スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 196… 加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 1969年5月7日)は、日本の林学者・造園家・登山家。森林利用学の分野で活躍、索道の技術研究、自然保養林制度制定にかかわり、また観光学や風景学、さらに橋梁の美学についても研究を重ねた人物。学位は、農学博士。東京大学名誉教授。放物線索理論による架空索理論の研究や伐木運材技術についての研究で業績をあげ、1957年日本農学賞受賞。著書に「林業土木学」「森林土木」などがある。元ヒマラヤ登山隊長。1963年夏、東大カラコルム遠征隊長を務めた。登山で全身リューマチにかかり、国立伊東温泉病院に入院し治療を受けていた。 父は宗教学者加藤玄智。東京生まれで、東京高等師範学校附属中学校を経て、1926年(大正15年)に旧制静岡高等学校卒業。
相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983… 相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983年1月31日)は、専修大学理事長、専修大学総長。専修大学創立者の相馬永胤の孫。経済学博士。専門は保険論。岡山県岡山市出身。 1924年東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。1930年(昭和5年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、専修大学講師。1932年東京商科大学旧制大学院修了。1938年専修大学教授。その後、学生部長・就職指導部長・を歴任。1955年商経学部長。1957年体育部長。1961年経営研究所長。1961年専修大学にて論題「新価保険」で経済学博士を受く。 1961年(昭和36年)専修大学第10代学長。
末広 恭雄(すえひろ やすお、1904年 6月4日 - 19… 末広 恭雄(すえひろ やすお、1904年 6月4日 - 1988年7月14日)は、日本の水産学者・随筆家・作曲家。
大塚 弥之助(おおつか やのすけ、1903年(明治36年)7… 大塚 弥之助(おおつか やのすけ、1903年(明治36年)7月11日 - 1950年(昭和25年)8月7日)は、日本の地質学者である。 東京・日本橋で生まれ、東京高等師範学校附属中学校から静岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地質学教室を1929年(昭和4年)に卒業した。在学中は小沢儀明から地史学の方法を、辻村太郎から地形学の方法を、徳永重康からは新生代生物層序の方法を学んだ。 卒業後は同大学地震研究所の助手として勤務した。大塚の地球科学における研究は広い範囲におよび、地形学・地球物理学・層位学・古生物学・地史学・構造地質学にわたっている。在学中に四国の四万十川の曲流地形を調査し、『地理学評論』に論文を発表した。
岸本 英夫(きしもと ひでお、1903年6月27日 - 19… 岸本 英夫(きしもと ひでお、1903年6月27日 - 1964年1月25日)は、日本の宗教学者。東京大学教授、東京大学附属図書館の館長などを歴任。文学博士(東京帝国大学)。ユニテリアン主義である日本自由宗教連盟の理事長。 兵庫県明石市出身。宗教学者の岸本能武太の次男として生まれる。1916年、東京高等師範学校附属中学校に入学、同級生に美濃部亮吉、正田英三郎、芳賀檀、諸井三郎などがいた。1920年同校4年次修了(四修)で第六高等学校に進学を果たす。1923年春に六高理科甲類を卒業し、東京帝国大学へ進学する。1926年に東京帝大文学部宗教学科を卒業、同大学院進学を経て1930年からハーバード大学大学院に留学、1934年同大M.A.取得。
岡山 俊雄(おかやま としお、1903年 - 1987年8月… 岡山 俊雄(おかやま としお、1903年 - 1987年8月10日)は、日本の地理学者。明治大学名誉教授。理学博士(1961年)。地形学者だが、地理学教育にも尽力した。26年かけて日本全土の接峰面図を描き、それをもとに日本列島の地形構造を考察した。 1903年、東京市小石川区(現・東京都文京区)にて生まれる。東京高等師範学校附属中学校(筑波大学附属高等学校)に入学し、遠足・旅行・登山などで多くを学び、大縮尺の地形図に親しむ。卒業後、松本高等学校(現・信州大学)に入学し、登山を続けた。1926年、同校を卒業し、東京帝国大学理学部地理学科に入学。山崎直方・辻村太郎らの指導を受ける。当時、出身中学のサッカー部のコーチをしていた岡山は責任のとり方について悩み、中期論文を採る気持ちになれなかったが、山崎直方の「出したまえ」の一喝により切羽詰まって「切峰面による釜無・赤石二山地の研究」を2年時の進級論文として書き上げた。
坪井 忠二(つぼい ちゅうじ、1902年(明治35年)9月9… 坪井 忠二(つぼい ちゅうじ、1902年(明治35年)9月9日 - 1982年(昭和57年)11月19日)は日本の男性地球物理学者、随筆家。東京大学名誉教授。理学博士で、寺田寅彦の弟子として知られている。
菊池 正士(きくち せいし、1902年(明治35年)8月25… 菊池 正士(きくち せいし、1902年(明治35年)8月25日 - 1974年(昭和49年)11月12日)は、日本の物理学者。理学博士(東京大学・1932年)。日本の原子物理学の黎明期を起ち上げた一人である。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。文化勲章、勲一等瑞宝章受章者。贈正三位(没時叙位)。 数学者・教育者・貴族院議員・枢密顧問官として活躍した男爵菊池大麓の四男として東京府に生まれた。 1915年(大正4年)、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業。1920年(大正9年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中学の同級生には、のちに最高裁判所判事となった下村三郎、獨協大学学長となった市原豊太、東京大学名誉教授の坪井忠二、フランス文学者の中島健蔵などがいた。
大河内 信威(おおこうち のぶたけ、1902年7月24日 -… 大河内 信威(おおこうち のぶたけ、1902年7月24日 - 1990年7月12日)は、日本の美術史家、美術評論家、実業家、社団法人日本陶磁協会第5代理事長。 元共産党員。別名・小川信一。号は風船子。一時、磯野姓を名のる。 理化学研究所第3代所長・理研産業団創始者で貴族院議員を務めた子爵大河内正敏の長男。高等師範付属中学時代から左翼思想に興味を抱き、旧制浦和高校に進学すると学内に思想研究会を組織。2年在学時には読売新聞(大正12年5月30日長官)に埼玉県警察の黒表(ブラックリスト)に上がっているとする記事が掲載された。東京帝国大学では学生運動組織「新人会」に参加。小川信一のペンネームで、左翼文化団体の指導者となり、『日本資本主義発達史講座 第2部 資本主義発達史』の「労働者の状態及び労働者運動史」などの著作を発表。
木野崎 吉郎(きのさき よしお、1899年6月2日 - 19… 木野崎 吉郎(きのさき よしお、1899年6月2日 - 1981年10月1日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)生まれ。 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、第八高等学校(現・名古屋大学)を経て、東京帝国大学理学部地質学科に入学。加藤武夫教授の指導を受け、朝鮮安岳鉄山で卒業研究を行う。1924年卒業し、理学部助手に就任。1925~26年陸軍の軍務につく。 1926年から朝鮮総督府地質調査所勤務となり、1944年京城帝国大学(現在のソウル大学)理工学部教授となるも終戦を迎える。1946~48年北海道帝国大学理学部講師嘱託。1948年朝鮮摩天嶺地方の鉱床の研究により理学博士(東京大学)(論文表題は「摩天嶺系中の主要鉱床における共生鉱物の研究」)。
尾高 朝雄(おだか ともお、1899年1月28日 - 195… 尾高 朝雄(おだか ともお、1899年1月28日 - 1956年5月15日)は、日本の法学者(法哲学)。日本学士院会員。第3期日本学術会議副会長。 漢学者で銀行家である尾高次郎の三男として生まれる。大韓帝国の釜山市生まれ。1916年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業した後、第一高等学校、東京帝国大学法学部卒業。初め外交官を志すも、親の反対により諦め、京都帝国大学文学部に進学し、文学部卒業後は大学院で哲学を研究する。京都帝国大学では西田幾多郎、米田庄太郎に師事した。 1927年、兄・豊作と共に、東京社会科学研究所を設立し、所長に大塚金之助を、常務理事に田辺寿利を、所員に杉本栄一や高島善哉を招くなどした。
本多 謙三 (ほんだ けんぞう、1898年11月30日 - … 本多 謙三 (ほんだ けんぞう、1898年11月30日 - 1938年3月7日)は、日本の哲学者。東京商科大学(現一橋大学)予科教授を務めた。唯物論研究会発起人。 兵庫県神戸市塚本通出身。父本多一太郎は神戸商業会議所副会長も務めたマッチ製造業者。神戸市立兵庫小学校を経て、寺尾亨邸に寄宿し、早稲田尋常小学校、東京高等師範附属小学校(現筑波大学附属小学校)、同中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1921年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科2年修了。1924年東京商科大学(現一橋大学)本科卒業。左右田喜一郎門下。 1925年東京商科大学予科兼専門部講師、中央気象台附属気象技術官養成所(現気象大学校)獨乙語講師。
田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982… 田中 薫(たなか かおる、1898年6月11日 - 1982年9月20日)は、昭和の地理学、経済地理学者。神戸大学名誉教授。子爵。
田中 誠二(たなか せいじ、1898年 - 1994年)は、… 田中 誠二(たなか せいじ、1898年 - 1994年)は、日本の法学者。専門は商法。一橋大学名誉教授、法学博士。1981年12月12日から1994年まで日本学士院会員。
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897… 徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。
松平 斉光(まつだいら なりみつ、1897年2月10日 - … 松平 斉光(まつだいら なりみつ、1897年2月10日 - 1979年5月14日)は、政治思想史学者。
槇山 次郎(まきやま じろう、1896年10月16日 - 1… 槇山 次郎(まきやま じろう、1896年10月16日 - 1986年12月5日)は、日本の古生物学者、地質学者、貝類学者。日本貝類学会名誉会長。日本古生物学会元会長、日本地質学会元会長。
渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896… 渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年〈明治29年〉8月25日 - 1963年〈昭和38年〉10月25日)は、日本の実業家、財界人、民俗学者、政治家。第16代日本銀行総裁、第49代大蔵大臣(幣原内閣)。祖父・渋沢栄一から渋沢子爵家当主及び子爵位を引き継いだ。 1896年(明治29年)8月25日、渋沢栄一の長男・篤二と妻・敦子の長男として生まれる(敬三の下に弟が2人がいる)。「敬三」は論語の一節「言忠信にして行篤敬ならば蛮貊()の邦といえども行われん」(衛霊公第十五)より栄一が命名した。敦子の父(母方の祖父)は羽林家の公卿出身の元老院議官を務めた伯爵橋本実梁。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年(明治28年)6… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年(明治28年)6月3日 - 1970年(昭和45年)3月4日)は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、日本芸術院会員。 1895年(明治28年)、神田川の川口に近い神田佐久間町で米問屋を営んでいた富裕な家庭に生まれた。父・鈴木政次郞の二男。東京女子師範附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)に通った。1908年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業し、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進学・中学校では、諸橋轍次が担任であった。1913年に卒業し、直ちに第一高等学校第一部丁類(仏語法科)に進み、翌年よりボードレールの『悪の華』翻訳に取り組んだ。
伊藤 徳之助(正字:德之助)(いとう とくのすけ、1894年… 伊藤 徳之助(正字:德之助)(いとう とくのすけ、1894年(明治27年)12月11日 - 1961年(昭和36年)2月9日)は日本の物理学者。別名:伊藤徳之。専門は地球物理学。
尼子 富士郎(あまこ ふじろう、1893年12月1日 - 1… 尼子 富士郎(あまこ ふじろう、1893年12月1日 - 1972年3月17日)は日本の医師、老年医学者。医学博士。 広島出身の医師で医学中央雑誌の創設者でもある尼子四郎の長男として山口県下松市で生まれ、まもなく一家で上京する。誠之小学校では中川一政と同級生であり、また東京高等師範学校附属中学校の受験のため夏目漱石に英語の個人教授を受けていた。 世界に先駆けて老年医学の重要性に着目し、その研究と教育の先駆者と評価されている。日本老年医学会は「尼子賞」を設けている。 その一方、父から医学中央雑誌の編集を引き継ぎ、全ての文献の採択、抄録の編集、校正に目を通し、それを優先するため生涯国外に出なかった。
矢田部達郎(やたべ たつろう、1893年10月24日-195… 矢田部達郎(やたべ たつろう、1893年10月24日-1958年3月24日)は、心理学者、京都大学名誉教授。
石本 巳四雄(いしもと みしお、1893年(明治26年)9月… 石本 巳四雄(いしもと みしお、1893年(明治26年)9月17日 - 1940年(昭和15年)2月4日)は、日本の地震学者。シリカ傾斜計や加速度地震計を発明したことで知られる。 石本新六陸軍中将の四男として東京小石川で生れる。巳年生まれの四男であったことから巳四雄と命名された。東京高等師範学校付属中学校、第一高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業した。同工科大学造船学科に勤務、1919年(大正8年)三菱造船研究所勤務の後、1921年(大正10年)から1924年(大正13年)までフランスへ留学しポール・ランジュバンの指導を受ける。 帰国後の1925年(大正14年)11月東京帝国大学助教授(地震研究所)に赴任、土地の傾斜をはかるシリカ傾斜計や加速度地震計などを考案し地震の原因としてマグマ貫入説(岩漿貫入地震説)をとなえた。
小池 正朝(こいけ まさとき、明治25年(1892年)1月2… 小池 正朝(こいけ まさとき、明治25年(1892年)1月25日 - 昭和47年(1972年)5月29日)は、日本の泌尿器科学者、医学博士(東北帝国大学)。順天堂大学教授、江東病院初代院長。男爵・小池正直の四男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。
春日井 新一郎(かすがい しんいちろう、1892年(明治25… 春日井 新一郎(かすがい しんいちろう、1892年(明治25年)1月2日 - 1952年(昭和27年)6月3日)は、日本の肥料学者である。 東京府東京市(現在の東京都区部)に生まれる。1905年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1909年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。第一高等学校を経て、東京帝国大学(現在の東京大学)に入学し、農芸化学を専攻した。1918年(大正7年)の卒業後も大学に残り講師や農商務省の技手等を経て、1923年(大正12年)に助教授として務め、1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)の帰国まで肥料の研究のためドイツに留学する。
鷹司 信輔(たかつかさ のぶすけ、1889年4月29日 - … 鷹司 信輔(たかつかさ のぶすけ、1889年4月29日 - 1959年2月1日)は日本の公爵、貴族院議員、明治神宮宮司、鳥類学者。日本鳥学会会長。「鳥の公爵」と呼ばれた。
九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 19… 九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 1941年5月6日)は、日本の哲学者。京都帝国大学教授。文学博士。 1888年、東京府東京市で生まれた。父は文部官僚で男爵の九鬼隆一。祖先は九鬼水軍を率いた戦国武将の九鬼嘉隆。 1904年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。第一高等学校独法科に進むも、文科に転じた。東京帝国大学文科大学に進学し、哲学科ではラファエル・フォン・ケーベルに師事した。卒業後は、同大学大学院に進学。 大学院中退後、妻・九鬼縫子とともに1921年よりヨーロッパ諸国へ足かけ8年間留学。初めドイツに渡り、新カント派のハインリヒ・リッケルトに師事するが、それでは満たされず、のちフランスに渡り、アンリ・ベルクソンと面識を得るなどし、その哲学の強い影響を受けた。
穂積 律之助(ほずみ りつのすけ、1884年(明治17年)8… 穂積 律之助(ほずみ りつのすけ、1884年(明治17年)8月13日 – 1959年(昭和34年)2月23日)は、日本の工学者、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍造船少将。
鳩山 秀夫(はとやま ひでお、1884年2月4日 - 194… 鳩山 秀夫(はとやま ひでお、1884年2月4日 - 1946年1月29日)は、日本の法学者、元衆議院議員。専門は民法。東京都出身。
穂積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 19… 穂積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 1951年7月29日)は、東京府出身の法学者。専門は民法。東京帝国大学教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。東宮大夫兼東宮侍従長。男爵。勲一等旭日大綬章。
柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年〈明治15年〉1月28… 柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年〈明治15年〉1月28日 - 1980年〈昭和55年〉1月28日)は、日本の化学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。東京府出身。 薬学者柴田承桂の息子として東京市神田区駿河台に生まれる。父は当時、東京医学校(東京大学医学部の前身)教授。先祖は代々、尾張藩で侍医を務めた。兄柴田桂太は、のち植物生理学者、東京帝国大学教授。長男は著名な作曲家にして音楽評論家の柴田南雄。 東京高等師範学校附属尋常中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)から旧制第一高等学校を経て、1904年、東京帝国大学理科大学化学科入学、桜井錠二や池田菊苗たちに師事し、1907年卒業。東京帝国大学大学院に進んで松原行一に師事した。
井上 柳梧(いのうえ りゅうご、1880年(明治13年)9月… 井上 柳梧(いのうえ りゅうご、1880年(明治13年)9月21日 - 1962年(昭和37年)3月6日)は、日本の蚕糸学者、政治家。上田蚕糸専門学校第2代校長、上田市長。農学博士。勲二等旭日重光章。 東京府本郷区駒込千駄木町(現東京都文京区)で、官僚・井上廉の息子として生まれた。1893年(明治26年)高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業[要出典]。1898年(明治31年)高等師範学校附属尋常中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業[要出典]。官界を志していたが科学分野への興味がまさり 東京帝国大学農科大学に進み農芸化学を専攻。1908年(明治41年)7月に卒業して大学院に進み、1911年(明治44年)蚕糸研究のためフランス、ドイツ帝国に留学。
島田 翰(しまだ かん、1879年〈明治12年〉1月2日 -… 島田 翰(しまだ かん、1879年〈明治12年〉1月2日 - 1915年〈大正4年〉7月28日)は、日本の漢学者・書誌学者。若くして校勘学で名をあげ、日中の文人と広く交流した一方で、書籍の窃盗などの事件を起こし、37歳のとき自殺した。 字は彦禎または彦楨。号は双桂后人。 1879年(明治12年)1月2日、東京府小石川区(現在の東京都文京区)にて、島田篁村を父とする学者の家系に生まれる。幼少から漢籍を愛し神童と評されたが、吃音を患い会話が苦手だった。 1891年(明治24年)、東京高等師範学校付属尋常中学校に入学、幼馴染の永井荷風や井上唖々と親交する。荷風の回想によれば、彼らはともに軟派で文弱だったため、しばしば同級生の鉄拳制裁の対象になったという。
松本 烝治(まつもと じょうじ、明治10年(1877年)10… 松本 烝治(まつもと じょうじ、明治10年(1877年)10月14日 - 昭和29年(1954年)10月8日)は、日本の商法学者(憲法学者ではない)。東京府士族。法学博士。戦後、憲法草案(松本試案)を作成したことで知られる。
波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1… 波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1950年1月17日)は、日本の哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。
安田 浩(やすだ ひろし)は、日本の計算機科学者。東京電機大… 安田 浩(やすだ ひろし)は、日本の計算機科学者。東京電機大学未来科学部教授。工学博士。東京大学名誉教授。情報システムのセキュリティ専門家認定 (CISSP)。元東京大学国際・産学共同研究センター教授。一般社団法人日本スマートフォンセキュリティ協会会長。
大野 伸彦(おおの のぶひこ)は、日本の医学者、解剖学者。自… 大野 伸彦(おおの のぶひこ)は、日本の医学者、解剖学者。自治医科大学医学部解剖学講座組織学部門教授、自然科学研究機構生理学研究所客員教授。 1995年に筑波大学附属高等学校を卒業し、東京大学理科三類に進学。 2001年、東京大学医学部医学科を卒業し、東京大学医学部附属病院で内科初期臨床研修、公立昭和病院でも内科研修を修了。 2006年、山梨大学大学院医学工学総合教育部博士課程修了、博士(医学)取得。 その後、山梨大学大学院助手・助教、米国クリーブランドクリニック博士研究員、山梨大学准教授、生理学研究所特任准教授、自治医科大学准教授を経て、2018年4月より自治医科大学教授に就任。 2019年4月より生理学研究所客員教授(超微形態研究部門)を兼任。
後藤 由季子(ごとう ゆきこ)は、日本の分子生物学者、生化学… 後藤 由季子(ごとう ゆきこ)は、日本の分子生物学者、生化学者、脳科学者。学位は理学博士(東京大学大学院・1992年)。東京大学大学院薬学系研究科・教授。神経科学および分子生物学を専門とし、脳の発生における神経幹細胞の運命制御などの研究に携わる。 筑波大学附属高等学校、東京大学理学部生物化学科卒業。第25期日本学術会議会員。
清水 孝雄(しみず たかお)は、日本の生化学者。元東京大学大… 清水 孝雄(しみず たかお)は、日本の生化学者。元東京大学大学院医学系研究科教授、東京大学医学部長、東京大学副学長。 生化学・分子生物学、特に脂質代謝と脂質メディエーターの研究を専門とする。また、テニスと登山を趣味としている。東京都千代田区出身。文部科学省の基礎医学研究者育成プログラムなどの推進に貢献。日本医学会副会長を併任。
深田 康算 は、日本の美学者。京都帝国大学教授。山形県生まれ… 深田 康算 は、日本の美学者。京都帝国大学教授。山形県生まれ。父は旧会津藩士深田康守で、その長男。大塚保治とともに日本における美学研究の先駆者となる。中井正一は門下生で、深田の死後その全集の編纂を行った。
藤田 嗣雄 は、日本の法制史学者、上智大学教授。藤田嗣治の兄… 藤田 嗣雄 は、日本の法制史学者、上智大学教授。藤田嗣治の兄。
平田 賢 は、日本の工学者(熱工学)。東京大学名誉教授。
松原 謙一 は、日本の分子生物学者。大阪大学名誉教授。文化勲… 松原 謙一 は、日本の分子生物学者。大阪大学名誉教授。文化勲章受章者。東京都出身。
横田 洋三 は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士… 横田 洋三 は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士。国際基督教大学教授、東京大学教授、中央大学教授を歴任。法務省特別顧問。国際連合大学高等研究所客員教授。国際労働機関(ILO)条約勧告適用専門家委員会委員長。国際法律家委員会委員。公益財団法人人権教育啓発推進センター理事長。
武田 展雄 は、日本の工学者。
堀 俊夫(ほり としお)は、日本のロボット工学者。
小金井 良精 は、明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類… 小金井 良精 は、明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類学者。森鷗外の妹婿であり、星新一の祖父にあたる。陸軍軍医総監椰野巌は甥である。
吉江 尚子(よしえ なおこ)は、日本の化学工学者。専門は環境… 吉江 尚子(よしえ なおこ)は、日本の化学工学者。専門は環境高分子材料科学。東京大学副学長、東京大学生産技術研究所教授。 筑波大学附属高等学校を経て、1988年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部高分子工学科卒業。1990年同大学院理工学研究科高分子工学専攻修了、同助手。1992年博士(工学)。 2003年東京大学生産技術研究所准教授。2005年特許庁工業所有権審議会委員。2010年東京大学生産技術研究所教授。2016年高分子学会副会長。2017年日本学術会議化学委員会高分子化学分科会委員長。2018年日本化学連合副会長、文部科学省科学官。 2020年東京大学男女共同参画室長。2022年東京大学総長特任補佐(男女共同参画)、東京大学男女共同参画室長。
平野 浩彦(ひらの ひろひこ)は、日本の歯科医師・歯学者、医… 平野 浩彦(ひらの ひろひこ)は、日本の歯科医師・歯学者、医学者。東京都健康長寿医療センター病院:歯科口腔外科部長、研究所:研究部長。専門は、高齢者歯科。 1975年東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1981年筑波大学附属中学校・高等学校卒業。日本大学松戸歯学部卒業。以後、東京都老人医療センター研修医、国立東京第二病院研修医、東京都老人医療センター 主事、医長を経て、2009年に東京都健康長寿医療センター研究所専門副部長に就任し、2020年より現職。