堀内 一雄(ほりうち かずお、1893年9月13日 - 19… 堀内 一雄(ほりうち かずお、1893年9月13日 - 1985年12月11日)は、日本の実業家、政治家、陸軍軍人。位階は従三位、勲等は勲一等瑞宝章。 衆議院議員(5期)。最終階級は歩兵少佐、満洲国陸軍少将。父は堀内良平、息子は堀内光雄。孫は堀内光一郎。 山梨県出身。軍人好きであった父・良平の影響を受け、1915年5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。1925年11月、陸軍大学校(37期)卒。参謀本部ではイギリスを担当する英班に配属されるが、赴任を待てず良平に資金を出してもらい世界一周に出かけた結果、軍人に嫌気がさし帰国と同時に退官を申し出た。石原莞爾などの説得により思いとどまり、陸軍少佐まで進み第9師団参謀を務めた。
尾崎 義春(おざき よしはる、1890年〈明治23年〉4月2… 尾崎 義春(おざき よしはる、1890年〈明治23年〉4月20日 - 1973年〈昭和48年〉9月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。北海道旭川市出身。 農家の尾崎次郎の二男として生まれる。北海道庁立旭川中学校を卒業したのち、日本軍に入隊。 陸軍士官学校23期・ 陸軍大学校31期。関東軍に出仕。1928年の張作霖爆殺事件の際には河本大作大佐の部下として実行部隊を指揮する。その後、日中戦争(支那事変)では独立混成第13旅団長として出動し、淮南で新四軍と激戦を繰り広げた。 日米開戦後は第19師団長に親補され、北朝鮮からフィリピンへと転戦。リンガエン湾・プロム山の戦闘では圧倒的兵力を誇る米軍相手に善戦敢闘した。
東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年〈… 東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年〈明治20年〉12月3日 - 1990年〈平成2年〉1月20日)、のち東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)は、日本の旧皇族、政治家、陸軍軍人。東久邇宮初代当主。陸士20期・陸大26期。最終階級は陸軍大将。位階勲等功級は従二位大勲位功一級。第二次世界大戦後、終戦処理内閣として内閣総理大臣(在職1945年8月17日-1945年10月9日)に就任し、憲政史上唯一の皇族内閣を組閣した。 内閣総理大臣として、連合国に対する降伏文書の調印、軍の解体と復員、行政機構の平時化、占領軍受け入れなどを実施したが、自由化政策を巡るGHQと内務省による対立やGHQによる内政干渉に対し、抵抗の意志を示すため総辞職した。
平林 盛人(ひらばやし もりと、1887年11月10日 - … 平林 盛人(ひらばやし もりと、1887年11月10日 - 1969年5月21日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。
下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23… 下村 定(しもむら さだむ、1887年(明治20年)9月23日 - 1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。位階勲等功級は正三位勲一等功三級。 陸軍大臣(第56・57代)、教育総監(第27代)、参議院議員(1期)などを歴任した。 本籍地は高知県。旧土佐藩士で、陸軍中佐・金沢聯隊区司令官の下村定辞の長男として石川県金沢市に生まれる。 金沢第一中学校、名古屋陸軍幼年学校を経て、1908年(明治41年)12月、陸軍士官学校第20期を皇族を除いた6番/273名の成績で卒業する。砲兵科では、橋本群(陸軍省軍務局軍事課長、参謀本部第1部長を歴任、のち中将)に次いで2番の成績であった。
徳川 圀順(とくがわ くにゆき、1886年(明治19年)12… 徳川 圀順(とくがわ くにゆき、1886年(明治19年)12月13日 - 1969年(昭和44年)11月17日)は、日本の華族、政治家、陸軍軍人。水戸徳川家第13代当主。貴族院議長、日本赤十字社社長を務める。階級は陸軍歩兵少尉、爵位は侯爵、のち公爵。徳川光圀以来編纂を続けていた歴史書『大日本史』を完成させる。字は子行、号は涛山、諡号は明公。
安井 藤治(やすい とうじ、1885年〈明治18年〉10月1… 安井 藤治(やすい とうじ、1885年〈明治18年〉10月11日 - 1970年〈昭和45年〉7月8日)は、明治期から昭和期の陸軍軍人、政治家。従三位勲一等。陸軍中将まで昇った後、鈴木貫太郎内閣の国務大臣(無任所)を務めた。 富山県出身。商業・安井藤蔵の長男として生まれる。富山中学校、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)920名中を首席卒業。同期生には、陸軍大将になった山下奉文、岡部直三郎、阿南惟幾、山脇正隆、藤江恵輔等がいる。 1906年(明治39年)6月、歩兵少尉に任官し、石川県金沢市野田村に駐屯する歩兵第35聯隊附となる。 1913年(大正2年)11月、陸軍大学校(第25期)を優等で卒業。
東條 英機(とうじょう ひでき、1884年〈明治17年〉12… 東條 英機(とうじょう ひでき、1884年〈明治17年〉12月30日 - 1948年〈昭和23年〉12月23日)は、日本の40代内閣総理大臣、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。戦後、A級戦犯として死刑判決を受け処刑された。 陸軍次官(第25代)、陸軍航空総監(初代)、陸軍大臣(第29代)、参謀総長(第16代)、大政翼賛会総裁(第2代)、内務大臣(第57代)、外務大臣(第59代)、文部大臣(第53代)、商工大臣(第24代)、軍需大臣(初代)、関東軍参謀長(第10代)を歴任した。 父は岩手県(盛岡市)出身である東條英教(陸軍中将)、妻は東條かつ子。次男は東條輝雄(三菱自動車工業社長・会長)、三男は東條敏夫(空将補)。
小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月2… 小磯 國昭(こいそ くにあき、1880年〈明治13年〉3月22日 - 1950年〈昭和25年〉11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。山形県士族。山形県新庄市出身。 陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官を歴任後、予備役に編入された。その後平沼内閣と米内内閣で拓務大臣、朝鮮総督(第8代)を務め、太平洋戦争中にサイパン失陥を受け辞職した東條英機の後継として1944年(昭和19年)に内閣総理大臣に就任した(小磯内閣)。悪化の一途をたどる戦局を挽回できず、中華民国との単独和平交渉も頓挫し、1945年(昭和20年)4月に総理を辞任し鈴木貫太郎に後を譲った。
寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺內壽一、1879… 寺内 寿一(てらうち ひさいち、旧字体: 寺內壽一、1879年(明治12年)8月8日 - 1946年(昭和21年)6月12日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥陸軍大将。勲等は勲一等。爵位は伯爵。山口県出身。
安藤 紀三郎(あんどう きさぶろう、1879年(明治12年)… 安藤 紀三郎(あんどう きさぶろう、1879年(明治12年)2月11日 - 1954年(昭和29年)5月10日)は、日本の政治家、陸軍軍人。軍人としての最終階級は中将。 太平洋戦争時の大政翼賛会副総裁、国務大臣、内務大臣。戦後、A級戦犯容疑者として逮捕された。 兵庫県で旧篠山藩士、鳳鳴義塾長で歌人の安藤直紀(内藤中虚の次男)の次男として生まれ、鳳鳴義塾中学を卒業。 1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、陸軍歩兵少尉となる。1901年(明治34年)台湾守備歩兵第10大隊附となり、翌年、陸軍歩兵中尉となる。1904年(明治37年)10月、歩兵第10連隊中隊長となり、同年11月、陸軍歩兵大尉となる。
荒木 貞夫(あらき さだお、1877年〈明治10年〉5月26… 荒木 貞夫(あらき さだお、1877年〈明治10年〉5月26日 - 1966年〈昭和41年〉11月2日)は、日本の陸軍軍人、政治家。犬養内閣・齋藤内閣の陸軍大臣、第1次近衛改造内閣・平沼内閣の文部大臣。位階勲等功級爵位は従二位勲一等功四級男爵。最終階級は陸軍大将。 陸軍発の社会の革新を訴える派閥「一夕会」の領袖として陸軍省を掌握。一夕会の分裂後は昭和維新を掲げる急進的な青年将校に担がれるが、二・二六事件後の異動により予備役編入。 文相就任時の「皇道教育」導入等を理由として、極東国際軍事裁判においてA級戦犯として起訴され、終身禁固刑を言い渡された。 1877年(明治10年)5月26日、東京都狛江市(出生当時は神奈川県多摩郡和泉村)に、小学校校長で、旧一橋家家臣だった荒木貞之助の長男として生まれる。
本城 嘉守(ほんじょう よしもり、1877年(明治10年) … 本城 嘉守(ほんじょう よしもり、1877年(明治10年) - 1960年(昭和35年))は、日本の陸軍軍人、政治家。初代徳山市長(現・周南市)。父に本城宣馬。徳山七士の一人本城清は祖父にあたる。
阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年〈明治8年〉11月24… 阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年〈明治8年〉11月24日 - 1953年〈昭和28年〉9月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家。 陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期(恩賜)、陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。 予備役編入後、内閣総理大臣(第36代)、外務大臣(第59代)、翼賛政治会総裁(初代)、貴族院議員、朝鮮総督(第9代)を歴任した。 石川県金沢生まれ。父は旧金沢藩士・阿部信満。東京府尋常中学校を経て、第四高等学校に進むも中退し、陸軍士官学校に進んで陸軍砲兵将校となる。陸軍少将として参謀本部総務部長、陸軍省軍務局長の要職を務め、陸軍中将として陸軍次官、第4師団長、台湾軍司令官を歴任して陸軍大将に親任された。
千田 嘉平(せんだ かへい、1871年10月12日(明治4年… 千田 嘉平(せんだ かへい、1871年10月12日(明治4年8月28日)- 1943年(昭和18年)2月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍少将、貴族院男爵議員。
宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年… 宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。
許 崇智(きょ すうち)は清末民初の軍人・政治家。主に初期の… 許 崇智(きょ すうち)は清末民初の軍人・政治家。主に初期の中国国民党における有力な軍指揮官であった。字は汝為。祖父と父は福建省で通判をつとめ、一族の許応騤は、清末の閩浙総督である。親族には、堂兄(父方の従兄)で軍人・政治家の許崇灝、堂弟(父方の従弟)で国立中山大学校長などをつとめた教育者の許崇清などがいる。