スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
本多 俊之(ほんだ としゆき、1957年4月9日 - )は、… 本多 俊之(ほんだ としゆき、1957年4月9日 - )は、日本のジャズサクソフォーン奏者、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。東京芸術大学客員教授。東京都三鷹市出身。父はジャズ奏者・評論家の本多俊夫(モンティ本多)。 成蹊中学校・高等学校、成蹊大学経済学部卒業。父親の影響で中学生時代からサクソフォーンを吹き始め、高校生の時にはジャズクラブで奏者の一員として活動する。しかし、父は俊之が音楽の道へ進むことには反対していたといい、死去するまで認められることはなかった。 大学在学中に初のリーダー・アルバムをリリース。その後は国内外問わず数多のミュージシャンと共演し、日本を代表するサクソフォーン奏者に数えられる。
根村 亮(ねむら りょう、1957年 - )は思想史家。専門… 根村 亮(ねむら りょう、1957年 - )は思想史家。専門はロシア思想史。新潟工科大学工学部教養系教授。 1957年、作家で英文学者の丸谷才一と演劇評論家の根村絢子の長男として東京に生まれた。成蹊高等学校を経て、1983年、横浜国立大学経済学部国際経済学科を卒業。一橋大学大学院社会学研究科に進んで、中村喜和に師事した。修士課程修了後、1992年に一橋大学大学院社会学研究科博士課程を単位取得満期退学。 その後は、1992年から1993年まで一橋大学助手。1995年から新潟工科大学工学部物質生物システム工学科助教授。2010年に新潟工科大学工学部教養系教授に昇進。
宮村 一夫(みやむら かずお、1956年〈昭和31年〉8月2… 宮村 一夫(みやむら かずお、1956年〈昭和31年〉8月2日 - )は、日本の化学者、随筆家、全国通訳案内士。専門は分析化学・錯体化学。学位は工学博士(東京大学・論文博士・1989年)(学位論文「平面正方形型銅(2)及びニッケル(2)錯体の立体化学的研究」)。吉川貞雄門下。東京理科大学名誉教授。 元東京理科大学理学部第一部学部長兼大学院理学研究科長、大学院総合科学研究科幹事、東京理科大学評議員。日本化学会理事、化学遺産委員長(第2代)。その他、東京大学・早稲田大学講師、日本分析化学会副会長・理事、日本鉄鋼協会理事、日本分光学会理事、法務省司法試験予備試験考査委員・大学入試センター試験作問委員を歴任した。
福井 源(ふくい げん、1956年7月27日 - )は、日本… 福井 源(ふくい げん、1956年7月27日 - )は、日本の実業家。
如月 小春(きさらぎ こはる、本名:楫屋 正子〈かじや まさ… 如月 小春(きさらぎ こはる、本名:楫屋 正子〈かじや まさこ〉、出生名:伊藤 正子、1956年2月19日 - 2000年12月19日)は、劇作家、演出家、エッセイストである。東京都杉並区出身。東京女子大学文理学部哲学科卒業。 1970年代後半から劇作家・演出家として活動し、野田秀樹・渡辺えり子らとともに小劇場第三世代の旗手として注目された。また、エッセイストとしての著作も多く、司会者・コメンテーターなどとしてもテレビにも出演していたほか、アジア女性演劇会議実行委員長・日本ユネスコ国内委員会委員・兵庫県立こども館演劇活動委員・立教大学講師なども歴任した。 小学校時代を中野区の哲学堂公園付近、中学・高校時代を武蔵野市の成蹊中学校・高等学校で過ごし、その間、同校と交換留学制度のあるオーストラリアのニューサウスウェールズ州カウラ高等学校に留学した。
渡邉 優(わたなべ まさる、1956年 - )は、日本の外交… 渡邉 優(わたなべ まさる、1956年 - )は、日本の外交官、研究者。 成蹊大学客員教授。神田外語大学非常勤講師。子ども大学くにたち理事。日本国際問題研究所客員研究員。専門分野は国際関係論、外交論、イベロアメリカ、スペイン語。国連英検特A級面接官。 東京都出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校を経て、1980年東京大学法学部卒業、外務省入省。 海外ではブラジル、スペイン、ジュネーブ国際機関代表部(参事官)、フィリピン(公使)、アルゼンチン(公使)、リオデジャネイロ(総領事)に勤務。本省では欧亜局西欧第二課長、大臣官房審議官(欧州局兼中南米局兼経済局担当)などを歴任し、中東アフリカ局兼アフリカ部審議官を経て、2013年農畜産業振興機構理事。
石坂 泰章(いしざか やすあき、1956年 - )は、株式会… 石坂 泰章(いしざか やすあき、1956年 - )は、株式会社 サザビーズジャパン 代表取締役会長兼社長。東京藝術大学非常勤講師。 1956年、東京都生まれ。祖父は経団連会長を務めた石坂泰三。幼少期は日本、アメリカ、イギリス、ドイツで育つ。成蹊高等学校時代はラグビー部所属。1980年、成蹊大学法学部卒。1980〜1987年、三菱商事勤務。1987〜2005年、二十世紀美術の画廊を経営。国公立美術館にクールベからリヒターまで幅広く名作を収め、現代美術の企業コレクションを立ち上げる。2005~2014年サザビーズジャパン代表取締役社長を務め、数々の大型取引を手掛けた。2015〜2018年8月アート業界30年の経験を活かし、美術館、個人、企業にコレクションの形成及び売却、展覧会企画を中心にアドバイス。
池田 城久(いけだ しろひさ、1955年(昭和30年)10月… 池田 城久(いけだ しろひさ、1955年(昭和30年)10月1日 - 1984年(昭和59年)10月3日)は、日本の教育者。創価大学職員。創価学会名誉会長である池田大作の次男。 1955年、池田大作と池田香峯子の夫妻の次男として東京都内で生まれる。成蹊中学校・成蹊高等学校を卒業し、創価大学に入学。創価大学を卒業後は大学本部の職員を務め、創価学会の教育者として大学教育に尽力した。 1984年(昭和59年)10月3日、胃穿孔のため死去。29歳没。
安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年〈昭和29年〉9月21… 安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年〈昭和29年〉9月21日 - 2022年〈令和4年〉7月8日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。雅号は天山。 内閣総理大臣(第90・96・97・98代)、内閣官房長官(第72代)、内閣官房副長官(政務担当)、衆議院議員(10期)、自由民主党総裁(第21・25代)、自由民主党幹事長(第41代)、自由民主党幹事長代理、清和政策研究会会長(第10代)を歴任した。 2012年(平成24年)から2020年(令和2年)にかけて、日本の憲政史上最も長く内閣総理大臣を務めたことで知られる。内閣総理大臣退任後も自民党憲法改正推進本部の最高顧問や清和政策研究会の会長に就任するなど党内で強い影響力を有したが、2022年に安倍晋三銃撃事件により急逝した。
馬場 康夫(ばば やすお、1954年〈昭和29年〉8月18日… 馬場 康夫(ばば やすお、1954年〈昭和29年〉8月18日 - )は、日本の制作会社経営者であり、著述家、映画監督、漫画原作者、YouTuberである。 ホイチョイ・プロダクションズ(東京都世田谷区)代表取締役社長。 東京都生まれ。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校、成蹊大学工学部卒業(政治家の安倍晋三とは幼稚園~大学までを過ごした親友)。 日立製作所元専務・馬場粂夫の孫にあたり、母方の祖父は建築家の藤井厚二である。 高校時代に8ミリ映画を撮り始めた(最初に出演してくれた友人の吉岡文男と田中真理子に敬意を表して、自身の全映画作品には必ず「文男」「真理子」という役名を登場させている)。 成蹊大学在学中に、同級生らとホイチョイ・プロダクションズを設立、漫画同人誌の発行や8ミリ映画の制作を行った。
吉永 泰之(よしなが やすゆき、1954年3月5日 - )は… 吉永 泰之(よしなが やすゆき、1954年3月5日 - )は、日本の実業家。学位は、学士(経済学)(成蹊大学・1977年)。SUBARU(旧:富士重工業)社長を務めた。 1977年に成蹊大学経済学部卒業後、同年4月に富士重工業(現:SUBARU)入社。 2011年(平成23年)6月から2018年(平成30年)6月までの7年間、社長を務め、軽自動車や汎用エンジンの生産や風力発電事業から撤退して事業の選択と集中を進めるとともに、安全技術の「アイサイト」を強化するなどブランド力を高めた。主力の米国事業の拡大により、就任から約7年で世界販売を約6割拡大させ、2016年には初めて世界販売を100万台に乗せた。
立川 らく朝(たてかわ らくちょう、1954年1月26日 -… 立川 らく朝(たてかわ らくちょう、1954年1月26日 - 2021年5月2日)は、日本の落語家で内科医師(医学博士)。落語立川流所属。笑いと健康学会理事、日本ペンクラブ会員。表参道福沢クリニック院長。ワタナベエンターテインメント所属。 長野県飯田市生まれ。飯田市立飯田東中学校を卒業後、上京。成蹊高等学校を経て、1979年、杏林大学医学部卒業。慶應義塾大学医学部内科学教室へ入局。慶応健康相談センター(人間ドック)医長を勤める。学位論文は「脳血管障害におけるLDLコレステロール代謝の異常について」。 高校時代から新宿末廣亭に通っていたが、大学生時代には落語研究会に所属、大学3年の時には私立医科大学5校で関東医科学生落語連盟を創設。
飯田 永太(いいだ えいた、1953年9月24日 - )は、… 飯田 永太(いいだ えいた、1953年9月24日 - )は、株式会社テンアライド代表取締役社長。 東京都出身。父は、居酒屋チェーン「天狗」のテンアライドを創業した飯田保。 成蹊中学校・高等学校、成蹊大学経済学部を卒業後、1976年に東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)へ入社。 1978年にテンアライド株式会社へ転じ、1988年に同社代表取締役社長に就任した。
播野 勤(はりの つとむ、1953年6月30日 - )は、タ… 播野 勤(はりの つとむ、1953年6月30日 - )は、タマノイ酢株式会社代表取締役兼タマノイグループ代表。タマノイ酢代表取締役社長を歴任した。 大阪府出身。成蹊学園(成蹊中学校・高等学校・成蹊大学経済学部)を卒業。大学卒業後、ソントン食品工業株式会社に就職。資金、財務、電算、社長室等、管理部門を担当。1979年タマノイ酢株式会社に入社。管理部長、常務取締役、専務取締役、代表取締役社長を経て現在に至る。1980~1981年日本生産性本部出向、日本生産性本部認定経営コンサルタント。 人間を中心にした経営を行い、会社は売り上げや利益ではなく、社員の成長の場と位置づけている。また、社員やビジネスの可能性の追求を目指し、社員の中から医師や調理師、フードコーディネーター、オリンピックを目指すアスリートなどを育てては、更に夢を膨らませている。
古屋 圭司(ふるや けいじ、1952年〈昭和27年〉11月1… 古屋 圭司(ふるや けいじ、1952年〈昭和27年〉11月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、衆議院憲法審査会会長。 国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)、拉致問題担当大臣、国土強靭化担当大臣(第2次安倍内閣)、経済産業副大臣(第1次小泉内閣)、法務政務次官(村山改造内閣)、衆議院文部科学委員長・商工委員長・議院運営委員長、自由民主党選挙対策委員長(第4・14代)などを歴任。 旧姓は松本。伯父は自治大臣を務めた元自民党衆議院議員の古屋亨。 東京都出身(本籍地は岐阜県恵那市大井町で、選出選挙区の岐阜5区に含まれる)。出生時の姓は松本であったが、母方の伯父にあたる古屋亨の養子になったため、以後古屋姓を名乗る[要出典]。
長瀬 朋彦(ながせ ともひこ、1952年10月28日 - )… 長瀬 朋彦(ながせ ともひこ、1952年10月28日 - )は、株式会社IMAGICA GROUP代表取締役社長。 大東亜戦争終結の7年後、男ばかりの4人兄弟の3男として芦屋市で誕生した。人柄は温厚。まじめで、誠実。明るい性格で、楽観的。 父彰造は、長瀬産業株式会社の6代目社長であった。2006年5月に亡くなっている。母恵子は、住友信託銀行会長、福山善治郎の二女。1935年に株式会社極東現像所(現・IMAGICA GROUP)を設立した、長瀬徳太郎は朋彦の祖父に当たる。 一貫して私立の学校に通ったため、受験らしい受験の経験がない。甲南小学校に入学。1963年1月かに家族で芦屋から成城へ移住し、成城学園に転入。
安倍 寛信(あべ ひろのぶ、1952年〈昭和27年〉5月30… 安倍 寛信(あべ ひろのぶ、1952年〈昭和27年〉5月30日 - )は、日本の実業家。ABコミュニケーション(不動産会社)代表取締役、三菱商事パッケージング元代表取締役社長。父は政治家の安倍晋太郎、弟は元内閣総理大臣の安倍晋三と元防衛大臣の岸信夫。 安倍晋太郎・洋子夫妻の長男として東京に生まれる。成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て1971年に成蹊大学経済学部に入学した。 1975年3月に成蹊大学を卒業、翌4月に三菱商事に入社し、資源第三部に配属される。東京、広島、九州、トロント、ロンドン等においてビールや資材の取引及び事業投資先を総括する業務に従事したのち、2004年2月に三菱商事中国支社長、2007年4月に三菱商事執行役員に就任、2012年6月から三菱商事パッケージング代表取締役社長を務めた。
今井 恵子(いまい けいこ、1952年1月1日 - )は、日… 今井 恵子(いまい けいこ、1952年1月1日 - )は、日本の歌人。 東京生。1975年、早稲田大学国語国文学専攻科修了。早稲田大学教育学部在学中の1973年「まひる野」に入会、窪田章一郎、武川忠一の指導を受ける。1977年、角川短歌賞次席(筆名・木村恵子)。1982年「音」創刊に参加(2002年退会)。2003年に高橋みずほ・吉野裕之と短歌ユニット[BLEND]を結成し冊子[BLEND]を刊行(2006年解散)。2006年「まひる野」再入会、2014年より編集委員および選歌委員。この間にフェリス女学院大学非常勤講師(1996~2021年)、日本歌人クラブ中央幹事(2017~2022年)などのほか、早稲田大学非常勤講師、短歌教室の講師などを務める。
相賀 昌宏(おうが[おおが] まさひろ、1951年3月20日… 相賀 昌宏(おうが[おおが] まさひろ、1951年3月20日 - )は、日本の実業家、出版事業家。小学館第3代社長、一ツ橋綜合財団理事長。東京都出身。 小学館の第2代社長である相賀徹夫の長男として東京に生まれる。祖父は小学館創業者の相賀武夫。 成蹊中学校・高等学校を経て、1973年成蹊大学法学部を卒業、1976年中央大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了。学位は社会学修士。 1976年 日本郵趣出版入社、月刊誌「郵趣」などの編集に従事する。 1982年 小学館入社、取締役。 1984年 小学館 常務取締役。 1989年 教育編集部本部長、第一編集部本部長などを経て小学館 専務取締役。 1992年 小学館 代表取締役。
長瀬 文男(ながせ ふみお、1950年〈昭和25年〉12月8… 長瀬 文男(ながせ ふみお、1950年〈昭和25年〉12月8日 - )は、日本の実業家。IMAGICA GROUP会長。 成蹊高等学校卒業。1973年3月、成蹊大学工学部経営工学科卒業後、同年4月に三菱商事へ入社。 1980年8月、東洋現像所(現・株式会社エフ・イー・エル)入社。1983年3月、米国・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)経営大学院でMBA取得。 1992年6月に同社代表取締役社長となり、2009年1月に株式会社ロボット代表取締役会長となる。 2009年6月にイマジカ・ロボット ホールディングス(旧IRHD)代表取締役会長 グループCEOとなり、2011年4月、新IRHD代表取締役会長 グループCEOとなっている。
岩井 奉信(いわい ともあき、1950年8月10日 - )は… 岩井 奉信(いわい ともあき、1950年8月10日 - )は、日本の政治学者。専門は、政治学、現代日本政治、立法過程に関する研究。日本大学名誉教授。武蔵野大学客員教授・21世紀臨調委員・社会経済生産性本部評議員・政策研究フォーラム理事・BS日本番組審議会委員を歴任。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校を経て、1976年(昭和51年)日本大学法学部法律学科卒業。1981年(昭和56年)慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。 1981年慶應義塾大学新聞研究所非常勤講師、1983年常磐大学人間科学部専任講師、1987年常磐大学人間科学部助教授を経て、1992年(平成4年)常磐大学人間科学部教授。
河北 博文(かわきた ひろぶみ、1950年〈昭和25年〉6月… 河北 博文(かわきた ひろぶみ、1950年〈昭和25年〉6月25日 - )は、日本の医師、病院経営者である。社会医療法人河北医療財団理事長。社会医療法人河北医療財団河北総合病院理事長。日本医療機能評価機構専務理事、東京都病院協会名誉会長。過去には日本病院会副会長、東京都病院協会会長、医療保険審議会委員、老人保健審議会委員、行政改革推進本部規制改革委員会参与・委員・専門委員なども歴任した。 成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校、慶應義塾大学医学部、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程、シカゴ大学ビジネススクールでそれぞれ学ぶ。 医療機能の第三者評価を行う日本医療機能評価機構の設立を主導したことで知られる。
淺沼 健一(あさぬま けんいち、1950年2月17日 - 2… 淺沼 健一(あさぬま けんいち、1950年2月17日 - 2018年6月23日)は、日本の実業家。淺沼組代表取締役社長や、全国建設業協会会長等を歴任した。 奈良県出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校を経て、1973年成蹊大学経済学部経営学科卒業、淺沼組入社。1985年取締役本社海外事業部次長に昇格。1989年常務取締役本社人事部長。1991年代表取締役常務社長室長兼本社人事部長。1992年代表取締役専務社長室長。1995年から代表取締役社長を務め、阪神・淡路大震災が起こると神戸支店を設置。本業の再生により行政気回復を実現させたほか、IRや情報通信技術活用の強化なども進めた。2004年大阪建設業協会会長。
藤田 雄山(ふじた ゆうざん、1949年〈昭和24年〉4月1… 藤田 雄山(ふじた ゆうざん、1949年〈昭和24年〉4月19日 - 2015年〈平成27年〉12月18日)は、日本の政治家。参議院議員、広島県知事(第59、60、61、62代)。 1989年、参院選に自民党から立候補し当選。任期途中の1993年に広島県知事選に44歳で初当選、当時全国最年少の知事に就任。4期16年務めた。参議院議長を務めた藤田正明の長男。 1949年4月19日生まれ。広島県広島市翠町(現:南区翠)出身。藤田正明の長男。父親の藤田正明は藤田組(現:フジタ)に勤務(後に同社副社長)。弟が2人、妹が1人いる。 修道高等学校から成蹊高等学校に転入。1972年3月、慶應義塾大学商学部卒業。
風戸 裕(かざと ひろし、1949年3月13日 - 1974… 風戸 裕(かざと ひろし、1949年3月13日 - 1974年6月2日)は、日本のレーシングドライバー。1960年代後半から1970年代前半にかけて活躍し、当時の日本人ドライバーの中で「F1に最も近い男」と呼ばれた。通算成績は、全カテゴリー含め55戦8勝。 風戸レーシングリミテッドのオーナー兼ドライバーとして、レースをビジネスとして運営しようと試み、今日のプライベートレーシングチーム形態の先駆けになったと評される。 また自身のレーシングマシンメンテナンスのために、今日まで活動を続ける老舗コンストラクター、ノバ・エンジニアリングを設立した。 1949年3月13日、当時電子顕微鏡技術において最先端を行き、世界中から大きな評価を得たことで知られる日本電子光学研究所(JEOL)創立者である風戸健二の次男として千葉県茂原市に生まれる。
後藤 高志(ごとう たかし、1949年〈昭和24年〉2月15… 後藤 高志(ごとう たかし、1949年〈昭和24年〉2月15日 - )は、日本の実業家。西武ホールディングス代表取締役会長 会長執行役員兼CEO、西武鉄道取締役会長、埼玉西武ライオンズ取締役オーナー、プリンスホテルズワールドワイド取締役、西武リアルティソリューションズ取締役、ところざわサクラタウンアドバイザーリーボード。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校、東京大学経済学部を卒業後、第一勧業銀行(現:みずほ銀行)入行。大学時代はラグビー部に所属した。企画部副部長時代、総会屋利益供与事件に揺れる社内で「4人組」として改革の先頭に立つ。 2005年5月、メインバンクであるみずほコーポレート銀行(現:みずほ銀行)副頭取から、有価証券報告書への虚偽記載で揺らいだ西武鉄道社長に就任し、会社の体質の改革を掲げ、株主に「早期にいい形で」上場すると宣言。
草間 高志(くさま たかし、1949年(昭和24年)1月8日… 草間 高志(くさま たかし、1949年(昭和24年)1月8日 - )は、日本の実業家。みずほ証券顧問。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校、成蹊大学法学部卒業後、興銀入行。同期入行にはメリルリンチ日本証券会長を務める中山恒博らがいた。 新日本証券と和光証券が合併して誕生した新光証券の設立を主導し、同社の旧みずほ証券との合併を成功裏にまとめ上げ、みずほ証券発足の際には代表取締役会長に就任したが、2011年(平成23年)6月の株主総会を以って顧問に退いた。2019年、旭日中綬章受章。
河原 功(かわはら いさお、1948年 - )は、台湾文学研… 河原 功(かわはら いさお、1948年 - )は、台湾文学研究者。東京都生まれ。成蹊大学大学院修士課程修了、成蹊高等学校教諭。
斯波 恒正(しば つねまさ、1948年 - )は、日本の経済… 斯波 恒正(しば つねまさ、1948年 - )は、日本の経済学者。専門は、計量経済学・計量ファイナンス。一橋大学名誉教授。一橋大学大学院経済学研究科教授兼筑波大学社会工学系教授や、早稲田大学大学院経営管理研究科教授を務めた。ペンシルベニア大学経済学博士(Ph.D. in Economics)。筑波大学社会工学研究科長在職中は楠本捷一朗博士課程長の指導の下、社会工学研究科博士課程に計量ファイナンス・マネジメント専攻の開設にあたった。
堀 新太郎(ほり しんたろう、1948年 - )は日本の経営… 堀 新太郎(ほり しんたろう、1948年 - )は日本の経営コンサルタント。ベインキャピタル・ジャパン会長。UCC上島珈琲株式会社監査役。東京都渋谷区松濤在住。
上原 徹(うえはら とおる、1947年12月10日 - )は… 上原 徹(うえはら とおる、1947年12月10日 - )は、日本のミュージシャン、テレビプロデューサー。フジパシフィックミュージック代表取締役社長。フジクリエイティブコーポレーション(FCC)取締役CPO。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事、日本音楽出版社協会(MPAJ)理事。東京都出身。 成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。小学校から大学卒業までずっと成蹊学園で過ごす。 成蹊大学文学部在学中にフォー・セインツを結成、リーダーでボーカル・ギターを担当。1968年、東芝レコード(のちのEMIミュージック・ジャパン)から「小さな日記」でデビュー。ちなみに、当時契約していた音楽出版社がパシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)であった。
丸山 浩一(まるやま こういち、1947年(昭和22年)11… 丸山 浩一(まるやま こういち、1947年(昭和22年)11月30日 - )は、日本の政治家、医師。元東京都西東京市長(2期)。 東京都保谷市出身。成蹊高等学校卒業。1973年(昭和48年)、東京慈恵会医科大学卒業。1975年(昭和50年)、東京慈恵会医科大学心臓血管外科に入局。 2013年(平成25年)2月3日執行の西東京市長選挙に無所属で立候補。元西東京市議会議員の森輝雄、共産党西東京市委員長の杉山昭吉ら2人の候補者を破り、初当選。投票率は36.93%。同年2月18日、市長に就任。 2017年(平成29年)、日本共産党新人を破り再選。投票率は32.90%で過去最低を記録した。 2021年の市長選挙には立候補せず2期で退任。
牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7… 牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7日 - 2010年〈平成22年〉5月29日)は、日本の政治活動家。通称は爆弾屋。アナーキスト、新左翼、民族派の活動家 三菱重工業社長として采配を振り、のちに牧田天皇と呼ばれた牧田與一郎の6人きょうだいの末子(4男)として静岡市に生まれる。1950年、東京都新宿区諏訪町(現在の高田馬場)の社宅に移り住み、1959年まで住み続ける。少年時代は昆虫好きの理科少年だった。のち家族と共に世田谷区下馬を経て港区高輪へ転居。 1959年4月、新宿区立戸塚第二小学校を経て、三菱財閥系列の成蹊中学校に入学。テニス部と生物部を経て登山部に入部。成蹊高等学校在学時代は学校に対して反抗的な態度を続けたため、同校卒業生中ただ一人成蹊大学への推薦を拒否され、1965年に一般入試で同大学政治経済学部と文学部に合格し、文学部文化学科に進む。
森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )… 森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )は、日本の自動車技術者、レーシングカーデザイナー、モータースポーツ解説者、ノバ・エンジニアリング技術部長および取締役副社長。東京都出身。成蹊大学工学部卒業。 1968年に成蹊大学工学部を卒業し、ホンダに入社、本田技術研究所に配属され四輪車の車体・サスペンションの設計を担当。上司は第1期ホンダF1の車体設計者として知られる佐野彰一。同期には元ホンダ社長の福井威夫、第2期ホンダF1のプロジェクトリーダーからマクラーレン・フェラーリ・ザウバーのエンジニアに転身した後藤治らがいる。 1973年にホンダを退社して渡英。イギリスのレーシングカーコンストラクターであるGroup Racing Development(英語版) (GRD) 社に入社。
寺崎 修(てらさき おさむ、1945年12月24日 -202… 寺崎 修(てらさき おさむ、1945年12月24日 -2022年12月3日)は、日本の歴史学者・政治学者。専攻は、日本政治史・日本政治思想史。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1987年)。慶應義塾大学名誉教授。武蔵野大学元学長。 世田谷区立烏山北小学校、成蹊中学校・高等学校、1968年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1970年同大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。1987年慶應義塾大学より法学博士の学位を取得。 1977年中部女子短期大学専任講師。1978年駒澤大学法学部専任講師、1982年助教授、1988年教授。1997年慶應義塾大学法学部教授、2008年名誉教授。同年武蔵野大学学長、2016年退任。
上杉 邦憲(うえすぎ くにのり、1943年(昭和18年)4月… 上杉 邦憲(うえすぎ くにのり、1943年(昭和18年)4月18日 - 2025年(令和7年)12月12日)は、日本の宇宙工学者。専門は、宇宙航行力学・システム工学。学位は、工学博士(東京大学・1977年)(学位論文「Optimum low-thrust multiple rendezvous(低推力による多数回ランデヴーの最適化に関する研究)」)。東京大学宇宙航空研究所助教授・文部省宇宙科学研究所教授・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部教授などを歴任。上杉氏第32代当主。山形県生まれ。 上杉隆憲・敏子夫妻の長男で、旧米沢藩主上杉家の17代当主にあたる(山内上杉家では32代目)。また、母・敏子は徳川宗家17代当主・徳川家正と、最後の薩摩藩主・島津忠義の娘・正子の次女である。
山本 亘(やまもと せん、1943年〈昭和18年〉1月21日… 山本 亘(やまもと せん、1943年〈昭和18年〉1月21日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。身長165 cm。体重55 kg。 成蹊大学政治学科、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻、フランス・ジャック・ルコック学校各卒業。兄は同じく俳優の山本學、山本圭。建築家の山本勝巳の三男で、叔父に映画監督の山本薩夫がいる。 劇団俳優座、仕事に所属していた。
小山 利彦(こやま としひこ、1943年 - )は、日本の国… 小山 利彦(こやま としひこ、1943年 - )は、日本の国文学者。専門は王朝文学、『源氏物語』。博士(文学)(國學院大学・論文博士・1994年)(学位論文「源氏物語論 -聖空間の構造」)。 山形県出身。1968年、國學院大學文学部国文科卒業。1971年、成蹊高等学校教諭。1973年、國學院大學大学院文学研究科博士課程満期退学、昭和女子大学国文学科専任講師。1975年、同助教授。1979年、専修大学文学部助教授、1983年、同教授。 1994年「源氏物語論 -聖空間の構造」で、國學院大学より博士(文学)の学位を取得。
谷 正紀(たに まさのり、1942年10月29日 - )は、… 谷 正紀(たに まさのり、1942年10月29日 - )は、三菱自動車工業元代表取締役副社長、成蹊中学校・高等学校元校長。 愛知県名古屋市出身。1966年に成蹊大学工学部卒業後、同年4月に三菱重工業入社。1970年4月に、三菱自動車工業株式会社分社に伴い同社に移籍した。
若林 貴世志(わかばやし きよし、1942年10月3日 - … 若林 貴世志(わかばやし きよし、1942年10月3日 - 2016年3月31日)は、元・株式会社東京放送ホールディングス取締役、同社社長室顧問。プロ野球・横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)元オーナー。東京都出身。成蹊大学政治経済学部卒業。長男は脚本家の一雫ライオン。
古川 紘一(ふるかわ こういち、1942年9月16日 - )… 古川 紘一(ふるかわ こういち、1942年9月16日 - )は、日本の実業家。森永乳業代表取締役社長や、日本乳業協会会長を務めた。 国鉄の技術者だった古川太郎の長男として、広島県広島市に生まれる。 成蹊中学校・高等学校を経て成蹊大学経済学部を卒業する。 1965年森永乳業入社、1993年業務用食品部部長、1997年取締役に就任、2003年6月より社長。2010年日本乳業協会会長。2012年6月に社長を退任し、相談役となる。 2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。
串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、… 串田 和美(くしだ かずよし、1942年8月6日 - )は、日本の俳優、演出家。日本大学芸術学部特任教授。佐々木高行は高祖父にあたる。所属事務所は鈍牛倶楽部。 東京都小金井市出身。成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業。日本大学芸術学部演劇学科中退。 父は哲学者・詩人の串田孫一。弟はグラフィックデザイナーの串田光弘。祖父は三菱銀行初代会長を務めた串田万蔵。母方の祖父は國學院大學理事長・学長を務めた侯爵の佐佐木行忠。行忠の祖父が佐々木高行。 1965年俳優座養成所を卒業し劇団文学座入団。 1966年佐藤信、斎藤憐、吉田日出子らと共に自由劇場を結成。六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」を本拠地とする。
下河辺 俊行(しもこうべ としゆき、1942年6月14日 -… 下河辺 俊行(しもこうべ としゆき、1942年6月14日 - )は、日本の実業家。下河辺牧場代表。 下河辺孫一の長男として東京府(現・東京都)に生まれる(出生地は北海道浦河郡浦河町)。 成蹊中学校・高等学校を経て、1965年成蹊大学政治経済学部経営学科卒業後、日本鉱業(後のジャパンエナジー、現・ENEOS)入社。翌年退社して父が競走馬を育成するために千葉県に設立した下河辺牧場に入社、1969年北海道沙流郡門別町(現・日高町)にある日高支場の代表となった。 父・孫一の死後下河辺牧場の代表となり、千葉県の牧場を「下河辺トレーニングセンター」と改称、弟の行信が代表となった。下河辺牧場は日高の牧場が核となっており、俊行の長男・行雄は繁殖を、次男・隆行は育成・調教を担当している。
東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 20… 東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 2000年11月14日)は、日本の俳優・声優。旧芸名は東野孝彦。 東京市淀橋区大久保(現、東京都新宿区大久保)出身。成蹊高等学校卒業。 東野英治郎の長男。妻は服部マリ。長男は東野克(とうの かつ)。身長170cm、体重83kg。 高校卒業後、俳優座養成所に第12期生として入所(妻は養成所の1期後輩にあたる)。 1962年、『青べか物語』で映画初出演を果たす。 1965年から1976年までは東野孝彦の芸名で活動し、その後は本名に戻す。 『ウルトラマンタロウ』(TBS)で明るいキャラクターを活かして、ZATの荒垣修平 副隊長役を好演。『花神』(NHK総合)では井上聞多(馨)役を演じ、尾藤イサオの小柄な伊藤俊輔(博文)と凸凹コンビを組んで元勲の青春像を演じた。
竹谷 靱負(たけや ゆきえ、本名:竹谷 誠(たけや まこと)… 竹谷 靱負(たけや ゆきえ、本名:竹谷 誠(たけや まこと)、1941年11月2日 - 2025年2月19日)は、日本の富士山文化の研究者、富士信仰の研究者、元教育情報工学者。理学博士。拓殖大学名誉教授、富士山御師の末裔。富士山文化研究会会長、富士学会理事などを務める。東京都武蔵野市出身。 1941年(昭和16年)11月2日、富士山北口の御師(山梨県富士吉田市)である竹谷家の長子として誕生。父親は出生前に出征、戦死、母親の生家である東京武蔵野市で育つ。 成蹊高等学校を卒業後、早稲田大学理工学部応用物理学科に入学、1967年(昭和42年)早稲田大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了、同年より日本電気株式会社(NEC)中央研究所勤務。
加藤 良三(かとう りょうぞう、1941年9月13日 - )… 加藤 良三(かとう りょうぞう、1941年9月13日 - )は、日本の外交官、12代プロ野球コミッショナー、三菱商事特別顧問で2009年6月より社外取締役。埼玉県生まれ、秋田県由利郡由利町(のちの由利本荘市)出身。 成蹊高等学校を経て東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。東大法学部在学中に外務公務員試験に合格し、1965年(昭和40年)に外務省入省。イェール大学で英語研修。 アメリカンスクール(英語研修組)のエースとして早くから嘱望されていた。1995年(平成7年)、北朝鮮外交に対応するため、加藤がアジア局長に、同期でアメリカンスクールの折田正樹が北米局長に任命された。総合外交政策局長、外務審議官(政務担当)などを歴任し、2001年(平成13年)10月に駐米大使に任命される。
岡部 牧夫(おかべ まきお、1941年8月8日 - 2010… 岡部 牧夫(おかべ まきお、1941年8月8日 - 2010年12月6日)は、日本の文筆家、歴史学者。 東京市渋谷区代々木生まれ。本名・岡部 長興(おかべ ながおき)。太平洋戦争中は新潟県小出に疎開し、戦後は神奈川県で母方の祖父・岩崎輝弥が経営していた子安農園に住んだ。森村学園小学校、成蹊中学、成蹊高校から1965年に成蹊大学政治経済学部卒業。中学・高校教員、雑誌『アルプ』編集委員を経て、1971年に長野県諏訪郡富士見町へ移住し、自然や環境についての文筆活動を行った。さらに、高校時代の恩師である荒井信一に誘われたのがきっかけで、日本近現代史研究、特に植民地支配や天皇制についての研究を進めた。1993年から串田孫一らとともに財団法人自然保護助成基金の評議員を務めた。
黒川 洸(くろかわ たけし、1941年7月15日 - 202… 黒川 洸(くろかわ たけし、1941年7月15日 - 2023年9月13日)は、日本の都市工学者。工学博士。東京工業大学名誉教授、筑波大学名誉教授。専攻は交通計画、都市計画など。曾祖父(祖母の父)は男爵の黒川通軌。祖父は元大邱覆審法院検事長の黒川譲。父は元司法省次官で男爵の黒川渉。兄は医学者で東京大学名誉教授の黒川清。外叔父(母の弟)は教育心理学者の続有恒。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校を経て、1964年東京大学工学部土木工学科卒業。1970年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。同年建設省に入省。建築研究所都市施設研究室長、筑波大学社会工学系助教授、同教授、東京工業大学大学院教授、早稲田大学大学院客員教授、同理工学総合研究センター客員教授を歴任。
上原 明(うえはら あきら、1941年〈昭和16年〉4月5日… 上原 明(うえはら あきら、1941年〈昭和16年〉4月5日 - )は、日本の実業家。大正製薬相談役。 大正製薬ホールディングス代表取締役社長、大正製薬代表取締役社長および代表取締役会長、城西大学理事長を歴任した。 住友銀行頭取・堀田庄三の二男として、東京都港区麻布に生まれる。 成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て慶應義塾大学経済学部に進学し、米国のミズーリバレーカレッジ、ダートマス大学経営学科大学院に留学。帰国後、休学していた慶應義塾大学に復学し卒業した。 1966年(昭和41年)4月、日本電気株式会社(NEC)入社。 大正製薬社長・上原昭二(現在は名誉会長)の長女である正子(武蔵野音楽大学出身)との結婚を機に、1977年(昭和52年)に大正製薬に入社し、取締役総務部長に就任。
斎藤 憐(さいとう れん、本名:安彦 憐(あびこ れん)、1… 斎藤 憐(さいとう れん、本名:安彦 憐(あびこ れん)、1940年12月25日 - 2011年10月12日)は、日本の劇作家。 日本統治時代の朝鮮半島の平壌で生まれる。 成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校卒業(1959年高校卒業)。在学中は、演劇部に所属。 早稲田大学第二文学部露文科中退。1966年俳優座養成所を卒業し、劇団自由劇場結成に参加する。1968年には佐藤信の「演劇センター68」結成に参加した。 1980年、串田和美が演出した『上海バンスキング』で第24回岸田國士戯曲賞を受賞する。同作品は長く再演を繰り返した。その後、串田、吉田日出子のオンシアター自由劇場に脚本を提供する。 同劇団解散後は、1997年に『カナリア』で菊田一夫演劇賞、2005年に『春、忍び難きを』で紀伊國屋演劇賞、2006年には鶴屋南北戯曲賞を受賞する。