウェー語専攻中退[要出典]。 文化放送アナウンサーの斉藤一美とは、隅田第二小学校・鐘淵中学校の同級生である。 高校時代の同級生である三村マサカズとコンビを結成し、1989年に「バカルディ」としてデビュー。
横内 昭展(よこうち あきのぶ、1967年11月30日 - … 横内 昭展(よこうち あきのぶ、1967年11月30日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、指導者(JFA 公認S級コーチ)。東海大学付属第五高等学校卒業。
栄花 直輝(えいが なおき、1967年10月29日 - )は… 栄花 直輝(えいが なおき、1967年10月29日 - )は、日本の警察官、剣道家(教士八段)・元日本代表。北海道警察勤務。兄は栄花英幸。
山根 謙二(やまね けんじ、1967年10月11日 - )は… 山根 謙二(やまね けんじ、1967年10月11日 - )は、北海道出身の元バスケットボール選手、プロバスケットボール指導者である。 東海大学付属第四高等学校(現東海大学付属札幌)ではインターハイベスト8、東海大学進学後もインカレベスト8を経験。 卒業後の1989年、マツダオート東京(1991年よりアンフィニ東京)に入社。1991年のオールジャパン2位に貢献。1993年日本リーグオールスター出場。アンフィニ東京廃部後発足した所沢ブロンコスにも選手として2シーズン所属。 2000年現役引退。 2006年7月、bjリーグ埼玉ブロンコスのヘッドコーチとして古巣に復帰。プレイオフこそ逃したものの、前シーズン最下位のチームを浮上させたが契約満了に伴い、退任。
佐久間 浩一(さくま ひろかず、1967年10月11日 - … 佐久間 浩一(さくま ひろかず、1967年10月11日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 1996年から1997年までの登録名は佐久間 博千(読み同じ)。 東海大浦安高では4番を打った2年夏の県大会準優勝。3年春の1985年に選抜甲子園に出場。この大会では、3年KKコンビ擁するPL学園を筆頭に東海大浦安も優勝候補の一角に挙げられていたが、1回戦で優勝した3年渡辺智男投手擁する伊野商に1-5で敗退。佐久間は4打数1安打1三振に終わり、チームは散発6安打、佐久間のレフトへのタイムリーによる1点に抑えられた。高校卒業後の1986年、東海大学に進学し野球部に所属。首都大学リーグ戦では3年秋にベストナイン。
簗瀬 かおり(やなせ かおり、1967年9月24日- )は埼… 簗瀬 かおり(やなせ かおり、1967年9月24日- )は埼玉県出身の元競泳選手。種目は自由形。武南高等学校・東海大学出身。モスクワオリンピック・ロサンゼルスオリンピックで2大会連続日本代表に選ばれた。現姓は千葉。 1987年の日本選手権で佐々木香織に更新されるまで7年間日本記録を維持した。 1988年のソウルオリンピックで中野亜弥子に更新されるまで5年間日本記録を維持した。10回の日本記録更新は同種目歴代1位。 1991年の世界選手権で千葉すずに更新されるまで7年半日本記録を維持した。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 祐香(わたなべ ゆか、1967年8月26日 - )は、… 渡辺 祐香(わたなべ ゆか、1967年8月26日 - )は、日本の馬術選手。ヤマハつま恋乗馬倶楽部所属。身長150cm、体重43kg。血液型A型。アテネオリンピック障害飛越の日本代表。 静岡県静岡市生まれ。3歳から乗馬を始める。13歳の時に、ヤマハつま恋乗馬倶楽部顧問・桜井義長(バルセロナオリンピック乗馬馬術競技出場)と出会い、本格的に馬術を始める。 1985年、鳥取国体少年障害飛越競技で個人優勝。1986年、東海大学第一高等学校 現:静岡翔洋高校を卒業し東海大学文学部広報メディア学科へ進学する。その後の国体でも入賞多数。 1995年-96年には、JRAホースショーグランプリ決勝にて2年連続優勝を果たし、全日本障害大障害、中障害共に優勝経験をもつ。
三村 マサカズ(みむらマサカズ、本名および旧芸名:三村 勝和… 三村 マサカズ(みむらマサカズ、本名および旧芸名:三村 勝和〈みむら まさかず〉、1967年〈昭和42年〉6月8日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、司会者。お笑いコンビ・さまぁ〜ずのツッコミ担当。相方は大竹一樹。東京都墨田区京島出身。ホリプロ所属。 墨田区立吾嬬第三中学校、東海大学付属高輪台高等学校卒業。身長165 cm、血液型A型。既婚。 1988年7月、高校の同級生である大竹一樹とコンビ結成。 翌年の1989年、コンビ名「バカルディ」として本名「三村勝和」名義で活動を始める。ホリプロのお笑いライブに出演し、デビュー後ほどなくして関東お笑い界期待のホープとして脚光を浴びるもその後低迷し、暫く不遇の時期を過ごす。
田川 幹太(たがわ かんた、1967年6月5日 - 2023… 田川 幹太(たがわ かんた、1967年6月5日 - 2023年3月12日)は、日本の映画監督、映像作家、脚本家。血液型はO型。 大阪府出身。東海大学文学部卒業。元日本シナリオ作家協会会員。2000年初頭はタガワカンタというカタカナ表記で活動。フェイクドキュメンタリー映画などの監督を務めており、後に自主制作の場でも活動していた。 大阪府に生まれる。門真市立第一中学校に入学し、後に守口市立梶中学校に転校。東海大学付属仰星高校に進学。第一期生である。東海大学文学部に進学し卒業後、映像制作の世界に入りオリジナルビデオ業界で活動する。 2003年、東京国際ファンタスティック映画祭出展作品、『最強獣誕生 ネズラ -NEZULLA-』で監督生命を絶たれる程の酷評を一部の特撮フリークから浴びせられた。
穴吹 一朗(あなぶき いちろう、男性、1967年6月2日 -… 穴吹 一朗(あなぶき いちろう、男性、1967年6月2日 - )は、日本の脚本家。兵庫県伊丹市出身。東海大学卒業。Drama Project Decca所属。 1999年「演劇集団アーバンフォレスト」を旗揚げして以来下北沢や新宿の劇場を拠点に活動。2009年に手がけた舞台「Tower of Sugar」が翌年「神様ヘルプ!」として映画化される。2012年には、パルコ劇場で公演された、僕等の図書室~みんなで読書会~(ぼくとしょ2)が、ニコニコ生放送で配信。2014年には、TBSで関ジャニ∞の大倉忠義主演『Dr.DMAT〜瓦礫の下のヒポクラテス〜』で、連続ドラマでは初のメイン脚本家を務めた。
安藤 学(あんどう まなぶ、1967年5月29日 - )は、… 安藤 学(あんどう まなぶ、1967年5月29日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロ野球選手(外野手)。
関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 20… 関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 2024年3月19日【訃報公表日】)は、茨城県の猿島郡・三和町(現・古河市)出身の日本の柔道家。現役時代は95kg超級の選手。身長190cm。体重125kg。 それまで野球に取り組んでいたが、三和町立三和中学校2年の時に体格の良さを見込まれて柔道を始めることになった。 栃木県の作新学院高校3年の時にはインターハイ重量級で3位となった。 東海大学に進むと、1年の時には全日本学生(無差別)で決勝まで勝ち進むが、明治大学の小川直也との史上初となる1年生対決に1-2の判定で敗れた。2年の時には学生優勝大会の優勝に貢献すると、新人体重別では優勝を飾った。
春風亭 昇乃進(しゅんぷうてい しょうのしん、1967年4月… 春風亭 昇乃進(しゅんぷうてい しょうのしん、1967年4月6日 - )は、落語家。落語芸術協会会員。本名∶山上 透。 長野県下高井郡山ノ内町出身。長野県須坂高等学校卒業、東海大学文学部広報学科卒業。中学、高校と陸上部。中学では「走り幅跳び」、高校では「三段跳び」において県大会で入賞している。東海大学では落研に入部。在学中、学生タイトルを取り、卒業後、春風亭柳昇に入門。新作を中心としていたが、真打ち昇進後は古典落語と新作の二刀流をスタンスとしている。趣味は作詞作曲、タップダンス、映画鑑賞。同じ山ノ内町出身の芸能人には、清水アキラがいる 。