小池 精一(こいけ せいいち、1926年4月1日 - 199… 小池 精一(こいけ せいいち、1926年4月1日 - 1990年12月10日)は、日本の経営者。山梨県出身。 1945年に陸軍士官学校を経て、1949年に早稲田大学理工学部土木工学科を卒業し、同年に間組に入社。 1981年12月に取締役に就任し、1983年12月に常務、1985年12月に専務、1987年に副社長を経て、1989年12月には社長に就任。 1990年12月10日肺炎のために死去。64歳没。
塩川 嘉彦(しおかわ よしひこ、1926年2月13日 - )… 塩川 嘉彦(しおかわ よしひこ、1926年2月13日 - )は、日本の経営者。大東京火災海上保険社長、会長を務めた。静岡県出身。 1950年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に大東京火災海上保険に入社。1969年6月に取締役に就任し、1972年2月に常務、1974年6月に専務を経て、1978年7月に副社長に就任し、1982年11月には社長に昇格。1988年6月に取締役相談役に就任し、1989年6月から1993年6月までに相談役を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山岡 淳男(やまおか ただお、1925年〈大正14年〉11月… 山岡 淳男(やまおか ただお、1925年〈大正14年〉11月28日 - 2013年〈平成25年〉8月18日)は、日本の実業家で、三代目ヤンマー(現・ヤンマーホールディングス)社長。ヤンマーグループを発展させ、中興の祖と評される。1963年から約35年間、社長を務めた。2010年から名誉会長。 1925年(大正14年)11月、山岡孫吉の次男として兵庫県に生まれる。1943年(昭和18年)旧制甲陽中学校卒(現在の甲陽学院中学校・高等学校、22回卒)、1948年(昭和23年)3月に早稲田大学理工学部を卒業後、アメリカ合衆国のコロンビア大学大学院留学を経て、1953年(昭和28年)2月、ヤンマーディーゼル株式会社(当時)に入社した。
葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 -… 葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 - 2014年4月30日)は、実業家、映画館経営者、映画・演劇プロデューサー。日本アート・シアター・ギルド(ATG)の主要な映画館「アートシアター新宿文化」総支配人として、また、ATG映画の製作者として知られる。妻は村井志摩子。 三重県伊勢市生まれ。1951年、早稲田大学文学部芸術学科卒業後、三和興行に入社。 1961年の日本アート・シアター・ギルド創設に参加。1962年には、三和翼下で、ATGの映画を上映する映画館「アートシアター新宿」が設立され総支配人に。1963年からは、映画だけではなく、前衛演劇も上演するようになる。1967年には映画館の地下にアングラ小劇場「蝎座」を設立。
里見 泰男(さとみ やすお、1925年11月10日 - 20… 里見 泰男(さとみ やすお、1925年11月10日 - 2010年10月24日)は、日本の経営者。大成建設社長を務めた。 神奈川県出身。1950年に早稲田大学理工学部工業経営学科を卒業し、同年に大成建設に入社。1979年6月に取締役に就任し、1981年1月に常務、1983年6月に専務を経て、1984年11月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格。1993年6月に副会長に就任し、1994年6月に取締役相談役に就任。 2010年10月24日に急性心不全のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高垣 欣也(たかがき ぎんや、1925年(大正14年)10月… 高垣 欣也(たかがき ぎんや、1925年(大正14年)10月2日 - )は、日本の実業家。TBS元副社長。神奈川県出身。 1946年(昭和21年)に早稲田大学理工学部を卒業後、三力電気工業を経て、TBSの前身であるラジオ東京に入社。 テレビ編集局次長、技術局長を経て、取締役に選任。1975年(昭和50年)に常務、1983年(昭和58年)に副社長に昇格し、1986年(昭和61年)に特別顧問に退くが、山西由之社長の死去に伴い、一時的に社長代行を務めた。
滝上 隆司(たきがみ たけし、1925年10月2日 - 20… 滝上 隆司(たきがみ たけし、1925年10月2日 - 2007年5月17日)は、日本の実業家。 東京都出身。1947年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に小田急電鉄に入社。取締役、事業本部長、常務、専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1991年から1997年までに社長を務めた。 箱根登山鉄道社長、小田急百貨店取締役、神奈川中央交通取締役、小田急不動産取締役、日本民営鉄道協会副会長なども歴任した。 1988年6月に運輸大臣表彰を受け、1990年11月に藍綬褒章を受章した。 2007年5月17日、呼吸不全のために死去。81歳没
黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 199… 黒川 洸(くろかわ ひかる、1925年6月19日 - 1998年12月28日)は、日本の実業家。テレビ愛知の初代社長を務めた。 石川県出身。海軍兵学校卒業。戦後の1951年に、早稲田大学政治経済学部卒業。同年、日本経済新聞社に入社。ロンドン特派員、編集局次長などを経て、1976年から取締役に就任。1982年に設立されたテレビ愛知の社長を1982年12月から1991年6月までに務めた。1991年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年12月28日、心不全のため死去。73歳没。
金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 20… 金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 2012年1月26日)は、日本の実業家、切手収集家。 繊維機器・不織布メーカーである金井重要工業の社長・会長。切手収集家としてはモーリシャスの切手コレクションで世界的に知られ、財団法人切手文化博物館理事長、有馬切手文化博物館(神戸市)館長を務めた。 1925年5月16日、兵庫県尼崎市生まれ。裕福な実業家を父に持ち、5歳の時にはじめて切手を収集した。13歳の時に趣味にのめりこみ、大学在学中に2つの切手収集クラブを設立した。金井は早稲田大学で政治経済学を学んだあと、日本大学で工学の学位を取得した。大学修了後、祖父が設立した繊維機械製造会社に勤務。
新井 明(あらい あきら、1925年4月1日 - 2004年… 新井 明(あらい あきら、1925年4月1日 - 2004年7月28日)は、元日本経済新聞社社長。栃木県那須烏山市出身。 1949年、早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。1963年政治部長、1970年編集局長となり、取締役労務担当、常務社長室長、副社長大阪本社代表、電波担当などを経て、リクルート事件に絡み当時の森田康社長が引責辞任したことを受け、1988年7月、社長に就任。 1991年、イトマン事件初公判の冒頭陳述で検察側が「被告が日経の協力者に1,000万円を支払った」と指摘した問題では、直ちに調査委員会を設置して「社内協力者」が実在しないことを証明。検察側には一歩も引かない姿勢を示して、事実上、過ちを認めさせ、言論報道機関としての日経の信用回復に全力を挙げた。
大西 潤甫(おおにしじゅんすけ 1925年2月24日 - 2… 大西 潤甫(おおにしじゅんすけ 1925年2月24日 - 2004年11月11日)は、日本の実業家。1968年から2000年まで高松琴平電気鉄道社長を務め、2000年からは会長を務めたが2001年に経営破綻して退任。地元の実業家真鍋康彦に再建が託された。 四国一の資産家だった大西行礼は祖父。高松琴平電気鉄道創業者で貴族院議員を務めた大西虎之介は父。高松琴平電気鉄道社長や衆議院議員を務めた大西禎夫は叔父。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
桑山 健一(くわやま けんいち、1925年2月21日 - 2… 桑山 健一(くわやま けんいち、1925年2月21日 - 2010年12月30日)は、昭和・平成期の実業家。京王帝都電鉄(現・京王電鉄)代表取締役社長(第6代)。CI戦略「リフレッシング京王」を提唱して経営改革を強力に推進し、京王グループを優良企業に押し上げた実績から「京王の中興の祖」といわれる。 東京都生まれ。1949年に早稲田大学専門部を卒業、京王帝都電鉄に入社した。京王帝都電鉄は当時、東京急行電鉄(大東急)から分離独立したばかりで、桑山らは総合職1期生として入社した。 設立当初の京王帝都電鉄は、大手私鉄の中でも経営基盤が脆弱で財務状況も芳しくなかった。毎期の決算の度に、旧・東急系の事業者である東急、小田急電鉄、京浜急行電鉄と比較され、特に経理部門の社員たちは悔しい思いをしてきたという。
一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月… 一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月23日 - 2014年(平成26年)3月24日)は日本の実業家、元室蘭民報社社長。北海道室蘭市出身。 その他、室蘭市教育委員(1978年から1995年まで)・NHK番組審査委員・室蘭保健所保健協議会委員・室蘭市労働問題審議会委員・室蘭交通安全協会理事・室蘭市中央卸売市場開設運営協議会委員・室蘭防犯協会理事・室蘭剣道連盟会長などを歴任。
三浦 守(みうら まもる、1924年5月28日 - 2020… 三浦 守(みうら まもる、1924年5月28日 - 2020年7月22日)は、日本の経営者。東急百貨店社長、会長を務めた。山形県出身。 1948年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東京急行電鉄を経て、東横百貨店(現在の東急百貨店)に入社。調査や渉外を担当し、長野県の百貨店との提携と北海道での百貨店設立に尽力した。1968年に取締役に就任し、1970年に常務、1973年9月に専務を経て、1978年7月には副社長に就任し、1981年4月には社長に昇格。社長在任時には、バブル経済と重なり、「闘う財務」と称して、財務テクノロジーによる業績の底上げを図ったが、あまりうまくいかなった。1992年4月に会長、1999年4月に相談役を経て、2005年4月から顧問を務めた。
中川 正男(なかがわ まさお、1924年 <大正13年> 4… 中川 正男(なかがわ まさお、1924年 <大正13年> 4月20日 - 1999年 <平成11年> 3月14日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。位階は従五位。 北海道出身。1948年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1981年に取締役、1985年に常務、1987年に専務を経て、1988年6月から1992年6月までに北海道文化放送社長を務めた。 1999年3月14日に心不全のために死去。74歳没。死没日付をもって従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 … 宇野 亨(うの とおる、1924年(大正13年)4月19日 - 1995年(平成7年)11月11日)は、昭和期の政治家、実業家。衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(3期)などを務めた。旧姓・佐藤。 千葉県匝瑳郡共興村(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で佐藤久衛、つぎ の四男として生まれた。共興小学校、匝瑳中学校(現千葉県立匝瑳高等学校)を経て、1942年(昭和17年)早稲田大学文学部に入学。1944年(昭和19年)前橋陸軍予備士官学校に入校し、見習士官となり陸軍少尉で終戦を迎えた。その後、復学して1947年(昭和22年)早稲田大学文学部を卒業した。大学在学中に、親類筋、八日市場市の酒造業・宇野儀助の長女・満子と結婚して宇野姓となる。
相田 雪雄(あいだ ゆきお、1924年2月1日 - 2015… 相田 雪雄(あいだ ゆきお、1924年2月1日 - 2015年10月8日)は、日本の実業家。元野村證券(現野村ホールディングス)会長。東京都出身。 第一早稲田高等学院時代は竹下登と同級生であった。早稲田大学政治経済学部卒業後の1947年、野村證券に入社。主に国際畑を歩み、副社長を経て、子会社の野村投資顧問(現野村アセットマネジメント)の社長・会長を務めた。1992年、損失補てん問題や暴力団との取引が発覚した証券不祥事で田淵節也野村証券会長が引責辞任した後を受けて、会長として本社に復帰。意識・風土改革を呼びかけるなど社内改革に尽力した。 2015年10月8日、呼吸不全のため死去。91歳没。
盛田 慶吉(もりた けいきち、1924年1月30日 - 20… 盛田 慶吉(もりた けいきち、1924年1月30日 - 2009年3月28日)は、日本の経営者。敷島製パン社長、会長を務めた。 父は敷島製パン3代目社長である盛田秀平。5代目社長の盛田淳夫は長男。 愛知県出身。1948年に早稲田大学商学部を卒業。 松坂屋での勤務を経て、1949年に敷島製パン監査役に就任し、1951年に取締役、1958年に常務を経て、1969年には社長に就任。1998年には会長に就任。 1998年11月に藍綬褒章を受章。 2009年3月28日急性心筋梗塞のために死去。85歳没。
太田垣 貴美(おおたがき たかみ、1924年1月19日 - … 太田垣 貴美(おおたがき たかみ、1924年1月19日 - 1991年11月12日)は、日本の経営者。北大阪急行電鉄社長を務めた。兵庫県城崎郡城崎町(現在の豊岡市)出身。 1946年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業し、1948年4月に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1967年11月に北大阪急行電鉄に出向し、取締役、常務、専務を経て、1980年6月に社長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1991年11月12日に死去。67歳没。
渡辺 宏(わたなべ ひろし、1923年(大正12年)10月3… 渡辺 宏(わたなべ ひろし、1923年(大正12年)10月3日 - 2005年(平成17年)9月27日)は、日本の実業家。東京都出身。東京ガス元社長。 1945年早稲田大学商学部卒業後、東京瓦斯入社。取締役常務、専務などを経て、1981年7月村上武雄社長の在任死去に伴い社長に就任。社団法人日本ガス協会会長、東京商工会議所副会頭などを務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤田 雄五(ふじた ゆうご、1923年(大正12年)9月1日… 藤田 雄五(ふじた ゆうご、1923年(大正12年)9月1日 - 2014年(平成26年)1月19日)は日本の実業家、元アンリツ社長。東京都出身。
小杉 信光(こすぎ のぶみつ、1923年8月31日 - 20… 小杉 信光(こすぎ のぶみつ、1923年8月31日 - 2004年4月12日)は、日本の経営者。沖電気工業社長を務めた。 東京都出身。1943年に早稲田大学政経学科を卒業し、同年に沖電気(のちの沖電気工業)に入社。1974年に取締役に就任し、1979年5月に常務、1982年5月に専務、1984年6月に副社長を経て、1988年6月に社長に就任。1992年10月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1986年4月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2004年4月12日心不全のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川村 忠男(かわむら ただお、1923年8月17日 - 20… 川村 忠男(かわむら ただお、1923年8月17日 - 2018年9月8日)は、日本の経営者。千代田火災海上保険社長を務めた。北海道出身。 1950年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に千代田火災海上保険に入社。 1974年6月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1980年7月には社長に昇格した。1988年6月から取締役相談役に就任した。 1986年11月に藍綬褒章を受章。 2018年9月8日肺癌のために死去。95歳没。
雲井 洋(くもい よう、1923年5月2日 - 1993年6… 雲井 洋(くもい よう、1923年5月2日 - 1993年6月10日)は、日本の経営者、銀行家。百五銀行頭取を務めた。三重県出身。 1946年に早稲田大学商学部を卒業し、1951年に百五銀行に入行。1959年に取締役に就任し、1962年11月に常務、1969年5月に専務を経て、1977年6月に副頭取に就任し、1991年6月に頭取に昇格し、1993年4月までに務めた。 1993年6月10日心不全のために死去。70歳没。
河西乾二(かさい けんじ 1923年3月26日 - 1995… 河西乾二(かさい けんじ 1923年3月26日 - 1995年6月8日)は、日本の実業家。
須貝 富安(すがい とみやす、1922年〈大正11年〉11月… 須貝 富安(すがい とみやす、1922年〈大正11年〉11月22日 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の実業家。スガイ・エンタテインメント社長、会長。父は須貝興行創始者の須貝富蔵。 1922年(大正11年)11月22日、北海道札幌市の須貝富蔵とシゲの間に次男として生まれる。父は1899年(明治32年)に北海道に渡り博徒となった人物で、樺太で漁業に携わった後、1909-1910年頃に一丁一家の二代目を襲名。1910年(明治43年)に先代の親分である高橋直吉より小林館を譲り受け、1918年(大正7年)札幌館として開館させた。富安は戦時中の1944年(昭和19年)に早稲田大学商学部を卒業し、大日本帝国海軍の志願兵となったが、1945年(昭和20年)に太平洋戦争終戦を迎えた。
長谷川 不二雄(はせがわ ふじお、1922年6月10日 - … 長谷川 不二雄(はせがわ ふじお、1922年6月10日 - 2016年1月22日)は、日本の経営者。日本製粉社長、会長を務めた。 北海道出身。1944年に早稲田大学法学部を卒業し、1946年6月に日本製粉入社。 1978年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1989年6月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、2000年6月には特別顧問に就任。 1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2016年1月22日老衰のために死去。93歳没。
跡田 禎三(あとだ ていぞう、1922年5月25日 - 19… 跡田 禎三(あとだ ていぞう、1922年5月25日 - 1994年7月1日)は、日本の経営者。名古屋鉄道副社長、岐阜乗合自動車社長を務めた。大分県出身。 1936年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に名古屋鉄道に入社。1968年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1978年6月に副社長に就任。1985年6月に取締役相談役に就任。1979年8月には岐阜乗合自動車社長に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 1994年7月1日急性心不全のために死去。72歳没。
樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> … 樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> 4月23日 - 2012年 <平成24年> 1月30日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は正五位。 山梨県出身。1946年に早稲田大学法学部を卒業し、1947年に山梨中央銀行に入行。1977年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務、1982年6月に副頭取を経て、1983年6月に頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1995年6月から1997年6月までに取締役相談役を務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2012年1月30日心筋梗塞のために死去。
清水 正博(しみず まさひろ、1922年4月7日 - 200… 清水 正博(しみず まさひろ、1922年4月7日 - 2008年12月21日)は、日本の実業家。北辰電機製作所(現・横河電機)代表取締役社長、北辰工業(現・シンジーテック)代表取締役会長。 工業計器・プロセス制御システムメーカーの一つであった北辰電機製作所の創業者で初代社長であった清水荘平の長男として生まれる。1947年、早稲田大学商学部を卒業し、北辰電機製作所に入社。1951年に同社監査役、1956年に同社専務取締役、1964年に父・荘平の会長就任に伴い、同社代表取締役社長に就任した。北辰は、戦前・戦中と軍需への依存度が高かった上に、戦災の被害が甚大で、戦後の再建は苦難を極めた。正博は、父・荘平を援けて、会社再建に尽力した。
鞠 快男(クク・クェナム、朝鮮語: 국쾌남、1922年3月1… 鞠 快男(クク・クェナム、朝鮮語: 국쾌남、1922年3月16日 - 2007年11月15日)は、大韓民国の実業家、政治家。忠武路にある映画館の大韓劇場(朝鮮語版)の設立者。第4代韓国国会議員。 本貫は潭陽鞠氏。号は白雪(ペクソル、백설)。15歳年下の弟の鞠鍾男は第14代国会議員、長男の鞠井本は1981年に大韓劇場の経営を継承した。 全南潭陽出身、4男2女中の長男である。早稲田大学法学部卒。軍政庁通訳官、ソングァン商事取締役、世紀商事代表、世紀航空(朝鮮語版)代表などを務めた。 1958年8月に映画館を運営する会社である世紀商事を設立し、1960年代に大韓劇場を引き継いだ以降に事業は着実に発展した。
藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5… 藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5日 - 2008年 <平成20年> 6月15日)は、日本の経営者。安藤建設社長、会長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1946年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同年に安藤組(のちの安藤建設)に入社。 1967年に取締役に就任し、1972年5月に常務、1975年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1982年6月には社長に昇格。1989年6月に会長を経て、1997年6月には相談役に就任。 1993年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年6月15日急性肺炎のために死去。86歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
徳間 康快(とくま やすよし、1921年〈大正10年〉10月… 徳間 康快(とくま やすよし、1921年〈大正10年〉10月25日 - 2000年〈平成12年〉9月20日)は、日本の実業家・映画プロデューサー。日本映画テレビプロデューサー協会、日本雑誌協会、各会員。 株式会社徳間書店社長(初代)、徳間ジャパンコミュニケーションズ社長、大映株式会社社長、徳間プレスセンター社長、学校法人逗子開成学園理事長(第5代)、逗子開成高等学校校長(第12代)、株式会社スタジオジブリ社長(初・3代)、東京都写真美術館館長(第3代)などを歴任した。他に社団法人日本映画製作者連盟理事、社団法人日本レコード協会理事、東京国際映画祭ゼネラルプロデューサーなど。 神奈川県横須賀市生まれ。
長岡 毅(ながおか たけし、1921年 <大正10年> 10… 長岡 毅(ながおか たけし、1921年 <大正10年> 10月20日 - 2004年 <平成16年> 9月2日)は、日本の経営者。日本通運社長、会長を務めた。位階は正四位。 福島県出身。1943年に早稲田大学専門部商科を卒業し、同年に日本通運に入社した。初代の米国駐在員となり、それ以来、国際輸送部門・航空輸送部門に携わった。1962年に米国日本通運副社長に就任し、1975年5月に取締役、1979年6月に常務、1981年2月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任した。1991年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役に退いた。社長時代には、海外現地法人を22社新設するなど海外輸送網の拡充に尽力した。
鈴木 久章(すずき ひさあき、1921年10月10日 - 2… 鈴木 久章(すずき ひさあき、1921年10月10日 - 2012年8月3日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。東京都出身。 1946年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1973年8月に取締役に就任し、1979年3月に常務、1980年3月に専務を経て、1981年3月に社長に就任。1987年3月に会長に就任し、1993年3月に取締役相談役を経て、1995年4月に相談役に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2012年8月3日、老衰のために死去。90歳没。
韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年… 韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年8月10日 - 1994年8月5日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家、実業家。 第6・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州韓氏、号は鳳巌(ボンアム、봉암/鳳巖)。 元の名前の漢字表記は韓 鍵洙(ハングル表記同じ)であったが、煩雑であったため第2代総選挙の後は金偏のない「韓 建洙」の名前を選挙区民宛のハガキと手紙に使用した。その後は裁判所により改名許可を受けた。 日本統治時代の忠清南道礼山郡に生まれた。礼山農業学校(現在は廃校)を卒業後に渡日し、早稲田大学法学科を卒業した。 世界日報社編集局次長、批判新聞の主筆などを務めた後、1948年より監察委員会(2022年現在は監査院)情報課長、調査課長、1951年より政界公論主筆、1952年より弘益大学校事務処長を務めた。
田川 博一(たがわ ひろいち、1921年6月13日 - 20… 田川 博一(たがわ ひろいち、1921年6月13日 - 2000年2月10日)は、日本の編集者、経営者。文藝春秋社副社長を務めた。 新潟県出身。1937年に早稲田大学文学部仏文科を卒業し、同年に文藝春秋社に入社。1945年、陸軍航空機整備員として第三振武隊(後に第二十振武隊)の特攻機整備業務に従事した。第二次世界大戦後、文芸春秋の編集委員を経て、1952年に別冊文芸春秋編集局長に就任し、特集漫画読本・文藝春秋・週刊文春の各編集長、広告局長、取締役、常務、専務を経て、1986年5月に副社長に就任。1987年6月に常任監査役を経て、1989年6月に相談役に退く。 2000年2月10日、肺炎のために死去。
長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 19… 長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 1996年1月5日)は、日本の編集者、実業家。青林堂の創業者で、漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』の初代編集長。 白土三平、水木しげる、つげ義春、花輪和一、蛭子能収、矢口高雄、滝田ゆう、淀川さんぽ、楠勝平、佐々木マキ、林静一、池上遼一、安部慎一、鈴木翁二、古川益三、ますむらひろし、勝又進、つりたくにこ、川崎ゆきお、赤瀬川原平、内田春菊、丸尾末広、ひさうちみちお、根本敬、南伸坊、渡辺和博、みうらじゅん、杉浦日向子、近藤ようこ、やまだ紫、山田花子、ねこぢる、山野一、泉昌之、西岡兄妹、東陽片岡、魚喃キリコ、など有名作家にもなった異才を多数輩出した編集者の一人。
高木 貞男(たかぎ さだお、1921年2月24日 - 201… 高木 貞男(たかぎ さだお、1921年2月24日 - 2012年5月22日)は、日本の経営者。森永製菓会長を務めた。 東京都出身。1942年に早稲田大学文学部英文学科を卒業し、1946年5月に森永薬品に入社。 1955年4月に森永製菓に転じ、1974年5月に取締役に就任し、1980年12月に常務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1985年6月には会長に昇格した。副社長在任時には、グリコ・森永脅迫事件の対応に当たった。1996年6月に相談役に就任し、1998年6月から参与を務めた。1991年6月から1998年6月までに森永乳業で監査役を務めた。 2012年5月22日、肺炎のために死去。91歳没。
岡空 至(おかそら いたる、1921年〈大正10年〉 - 没… 岡空 至(おかそら いたる、1921年〈大正10年〉 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。千代むすび商事社長。千代むすび酒造監査役。千代むすび灘本舗代表取締役。境港市議会副議長。旧姓・下西。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)出身。境郵便局長の父・下西二郎、母・よし子の息子。1943年、早稲田大学専門部商科を卒業する。スポーツ用品・計量器販売業を営む。1974年、境港市議会議員に当選する。 戦後、市内でスキー熱が盛んになり、1949年ごろから景山利夫、赤石挙一、岡空至らの指導によりスキー教室を大山で開き、スキー愛好者を数多く育てた。住所は鳥取県境港市明治町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日… 張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日 - 2015年1月4日)は大日本帝国陸軍の軍人及び大韓民国の軍人、政治家、企業家。本貫は仁同張氏。 1920年、京城府に生まれる。1941年、早稲田大学商学部卒業。1942年、岐阜陸軍飛行学校、浜松陸軍飛行学校卒業。 1948年4月、韓国軍入隊。同年6月15日、航空基地司令部勤務。同年9月、航空基地司令部飛行部隊小隊長。1949年9月31日、飛行団飛行隊第2中隊長。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発するとF-51D操縦要員として板付に派遣された。同年11月、空中輸送班長。韓国空軍初の空輸任務を遂行した。1952年7月、駐アメリカ大使館付武官。
江口 友鉱(えぐち ともなる、1920年10月25日 - 2… 江口 友鉱(えぐち ともなる、1920年10月25日 - 2014年10月22日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。愛知県出身。 1941年に早稲田大学専門部を卒業し、1942年にトヨタ自動車工業に入社。 1969年12月にダイハツ工業取締役に就任し、1971年12月に常務、1974年12月に専務を経て、1979年9月に副社長を就任。1982年9月に社長に昇格し、1988年6月から1992年6月までに会長を務めた。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1991年4月に勲二等瑞宝章を受章。
小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日… 小野 光洪(おの みつひろ、1920年(大正9年)7月28日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、昭和から平成初期の政治家、実業家。塩尻市長(第4代)。位階は従四位。父は元衆議院議員の小野祐之。 長野県東筑摩郡塩尻町生まれ。1937年(昭和12年)3月、旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)早稲田大学専門部商科を修了。1946年(昭和21年)から小野石灰六名社を経営[要出典]、1960年(昭和35年)に信陽化学工業と改称し代表取締役となる[要出典]。1959年(昭和34年)4月から塩尻市議会議員を5期務め、1963年(昭和38年)同副議長、1967年(昭和42年)には同議長に就任。
真島 公三郎(まじま こうざぶろう、1920年4月19日-2… 真島 公三郎(まじま こうざぶろう、1920年4月19日-2009年9月19日 )は、日本の経営者。三井金属鉱業社長を務めた。佐賀県出身。 1943年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。後に三井金属鉱業に転じ、1974年5月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格した。1990年6月に会長に就任し、1993年6月から名誉相談役を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2009年9月19日心不全のため死去、89歳没。
梅村 正司(うめむら しょうじ、1920年1月29日 - 2… 梅村 正司(うめむら しょうじ、1920年1月29日 - 2004年7月13日)は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1933年に日興証券に入社し、1942年に早稲田大学専門部政治経済学科を卒業。1962年11月に取締役に就任し、1968年8月に常務、1971年11月に専務、1976年11月に副社長を経て、1981年12月には社長に就任。1986年12月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2004年7月13日に肺炎のために死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
安井 正(やすい ただし、1919年 <大正8年> 12月1… 安井 正(やすい ただし、1919年 <大正8年> 12月14日 - 2005年 <平成17年> 8月21日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1941年に早稲田大学法学部仏法学科を卒業し、1942年に三菱信託銀行に入行。1970年5月に取締役に就任し、1972年10月に常務、1976年7月に専務、1978年9月に副社長を経て、1980年11月には社長に就任。社長在任時には、貸付信託「ビッグ」などの新商品の開発・販売に尽力し、経営基盤を整備した。1984年3月に会長に就任し、1990年3月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1990年11月に勲二等瑞宝章を受章。
石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1… 石山 四郎(いしやま しろう、1919年11月16日 - 1992年5月3日)は、日本の経済評論家、実業家。元ダイヤモンド社社長。 東京・赤坂にて、石山賢吉の長男として生まれる。1943年早稲田大学卒。1948年早稲田大学大学院特別研究生修了。ダイヤモンド社入社。編集局長、副社長、社長を経て、1973年退社。1976年新しい経営者像の会(AKK)を設立。
中山 好三(なかやま よしぞう、1919年9月8日 - 19… 中山 好三(なかやま よしぞう、1919年9月8日 - 1982年10月8日)は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。山口県出身。 1940年に早稲田大学専門部政治経済学科を卒業し、同年に日興証券に入社した。 1962年11月に取締役に就任し、1964年11月に常務、1968年8月に専務、1972年11月に副社長を経て、1975年3月に社長に就任。1981年12月には会長に就任。 1982年10月8日肺炎のために死去。63歳没。
高碕 芳郎(たかさき よしろう、1919年8月30日- 20… 高碕 芳郎(たかさき よしろう、1919年8月30日- 2011年4月10日 )は、日本の経営者。東洋製罐社長、会長を務めた。高碕達之助の長男。 大阪府出身。1953年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に東洋製罐に入社した。常務、専務を経て、1961年11月に副社長に就任し、1964年には社長に昇格した。1992年6月に会長に就任し、2001年6月には名誉会長に就任。関西テレビ放送取締役も務めた。 1999年4月に藍綬褒章を受章した。 2011年4月10日、老衰のために死去。91歳没。墓所は小平霊園。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。