千葉 敏郎(ちば としお、1926年4月30日 - 2010… 千葉 敏郎(ちば としお、1926年4月30日 - 2010年)は、日本の俳優。旧芸名及び本名は鈴木 登四男(すずき としお)。 千葉県出身。明治大学卒業後に1950年に大映入社(大映ニューフェース6期生)。1953年に映画『社長秘書』で千葉 登四男名義で正式デビュー。1958年に千葉 敏郎に改名。1965年に大映を退社するまでに100本以上の映画に強面の斬られ役などの端役で出演した。 テレビドラマに活動の場を移してからも、主に時代劇でヤクザの親分や用心棒の浪人役などで強い印象を残し、1980年代頃まで活躍した。とりわけ近衛十四郎主演の素浪人シリーズ『素浪人 花山大吉』などへの出演は多い(いずれも悪役としての出演)。
寺沢 光子(てらさわ みつこ、1926年4月25日 - 20… 寺沢 光子(てらさわ みつこ、1926年4月25日 - 2001年7月16日)は、日本の弁護士。女性初の地方裁判所所長として、徳島地方裁判所所長、浦和家庭裁判所所長、横浜家庭裁判所所長等を歴任した。 1926年、出生。明治大学卒業後、弁護士となり、女性で初めて司法研修所の裁判官教官を務めた他、1983年に女性初の地方裁判所長として徳島地方裁判所長に就任した。その後、浦和家裁所長、横浜家裁所長、東京高裁部総括などを歴任、高裁判事として、多くの著名事件について判決を出した。 1996年。勲二等瑞宝章を受章。2001年、腸閉塞のため死去。75歳没。
八剣 浩太郎(やつるぎ こうたろう、1926年4月23日 -… 八剣 浩太郎(やつるぎ こうたろう、1926年4月23日 - 2009年6月8日)は、日本の小説家。本名、岡田稔。北海道生まれ。明治大学卒。 教師や新聞記者を経て、文筆業に入る。江戸時代を舞台にした時代小説を書き、桔梗之介を主人公とする『孤剣奥の細道』以下の作品などがある。 2009年6月8日、胆管癌のため死去。
山崎 善平(やまざき ぜんぺい、1926年4月21日 - 2… 山崎 善平(やまざき ぜんぺい、1926年4月21日 - 2005年7月5日)は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 府立第十二中から明治大学を経て、1950年に大洋ホエールズへ入団。しかし、契約金を1年かからずに使い切るほどの酒癖がたたり、1年で大洋を解雇される。同級生の杉下を頼り、1951年には名古屋ドラゴンズに移籍。1952年6月3日の古巣・大洋戦ダブルヘッダー第2試合(門司老松)では1試合6盗塁のプロ野球記録をマーク。内容は二盗1、三盗3、本盗2であった。足は速くも遅くもなかったが、一か八かの賭けに勝ち続けた結果であると杉下は述べている。この記録は1989年10月16日の中日戦で広島の正田耕三が同じく1試合6盗塁をマークしたのみで現在もプロ野球タイ記録として残っている。
宝山 省二(ほうざん しょうじ、1926年4月5日 - )は… 宝山 省二(ほうざん しょうじ、1926年4月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは三塁手。
別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 20… 別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 2010年12月25日)は、北海道旭川市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手。 旧制明治中学校では内野手としてプレーし、明治大学に進学。大学3年生の時にマネージャーをする傍らに、島岡吉郎監督の後を受けて母校の明治中学の野球部監督を務めた。大学卒業後は大和証券に入社し、同社の軟式野球部の監督も務め、硬式への切り替えに取り組んだ。 1988年から1995年までに島岡吉郎の後任として、明治大学の監督を務めた。監督在任時には、東京六大学野球リーグでは、4回優勝を果たし、1995年の明治神宮野球大会では、エースの川上憲伸を擁して、日本一を果たした。
若原 泰之(わかはら やすゆき、1926年2月26日 - 2… 若原 泰之(わかはら やすゆき、1926年2月26日 - 2005年8月8日)は岡山県出身の実業家。 明治大学出身。朝日生命保険社長の他、生命保険協会会長を二度に渡って務めた。また、経団連1%クラブの会長なども務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
波多野 重雄(はたの しげお、1926年(大正15年)2月1… 波多野 重雄(はたの しげお、1926年(大正15年)2月11日 - 2023年(令和5年)4月14日)は、日本の税理士、政治家。東京都八王子市長(第22・23・24・25代、4期)。 山梨県北都留郡上野原町(現:上野原市)出身。 1950年明治大学商学部卒業。1958年税理士開業。1975年東京税理士会会長を経て、1984年自民党、公明党、新自由クラブ推薦で八王子市長選挙に立候補し初当選。1988年自民党、公明党、民社党推薦で再選。1992年自民党、公明党、民社党、社民連推薦で3選。1996年自民党推薦で4選。1999年からは東京都市長会会長も務めた。2000年に5選を目指して立候補した市長選では、多選批判を受ける形で元東京都議会議員の黒須隆一に倍以上の票差を付けられて、落選した。
山﨑 春之(やまざき はるゆき、1926年2月4日 - 20… 山﨑 春之(やまざき はるゆき、1926年2月4日 - 2010年1月13日)は、日本の教育者。学校法人駿河台学園の学園長等を務めた。学校法人駿河台大学名誉総長。東京都出身。 父74歳の時に理事長代行を請われ、「利益を追求したり、教育的意義がなくなった時は、すぐやめる」という条件をつけて就任。ビジネスマンとしての経験に基づき経営手腕を発揮し、特に昭和60年頃からの駿台予備学校の全国展開、専門学校の拡充、念願であった大学の開設といった拡大路線を成功させた。
須本 憲一(すもと けんいち、1926年1月7日 - 196… 須本 憲一(すもと けんいち、1926年1月7日 - 1968年2月10日)は、徳島県出身のプロ野球選手(内野手)、また徳島県立商業学校野球部元監督。
菅 貞人(かん さだと、1926年(大正15年)1月5日 -… 菅 貞人(かん さだと、1926年(大正15年)1月5日 - )は、日本の実業家。旧名は韓吉昌。 1926年に満洲で軍人の子として生まれる。1943年に満州国留学生として来日。終戦後に東京・小石川になった満州国留学生会館に住み、苦学して明治大学商学部(夜間)を卒業し、出版社を経営する一方で紙の特別配給を受けて大半の紙を闇で売りさばいて利益を上げた。その利潤を元手に高利貸しも行い、1954年頃から不動産業や自動車修理業を手広く経営し、1955年に北海道製糖を買収して製糖業界にも手を広げた。1959年に旧満州国籍から日本国籍に帰化した。1958年に共和製糖を買収し瞬く間に事業を拡大、1961年にはセブンアップの関西地方での販売権を獲得(のちのチェリオコーポレーション)。
加藤 泰男(かとう やすお、1926年 - 2014年)は、… 加藤 泰男(かとう やすお、1926年 - 2014年)は、日本の経済学者。経済学博士。明治大学名誉教授。専門は理論経済学。イギリスの経済学者ジョーン・ロビンソンが1933年に著した『不完全競争の経済学』の日本版訳者として知られる。群馬県出身。 明治大学政治経済学部経済学科卒。のち同大学教授となる。1970年、『戦後日本の「高度成長」と循環』で経済学博士(明治大学)の学位を取得。 大学では経済学、経済変動論を担当した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
栗原 隆一(くりはら りゅういち、1926年 - )は、日本… 栗原 隆一(くりはら りゅういち、1926年 - )は、日本の歴史家。 福岡県生まれ。明治大学政治経済学部卒。サンケイ新聞記者を経て、文筆家。
檜山 四郎(ひやま しろう、1926年 - )は、犯罪学者。… 檜山 四郎(ひやま しろう、1926年 - )は、犯罪学者。茨城県生まれ。明治大学法学部卒業。東京家庭裁判所調査官、水戸家庭裁判所、前橋家庭裁判所で総括主任調査官、次席調査官、1986年退官。
石井 直一(いしい なおいち、1926年 - 1987年9月… 石井 直一(いしい なおいち、1926年 - 1987年9月4日)は、日本の大蔵官僚。 1926年、東京府の農家の次男に出生。1946年11月、旧制中学校卒で大蔵省入省。理由は「ソロバンが好きだったので、数字を扱う仕事につきたい」ためであったという。入省後に明治大学専門部商科(現・明治大学商学部)の夜間学部に入り、1949年に卒業。入省から一貫して本省主計局に勤務する。主計局勤務の頃は本省に泊まりづめで勤務し、折り畳み式の簡易ベッドを持ち込んでいた。夫人とは3日に1度、替えの下着を届けに来た時に顔を合わせる程度で、後輩のノンキャリアからは「大蔵省でいちばん働いた人」と評された。1979年、東北財務局長に就任し、初めて本省を離れる。
神畑 重三(かみはた しげぞう、1926年 - 2017年1… 神畑 重三(かみはた しげぞう、1926年 - 2017年12月25日)は、日本の実業家。カミハタ養魚グループの創業者である。神畑養魚株式会社、株式会社キョーリンのCEOを務めた。探検家としても知られる。 1926年、兵庫県姫路市に生まれる。1949年、明治大学卒業後、兵庫県庁に勤めるが、3日で退職。家業であった食用鯉の養殖業を継ぐ。食文化の変遷から食用鯉に未来がないと判断、観賞魚である錦鯉に目をつけ業態を変換する。1961年に神畑養魚株式会社を設立後は、錦鯉の養殖から熱帯魚の輸入卸にシフトしていく。1968年に観賞魚飼料の商社である株式会社キョーリンを設立。1979年に工場部門としてキョーリンフード工業株式会社を立ち上げ、一代でカミハタ養魚グループを築き上げる。
山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2… 山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、昭和・平成期の歌人。北海道南富良野町生まれ。北海道歌人会設立に参画。第33回日本歌人クラブ賞、第61回北海道文化賞受賞。 父の山名薫人も短歌雑誌・結社の『潮音』に所属した歌人である。 1925年(大正14年)12月15日、北海道上川管内南富良野町に生まれる。1940年(昭和15年)、15歳で短歌結社(雑誌)『潮音』『新墾()』に入会。現在の札幌光星高等学校を卒業。明治大学に進学。大学在学中より特別幹部候補生として苫小牧市沼ノ端の独立旅団に入隊し、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦を迎える。 戦後は1948年(昭和23年)、北海道新聞社に入社。
井上 正治(いのうえ しょうじ、1925年11月14日 - … 井上 正治(いのうえ しょうじ、1925年11月14日 - 1990年5月23日)は、日本の経営者。東京証券社長を務めた。新潟県小千谷市出身。 1950年に明治大学政治経済学部を卒業し、同年に日興證券に入社した。1969年に取締役に就任し、1972年に常務、1977年に専務、1981年に副社長を経て、1985年12月に東京証券社長に就任。 1989年に藍綬褒章を受章。 1990年5月23日心筋梗塞のために在任中に死去。64歳没。
宮崎 繁樹(みやざき しげき、1925年10月21日 - 2… 宮崎 繁樹(みやざき しげき、1925年10月21日 - 2016年4月10日)は、日本の国際法学者。明治大学名誉教授、財団法人人権教育啓発推進センター顧問。法学博士(明治大学、1962年)(学位論文「ザールラントの法的地位」)。
渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 19… 渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。 坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
岩内 克己(いわうち かつき、1925年8月15日 - )は… 岩内 克己(いわうち かつき、1925年8月15日 - )は、日本の映画監督。若大将シリーズを多く監督した。
須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 201… 須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 2011年7月10日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、小説家。 静岡市出身。1943年、静岡県立静岡中学校卒業。横浜工業専門学校造船科卒業後、1947年、農林省水産局漁船課に入省。1952年より、ガリオア資金による留学生としてアメリカに渡り、ミシガン大学で1年間学ぶ。ここで妻となる越川さち(後、共立女子大学教授)と知り合う。その後、明治大学文学部夜間三年に編入学し、青沼一郎の教えを受け、1954年、ハーマン・メルヴィル「モービー・デイック」論により卒論提出。明治大学大大学院に進学。越川さちと結婚、農林省水産庁退職。1956年、明治大学文学部助手。
藤芳 誠一(ふじよし せいいち、1925年5月26日 - 2… 藤芳 誠一(ふじよし せいいち、1925年5月26日 - 2012年2月19日)は、日本の経営学者。経営学博士(論文博士・1971年)。明治大学名誉教授。 熊本県出身。1949年明治大学商学部卒、1971年「経営管理の体系的研究」で経営学博士の学位を取得。 1949年明大商学部助手、1953年経営学部専任講師、1956年助教授、1962年教授となり、1971年 - 1979年経営学部長を務める。1966年千葉経済短期大学教授を兼任した。1995年明大を定年退任、名誉教授、東亜大学教授・副学長となる。 子に経営学者・高千穂大学教授の藤芳明人(1957年 - )がいる。
山本 進一(やまもと しんいち、1925年(大正14年)2月… 山本 進一(やまもと しんいち、1925年(大正14年)2月5日 - 2013年(平成25年)1月25日)は、日本の法学者・裁判官・弁護士だった人物。法学博士(明治大学)。明治大学学長。専門は民法全般。 東京出身。1942年、慶應義塾商業学校卒業。1944年、明治大学専門部法科卒業。赤紙で召集を受ける。1945年、復員。1947年、高等試験司法科試験合格。1949年、明治大学法学部卒業。東京地方裁判所判事補に任官。1952年、東京簡易裁判所判事を併任。1953年、退官。明治大学法学部助教授(民法担当)。弁護士登録。1954年、明治大学法学部教授。1962年、博士(法学)。論文の題は「無効行為転換の理論」。
斉藤 一雄(齋藤 一雄、さいとう かずお、1925年(大正1… 斉藤 一雄(齋藤 一雄、さいとう かずお、1925年(大正14年)1月30日 - 2005年(平成17年)10月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(4期)。東京神田出身。 1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業する。労働組合に入り、東京都労連政治部長、東京地評副議長などを歴任し、1973年(昭和48年)東京都議会議員に当選する。以後4回当選。1986年(昭和61年)日本社会党自治体議員団全国会議議長を務める。 1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙に社会党公認で旧東京3区から立候補し初当選、当選1回。社会党東京都本部委員長、衆議院環境委員会理事などを歴任した。
若林 繁太(わかばやし しげた、1925年〈大正14年〉1月… 若林 繁太(わかばやし しげた、1925年〈大正14年〉1月24日 - 2007年〈平成19年〉7月27日)は日本の教育者、教育評論家。篠ノ井旭高校(現・長野俊英高等学校)の経験をもとに『教育は死なず』を上梓したことで知られる。 1925年に中国撫順で生まれる。旧制撫順中学校卒業。1953年に明治大学法学部法学科を卒業、1956年に明治大学大学院修士課程修了。同年、明治大学法学研究所研究員。当初は作家を志し、吉川英治門下に連なっていたものの作品が作れず、先輩からの忠告を受けた末に挫折し、明治大学大学院に入り直し民法を修めた。後に長野大学法学部新設の折に教授として迎えられることになるものの、大学紛争の影響で中止になった。
内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5… 内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。愛知県岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(2期)を歴任した。「喜久」を音読みして「きく」と読まれることも多い。 長男の内田康宏を擁立した1980年6月の衆院選で、検挙者128人(うち逮捕者55人)におよぶ空前の選挙違反事件を引き起こした。愛知県警が解明しただけでも計4,424万円の現金をばらまき、自身のほか、県議1人、岡崎市議25人、安城市議7人、幸田町議6人、旧額田町議4人が逮捕された。長年にわたる土建業者との癒着も暴かれ、同年8月、収賄容疑で再逮捕された。 愛知県岩津村井ノ口(現・岡崎市井ノ口町字楼)に、農業を営む父:内田松太郎、母:かまの三男として生まれる。
原田 実(はらだ みのる、1925年 - )は、日本の美術評… 原田 実(はらだ みのる、1925年 - )は、日本の美術評論家。東京国立博物館資料課長。日本近代美術史。 神奈川県平塚市生まれ。1953年、明治大学文学部卒業。
野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21… 野口 岡治(のぐち おかじ、1924年〈大正13年〉9月21日 - 1996年〈平成8年〉8月20日)は、日本の政治家、千葉県富津市長(1期)。元千葉県議会議員(自由民主党)。 千葉県出身。旧制木更津中学校を経て、明治大学商学部卒。豊橋第二陸軍予備士官学校に入るが、終戦により閉校。戦後、陸上自衛隊に入り、一等陸尉に進む。南房総開発(株)代表取締役、木更津信用金庫理事、(株)南房総クラブ代表取締役を務めた。 政界では君津郡天羽町(のち富津町を経て、富津市)議会議員、同町長となり、千葉県議会議員を5期務め、議長を務めた。また、自民党千葉県連副幹事長、政調会長、総務会長などを務めた。1991年に落選。
佐貫 百合人(さぬき ゆりんど、1924年9月21日 - 2… 佐貫 百合人(さぬき ゆりんど、1924年9月21日 - 2007年1月9日)は、演劇評論家。 山口県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。週刊アサヒ芸能新聞社、サンケイ新聞社で芸能記者を務め、のち国立劇場勤務。歌舞伎を中心に演劇評論をおこなった。 2007年1月9日、肺炎のため死去。
椎野 英之(しいの ひでゆき、1924年9月9日 - 197… 椎野 英之(しいの ひでゆき、1924年9月9日 - 1976年12月2日)は、日本の映画プロデューサー、実業家である。日本映画テレビプロデューサー協会事務局長、東宝映画常務取締役を歴任した。東京都出身。 19443年[疑問点 – ノート]に文学座に入団。終戦の年に明治大学を卒業し時事新報の記者として入社。文化・社会・政治を中心に活躍。1950年に菓子店を経営し1951年に「雲の会」発行の雑誌『演劇』の編集者となる。1952年に東宝撮影所に入社。文芸部を経て、1960年に東京映画に移籍し、佐藤一郎製作のもと、川島雄三監督の映画『赤坂の姉妹 夜の肌』で「企画」としてクレジットされる。翌1961年(昭和36年)には、永島一朗と連名で、女優・田中絹代の監督作品『女ばかりの夜』で「製作」にクレジットされる。
和田 一仁(わだ かずひと、1924年7月30日 - 201… 和田 一仁(わだ かずひと、1924年7月30日 - 2010年12月8日)は、衆議院議員(5期)。元民社党副書記長。 東京都生まれ。明治大学卒業。商工省に入り、その後西尾末広の秘書を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙と1972年の第33回衆議院議員総選挙に埼玉1区から民社党で立候補するが、落選。1979年の第35回衆議院議員総選挙で選挙区を埼玉5区に移し、初当選。以後連続5回当選。1981年、民社党統制委員。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。1994年、勲二等瑞宝章受章。2010年、多臓器不全のため死去。
野田 愛子(のだ あいこ 1924年(大正13年)7月5日 … 野田 愛子(のだ あいこ 1924年(大正13年)7月5日 - 2010年(平成22年)6月19日)は、日本の裁判官。女性初の高等裁判所長官だった。1994年、勲二等宝冠章受章。叙正三位。
堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5… 堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5月29日)は日本の東洋史学者。明治大学名誉教授、東洋文庫研究員。『世界史の基本法則』の唐代担当、『均田制の研究』など西嶋定生と共に東京学派を代表する研究者として活躍し、退任後は『漢の劉邦-ものがたり漢帝国成立史』など一般向けの著書を多く出した。
小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 198… 小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 1987年7月29日)は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手)。 千葉商業から明治大学へ進学。1945年11月に新設球団セネタースから勧誘を受けるが、固辞して大学に残る。1946年には母校の千葉商業で監督を務めている。1948年の大学卒業に当たって、明治大学の同期で東急フライヤーズ(セネタースの後身)に所属していた清水喜一郎から東急入団の勧誘を受けるが、小川は再び固辞して小口工作所に入社した。 1949年に大映スターズのスカウト・小林次男の勧誘を受けて入団。カーブ、ドロップ、スライダー、シュートを武器に2年目に二桁となる12勝を挙げた。1954年と1955年にも2桁勝利を記録し、大映の先発陣の柱として活躍した。
林 迶(はやし ゆう、1924年5月19日 - 1994年2… 林 迶(はやし ゆう、1924年5月19日 - 1994年2月11日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。労働大臣(第48代)。 逓信相や農商務相を歴任した林有造の孫、副総理や衆議院議長などを歴任した林譲治の長男。弟・林遉(さすが)は宿毛市市長を務めた。 高知県出身。明治大学政経学部卒業後、東邦レーヨンに勤務。1974年参議院高知県選挙区補欠選挙で当選し、3期務める。 1979年6月6日、参議院本会議で元号法案に対し自由民主党・自由国民会議を代表し賛成討論を行った。 1985年、第2次中曽根第2次改造内閣の労働大臣に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。翌1990年の第39回衆議院議員総選挙に無所属で出馬したが、再度落選し引退。
清水 喜一郎(しみず きいちろう、1924年5月10日 - … 清水 喜一郎(しみず きいちろう、1924年5月10日 - 1964年2月28日)は、東京都出身のプロ野球選手(二塁手・遊撃手)。 京王商業学校(現・専修大学附属高等学校)在学中は、1941年に第27回全国中等学校優勝野球大会(日中戦争悪化により中止)東京府大会の決勝に進むが、帝京商業学校(現・帝京大学中学校高等学校)に0-14で大敗し、準優勝。戦時下の翌1942年に甲子園大会に出場。初戦で、この大会優勝の徳島商に延長14回の激闘の末、1-2で惜敗した。京王商業時代のチームメイトに貫井丞治がいる。 京王商卒業後は、貫井と共に明治大学でプレーした。実家は甲州街道沿いで食堂「喜楽」を営み、母親は明治大学野球部合宿所の賄い婦も兼ねていた。
村山 富市(むらやま とみいち、1924年〈大正13年〉3月… 村山 富市(むらやま とみいち、1924年〈大正13年〉3月3日 - 2025年〈令和7年〉10月17日)は、日本の政治家。労働組合指導者。位階は正二位。勲等は大勲位。 労働組合運動から日本社会党に所属し政治家となり、大分県大分市議会議員(2期)、大分県議会議員(3期)、衆議院議員(8期)、日本社会党委員長(第13代)、内閣総理大臣(第81代)、社会民主党党首(初代)、名誉党首を歴任した。 1955年の自由民主党発足以降の内閣総理大臣で初の自民党所属歴が無い内閣総理大臣である。現在に至るまでこの事例は3名のみである。 歴代の内閣総理大臣では東久邇宮稔彦王に次いで2番目の長寿記録保持者(101歳228日)である。
高野 裕良(たかの ひろよし、1924年2月24日 - 20… 高野 裕良(たかの ひろよし、1924年2月24日 - 2013年1月2日)は、山口県出身のプロ野球選手(投手)。1946年と1947年の登録名は諏訪 裕良。
岡本 喜八(おかもと きはち、1924年(大正13年)2月1… 岡本 喜八(おかもと きはち、1924年(大正13年)2月17日 - 2005年(平成17年)2月19日)は、日本の映画監督。本名は岡本 喜八郎(おかもと きはちろう)。 鳥取県米子市四日市町出身。 1941年、鳥取県立米子商蚕学校(現・鳥取県立米子南高等学校)を卒業後、上京。1943年に明治大学専門部商科を卒業後、東宝に入社し助監督となる。しかし、1944年に太平洋戦争の戦局の悪化に伴い召集され、1945年1月に松戸の陸軍工兵学校に入隊。愛知県豊橋市にあった第一陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。この豊橋滞在時に空襲で多くの戦友たちの死を目の当たりにし、戦争や陸海軍部に対する大きな憤りを抱いた。 復員後に東宝へ復帰し、マキノ雅弘や谷口千吉、成瀬巳喜男、本多猪四郎らに師事して修行を積む。
高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月2… 高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月25日 - 1991年(平成3年)6月3日)は、日本の実業家。 秋田県雄勝郡院内町出身。旧姓は伊藤。明治大学法学部中退。 養父から受け継いだ商店を企業として発展させ、不動産・旅行代理店・家電量販店等の事業にも進出。首都圏を代表するスーパーマーケットチェーン忠実屋を築き上げた。1954年に株式会社化すると社長に就任し、1991年に会長となった。同年6月3日、心不全のため死去。 1987年藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
豊田 善一(とよだ ぜんいち 1924年〈大正13年〉1月2… 豊田 善一(とよだ ぜんいち 1924年〈大正13年〉1月2日 – 2004年〈平成16年〉11月1日)は、日本の実業家。 1924年、出生。明治大学卒業後、野村證券に入社し、田淵節也会長と2人3脚で事業法人を立ち上げるなどして、ガリバーと言われた野村證券を築き上げた。 野村證券の副社長時代には、次期社長と思われたが、大蔵省から反対意見が入ったことなどもあり、系列の国際証券に転じ、社長、会長を歴任した。 後にKOBE証券会長も務めるなど、常に証券営業のトップで活躍し、証券業界を代表する人物の一人とも言われた。 1988年、藍綬褒章を受章。 2004年11月1日、肺炎のため死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
貫井 丞治(ぬくい かんじ、1924年 - 没年不明)は、東… 貫井 丞治(ぬくい かんじ、1924年 - 没年不明)は、東京都杉並区出身のプロ野球選手(捕手)。貫井 函治と表記される文献もある。 京王商業学校(現・専修大学附属高等学校)在学中は、1941年に第27回全国中等学校優勝野球大会(日中戦争悪化により中止)東京府大会で決勝まで進むが、帝京商業学校〔現・帝京大学中学校高等学校〕に0-14で大敗し、準優勝に終わる。翌1942年に戦時下の甲子園大会に出場し、初戦でこの大会優勝の徳島商に延長14回の激闘の末、1-2で惜敗。座ったまま、二塁に送球できる強肩捕手として知られていた。京王商業時代のチームメイトに清水喜一郎がいる。 京王商卒業後は清水とともに明治大学に進学するが、貫井は父の反対により野球を止める。
池田 一新(いけだ いっしん、1924年〈大正13年〉 - … 池田 一新(いけだ いっしん、1924年〈大正13年〉 - 2017年〈平成29年〉9月11日)は、日本の経済学者(数理経済学)。日本における独占経済学の第一人者。
千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 196… 千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 1967年8月10日)は、日本の俳優、コメディアン。 実業家の千葉芳男と友子(1896年生、宮城県の大友耕三の妹)の三男として東京府東京市淀橋区下落合(現在の東京都新宿区)に生まれる。兄に恭、茂、姉に篤子、弟に孝、芝之がいる。 父芳男は1889年11月3日に宮城県志田郡の仙台藩士族千葉軍記(農事試験場の助手を勤めたのち、上海に渡り、旅館の萬蔵館を経営)の長男として生まれ、東京商工学校卒業後、浅野セメントに入社し、本社検査課や川崎、深川両工場のスレート部、共同販売会社主任、東京支店長心得などを務めたのち独立。1931年に日本スレート販売株式会社が創立されると社長となった。
森永 正比古(もりなが まさひこ、1923年(大正12年)1… 森永 正比古(もりなが まさひこ、1923年(大正12年)11月 - 没年不明)は、日本の警察官僚。内閣調査室長(現・内閣情報官)、北海道警察本部長などをつとめた。 佐賀県出身。明治大学法学部卒業。 1949年(昭和24年)に入省後、政府委員、兵庫県警察本部警務部長、警察庁刑事局参事官などを経て、1975年(昭和50年)北海道警察本部長、1977年(昭和52年)警察庁刑事局保安部長、1979年(昭和54年)には、日本政府の情報機関を代表し統括する、第11代内閣官房内閣調査室長(現・内閣情報官)に就任。同職は現在では、官僚機構のトップである事務次官級の役職とされており、公安畑の経歴がない中で異例の抜擢とされた。
吉田矢 健治(よしだや けんじ、1923年(大正12年)10… 吉田矢 健治(よしだや けんじ、1923年(大正12年)10月25日 - 1998年(平成10年)11月6日)は、昭和期の作曲家。山口県岩国市出身。明治大学卒業。通称:ダヤ先生。 明治大学マンドリン倶楽部を経て、作曲家の利根一郎に師事。1950年(昭和25年) 12月よりテイチクレコード専属となり、村澤良夫歌唱の「見果てぬ夢」で作曲家としてデビュー。翌年に菅原都々子の『広東エレジー』で初ヒットを飛ばす。(尚、此の作品は後にシンガポールの演歌歌手黄清元によってカヴァーされ、現地でも広く知られる様になった。)1953年(昭和28年)からキングレコードに専属し、「あなたと共に」、「夕焼けとんび」、「山の吊橋」など昭和期に多くの曲を作曲した。
岩田 巌(いわた いわお、1923年10月7日 - 1986… 岩田 巌(いわた いわお、1923年10月7日 - 1986年5月22日)は、日本の実業家。 北海道出身。岩田徳治の長男。子息に岩田圭剛がいる。1944年に明治大学商学部を卒業したが、軍に召集を受けた。 1946年に復員後、岩田組に入社した。1949年に岩田建設専務取締役となり、1960年同社長に就く。 江別大橋、幌平橋、豊水橋、雁来大橋などを手掛け、父に続いて「橋の岩田」と称された。また北海道学芸大学附属小学校・北海道学芸大学附属中学校、北海道立図書館などを手掛けた。 公職として札幌建設業協会理事・北海道建設業協会理事(以上1972年就任)、札幌建設業協会副会長(1981年就任)を務め、1982年には札幌建友会会長に就任した。
土屋 亨(つちや とおる、1923年10月6日 - 2002… 土屋 亨(つちや とおる、1923年10月6日 - 2002年10月15日)は、長野県出身のプロ野球選手(内野手)、スポーツジャーナリスト(スポーツライター)、野球解説者。
中根 英郎(なかね ひでろう、1923年9月19日 - 19… 中根 英郎(なかね ひでろう、1923年9月19日 - 1982年2月25日)は、日本の経営者。日動火災海上保険社長、会長を務めた。 愛知県出身。1946年に明治大学商学部を卒業し、1950年11月に日動火災海上保険に入社。1963年6月に取締役に就任し、1966年2月に常務、同年6月に専務を経て、1972年6月に副社長に就任し、1977年7月には社長に昇格。 1982年2月25日、肝硬変のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。