岡部 俊哉(おかべ としや、1959年〈昭和34年〉2月5日… 岡部 俊哉(おかべ としや、1959年〈昭和34年〉2月5日 - )は、日本の陸上自衛官。第35代陸上幕僚長。 福岡県出身。防衛大学校第25期。同期に杵渕正巳駐東ティモール特命全権大使、菊地豊伊豆市長など。1等陸佐までの職種は普通科。空挺及び幹部レンジャー課程修了。日本航空123便墜落事故における災害派遣活動において第1陣部隊の小隊長の1人として出動したことで知られる。その後第1空挺団長、第6師団長、北部方面総監等の要職を経て、2016年(平成28年)7月1日付で第35代陸上幕僚長に就任。岩田清文陸幕長時代から続く多くの自衛隊不祥事に揺れる陸上自衛隊の立て直しを図ろうとしたが、2017年(平成29年)3月に南スーダンPKOにおける自衛隊の日報破棄をめぐる問題が発生し、6月から自身を含めた特別防衛監察を受察。
重岡 康弘(しげおか やすひろ、1958年(昭和33年)11… 重岡 康弘(しげおか やすひろ、1958年(昭和33年)11月13日 - )は、日本の海上自衛官、 第48代自衛艦隊司令官(海将)。 山口県岩国市出身。1981年(昭和56年)3月、防衛大学校(第25期)を卒業後、海上自衛隊入隊、職種は戦術航空士。2015年(平成27年)7月28日の閣議において、8月4日をもって第48代自衛艦隊司令官に任命する旨の人事が了承・発令された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菊地 豊 (きくち ゆたか、1958年〈昭和33年〉6月8日… 菊地 豊 (きくち ゆたか、1958年〈昭和33年〉6月8日 - )は、日本の政治家、元陸上自衛官(最終階級:一等陸佐)。静岡県伊豆市長(5期)。 静岡県伊豆市生まれ。防衛大学校(第25期)卒業後、陸上自衛官に任官。同期に岡部俊哉陸上幕僚長、杵渕正巳駐東ティモール特命全権大使など。国際連合モザンビーク活動司令部作戦担当幕僚、在ドイツ日本大使館付防衛駐在官、第5普通科連隊長、内閣衛星情報センター主任分析官等を歴任した後、2007年1月、1等陸佐で退官。その後は英会話教室を経営。 2008年、出身地である伊豆市の市長選に立候補し、初当選。2012年、前伊豆市議会議員の西島信也を破り、再選。2016年、3選を果たした。
杉山 良行(すぎやま よしゆき、1958年(昭和33年)2月… 杉山 良行(すぎやま よしゆき、1958年(昭和33年)2月1日 - )は、日本の航空自衛官。第34代航空幕僚長。職種は飛行(戦闘機操縦士)。
村川 豊(むらかわ ゆたか、1958年(昭和33年)1月29… 村川 豊(むらかわ ゆたか、1958年(昭和33年)1月29日 - )は、日本の海上自衛官。第33代海上幕僚長。神奈川県出身。 1981年(昭和56年)3月、防衛大学校(国際関係論学)第25期を卒業し、海上自衛隊に入隊する。後方支援の職種である「経理・補給」職域に進み、海上幕僚監部人事教育部長、海上自衛隊補給本部長、海上幕僚副長などの要職を歴任し、2016年(平成28年)12月20日の閣議において、12月22日付をもって第33代海上幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。 海幕長に後方支援の職種出身者が就任するのは海上自衛隊創設以来初めて。就任時の記者会見では、村川の海幕長就任が海上自衛隊・帝国海軍の伝統を打ち破っていることを反映し、次のような問答があった。
磯部 晃一(いそべ こういち、1958年〈昭和33年〉1月1… 磯部 晃一(いそべ こういち、1958年〈昭和33年〉1月11日 - )は、日本の陸上自衛官。第37代東部方面総監。最終階級は陸将。 1980年(昭和55年)3月に防衛大学校(国際関係論、本科24期)を卒業後、陸上自衛隊に入隊。防大の同期生に番匠幸一郎、中谷元、田邉揮司良など。番匠、田邊とは陸将補・陸将ともに防衛大学校本科24期生の中で一選抜昇任を果たした。 陸上自衛隊では航空科部隊に配属、ヘリコプター・パイロットとして勤務。湾岸戦争時には外務省北米局米局安全保障課出向、その後統幕防衛計画部長、第7師団長、統合幕僚副長などの要職を歴任した。1996年、米国海兵隊指揮幕僚大学で軍事学修士を、2003年、米国国防大学で国家資源戦略修士をそれぞれ取得。
番匠 幸一郎(ばんしょう こういちろう、1958年〈昭和33… 番匠 幸一郎(ばんしょう こういちろう、1958年〈昭和33年〉1月5日 - )は、日本の陸上自衛官。第35代 西部方面総監。 鹿児島県鹿児島市出身。1980年(昭和55年)3月、防衛大学校を卒業し、陸上自衛隊に入隊。職種は普通科。1981年(昭和56年)3月に第30普通科連隊に配属。その後は富士学校幹部レンジャー課程修了。1989年(平成元年)、外務省アジア局北東アジア課に出向。1999年(平成11年)から米国陸軍戦略大学留学(戦略学修士) 2004年(平成16年)からの自衛隊イラク派遣では第1次復興支援群長(1等陸佐)を務めた。2005年(平成17年)7月、陸将補に昇任し、西部方面総監部幕僚副長、陸上自衛隊幹部候補生学校長兼前川原駐屯地司令を経て、陸上幕僚監部防衛部長に就任。
德丸 伸一(とくまる しんいち、1958年〈昭和33年〉 -… 德丸 伸一(とくまる しんいち、1958年〈昭和33年〉 - )は、海上自衛官。最終階級は海将補。 神奈川県立横須賀高等学校(高29期)を経て、防衛大学校を1981年3月(第25期)に卒業。海上自衛隊へ入隊する。 おおよど艦長、第4護衛隊群司令、練習艦隊司令官、護衛艦隊幕僚長、掃海隊群司令、第1術科学校長などを歴任し、2015年8月4日退官。 退官後は公益社団法人安全保障懇話会理事(2020年度〈令和2年度〉)への就任や雑誌『世界の艦船』に多くの記事を投稿をしている。
中谷 元(なかたに げん、1957年〈昭和32年〉10月14… 中谷 元(なかたに げん、1957年〈昭和32年〉10月14日 - )は、日本の政治家、陸上自衛官(最終階級:2等陸尉、レンジャー)。自由民主党所属の衆議院議員(13期)。自由民主党高知県支部連合会副会長。 防衛大臣(第14・26-27代)、安全保障法制担当大臣(第3次安倍内閣)、防衛庁長官(第67代)、内閣総理大臣補佐官(国際人権問題担当)(第2次岸田内閣・第2次岸田第1次改造内閣)、自治総括政務次官(第2次森内閣)、郵政政務次官(第2次橋本改造内閣)、国土政務次官(村山改造内閣)、衆議院総務委員長、自由民主党中央政治大学院長、同党憲法改正推進本部長代行、同党安全保障調査会長、同党安全保障法制整備推進本部本部長、同党政務調査会長代理、自由民主党副幹事長(特命担当)、同党情報調査局長、同党人事委員長、同党政務調査会国防部会長、同党国会対策副委員長、同党通信情報局長、同党高知県支部連合会会長などを歴任した。
松尾 幸弘(まつお ゆきひろ、1957年8月 - )は兵庫県… 松尾 幸弘(まつお ゆきひろ、1957年8月 - )は兵庫県出身の陸上自衛官。 職種は野戦特科。防衛大学校本科第24期卒。番匠幸一郎・磯部晃一・中谷元・福田築・田邉揮司良は同級生。 娘は元フジテレビアナウンサーの松尾翠。日本中央競馬会(JRA)所属の元騎手で現調教師の福永祐一は娘婿にあたる。 2012年4月に行われた第8師団の観閲式では北朝鮮が行った人工衛星打ち上げと称する弾道ミサイル実験に伴い、沖縄県に第8化学防護隊と第8後方支援連隊を展開したことについて「日本防衛の最前線師団として、期待に応えたい」と語った。 1980年(昭和55年)3月:防衛大学校卒業、陸上自衛隊入隊。 1999年(平成11年)1月:1等陸佐に昇任。
井上 力(いのうえ ちから、1957年〈昭和32年〉6月15… 井上 力(いのうえ ちから、1957年〈昭和32年〉6月15日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。 青森県八戸市出身。防衛大学校(第24期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主に艦艇や海上幕僚監部等で勤務したのち、第4護衛隊群司令、練習艦隊司令官、自衛艦隊司令部幕僚長、統合幕僚監部運用部長等の要職を歴任し、2012年(平成24年)7月から舞鶴地方総監を務め、2014年(平成26年)10月14日、第43代横須賀地方総監に任命された。2015年(平成27年)12月1日に退官。
鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 -… 鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 - )は、元海上自衛官。第20代潜水艦隊司令官。
鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 -… 鍜治 雅和(かじ まさかず、1957年(昭和32年)4月 - )は、海上自衛官。第20代潜水艦隊司令官。 神奈川県立横須賀高等学校(高28期)を経て、防衛大学校を1980年3月(第24期)に卒業。海上自衛隊へ入隊する。第27護衛隊司令、護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令、呉地方総監部幕僚長、海上自衛隊第1術科学校長、潜水艦隊司令官などを歴任し、2015年8月4日退官。 高校時代、日本の古典やギ・ド・モーパッサンの小説から太宰治や大森実の著作までを読みあさる読書家であった。また、鍜治の後に第1術科学校長に就いた徳丸伸一は横須賀高校の一年後輩である。
吉田 正紀(よしだ まさのり、1957年〈昭和32年〉2月1… 吉田 正紀(よしだ まさのり、1957年〈昭和32年〉2月11日 - )は、日本の元海上自衛官。 第40代佐世保地方総監、最終階級は海将。元防衛大臣政策参与。 宮崎県出身。1979年(昭和54年)3月に防衛大学校(23期)を卒業し、海上自衛隊入隊。いわせ艦長、在米日本大使館防衛駐在官、海上幕僚監部指揮通信情報部長、海上自衛隊幹部学校長などを歴任し、第40代佐世保地方総監を最後に2014年(平成26年)3月に退官。2014年から2016年の間、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授。2023年(令和5年)12月から2024年(令和6年)10月まで防衛大臣政策参与。 佐世保地方総監挨拶(2012年06月03日アーカイブ)
岩田 清文(いわた きよふみ、1957年〈昭和32年〉2月3… 岩田 清文(いわた きよふみ、1957年〈昭和32年〉2月3日 - )は、日本の陸上自衛官。第34代陸上幕僚長、第33代北部方面総監。 徳島県出身。1等陸佐までの職種は機甲科。初代統合幕僚長を務めた先崎一陸将以来10年ぶりとなる北部方面総監からの陸幕長就任となった。北部方面総監時代の要望事項は「任務即応・訓練精到・地域連携」。約3年にわたり陸上幕僚長を務め、次期統合幕僚長の候補と目されていたが、在任後期には数多くの重大事案が発生。最後は北部方面隊の然別演習場において、隊員による小銃誤射事案が決定打となり、同事案の管理監督責任を取る形で退官に追い込まれた。 選択出版によると、陸上自衛隊の制服を、2018年末に現行のモスグリーンから、統合幕僚監部のイメージカラーである「紫色」に変更する構想は、統幕長を狙いながら勇退を余儀なくされた岩田の「置き土産」であるとされる。
武居 智久(たけい ともひさ、1957年〈昭和32年〉1月1… 武居 智久(たけい ともひさ、1957年〈昭和32年〉1月12日 - )は、日本の海上自衛官。第32代海上幕僚長。長野県出身。 長野県諏訪清陵高校卒業後、防衛大学校(第23期)に入校。1979年(昭和54年)3月、海上自衛隊に入隊。入隊後は主に艦艇や海上幕僚監部で勤務したのち、統合幕僚監部指揮通信システム部長、海上幕僚監部防衛部長、大湊地方総監、横須賀地方総監等の要職を歴任、2014年(平成26年)10月7日の閣議において、10月14日付をもって第32代海上幕僚長に任命する旨の人事が了承・発令された。在任中に海自艦による米艦防護などを可能とする安全保障関連法が施行されたほか、海洋進出の動きを強める中国を念頭に、フィリピンへの海自航空機の貸与も推進するなど安全保障体制の環境整備に尽力した。
福田 築(ふくだ きづく、1956年(昭和31年)10月8日… 福田 築(ふくだ きづく、1956年(昭和31年)10月8日 - )は、福岡県出身の陸上自衛官。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
太田 清彦(おおた きよひこ、1956年〈昭和31年〉5月1… 太田 清彦(おおた きよひこ、1956年〈昭和31年〉5月15日 - )は、日本の陸上自衛官。防大23期。秋田県出身。 自衛隊イラク派遣では第5次復興支援群長を務めた。自衛隊カンボジア派遣や中東駐箚の防衛駐在官など、数多くの海外勤務経験を持つ。職種は普通科。
木野村 謙一(きのむら けんいち、1956年2月 - )は、… 木野村 謙一(きのむら けんいち、1956年2月 - )は、日本の岐阜県出身の陸上自衛官。第7代情報本部長。幹部レンジャー課程及び空挺課程を修了。
齊藤 治和(さいとう はるかず、1956年(昭和31年)1月… 齊藤 治和(さいとう はるかず、1956年(昭和31年)1月2日- )は、日本の航空自衛官。第33代航空幕僚長。 福井県丹生郡清水町出身。福井県立羽水高等学校を経て、1978年(昭和53年)3月に防衛大学校(第22期)卒業し、航空自衛隊に入隊。職種は飛行(戦闘機操縦士)、TACネームは「GOA」。総飛行時間は約3,300時間であり、その約半分はF-15戦闘機によるもの。第6航空団司令兼小松基地司令、航空救難団司令、航空幕僚監部運用支援・情報部長、航空総隊司令部幕僚長を経て、2009年(平成21年)3月、空将に昇任、統合幕僚監部運用部長、北部航空方面隊司令官を歴任。航空総隊司令部の組織改編及び移転に際しては初代副司令官から第41代航空総隊司令官を務める等、一貫して関わってきた。
矢野 一樹(やの かずき、1955年〈昭和30年〉12月16… 矢野 一樹(やの かずき、1955年〈昭和30年〉12月16日 - )は、日本の海上自衛官。日本安全保障戦略研究所上席研究員、防人と歩む会理事長。第19代潜水艦隊司令官、三菱重工顧問を歴任。最終階級は海将。防大22期。 愛媛県今治市出身。防衛大学校第22期卒業。海上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。アメリカ合衆国国防大学修士(国家資源管理)。 海上幕僚監部教育課長、防衛大学校訓練部長、大湊地方総監部幕僚長、海上幕僚監部装備部長を経て、第19代潜水艦隊司令官。2013年(平成25年)8月、海上自衛隊退官。 退官後、三菱重工顧問を務めた。
廣中 雅之(ひろなか まさゆき、1955年5月 - )は、日… 廣中 雅之(ひろなか まさゆき、1955年5月 - )は、日本の航空自衛官。最終階級は空将。山口県出身。 ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院修士課程修了。一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ シニアフェロー。戦略国際問題研究所、スタンフォード大学国際安全保障研究所客員研究員を経て、大阪大学大学院招聘教授、政策研究大学院大学非常勤講師。
池田 整治(いけだ せいじ、1955年〈昭和30年〉3月22… 池田 整治(いけだ せいじ、1955年〈昭和30年〉3月22日 - )は、日本の作家、元陸上自衛官、最終階級は陸将補。空手道七段。 ほか全日本実業団空手道連盟理事長、東藝術倶楽部顧問でもある。愛媛県南宇和郡愛南町(旧一本松町)生まれ。
宮崎 泰樹(みやざき やすき、1954年 - )は、愛知県出… 宮崎 泰樹(みやざき やすき、1954年 - )は、愛知県出身の元陸上自衛官、元第10師団長。中国人民解放軍の諸問題に関する研究の第一人者として、戦略的互恵関係に基づく日中の友好と相互理解の増進を主張する。退官後、東京都庁の局長級ポストである危機管理監に就任。 なお、東京都の危機管理監の自衛官登用はこれが初だが、他の都道府県庁では既に数名の幹部自衛官が都道府県庁の防災担当部署等における管理監として再就職(太田清彦など)しており、それぞれの分野において活動している この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
林 一也(はやし かずや、1953年10月 - )は愛知県出… 林 一也(はやし かずや、1953年10月 - )は愛知県出身の陸上自衛官。職種は通信科の出身。防衛大学校本科第21期卒、ワシントン大学大学院修了(修士)。勲章は瑞宝中綬章。
寺崎 芳治(てらさき よしはる、1953年4月 - )は、日… 寺崎 芳治(てらさき よしはる、1953年4月 - )は、日本の元陸上自衛官。1佐までの職種は普通科。最終階級は陸将。山形県出身。防衛大学校第20期生、同期には後に東北方面総監から初となる陸上幕僚長である君塚栄治などがいる。
岩崎 茂(いわさき しげる、1953年(昭和28年)2月3日… 岩崎 茂(いわさき しげる、1953年(昭和28年)2月3日 - )は、日本の元航空自衛官。第31代航空幕僚長を経て、第4代統合幕僚長、現任の中華民国(台湾)行政院政務顧問。 岩手県岩手郡岩手町土川出身。一方井小、一方井中、盛岡第三高を経て防衛大学校(第19期)へ進む。防大では航空工学を専攻し、1975年(昭和50年)3月、防衛大学校を卒業後に航空自衛隊に入隊。職種は操縦幹部(戦闘機パイロット)。第201飛行隊長(TACネーム"Garfield")、第2航空団司令、航空幕僚監部人事教育部長、西部航空方面隊司令官、航空幕僚副長等を経て、2009年(平成21年)7月に航空総隊司令官に就任。2010年(平成22年)12月24日に第31代航空幕僚長に就任。
榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月… 榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月 - )は、日本の東京都出身の陸上自衛官。 PKO業務に関する経験が豊富なことから、三自衛隊の将官として初となる単身での海外訓練に派遣された。通訳を介さない流暢な英語を駆使することで知られる。
下平 幸二(しもひら こうじ、1952年(昭和27年)10月… 下平 幸二(しもひら こうじ、1952年(昭和27年)10月 - )は、佐賀県出身の航空自衛官、第6代情報本部長。職種は飛行。
君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月1… 君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月16日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の陸上自衛官。第33代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。自衛隊初の災統合任務部隊(JTF)指揮官・東北方面総監経験者初の陸上幕僚長。位階は従三位。 神奈川県相模原市出身。東京都立豊多摩高等学校卒業。防衛大学校(第20期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。アメリカ陸軍上級砲兵学校、アメリカ陸軍指揮幕僚大学及び幹部レンジャー課程、空挺課程を修了。東北方面総監在任時に発生した東日本大震災においては自衛隊の統合運用史上最大となる10万人規模からなる陸海空の統合任務部隊(JTF-TH:Joint Task Force - Tohoku)の指揮官を務め、人命救助や被災地支援などの陣頭指揮にあたった(東日本大震災に対する自衛隊の対応)。
高嶋 博視(たかしま ひろみ、1952年(昭和27年)4月2… 高嶋 博視(たかしま ひろみ、1952年(昭和27年)4月25日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。第40代横須賀地方総監。 香川県出身。1975年(昭和50年)3月、防衛大学校(第19期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は護衛艦、海上幕僚監部、在ノルウェー日本国大使館付防衛駐在官や統合幕僚会議事務局等で勤務したのち、2002年(平成14年)11月に第1護衛隊群司令に就任し、第4次インド洋派遣海上支援部隊指揮官として派遣された。その後、海上幕僚監部人事教育部長を経て、海将に昇任、第32代護衛艦隊司令官、統合幕僚副長を歴任し、2010年(平成22年)7月に第40代横須賀地方総監に就任した。
安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は… 安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は、日本の元陸上自衛官、剣道家。最終階級は陸将補、剣道の段位は教士八段。 山形県鶴岡市出身。第11特科連隊長、自衛隊福岡地方連絡部長、陸上自衛隊輸送学校長などを歴任した。1佐までの職種は野戦特科。 6歳から剣道を始め、2008年に合格率わずか1%の難関である八段昇段試験に合格した(防衛大学校出身者では2人目)。座右の銘は「謙虚精進」である。陸上自衛隊剣道連盟副会長、関東自衛隊剣道連盟会長を務める。
杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12… 杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12月13日 - )は、日本の海上自衛官。第30代海上幕僚長。 富山県出身。1974年(昭和49年)3月、防衛大学校(本科第18期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「はるゆき」艦長など艦艇勤務を経て、2001年(平成13年)12月に第3護衛隊群司令に就任。在任中の2002(平成14年)2月から第2次インド洋派遣海上支援部隊を指揮した。 2005年(平成17年)7月、海将に昇任、潜水艦隊司令官、呉地方総監、自衛艦隊司令官等の要職を歴任し、2010年(平成22年)7月、第30代海上幕僚長に就任した。自衛艦隊司令官を経ての海上幕僚長就任は第16代長田博以来23年ぶりであった。
外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年… 外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年)9月15日 - )は、日本の航空自衛官。第30代航空幕僚長。職種は要撃管制。鹿児島県出身。
火箱 芳文(ひばこ よしふみ、1951年〈昭和26年〉5月1… 火箱 芳文(ひばこ よしふみ、1951年〈昭和26年〉5月15日 - )は、日本の陸上自衛官。第32代陸上幕僚長。三菱重工業株式会社顧問。全日本柔道連盟特別顧問。公益財団法人陸修偕行社理事長。日本会議代表委員。 福岡県出身。1974年(昭和49年)3月、防衛大学校(第18期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後、普通科幹部として第1混成群に配属。第1空挺団中隊長、第3普通科連隊長等の指揮官、陸上幕僚監部・方面総監部等の幕僚、学校教官等を務める。空挺基本降下課程、富士幹部レンジャー課程、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程、統合幕僚学校一般課程を修了。1999年(平成11年)7月、陸将補に昇任し、第1空挺団長、北部方面総監部幕僚長を経て、2005年(平成17年)7月、陸将に昇任し、第10師団長、防衛大学校幹事、中部方面総監を歴任し、2009年(平成21年)3月に第32代陸上幕僚長に就任した。
泉 一成(いずみ かずしげ、1951年〈昭和26年〉5月- … 泉 一成(いずみ かずしげ、1951年〈昭和26年〉5月- )は、日本の陸上自衛官。防衛大学校本科第18期卒業。1佐までの職種は普通科。第34代東部方面総監を務めた。 退官後の2013年5月に、ロシアの駐在武官、セルゲイ・コワリョフに対して、陸上自衛隊の普通科部隊の運用についての教範である「普通科運用」や、特殊作戦群や第一空挺団が駐屯する習志野駐屯地を紹介するパンフレット、及び生活家電を渡していたことが2015年に発覚した(ただし、教範等の受け渡しはすでにコワリョフを視察下に置いていた警察官に確認されていた)。この駐在武官はロシアの軍事情報機関であるロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)所属と見られ、また、自衛隊を除隊した泉が富士学校長の渡部博幸(渡部は泉が方面総監当時の総監部防衛部長)を始めとした現職自衛官に教範調達を依頼していたことも明らかになっている。
山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )… 山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の陸上自衛官、研究者、軍事評論家。最終階級は陸将。国際大学国際関係学研究科教授。タフツ大学フレッチャー・スクール修士。元ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所国家安全保障客員フェロー。三重県出身。 1974年、防衛大学校卒業。第18期。同期に火箱芳文、杉本正彦など。 同年、陸上自衛隊航空科部隊配属。1983年、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。1988年フレッチャー・スクール修了、同修士号取得。1991年、ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所客員研究員。 外務省北米局日米安全保障条約課出向、統合幕僚会議事務局軍備管理・軍縮班長、第11師団司令部第3部長(作戦担当)、陸上幕僚監部防衛調整官を経て、1999年から2001年まで外務省在アメリカ合衆国日本国大使館首席防衛駐在官(外務事務官・在米国日本大使館付参事官(国防・陸軍担当))。
折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月… 折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月10日 - )は、日本の元陸上自衛官。熊本県津奈木町出身。第31代陸上幕僚長、第3代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。 熊本県立八代高校を経て、1972年(昭和47年)3月に防衛大学校(第16期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第3特科群長、陸幕補任課長、同装備部長を経て、 2003年(平成15年)3月に陸将に昇任、第9師団長、陸幕副長、中部方面総監の要職を歴任し、2007年(平成19年)3月、第31代陸上幕僚長に就任。2009年(平成21年)3月には統合幕僚長に就任した。統合幕僚長就任直後に発生した北朝鮮による弾道ミサイル発射実験への対処、ソマリア沖の海賊対処及び自衛隊ハイチPKO派遣並びに自衛隊南スーダン派遣の実施計画の制定し、2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、3自衛隊10万人の統合任務部隊を編成、史上初の災害派遣態勢を確立して北澤俊美防衛大臣(当時)の指揮を補佐した。
椋木 功(むくのき いさお、1950年2月 - )は、日本の… 椋木 功(むくのき いさお、1950年2月 - )は、日本の島根県出身の陸上自衛官、官僚。
中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - … 中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - )は、日本の元海上自衛官(2等海佐)。軍事史家。
香田 洋二(こうだ ようじ、1949年(昭和24年)12月 … 香田 洋二(こうだ ようじ、1949年(昭和24年)12月 - )は日本の海上自衛官、第36代自衛艦隊司令官(海将)。徳島県出身。 海上幕僚長の有力候補であったが、いくつかの理由から、自衛艦隊司令官を最後に退官した。
山口 淨秀(やまぐち じょうしゅう、1949年〈昭和24年〉… 山口 淨秀(やまぐち じょうしゅう、1949年〈昭和24年〉3月 - )は、富山県出身の元陸上自衛官。防衛大学校本科第17期卒業。第2普通科連隊長時代に発生したナホトカ号重油流出事故災害派遣に際し、部隊指揮官として陣頭指揮を執った経歴を持ち、2007年3月に新編された中央即応集団の初代司令官を務めた。
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月… 田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は空将(空軍中将相当)。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長。 防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊し、2007年3月に航空幕僚長に就任。2008年10月31日に政府の歴史認識と異なるアパグループ主催の懸賞論文を公表し、航空幕僚長を更迭された。論文では、日本は第二次世界大戦に蒋介石とルーズベルトの策略によって巻き込まれたと主張した。また、日本の戦時中の行動は「西洋の植民地主義からアジアを解放する」ための努力であったと論じた。
吉田 正(よしだ ただし、1948年〈昭和23年〉2月15日… 吉田 正(よしだ ただし、1948年〈昭和23年〉2月15日 - )は日本の元航空自衛官である。大阪府出身。第28代航空幕僚長。 防衛大学校に在学中から「将来の航空幕僚長」と嘱望されており、このためパイロットとしての基礎課程を終え機種を選択する際には周囲から墜落事故による殉職が続発していた戦闘機ではなく輸送機を希望することを強く勧められたと言われている。このことを本人は「個人プレイの戦闘機ではなく乗員や貨物を預かり送り届ける輸送機のパイロットになったことは指揮官としての資質を養う上で有益だった」と回想している。 またコロラドスプリングスのアメリカ空軍士官学校の教官を務めたため後年航空幕僚長として航空総隊司令部を府中基地からアメリカ空軍横田基地内に移転する事業を推進するのに、かつての教え子たちが中堅幹部となっていたことで事実上の日米協同作業になった。
齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11… 齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11日 - )は、日本の海上自衛官。第2代統合幕僚長、第27代海上幕僚長。防大14期。戦後生まれ(団塊の世代)初の統合幕僚長でもある。神奈川県出身。 父の斎藤頼男は海軍機関学校(第47期)を卒業し、海上自衛隊では防衛大学校学生課長などを務め、第2術科学校長(海将補)を最後に退官した。祖父も海軍水兵であった。横須賀市立池上小学校、横須賀市立池上中学校を経て、父(中22期)と同じく神奈川県立横須賀高等学校(高18期)に進学。高校時代は陸上部に所属し、200メートルハードルでインターハイ出場。のちに齋藤の海幕長在任時に海幕副長となる荒川堯一は高校の同窓である。
吉川 榮治(よしかわ えいじ、1948年(昭和23年)1月2… 吉川 榮治(よしかわ えいじ、1948年(昭和23年)1月28日 - )は、日本の海上自衛官。第28代海上幕僚長。大阪府出身。
福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月… 福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月9日 - )は、日本の政治家、陸上自衛官。元静岡県下田市長(1期)。 高知県土佐清水市出身。中学3年のときに下田市に移り住んだ。下田市立下田中学校卒業。1966年(昭和41年)3月、静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1967年(昭和42年)3月、防衛大学校に入校。1971年(昭和46年)3月、同校を卒業。同年4月、陸上自衛隊に入隊。第1次カンボディアPKO国際平和協力隊長兼停戦監視員、普通科教導連隊長兼滝ヶ原駐屯地司令、防衛大学校教授などを歴任し、2003年(平成15年)8月、定年退官。退職時階級は陸将補。 2015年(平成27年)7月、NPO法人日本地雷処理・復興支援センター理事を任期満了退職。
荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)1… 荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)11月6日 - )は、日本の海上自衛官。第37代横須賀地方総監。神奈川県出身。 神奈川県立横須賀高等学校を経て、防衛大学校本科第16期卒業。 第4航空群司令、第1航空群司令、自衛艦隊司令部幕僚長、教育航空集団司令官、海上幕僚副長などを歴任し、第37代横須賀地方総監に就任。荒川の海上幕僚副長在任時に海上幕僚長となった齋藤隆は高校の同窓であった。 退官後は三笠保存会理事長、横須賀市観光協会会長に就任。
森 勉(もり つとむ、1947年〈昭和22年〉8月19日 -… 森 勉(もり つとむ、1947年〈昭和22年〉8月19日 - )は、日本の陸上自衛官。岡山県出身。第30代陸上幕僚長。西部方面総監を経た初の陸上幕僚長。日本会議代表委員。
西村 繁樹(にしむら しげき、1947年 - 2019年11… 西村 繁樹(にしむら しげき、1947年 - 2019年11月13日)は、大阪府出身の陸上自衛官。元防衛大学校防衛学教育学群戦略教育室教授。専門は、軍事戦略。 北方前方防衛戦略の提唱者。陸上自衛隊幹部学校の戦略教官として長年勤務した、戦後日本を代表する「軍人学者(warrior scholar)」の一人である。 1947年に大阪で生まれた。 1969年、防衛大学校本科第13期(電気工学専攻)卒業後、陸上自衛隊入隊。職種は野戦特科。 特科連隊、陸上自衛隊調査学校、防衛庁内局、ハーバード大学研究員、防衛大学校陸上防衛学教室助教授、陸上幕僚監部防衛部防衛課、世界平和研究所研究員、ランド研究所研究員、陸上自衛隊幹部学校戦略教官室教官、2001年陸上自衛隊を退職(1等陸佐)後、2002年から防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室教授、戦略教育室教授を務めた。