伊藤 龍平(いとう りょうへい、1972年 - )は、日本文… 伊藤 龍平(いとう りょうへい、1972年 - )は、日本文学研究者、民俗学者。國學院大學文学部日本文学科教授。博士(文学)。専門は口承文芸、伝承文学。 北海道生まれ。國學院大學文学部卒業。國學院大學文学研究科博士課程前期修了。2003年、國學院大學大学院文学研究科博士課程後期修了。「近世俳諧説話の研究」で博士(文学)。台湾・南台科技大学助理教授。2021年より國學院大學文学部日本文学科准教授。
中澤 伸弘(なかざわ のぶひろ、1962年 - )は、高校国… 中澤 伸弘(なかざわ のぶひろ、1962年 - )は、高校国語教師、大学講師、神道学研究者、国学者、歌人。号は柿之舎(かきのや)。 東京生まれ。1985年に國學院大學文学部文学科を卒業。在学中は森田康之助から神道思想、また鈴木敬三から有識故実を学ぶ。 卒業後は都立高校国語科(主に古典教育)教諭(主幹)。上野、足立、小岩、科学技術高校等を歴任し、2023年定年退職。この間、國學院大學文学部神道学科兼任講師(1993-2001年、2015年-)、國學院大學日本文化研究所共同研究員(6年間)、財団法人無窮会東洋文化研究所特別研究員を兼任。2009年「徳川時代後期出雲歌壇と國學の研究」で博士(神道学)。
高森 明勅(たかもり あきのり、1957年 - )は、日本の… 高森 明勅(たかもり あきのり、1957年 - )は、日本の評論家、神道学者、歴史家、皇室研究者。
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )… 秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、日本の歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ - 宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。
山田 俊幸(やまだ としゆき、1947年〈昭和22年〉 - … 山田 俊幸(やまだ としゆき、1947年〈昭和22年〉 - 2024年〈令和6年〉11月3日)は、日本近代文学研究者、少女文化研究者。元帝塚山学院大学教授。 新潟県柏崎市生まれ。國學院大學文学部卒業。帝塚山学院大学文学部助教授、教授、リベラルアーツ学部教授を歴任。日本絵葉書会会長。大正イマジュリィ学会常任委員。『一寸』同人。 2024年11月3日、多臓器不全のため死去。77歳没。
天野 文雄(あまの ふみお、1946年12月20日 - )は… 天野 文雄(あまの ふみお、1946年12月20日 - )は、日本の美学者、能楽研究者。京都造形芸術大学舞台芸術センター所長、大阪大学名誉教授。 東京都八王子市生まれ。早稲田大学第一法学部卒業後、編集者などを経て國學院大學文学部に学士入学。1980年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1996年『翁猿楽研究』で法政大学文学博士、また同書で観世寿夫記念法政大学能楽賞を受賞する。上田女子短期大学助教授、大阪大学文学部助教授を経て、1996年教授。2006年大阪大学文学部長に就任。2008年『世阿弥がいた場所』で河竹賞受賞。2006年より2014年まで日本演劇学会会長。2010年大阪大学を定年退職、名誉教授となる。
田中 孝顕(たなか たかあき、1945年1月6日 - )は、… 田中 孝顕(たなか たかあき、1945年1月6日 - )は、日本語クレオールタミル語説の研究者、日本の自己啓発書の著者、翻訳家、実業家。 「脳力開発」を提唱し、自己啓発書などを出版したりイベントを行ったりした。 東京都江東区深川永代生まれ。 直後米軍の絨毯爆撃を避け中野区鷺宮に転居、若宮小学校(現・中野区立美鳩小学校)、中野区立第八中学校より國學院原宿校を経て1966年國學院大学法学部卒業後、総理府事務官、公正取引委員会事務局景品表示課、東急不動産企画部・総務部を経て、マカイバー・カウフマン・クリステンセン法律事務所に入所し、かたわら法律の勉学を続けたのち、株式会社エス・エス・アイを創業。代表取締役社長に就任。
関根 和行(せきね かずゆき、1943年(昭和18年)2月2… 関根 和行(せきね かずゆき、1943年(昭和18年)2月24日 ‐2020年(令和2年)4月2日 )は、日本の近代文学研究者。専門は織田作之助 1943年(昭和18年)、東京都浅草区に生まれる。 1969年(昭和44年)、國學院大學文学部文学科を卒業。
傳馬 義澄(てんま よしずみ、1940年7月16日 - 20… 傳馬 義澄(てんま よしずみ、1940年7月16日 - 2020年4月11日)は、日本近代文学研究者、國學院大學名誉教授。 1940年7月16日大阪生まれ。國學院大學大学院国文科博士課程満期退学。國學院大學文学部助教授、教授。2011年定年、名誉教授。[要出典]
羽田 昶(はた ひさし、1939年10月14日 - )は、日… 羽田 昶(はた ひさし、1939年10月14日 - )は、日本の能楽研究者。武蔵野大学客員教授、同能楽資料センター研究員、能楽学会常任委員。トット基金評議員。 東京市大森区生まれ。1962年に國學院大學文学部(日本文学専攻)を卒業し、海城高等学校教諭、開成高等学校教諭、東京国立文化財研究所芸能部研究員、同音楽舞踊研究室長、武蔵野女子大学教授、武蔵野大学能楽資料センター長を歴任。国立能楽堂三役養成研修講師、楽劇学会会長、藝能学会副会長などを務めた。2007年から文化庁芸術選奨推薦委員。 2012年第34回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。共著の『能の囃子事』(1990年)で東洋音楽学会田邉尚雄賞を受賞。
當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日… 當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日 - 2020年6月18日)は、日本の沖縄芸能研究者。 サイパン島生まれ、沖縄県那覇市出身。1960年に國學院大學文学部文学科を卒業した。大学時代に宮良當壯と出会い、組踊写本などの芸能研究を行うようになり、写本の発掘・整理、組踊の復活上演、真境名由康・島袋光裕らの実演家との交流、沖縄藝能史研究会の立ち上げなど、沖縄芸能の発展と継承に貢献した。沖縄県立博物館・美術館館長も務めた。 2020年6月18日、腎臓癌のため糸満市の病院で死去。
石井 忠(いしい ただし、1937年10月28日 - 201… 石井 忠(いしい ただし、1937年10月28日 - 2016年5月30日)は、漂着物研究者。 福岡県福岡市に生まれる。1960年國學院大学文学部史学科卒業。中学、高等学校教諭、九州産業大学非常勤講師を経て、古賀市立歴史資料館館長。2013年退任。福岡県文化財保護指導員、福岡市文化財保護審議会委員。漂着物学会を設立、会長を勤める。1980年『漂着物の博物誌』で樋口清之賞、1983年日本デザイン会議地域文化デザイン賞、1998年福岡県文化賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
斎藤 末弘(さいとう すえひろ、1936年5月31日 - )… 斎藤 末弘(さいとう すえひろ、1936年5月31日 - )は、日本近代文学研究者、西南学院大学名誉教授。 北海道生まれ。1955年に北海道滝川高等学校を卒業、1959年に國學院大學文学部を卒業。角川書店編集部、日本キリスト教団出版局、東京電機大学非常勤講師を経て、1978年西南学院大学文学部講師に就任。助教授を経て、1986年に教授となる。国際文化部長、文学研究科長を歴任し、2004年に学校法人西南学院理事長に就任。2007年に西南学院大を定年退職し、名誉教授となる。2015年春、旭日中綬章受勲。 1960-73年、椎名麟三、高見沢潤子、佐古純一郎らと共に「たねの会」結成に参加。個人研究誌『椎名麟三研究』主宰。
山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本… 山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本近代文学研究者。元・鎌倉女子大学教授。 静岡市生まれ。國學院大學文学部卒業。高校教諭となり、神奈川県立平塚江南高等学校校長、鎌倉女子大学講師、助教授、教授。
荻久保 泰幸(おぎくぼ やすゆき、1930年12月11日 -… 荻久保 泰幸(おぎくぼ やすゆき、1930年12月11日 - 2019年2月17日)は、日本近代文学研究者、國學院大學名誉教授。 東京生まれ。國學院大學文学部国文科卒。國學院大學助教授、教授、2001年定年退任、名誉教授。1966年、矢島道弘、島田昭男、伴悦らと無頼文学会を創設。
渡辺 昭五(渡邊昭五、わたなべ しょうご、1930年11月1… 渡辺 昭五(渡邊昭五、わたなべ しょうご、1930年11月12日 - 2014年2月3日)は、日本文学研究者。学位は、(國學院大學・論文博士・1977年)。大妻女子大学名誉教授。 東京生まれ。1934年父の関東軍転任とともに満州に渡った。1943年、新京第一中学校(旧制)に入学。敗戦直前にソビエト・満州国境に動員された。敗戦後、浮浪生活を経た後、1946年に日本へ引き揚げた。旧制埼玉県立熊谷中学校(現埼玉県立熊谷高等学校)に転入し、1949年に卒業。就職しながら大学進学を目指し、1955年國學院大學文学部国文学科に入学。1959年に卒業し、同大学院に進んだ。1961年に修士課程を修了、博士課程に進んだ。
畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は… 畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は、日本の児童文学研究者、教育評論家、詩人。 長崎県対馬生まれ。15歳で西浦上で原爆に遭う。1949年長崎師範学校卒、五年間教師をして1954年上京、1956年國學院大学文学部卒業。公立学校教師を経て、1982年東京都公立学校教頭、1986年調布市立国領小学校校長、1990年定年退職後、白百合女子大学・東京学芸大学・山梨大学講師、東京保育専門学校長を経て、同校理事・学監。20年余、小学校国語教科書(学校図書)の編集に携わる。現代少年詩の会代表(「少年詩の学校」主宰)。日本児童文学者協会会員。
三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026… 三隅 治雄(みすみ はるお、1927年8月6日 - 2026年2月2日)は、日本の民俗学者、芸能研究者。東京国立文化財研究所名誉研究員、文学博士。元実践女子大学教授 1927年、大阪府に生まれた。國學院大學国文学科で折口信夫、西角井正慶に師事し、日本芸能史研究を志す。1950年に國學院大學文学部国文学科を卒業。1952年、東京国立文化財研究所設立と同時に入所し、芸能部郷土芸能研究室長、芸能部部長を歴任。その間、「民俗芸能史研究」により、1976年3月16日に文学博士の学位を國學院大學から授与された。1990年、実践女子大学教授となる。1998年に実践女子大学を定年退任。 学界では、芸能学会会長。
豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年… 豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年4月6日 - 2013年1月10日)は、日本の編集者、著作権研究者。 1925年生まれ。旧制獨協中学校、旧制第二高等学校を経て、陸軍予備士官学校で終戦を迎える。1943年(昭和18年)早稲田大学に入学。1946年(昭和21年)、師である言語学者・金田一京助の移動に伴い、國學院大學に転入。1949年(昭和24年)卒業。同年、小学館に入社。『小学一年生』から始まり、二年から六年まで学習雑誌の編集部に在籍、51年『小学六年生』編集長、1959年に日本初の週刊少年誌となる『週刊少年サンデー』を創刊、初代編集長に就任する。63年『女性セブン』初代編集長。
外間 守善(ほかま しゅぜん、1924年(大正13年)12月… 外間 守善(ほかま しゅぜん、1924年(大正13年)12月6日 - 2012年(平成24年)11月20日)は、日本の言語学者・沖縄学研究者。沖縄学研究所所長、法政大学名誉教授。伊波普猷の後継者であり、琉球文学・文化研究の第一人者。 1924年(大正13)、沖縄県那覇市に生まれ。 1939年(昭和14)那覇尋常高等小学校高等科卒業後、同年沖縄県立水産学校入学。1940年(昭和15)沖縄県師範学校入学。 1944年(昭和19)8月、妹の静子は学童疎開で対馬丸の犠牲となった。1945年(昭和20)1月、守善は19歳の沖縄師範学校在学中に、沖縄戦で現地入隊となり、第24師団歩兵第32連隊第2大隊(志村大隊)に配属される。
松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - … 松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - 1966年6月22日)は、日本の編集者・近代文学研究者。元相模女子大学教授。角川書店創業当時の中心人物。 創業当初の角川書店の中心人物として活躍し、角川源義を助けた。のち相模女子大教授に就任。森鷗外に関心をもち、自ら推進した「表現」誌上に「舞姫」論及び小倉時代の鷗外について論考を発表、また森しげ女の小説についても言及している。
石岡 久夫(いしおか ひさお、1905年2月12日 - 20… 石岡 久夫(いしおか ひさお、1905年2月12日 - 2000年1月14日)は、日本の兵法研究者、文学博士、弓道家(弓道範士十段)、本多流師範。國學院大學教授、國學院大學弓道部元師範。号は榊舎弓人。 広島県生まれ。学生時代に今まで余り史学者が手掛けてこなかった分野を研究したいと模索していた時に、休職中だった海軍大佐の有馬成甫(のち海軍少将)と知り合い、兵法学について関心を持つ。1934年國學院大學国史学科を卒業すると、有馬の推挙で多くの兵法文献を所蔵する江田島の海軍兵学校教育参考館に嘱託研究員として就職する。海軍兵学校教育参考館には、伊予松山藩の野沢文庫、上泉流を主体とする鳥取池田藩の鷲見文庫など膨大な兵書文献を所蔵していた。
久保寺 逸彦(くぼでら いつひこ、1902年9月10日 - … 久保寺 逸彦(くぼでら いつひこ、1902年9月10日 - 1971年11月5日)は、アイヌ文化およびアイヌ語の研究者。金田一京助の薫陶を受け、知里真志保、山田秀三と交友関係を持ち、ユーカラなどの口承文芸や宗教儀礼(儀式参照)の記録に多大な貢献を残した。墓所は多磨霊園。