水江漣子(みずえ れんこ、1925年11月5日 - 1993… 水江漣子(みずえ れんこ、1925年11月5日 - 1993年3月13日)は、日本近世史学者。 大分県生まれ。1949年東京文理科大学史学科卒。1971年東京教育大学大学院博士課程中退、1976年「江戸の都市的発達に関する研究」で文学博士。文教大学教授。 1993年3月13日、くも膜下出血による敗血症のため死去。
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水江漣子(みずえ れんこ、1925年11月5日 - 1993… 水江漣子(みずえ れんこ、1925年11月5日 - 1993年3月13日)は、日本近世史学者。 大分県生まれ。1949年東京文理科大学史学科卒。1971年東京教育大学大学院博士課程中退、1976年「江戸の都市的発達に関する研究」で文学博士。文教大学教授。 1993年3月13日、くも膜下出血による敗血症のため死去。
佐藤 喬(さとう たかし、1925年(大正14年)8月23日… 佐藤 喬(さとう たかし、1925年(大正14年)8月23日 - 2020年(令和2年)8月4日)は、日本の英語学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京教育大学文学部卒業。1961 - 62年フルブライト奨学生としてミシガン大学に学ぶ。1964年慶應義塾大学法学部講師、70年助教授、75年教授、1990年定年退任、名誉教授、明海大学教授。日本英語教育研究所所長、日本国連協会理事。 2020年8月4日、脳梗塞のため東京都中野区の病院で死去、94歳没。
白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、… 白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、日本の農業経済学者、名城大学名誉教授。 岐阜県出身。東京農業教育専門学校卒。1962年「資本の運動と地代」で東京大学農学博士。農林省農業総合研究所、名城大学商学部教授。1998年定年、名誉教授。
梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 -… 梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 - )は、日本の教育学者。筑波大学名誉教授。社会科教育学専攻。 東京府東京市浅草区田町生まれ。1945年東京高等師範学校卒業、同年4月東京文理科大学倫理学科に入るが、5月に陸軍特別甲種幹部候補生となり、前橋陸軍予備士官学校の士官候補生で敗戦を迎える。1948年、東京文理科大学卒業、副手、東京教育大学助手。1952年、同附属中学高校教諭。1966年、文部省初等中等教科調査官。1972年、東京教育大学助教授、1974年同教授。1976年、筑波大学教授。1989年定年退官、名誉教授。
小玉 正任(こだま まさとう、1925年(大正14年)6月2… 小玉 正任(こだま まさとう、1925年(大正14年)6月27日 - 2016年(平成28年)9月6日)は、日本の官僚、民俗学者。正四位。 秋田県出身。1951年東京文理科大学卒業後、総理府に入庁。1972年の復帰時に沖縄開発庁総務局総務課長、1974年迎賓館次長、1976年沖縄開発庁総合事務局長、1978年内閣広報室長、1979年賞勲局長、1982年に沖縄開発事務次官、1984年退職、公害等調整委員会委員。1995年、勲二等旭日重光章受章。 1995年から2006年まで沖縄協会の4代目会長を務めた。国立公文書館長、統計情報研究開発センター理事長なども務めた。官僚時代には、琉球大学図書館による琉球関係資料の収集予算の確保に尽力。
川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月2… 川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月23日- 2020年〈令和2年〉2月8日)は、日本の言語学者、上越教育大学・創価大学名誉教授。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。東京高等師範学校を経て、東京文理科大学英文学科卒。群馬県立太田高等学校教諭、近畿大学講師、奈良教育大学助教授、上越教育大学教授、89年定年退官、名誉教授、創価大学教授、2000年退任、名誉教授。日本語について、アルタイ系の基層語の上に南島系言語が重なったと推定している。 2020年2月8日、肺炎のため八王子市内の病院にて死去。94歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。
北見 俊夫(きたみ としお、1924年11月18日 - 19… 北見 俊夫(きたみ としお、1924年11月18日 - 1995年3月23日)は、日本の民俗学者。 新潟県佐渡島生まれ。東京文理科大学史学科卒。東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、大東文化大学教授。1976年「日本海上交通史の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1973年『日本海上交通史の研究』で柳田賞受賞。日本交通史、日本流通史、民俗学専攻。1995年3月23日、膵臓癌のため死去。没後、勲三等瑞宝章叙。
渡辺 一郎(わたなべ いちろう、1924年11月16日 - … 渡辺 一郎(わたなべ いちろう、1924年11月16日 - 没年未詳)は、日本の歴史家。武術・武道史、体育史に関して多くの著作がある。筑波大学名誉教授。 1924年、愛知県に生まれる。1948年に東京文理科大学文学部国史学科国史学専攻卒業。東京教育大学文学部助手を経て同大学体育学部助教授、同体育史講座に属し、1968年4月、体育学部武道学科に武道論講座が新設されると、柔道論講座の大滝忠夫教授と共に移行して武道学科武道論講座を担当した。後に同大学教授、筑波大学教授、名誉教授。また、大学助手時代から収集していた武鑑を復刻して出版している。 近代武道史研究資料(渡辺一郎 編) 武道伝書聚英(渡辺一郎、中林信二 共編) 文化史、武芸、芸道論 徳川幕府大名旗本役職武鑑
成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019… 成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019年8月3日)は、日本の臨床心理学者、臨床心理士。医学博士。九州大学名誉教授、元吉備国際大学教授。日本リハビリテイション心理学会名誉理事長、日本臨床動作学会名誉会長。正四位。 岐阜県生まれ。東京高等師範学校を経て、1950年に東京文理科大学心理学科を卒業後、1951年から1953年まで東京文理科大学助手、1953年から1962年まで東京教育大学助手・講師、1962年から1988年まで九州大学教育学部助教授、同教授。1988年、臨床心理士第1号(日本臨床心理士資格認定協会)。1989年から1993年まで九州女子大学・九州女子短期大学の学長を務める。
長谷川 純三(はせがわ じゅんぞう、1924年5月28日 -… 長谷川 純三(はせがわ じゅんぞう、1924年5月28日 - 2025年11月12日)は、日本の体育・道徳教育学者。筑波大学名誉教授、至学館大学名誉教授。専攻は野外教育・社会教育・社会体育。 愛知県春日井市生まれ。1944年愛知第一師範学校卒、陸軍特別操縦見習士官として中国・朝鮮に従軍、敗戦後、小学校教諭、県立工業高校教諭、1950年東京教育大学体育学部入学。卒業後、1961年同大学院修了。文部省体育局、東京教育大学助教授、筑波大学教授。1988年定年退官、名誉教授。日本ユースホステル協会会長。2002年、勲四等旭日小綬章受勲。
竹田 旦(たけだ あきら、1924年5月20日 - 2021… 竹田 旦(たけだ あきら、1924年5月20日 - 2021年10月4日)は、日本の比較民俗学者、茨城大学・創価大学名誉教授。日本と朝鮮の比較民俗学を専攻した。 愛知県知多郡に生まれる。東京文理科大学を卒業した。1962年「民俗慣行としての隠居の研究」で東京教育大学から文学博士の学位を取得した。 東京教育大教授、茨城大学教授を務め、1989年に定年退官して、茨城大学名誉教授となる。1990年からは創価大学教授を務め、2000年に特任教授、同名誉教授となる。1977年からは中央大学民俗研究会顧問も務めた。 1964年に「民俗慣行としての隠居の研究」で第3回柳田賞を受賞した。2001年、勲四等旭日小綬章を受章した。
松岡 武(まつおか たけし、1924年(大正13年)5月1日… 松岡 武(まつおか たけし、1924年(大正13年)5月1日 - 2001年(平成13年)6月24日)は、日本の心理学者。 埼玉県生まれ。1950年東京文理科大学心理学科卒業。同大学大学院心理学研究科修了、1952年山梨大学教育学部講師、助教授、1963年「色彩象徴法によるAffective meaningの研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1967年特殊教育学科教授、附属養護学校長、保健管理センター所長、1990年定年退官、名誉教授、作新学院大学教授。1995年退任。色彩心理学。
長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、… 長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、日本の教育学者。専門は西洋教育史。特にアドルフ・ライヒヴァイン(de:Adolf Reichwein)を研究した。 名古屋市出身。1952年東京文理科大学教育心理学特別研究生前期課程修了、65年「プロイセン絶対主義の崩壊過程における教育政策の研究 Abiturientenexamenの実施過程を通してみた」で東京教育大学教育学博士。東京教育大学助教授、教授、1975年立教大学教授、1985年中央大学文学部教授。93年退任。
小木 新造(おぎ しんぞう、1924年1月31日 - 200… 小木 新造(おぎ しんぞう、1924年1月31日 - 2007年7月12日)は、日本の文化史学者。 1927年、東京で生まれた。東京教育大学日本史学科で学び、卒業。 卒業後は、桐朋学園大学教授に着任。上越教育大学教授を経て、1986年より国立歴史民俗博物館教授となった。1978年、東京教育大学に学位論文『東京庶民生活史研究』を提出して文学博士号を取得。1988年、江戸東京歴史財団理事に就任。1996年、第2代東京都江戸東京博物館館長に就任。1998年より同顧問。2007年に死去。 江戸および明治期東京の庶民生活史研究を牽引した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
青木 孝頼(あおき たかより、1924年 - )は、日本の文… 青木 孝頼(あおき たかより、1924年 - )は、日本の文部官僚・教育学者。筑波大学教授等を歴任。1995年勲三等瑞宝章受章。 1948年東京文理科大学心理学科卒業。東京教育大学助手、文部省初等中等局教科書調査官、同主任視学官、筑波大学教授、1988年定年退官、埼玉短期大学教授。1958年道徳教科の創設以来その充実に努めた。1995年、勲三等瑞宝章受章。
島田 次郎(しまだ じろう、1924年(大正13年) - 2… 島田 次郎(しまだ じろう、1924年(大正13年) - 2020年1月1日)は、日本の歴史学者、中央大学名誉教授、第11代中央大学経済研究所長。専攻は日本古代史・国文学。 東京都生まれ。1950年に東京文理科大学史学科国史学専攻を卒業。高校教諭などを経て、中央大学教授、中央大学経済研究所長(1988年 - 1991年)を歴任した。その間、1977年に「中世領主制の形成とその展開」で東京教育大学から文学博士を授与される。中央大学を退職し1995年名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森岡 清美(もりおか きよみ、男性、1923年〈大正12年〉… 森岡 清美(もりおか きよみ、男性、1923年〈大正12年〉10月28日 - 2022年〈令和4年〉1月9日)は、日本の社会学者、東京教育大学・成城大学名誉教授、大乗淑徳学園学術顧問。家族社会学を専門とし、主として宗教と家族のつながりについて多くの著書を著した。 三重県生まれ。1948年(昭和23年)東京文理科大学哲学科卒業。1950年(昭和25年)同大学院修士課程修了、 同助手、専任講師、東京教育大学助教授、教授、1978年(昭和53年)定年退官、成城大学教授、1994年(平成6年)淑徳大学教授、2002年(平成14年)退職。 1961年(昭和36年)「真宗教団と「家」制度」で東京教育大学文学博士。
平澤 彌一郎(ひらさわ やいちろう、1923年(大正12年)… 平澤 彌一郎(ひらさわ やいちろう、1923年(大正12年)8月5日 - 2002年(平成14年)6月28日)は、日本の運動生理学者(医学博士)。専門は、神経生理学。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ、同県飯田市出身。長野師範学校、旧制東京体育専門学校を経て、東京大学で解剖学、名古屋大学で生理学を学び、1961年に三重県立大学で医学博士の学位を取得。学位論文名は 「接地足蹠面積と直立姿勢の安定についての研究 」。 1949年青山学院大学講師、1956年静岡大学教授、1977年東京工業大学教授/名誉教授、1984年放送大学教授を歴任。 50年間の長きに渡り足の裏について研究を行い、人間のすべての動作基本である直立能力を足の裏から解析する装置・ピドスコープ(「ピド」はラテン語で「足」の意)を開発、スタシオロジー(身体静止学)理論を確立し「足の裏博士」(あしのうらはかせ)として知られる人物である。
島田 一男(しまだ かずお、1923年3月5日 - 1995… 島田 一男(しまだ かずお、1923年3月5日 - 1995年10月5日)は、日本の社会心理学者・評論家。 岩手県生まれ。東京文理科大学心理学科卒、研究科修了。1962年「社会的態度に関する組織的研究」で文学博士の学位を取得。聖心女子大学文学部助教授を経て、教授。1993年定年退任、名誉教授、川村学園女子大学教授、文学部長を務める。日本心理学会理事・日本社会心理学会会長を歴任し、マスコミでも幅広く活躍した。日本社会心理学会名誉会員。
岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - … 岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - 1978年2月3日)は、日本の心理学者。愛知県豊橋市出身。 愛知県豊橋市出身。1947年東京文理科大学心理学科卒。1949年ミズーリ大学に留学。帰国後、奈良女子大学助教授、東京教育大学助教授を経て、1972年教授、1976年筑波大学教授併任。薬理心理学、生理心理学の発展に寄与した。 1978年1月3日、急性心不全のため東京都豊島区西池袋の平塚胃腸病院にて死去。55歳。
星野 通平(ほしの みちへい、1923年 - 2021年4月… 星野 通平(ほしの みちへい、1923年 - 2021年4月29日)は、日本の地質学者。東海大学名誉教授、中華人民共和国青島海洋大学名誉教授。 古くからプレートテクトニクス論に懐疑的であり、2001年に出版した『膨らむ地球』などで否定論を展開している。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
田中 敏隆(たなか としたか、1922年12月11日 - 2… 田中 敏隆(たなか としたか、1922年12月11日 - 2005年6月20日)は、日本の発達・教育心理学者。大阪教育大学・神戸女子大学名誉教授。 大阪府生まれ。1949年東京文理科大学心理学科卒業。1950年大阪教育大学助手、1951年講師、1956年助教授、1962年「認知の発達的研究」で京大文学博士。1970年教授、1983年学長、1985年定年退官、名誉教授、神戸女子大学教授、文学研究科長、1998年名誉教授。中国河北大学客座教授。日本心理学会理事長・名誉会員。第17-18期日本学術会議会員。交通事故による脳挫傷のため大阪府高槻市の病院で死去、82歳。長男は小児科医田中英高(1955 - )。
中澤 次郎(中沢 次郎、なかざわ じろう、1922年〈大正1… 中澤 次郎(中沢 次郎、なかざわ じろう、1922年〈大正11年〉7月28日 - 2019年〈令和元年〉5月2日)は、日本の教育学者。 群馬県高崎市生まれ。1940年旧制高崎商業学校卒業後、1953年東京文理科大学教育学科卒業。1956年ミシシッピ大学大学院修士課程修了。 桐朋学園短期大学専任講師、1957年同助教授。1961年東京農業大学講師、1962年同助教授、1972年同教授。1978年筑波大学教授、1986年定年退官。国際武道大学教授、東京家政学院大学教授。1993年退任。1998年勲三等瑞宝章受勲。
野沢 豊(野澤 豊、のざわ ゆたか、1922年7月24日 -… 野沢 豊(野澤 豊、のざわ ゆたか、1922年7月24日 - 2010年10月26日)は、日本の中国史学者。 静岡県駿東郡原町(現沼津市原)生まれ。1938年沼津市東京電灯沼津支店臨時雇員、1939年上京、1941年私立巣鴨商業学校夜間部3年次に編入、1943年東京高等師範学校文科第五部(国語科)に入学。1945年特別甲種幹部候補生(迫撃砲科)として習志野ガス学校に入隊、8月除隊。1946年東京文理科大学東洋史学専攻に入学。1949年卒業、副手となる。1952年東京教育大学文学部東洋史学科助手、同専任講師、1969年中央大学商学部専任講師、1975年旧・東京都立大学教授。1986年退職。1987年駿河台大学法学部教授。
横地清(よこち きよし、1922年7月10日 - 2022年… 横地清(よこち きよし、1922年7月10日 - 2022年12月10日)は、日本の数学教育学者。 愛知県に生まれる。1945年東京文理科大学数学科卒業。1966年和光大学人文学部教授。1976年山梨大学教育学部教授。1988年東海大学海洋学部教授。北京師範大学客員教授、内蒙古師範大学科学史研究所客員教授。数学教育学会名誉会長。
西牟田 久雄(にしむた ひさお、1922年5月16日 - 2… 西牟田 久雄(にしむた ひさお、1922年5月16日 - 2010年)は、日本の倫理学、哲学者。 長崎県生まれ。1949年第五高等学校卒業。東京教育大学卒業、1955年同大学院哲学研究科修士課程修了。1966年本州大学経済学部助教授(倫理学)。1974年校名変更で長野大学産業社会学部教授。1976年東京電機大学理工学部教授。1992年定年退職。ロシア語文献の翻訳を多く行った。
藤井清(ふじい きよし、1922年3月5日 - 2012年1… 藤井清(ふじい きよし、1922年3月5日 - 2012年1月15日)は、日本の物理学者。和光大学学長を務めた。 東京生まれ。1942年東京高等師範学校理科第二部卒、1945年東京文理科大学理学部物理学科卒、1950年同研究生後期修了、東京教育大学附属高等学校教諭・教頭をへて、1968年和光大学経済学部助教授、72年教授。81-93年学長となる。92年名誉教授、97年理事長。
神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 201… 神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 2012年)は、日本の教育哲学者、香道家。 東京生まれ。東京文理科大学哲学科卒。中央大学文学部教育学科教授。1992年定年退職、名誉教授。三条西実隆を始祖とする香道御家流の皆伝で、香道御家流桂雪会会長。
川合 章(かわい あきら、1921年10月25日 - 201… 川合 章(かわい あきら、1921年10月25日 - 2010年11月2日)は、日本の教育学者。教育方法史を研究。埼玉大学名誉教授。 新潟県出身。東京文理科大学卒。秋田師範学校教諭、埼玉大学助教授、1969年教授。86年定年退官、名誉教授、中京大学教授。日本生活教育連盟委員長。
朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 -… 朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 - 2002年10月21日)は、日本の地理学者・教育学者。 栃木県宇都宮市生まれ。1942年東京高等師範学校卒。1945年9月東京文理科大学地理学科卒、東京都立上野中学校(現東京都立上野高等学校)教諭。47年東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)教諭。51年東京教育大学助教授。56年文部省初等中等教育局長事務官、58年同教科調査官。1963年宇都宮大学学芸学部助教授、68年教養部助教授、70年教授、72年教育学部教授、74-78年宇都宮大学教育学部附属中学校校長、1979年筑波大学教授、85年定年退官、上越教育大学教授、87-89年上越教育大学附属中学校校長兼任、90年定年退官、名誉教授、豊田短期大学教授、94年学長。
冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 198… 冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 1988年1月26日)は、英文学者、筑波大学名誉教授。 静岡県御殿場市生まれ。1944年東京文理科大学英文科卒、兵役ののち、研究社入社、『英語青年』の編集にあたる。1959-1960年ハーヴァード大学に留学。一橋大学社会学部助教授、筑波大学教授、1979-1980年日本英文学会会長。1985年定年退官、大妻女子大学教授。1988年、在職中に心筋梗塞のため死去。 シェイクスピアが専門、福原麟太郎に師事した。しばしば富原芳彰と表記される。
工藤 綏夫(くどう やすお、1921年6月3日 - 2015… 工藤 綏夫(くどう やすお、1921年6月3日 - 2015年1月17日)は、日本の倫理学者。秋田大学名誉教授。 秋田県生まれ。1946年東京文理科大学哲学科倫理学専攻卒、秋田大学教育学部助教授、教授、1985年定年退官、名誉教授、日本赤十字看護大学教授。 1995年勲二等瑞宝章叙勲。 2015年1月17日、老衰のため死去。93歳歿。没後に正四位に叙された 。
永井 博(ながい ひろし、1921年1月1日 - 2012年… 永井 博(ながい ひろし、1921年1月1日 - 2012年11月7日)は、日本の哲学者、筑波大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、愛知県で生まれた。東京文理科大学で学び、卒業。1959年、学位論文『数理の存在論的基礎』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。 卒業後は東京教育大学助教授に就いた。1978年より同大学は筑波大学となり、後に教授昇格。1984年に筑波大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東海大学教授として教鞭をとった。1996年、日本学士院会員に選出された。2012年11月7日に死去。 専門は科学哲学、科学史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
江原 有信(えはら ありのぶ、1921年 - )は、日本の生… 江原 有信(えはら ありのぶ、1921年 - )は、日本の生物学者、筑波大学教授、学位は理学博士。専攻は動物生理学。 大正10年沼津に生まれ、東京に育つ。昭和19年東京文理科大学生物科を卒業。筑波大学教授を経て退官後同大名誉教授、昭和32年マメホヤの心電図の研究で博士号を取得、同43年に心臓生理学研究のため欧米に留学。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3… 福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3日 - 1994年〈平成6年〉11月27日)は、日本の物理学者。理学博士 東京教育大学教授、筑波大学副学長・学長を歴任。世界平和教授アカデミー元会員、日韓トンネル研究会元顧問。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。高松中学校(現・香川県立高松高等学校)、第一高等学校(現・東京大学)、北海道帝国大学理学部を卒業後、理化学研究所に入所。仁科芳雄博士のもとでニ号研究 (原子爆弾開発研究) に携わった。この研究で福田は六フッ化ウランの熱拡散分離の理論を担当した。 世界的水準の「筑波研究学園都市」を建設し、そこに東京教育大学を移転させて核になる総合大学にしようという計画があった。
宇土正彦(うど まさひこ、1920年 <大正9年> 8月23… 宇土正彦(うど まさひこ、1920年 <大正9年> 8月23日 - 1999年 <平成11年> 10月12日)は、日本の体育学者。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 長崎県出身。1944年東京文理科大学教育学科心理学専攻卒。文部省勤務、東京教育大学助教授、教授、1974年筑波大学体育学系教授・体育専門学群長を経て、1983年定年退官、名誉教授、日本女子体育大学学長。96年退任、名誉教授。日本体育・スポーツ経営学会会長、スポーツ産業学会理事長も務めた。 96年勲三等旭日中綬章受勲。99年死去。死没日付をもって正八位から従四位に進階した。
服部 治則(はっとり はるのり、1920年(大正9年)7月1… 服部 治則(はっとり はるのり、1920年(大正9年)7月18日 - 2015年(平成27年)2月28日)は、日本の歴史学者・民俗学者である。山梨大学名誉教授。山梨郷土研究会常任理事。正四位。 三重県上野市(現伊賀市)に生まれる。1945年(昭和20年)に東京文理科大学(のちの東京教育大学)史学科国史科を卒業し、1947年には山梨師範学校(のちの山梨大学)助教授になる。山梨県の農村地域における柳田國男の調査にも同行している。 歴史学と民俗学の手法を組み合わせた歴史民俗学的アプローチの研究を行い、1950年代から60年代には山梨県独自の民俗事例として知られる親分子分慣行の研究を行う。これは非血縁の親子関係を結び、親分は子分に経済的庇護を加え子分は親分に対して奉仕する伝統的な人間関係で、服部はその起源を求め武田氏研究へと研究対象を移行する。
内山 喜久雄(うちやま きくお、1920年〈大正9年〉6月2… 内山 喜久雄(うちやま きくお、1920年〈大正9年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の臨床心理学者。筑波大学名誉教授、医学博士。正四位勲三等瑞宝章受章。 群馬県佐波郡境町(現・伊勢崎市)生まれ。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)、東京高等師範学校文科第3部を経て、1944年(昭和19年)東京文理科大学心理学科卒業。海軍予備少尉となる。 1945年(昭和20年)10月、群馬師範学校助教授となる。1951年(昭和26年)群馬大学助教授。1959年(昭和34年)「小児緘黙症に関する研究」で群馬大学より医学博士の学位を取得。1964年(昭和39年)東京教育大学助教授、1970年(昭和45年)同教授。
澤田 清(さわだ きよし、1920年3月5日 - 2019年… 澤田 清(さわだ きよし、1920年3月5日 - 2019年3月22日[要出典])は、日本の地理学者、日本大学名誉教授。 福井県武生市生まれ。東京文理科大学理学部地理学科卒、1961年「わが国における都市圏の変容に関する地理学的研究」で、理学博士(東京都立大学)。福井県立福井高等女学校教諭、金沢大学教育学部助教授、東京教育大学理学部助教授、日本大学文理学部教授。1991年定年退任、名誉教授。2019年3月22日死去。99歳没。[要出典]
松田 岩男(まつだ いわお、1920年1月22日 - 199… 松田 岩男(まつだ いわお、1920年1月22日 - 1992年2月18日)は、日本の体育心理学者。 島根県浜田市生まれ。1945年東京文理科大学心理学科卒。1947年東京高等師範学校助教授、50年教授、1951年東京教育大学助教授、70年教授、1973年筑波大学教授、1981年上越教育大学副学長。85年退官、名誉教授。中京大学教授となり、1988年4月学長に就任。第14ー15期日本学術会議会員。1985年国際スポーツ心理学会功労賞。1992年2月18日、後述の事件にて客死する。享年72。 1992年2月18日、中京大学とマサチューセッツ大学ボストン校との交流協定締結のため、中垣昇経済学部教授らと共にボストン市内ウエスティンホテルに宿泊し、同日午後夕方より打ち合わせの予定があったところ襲撃される。
関口 晃一(せきぐち こういち、1919年12月20日 - … 関口 晃一(せきぐち こういち、1919年12月20日 - 2012年2月1日)は、日本の動物学者。 埼玉県北埼玉郡騎西町(現・加須市)出身。東京高等師範学校、1943年東京文理科大学理科卒。1945年同副手、1947年助手、1957年「遠心処理によつてつくられたクモ重複畸形」で東京教育大学理学博士。1962年東京教育大学助教授、1973年教授。移転で筑波大学教授、1983年定年退官、名誉教授、上武大学教授。1991年退職。1979年日本動物学会賞受賞。1988-1993年日本蜘蛛学会会長を務めた。カブトガニの研究で知られる。
斎藤吉史(さいとう よしふみ、1919年12月1日 - 19… 斎藤吉史(さいとう よしふみ、1919年12月1日 - 1991年1月12日)は、日本のジャーナリスト、アジア学者。 島根県益田市出身。東京文理科大学卒。1946年朝日新聞社に入り、アジア総局長、外報部長、論説委員をへて、1980年文教大学教授。「朝日新聞」書評委員を務めた。 1991年1月12日、膵臓癌のため死去。
大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001… 大浦 猛(おおうら たけし、1919年8月9日 - 2001年12月15日)は、日本の教育哲学者。元山梨県立女子短期大学学長。 富山県滑川市出身。東京文理科大学教育学科卒。1945年青森青年師範学校講師、46年助教授、47年教授、1949年東京高等師範学校助教授、1952年東京教育大学助教授、66年教授、1962年「ジョン・デューイにおける初期教育思想の形成 実験主義教育思想の成立過程」で東京教育大学文学博士。1974年埼玉大学教育学部教授、84年定年退官、創価大学教授ののち、山梨県立女子短期大学長を歴任。専門は、教育哲学、デューイ研究。 東京教育大学在職中、筑波移転に反対し、その意思を表明する意味で埼玉大学に移籍した。
内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003… 内海 喩(うつみ さとり、1919年4月16日 - 2003年3月15日)は、日本の化学者。理学博士。専門は分析化学。特に微量陰イオンの定量法の研究で知られる。元東京工業大学理工学部分析化学教室教授。日本大学名誉教授。 香川県出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を経て東京文理科大学(現在の筑波大学)卒業。1992年、勲四等旭日小綬章を受章。2003年3月15日、急性心筋梗塞のため83歳で死去。
有末 武夫(ありすえ たけお、1919年4月1日 - 202… 有末 武夫(ありすえ たけお、1919年4月1日 - 2020年12月21日)は、日本の地理学者。交通地理学を専門とする。1950年代に日本の交通地理学を発展させ、体系化を進めた人物の1人である。 北海道出身。1946年東京文理科大学地理学科卒。1959年「わが国における旅客交通の地理学的研究」で、理学博士(東京教育大学)の学位を取得。東京文理科大副手、助手、群馬大学教育学部助教授をへて、教授。84年定年退官、名誉教授、上武大学教授を務めた。
福尾 武彦(ふくお たけひこ、1919年3月9日 - 200… 福尾 武彦(ふくお たけひこ、1919年3月9日 - 2009年3月17日)は、日本の社会教育学者。 福島県出身。東京文理科大学卒、岩手大学教育学部助教授、1961年千葉大学教育学部助教授、教授、83年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授、89年退任。
辰見 敏夫(たつみ としお、1919年3月3日 - 2005… 辰見 敏夫(たつみ としお、1919年3月3日 - 2005年8月5日)は、日本の教育心理学者。東京学芸大学名誉教授。1992年勲三等旭日中綬章。 東京文理科大学教育学部心理学科卒業、東京学芸大学助教授、教授、1983年定年退官、名誉教授。1987年社会福祉功労厚生大臣表彰。1992年勲三等旭日中綬章を受章、厚生省の中央児童審議会家庭児童健全育成対策部会長。
伊東 博(いとう ひろし、1919年〈大正8年〉3月2日 -… 伊東 博(いとう ひろし、1919年〈大正8年〉3月2日 - 2000年〈平成12年〉8月19日)は、日本の心理学者。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 秋田県生まれ。東京文理科大学卒、ミズーリ大学大学院に学び、横浜国立大学教育学部助教授、教授、1983年定年退官。1984年、東京国際大学教養学部教授、1994年、退職。カール・ロジャーズの著作を多く翻訳した。 2000年8月19日、呼吸不全のため死去。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
清水 馨八郎(しみず けいはちろう、1919年〈大正8年〉 … 清水 馨八郎(しみず けいはちろう、1919年〈大正8年〉 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の地理学者。学位は、理学博士。地理学者としては、都市地理学、交通地理学などの分野で業績を残した。晩年は自由主義史観系の評論家・論客として知られた。千葉大学名誉教授。 山梨県出身、(旧制)東京文理科大学(現・筑波大学)理学部地学科卒。 海軍兵学校教官、千葉大学教育学部教授を経て、千葉大学名誉教授。国際武道大学教授、イオンド大学筆頭教授を歴任した。理学博士。勲三等旭日中綬章。日本を守る国民会議発起人。 日本における交通地理学の体系化の進行に貢献した人物の1人であり、交通現象をもとに大都市の都市構造の分析を行い、都市問題や交通問題の研究や対処方法の提言などを行った。
岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 20… 岸野 雄三(きしの ゆうぞう、1918年5月13日 - 2001年1月19日)は、日本の体育学者。 宮崎県出身。1942年東京文理科大学哲学科卒。学生時代は体操競技の選手で、1939年明治神宮体育大会個人総合で優勝、翌年の“幻の東京オリンピック”候補選手。1946年東京高等師範学校助教授、49年教授、同年東邦大学助教授、1967年教授、また、東京教育大学体操部部長を務めた。1974年筑波大学体育科学系教授となり、体育科学系長、体育専門学群長を務めた。その間、日本体育学会理事長、日本学術会議会員、体協役員などをつとめる。82年定年退官、名誉教授。早稲田大学客員教授となり、その後、国際武道大学教授、のち副学長に就任。