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黒河内 四郎(くろかわち しろう/くろこうち しろう、188… 黒河内 四郎(くろかわち しろう/くろこうち しろう、1882年(明治15年)7月 - 1960年(昭和35年)6月3日)は、日本の鉄道省官僚、土木工学者(工学博士)。鉄道省工務局長を最後に退官し、東京高速鉄道技師長として現在の銀座線新橋、渋谷間の開通に貢献。第31代土木学会会長、初代日本保線協会会長。 福島県士族香川源左衛門の次男として若松町に生まれ、同士族黒河内源治の養子となる。1901年(明治34年)会津中学を卒業。大島破竹郎が同級生である。二高を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学を卒業。席次は29名中3番である。 逓信省鉄道作業局に入り、生涯にわたる鉄道への関わりが始まる。1915年(大正4年)に米国留学し、帰国後は工務局保線課に配属され、保線業務、軌道の改善に努めた。
常盤 盛衛(ときわ もりえ、1881年〈明治14年〉12月8… 常盤 盛衛(ときわ もりえ、1881年〈明治14年〉12月8日 - 1971年〈昭和46年〉8月8日)は、日本の海軍軍人。軍令部、艦隊、鎮守府、要港部などの参謀職を歴任した海軍少将である。 福島県出身。父は旧会津藩士・常盤盛敦。会津中学5回生で外務省顧問・斎藤良衛、樺太庁長官・岸本正雄は同級生である。1899年(明治32年)海軍兵学校入校(30期)。二年次に学術優等章を授与される。1902年(明治35年)卒業。席次は187名中5番。 「初瀬」乗組みとして日露戦争を迎えたが、同艦は1904年(明治37年)5月15日に旅順港外において触雷し沈没。その際常盤は初瀬の艦載水雷艇を指揮し、哨戒のため裏長山列島に赴いていた。
岸本 正雄(きしもと まさお、1881年〈明治14年〉10月… 岸本 正雄(きしもと まさお、1881年〈明治14年〉10月19日 - 1963年〈昭和38年〉5月20日)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選県知事、樺太庁長官。 鳥取県出身。税吏・岸本俊一の長男として生まれる。父の転勤のため東北各県に居住。福島県立会津中学校を経て第二高等学校を首席で卒業。1906年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、秋田県事務官(高等官)、山形県事務官・警察部長、同県警察部長、滋賀県警察部長、福岡県警察部長、香川県内務部長、関東庁警務局長などを歴任。 1922年10月、秋田県知事に就任。町村農業技術員、産米検査員、農業補習学校教員の三者を一体化した「三職兼務制」を実施し、合理的な農政推進を図った。
花見 朔巳(はなみ さくみ、1881年9月23日 - 194… 花見 朔巳(はなみ さくみ、1881年9月23日 - 1946年4月27日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学史料編纂官、大学講師などを務める。主な研究対象は会津、名古屋、安土桃山時代の三分野で、安土桃山史の権威であった。歴史地理学会幹事。 海軍中佐(海兵57期)で天霧駆逐艦長としてJ.F.ケネディー海軍中尉指揮する魚雷艇を撃沈し、戦後に塩川町長を務めた花見弘平、陸軍少佐の花見侃(第36師団参謀、陸士47期、陸大57期)は甥である。 現在の福島県喜多方市に地主の次男として生まれる。会津中学に学び、植村恒三郎、陸軍少将佐藤美千代と同期であった。1903年に第二高等学校を卒業し、1906年に東京帝国大学文科大学を卒業。
斎藤 良衛(さいとう りょうえ、1880年(明治13年)11… 斎藤 良衛(さいとう りょうえ、1880年(明治13年)11月15日- 1956年(昭和31年)11月4日)は、日本の外交官。外務省通商局長を最後に退官し、南満州鉄道理事、同最高顧問、外務省顧問を務める。『支那ニ於ケル外国人ノ権利義務』で法学博士(東京帝国大学)。会津短期大学学長歴任。 旧会津藩士であった斎藤家に、医師の長男として生まれる。会津中学に進学し、同級生には岸本正雄や常盤盛衛などがいた。検定試験から東京帝国大学に進み、卒業の翌々年(1910年)に外交官及領事官試験合格(同期生は9名で首席合格者は斎藤博)。オタワやワシントンでの在勤もあったが、中国勤務が長く、本省では通商局課長、同局長を歴任した。
高山 輝義(たかやま てるよし、1879年(明治12年)10… 高山 輝義(たかやま てるよし、1879年(明治12年)10月4日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。第16代若松市長。 福島県出身。会津中学(4回生)を経て陸軍士官学校を卒業(12期)。同期生に畑俊六、杉山元両元帥、小磯国昭らがいる。1901年(明治34年)6月、歩兵少尉任官。歩兵第65連隊中隊長、同連隊副官、近衛歩兵第2連隊大隊長などを経て、1928年(昭和3年)には歩兵第79連隊連隊長に就任し同職を3年勤めた。1931年(昭和6年)8月1日少将に進み、同月に予備役編入となる。1942年(昭和17年)には若松市長に就任し、戦前最後の市長となった。 1944年(昭和19年)、会津松平家当主・松平保男の急逝に際し、旧領代表として葬儀に参列したが、会津地方からは多数の参列者が物品を持参して上京した。
斎藤 常三郎(さいとう つねさぶろう、1878年(明治11年… 斎藤 常三郎(さいとう つねさぶろう、1878年(明治11年)11月20日 - 1951年(昭和26年)7月22日) は、日本の法学者。和議法、破産法の権威者で、神戸商業大学、京都帝国大学の各教授、会津短大学長を歴任した。「和議制度の研究」で、法学博士(京都帝国大学)。日本学士院会員。 実務経験を有する研究者であり、判事時代に著した『注釈訴訟記録』は実務家、研究者双方に貴重な著作として扱われた。日本の民事訴訟法は1890年(明治23年)に制定されたが、その学問的研究が発展を遂げるのは大正中期以降であり、斎藤はその先駆者の一人である。『日本破産法』は1922年(大正11年)制定された(新)破産法に関するもので、同法に関する書として加藤正治の『破産法要論』と並ぶ代表的著作である。
藁谷 勇三郎(わらがや ゆうさぶろう、1877年(明治10年… 藁谷 勇三郎(わらがや ゆうさぶろう、1877年(明治10年)4月24日 - 1966年(昭和41年)7月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 福島県士族の三男である。会津中学を経て、1898年(明治31年)11月25日、陸軍士官学校(第10期)を卒業し、翌年6月27日、歩兵少尉に任官し歩兵第29連隊附となった。戸山学校教官、将校生徒試験常置委員、歩兵第15連隊大隊長、歩兵第59連隊附、松本連隊区司令官等を歴任し、1922年(大正11年)予備役編入となる。日露戦争、シベリア出兵に従軍し、功五級に叙せられた。教官を務めた戸山学校は陸軍歩兵戦術の研究、教育に当たる機関で、藁谷は剣術、水泳、体操に関係する下記の著作を刊行した。
森 俊六郎(もり しゅんろくろう、1877年(明治10年)3… 森 俊六郎(もり しゅんろくろう、1877年(明治10年)3月6日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の大蔵官僚・銀行家。理財局長を最後に退官し、台湾銀行副頭取、南満州鉄道理事を歴任した。妻は烏山藩主・大久保忠順の娘・朝子。子爵・貴族院議員の大久保忠春は義弟。 福島県出身。会津中学を経て、二高第一部法科を首席で、1902年(明治35年)7月に東京帝大法学部政治学科を卒業。松平恒雄が大学時代の同級生である。大蔵省に入省し、同年11月文官高等試験に合格した。席次は41名中8番で首席は帝大同期の西野元であった。翌年主計局司計課長となり、参事官を兼任。1906年(明治39年)には大蔵大臣・阪谷芳郎の秘書官を務めた。
君島 八郎(きみしま はちろう、1876年(明治9年)12月… 君島 八郎(きみしま はちろう、1876年(明治9年)12月28日 - 1955年(昭和30年)10月14日)は、日本の土木工学者。工学博士、九州帝国大学教授。日本における道路研究の先駆者であり、その著書『君島大測量学』と『河海工学』は戦前土木名著100書に選ばれている。 福島県若松町諏訪町四谷の旧会津藩士君島勝平の次男として生まれる。1895年(明治28年)会津中学を一回生として卒業する。松江春次、森俊六郎、平石弁蔵らが同級生で、特選生として野口英世が通学しており、のちに留学先で再会している。二高第二部工科を首席で、1901年(明治34年)には東京帝国大学を19名中首席で卒業した。 大学院在学中に『道路学一斑』を著し、母校の講師や助教授、独国、仏国、米国での留学を経て、1911年(明治44年)、新設された九州帝国大学の工学部教授に就任。
松江 春次(まつえ はるじ、1876年(明治9年)1月15日… 松江 春次(まつえ はるじ、1876年(明治9年)1月15日 - 1954年(昭和29年)11月29日)は、日本の男性実業家。南洋興発の創業者で初代社長。 1876年(明治9年)、現在の福島県会津若松市で旧会津藩士・松江久平の次男として生まれる。 1895年(明治28年)会津中学を卒業(1回生)。特選生として通学していた野口英世と親交があった。 1899年(明治32年)に東京工業学校(東京高等工業学校、東京工業大学を経て、現東京科学大学)を卒業し、大日本製糖(現大日本明治製糖)に入社する。 1903年(明治36年)に農商務省の海外実業練習生試験に合格し、ルイジアナ州立大学に留学。同大学院で修士号(マスター・オブ・サイエンス)を取得した。
川井 源八(かわい げんぱち、1874年〈明治7年〉3月 -… 川井 源八(かわい げんぱち、1874年〈明治7年〉3月 - 1945年〈昭和20年〉6月22日)は、日本の実業家。第2代三菱電機会長。 福島県耶麻郡、のちの翁島村(現猪苗代町)出身。若松中学校(現福島県立会津高等学校)を経て、1894年高等商業学校(現一橋大学)卒業。東京倉庫神戸支店副支配人、東京倉庫大阪支店支配人等を経て、1920年三菱電機代表取締役。1931年から三菱電機常務取締役として退任した武田秀雄前会長に取り替わり社業を統括した。1935年三菱電機取締役会長。三菱電機において消費者向けの家庭用電化製品事業の創設を進め、扇風機、モーターなどの生産の発案や、ショールームの設立などを行った。
平石 弁蔵(ひらいし べんぞう、1873年(明治6年) - … 平石 弁蔵(ひらいし べんぞう、1873年(明治6年) - 1942年(昭和17年))は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵少佐。『会津戊辰戦争』の著者として知られる。 父は旧会津藩士・平石甚五郎。平石は再建された会津中学の1回生で、松江春次は同級生である。中途退学し1893年(明治26年)陸軍教導団歩兵科生徒隊に入団。翌年、歩兵第17連隊附二等軍曹となる。日清戦争を迎え、橋頭集、楊家屯、羊亭集と歴戦し、一等軍曹へ昇進した。戦役中は台湾へも渡っている。帰国後歩兵第32連隊附等を務め、曹長として陸軍士官学校に勤務し、陸軍経理学校軍吏学生に採用された。のち日露戦争に出征し、少佐まで昇進している。
長谷川 戍吉(はせがわ じゅきち、1868年7月7日(慶応4… 長谷川 戍吉(はせがわ じゅきち、1868年7月7日(慶応4年5月18日) - 1907年(明治40年)1月21日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争において騎兵挺進隊隊長を務めた、いわゆる長谷川挺進隊の指揮官である。戦後旧部下の不祥事が原因で自決した。最終階級は陸軍騎兵少佐。 父は会津藩藩士長谷川信吉である。信吉は禄高十三石四人扶持の武具役所勤めであった。長谷川が誕生した際、すでに長兄の丑吉が白河の戦いで討死しており、長谷川が跡を継いだ。戦後に斗南藩三戸郡門前村に移住したが、1873年(明治6年)に 会津本郷に戻った。陶芸家の弟子となり、旧藩校日新館を再興した私立日新館(現会津高校)に進むが退校。単独で上京し山川浩家の家僕となる。
佐藤 義長(さとう よしなが、1866年7月20日(慶応2年… 佐藤 義長(さとう よしなが、1866年7月20日(慶応2年5月20日) - 1937年(昭和12年)1月8日)は、日本の農学者。農芸化学を専門とする農学博士で、宇都宮高等農林、盛岡高等農林の各校長を務めた。 幕末の会津若松博労町に生まれる。会津藩藩士佐藤大八郎の長男であり、会津会会員であった。幼少期に佐原盛純らに学び若松予科学校(現会津高校)に入学するが、同校はその翌年に廃校となり、上京した。佐藤は農学を志し、1888年(明治21年)に駒場農学校を卒業した。埼玉師範学校教諭、茨城農業技師を経て、栃木農業技師となり、渡良瀬川流域の農作物被害調査に従事し、古在由直と足尾銅山の鉱毒調査を行った。京都農事試験場長、京都農学校長を歴任。
樋口 喜吉(ひぐち きよし、1865年5月9日(慶応元年4月… 樋口 喜吉(ひぐち きよし、1865年5月9日(慶応元年4月15日) - 1934年(昭和9年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。予備役編入後、光学関係の研究に従事し、特許権や実用新案権を取得した。 幕末の若松城郭内に生まれる。戊辰戦争後に再建された日新館の助教となり、陸軍教導団を経て陸軍士官学校入校。1889年(明治22年)に卒業した(旧11期)。同期生に奈良武次、石光真清がいる。陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵第16連隊付となる。 日清戦争に出征後、歩兵第30連隊付大尉。1899年(明治32年)陸軍大学校に入校。樋口は陸士5期から7期を主体とした後輩たちと共に学び、1902年(明治35年)に卒業(16期)。
白井 新太郎(しらい しんたろう、1862年12月13日(文… 白井 新太郎(しらい しんたろう、1862年12月13日(文久2年10月22日) - 1932年(昭和7年)12月10日)は、日本の実業家、政治家。号は如海。 会津若松城下で家禄500石の上級藩士である白井家の長男として生まれる。父の五郎太夫は林安定とともに藩大砲隊頭を務め、鳥羽・伏見の戦いで討死した。戊辰戦争後に再建された日新館(現会津高校)に学び、上京後は秋月悌次郎門下として勉学を続けた。1884年(明治17年)には東政図(東次郎)の中国赴任に随行。清国改造運動に加わった。一年後には日本へ戻り、井深彦三郎、中野二郎らと同居生活を送った。 中国との貿易に従事し、1891年(明治24年)には東邦協会の設立に関わり、幹事を務める。
佐治 幸平(さじ こうへい、文久元年11月12日(1861年… 佐治 幸平(さじ こうへい、文久元年11月12日(1861年12月13日) - 大正6年(1917年)8月13日)は、日本の政治家、会津地域を代表する自由民権運動家の一人である。第3代若松市長、衆議院議員、実業家。 陸奥国大沼郡高田村(現福島県大沼郡会津美里町)出身。佐治一族は高田の旧家で、蒲生氏の分家、儀俄氏(甲賀五十三家)の子孫で、蒲生秀行の家臣として仕えていたが、蒲生家のお家断絶により仕官に失敗し、後に若松城下より高田村に移り住んだと伝わる。醸造業を営むほか、会津銀行高田派出所や会津高田郵便局が設置され、大地主として高田地域を代表する家の一つとして知られた。父は西佐治家(屋号は油屋)の五代目幸左衛門金麗。
高木 盛之輔(たかぎ もりのすけ/たかき もりのすけ、185… 高木 盛之輔(たかぎ もりのすけ/たかき もりのすけ、1854年(安政1年)- 1919年(大正8年)2月19日)は、日本の武士、検察官。会津藩藩士として戊辰戦争を、別働第二旅団の一員として西南戦争を戦った。姉の高木時尾は照姫附き祐筆で、元新撰組副長助勤斎藤一(藤田五郎)に嫁ぐ。福島県立会津高等学校の創立功労者の一人である。 会津藩高士、家禄300石の高木家に生まれる。高木家は藩大目付を務める家柄であった。会津戦争の当初は伝令を務め、松平容保、定敬兄弟が出陣していた滝沢本陣に危急を報告した。その後年少者で組織された護衛隊に属して篭城戦を戦った。藩降伏後は猪苗代で謹慎生活を送る。この際軍事方水島純の命で同年輩の山川健次郎、赤羽四郎、柴四朗ら五人で謹慎所を脱出し、若松で土佐藩の伴中吉に主君容保、喜徳父子への寛大な措置を嘆願した。
小熊 慎司 は、日本の政治家。
折笠 重康(おりかさ しげやす、生年不明 - 1944年〈昭… 折笠 重康(おりかさ しげやす、生年不明 - 1944年〈昭和19年〉11月11日)は、日本の海軍軍人。第一水雷戦隊司令官・木村昌福少将が座乗する旗艦「阿武隈」航海長としてキスカ島撤退作戦の成功に貢献。のち駆逐艦「若月」砲術長として戦死した海軍中佐である。 福島県出身。会津中学を経て、1937年(昭和12年)3月海軍兵学校を卒業。席次は160名中22番。折笠は海兵64期である。海軍中尉時代に教官として海兵72期の分隊監事を務めた。 海軍大尉時代に軽巡洋艦「阿武隈」航海長に補職され、キスカ島撤退作戦に参加。「阿武隈」は第一水雷戦隊司令官・木村昌福少将が率いる作戦部隊の旗艦で、艦長は渋谷紫郎大佐、水雷長(のち通信長)と航海士は戦後海上自衛隊の海上幕僚長となる石田捨雄と大賀良平である。
植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年 <明治15… 植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年 <明治15年> 2月 - 1945年 <昭和20年>) は、日本の林学者。専門は、林政学・森林経理学。入会権について史的研究を行い、川瀬善太郎に続き入会権公有論を唱える。また樺太に設けられた九州帝国大学の演習林の指導、調査報告を行った。「本邦に於ける林野の入会関係に就て」で林学博士(東京帝国大学)。九州帝国大学教授、同名誉教授。 旧会津藩藩士の植村家に生まれる。会津中学、一高を経て、1906年(明治39年)7月に東京帝国大学林学科を18名中首席で卒業。大学院を経て盛岡高等農林教授となる。在任中に森林政策、森林行政、木材商況、経理、外国語などを担当し、またドイツに留学している。
小澤 弘明(おざわ ひろあき、1958年 - )は、日本の歴… 小澤 弘明(おざわ ひろあき、1958年 - )は、日本の歴史学者。現在、千葉大学副学長(2014年-)および同理事(教育)(2023年-)。専門はハプスブルク帝国史、近代ドイツ・オーストリア史、中東欧現代史。 福島県会津若松市出身。福島県立会津高等学校を経て、1980年3月に 東京大学文学部西洋史学科卒業。1982年3月、同大学院社会学研究科修士課程修了。国際学(修士)の学位を得る。 1987年、東京大学大学院社会学研究科国際関係論専門課程を単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て、1989年10月~東京外国語大学外国語学部助手。1996年4月~千葉大学文学部助教授。2003年2月、同教授。
小池 達哉(こいけ たつや)は、日本の弁護士。福島県弁護士会… 小池 達哉(こいけ たつや)は、日本の弁護士。福島県弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、会津若松市外部評価委員等を歴任。 福島県会津若松市生まれ。福島県立会津高等学校を経て、東北大学法学部卒業。1994年最高裁判所司法研修所修了、仙台弁護士会弁護士登録。1997年福島県弁護士会弁護士登録。2013年福島県弁護士会会長。2019年には会津地区からは初となる日本弁護士連合会副会長に就任し、災害復興支援等を担当した。
小林美登利(こばやし みどり 1891年(明治23年)- … 小林美登利(こばやし みどり 1891年(明治23年)- 1961年(昭和36年))は、日系ブラジル人の教育家、宗教家(プロテスタントの牧師)、剣道師範、音楽家、冒険家。考古学や探検にも携わった。大正年間にブラジルに移住し、同国を中心に活動した。
塩見 清仁(しおみ きよひと)は、日本の地方公務員。東京都交… 塩見 清仁(しおみ きよひと)は、日本の地方公務員。東京都交通局長、東京都オリンピック・パラリンピック準備局長、東京都生活文化局長、東京都主税局長を経て、はとバス代表取締役社長。2023年4月からは東京都スポーツ文化事業団理事長兼東京都スポーツ協会理事長。東京都レクリエーション協会会長も務める。 福島県耶麻郡塩川町(現喜多方市)出身。福島県立会津高等学校を経て(高校30回)、1983年中央大学法学部卒業、東京都庁入庁。東京都総務局都区制度改革担当部長等を歴任。東京都中央卸売市場管理部長として、築地市場移転問題にあたったのち、東京都交通局次長、東京都交通局長を経て、2016年から東京都オリンピック・パラリンピック準備局長を務め、小池百合子東京都知事が本部長を務めた都政改革本部の下、予算の妥当性の調査にあたるなどした。
塚原 大貮(塚原 大弐、つかはら だいに)は、日本の外交官。… 塚原 大貮(塚原 大弐、つかはら だいに)は、日本の外交官。2012年(平成24年)10月11日からベナン駐箚特命全権大使。 福島県出身。福島県立会津高等学校を経て、1975年(昭和50年)上智大学文学部フランス文学科を卒業する。1976年(昭和51年)外務省に入省した。ザイール(現在のコンゴ民主共和国)勤務、在ストラスブール日本国総領事館領事、在ギニア日本国大使館参事官、外務省研修所指導官などを経て、2010年(平成22年)1月、マルセイユ総領事。2012年(平成24年)10月11日からベナン駐箚特命全権大使。2025年、瑞宝中綬章受章。
星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育… 星 洋二(ほし ようじ)は日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。父は作曲家で音楽教諭の星和男。 福島県会津若松市出身。福島県立会津高等学校卒業。高校では合唱部に所属し、3年時に全日本合唱コンクールで全国優勝。その際に演奏された湯山昭作曲『ゆうやけの歌』は名演奏として名高いが、そのテノールソロを務めている。 1984年(昭和59年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1986年(昭和61年)東京藝術大学大学院オペラ科修了。渡邊高之助、高丈二、高橋啓三、疋田生次郎に師事。1991年(平成3年)1月より1年間、アルド・プロッティのもとで、ヴェルディ(『リゴレット』『椿姫』など)の歌唱法と、ベルカント・オペラの発声法を学んだ。