梨木 作次郎(なしき さくじろう、1907年9月24日 - … 梨木 作次郎(なしき さくじろう、1907年9月24日 - 1993年4月9日)は、日本の弁護士、社会運動家、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認)。金沢弁護士会会長、自由法曹団常任幹事などを歴任する。 石川県石川郡蝶屋村(現・白山市)出身。日本大学専門部法科を卒業後、弁護士資格を取得。1931年に日本国民救援会の前身である日本赤色救援会へ入り、三・一五事件や四・一六事件をはじめ治安維持法違反事件の弁護に当たるが、1933年の日本労農弁護団一斉検挙事件で検挙。1935年には懲役2年執行猶予2年の有罪判決を受け、5年間の弁護士資格停止を命じられる(弁護士業は1938年に再開)。 1946年に日本共産党へ入党すると、自由法曹団や解放運動犠牲者救援会の再建活動に奔走。
本島 百合子(本嶋 百合子、もとじま / もとしま ゆりこ、… 本島 百合子(本嶋 百合子、もとじま / もとしま ゆりこ、1907年(明治40年)8月3日 - 1972年(昭和47年)5月21日)は、日本の婦人運動家、政治家。衆議院議員(4期)、東京都議会議員(3期)を歴任。 福岡県遠賀郡八幡町(八幡市を経て現北九州市)で、本島礼三郎の四女として生まれる。 1929年、日本大学高等師範部地歴科を卒業した。在学中から無産運動に加わった。卒業後、萬朝報記者、婦人毎日新聞記者を務め、婦人解放運動を行った。 1945年、日本社会党の結党に加わり、1946年、同党婦人部に勤務し同副部長を務めた。1947年5月、東京都議会議員に当選。以後、都議を3期務めた。 1958年5月の第28回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧東京3区(定数3)から立候補して初当選。
松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月1… 松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月14日 – 1993年(平成5年)6月3日)は、日本の政治家、衆議院議員(6期)。旧姓斎藤。 神奈川県横浜市出身。フェリス和英女学院から日本女子大学を経て、サンモール学院卒。横浜YMCAで英語教師を務め、横浜印書学校(のち日本女子英学院)を創立し、院長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で神奈川県(大選挙区制、全県一区)から立候補して初当選、以後6期当選した。在職中の1949年日本大学法文学部を卒業した。党内では中央執行委員や代議士会副会長などを歴任した。その後は民主社会党に移ったが、1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選した。
小林 亦治(こばやし またじ、1907年〈明治40年〉5月1… 小林 亦治(こばやし またじ、1907年〈明治40年〉5月19日 - 1982年〈昭和57年〉8月10日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。 山形県最上郡出身。1931年(昭和6年) 日本大学法律学科を卒業した。 1941年(昭和16年)司法官試補に任官し、判事として東京地方裁判所、仙台地方裁判所、青森地方裁判所の各地裁で勤務。1944年(昭和19年)山形市で弁護士を開業した。山形県農地相談所長、山形新聞論説委員、労農救援会長などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に山形地方区から日本社会党所属で出馬して当選し、参議院議員を1期務めた。この間、日本社会党山形県連会長、同顧問、参議院決算委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長などを務めた。
横山 フク(よこやま ふく、1907年〈明治40年〉2月16… 横山 フク(よこやま ふく、1907年〈明治40年〉2月16日 - 1991年〈平成3年〉11月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 東京府東京市神田区須田町(現千代田区)生まれ。東京府第一高等女学校卒業、日本大学法学部(夜間)卒業。 職業婦人になるため三省堂に勤務しながら夜は速記塾で学んだ。1927年、東京府産婆会書記になり、その縁で1932年に産婆の資格をとり、板橋で開業。 1947年板橋区議会議員に当選、1950年の第2回参議院議員通常選挙全国区に無所属で立候補したが、落選。1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党公認で初当選。以後連続3期当選。 1955年、日本看護協会助産婦部会長として、国際看護師協会加盟に絡み、日本助産婦会を設立、初代会長に就任。
片桐 勝昌(かたぎり かつまさ、1907年(明治40年)2月… 片桐 勝昌(かたぎり かつまさ、1907年(明治40年)2月2日 - 1973年(昭和48年)8月31日)は、日本の政治家、税理士、計理士。 現在の長野県伊那市出身。日本大学卒。豊島区会議員、東京市会議員、東京都議会議員、日本合同ゴム社長、片桐興産株式会社代表取締役などを歴任した。 戦後の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に東京1区(当時)から立候補したが落選した。翌1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に東京5区(当時)から民主党公認で立候補したが落選した。1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙では日本再建連盟から立候補したが落選した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25… 中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25日 - 1985年(昭和60年)10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(通算13期)、国土庁長官、碧南市長などを歴任した。 愛知県碧海郡新川町(現・碧南市)に中野久吉、さだ夫妻の四男として生まれる。生家はどじょう屋。小学校卒業後農機具店に奉公に出るが、13歳の時単身上京し、新聞配達などをしながら私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)で学ぶ。1923年9月に同校を中退。 愛知県出身のジャーナリストで衆議院議員でもあった鈴木正吾の紹介で、大正デモクラシー期を代表する論客の一人であった茅原華山の門下生となる。
渡辺 惣蔵(惣藏、わたなべ そうぞう、1907年(明治40年… 渡辺 惣蔵(惣藏、わたなべ そうぞう、1907年(明治40年)1月15日 - 1985年(昭和60年)1月25日)は、日本の社会運動家、政治家。衆議院議員。 北海道札幌郡札幌村大字苗穂村(現:札幌市東区苗穂町)で生まれる。小学校卒業後、農業をしながら通信教育で学び、1929年、日本大学専門部政治科を卒業。 日大在学中から無産政党運動に加わる。1932年、武蔵野館争議など多くの映画争議を指導した。全国大衆党中央委員、労農大衆党中央委員、社会大衆党中央委員、同中央青年隊長、全国労働組合同盟中央委員・出版部長、全国映画劇場従業員組合書記長、豊島区会議員などを歴任。1938年、人民戦線事件で検挙され一年半にわたり拘留された。
金 省三(キム・ソンサム、朝鮮語: 김성삼、1906年12月… 金 省三(キム・ソンサム、朝鮮語: 김성삼、1906年12月7日または1907年 - 1960年7月30日)は、大韓民国の海軍軍人(海軍少将)、政治家、弁護士。大韓民国海軍創設の功労者で第3代韓国国会議員。キリスト教徒。 咸鏡北道明川郡出身、本籍は慶尚南道昌原郡。間島永信中学校を経て日本大学専門部法科卒、満州国司法要員養成所修了。弁護士試験合格。満州国法院書記官、高等保護審判官を経て、解放後は軍に投身し、軍法務官、海軍参謀長、鎮海特設基地司令官、海軍鎮海統制府司令官、海軍本部行政参謀副長を歴任した。海軍少将として予備役編入後、自由党所属の民議員、第3代国会国防委員会委員を務めた。 1960年7月30日に死去し、1984年6月27日に国立ソウル顕忠院へ改葬された(将軍第1墓域141号)。
遠山 景光(とおやま かげみつ、1906年〈明治39年〉7月… 遠山 景光(とおやま かげみつ、1906年〈明治39年〉7月16日 - 1980年〈昭和55年〉12月20日 )は、日本の政治家。東京都議会議員、東京都千代田区長などを務めた。千代田区名誉区民。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 弟にアールエフラジオ日本会長を務めた遠山景久がいる。 父親は京浜実業家名鑑 寄与者:遠山景澄。 神田神保町出身。1924年に神田三崎町の旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)卒業。1936年中央大学専門部商科卒業。その翌年に東京市神田区議会議員に当選。2期務め、区議会副議長にも就く。1947年に東京都議会議員・千代田区議会議員に当選。 1960年5月20日、第4代官選千代田区長に就任。
今泉 貞雄(いまいずみ さだお、1906年(明治39年)7月… 今泉 貞雄(いまいずみ さだお、1906年(明治39年)7月4日 - 1995年(平成7年)1月28日)は、日本の技術者、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福島県安積郡桑野村(現郡山市)で、農家の7人兄弟の末子として生まれた。小学校卒業後、進学を希望していたが家庭の経済状況が許さず、上京して丁稚奉公を行う。奉公先の好意で夜間学校に通学し、種々の職業を経ながら1929年(昭和4年)日本大学専門部工科機械科を卒業した。 三共に入社しオートバイ部門で勤務。その後、中島飛行機荻窪工場社員、新田 (株) 昭和内燃機製作所工場長を歴任。中野友禮の資金援助を受けて1938年(昭和13年)今泉精機を東京葛飾に設立し、白河分工場も設けたが終戦に伴い閉鎖して帰郷した。
鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)… 鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)2月2日)は、日本の政治家、医師。東京都三鷹市長(5期)。名誉三鷹市民。 東京府北多摩郡三鷹村(三鷹町を経て、現三鷹市)出身。1930年日本大学医学部を卒業。三鷹市で産婦人科医院を開業する。戦時中は軍医として中国大陸に派遣された。戦後は社会党に入党。1937年三鷹村議、1940年三鷹町議、1948年三鷹町公安委員長を経て1955年三鷹市長に就任する。市長在任中は下水道事業に取り組み、1973年に普及率100%を達成させた。市職員を百貨店で研修させたり、庁舎内を禁煙化させるなど独創的な政策を打ち出した。
前田 義雄(まえだ よしお、1906年(明治39年)4月8日… 前田 義雄(まえだ よしお、1906年(明治39年)4月8日 - 1996年(平成8年)11月30日)は、昭和期の政治家。衆議院議員、岐阜県議会議員。 岐阜県大野郡清見村大字大原(現高山市清見町大原)で生まれる。1928年(昭和3年)日本大学法文学部法科を卒業した。 特定郵便局飛騨大原郵便局長、岐阜県議会議員、同副議長、岐阜県労働委員会委員、岐阜県山林協会理事、高山建設業協会長などを務めた。 1960年(昭和35年)11月の第29回衆議院議員総選挙で岐阜県第2区で自由民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、自民党全国組織委員会社会保障部長、同岐阜県支部連合会幹事長などを務めた。
木下 重範(きのした しげのり、1906年(明治39年)1月… 木下 重範(きのした しげのり、1906年(明治39年)1月3日 - 1977年(昭和52年)8月13日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 大分県西国東郡岬村(のち香々地町、現豊後高田市)で生まれる。1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した。 弁護士を開業し、日本弁護士連合会理事、同代議員、福岡県弁護士会小倉部会長、小倉市信用組合監事などを務め、日本水産、朝日新聞西部本社、三菱化成工業などその他多くの企業の顧問弁護士を務めた。 1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙で福岡県第4区から無所属で出馬して当選し、同友会に所属し衆議院議員に1期在任した。
宮腰 喜助(みやこし きすけ、1905年(明治38年)12月… 宮腰 喜助(みやこし きすけ、1905年(明治38年)12月20日 - 1966年(昭和41年)11月30日)は、昭和期の計理士、税務代理士(税理士)、政治家。衆議院議員。 秋田県山本郡能代港町下川反町(現能代市下川反町)で生まれる。1932年(昭和7年)日本大学経済学部を卒業。計理士、税務代理士の業務に従事した。 東京産業社長、協商社社長、中央観光開発社長などを務めた。 1945年(昭和20年)日本協同党・山本実彦創立委員長秘書、同党中央常任委員に就任。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から民主党公認で出馬して当選し、その後改進党に所属して衆議院議員に1期在任した。
深沢 義守(ふかざわ よしもり、1905年10月1日 - 1… 深沢 義守(ふかざわ よしもり、1905年10月1日 - 1966年12月14日)は、日本の政治家、農民運動家。衆議院議員(日本共産党公認)を1期務めた。 山梨県南巨摩郡身延村(現・身延町)大野生まれ。日本大学在学中より山梨県内各地で農民運動に関わり、昭和初期以降、日本共産党の強い影響下にあった全国農民組合全国会議派県連書記長を務める事となる。 1930年には奥野田村(現・甲州市)の小作争議で主導的な役割を果たした他、翌年5月1日に行われた県初のメーデーでは中巨摩郡東部・東八代郡西部2地区の指導者として活躍。また、1930年3月1日発足の甲府消費組合では組合長も務めた。この間、治安維持法違反により検挙される事10数度を重ね、1933年に発生した山梨共産党事件に連座し投獄、2年間にわたる服役の後、郷里を離れた。
片岡 文重(かたおか ふみえ、1905年(明治38年)9月1… 片岡 文重(かたおか ふみえ、1905年(明治38年)9月15日 - 2004年(平成16年)9月6日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 千葉県山武郡土気本郷町(土気町本郷を経て現千葉市緑区土気町)出身。1929年(昭和4年)日本大学専門部法律科を卒業した。 1924年(大正13年)鉄道省に入省し大井工場(現東京総合車両センター)に配属された。戦後、労働運動に加わり、国鉄新小岩工場(現川崎車両所)労組委員長、国鉄労働組合東京地方評議会議長、同本部書記長、全交通役員、全官公労役員などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で千葉県地方区に日本社会党公認で出馬して次点で落選。
楠美 省吾(くすみ せいご、1905年〈明治38年〉9月13… 楠美 省吾(くすみ せいご、1905年〈明治38年〉9月13日 – 1980年〈昭和55年〉1月13日)は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。 青森県北津軽郡七和村大字高野(現五所川原市)出身。1925年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。同年旧制弘前高等学校入学。1931年東北帝国大学法律科卒。翌年満洲国大同学院卒。卒業後は満洲国に勤務する。1942年の翼賛選挙では郷里の青森県から非推薦で立候補して当選した。戦後、公職追放となり、追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙で青森2区から改進党公認で立候補したが落選、翌年の第26回衆議院議員総選挙で当選した。石橋、第1次岸内閣で行政管理政務次官に就任した。
大野 幸一(おおの こういち、1905年7月10日 - 19… 大野 幸一(おおの こういち、1905年7月10日 - 1976年11月9日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)。 岐阜県出身。1931年、日本大学法文学部法律科を卒業し、弁護士となる。 戦後、日本社会党に加わる。党常任中央執行委員会書記、中央執行委員長片山哲秘書などを歴任し、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙において全国区に出馬し当選。参議院郵政委員長などを務める。1953年4月、第3回通常選挙で落選した。 1958年5月、第28回衆議院議員総選挙に岐阜県第1区から出馬し当選。その後、民主社会党に移り、同党院内幹事、日中問題特別副委員長、災害対策特別委員長などを歴任。
朴 峻(パク・チュン、朝鮮語: 박준、1905年6月7日 -… 朴 峻(パク・チュン、朝鮮語: 박준、1905年6月7日 - 1973年12月16日)は、大韓民国の実業家、政治家。制憲国会議員。本貫は密陽朴氏。 朴 埈(読み、ハングル同)とも表記される。 慶尚北道(現・大邱広域市)軍威郡またはソウル鍾路出身。日本大学法学部政経科卒。日本政府施行弁護士試験合格後、満洲国の間島省で東振学校校長を務めた。解放後は海外通信社社長、国際評論社社長、ソウル合同消費組合理事長を歴任し、1948年5月の初代総選挙に軍威郡選挙区から無所属で立候補して、国会議員に当選した。同年6月より資格審査委員会に所属し、7月に無所属倶楽部の代表として、国務総理などの要職に現過渡政府と韓国民主党側の人物の起用を拒否する建議書を大統領の李承晩に伝えた。
黄 斗淵(ファン・ドゥヨン、朝鮮語: 황두연/黃斗淵、190… 黄 斗淵(ファン・ドゥヨン、朝鮮語: 황두연/黃斗淵、1905年2月15日 - 1984年5月24日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、教育者、牧師、政治家。順天邑副邑長、制憲韓国国会議員を歴任した。 本貫は昌原黄氏。同じく1948年の初代総選挙に出馬した牧師・過渡立法議員の黄保翼は兄で、元国会議員・全羅南道知事の黄聖秀は甥である。キリスト教徒。日本名は黄原斗淵。 順天郡出身。全羅南道麗水郡南面金鰲島(朝鮮語版)出身の昌原黄氏の5兄弟の1人である。全州新興中学校を経て、日本大学専門部法科3年中退または卒業、日本聖経学校卒。中央神学校での研究を経て、高興永泉学校教員・校長、順天美信会病院・安力山病院庶務課長を務めた。
金 英基(キム・ヨンギ、朝鮮語: 김영기、1905年1月8日… 金 英基(キム・ヨンギ、朝鮮語: 김영기、1905年1月8日 - 1989年5月1日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。制憲韓国国会議員。本貫は慶州金氏。 京畿道安城郡出身。中東中学校卒、日本大学専門部法科卒または中退。朝鮮日報記者・取締役、新幹会会員、株式会社三益社支配人を経て、解放後は安城郡小作委員会委員、好城産業株式会社専務、朝鮮農工株式会社取締役、安城産業株式会社専務取締役、大韓逓信事業協会理事、平沢税務署所属調査委員、韓国独立党安城郡委員長・中央党執行委員、大韓独立促成国民会安城支部委員長、大韓労総安城支部顧問、大韓農民総同盟安城支部顧問・副委員長、国会懲戒委員会委員長・懲戒資格委員会委員長・財政経済委員会常任委員、京畿道知事、大韓海運公社監事、忠北旅客株式会社社長、制憲同志会総務幹事・副会長を務めた。
金 済能(キム・ジェヌン、朝鮮語: 김제능/金濟能、1905… 金 済能(キム・ジェヌン、朝鮮語: 김제능/金濟能、1905年 - 1960年9月23日)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 出生地不明。日本大学法文学部卒。在中国張家口朝鮮人会長、大同青年団、のちの大韓青年団において瑞山郡団長を務めた。1952年の第2代総選挙の補欠選挙に自由党の公認で瑞山郡甲選挙区から当選し、国会議員を1期務めた。1960年9月23日に瑞山郡にて心臓麻痺により55歳で死去した。
高木 章(たかぎ あきら、1904年(明治37年)5月12日… 高木 章(たかぎ あきら、1904年(明治37年)5月12日 - 1966年(昭和41年)11月17日)は、日本の教育者、政治家。国際短期大学の創立者にして初代学長。息子は二代目学長の高木一明。衆議院議員(1期)。東京出身。 1926年、日本大学専門部法律科卒業。同専門部法律科副手に就く。 1928年より二松學舍専門学校講師。1933年中野高等無線電信学校を創立し、幹事に就任。 1941年、財団法人中野学園を設立し、同理事長に就任。中野学園中学校(旧制)を創立。 1946年、国際外国語学校(国際短期大学の前身)を創立し、同学校長に就任。 1948年、財団法人中野学園を財団法人国際学園に改称し、中野学園中学校(旧制)を国際中学校と国際高等学校に変更。
下川 儀太郎(しもかわ ぎたろう、1904年(明治37年)2… 下川 儀太郎(しもかわ ぎたろう、1904年(明治37年)2月1日 - 1961年(昭和36年)2月6日)は、大正から昭和期の詩人、社会事業家、政治家。衆議院議員。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 静岡県静岡市太田町(現:静岡市葵区太田町)出身。1918年(大正7年)静岡商業学校(現静岡県立静岡商業高等学校)を卒業し、日本大学芸術科を中退した。 1924年(大正13年)に労働詩を発表。日本プロレタリア作家同盟(中央委員)、全日本無産者芸術団体協議会に加わり、詩、評論などを発表。戦前、戦中の静岡県プロレタリア文化運動の中心人物として活動し、反戦容疑などで2回投獄された。また、社会事業にも参画し母子ホーム託児所の建設、運営を行った。
小泉 純也(こいずみ じゅんや、旧姓名:鮫島 純也〈さめじま… 小泉 純也(こいずみ じゅんや、旧姓名:鮫島 純也〈さめじま すみや〉、1904年〈明治37年〉1月24日 - 1969年〈昭和44年〉8月10日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(7期)。1960年日米安保改定への尽力や防衛庁長官を務めたことなどから、安保男(あんぽおとこ)と呼ばれた。 衆議院副議長、逓信大臣などを歴任した小泉又次郎の女婿。首相を務めた小泉純一郎の父。根津財閥の大番頭だった鮫島宗一郎は従兄弟。横須賀市議会議長をつとめた井料克己は甥。 鹿児島県川辺郡東加世田村大字小湊(後の万世町、加世田市、現:南さつま市加世田小湊)小松原地区の漁業・鮫島家に生まれた。父親の鮫島彌三左衛門は事業に失敗し、地元の鰹節工場に雇われていたが、純也が11歳の時に亡くなった。
石井 繁丸(いしい しげまる、1904年〈明治37年〉1月1… 石井 繁丸(いしい しげまる、1904年〈明治37年〉1月1日 - 1983年〈昭和58年〉10月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)、前橋市長(5期)。前橋市立工業短期大学学長。大日本帝国陸軍軍人(陸軍曹長)[要出典]。 群馬県勢多郡木瀬村大字野中(現・前橋市野中町)出身。永明尋常高等小学校を経て、1922年(大正11年)県立前橋中学校卒業。警視庁麻布警察署書記として勤務の後、日本大学に学ぶ。1926年(大正15年)司法試験合格。1927年(昭和2年)に日本大学法科を卒業し、同年法律評論社の編集記者として勤める。1928年(昭和3年)弁護士となる。須永好による強戸村農民運動に協力した。
冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年12月8日 -… 冲永 荘兵衛(おきなが しょうべい、1903年12月8日 - 1981年2月21日)は、日本の政治家、教育者。
實川 清之(じつかわ きよし、1903年10月6日 - 19… 實川 清之(じつかわ きよし、1903年10月6日 - 1980年9月11日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。 1903年、千葉県山武郡千代田村(現:芝山町)で農家の子として生まれる。父伊三郎は、村の信用組合理事のほか、村会議員や村役場助役などの公職を勤めたが、實川がまだ幼い頃に肺結核により他界した。本業の農業を人任せにしていた、大酒飲みの伊三郎は、實川家の資産を半減させてしまっていた。 千代田尋常高等小学校ののち旧制成田中学校で学ぶが、3年生のときに生徒によるストライキに関わり、退学。その後上京して日本大学中学校に転入し、ここでも身体検査に反対して停学処分を受けている。 1922年に中学を卒業して日本大学法文学部社会学科に入るが、社会主義運動に参加して千葉県での農民組合結成や日本学生社会科学連合会の活動家として軍事教練反対などの活動を行い、1926年に治安維持法違反で逮捕・収監され、授業料を納められず大学中退となる。
呉 衡根(オ・ヒョングン、朝鮮語: 오형근/吳衡根、1903… 呉 衡根(オ・ヒョングン、朝鮮語: 오형근/吳衡根、1903年10月4日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の教員、大韓民国の政治家。甕津郡郡守、加平郡郡守、長湍郡郡守、第3代韓国国会議員を歴任した。 平安北道宣川郡出身。定州五山中学校、南京東明学院、日本大学法科卒。中学校教員を10数年間務め、新義州電気会社でも勤務した。宣川警察署保安係長を務めた時に越南し、加平郡で勤務した後、甕津郡守、加平郡守、長湍郡守を務めた。1954年の第3代総選挙では洪翼杓を抑えて当選し、自由党所属の国会議員を1期務めた。
安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1… 安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1986年9月30日)は、八重山群島政府及び琉球政府の政治家。元衆議院議員(沖縄社会大衆党→民社党)。
山本 猛夫(やまもと たけお、1903年6月12日 - 19… 山本 猛夫(やまもと たけお、1903年6月12日 - 1989年7月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 東京都生まれ、もしくは岩手県盛岡市出身。1923年、日本大学政治科卒業。時事新報社、毎日新聞社政治部記者を務めたのち、東洋鋼材工業社長、東京製糖社長となる。1943年の東京都発足直後の東京都会議員選挙に立候補したが、落選した。1947年、第23回衆議院議員総選挙岩手1区に民主党から出て、初当選。以後5期務めた。1950年、衆議院懲罰委員長。同年7月、第3次吉田第1次改造内閣郵政政務次官。1951年、第3次吉田第2次改造内閣郵政政務次官。1952年、衆議院議事進行係。1956年、松浦董子(旧華族・元久邇邦久の妻)と結婚。
杉山 善太郎(すぎやま ぜんたろう、1903年(明治36年)… 杉山 善太郎(すぎやま ぜんたろう、1903年(明治36年)2月25日 - 1988年(昭和63年)2月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 愛知県幡豆郡、のちの吉良町(現西尾市)で生まれる。1924年(大正13年)日本大学工学科を卒業した。 日本海員組合組織部員を経て、1945年(昭和20年)全日本海員組合の結成に加わり中央執行委員に就任。1946年(昭和21年)日本社会党に入党。1953年(昭和28年)新潟県労働組合協議会が結成されると議長に就任し9期在任した。 1962年(昭和37年)の参院選に新潟県地方区から社会党公認で出馬して初当選。任期満了に伴う1968年(昭和43年)の参院選には出馬を見送り、2年後の新潟県知事選に立候補するが現職の亘四郎に敗れる。
戸叶 武(とかの たけし、1903年2月11日 – 1982… 戸叶 武(とかの たけし、1903年2月11日 – 1982年12月25日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期、日本社会党)。妻は衆議院議員の戸叶里子。 田中正造の政治的後継者で、下野新聞社長を務めていた戸叶薫雄の長男として、栃木県安蘇郡田沼町(現佐野市)に生まれた。旧制豊山中学校(現日本大学豊山高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部へ入学。在学中は、高野実などと社会主義学生団体「文化会」を率いる。また、雄弁会に参加し、1922年(大正11年)には先輩である浅沼稲次郎の推薦により幹事となった。 1925年(大正14年)1月24日、学校教練に反対するデモにリーダー格で参加して麹町警察署に一時検束される。
甲木 保(かつき たもつ、1902年(明治35年)11月1日… 甲木 保(かつき たもつ、1902年(明治35年)11月1日 - 1975年(昭和50年)11月30日)は、昭和期の文部官僚、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福岡県三潴郡蒲池村(現柳川市)で、甲木鹿松の二男として生まれる。福岡県立中学伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)を経て、1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した。 文部省に入省し、同省嘱託、文部属兼厚生属、文部理事官などを歴任。1942年(昭和17年)大政翼賛会に転じ、錬成部副部長に就任。1944年(昭和19年)翼賛会を退職し、三笠製薬研究所を設立。戦後に株式会社に改組し三笠製薬社長に就任。三笠物産社長も務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で福岡県第3区から民主自由党所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
黒沢 幸一(旧字体: 黑澤 幸一、くろさわ こういち、190… 黒沢 幸一(旧字体: 黑澤 幸一、くろさわ こういち、1902年(明治35年)10月11日 - 1977年(昭和52年)7月2日)は、昭和期の社会運動家、政治家。衆議院議員。 栃木県河内郡上三川町の農家に生まれる。1924年、日本大学専門部法律科を卒業した。 卒業後は家業に従事し、労農運動に加わる。労農党栃木県連合会の結成や、日本大衆党栃木県連合会の結成に加わり、小作争議の指導を行う。宇都宮市会議員も務めた。1932年、阿久津村事件の首謀者として検挙され懲役3年、また1936年の争議でも検挙され懲役6ヵ月に処せられ服役した。 戦後、日本社会党に入党し、同党栃木県連書記長、同会長、栃木県地方労働委員会会長、栃木機械製作所総務部長などを務めた。
李 相慶(イ・サンギョン、朝鮮語: 이상경、1902年6月7… 李 相慶(イ・サンギョン、朝鮮語: 이상경、1902年6月7日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の官僚、水利組合理事、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 父は中枢院賛議を務めた李恩雨(朝鮮語版)。 本籍は慶尚南道河東郡。明治大学法学部、日本大学卒。日本統治時代の朝鮮では官僚を経て、郷里で蟾津江水利組合理事を務めた。光復後は大韓独立促成国民会河東郡支部長などを経て、1950年の第2代総選挙に国民会の公認で立候補して当選し、国会議員となった。朝鮮戦争の際、孝子洞で身を隠していたところ北朝鮮に拉致された。1956年7月、在北平和統一促進協議会中央委員に就任。以降の動向や活動ついての詳細は不明。
金 声福(キム・ソンボク、朝鮮語: 김성복/金聲福、1902… 金 声福(キム・ソンボク、朝鮮語: 김성복/金聲福、1902年5月14日 - 1982年4月28日または4月29日)は、大韓民国の警察官僚(総警)、政治家。第3代韓国国会議員。 本貫は光山金氏。仏教徒。 全羅南道宝城郡出身。普成高等普通学校卒、東京正則学校英文科修了、日本大学法科専門部卒。大韓独立促成国民会宝城郡支部支部長、民統宝城郡事務局長、立法議院宝城郡代議員、治安局教育科兼警察専門学校勤務員、大同青年団・大韓青年団宝城郡団団長、宝城中学校後援会、宝城郡顧問、康津警察署・木浦警察署・大邱警察署署長、金泉地区・高霊地区戦闘司令官を務めた。1954年の第3代総選挙で無所属で当選し、まもなく自由党に入党した。
金 炯斗(キム・ヒョンドゥ、朝鮮語: 김형두、1902年2月… 金 炯斗(キム・ヒョンドゥ、朝鮮語: 김형두、1902年2月15日または1909年2月15日または1910年2月25日 - 1977年8月26日〈陰暦7月12日〉または9月26日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、実業家、政治家。慶南体育会会長、国際新報(現・国際新聞)社長、第5代韓国国会議員(参議員)、東海生命保険(現・KDB生命保険(朝鮮語版))社長を歴任した。 本貫は金寧金氏(朝鮮語版)。字は泰寛、号は一耕(イルギョン、일경)。筆名は九徳山人。元国家安全企画部長・国会議員・統一院長官・副総理の金悳(朝鮮語版)は娘婿。 慶尚南道固城郡出身。日本大学専門部中退または卒業。
張 連松(チャン・ヨンソン、朝鮮語: 장연송/張連松、190… 張 連松(チャン・ヨンソン、朝鮮語: 장연송/張連松、1901年12月11日または12月12日 - 1956年10月30日または11月6日)は、日本統治時代の朝鮮の発明家、反戦運動家、詩人、大韓民国の独立有功者、政治家。第2代韓国国会議員。 張 蓮松またはチャン・ニョンソン(장련송)という表記も見られる。日本名は張山 連松。 咸鏡北道吉州郡吉祥里出身。日本大学経済学部卒。日本統治時代には自由杖、二重縫針を発明したほか、20年以上をかけて木で永久機関の「無燃料原動力桓動機(恒動機)」を製作し、1939年に特許局から特許を取得した。また、「善と盗」という論文で個人主義を主張しながら、自由と自然主義を尊重することで人種間・民族間の対立を払拭させ、共存共栄・相互扶助しなければならないことを指摘した。
日野 吉夫(ひの よしお、1901年(明治34年)11月10… 日野 吉夫(ひの よしお、1901年(明治34年)11月10日 - 1978年(昭和53年)5月27日)は、日本の政治家、社会運動家。位階は従三位。 衆議院議員(9期)、日本社会党副委員長。宮城県桃生郡二俣村(後の河北町、現在の石巻市)出身。第1次橋本内閣の郵政大臣を務めた日野市朗は長男。 小学校を卒業後、働きながら検定試験を受験し、小学校教員の資格を取り故郷の河北町二俣で教師をする。大正14年(1925年)上京し、小学校で教鞭をとりながら日本大学の夜学に通って同大学高等師範部を卒業する。この間、社会運動に参加するようになり、日本独学青年同盟、全国労農青年同盟に参加する。昭和4年(1929年)郷里に戻り、宮城大衆党結成に参加する。
申 駿遠(シン・ジュヌォン、朝鮮語: 신준원、1901年7月… 申 駿遠(シン・ジュヌォン、朝鮮語: 신준원、1901年7月23日 - 1966年6月1日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第5代韓国国会議員。 慶尚北道善山郡(現・亀尾市)出身。日本大学文学部卒。故郷善山の三・一運動に参加したことや、大学在学中に朴烈や曺奉岩と共に黒涛会のアナキスト運動に参加したことにより投獄された。帰国後は朴相熙、金雨東らと共に亀尾消費組合を組織し、新聞社の支局長を務めた後、1960年の第5代総選挙で善山郡選挙区より無所属で出馬し当選、国会議員を1期務めた。
山本 正一(やまもと しょういち、1901年(明治34年)4… 山本 正一(やまもと しょういち、1901年(明治34年)4月15日 - 1979年(昭和54年)9月17日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(5期)、鎌倉市長(3期)、鎌倉市会議員、神奈川県会議員(鎌倉市選挙区)。山梨県生まれ、東京都出身。位階は従四位。
中野 文門(なかの ぶんもん、1901年3月30日 - 19… 中野 文門(なかの ぶんもん、1901年3月30日 - 1988年10月9日)は、日本の政治家。神戸市会議員、兵庫県議会議員、参議院議員(2期)を歴任した。政界引退後は神戸森学園(現在の神戸学院)理事長を務めた。寺院の出身で、福海寺住職の経歴も持つ。 大分県大分郡鶴崎町(現・大分市鶴崎)に、東厳寺住職の長男として生まれる。 1927年に日本大学専門部社会科を卒業後、東京府職員となる。1933年、神戸市会議員に当選。その後、戦争を挟み、神戸市会議員と兵庫県議会議員を同時に務める。(当時は市議と県議の兼任が可能であった。)神戸市会では1947年、兵庫県議会では1955年にそれぞれ議長に就任した。 義務教育を無償とすべきであるとの信念に基づき、清瀬一郎を弁護士として憲法違反訴訟を展開し、大審院で勝訴した。
足立 梅市(あだち うめいち、1901年(明治34年)2月9… 足立 梅市(あだち うめいち、1901年(明治34年)2月9日 – 1988年(昭和63年)2月2日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。位階は正五位。衆議院議員(2期)。 三重県多気郡三瀬谷村(三瀬谷町を経て現大台町)出身。1932年(昭和7年)日本大学法文学部を卒業。弁護士を開業し、東京弁護士会、三重弁護士会に所属した。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に三重県第2区から日本社会党公認で立候補して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。この間、社会党三重県支部連合会初代会長などを務めた。その後、社会党本部を批判し和田敏明らと共に社会党再建全国連絡会を結成、第25回から第27回総選挙まで3回連続で立候補したがいずれも落選した。
金 哲柱(キム・チョルジュ、朝鮮語: 김철주、1901年1月… 金 哲柱(キム・チョルジュ、朝鮮語: 김철주、1901年1月25日 - 1962年2月22日)は、大韓民国の医師、教員、政治家、実業家、社会事業家。麗水郡郡守、麗川郡郡守、第3代韓国国会議員、湖南新聞社長を歴任した。 全羅南道麗川郡(現・麗水市)出身。ソウル中東中学校、日本大学師範科卒。莞島中学校教員、光州農業実習学校長を歴任した後に全羅南道の医師試験に合格した。その後は韓国キリスト教青年会(朝鮮語版)総務、麗水郡・麗川郡郡守を経て、全羅南道三日保健診療所長を務めた。麗水華井医院を開業したほか、麗水愛養園長を務めた。1954年の第3代総選挙では麗川郡選挙区から無所属で出馬し当選し、その後は自由党に入党した。
李 浩錫(イ・ホソク、朝鮮語: 이호석、1901年または19… 李 浩錫(イ・ホソク、朝鮮語: 이호석、1901年または1911年11月12日 - 1959年)は、大韓民国の教員、政治家、農家。第2代慶尚北道大邱市(現・大邱広域市)長、制憲韓国国会議員。本貫は星山李氏(朝鮮語版)。字は致亨(チヒョン、치형)。 日本統治時代の慶尚北道星州郡出身。星州公立普通学校(現・星州初等学校)、大邱公立農業学校(現・大邱農業マイスター高等学校)、日本大学法学部卒。星州公立普通学校で教員を務めたほか、満州の吉林省で農場を経営した。1948年の初代総選挙では星州郡選挙区から無所属で出馬し国会議員に当選した。1951年9月19日から第2代大邱市長を務め、1952年5月5日に地方自治制度により大邱市議会(朝鮮語版)の間接選挙で初代民選市長に選出された。
中井川 浩(なかいがわ ひろし、1900年(明治33年)9月… 中井川 浩(なかいがわ ひろし、1900年(明治33年)9月23日 – 1949年(昭和24年)11月3日)は、衆議院議員(立憲民政党)。厚生政務次官、陸軍参与官。ジャーナリスト。 茨城県に警察官の息子として生まれる。父の配属の都合で東京・茨城を転々としながら、水戸中学校に入学するも教師を批判したことで放校処分となり、日本中学校を卒業。日本大学専門部を中退し、やまと新聞に入社し水戸支局に入り、1922年(大正11年)に報知新聞へ移って土浦支局長になった。のち茨城民報を創刊するが、茨城民報はいはらき新聞に吸収合併され、そのままいはらき新聞社の取締役を務めた。 土浦町会議員、茨城県会議員に当選する一方で、茨城県出身の民政党代議士原脩次郎が拓務大臣に就任すると拓務省嘱託となり、ついで原が鉄道大臣に就任すると鉄道省嘱託となった。
大日向 蔦次(おおひなた つたじ、1900年8月20日 - … 大日向 蔦次(おおひなた つたじ、1900年8月20日 - 1975年2月23日)は日本の政治家。東京都議(6期)、第21代都議会議長を歴任した。 1900年8月20日、千葉県に生まれる。1924年に日本大学商学部を卒業。1947年、東京都議会議員選挙に江戸川区選挙区から立候補し、初当選する。その後、総務委員会委員長(1952年から1953年)、厚生委員会委員長(1956年)、社会党都議団幹事長(1960年)を歴任した。1960年10月28日に衆議院選挙に立候補するため都議を辞職した。第29回衆議院議員選挙に旧東京6区から立候補したが、次点で落選した。その後は、東京都選挙管理委員会委員(1960年から1963年)を務めた。
李 鎮洙(イ・ジンス、朝鮮語: 이진수/李鎭洙、1900年8… 李 鎮洙(イ・ジンス、朝鮮語: 이진수/李鎭洙、1900年8月7日 - 1968年12月9日または12月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の計理士、弁理士、教育者、政治家、実業家。朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、制憲・第2代韓国国会議員。本貫は徳山李氏(朝鮮語版)。 咸鏡南道利原郡出身。北青公立普通学校、京城オソン中学校、日本大学専門部工科専修科、同大商科経済学科卒。京都帝国大学(現・京都大学)経済学・社会学修了。世和堂製薬株式会社代表取締役、世和産業・世和商事・世和土建株式会社代表取締役、朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、韓国民族代表者大会代議員、総選挙対策委員会委員、財団法人世和学院理事長、ソウル薬学大学理事長、朝鮮雄弁会副会長、国会文教厚生・産業労働分科委員、独立政治経済問題研究所代表者、李儁先生記念事業協会理事、大韓労農党党員、大韓国民党党員、大韓労総委員長、自由党幹部、東洋水産株式会社代表、咸南人会総務部長を務めた。