スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高橋 利弘(たかはし としひろ、1945年9月20日 - )… 高橋 利弘(たかはし としひろ、1945年9月20日 - )は、日本の外交官。国連公使などを経て、パラグアイ駐箚特命全権大使、ニュージーランド駐箚特命全権大使を務めた。 1964年東京都立小石川高等学校卒業、1969年東京大学工学部都市工学科卒業、1970年外務省入省。同期に下荒地修二(駐ベネズエラ大使)、古屋昭彦(ウィーン代表部大使)など。アメリカ合衆国で研修を受けたのち在ビルマ日本国大使館二等書記官に就任。 OECD代表部一等書記官、在バングラデシュ大使館参事官を経て、外務省経済局国際エネルギー課長、大臣官房文書課長、同通信課長、外務研修所総括指導官、国際協力事業団企画評価部長、大臣官房審議官、国連代表部公使、EU代表部公使、リオデジャネイロ総領事、査察担当大使、駐パラグアイ特命全権大使などを歴任。
鈴木 博之(すずき ひろゆき、1945年5月14日 - 20… 鈴木 博之(すずき ひろゆき、1945年5月14日 - 2014年2月3日)は、日本の建築史家。工学博士(東京大学・1984年)(学位論文「ヴィクトリアン・ゴシックの崩壊過程の研究」)。東京大学名誉教授。2005年紫綬褒章受章。位階は正四位、勲等は瑞宝中綬章。 東京大学工学部教授、東京大学大学院工学系研究科教授、青山学院大学総合文化政策学部教授、博物館明治村館長、公益財団法人明治村副理事長などを歴任した。 東京都生まれ。文京第一中学校、都立小石川高校を経て、1968年、東京大学工学部建築学科を卒業、大学院に進む。1974年に東京大学工学部の専任講師となる。1974年から1975年にかけて、ロンドン大学附属コートールド美術研究所に留学していた。
成田 アキラ(なりた あきら、1945年4月9日 - )は日… 成田 アキラ(なりた あきら、1945年4月9日 - )は日本の漫画家。佐賀県唐津市生まれ。東京都在住。既婚。 都立小石川高校卒業。明治大学工学部電気工学科卒業。日本艶主党党首。 佐賀県唐津市生まれ。中学1年生までを唐津で過ごす。1958年、両親が子供を大学へ行かせるために家族で上京。東京に転居。都立小石川高校、明治大学卒。明治大学で電気工学科へ進学したのは「この世は何で出来上がってるのか」を知りたくて、「この世は電気ででき上ってるんじゃないか」と考え、入学した。叔父でもある漫画家ムロタニ・ツネ象の下で漫画修行をする。26歳でデビュー作「チポー星のやつら」が園山俊二の目にとまり、それがきっかけで漫画サンデーで「フリフリダムダム」を2年間連載するが、性器を模ったキャラクターを主人公とするなど、あまりに内容が「前衛的」「飛んでる」という理由で打ち切りとなる。
小西 隆裕(こにし たかひろ、1944年7月28日 - )は… 小西 隆裕(こにし たかひろ、1944年7月28日 - )は、日本の革命家。元赤軍派幹部。よど号グループのメンバー。 東京都立小石川高等学校から東京大学理科三類に進学。一時野球部に在籍し捕手としてプレーしていたが、後に退部して東大全共闘、医学部共闘会議議長となる。1969年に赤軍派が起こした東京戦争で警視庁本富士警察署火炎瓶投擲事件に関与。1970年によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。よど号グループではリーダー田宮高麿に次ぐサブリーダー格であった。 1976年によど号事件の前から恋人だった女性と結婚。1995年に田宮が死亡した後はリーダー格となる。 現在も平壌に在住しているが、警察庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
真山 勇一(まやま ゆういち、1944年1月8日 - )は、… 真山 勇一(まやま ゆういち、1944年1月8日 - )は、日本の政治家、元ニュースキャスター。民進党所属の参議院議員(2期)。元調布市市議会議員。元日本テレビ報道キャスター・報道局解説委員長。所属事務所はエクステンション。東京都墨田区出身。血液型B型。
井垣 清明(いがき せいめい、1944年 - )は日本の書家… 井垣 清明(いがき せいめい、1944年 - )は日本の書家。井垣北城長子。中国大陸に1965年~2025の間35回訪問。2025年9月1日現在、中華人民共和国貴州省文化和旅行庁のホームページでは「著名な日本の書法家」と紹介されている。日中友好協会参与。全日本書道連正会員。書道文化研究会会員。東京都日中友好協会参与・書道部会副会長。「蘭亭書会」東京研究院名誉顧問。東京都在住。 平成28年より令和6年まで、日本書学院代表。 東京都立小石川高等学校(現東京都立小石川中等教育学校)卒業 早稲田大学第一文学部卒業 東京都立大学大学院文学研究科中退
安藤 英義(あんどう ひでよし、1943年7月 - )は、日… 安藤 英義(あんどう ひでよし、1943年7月 - )は、日本の会計学者。専門は、財務会計。企業会計制度と会計基準を研究テーマとする。学位は、商学博士(一橋大学・論文博士・1985年)(学位論文「商法会計制度論 : 商法会計制度の系統的及び歴史的研究」)。一橋大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 日本会計研究学会会長、企業会計審議会会長等を歴任。日本会計研究学会太田賞、日経・経済図書文化賞等受賞。 東京都豊島区生まれ。1962年3月 東京都立小石川高等学校卒業。1967年 一橋大学商学部経営学科卒業。1969年 一橋大学法学部卒業。商法の吉永榮助の指導を受けた。1974年 一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位修得。
鳥原 光憲(とりはら みつのり、1943年3月12日 - )… 鳥原 光憲(とりはら みつのり、1943年3月12日 - )は、日本の実業家で、元サッカー選手、指導者。東京ガス株式会社代表取締役元社長。 東京都出身。1967年に東京大学経済学部を卒業し東京ガス株式会社に入社。 1992年総合企画部経営企画グループマネージャー、1993年神奈川事業本部計画部長、1996年原料部長、1998年取締役原料部長。これまで商社任せだった液化天然ガス(LNG)調達に道筋を付けるべく東京電力と共にオーストラリア北部のガス田開発に出資。さらに自社LNG船を導入して輸送事業に参入。東京電力との協調体制を築いた。2000年常務取締役。 2002年取締役常務執行役員企画本部長。会社の中期経営計画をまとめ上げる強い求心力を発揮した。
山本 吉宣(やまもと よしのぶ、1943年1月27日 - 2… 山本 吉宣(やまもと よしのぶ、1943年1月27日 - 2023年7月7日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授、新潟県立大学名誉教授、PHP総合研究所研究顧問。 1943年、神奈川県生まれ。東京都立小石川高等学校を卒業。東京大学教養学部で国際関係論を専攻し、1966年に卒業。1968年、同大学院社会学研究科修士課程修了し、1968年よりミシガン大学大学院に留学した。1974年にミシガン大学にて博士号を取得。 1975年、埼玉大学教養学部専任講師に就いた。助教授、教授に昇進。1989年、東京大学教養学部教授となる。2003年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。
横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は… 横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は、NHKの元アナウンサー。 東京都立小石川高等学校を経て慶應義塾大学卒業後、1967年入局。 定年後も嘱託職としてNHKに在籍していたが、2008年の幕開けとともに65歳完全定年となり、1月いっぱいでアナウンサーとしての勤務は終わった。現在は番組出演契約のシニアスタッフという形でラジオニュースなどを担当。
佐藤 邦器(さとうくにき、1943年 - )は日本のアマチュ… 佐藤 邦器(さとうくにき、1943年 - )は日本のアマチュア囲碁指導者。日本棋院池袋支部長、池袋囲碁会館代表。 東京都で生まれる。東京都立小石川高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、早稲田大学第一理工学部建築学科を卒業する。早稲田大学時代には囲碁部の主将を務め(1964年-1967年)、同部現OB会副会長。父菊雄は島藤建設工業代表取締役社長(1987年戸田建設に吸収合併)、アマチュア囲碁東京代表となること多数。 囲碁を通じての海外交流を進めており、韓国には7-8回、台湾、香港にもアマチュア日本代表として渡航し対局、指導歴がある。 2019年より第9回東京23区対抗囲碁大会の会の会長を引き継ぎ現在に至る。
高木 勇樹(たかぎ ゆうき、1943年 - )は、日本の農水… 高木 勇樹(たかぎ ゆうき、1943年 - )は、日本の農水官僚。元農林水産事務次官。群馬県出身。 都立小石川高等学校、東京大学法学部(法学)卒業。1966年 農林省に入省する(林野庁林政部林政課)。課長補佐を経て、1981年 農林水産大臣秘書官事務取扱。1983年 砂糖類課長となる。食糧庁や林野庁の課長を経て、1992年 食糧庁管理部長。畜産局長、大臣官房長、食糧庁長官を歴任し、1998年 事務次官となる。異例の2年半在任し、2001年辞職する。
岩田 規久男(いわた きくお、1942年10月3日 - )は… 岩田 規久男(いわた きくお、1942年10月3日 - )は、日本の経済学者。学位は経済学修士(東京大学、1969年)。上智大学・学習院大学名誉教授。前日本銀行副総裁。産経新聞オピニオン欄中コラム「正論」執筆メンバー。 専門は、金融・都市経済学。小宮隆太郎の弟子。リフレ派経済学者の第一人者として知られており、学習院大学教授時代、積極緩和派の急先鋒として鋭い弁舌で知られていた。また日本銀行に批判的な論客として知られていた。日銀の国債買いオペレーション、インフレターゲット、日銀法改正、規制緩和を主張している。 岩田が主催する「昭和恐慌研究会」では、日本の昭和恐慌の原因について研究している。 大阪府出身。
山中 高光(やまなか たかみつ、1942年7月17日 - )… 山中 高光(やまなか たかみつ、1942年7月17日 - )は、日本の固体地球科学者。専門は、鉱物科学・結晶学。神奈川県横浜市生まれ。 長年にわたり、物質の構造研究に取り組んできた。多面的学際領域(固体地球科学・惑星科学・材料科学・固体物理学・生体物質学・環境科学)にとって、物質の構造研究は極めて重要な研究対象である。大学院時代から、地殻・マントル内の地球構成物質の、さらに地球圏外物質の、組成・成因・相平衡・物性などの基本的な研究を通して固体地球科学に寄与してきた。また一方では、物質科学としての半導体・伝導電物質・誘電体・磁性体の物性の基礎である電子状態やスピン・原子の熱振動・電荷・配位結合などの研究を通して、固体物理学を研究対象としてきた。
園田矢(そのだ ただし、1942年7月7日 - )は、日本の… 園田矢(そのだ ただし、1942年7月7日 - )は、日本のジャーナリスト、NHK外信部長などを歴任。
小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月2… 小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月24日 - )は、日本の政治家。自由党所属の衆議院議員(16期)、自由党代表。
原田 稔(はらだ みのる、1941年〈昭和16年〉11月8日… 原田 稔(はらだ みのる、1941年〈昭和16年〉11月8日 - )は、日本の宗教家。宗教法人・創価学会会長(第6代)。 1941年(昭和16年)11月8日に東京府東京市(現在の東京都文京区)で生まれた。 東京都立小石川高等学校(現在の東京都立小石川中等教育学校)を経て、東京大学経済学部卒業。 1953年(昭和28年)に創価学会に入会し、池田大作(後の第3代会長、名誉会長)に師事する。創価学会学生部長、青年部長、副会長、北海道担当、総東京長、総東京総合長、総東京総主事などを歴任する。 2001年(平成13年)に創価学会副理事長に就任。第一庶務(創価学会名誉会長の秘書部局)部長、第一庶務室長を務めた後、事務総長として事務関係を統括する。
丸山 茂雄(まるやま しげお、1941年8月13日 - )は… 丸山 茂雄(まるやま しげお、1941年8月13日 - )は、日本の実業家。株式会社REDMusic取締役。(元:株式会社BREAKER)現:株式会社オーフイアム・ジャパン取締役。 株式会社エピック・ソニーの創始者であり、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)取締役会長、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)代表取締役社長などを歴任。また、S.M.エンタテインメント・ジャパンの特別顧問も務めた。 1941年、丸山ワクチンの開発者である丸山千里の長男として生まれる。幼少期は同潤会江戸川アパートで過ごしつつも、太平洋戦争中は父親の故郷である長野県に疎開。戦後再び同アパートで暮らした。
新治 伸治(にいはり しんじ、1941年7月31日 - 20… 新治 伸治(にいはり しんじ、1941年7月31日 - 2004年5月4日)は、日本のプロ野球選手(投手)、実業家。東京大学野球部初のプロ野球選手である。 東京都文京区立第四中学校の1年生の時、東京都中学生による憲法記念野球大会で優勝する。都立小石川高校時代には硬式野球部がなく、軟式野球部にてプレー。3年生のときに東京都少年野球大会で優勝した。 新治は早稲田大学でのプレーを希望して知り合いに相談したところ、早稲田では硬式での経験がないと難しい、東大なら軟式上がりでもレギュラーになれるだろうと言われ、早稲田大学をあきらめ東京大学経済学部を受験し合格。硬式野球部に入部した。東京六大学野球リーグでは1961年春季リーグから8季連続最下位。
長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - … 長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - )は、フリーのナレーターで、元NHKエグゼクティブアナウンサー、のちアナウンス室専門委員。 都立小石川高等学校を経て、早稲田大学卒業。1966年入局。現役時代は徳島、長崎、京都、山口、鳥取、東京アナウンス室などで勤務。主にラジオ第1を中心にニュースやナレーションで活躍し、朗読の第一人者と言われた。NHKを定年退職後も番組のナレーションを行っているほか、各地の講演会や朗読教室などで活躍している。2009年、ドキュメンタリーのナレーションで放送文化基金賞受賞。
唐木 圀和(からき くにかず、1941年3月 - )は、日本… 唐木 圀和(からき くにかず、1941年3月 - )は、日本の経済学者。専門は国際経済学、開発経済学。慶應義塾大学名誉教授。 1941年3月に東京市四谷区に生まれる。1947年に文京区立元町小学校を卒業、1956年に文京区立第四中学校を卒業、1959年に東京都立小石川高等学校を卒業する。1963年に慶應義塾大学商学部を卒業、1965年に同大学大学院商学研究科修士課程を修了、1968年に同博士課程を単位取得退学する。1965年に慶應義塾大学商学部助手となり、1972年に同助教授、1984年に同教授となる。1970年から2年間米国のフレッチャー・スクールを、1986年から2か月間中国復旦大学を訪問している。
木原 武一(きはら ぶいち、1941年 - )は、日本の文芸… 木原 武一(きはら ぶいち、1941年 - )は、日本の文芸・思想・人生評論家、翻訳家。 東京生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1965年、東京大学独文科卒。『リクルート』編集長を経て、当初は現代米国文明論などを翻訳していたが、その後、人生論、読書案内などを多く執筆している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石平 光男(いしひら みつお、1940年7月24日 - )は… 石平 光男(いしひら みつお、1940年7月24日 - )は、元NHKアナウンサー。 東京都生まれ。東京都立小石川高等学校卒業。東京大学を卒業後、NHKに入局。 最近では気象通報やラジオ深夜便内の時報ニュースなどを担当。特に気象通報のアナウンスは独特のテンポとわかりやすく丁寧な言い回しでコアなファンが数多く存在する。
鈴木 路子(すずき みちこ、1940年(昭和15年) - )… 鈴木 路子(すずき みちこ、1940年(昭和15年) - )は、日本の教育学者。東京福祉大学大学院教育学研究科教授、東京学芸大学名誉教授。教育学博士(東京大学)。専門は環境教育学、健康教育学、発育発達学。 1940年(昭和15年)、上海市に生まれる。1959年(昭和34年)に東京都立小石川高等学校を卒業。1963年(昭和38年)にお茶の水女子大学文教育学部を卒業し、1970年(昭和45年)に東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得。1983年(昭和58年)、「学習環境としての室内至適温度に関する教育生理学的研究」により、東京大学から教育学博士を取得。 東京学芸大学教育学部教授、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程教授を経て、2004年より東京福祉大学大学院教育学研究科教授。
青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は… 青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事手続法。東京大学名誉教授。公益財団法人日本スポーツ仲裁機構評議会会長。長野県高遠町(現・伊那市)出身。三ヶ月章門下。弟子に松下淳一、大橋眞弓、貝瀬幸雄など。
松野允彦(まつの のぶひこ、1938年3月27日 - 201… 松野允彦(まつの のぶひこ、1938年3月27日 - 2014年12月27日)は日本の大蔵官僚。血液型はA型。 東京都立小石川高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(理財局総務課)。主計局防衛第一係長、公正取引委員会事務局経済部国際課係長の後、1968年7月 立川税務署長。課長補佐時代は証券局と理財局で勤務。1984年6月 銀行局銀行課長。1985年6月 銀行局総務課長。1986年6月10日 関東信越国税局長。1987年6月25日 関東財務局東京証券取引所監理官兼大臣官房審議官(証券局担当)。1988年6月15日 大臣官房審議官(証券局担当)。1989年6月23日 大臣官房審議官(銀行局担当)。
加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日 -… 加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日 - 2018年〈平成30年〉6月18日)は、日本の俳優。本名:加藤 剛(かとう たけし)。身長173cm。体重70kg。俳優座所属。 2001年、紫綬褒章受章。2008年、旭日小綬章受章。 静岡県榛原郡白羽村(御前崎市)出身。父・鉉一郎は小学校の校長。姉四人と兄、弟がいる。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった。父・鉉一郎は剛を医者にしたかった。なお俳優のうえだ峻は甥で、うえだの母は加藤の姉にあたる。また第32代日本銀行総裁の植田和男は従弟の孫にあたる。 加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百坪近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があり、庭にはたくさん木があった。
島田 太郎(しまだ たろう、1937年7月6日 - )は、日… 島田 太郎(しまだ たろう、1937年7月6日 - )は、日本の英文学者、東京大学・昭和女子大学名誉教授。東京生まれ。 東京都立小石川高等学校を経て、1961年、東京大学文学部英文科卒業。1964年、同大学大学院修士課程修了。1967年 - 68年、イエール大学に学ぶ。一橋大学助教授を経て、1975年、東京大学教養学部助教授、1977 - 78年ハーヴァード大学客員研究員。1988年、東京大学教授。1998年、定年退官、名誉教授、昭和女子大学教授。2013年、昭和女子大学名誉教授。 西川正身・平井正穂・大橋健三郎の弟子。弟に最高裁長官だった島田仁郎、物理学者で明大教授の島田徳三、息子は法学者の島田聡一郎。
渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、… 渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、日本の文筆家、動物評論家。 東京に、フランス文学者・渡辺一夫の長男として生まれる。東京都立小石川高等学校卒、東京大学教養学部教養学科フランス科卒。 大学卒業後、日本航空に入社、パリ、ブリュッセルに9年間滞在。1994年退社し、ヨーロッパ流の犬の飼い方に関心をもち著作、翻訳を行う。趣味の釣りに関する著作もある。
高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025… 高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025年8月3日)は、日本の法学者・法務官僚・弁護士。学位は、法学博士(京都大学)。立教大学法学部教授・京都大学大学院法学研究科教授・帝京大学教授などを歴任。 東京市渋谷区生まれ。1955年東京都立小石川高等学校卒業、1959年司法試験合格、1960年東京大学法学部卒業。 1962年東京地方裁判所判事補、その後法務省民事局参事官(外務省条約局併任)、1968年コロンビア大学修士課程修了。1976年辞職。1988年立教大学法学部教授、1993年京都大学大学院法学研究科教授、2000年定年、帝京大学教授、2003年成蹊大学大学院法務研究科教授、2013年退職。
長島 信弘(ながしま のぶひろ、1937年1月2日 - 20… 長島 信弘(ながしま のぶひろ、1937年1月2日 - 2025年7月14日)は、日本の文化人類学者。一橋大学名誉教授。中部大学名誉教授。JRA賞馬事文化賞受賞。指導学生に坂内徳明一橋大学名誉教授、足羽與志子一橋大教授、小馬徹神奈川大学教授、深澤秀夫東京外国語大学教授、林勲男国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授など。
三橋 修(みはし おさむ、1936年11月27日- 2015… 三橋 修(みはし おさむ、1936年11月27日- 2015年12月29日)は、日本の社会学者、和光大学名誉教授、元学長。差別論が専門。
桜井 孝次(さくらい こうじ、1936年2月18日 - )は… 桜井 孝次(さくらい こうじ、1936年2月18日 - )は、日本の三段跳びの元選手である。 東京府に生まれる。東京都立小石川高等学校、早稲田大学を経て、日立製作所に入社する。 1956年メルボルンオリンピック、1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピックに出場し、1956年に7位という最高の成績で競った。個人ベストは、1963年の16.18mだった。 引退後は、日本オリンピック委員会理事、総務委員会副委員長、事業・広報専門委員会委員長、日本陸上競技連盟副会長・専務理事などを歴任した。
帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )… 帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )は、日本の医師、著述家、帯津三敬病院名誉院長。 埼玉県川越市生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1961年に東京大学医学部医学科を卒業。医学博士。東京大学医学部第三外科、東京都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れ、医療の東西融合という新機軸を基に、がん患者などの治療に当たる。人間をまるごと捉えるホリスティック医学の第一人者として、日本ホリスティック医学協会会長・現名誉会長、日本ホメオパシー医学会理事長、国際生命情報科学会(ISLIS)会長、その他数多くの団体の役職なども務める。
西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20… 西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - 2024年(令和6年)11月1日)は、日本のドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究で知られる。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。新しい歴史教科書をつくる会名誉会長。 東京府に生まれる。東京都立小石川高等学校を経て、1958年(昭和33年)東京大学文学部独文科卒。1961年(昭和36年)同大学院修士課程を修了。指導教官は手塚富雄であった。 1961年静岡大学人文学部講師、1964年電気通信大学助教授、1975年教授。1979年に「初期のニーチェ」により東京大学より文学博士の学位を授与された。電通大助教授時代の1965年に「私の『戦後』観」で『自由』新人賞を、1994年正論大賞をそれぞれ受賞。
尾崎 護(おざき まもる、1935年(昭和10年)5月20日… 尾崎 護(おざき まもる、1935年(昭和10年)5月20日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。博士(法学)(早稲田大学・論文博士・2002年)。血液型はO型。 聖橋学園中学校、都立小石川高校卒業。1958年(昭和33年):東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東京大学在学中には文芸クラブに所属して小説を書いていた。 1957年(昭和32年):国家公務員上級試験2位合格。1958年(昭和33年)4月:大蔵省入省(主税局調査課)。1960年6月 関東財務局総務部。1961年7月 名古屋国税局調査査察部。1962年4月 大蔵省大臣官房調査課調査主任。1963年4月 大蔵省主計局調査課計画係長。
宇井 美智子(うい みちこ、1935年 - )は、日本の行動… 宇井 美智子(うい みちこ、1935年 - )は、日本の行動心理研究家、地域振興コンサルタント、コメンテーター、占星術師。 愛称は「ウイッチー」。旧名、佐藤 美智子(さとう みちこ)。 父と叔父は婦人科医、母は歯科医。 東京都立小石川高等学校、明治大学商学部商学科を卒業後、1957年4月、TBS入社。編成局アナウンス部(アナウンサー第5期生)に勤務。 1960年7月、TBSを退社、行動心理研究家として独立。1966年、松下電器産業と宣伝・販売店教育契約。 1969年、日本テレビ『朝のワイドショー』で評論活動を開始。1978年、日本テレビ『昼のワイドショー』などに出演。 1983年、UCA研究センター所長に就任、商工会・商工会議所講師として全国で講演開始。
入江 洋佑(いりえ ようすけ、1934年10月1日 - 20… 入江 洋佑(いりえ ようすけ、1934年10月1日 - 2019年8月5日)は、日本の俳優。東京市本郷(現在の東京都文京区本郷)出身。 都立小石川高校卒業。俳優座養成所第3期生。養成所卒業後の1954年、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)設立に参加し、劇団の主要メンバーとして活躍する。 この間の1952年、東映映画『泣き虫記者』で映画デビュー。大映映画『秘密』(1952年)『続十代の性典』(1953年)などに出演し大映と契約。『赤線地帯」(1956年、溝口健二監督)や『地上』(1957年、吉村公三郎監督)、『浮草』(1959年、小津安二郎監督)などに出演して印象深い演技を残す。 1960年代からは舞台を中心に活動、またテレビにも創成期から出演していた。
高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 198… 高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 1985年3月23日)は、日本の薬学者、薬害問題の運動家。 山形県生まれ。大連、東京で育つ。東京都立小石川高等学校卒、1959年京都大学医学部薬学科卒、64年同大学院薬学研究科博士課程満期退学。1981年「戦後薬害問題の研究」で北海道大学薬学博士。関西医科大学助手、立命館大学、京都府立医科大学講師を務めた。スモン、サリドマイドなど薬害問題にとりくむが、子供の頃のカリエスが33歳で再発し、病と戦いつつ50歳で死去した。反戦平和運動にも挺身。妻は高野恵美子(1938年京都府生まれ、旧姓森本。1962年神戸薬科大学卒業。会社勤務を経て1964年国立京都病院検査技師。
内山 龍一郎(うちやま りゅういちろう、1934年〈昭和9年… 内山 龍一郎(うちやま りゅういちろう、1934年〈昭和9年〉8月4日 - )とは、元NHKアナウンサー。東京都出身。
加藤 彰(かとう あきら、1934年5月9日 - 2011年… 加藤 彰(かとう あきら、1934年5月9日 - 2011年4月8日)は日本の映画監督。 東京都立小石川高等学校、日本大学藝術学部映画学科卒業。後に、日活の社長になる根本悌二は小石川高校の同級生。日活に入社し中平康に師事する。日活ロマンポルノの全盛期を支えた監督の一人である。その後はテレビドラマを中心に活動していた。
美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日… 美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日 - )は、日本の政治家。元埼玉県三郷市長(第7代 – 第9代)。旭日中綬章受章。 埼玉県三郷市出身。東京都立小石川高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、学習院大学政経学部卒。卒業後は埼玉県庁に入り、1975年、埼玉県議会議員(自由民主党)に当選する。県議を5期務め、1994年、三郷市長に当選する。市長を3期務め、2006年の市長選挙では、元三郷市議会議員で前市長の実子である木津雅晟に敗れた。このほか三郷市国際交流協会会長、住みよい三郷をつくる会の代表を務めた。
篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年1… 篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年12月12日)は、日本の歌人・近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。日本ペンクラブ会員。近現代短歌史研究に功績を残した。
根本 悌二(ねもと ていじ、1932年12月8日 - 200… 根本 悌二(ねもと ていじ、1932年12月8日 - 2000年3月16日)は、東京都出身の日本の映画プロデューサー。日活会長などを歴任する。 東京都立小石川高等学校では加藤彰と同期。東京大学文学部言語学科卒業後の1956年、助監督として日活に入社。1965年から1975年にかけて日活労働組合委員長を務めた後、1976年にいきなり専務取締役に。代表取締役副社長を経て、にっかつに社名変更した翌1979年に代表取締役社長に就任する。 労組委員長在任中の1971年11月には、同年の映画製作中止を受け俳優・関係者が多数会社をあとにする中で、労組を中心としてロマンポルノ製作に踏み切り、日活の経営を再建へと導く。
飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 20… 飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 2021年10月17日)は、日本の演出家、テレビプロデューサー、脚本家。 東京市本郷区(現:東京都文京区)出身。TBS、株式会社ドリマックス・テレビジョン(旧:株式会社木下恵介プロダクション、株式会社木下プロダクション)を経て、フリーであった。 東京都立小石川高等学校を卒業後、一浪したのち劇作家・加藤道夫への関心から1952年に慶應義塾大学文学部に入学。当時加藤は同大学文学部国文学科で教鞭をとっていたが翌年自殺。国文学科に進む意義を失って英文学科を選択した。在学中は放送研究会に所属し放送劇の脚本を執筆。放送劇コンクールで受賞者常連となる。大伴昌司や藤川桂介と知り合ったのもこのころ。
井上 光央(いのうえ てるひさ、1932年1月28日 - )… 井上 光央(いのうえ てるひさ、1932年1月28日 - )は、毎日放送出身のフリーアナウンサー。 東京都出身で巣鴨育ち。東京都立小石川高等学校を経て、早稲田大学第一政経学部卒業後、1955年に新日本放送(現在の毎日放送)にアナウンサーとして入社。大学時代は放送研究会に所属していた。 スポーツ実況を主とし、プロ野球・南海ホークス戦をはじめ、「選抜高等学校野球大会」では開会式17回、決勝戦22回を担当し、『センバツの生き字引』と呼ばれた。また、日本シリーズでは1985年の阪神対西武戦(甲子園球場の第4戦)、大阪スタヂアム最後のオールスターとなった1986年の第2戦(清原和博(当時・西武)のオールスター初ホームランでMVPを獲得)、1988年10月15日の大阪球場での南海最後の公式戦の実況を担当した。
工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20… 工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20日 - 2016年〈平成28年〉8月20日)は、日本の法制・通産官僚。元内閣法制局長官。 東京都出身。東京都立第五新制高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)などを経て[要出典]、1953年に東京大学法学部を卒業。同年、通商産業省に入省。入省同期に小長啓一、豊島格、真野温(通産省基礎産業局長、住友電気工業顧問)、若杉和夫ら。 通産省で立地公害局立地指導課長を務めた後、内閣法制局参事官に出向。以後、同局総務主幹、同第四部長、同総務室第一部長、内閣法制次長などを歴任した。味村治の後任として1989年8月から1992年12月まで第1次海部内閣、第2次海部内閣、宮澤内閣の内閣法制局長官を務めた。
佐藤 純一(さとう じゅんいち、1931年9月30日 - )… 佐藤 純一(さとう じゅんいち、1931年9月30日 - )は、日本のロシア語学者、東京大学名誉教授、東京都出身。
岡野 俊一郎(おかの しゅんいちろう、1931年8月28日 … 岡野 俊一郎(おかの しゅんいちろう、1931年8月28日 - 2017年2月2日)は、東京都出身のサッカー選手・指導者。位階は従四位。 第9代日本サッカー協会会長、日本体育大学顧問などを務めた。上野の和菓子店「岡埜栄泉」代表取締役(五代目)。 3歳から水泳を始め、4歳でスキーを履いた。戦前の全国大会である明治神宮大会に水泳50m自由形の東京都代表で出場し、父親の店の野球部で活動する。 岡野はプレイヤーとしての経験は高校(戦前の学制では中学にあたる)・大学での経験しかないが、長年指導者として日本代表に参加した(東京五輪:ベスト8、メキシコ五輪:3位)。これについては彼の東大時代の人脈が大いに生きている。
竹村 英輔(たけむら えいすけ、1931年7月27日 - 1… 竹村 英輔(たけむら えいすけ、1931年7月27日 - 1997年)は、グラムシ研究者。専攻はイタリア現代政治史・社会思想史。日本共産党員。 東京生まれ。東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、1953年東京大学教養学部教養学科卒業。合成化学産業労働組合連合(合化労連)書記、東京大学社会科学研究所非常勤講師(1973年4月1日~1975年3月31日)を経て、1975年日本福祉大学助教授。のち同大学社会科学研究所長、教授。在職中に急逝。 性教育評論家の高柳美知子は、小学校の同期生だった竹村が初恋の人だと著書『高齢恋愛』(茉莉花社、2004年)で告白している。