加藤美代三(かとう みよぞう、1912年1月25日 - 20… 加藤美代三(かとう みよぞう、1912年1月25日 - 2012年5月10日)は、日本画家。兵庫県豊岡市生まれ。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)卒業。中村大三郎に師事。日展に出品を続ける現役最高齢の日本画家として有名。朴土グループメンバー。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小出 栄一(こいで えいいち、1912年1月23日 - 19… 小出 栄一(こいで えいいち、1912年1月23日 - 1979年5月3日)は、日本の官僚、経営者。共同石油社長を務めた。 福岡県出身。1935年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に商工省に入省。 1958年5月に通商産業省重工業局長を経て、1960年5月から1962年7月までに経済企画事務次官を務めた。1962年9月に九州電力顧問に就任し、1963年5月に常務、1972年5月に副社長を経て、1974年6月には共同石油社長に就任。 1979年5月3日、腹膜炎のために在任中に死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年〈明治45年〉1… 小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年〈明治45年〉1月23日 - 2000年〈平成12年〉11月26日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党の衆議院議員(16期)。外務大臣(第83・84・99代)、経済企画庁長官(第23代)、国家公安委員会委員長(初代)、労働大臣(第8代)を歴任した。 長野県長野市出身。学習院を経て、1935年(昭和10年)に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業する(上田貞次郎ゼミナール)。三菱銀行勤務や信越化学工業直江津工場長、同社取締役を経て、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に長野1区(当時)から立候補し、初当選する。以後、当選16回(当選同期に二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
鴻池 藤一(こうのいけ ふじかす、1912年1月23日 - … 鴻池 藤一(こうのいけ ふじかす、1912年1月23日 - 1994年3月9日)は、日本の経営者。鴻池組元会長。全国建設業協会元会長。 大阪府大阪市出身。1937年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、大林組での勤務を経て、1939年に鴻池組に入社した。1943年に副社長に就任し、1944年には社長に昇格。1962年には会長も兼任し、1985年から会長に専任した。 1994年3月9日腎不全のために京都大学医学部附属病院で死去。82歳没。
大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - … 大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - 1983年3月11日)は、日本の統計学者・僧侶。京都大学名誉教授。 新潟県加茂市生まれ。旧名・栄俊。1935年東京帝国大学文学部宗教学科卒、1940年京都帝国大学経済学部卒、同助手、1942年日本鋼管入社、1949年京都大学経済学部助教授、1965年教授。1963年 経済学博士の学位を取得。1966-1967年経済学部長、1975年定年退官、名誉教授となり、日本福祉大学教授、1982年花園大学教授を務めた。
中尾 喜久(なかお きく、男性、1912年1月22日 - 2… 中尾 喜久(なかお きく、男性、1912年1月22日 - 2001年6月21日)は、日本の内科学者。 茨城県真壁郡竹島村(現筑西市)出身。1936年東京帝国大学医学部卒、1943年医学博士。東京大学医学部助手、講師、助教授、1958年群馬大学教授、1963年東京大学教授。1972年定年退官、自治医科大学初代学長。1982年同大附属病院に地域診療所を設置。1996年学長退任、のち名誉学長。 この間、1959年中国医科大学名誉教授、1987年東大名誉教授。臨床血液学の世界的権威者として知られた。1964年ベルツ賞佳作賞受賞。1984年勲一等瑞宝章受勲。日本学士院会員。
河西 力雄(明治45年(1912年)1月22日 - 没年不明… 河西 力雄(明治45年(1912年)1月22日 - 没年不明)は日本の政治家。元鳥取県警部補。元境町会議員、境港市会議員。 鳥取県東伯郡三朝町大瀬出身。 昭和36年(1961年)9月、境港市議会副議長。 昭和41年(1966年)9月、境港市議会議長。 趣味は読書、釣。宗教は本門佛立宗。住所は境港市相生町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
安藤 はつ(あんどう はつ、1912年〈明治45年〉1月20… 安藤 はつ(あんどう はつ、1912年〈明治45年〉1月20日 – 1985年〈昭和60年〉12月4日)は、政治家、衆議院議員(1期)。旧姓は千。日本初の女性代議士の一人である。 静岡県田方郡韮山村(現伊豆の国市)出身。静岡県の教員養成所を卒業後、大見村の国民学校で教鞭を執り、安藤秀雄との結婚により退職した。その後、疎開で長野県に移った。 1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本平和党公認で長野県から立候補し当選し、日本初の女性代議士の一人となった。その後、国民協同党に移り、1947年の第23回衆議院議員総選挙で落選した。 1951年7月23日に有価証券詐欺などの容疑で夫婦ともに起訴され、懲役一年に処された。
笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - … 笠原 良三(かさはら りょうぞう、1912年1月19日 - 2002年6月22日)は、日本の脚本家、小説家。本名:笠原 良三郎。社長シリーズなどの喜劇映画の脚本を多く手がけた。 栃木県足利郡足利町(現:足利市)出身。1932年に日本大学芸術学部を中退し、1936年に日活多摩川撮影所脚本部に入社。1941年に新興シネマ脚本部に転属後、大映東京撮影所脚本部に移籍。1955年に東宝撮影所の契約者となる。弟子に東映ヤクザ映画の隆盛を支えた笠原和夫などがいる。オリジナル作品は自らノベライゼーションを行っている。 2002年6月22日、死去。90歳没。 銀座の若大将 - 日本一の若大将 海の若大将 - エレキの若大将 アルプスの若大将 - 歌う若大将 レッツゴー!若大将 - 南太平洋の若大将 - ゴー!ゴー!若大将 フレッシュマン若大将 - ニュージーランドの若大将 ブラボー!若大将 - 俺の空だぜ!若大将 社長になった若大将(テレビドラマ) 加山雄三 - 大矢茂 - 草刈正雄 田中邦衛 - 高松しげお - 湯原昌幸 星由里子 - 酒井和歌子 - 吉沢京子 - いけだももこ - 坂口良子 有島一郎 - 飯田蝶子 - 中真千子 - 三條美紀 - フランキー堺 - 高橋恵子 藤本真澄 - 神谷一夫 - 大森幹彦 - 安武龍 - 田波靖男 田波靖男 - 笠原良三 杉江敏男 - 福田純 - 古澤憲吾 - 岩内克己 - 小谷承靖
市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1… 市川 都志春(いちかわ としはる、1912年〈明治45年〉1月18日 - 1998年〈平成10年〉4月29日)は、日本の作曲家、音楽教育者。教育芸術社の創業者。静岡県浜松市出身。 音楽教育に力を入れ、多くの音楽教科書の著述、編集を務めたことで知られる。また、各地の学校で校歌の作曲を多く手がけている。 浜松市で生まれ、中学からは東京に移り住んだ。旧制市立ニ中(現・東京都立上野高等学校)では、福田恆存(英文学)、高橋義孝(独文学)と同期。作曲を志し、1935年に東京音楽学校の器楽部ヴァイオリン科に入り、安藤幸子、ウィリー・フライに師事した。また課外でクラウス・プリングスハイムに作曲を学び、1937年本科卒業後は研究科に進んで、信時潔に半年間作曲を学ぶ。
谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治… 谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治45年)1月18日 - 1983年(昭和58年)6月27日)は、日本の政治家。従三位勲一等。文部大臣。妻は陸軍中将影佐禎昭の長女安紀。第24代自由民主党総裁の谷垣禎一は長男。 京都府福知山市の造り酒屋・谷垣松次郎の五男として生まれた。旧制京都府立福知山中学校、旧制第三高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業後、1936年、農林省入省(農務局嘱託)。要員局運用課長、開拓局管理課長、長野県農地部長、総務局物資調整課長、農地局総務課長、農地局管理部長、農林経済局農業協同組合部長などを経て、1955年10月に大臣官房長、1956年6月に畜産局長となる。
鐘ケ江 信光(かねがえ のぶみつ、1912年(大正元年)1月… 鐘ケ江 信光(かねがえ のぶみつ、1912年(大正元年)1月18日 - 2012年(平成24年)12月5日)は、日本の中国語学者。東京外国語大学名誉教授、元同大学学長。 大阪市出身。東京外国語学校支那語科卒。東京外国語大学助教授、教授、1971年4月から1975年3月まで学長、1976年(昭和51年)定年退官、名誉教授。1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)まで、NHKの中国語入門を担当した。2012年(平成24年)12月5日、老衰のため100歳で死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大木 恒四郎(おおぎ つねしろう、1912年 <明治45年>… 大木 恒四郎(おおぎ つねしろう、1912年 <明治45年> 1月18日 - 1993年 <平成5年> 4月9日)は、日本の経営者。埼玉銀行頭取を務めた。位階は正四位。 埼玉県出身。1934年に福島高等商業学校を卒業し、同年に武州銀行に入行。1943年7月に埼玉銀行に転じ、1965年に取締役に就任し、1968年に常務、1971年に専務を経て、1975年に副頭取に就任し、1978年6月には頭取に昇格。1982年6月に会長、1987年6月から取締役相談役を務めた。 1982年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1993年4月9日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
湯山 勇(ゆやま いさむ、1912年1月18日 - 1984… 湯山 勇(ゆやま いさむ、1912年1月18日 - 1984年6月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)。 愛媛県宇摩郡別子山村出身。愛媛師範学校を首席で卒業後、愛媛県内の北予中学校、愛媛師範学校、松山高等女学校などで教師を務めた。戦後、愛媛県教職員組合が結成されるとこれに参加し1951年に委員長に就任、翌1952年には愛媛地方労働組合評議会議長にもなる。 1953年の参議院選挙に愛媛県選挙区から出馬(日本教職員政治連盟)し初当選する。勤評闘争では強硬姿勢を取った愛媛県知事久松定武を相手に激しく抵抗し、1958年には参議院文教委員長となったが1959年の参院選で落選する。
上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 … 上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 - 1991年3月20日)は、日本の政治家、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)、環境庁長官(第10代)。 1912年(明治45年)1月17日、愛知県渥美郡福江町(現田原市福江町)に生まれた。祖父は実業家の上村杢左衛門であり、父は上村武太郎。12歳のときに父親を亡くした。 愛知県成章中学校(現愛知県立成章高等学校)、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後にはドイツ留学の話があったが、千一郎を跡取りと考えていた祖父の杢左衛門が難色を示したことで御破算となった。大学院で憲法を学んだあと、豊橋市で弁護士を開業した。そのかたわら青年塾を開設し人材の育成に情熱を傾けた。
播上 英次郎(はたがみ えいじろう、1912年(明治45年)… 播上 英次郎(はたがみ えいじろう、1912年(明治45年)1月17日 - 2000年(平成12年)3月13日)は日本の実業家。岡山放送社長、サンケイ新聞専務、日本民間放送連盟副会長。 1912年(明治45年)1月17日に東京に生まれる。1935年(昭和10年)に法政大学経済学部を卒業する。1954年(昭和29年)にニッポン放送に入社し、1958年(昭和33年)にフジテレビに移り、1961年(昭和36年)にサンケイ新聞大阪本社販売局長に就任する。1963年(昭和38年)に広島テレビ取締役、1965年(昭和40年)にフジテレビ電波企画室長、1969年(昭和44年)にサンケイ新聞専務大阪本社代表、大阪新聞社長、日本工業新聞専務、1970年(昭和45年)に関西テレビ取締役、1973年(昭和48年)に同社副社長を経て、1980年(昭和55年)に岡山放送社長に就任し、1988年(昭和63年)に退任する。
鶴ヶ嶺 道芳(つるがみね みちよし、1912年1月17日 -… 鶴ヶ嶺 道芳(つるがみね みちよし、1912年1月17日 - 1972年3月18日)は、鹿児島県熊毛郡中種子町出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は下家 道義。最高位は東前頭2枚目(1942年5月場所)。得意手は左四つ、吊り、櫓投げ。現役時代の体格は188cm、101kg。引退後は井筒部屋を経営し、多くの力士を育てた。 1931年5月場所、井筒部屋から「種子ヶ島」の四股名で初土俵をふむ。相星(4勝4敗)は一度あるが負け越し無しで順調に昇進を重ね、1934年1月場所に新十両。この時「星甲」を名乗る。種子ヶ島、星甲の四股名はともに先代井筒の横綱・2代西ノ海(西ノ海も鶴ヶ嶺同様種子島出身)が若き日に名乗った名で、星甲は師匠から受け継いだものでもあった。
一叩人(いっこうじん、本名命尾小太郎(めいお こたろう)、1… 一叩人(いっこうじん、本名命尾小太郎(めいお こたろう)、1912年1月16日 - 1999年4月9日)は、昭和時代から平成時代の川柳作家。 1912年、宝生流の地謡の能楽師である命尾家の子として東京府に生まれる。元は丹波猿楽の出といい、一族に命尾幾右衛門、命尾長左衛門、命尾与作、命尾(日吉)寿八、命尾寿六(その養子に工学者の命尾寿次)などがいる。 法政大学を卒業。プロレタリア川柳作家の鶴彬の作品や関係資料などを収集し、1977年(昭和52年)には「鶴彬全集」を刊行した。その後絶版となっていた同書は、1998年(平成10年)沢地久枝により増補改訂のうえ再版された。1999年(平成11年)4月9日死去。
大室 孟(おおむろ つとむ、1912年(明治45年)1月15… 大室 孟(おおむろ つとむ、1912年(明治45年)1月15日 - 2001年(平成13年)2月14日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。最終階級は日本陸軍では陸軍少佐、航空自衛隊では航空幕僚長たる空将。 陸軍大佐大室勝の息子として生まれる。鹿児島一中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、陸軍士官学校本科に入校。日本陸軍時代は司令部偵察機操縦者として活躍し、特に日中戦争時には九七式司令部偵察機をもって多大な功績を挙げ、偵察隊としては異例の功四級金鵄勲章および個人感状拝受の栄誉を受ける。太平洋戦争時代は主に一〇〇式司令部偵察機「新司偵」を愛機として、各司偵隊の隊長を務めた。 戦後は公職追放を経て、航空自衛隊に入隊し、創設時は教官としてパイロットの養成に尽力した。
阿部 正三郎(あべ しょうざぶろう、1912年1月15日 -… 阿部 正三郎(あべ しょうざぶろう、1912年1月15日 - 1940年代)は、日本の俳優である。本名阿部 正太郎(あべ しょうたろう)、旧芸名片岡 市女男(かたおか しめお)。1930年代の松竹蒲田撮影所において、磯野秋雄、三井秀男(のちの三井弘次)との「与太者トリオ」で知られる。 1912年(明治45年)1月15日、東京府東京市浅草区阿部川町(現在の東京都台東区元浅草3-4丁目)に生まれる。生年月日については、『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』には同年「2月15日」とされている。父・阿部三之助は、芝居関係の仕事をしていた人物であるとされる。 数え年9歳になった1920年(大正9年)、父の仕事をきっかけに、新派の河合武雄一座に入門し、九州巡業で初舞台に立つ。
池田 満枝(いけだ みつえ、1912年〈明治45年〉1月15… 池田 満枝(いけだ みつえ、1912年〈明治45年〉1月15日 - 2001年〈平成13年〉1月9日)は、日本の58・59・60代内閣総理大臣である池田勇人の妻。広島県、現在の竹原市出身。 医師である大貫四郎吉の二女として生まれた。後に夫となる池田勇人とは、母親同士が従姉妹で再従兄妹に当たる。実兄の大貫修郎は陸軍少尉・軍医で、旧制崇徳中学校、旧制千葉医科大学を卒業し、戦後地元の竹原で開業医となった。 広島の名門である山中高等女学校在学中に父を亡くし、卒業式の前日に母・池田秀を亡くしている。その後、名古屋市の母方の親戚に引き取られ金城女子専門学校に進学し卒業。金城女子専門学校在学中に脚気にかかって地元の広島へ戻り、同じく母方の親戚である池田家に身を寄せたことがきっかけで、池田勇人と出会う。
島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年… 島口 重次郎(しまぐち じゅうじろう、1912年〈明治45年〉1月15日 - 1968年〈昭和43年〉3月17日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員(3期)。 青森県弘前市で生まれる。小学校卒業後、市内のタンス店に職工として勤め、その後、無産運動に加わる。1932年、全農青年部青森県連合会執行委員に就任。1934年、日本共産党に入党したが、同年に検挙され懲役3年となり服役した。 戦後、日農の再建に尽力し、また日本社会党の結成に加わり、同青森県連選挙対策部長、同書記長、同委員長、弘前市議会議員、青森県議会議員などを務めた。 1958年5月、第28回衆議院議員総選挙に青森県第二区から出馬して当選。
畔柳 二美(くろやなぎ ふみ、1912年(明治45年)1月1… 畔柳 二美(くろやなぎ ふみ、1912年(明治45年)1月14日 - 1965年(昭和40年)1月13日)は、日本の小説家。北海道千歳市生まれ、1928年に北海高等女学校卒業。 旧姓遠藤。北海道千歳郡千歳村(現・千歳市字水明郷)の王子製紙株式会社千歳第一発電所の社宅に、発電所技師であった父遠藤彌次郎、母サキの次女として生まれている。姉八重、弟彌弘、満、實の五人姉弟であった。 1918年(大正7年)発電所内の私立小学校に入学したが、1年程で発電所の勤務が北海道虻田郡狩太村(現在のニセコ町)に移って、狩太尋常小学校に転校し1924年(大正13年)3月卒業、同年4月に札幌市の北海高等女学校に入学している。
佐藤 三郎(さとう さぶろう、1912年1月14日 - 20… 佐藤 三郎(さとう さぶろう、1912年1月14日 - 2006年1月30日)は、日本の歴史学者。山形大学名誉教授。国士舘大学教授。山形県出身。 1912年(明治45年)1月14日、山形県川西町小松に生れる。旧米沢興譲館中学、1931年(昭和6年)福岡高等学校文科乙類卒業、を経て、1934年(昭和9年)、東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。日本史学の重鎮であった黒板勝美博士の下で研鑽。1936年4月人文科学資料研究科助手、1938年(昭和13年)から1942年まで、北京近代科学図書館勤務。これをきっかけとして、近代日中関係史に関心を持つ。 1942年山形高等学校教授、1949年山形大学文理学部助教授、1952年山形大学補導課長、1967年山形大学人文学部教授・山形大学評議員、1969年山形大学人文学部長、1973年山形大学学生部長、1977年退官に際して名誉教授。
酒井 得元(さかい とくげん、1912年1月14日 - 19… 酒井 得元(さかい とくげん、1912年1月14日 - 1996年11月22日)は、日本の仏教学者。駒澤大学名誉教授。学位は、文学博士。 愛知県名古屋市生まれ。1935年、駒澤大学仏教学科卒業。1936年、京都紫竹林学堂に入り京都大学文学部哲学科専科に3年間在学。1939年春、大本山總持寺に安居。後堂であった沢木興道老師に遭う。同年秋、大本山永平寺に安居。1941年、沢木老師の天暁禅苑(栃木県・大中寺。1944年10月解散)に入り、以後沢木老師に師事。1949年より駒澤大学に奉職。1957年、金沢市・大乗寺に宗立僧堂が開かれ、沢木老師と共に雲水を指導(1962年閉単)。 1969年『禅の実相』で文学博士(昭和44年2月26日)。
白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月1… 白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月13日 - 1989年〈平成元年〉8月30日)は、日本の国語学者。文部官僚。 愛媛県今治市生まれ。1935年東京帝国大学文学部国文科卒。文部省に入り、文部省調査局国語課長。早稲田大学教育学部教授。1982年定年退任。現代仮名遣いの策定に関わり、国語行政を先導した。
山本 正男(やまもと まさお、1912年1月12日 - 20… 山本 正男(やまもと まさお、1912年1月12日 - 2007年10月10日)は、日本の美術史学者。専攻は美学、芸術史。第4代東京芸術大学学長、初代沖縄県立芸術大学学長。長野県長野市出身。 日本学術会議第13・14期会員、文部省学術審議会委員、日本美学会委員などを歴任した。
北野 ミヤ(きたの ミヤ、1912年1月12日 - 2004… 北野 ミヤ(きたの ミヤ、1912年1月12日 - 2004年4月23日)は、メジロ商事株式会社、有限会社メジロ牧場の元会長。長野県上田市生まれ。 「メジロティターンの子で天皇賞を勝て」という夫・北野豊吉の遺言を受け、メジロ牧場を引き継ぐ。1991年には遺言どおりメジロティターンの仔・メジロマックイーンで天皇賞(春)を勝った。そのほか1986年の牝馬三冠馬・メジロラモーヌ、メジロライアン、メジロパーマー、メジロドーベル、メジロブライトなどGIホースを次々と生産。メジロ牧場の最盛期を築き、ファンや関係者からは「メジロのおばあちゃん」と呼ばれ親しまれたが、一方でメジロマックイーンが勝った1990年の菊花賞について「もう一頭のメジロに勝って欲しかった(同じく1990年の菊花賞で1番人気だったが3着に敗れたメジロライアンを指す)」と発言するなど、歯に衣着せぬ言動をすることもあった。
木田 三千雄(きだ みちお、1912年〈明治45年〉1月11… 木田 三千雄(きだ みちお、1912年〈明治45年〉1月11日 - 1994年〈平成6年〉7月29日)は、日本の俳優。本名は同じ。 青森県黒石市出生、北海道出身。エヌ・エー・シーに所属していた。 札幌レビュー団を皮切りに早川雪洲一座、水谷八重子芸術座、森川信一座など数々の劇団を渡り歩いた。 テレビ進出後は温かみのあるキャラクターでお茶の間の人気を得た。 1992年に芸団協から芸能功労者表彰を受ける。 1994年に、東京都杉並区、荻窪病院で、肝臓ガンのため死去。82歳没。 特技は乗馬、東北弁。
佐藤 重夫(さとう しげお、1912年1月11日 - 200… 佐藤 重夫(さとう しげお、1912年1月11日 - 2003年11月23日)は、日本の建築家。建築史家。広島大学名誉教授。専門は建築意匠設計と建築史。広島県と岡山県の文化財保護審議会委員を歴任。日本民俗建築学会には佐藤重夫賞が設けられている。 1912年、岡山県都窪郡早島町で生まれた。旧制第六高等学校を卒業し、1931年に東京帝国大学工学部建築科に進学。1934年に卒業。 卒業後は渡辺仁建築事務所に勤務。1940年、逓信省航空局に勤務。以降、厚生省保健院、逓信省営繕課、防衛通信施設局、西部逓信総局、広島逓信局に勤務した。1947年から1950年、独立して建築設計事務所を運営し岡山市の復興に携わった。
大呂 甚衛(おおろ じんえ、明治45年(1912年)1月11… 大呂 甚衛(おおろ じんえ、明治45年(1912年)1月11日 - 没年不明)は日本の素封家、政治家。元智頭町会議員。林業。岡田商店の元社長岡田端の義父。 鳥取県八頭郡山形村大呂(現智頭町)出身。日大法科卒業。 広大なる山林を領有しその保全に専念、傍ら多くの公職を兼任。農協役員、神社庁八頭郡氏子総代、智頭町会議員、八頭郡小学校PTA連合会長、地方教育委員八頭連絡協議会長等を歴任。 趣味は読書。宗教は黒住教。住所は鳥取県八頭郡智頭町字大呂。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
村野 守治(むらの もりじ、村野 守次、1912年(明治45… 村野 守治(むらの もりじ、村野 守次、1912年(明治45年)1月9日-1989年(平成元年)3月23日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史、明治維新史、鹿児島県の郷土史。鹿児島女子短期大学教授。西郷隆盛研究の第一人者だった。また、教育者として鹿児島県立甲南高等学校の教員や県立高等学校の校長等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1930年(昭和5年)旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)卒業。1934年(昭和9年)旧制第七高等学校造士館卒業。1938年(昭和13年)東京帝国大学文学部国史学科卒業。同年5月より文部省維新史料編纂事務局嘱託。大日本青少年団本部文化部を経て、帰郷し1944年(昭和19年)5月に母校・第二鹿児島中学校の教諭となる。
佐伯 秀男(さえき ひでお、1912年1月9日 - 2003… 佐伯 秀男(さえき ひでお、1912年1月9日 - 2003年11月1日)は、日本の俳優、ファッションモデル、ボディビルダーである[4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]。本名は鬼武 秀治(おにたけ ひではる)[4][5]、1956年 - 1959年の一時期、三原 秀夫(みはら ひでお)と名のった時期があり[7][8][9][10][12][14][17]、佐伯 泰輔(さえき たいすけ)の別名も持つ[9][10][12][18]。
阪上 安太郎(さかがみ やすたろう 1912年(明治45年)… 阪上 安太郎(さかがみ やすたろう 1912年(明治45年)1月9日 - 1984年(昭和59年)2月27日)は、日本の政治家、水球選手。衆議院議員を6期務め、衆議院功労議員として表彰された。 1932年ロサンゼルスオリンピック、1936年ベルリンオリンピックに出場した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
藤田 進(、1912年〈明治45年〉1月8日 - 1990年… 藤田 進(、1912年〈明治45年〉1月8日 - 1990年〈平成2年〉3月23日)は、日本の俳優である。 昭和期において、黒澤明監督作品の主演を多数務めるなど、日本映画界の大スターの一人であった。戦時中は戦意高揚映画に、戦後も戦争映画に多く出演した。 1912年(明治45年)1月8日、福岡県久留米市京町に生れる。 1929年(昭和4年)に南筑中学校(現・久留米市立南筑高等学校)を卒業後上京し大学を受験するも失敗、帰途京都に立ち寄り、市川右太衛門プロダクション(右太プロ)で古海卓二の助監督を務めていた郷里の先輩を訪ねた際、俳優になるよう勧められる。 1930年(昭和5年)これが縁となって、右太プロに入り、エキストラとして出演する。
内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912… 内藤 誉三郎(内藤 譽三郎、ないとう たかさぶろう、1912年1月8日 - 1986年3月16日)は、昭和期の政治家、文部官僚。文部大臣(第100代)、参議院議員(3期)。大妻女子大学学長。 神奈川県中郡西秦野村渋沢(現秦野市)に、葉タバコ農家を営む諸星喜之助の四男として生まれる。神奈川県立小田原中学校(現神奈川県立小田原高等学校)、東京高等師範学校を経て、1936年東京文理科大学英語英文科を卒業、文部省社会教育局に嘱託として入省する。また同年に内藤春子と結婚し、内藤家の養子となった。文部省入省後の1942年に高等文官試験に合格し、大臣官房文書課総務掛長となる。 戦後は省内随一の英語力を武器に、GHQとの折衝で活躍し頭角を顕した。
今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 - 1991年… 今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 - 1991年11月22日)は、日本の映画監督。
美濃 政市(みの まさいち、1912年1月7日 - 1988… 美濃 政市(みの まさいち、1912年1月7日 - 1988年9月28日)は、日本の政治家。 北海道中川郡池田町出身。池田高等小学校(現・池田町立池田中学校)卒業。 1963年に北海道議会議員選挙に当選して政界入り。1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から立候補し初当選した。道議時代及び代議士時代を通じて日本社会党に所属し、総選挙には4期連続当選した。衆議院物価問題等に関する特別委員長等を務め、政界引退後の1982年4月の春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章した。 農民運動出身の政治家であり、1948年から32年間幕別町農協組合長を務めた。 1988年9月28日、死去。76歳没。同年10月4日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位に叙された。
水戸部 正男(みとべ まさお、1912年〈明治45年〉1月6… 水戸部 正男(みとべ まさお、1912年〈明治45年〉1月6日 - 1996年〈平成8年〉10月27日)は、日本史学者。専門は日本の法制史。第6代横浜国立大学学長。 長野県上高井郡小布施村(現・小布施町)生まれ。旧制須坂中学(長野県須坂高等学校)、東京高等師範学校を経て、1935年(昭和10年)東京文理科大学国史学科卒業。同年奈良師範学校、1942年(昭和17年)神奈川師範学校教授を経て応召、1947年(昭和22年)復員。1949年(昭和24年)横浜国立大学助教授。1962年(昭和37年)教授、1967年(昭和42年)教育学部長、1973年(昭和48年)学長を歴任。 法学博士(1960年、慶應義塾大学)。
日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう… 日高 一輝(ひだか いっき、本名:鈴木 芳郎 すずきよしろう、1912年(明治45年)1月6日 - 没年不明)は、日本の平和運動家、元世界連邦建設同盟理事長。元日本ラッセル協会常任理事。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 199… 金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 1994年7月25日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。 1912年、東京市・新宿津久戸町で生まれた。私立早稲田中学校を経て、東京外国語学校ロシア語科に進学。在学中に治安維持法違反で逮捕され勾留された。 卒業後は、逓信省勤務を経て、1948年に旧制東京商科大学予科非常勤講師となった。1951年、一橋大学社会学部専任講師に採用され、ロシア語を担当。1954年に助教授、1957年に教授昇格。この間、1953年から1972年まで北海道大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)客員研究員も兼ねた。1977年一橋大学を定年退官。
福田廣宣(ふくだ ひろのぶ、1912年1月5日 - 没年不詳… 福田廣宣(ふくだ ひろのぶ、1912年1月5日 - 没年不詳)は、日本の歌人、センテナリアン。 福岡県浮羽郡田主丸町(現:久留米市)生まれ。1932年、長崎高商(現:長崎大学経済学部)在学中に「西陵短歌」を主宰創刊すると共に、土田杏村、清水信らの「短歌建設」に参加する。卒業後、三菱鉱業株式会社(現三菱マテリアル)及び同系列会社に勤務しながら、1928年より新短歌(口語自由律短歌)を創り続ける。「新短歌」「芸術と自由」同人。 短歌新聞社から「新短歌作品賞」、「新短歌功績賞」を受賞。新短歌社から「新短歌功績賞」を受賞。 2012年に100歳を迎えたことが報告されていた。兵庫県芦屋市在住していた。
阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日… 阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日 - 2005年〈平成17年〉)は、日本の詩人。群馬県文学賞(詩部門)選考委員を務めた。本名・瓦井。 群馬県渋川市生まれ。渋川高等女学校(現・群馬県立渋川女子高等学校)を経て日本女子大学を卒業。 1941年(昭和16年)詩作を始め、笹沢美明・岡田刀水士に師事。1954年(昭和29年)『詩学』推薦詩人となった。1950年(昭和25年)日本女詩人会員。1951年(昭和26年)『青猫』同人になる。1957年(昭和32年)日本現代詩人会員。 1963年(昭和38年)第1回群馬県文学賞受賞。1976年(昭和51年)『風雷』に代表作「赤城のこころ」を発表。
井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 19… 井出 一太郎(いで いちたろう、1912年1月4日 - 1996年6月2日)は、日本の政治家。内閣官房長官(第39代)、農林大臣(第23-24代)、郵政大臣(第29代)。衆議院議員(16期)。 長野県(旧南佐久郡臼田町、現佐久市)出身。家は元禄時代(1688年~1704年)から続いた古い造り酒屋の橘倉酒造。県会議員を務めた今朝平の長男。 旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)を経て、1931年旧制松本高校文科甲類卒業。10年間家業に専念した後、1941年京都帝国大学農学部入学。すでに3人の子持ちで、家業をみながらの大学生活だった。 1946年、第22回衆議院議員総選挙に旧長野2区から初当選。連続当選16回。
塚本 洋太郎(つかもと ようたろう、1912年1月3日 - … 塚本 洋太郎(つかもと ようたろう、1912年1月3日 - 2005年3月12日)は、日本の園芸学者。京都大学名誉教授。専門は花卉園芸学。草花・花木・その他の観賞植物の研究を通じて花卉園芸学を学問的に体系化した。 朝鮮の大邱生まれ。本籍は福岡県北九州市八幡西区。 大阪府立豊中中学校(現:大阪府立豊中高等学校)から第五高等学校(現:熊本大学)を経て、京都帝国大学農学部農学科に入学。 大学では園芸学を専攻。1937年(昭和12年)京都帝国大学農学部農学科卒業後、助手として4年間園芸学第一研究室に勤務。大阪府立園芸学校に転出。この時期、第2次大戦中の園芸の荒廃を見て将来の花卉園芸学への道を決意する。戦後いち早く輸出用球根類の研究を開始。
刈田 元司(かりた もとし、1912年1月3日 - 1997… 刈田 元司(かりた もとし、1912年1月3日 - 1997年3月8日)は、日本の英米文学者・翻訳家。上智大学名誉教授。 1912年、新潟県生まれ。1935年上智大学文学部英文科を卒業。1937年ジョージタウン大学大学院修士課程を修了。上智大学講師、1940年助教授、1945年教授。1955 - 1956年ハーバード大学に留学、1969 - 1972年上智大学文学部長、1983年に定年退職した。その後は中京大学教授として教鞭をとった。 1920年代のアメリカ文学を中心に広く研究、翻訳をおこなった。日本英文学会編集委員、評議員、理事、日本アメリカ文学会会長等を歴任した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大津 晴弘(おおつ はるひろ、1912年1月3日 - 199… 大津 晴弘(おおつ はるひろ、1912年1月3日 - 1999年3月2日)は、日本の歯科医師、歯学博士(東京歯科大学)である。歯内療法の研究に熱心に取り組み、晩年に独自に発明したオピアン キャリア法は死腔のない根管充填を可能にした画期的な術式で、その後の日本における歯内療法の礎石を築いたことでよく知られている。 宮崎県出身、幼少時代を東京で過ごし東京歯科医学専門学校卒業後中国に渡る。終戦後日本に戻り築地に診療所を開設。趣味は歯医者と言われるほど歯学の研究と治療に没頭した人生だった。良い意味で純粋、悪く言えば世間知らずの内弁慶で、50代くらいまでは、厳格で怖い人であった(三男、隆弘談)。患者さんには「治療代を請求しない先生」(私の街の歯医者さん1999年5月号追悼記事引用)として慕われていた。
名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 … 名和 弓雄(なわ ゆみお、1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日、94歳没)は、日本の時代考証家、武術家(正木流万力鎖術第10代宗家、江戸町方十手捕縄扱様宗家)、舞踊家。 福岡県北九州市生まれ。武蔵野音楽大学卒。先祖は美濃大垣藩の与力を務めたという。時代劇の時代考証、武術指導を行った。捕り物道具を収集し、その捕り物道具コレクションは現在、明治大学博物館に収蔵されている。 杉良太郎など、史実に近い小道具を好む時代劇俳優に信頼されており、新五捕物帳、同心暁蘭之介などの時代考証では、従来の時代劇に使われていた小道具とは違う史実に基づいた小道具を提供した。そのため、従来の時代劇視聴者から、御用提灯のデザインがおかしいと苦情を受けたが、名和はその苦情に対し、史実を交えてきちんと説明し、視聴者を納得させた。
折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 … 折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 - 1994年〈平成6年〉1月8日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1957年)(学位論文「国際私法の統一性」)。東北大学名誉教授。 群馬県富岡市一ノ宮出身。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。同助手、助教授[要出典]。1951年(昭和26年)東北大学法学部教授となり、1966年(昭和41年)法学部長。1975年(昭和50年)に定年退官、名誉教授。 国際私法を専攻し、1957年(昭和32年)「国際私法の統一性」で法学博士(東京大学)の学位を取得。
豊田 久吉(とよだ ひさきち、1912年(明治45年)1月2… 豊田 久吉(とよだ ひさきち、1912年(明治45年)1月2日 - 1976年(昭和51年)10月7日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピックの800メートルリレー金メダリスト。1930年代後半には豊田 満の芸名で短期間映画俳優としても活動。姓はその後峰島となっている。 山口県屋代島(周防大島)出身。安下庄中学(のちの山口県立安下庄高等学校、現在は山口県立周防大島高等学校)卒業、日本大学出身。 1932年ロサンゼルスオリンピックの800メートルリレーで、宮崎康二、遊佐正憲、横山隆志と共に金メダルを獲得した。日本大学出身者初(遊佐正憲とともに)・山口県出身者初の金メダリストとなる。