スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
林 宙紀(はやし ひろき、1977年11月13日 - )は、… 林 宙紀(はやし ひろき、1977年11月13日 - )は、日本の実業家、ラジオパーソナリティ、ナレーター、ニュースキャスター、政治家。米国公認会計士。元衆議院議員(1期)。 所属芸能事務所はタイムリーオフィスで、一時は東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で契約キャスターを務めていた。 宮城県名取市で生まれ育ち、1990年(平成2年)に名取市立高舘小学校、1993年(平成5年)に名取市立第二中学校を卒業した。 高校は宮城県仙台第一高等学校に進学した。高校在学中にはラグビー部に所属し、副主将・バックスリーダーを務めた。ポジションはCTB(センター)であった。また、3学年時には学園祭である一高祭の夜祭ステージで企画と司会を務めた。
星 恭博(ほし やすひろ、1969年11月29日 - )は、… 星 恭博(ほし やすひろ、1969年11月29日 - )は、名古屋テレビ放送(メ〜テレ)の社員で営業局・三重支社長。元アナウンサー、元アナウンス部部長。宮城県仙台市出身。血液型O型。宮城県仙台第一高等学校、横浜国立大学卒業。 大学卒業後、1992年4月に名古屋テレビに入社。朝夕の帯番組を担当することが多く、これまでにも『コケコッコー』や『TRYあんぐる』、『特選朝いち どですか!』など担当した。また、バラエティ番組のナレーションを担当することも多い。2005年4月よりは夕方の帯番組『UP! → アップ!』を担当していたが2020年7月31日、15年4か月務めていた同番組のレギュラー(メインキャスター)卒業を発表した。
一力 敦彦(いちりき あつひこ、1962年6月23日 - )… 一力 敦彦(いちりき あつひこ、1962年6月23日 - )は、日本の実業家、ジャーナリスト。東北放送代表取締役社長。宮城県仙台市出身。 河北新報社、東北放送の社主でもあった一力一夫の次男として生まれる。曾祖父は河北新報社創業者の一力健治郎、祖父は河北新報元社長の一力次郎。兄は河北新報社代表取締役社長の一力雅彦、甥は河北新報社取締役で囲碁棋士の一力遼。 宮城県仙台第一高等学校、中央大学理工学部卒業後に河北新報社へ入社。電通出向等を経て、2010年に東北放送代表取締役社長に就任した。 高校の同級生に映画監督の岩井俊二がいる。
一力 雅彦(いちりき まさひこ、1960年(昭和35年)5月… 一力 雅彦(いちりき まさひこ、1960年(昭和35年)5月14日 - )は、宮城県仙台市出身の日本の実業家。仙台市に本社がある河北新報社の代表取締役社長。同じく東北放送の社外取締役。公益社団法人ACジャパン副理事長。 河北新報の第3代オーナー社長および東北放送の第3代オーナー社長(社主)の一力一夫の長男として生まれる。 1986年に立教大学経済学部を卒業して河北新報社に入社し、翌年の1987年に東京大学新聞研究所教育部(現:東京大学大学院情報学環教育部)を修了。 共同通信社への出向を経て1995年に河北新報社に復帰し、創業百年記念事業の一環として、世界24か国のコメと人間の関係をあつかう138回に及んだ連載企画「オリザの環」の検討を始め、「オリザの環」は1997年度の日本新聞協会賞を受賞した。
手代木 功(てしろぎ いさお、1959年12月12日 - )… 手代木 功(てしろぎ いさお、1959年12月12日 - )は、日本の実業家、薬学博士。塩野義製薬社長を務めている。 宮城県仙台市出身。父・卓は東北電力の技術者。宮城県仙台第一高等学校を経て、1982年に東京大学薬学部を卒業し、塩野義製薬に入社。2度のアメリカ駐在を経て、秘書室長、経営企画部長、取締役、常務、医薬研究開発本部長、専務を経て、2008年4月から社長に就任。 日本製薬工業協会会長、日本製薬団体連合会会長を歴任した。2010年から大阪商工会議所副頭取も務めている。
千葉 光太郎(ちば こうたろう、1957年5月30日 - )… 千葉 光太郎(ちば こうたろう、1957年5月30日 - )は、日本の技術者、実業家。ジャパン マリンユナイテッド代表取締役社長、日本造船工業会副会長。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第一高等学校を経て、1982年東北大学工学部機械工学科卒業、日本鋼管入社。杉田理之ナイス代表取締役社長は高校の剣道部の同期。日本鋼管では主に修繕部門を歩み、2002年ユニバーサル造船転籍。京浜事業所艦船建造部長、因島事業所艦船工作部長、舞鶴事業所艦船修理部長等を経て、2016年ジャパン マリンユナイテッド常務執行役員商船事業本部呉事業所長。2017年ジャパン マリンユナイテッド常務執行役員企画管理本部経営企画部長。
本間 洋(ほんま よう、1956年5月8日 - )は、日本の… 本間 洋(ほんま よう、1956年5月8日 - )は、日本の実業家。元NTTデータグループ代表取締役社長兼CEO。 山形県酒田市出身。宮城県仙台第一高等学校を経て、1980年東北大学経済学部卒業、日本電信電話公社入社。 2013年エヌ・ティ・ティ・データ常務執行役員第三法人事業本部長、2014年取締役常務執行役員エンタープライズITサービスカンパニー長、2017年代表取締役副社長執行役員を歴任。 2018年から代表取締役社長を務め、売上の過半を海外売上とする目標を掲げ、海外事業の拡大や日本人以外の役員の増員を進めた。 デジタル変革(DX)を進めている酒田市からの要請を受け、2020年10月、現職と併任で市のDXの推進役である「最高デジタル責任者」(CDO)に就任する。
武田 信平(たけだ しんぺい、1949年12月11日 - )… 武田 信平(たけだ しんぺい、1949年12月11日 - )は、宮城県亘理町出身のサッカー選手、元サッカークラブ経営者。川崎フロンターレ前会長。日本アンプティサッカー協会理事長。元Jリーグ・クラブ経営アドバイザー。 中学時代、入学と同時に新設されたサッカー部にてサッカーを始める。仙台第一高校卒業後、1968年に慶応義塾大学経済学部に入学。ソッカー部では2年生時に全日本大学サッカー選手権大会に優勝した。 1972年に大学を卒業、サッカーを続けるために富士通に入社する。しかし富士通サッカー部総監督の八重樫茂生から、これ以上続けていても先が見えているからと現役引退を勧められ、2年目からはサッカー部のマネージャー(1973年-1976年)、日本サッカーリーグの運営委員(1977年-1981年)を務める。
岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日… 岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日本の財務官僚、企業経営者。ローソン銀行代表取締役会長。 宮城県仙台市出身。血液型はB型。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1970年に大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1971年に大臣官房秘書課調査係長心得。1974年にイェール大学で経営学修士号を修得。同年7月 銀行局総務課企画係長。1975年7月 福知山税務署長。1993年6月 大臣官房調査企画課長兼財政金融研究所次長。1994年4月から1995年5月まで羽田孜、村山富市の下で内閣総理大臣秘書官(事務担当)。1999年7月8日に国際局次長、2002年7月9日に財務総合政策研究所長となる。
清野 智(せいの さとし、1947年9月30日 - )は、日… 清野 智(せいの さとし、1947年9月30日 - )は、日本の実業家、経営者。東日本旅客鉄道(JR東日本)顧問。東京都新宿区在住。勲等は旭日大綬章。
一力 一夫(いちりき かずお、1925年(大正14年)9月8… 一力 一夫(いちりき かずお、1925年(大正14年)9月8日 - 2014年(平成26年)7月20日)は、日本の実業家。ジャーナリスト。河北新報社社主。 河北新報社元社長である一力次郎の長男として宮城県仙台市に生まれる。 1950年(昭和25年)河北新報入社。編集局長時代には自らが隊長となり同行記者3名と共に、「人類初の地球縦断大ドライブ」を敢行。それにより日本新聞協会ボーン・上田記念国際記者賞を受賞する。1970年(昭和45年)には、父の逝去により社長・社主に就任する。その後、東北放送社長就任に伴い、会長・社主に就任した。 好角家としても知られ自宅には大相撲の座布団が多数あったという。日本相撲協会横綱審議委員会委員(1988年-2001年)、第8代の委員長(1999年-2001年)も歴任した。
武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日 - 2004年… 武田 豊(たけだ ゆたか、1914年1月6日 - 2004年2月15日)は、日本の実業家。宮城県高清水町出身。新日本製鐵(新日鉄)代表取締役会長、経済団体連合会(経団連)副会長、日本鉄鋼連盟会長などを歴任した。東京帝国大学法学部政治学科卒業。 宮城県仙台第一中学校 (現: 宮城県仙台第一高等学校 )、山形高等学校(現:山形大学)を経て1939年に東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学法学部政治学科)卒業後、同年4月日本製鐵(日鉄)入社。1950年同社解体により富士製鐵に移り、社長室秘書課長、人事部長などを経て、1970年3月八幡製鐵と合併し新日鉄が発足するとともに専務となり、1977年には副社長、1981年社長に昇格。
上法 快男(じょうほう よしお、1911年〈明治44年〉5月… 上法 快男(じょうほう よしお、1911年〈明治44年〉5月29日 - 2001年 )は、日本の陸軍軍人、実業家。陸軍主計将校として勤務。戦後は出版業界に入り、芙蓉書房社長や会長を務めた。 秋田県士族、上法眞廣(従五位勲三等陸軍主計中佐)次男。 弟は上法眞男(1945年1月、海上挺進第9戦隊長としてフィリピン ルソン島にて戦死、陸軍少佐)、上法達男(陸軍大尉)。 仙台一中・二高を経て東北帝国大学法文学部独法学科を卒業し、陸軍に入る。 主計将校として近衛歩兵第3連隊、歩兵第59連隊、第2師団、関東軍司令部、戦車第3師団、陸軍燃料本部総務部等で勤務し、階級は陸軍主計少佐に昇る。 1945年8月15日、陸軍省人事局附となり、人事局補任課にて復員軍人の職業輔導業務に従事。
岩越 忠恕(いわごし ただひろ、1906年 <明治39年> … 岩越 忠恕(いわごし ただひろ、1906年 <明治39年> 7月4日- 1981年 <昭和56年> 3月19日)は、日本の経営者。日産自動車社長。位階は正四位。 鳥取県出身。旧制仙台一中、旧制弘前高校を経て、1931年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。東京乗合自動車での勤務を経て、1937年に日産自動車に転じ、1952年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1973年11月から1977年6月までに社長を務めた。 1971年4月に藍綬褒章を受章し、1976年11月に勲二等旭日重光章を受章した。 1981年3月19日、肝不全のために死去。74歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
平井 弥之助(ひらい やのすけ、1902年(明治35年)5月… 平井 弥之助(ひらい やのすけ、1902年(明治35年)5月16日 - 1986年(昭和61年)2月21日)は日本の電力土木技術者、電力事業経営者。昭和時代の電力開発に卓越した見識と強い使命感をもって貢献したと伝承されている。また女川原子力発電所等の建設にあたっては貞観地震、慶長三陸地震による大津波を考慮した適切な技術的助言を与えた。平井彌之助とも書く。 主な経歴は『土木史研究』第18号による。 平井は次に示す伝承のように、技術者としての合理性と電気事業者としての責任感に基づいて地震・津波対策の重要性を説いた。地震・津波の恐ろしさを実感していたと云われ、「貞観大津波(869年)は岩沼の千貫神社まで来た」と語っていたという。
早川 種三(はやかわ たねぞう、1897年(明治30年)6月… 早川 種三(はやかわ たねぞう、1897年(明治30年)6月6日 - 1991年(平成3年)11月10日)は、日本の実業家。戦後数々の大型倒産において管財人として企業再建に取り組み、「会社再建の神様」と呼ばれている。 宮城県宮城郡七郷村南小泉(現仙台市)に早川智寛・長子夫妻の子として生まれる。父智寛は土建業で財を成したが、すでに第一線を退き、仙台商業会議所会頭や米穀取引所理事長などの名誉職にあった。後に仙台市長にも就任した。 慶應義塾大学在学中は茶屋遊びをはじめとする放蕩生活で遺産を蕩尽した。慶大を5回落第し、卒業するのに10年もかかった。20歳の時に父が財産分けしてくれた30万円(今だと2、3億円になる)を10年間にほぼ使い果たした。
内ヶ﨑 贇五郎(うちがさき うんごろう 1895年(明治28… 内ヶ﨑 贇五郎(うちがさき うんごろう 1895年(明治28年)9月25日 – 1982年(昭和57年)9月22日)は、日本の実業家。 宮城県黒川郡富谷町(現・富谷市)に造り酒屋の家に生まれる。父は富谷村長を務めた内ヶ崎儀左衛門。一族には、政治家で衆議院議長を務めた内ヶ崎作三郎がいる。 旧制第二高等学校から東京帝国大学工学部電気工学科に進み、1919年(大正8年)に大阪電燈に入社。大阪電燈が大阪市営になって後は大同電力に移り、第二次世界大戦時に設立された日本発送電東北支店長・東北配電社長を歴任し電力事業に一貫して携わった。 1951年(昭和26年)5月1日、第二次世界大戦後の電力事業再編に伴う、日本発送電・東北配電の解体・改組に伴い設立された東北電力の初代社長に就任。
高橋 文五郎(たかはし ぶんごろう、1893年11月28日 … 高橋 文五郎(たかはし ぶんごろう、1893年11月28日 - 1978年3月19日)は、日本の実業家、政治家、参議院議員(2期、自由民主党)。 宮城県栗原郡若柳町(現・栗原市)出身。1915年早稲田大学商学部卒。卒業後は七十七銀行に入り、支店長となる。その後、家業の醸造業を継ぎ、のち栗原鉄道(株)を創立、社長に就任する。 若柳町長(1935.11.28-1943.8.15)を務めたが、戦時中に地元の大政翼賛会の役員をしていたため、戦後、公職追放となる。 宮城県議を5期務め、議長を2期務める。1965年、高橋進太郎の宮城県知事選出馬による参議院補欠選挙で当選。同年春の叙勲で勲四等瑞宝章受章。1968年の第8回参議院議員通常選挙で再選した。
一力 次郎(いちりき じろう、1893年(明治26年)8月1… 一力 次郎(いちりき じろう、1893年(明治26年)8月12日 - 1970年(昭和45年)7月7日)は、日本の実業家。河北新報社元社長、会長、社主。 河北新報社創業者である一力健治郎の次男として宮城県仙台市に生まれる。 1917年京都帝国大学法学部卒業後、コロンビア大学、オックスフォード大学に留学し法律学、新聞学を専攻。帰国後、東京にて弁護士を開業する。 1924年(大正13年)1月1日河北新報社入社。副社長として、父を補佐する。 1929年(昭和4年)には父が逝去したことに伴い社長に昇格する。また、弟である五郎が実質的な副社長として兄を補佐した。 社長、会長時代は東北の振興に力を注ぎ、東北開発三法(北海道東北開発公庫法、東北開発株式会社法、東北開発促進法)の制定に傾注した上、政府の東北開発審議会委員となり、計画の策定や実施に貢献した。
土田 荘助(莊助、つちだ そうすけ、1888年(明治21年)… 土田 荘助(莊助、つちだ そうすけ、1888年(明治21年)3月13日- 1962年(昭和37年)8月25日)は、大正から昭和時代の農場経営者(馬産)、地主、実業家、政治家。衆議院議員。 秋田県平鹿郡、のちの館合村(大雄村を経て現:横手市)で素封家土田万助の長男として生まれる。仙台第一中学校(現:宮城県仙台第一高等学校)を卒業した。 平鹿郡大森町菅生田(現:横手市大森町)の土田農場を経営し、馬産に取り組み、競走馬「フレーモア」の生産者として知られた。秋田県畜産組合議長、馬政協議会議員、帝国馬匹協会特別会員、中央畜産会特別議員、秋田県畜産組合長、日本競走馬生産者協会会長、地方森林会議員、秋田県耕地協会評議員、大日本山林会評議員などを務めた。