梅根 悟(うめね さとる、1903年9月12日 - 1980… 梅根 悟(うめね さとる、1903年9月12日 - 1980年3月13日)は、日本の教育学者。専門は西洋教育史。東京教育大学名誉教授・和光大学初代学長。 福岡県生まれ。東京高等師範学校を経て、(旧制)東京文理科大学卒業。1936年から埼玉県内の中学校に数校勤務し、1946年埼玉県川口市助役。1948年、東京文理科大学助教授、翌年東京教育大学教授。1966年定年退官、名誉教授[要出典]、和光大学を創設して初代学長に就く。 戦後、石山脩平とともにコアカリキュラム連盟(現、日本生活教育連盟)を主宰し、和光学園を実験校とした。1951年に日教組の教研集会講師を務めて以来、長年にわたって日教組の教育研究運動に協力した。
千々和 実(ちぢわ みのる、千々和實、1903年9月2日 -… 千々和 実(ちぢわ みのる、千々和實、1903年9月2日 - 1985年9月5日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 福岡県鞍手郡木屋瀬町(現・北九州市八幡西区)生まれ。1927年広島高等師範学校卒業。1927年から1929年まで長崎県立長崎高等女学校教諭。1932年東京文理科大学卒業。卒業論文は「中世新宗教発展の過程と遁世者の意義」。 群馬県師範学校教諭を務めたのち、1942年東京府青山師範学校教諭、1949年東京学芸大学教授。在職中の1961年から1963年には同大学附属図書館長も務めた。1967年に定年退官し、名誉教授。同年に都留文科大学教授、1968年に上武大学教授となり、1972年に退職。
酒井 恒(さかい つね、1903年5月19日 - 1986年… 酒井 恒(さかい つね、1903年5月19日 - 1986年2月22日)は、日本の動物学者。蟹の研究で知られる。 神奈川県足柄上郡大井町金手出身。1924年(大正13年)神奈川師範学校卒。1929年(昭和4年)東京高等師範学校理科三部卒。1932年(昭和7年)東京文理科大学文理学部動物学科卒。1939年(昭和14年)「日本産蟹類の研究」で京都帝国大学理学博士。1932年(昭和7年)東京文理科大学附属下田臨海実験所助手、1938年(昭和13年)岐阜県女子師範学校教諭、1943年(昭和18年)神奈川師範学校教授、1949年(昭和24年)横浜国立大学学芸学部教授。1954年(昭和29年)から翌1955年までと1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)まで学芸学部長を二度務め、1954年(昭和29年)から翌1955年(昭和30年)まで横浜国立大学学芸学部理科教育岩実験所(真鶴理科教育実験所の前身)所長を務め、69年定年退官。
山崎 宏(やまざき ひろし、1903年4月16日 - 199… 山崎 宏(やまざき ひろし、1903年4月16日 - 1992年11月12日)は、日本の東洋史学者。東京教育大学名誉教授。宏の字はムの部分がヒとなる。 1903年、新潟県で生まれた。新潟師範学校、東京高等師範学校を経て、東京文理科大学を卒業。 修了後は、東京高等師範学校に勤務。後に東京文理科大学、1949年に同大学が新制大学として東京教育大学となると、同大学教授として教鞭をとった。1950年、学位論文『隋朝仏教政策の研究』を東京文理科大学に提出して文学博士号を取得。1967年に東京教育大学を定年退官して名誉教授となった。その後は立正大学の教授を務めた。1976年に同大学を退職。1992年に死去。
荒木 源太郎(あらき げんたろう、1902年5月27日 - … 荒木 源太郎(あらき げんたろう、1902年5月27日 - 1980年8月6日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。 1902年、京都府何鹿郡山家村和木で生まれた。京都府師範学校、東京高等師範学校を経て、東京文理科大学に入学。1932年3月に同大学を卒業。 卒業後は、三重師範学校、次いで鹿児島師範学校の教諭を務めたを経て、1934年3月に母校である文理科大学の副手に就いた。1936年3月に同大学講師、1941年5月に同大学助教授に昇格。この後、京都帝国大学の喜多源逸、児玉信次郎の後押しがあり、1943年2月に京都帝国大学助教授に転じた。1944年4月、同大学教授に昇格(1947年10月大学名変更のため京都大学教授)。
中野 佐三(なかの すけぞう、1902年(明治35年)2月2… 中野 佐三(なかの すけぞう、1902年(明治35年)2月25日 - 1969年(昭和44年)8月22日)は、日本の心理学者。香川県出身。東京文理科大学卒業。戦後、東京教育大学教授、1954年「児童の思考についての実験的研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1965年定年退官、名誉教授、和洋女子大学教授。児童心理学、教育心理学。
石川 与吉(いしかわ よきち、1902年2月25日 - 19… 石川 与吉(いしかわ よきち、1902年2月25日 - 1984年6月4日)は、日本の地理学者。旧姓では三野 与吉(みの よきち)。東京教育大学名誉教授。日本地理学会会長(1964年 - 1965年)。理学博士(東京大学)。 地形学・水文学などを研究しつつ、地理学・地理教育のあり方を論じた指導的自然地理学者である。地形学など自然地理学の分野に多くの研究者を輩出し、東京教育大学では地形営力論を中心とした学風が作られ、「三野スクール」と呼ばれていた。 香川県三豊郡桑山村(現・三豊市)の三野家に農家として生まれる。3歳のとき、同郡常磐村(現・観音寺市)に一家転住した後、常磐村尋常小学校(現・観音寺市立常磐小学校)と、辻村高等小学校(現・三豊市立辻小学校)を卒業する。
青野寿郎(靑野壽郎、あおの ひさお、1901年11月25日 … 青野寿郎(靑野壽郎、あおの ひさお、1901年11月25日 - 1991年7月16日)は、人文地理学者。東京教育大学名誉教授。 愛媛県越智郡桜井村(現・今治市)出身。1932年、東京文理科大学卒(第1回卒業生)。1947年東京文理大助教授、1949年「本邦鰹釣遠洋漁村の地理学的研究」で東京大学理学博士、東京教育大学教授。1965年定年退官・名誉教授、立正大学教授、1976年退職。日本の漁村・漁業地理学を研究、日本地誌研究所を創設し『日本地誌』全21巻を日本全国から460名を動員して編集。日本地理学会会長(在任:1962年 - 1963年)、名誉会員。 日本における水産地理学の開拓者であり、青野自身、「地誌学的研究の論文が多いのはオリジナルな研究の結果によるものが多いため当然のことではあるが,これらの研究成果から漁村水産地理学の科学的体系を樹立したいという意欲が強められたことも,ここで述べておきたい.」と著書の冒頭で述べている。
金 教臣(キム キョシン、1901年4月18日 - 1945… 金 教臣(キム キョシン、1901年4月18日 - 1945年4月25日)は、朝鮮のキリスト教指導者。本貫は慶州金氏。 咸鏡南道咸興府出身。1919年に日本の正則英語学校に留学し、1920年に東京のホーリネス教会で受洗、1921年内村鑑三のロマ書講義に感銘を受け、以後の聖書集会に出席した。1927年東京高等師範学校理科第3部を卒業後帰国し、咸興の永生女子高等普通学校の教師を務め、1928年からは京城の養正高等普通学校、1940年には第一高等普通学校、1941年には開城の松都高等普通学校に赴任した。 1927年には咸錫憲ら無教会主義の同志らと『聖書朝鮮』誌を創刊し、「世の中で一番良いものは聖書と朝鮮」であり、「新しい朝鮮を聖書の上に建てよ」と説き、朝鮮的キリスト教を追求した。
熊沢 龍(くまざわ りゅう、1901年2月3日 - 1974… 熊沢 龍(くまざわ りゅう、1901年2月3日 - 1974年2月28日)は、昭和時代の言語学者、国語教育者。東京教育大学名誉教授、東京成徳短期大学学長、日本国語教育学会理事長を務めた。位階および勲等は正三位・勲三等。 東京府南多摩郡忠生村大字上小山田(現在の東京都町田市常盤町)の寺子屋師匠である斎藤楓山の長男として生まれる。後に熊沢家の養子となる。父は1873年、現在の小山田小学校の前身である有隣学舎の訓導となった。1908年5月、病気のため辞職し同年12月17日に没したが、村民の教育のために一生を捧げた。祖父は本山派修験の持宝院不動尊の山主であった阿闍梨芳山。 東京文理科大学文学科を1932年に卒業後、同大学の研究科に入り、1934年に助手となる。
下泉 重吉(しもいずみ じゅうきち、1901年1月25日 -… 下泉 重吉(しもいずみ じゅうきち、1901年1月25日 - 1975年12月21日)は、日本の動物学者。東京教育大学教授、都留文科大学学長を務めた。理学博士。 主として動物の冬眠について研究をおこなった。またヤマネの生態について明らかにし飼育に成功する。日本生物教育学会を創設し、理科教育や環境教育、自然保護思想についての振興につとめた。後に同会名誉会長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
入来 重盛(いりき しげもり、1900年12月10日 - 1… 入来 重盛(いりき しげもり、1900年12月10日 - 1984年2月9日)は、日本の生物学者・動物学者。東京教育大学名誉教授。専門は動物細胞学・細胞生物学。理学博士。 現在の鹿児島県鹿児島市谷山地区出身。(旧制)鹿児島県立第二鹿児島中学校、東京高等師範学校、京都帝国大学理学部卒業。「両棲類の染色体、とくに性染色体に関する研究」の論文で理学博士号取得。 東京高等師範学校および東京文理科大学の教授から学制改革によって東京教育大学理学部教授となり、1964年に定年退官。著書に『動物の解剖』(地球出版、1966年)などがあり、生物学や理科の教科書・参考書の共著をしているほか、児童向け図鑑の編著・共著が多数ある。
尾形 亀吉(おがた かめきち、1900年6月8日- 1971… 尾形 亀吉(おがた かめきち、1900年6月8日- 1971年10月1日)は日本文化史学者。尾形裕康(早稲田大学教授・日本教育史)は兄。 福島県出身、東京文理科大学国史科卒。日本大学経済学部教授、1948年「近世奢侈の社会経済史的研究」で日大経済学博士、1956年「日本中世芸能史研究」で日大文学博士。日本大学芸術学部長、同理事などを経て、本州大学・本州女子短期大学初代学長に就任。1968年病気療養のため辞任。 1965年、長野県塩田町(現在の上田市)の要請を受け、同地での大学設置に尽力し、1967年に文部省からの認可を得た。この当時、地方の町村が大学を招致したのは画期的として全国の注目を集めた。
高階 順治(たかしな じゅんじ、1899年〈明治32年〉10… 高階 順治(たかしな じゅんじ、1899年〈明治32年〉10月22日 - 1989年〈平成元年〉7月13日)は、日本の哲学者。 1899年、秋田県仙北郡千屋村(現美郷町)で生まれた。1915年に仙北郡千屋尋常高等小学校補習科を卒業し、代用教員となった。その後秋田県師範学校で学び、1921年に卒業、東京高等師範学校に進み、1925年に卒業。1929年に東京文理科大学に入学した。佐々木秀一の長女・信と結婚する。 卒業後は、1935年から高松高等商業学校教授。1941年から東京高等師範学校教授を務めた。1947年に公職追放の対象となり、その後は金子書房に勤務。 1953年、国士舘短期大学助教授となり、拓殖大学助教授を兼ねた。
武田 一郎(たけだ いちろう、1899年9月21日 - 19… 武田 一郎(たけだ いちろう、1899年9月21日 - 1973年12月23日)は、日本の教育学者、教育行政家。 北海道出身。東京文理科大学卒。奈良女子高等師範学校教授、戦後は文部省視学官となり教育行政に携わる。のちお茶の水女子大学附属小学校長、1964年定年退官、お茶の水女子大学名誉教授、北海道学芸大学学長、十文字学園女子短期大学学長。
石井 頼三(いしい らいぞう、1899年(明治32年)3月1… 石井 頼三(いしい らいぞう、1899年(明治32年)3月1日 - 1974年(昭和49年)5月12日)は日本の商品学者。理化学研究所所員、一橋大学小平分校教授を経て、千葉商科大学学長(第3代)。京都大学理学博士。商品学の研究者として著名である。 弟子に中野紘一(日本大学商学部元教授)等がいる。 1899年(明治32年)3月1日、鳥取県八頭郡若桜村(現・若桜町)に生まれた。 鳥取県師範学校卒業後、地元の鳥取県八頭郡若桜小学校訓導に就任。 その後東京高等師範学校理科を卒業し和歌山県立海南中学校教諭に就任。 1932年(昭和7年)に東京文理科大学化学科を第一回卒業生として卒業し理化学研究所入所。 1944年京都大学で理学博士の学位を取得した。
桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 -… 桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 - 1980年12月28日)は、日本の陸軍軍人、僧侶。最終階級は陸軍少将。法名、全覚。
福原 麟太郎(ふくはら りんたろう、1894年10月23日 … 福原 麟太郎(ふくはら りんたろう、1894年10月23日 - 1981年1月18日)は、日本の英文学者、随筆家、翻訳家。福山市名誉市民。 1894年、広島県沼隈郡神村(現・福山市)で生まれた。1912年、広島県立福山中学校(現・福山誠之館高校)を卒業し、東京高等師範学校英語科に進学した。在学中、G・K・チェスタトンの推理小説を訳し、『英語青年』に掲載。1917年に卒業。 1917年9月から翌1918年3月まで、静岡県立静岡中学校に英語教諭として赴任。1920年、東京高等師範学校研究科を修了。この間、『英語青年』の編集に携わった。 1921年、母校の東京高等師範学校助教授に就いた。著書、訳註を何冊か刊行した後、1929年に文部省在外研修員としてイギリス・ロンドン大学とケンブリッジ大学に留学し、トマス・グレイ作品を研究。
国元 東九郎(くにもと とうくろう、1894年 - 1985… 国元 東九郎(くにもと とうくろう、1894年 - 1985年)は、日本の数学教育研究者、数学教師。 1894年、新潟に生まれる。新潟県高田師範学校を経て、1920年3月に東京高等師範学校理科第一部(数学)を卒業。その後、新潟師範学校の教諭、女子学習院教授、日本大学付属櫻丘高等学校の教頭を務めた。
及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26… 及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、大正から昭和期の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員。 岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺町、江刺市を経て現奥州市)で生まれる。岩手師範学校を経て、1917年(大正6年)東京高等師範学校(のち東京教育大学)を卒業。 岩手県師範学校教諭、島根県立杵築中学校(現島根県立大社高等学校)教諭を歴任。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格。神奈川県視学官に就任。その後、横浜市で弁護士を開業し、横浜弁護士会副会長も務めた。その他、私立本牧中学校(のち現在の横浜中学校・高等学校に合併)校長兼理事長となった。
鍋島信太郎(なべしま のぶたろう、1892年3月28日 - … 鍋島信太郎(なべしま のぶたろう、1892年3月28日 - 1973年8月22日)は、日本の数学者・数学教育学者。 和歌山県橋本市出身。和歌山県師範学校予備科卒、東京高等師範学校卒、東京高等師範学校教授、1949年東京教育大学教授。1956年定年退官、日本数学教育学会名誉会員。
玉井 幸助(たまい こうすけ、1882年10月15日 - 1… 玉井 幸助(たまい こうすけ、1882年10月15日 - 1969年1月11日)は、日本の国文学者。 1905年、新潟師範学校卒、1909年、東京高等師範学校国語漢文科卒。 1950年、「更級日記錯簡考」で東洋大学・文学博士。 1910年、東京高等師範学校助教諭兼訓導、1915年同校教諭、1925年教授。1946年定年退官し、日本女子専門学校教授、1962年昭和女子大学長に就任。 専門は、平安鎌倉女流日記文学。
五島 慶太(ごとう けいた、旧姓・小林、1882年〈明治15… 五島 慶太(ごとう けいた、旧姓・小林、1882年〈明治15年〉4月18日 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の実業家、政治家、官僚。東急及びその子会社の東急電鉄といった東急グループの事実上の創業者である。正三位勲一等。長野県青木村名誉村民。 長野県の農家に生まれ、東京帝国大学卒業後、官僚を9年務めた後に現在の東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道(後の東急玉川線)をはじめとする数々の競合企業をM&Aを用いて次々と買収し、「強盗慶太」の異名を取った。一方、実業家としては優れた経営を行い、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の小林一三と並び、「西の小林・東の五島」と称された。
杉崎 瑢(すぎさき よう、1877年(明治10年)3月3日 … 杉崎 瑢(すぎさき よう、1877年(明治10年)3月3日 - 1943年(昭和18年)7月6日)は、日本の教育家である。 神奈川県に生まれ、東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)に入学する。卒業後は留学のため渡米し、カリフォルニア大学にて教育学および心理学を学んだ。帰国後は静岡師範学校(後の静岡第一師範学校、現在の静岡大学教育学部)で教鞭を執り、1916年(大正5年)には長野師範学校(現在の信州大学教育学部)に転勤する。 翌1917年(大正6年)には同学校附属の小学校の研究学級の教師にあたり、実験心理学を元に新教育の促進に携わった。これによって1925年(大正15年)には新教育の研究会から「研究学級の経営」として杉崎が研究した成果の発表にあたった。
川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉11月… 川合 玉堂(かわい ぎょくどう、1873年〈明治6年〉11月24日 - 1957年〈昭和32年〉6月30日)は、明治・大正・昭和時代の日本で活動した日本画家。本名は 川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)。画号は当初「玉舟(ぎょくしゅう)」、間もなく「玉堂」に改め、晩年は終の棲家と同名の「偶庵(ぐあん)」を別号として用いた。長男の真一は化学者で東京教育大学名誉教授。 愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町外割田)にて、1873年(明治6年)11月24日、筆墨紙商の長男として生まれる。1881年(明治14年)、一家は岐阜市に移住する。絵には12歳頃から親しむようになったという。1886年(明治19年)、京都の画家・青木泉橋が岐阜に来住すると、夫人も翠蘋と号する美人画家で、芳三郎少年は青木夫妻の知遇を得て大いに刺激を受けたという。
須田 辰次郎(すだ たつじろう、1853年2月13日(嘉永6… 須田 辰次郎(すだ たつじろう、1853年2月13日(嘉永6年1月6日) - 1928年(昭和3年)6月23日)は、明治期の教育者。師範学校校長を歴任。 豊前国中津生まれ。藩校進脩館で学び塾長になり、慶應義塾に入り五等に進級する。1876年(明治9年)に東京師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)中学師範学科の嘱託教授、1879年(明治12年)より1881年(明治14年)まで同校訓導を嘱された。1882年(明治15年)時事新報に入社。1884年(明治17年)より福岡県の中学校一等教諭として豊津中学校在勤、1885年(明治18年)に福岡師範学校校長兼教諭に任じられた。翌年の学制改革に伴い、1887年(明治20年)に師範学校教育科の教員免許を正式に授与され、一時的に文部省雇として学務局兼編輯局詰を経て、1888年(明治21年)に神奈川県尋常師範学校教諭に任じられた。
古家 聡(ふるや さとる)は、日本の人文科学者。武蔵野大学グ… 古家 聡(ふるや さとる)は、日本の人文科学者。武蔵野大学グローバル学部教授。専門は、英語教育と異文化コミュニケーション学。 東京教育大学文学部英語学英文学専攻卒業。立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科修了。異文化コミュニケーション学博士。大正大学や東京家政大学などの非常勤講師も務める。元 『時事英語研究』(研究社出版)編集長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
八木 光生 は、日本の男性声優、俳優。所属事務所は81プロデ… 八木 光生 は、日本の男性声優、俳優。所属事務所は81プロデュース。兵庫県出身。朗読会「光朗会・光生読み語りの会」主宰。
野中 郁江(のなか いくえ、12月13日 - )は、日本の会… 野中 郁江(のなか いくえ、12月13日 - )は、日本の会計学者、明治大学名誉教授。明治大学では商学部教授を長く務めた。 学校法人の会計制度に詳しい。 1975年、東京教育大学文学部東洋史学科を卒業、明治大学大学院商学研究科修士課程に進み、1977年に商学修士を取得、1984年に博士課程を単位取得退学した。 2005年、「会計制度の構図に関する一考察」で明治大学より博士(商学) を取得。 2008年には著書『国有林会計論』が、会計理論学会学会賞を受賞した。 泡瀬干潟埋立裁判では、事業に経済合理性がないとする証言を行なった。 この間、労働運動にも取り組み、東京地区私立大学教職員組合連合(東京私大教連)では書記長を経て、中央執行委員長も務め、日本私立大学教職員組合連合(日本私大教連)では中央執行委員、副委員長などを歴任した。
坂下 辰夫(さかした たつお)は日本の高校教師。担当は地理歴… 坂下 辰夫(さかした たつお)は日本の高校教師。担当は地理歴史科。埼玉県ラグビーフットボール協会理事長。埼玉県のラグビー普及に貢献している。 埼玉県立浦和高等学校から、東京教育大学(現・筑波大学)へ進学。監督として、埼玉県立浦和高等学校、埼玉県立桶川西高等学校、埼玉県立川越高等学校、城北埼玉高校でラグビーを指導。 高校時代にラグビーを始め、大学時代も選手として活躍した。「来歴」にあるように各校で監督を務める。 埼玉県ラグビーフットボール協会の理事長としては、東日本大震災復興支援チャリティマッチ(神戸製鋼コベルコスティーラーズ対埼玉県トップリーグ選抜 2011年6月5日)開催実現の中心的な存在を担い、選手の招集に奔走した。
本間 二三雄(ほんま ふみお)は、日本の元体操競技選手で、ス… 本間 二三雄(ほんま ふみお)は、日本の元体操競技選手で、スポーツ科学者。 1932年ロサンゼルスオリンピックに体操競技初の日本代表として出場した本間茂雄の四男として生まれる。 桐朋高校、東京教育大学出身。 東京教育大学在学中、1972年ミュンヘンオリンピックの国内予選であん馬に「一腕上向き正全転向」という技法を用い、これは長らく「一腕全転向技群」と呼ばれる技法では唯一の実施例となり「幻の技」と称された。1972年ミュンヘンオリンピック日本代表となるが、補欠のため本番の試合には出場せず、団体総合の金メダリストとはならなかった。 リュブリャナ(ユーゴスラビア、連邦構成国のスロベニア内)で開催された1970年世界体操競技選手権とヴァルナ(ブルガリア)で開催された1974年世界体操競技選手権の団体総合で金メダルを獲得した。
安達 宣郎(あだち のぶお)は、日本の元バスケットボール選手… 安達 宣郎(あだち のぶお)は、日本の元バスケットボール選手。日本健康スポーツ連盟理事。元日本トップリーグ連携機構常務理事。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。静高時代は粟野吉州とともに1年の時から全国大会を経験。1年生、2年生の時にインターハイ準優勝、3年生の1960年は国体準優勝。1961年、東京教育大学に進学。大学時代に、粟野吉州とともに1964年東京オリンピックの日本代表候補選手となる。 大学卒業後、八幡製鉄の主力選手として日本リーグで活躍した。1966年、八幡製鉄退社後、地元シャンソン化粧品に入社し1976年まで監督を務める。その後、三井生命の男女チームの監督、日本バスケットボール協会理事、1995年バスケットボール女子アジア選手権日本代表チーム団長、1996年アトランタオリンピック日本代表チームリーダーなどの要職を歴任。
阿南 久(あなん ひさ)は、日本の市民活動家。消費者市民社会… 阿南 久(あなん ひさ)は、日本の市民活動家。消費者市民社会をつくる会理事長、国民生活産業・消費者団体連合会副会長、消費者庁参与、雪印メグミルク取締役。過去に、消費者庁長官、全国消費者団体連絡会事務局長、全国労働者共済生活協同組合連合会理事等を歴任。 1968年4月、東京教育大学入学。この頃の東京教育大学は筑波への移転問題で大学が揺れ動いていた時期であり、学生運動にも参加した。1983年の長女出産を機に食品添加物などへの不安を強め消費者運動に取り組んだ。コープとうきょう理事、東京都生活協同組合連合会理事、日本生活協同組合連合会理事、全国労働者共済生活協同組合連合会理事などを歴任。日本生活協同組合連合会理事時代に食の安全を求める署名を全国から集め、2003年の食品安全基本法制定につながったと自負する。
岡崎 助一(おかざき じょいち)は、日本の高等学校教員、地方… 岡崎 助一(おかざき じょいち)は、日本の高等学校教員、地方公務員、文部官僚。文部省体育局体育官や、日本体育協会副会長、東京2020オリンピック競技大会国内競技団体協議会議長等を歴任した。旭日中綬章受章。 岡山県岡山市出身。1968年に東京教育大学体育学部を卒業後、岡山県立高等学校保健体育教諭を経て、1978年岡山県教育委員会指導主事。1983年に文部省入省後、和歌山県教育委員会保健体育課長、文部省体育局教科調査官、文部省体育局生涯スポーツ課課長補佐、文部省体育局体育官、文部省体育局競技スポーツ課長を歴任した。1998年日本オリンピック委員会理事。1999年日本体育協会理事・事務局長。2005年日本体育協会常務理事。
榊 正子(さかき まさこ)は、日本の文学者(英米文化・英米文… 榊 正子(さかき まさこ)は、日本の文学者(英米文化・英米文学)。勲等は瑞宝中綬章。学位は文学修士(東京教育大学・1970年)。静岡県立大学名誉教授。 東京教育大学文学部助手、静岡女子大学文学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学大学院国際関係学研究科研究科長(第6代)などを歴任した。 東京教育大学、静岡女子大学にて教鞭を執った。後年、新設された静岡県立大学でも引き続き教員を務めた。同大学では国際関係学部や大学院の国際関係学研究科などで教授を務めた。また、ロンドン大学にて客員研究員に就任した。この間、一貫してイギリス文学を専攻とした。 立教大学に進学し、文学部の英米文学科にて学んだ。
辻 由美(つじ ゆみ)は、日本の翻訳家、作家。 東京教育大学… 辻 由美(つじ ゆみ)は、日本の翻訳家、作家。 東京教育大学理学部、同大学院修士課程修了。専攻は生物物理学。 20代後半に渡仏し、約8年間滞在。パリのフランス語学校アリアンス・フランセーズ(fr:Alliance française)にてフランス語を一から学び、フランス語免状、現代フランス語上級資格、フランス語教員資格を取得。帰国後、1970年代末から翻訳を始めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
西脇 常記(にしわき つねき、1943年 - )は、中国学者… 西脇 常記(にしわき つねき、1943年 - )は、中国学者、京都大学名誉教授。 上海生まれ。1968年に東京教育大学文学部を卒業、1975年に京都大学大学院中国哲学専攻博士課程を修了中退。 1999年「唐代の思想と文化」で文学博士。新潟大学、京都大学教養部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科・総合人間学部教授を歴任。2009年定年退任、名誉教授。同志社大学教授も務めた。
橋本 雅史(はしもと まさふみ)は、日本の国会職員。勲等は瑞… 橋本 雅史(はしもと まさふみ)は、日本の国会職員。勲等は瑞宝重光章。第17代参議院事務総長。 大分県出身。1976年東京教育大学卒業、参議院事務局入局。参議院事務局警務部長、参議院事務局議事部長を経て、2007年参議院事務次長。2010年から参議院事務総長を務めた。2013年退任。2016年足立信也選挙対策本部長。2022年総務省中央選挙管理会委員。2025年秋の叙勲で瑞宝重光章を受章。
濱 健夫(はま たけお)は、日本の環境学者。 長野県茅野市出… 濱 健夫(はま たけお)は、日本の環境学者。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1976年東京教育大学理学部卒業。1978年名古屋大学大学院理学研究科修士課程修了。1980年同大学同大学院博士課程修了。同大学助手を経て、1998年筑波大学助教授。2007年同大学大学院教授。筑波大学生命環境学群生物学類長。退官後、同大学名誉教授。獨協大学特任教授。父は教育者の濱栄助。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
松澤 敏夫(まつざわ としお)は、日本の地方公務員。東京都財… 松澤 敏夫(まつざわ としお)は、日本の地方公務員。東京都財務局長、東京都交通局長、東京都環境整備公社理事長、東京都職員信用組合理事長等を歴任した。 1971年東京教育大学卒業、東京都入庁。東京都財務局参事、東京都立保健科学大学事務局長等を経て、1998年東京都政策報道室広報部長。1999年東京都総務局行政部長。2001年東京都財務局主計部長。2003年東京都監査事務局長。2004年東京都財務局長。2005年東京都交通局長。2011年東京都職員信用組合理事長。東京都環境整備公社理事長なども務めた。2019年瑞宝小綬章受章。