スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西沢 俊夫(にしざわ としお、1951年4月22日 - )は… 西沢 俊夫(にしざわ としお、1951年4月22日 - )は、東京電力株式会社の第12代社長。 戸籍上の正しい表記は西澤 俊夫で、こちらの表記が使われることも多い。 長野県大町市出身。長野県松本深志高等学校を経て、京都大学経済学部卒業。 大学卒業後、東京電力入社。企画畑のエリートで、勝俣恒久の懐刀といわれており、温厚な人柄として知られる。福島第一原発事故で引責辞職した清水正孝の後継として、2011年6月に社長に就任した。公益社団法人ACジャパンの理事や、社団法人経済企画協会の副会長、日本原燃株式会社の取締役も務めた。
田中 勝人(たなか かつと、1950年10月28日 - )は… 田中 勝人(たなか かつと、1950年10月28日 - )は、日本の統計学者。一橋大学副学長を経て、2013年4月に学習院大学経済学部教授。2021年3月に定年退職。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1973年一橋大学経済学部卒業。1979年にオーストラリア国立大学で博士号を取得。一橋大学大学院経済学研究科教授や学習院大学経済学部教授、マサチューセッツ工科大学ポスト・ドクトラル・フェロー、オーストラリア国立大学、ケンブリッジ大学、ロンドン大学、イェール大学、ヘルシンキ大学、フンボルト大学、オックスフォード大学、エラスムス大学、シンガポール経営大学院、セントアンドリュース大学、マードック大学の客員教授等を務める。
石田 光男(いしだ みつお、1949年12月23日 - )は… 石田 光男(いしだ みつお、1949年12月23日 - )は、日本の経済学者。同志社大学社会学部および同大学院社会学研究科教授。専門は、経済政策、産業関係学、労務管理論。 長野県木曽郡木曽福島町(現木曽町)生まれ。長野県松本深志高等学校卒業(1967年)。東京大学経済学部卒業(1972年)。その後、東北大学大学院経済学研究科修士課程修了(1975年)、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学(1978年)、経済学博士。同志社大学社会学部および同大学院社会学研究科教授、前社会学部長。同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻の教員の時にイギリスに留学。趣味は相撲と卓球。 1998年、社会政策学会奨励賞。
池口 修次(いけぐち しゅうじ 、1949年11月10日 ‐… 池口 修次(いけぐち しゅうじ 、1949年11月10日 ‐ )は、日本の政治家。民主党所属。元参議院議員(2期)、民主党参議院国会対策委員長などを歴任。愛称は「池さん」。 長野県木曽郡大桑村生まれ。1968年長野県松本深志高等学校卒業、1972年早稲田大学理工学部卒業、本田技研工業に入社。 本田技研労働組合委員長、全本田労連会長、自動車総連中央執行委員、自動車総連副会長を経て、2001年の第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から出馬し、初当選。 2007年、体調不良により辞任した鈴木寛の後任として政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長就任。 2010年9月、菅直人第1次改造内閣で国土交通副大臣(災害対策、国土計画、都市や河川を除く社会資本整備等の担当)に任命され、菅直人第2次改造内閣まで務める。
高橋 卓志(たかはし たくし、1948年12月4日 - )は… 高橋 卓志(たかはし たくし、1948年12月4日 - )は、日本の臨済宗の僧侶、神宮寺住職(1974-2018)。 長野県東筑摩郡本郷村(現松本市)生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、龍谷大学文学部を卒業。同大学院東洋史学研究科中退。 海清寺専門道場で修行し、山田無文老師に従って、太平洋戦争の南方戦地跡での戦没者遺骨収集事業に携わる。 その後、1976年に神宮寺に入る。1981年、筑摩工芸研究所、1991年、日本チェルノブイリ連帯基金の設立に参加。1991年から1997年にかけて、チェルノブイリで医療支援活動を行う。 2018年5月、神宮寺を離れ、フリーランスの僧侶として活動する。 長野県NPOセンター代表、ライフデザインセンター代表、ケアタウン浅間温泉代表理事、アクセス21代表。
小林 哲郎(こばやし てつろう、1948年(昭和23年)10… 小林 哲郎(こばやし てつろう、1948年(昭和23年)10月23日 - )は、日本の医師、医学者。緩徐進行1型糖尿病(Slowly progressive insulin-dependent diabetes mellitus: SPIDDM)を発見し、成因や治療法について研究を続けている。冲中記念成人病研究所 所長、山梨大学名誉教授。専門は糖尿病学、内科学。 長野県木曽福島町生まれ。1967年長野県松本深志高等学校卒業。1974年金沢大学医学部医学科卒業。1974年虎の門病院内科研修医に着任。 虎の門病院内分泌代謝科医員時代、緩徐進行1型糖尿病患者を発見。1型糖尿病の新しい病型として1982年発表。
滝澤 三郎(たきざわ さぶろう、1948年 - )は、日本出… 滝澤 三郎(たきざわ さぶろう、1948年 - )は、日本出身の元公務員、国際機関職員、大学教員。法務省職員、UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)ジュネーブ本部財務局長、UNHCR駐日代表、国連UNHCR協会協会特別顧問、東洋英和女学院大学教授などを歴任した。現在は同大学名誉教授、ケア・インターナショナル・ジャパン副理事長を務めている。 著書に『世界の難民をたすける30の方法』『「国連式」世界で戦う仕事術』などがある。 長野県東筑摩郡本城村(現:筑北村)出身。中学生時代に体調を崩し、長野県松本深志高等学校を1年間休学。高校卒業後は1年間の浪人生活を経て埼玉大学教養学部に入学し、1972年に卒業。
米田 建三(よねだ けんぞう、1947年10月5日 - )は… 米田 建三(よねだ けんぞう、1947年10月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。元帝京平成大学教授。現在、日本航空学園理事・教育顧問。日本青年社議員同志連盟指南役。
宮本 みち子(みやもと みちこ、1947年8月28日 - )… 宮本 みち子(みやもと みちこ、1947年8月28日 - )は、日本の社会学者。社会学博士。千葉大学・放送大学名誉教授。専攻は、家族社会学・若者の社会学・生活保障論・社会政策。 1947年長野県松本市生まれ。1966年長野県松本深志高等学校卒業。1971年東京教育大学文学部社会科学科経済学専攻卒業。1973年東京教育大学文学部社会科学科社会学専攻卒業。1975年お茶の水女子大学大学院家政学研究科修士課程修了。1975年千葉大学教育学部助手、助教授、教授。1997-1998年イギリス・ケンブリッジ大学社会政治学部客員研究員。2005年放送大学教養学部教授、2014年副学長。労働政策審議会委員、中央教育審議会委員、社会保障審議会委員を歴任。
土屋 裕弘(つちや みちひろ、1947年7月12日 - )は… 土屋 裕弘(つちや みちひろ、1947年7月12日 - )は、日本の実業家。三菱ケミカルホールディングス取締役、田辺三菱製薬(現・田辺ファーマ)代表取締役社長及び取締役会長、相談役、住友電気工業取締役、関西医薬品協会会長、道修町まちづくり協議会会長を務めた。現在はラクオリア創薬の取締役となっている。
木下 陽子(きのした ようこ、1947年 - )は、朝鮮民主… 木下 陽子(きのした ようこ、1947年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の工作員で、1973年に埼玉県で起こった2児拉致事件の犯人。外国人登録名は洪寿恵(ホン・スヘ)。1977年以降、日本に帰化したものと考えられる。 1947年(昭和22年)、長野県に住む在日韓国人の父親と日本人の母親の間に生まれた。国籍は大韓民国籍で、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)とは関係を持たずに育った。成績優秀で琴をたしなむ大人しい女性で、県立長野県松本深志高等学校から青山学院大学文学部英文科へと進んだ。当時、朝鮮半島出身者向けの奨学金には在日本大韓民国民団(民団)系と朝鮮総連が共同で運営している朝鮮奨学会と、朝鮮総連中央の教育会が出す奨学金があったが、彼女が選んだのは総連中央の方だった。
白鳥 真太郎(しらとり しんたろう、1947年 - )は、日… 白鳥 真太郎(しらとり しんたろう、1947年 - )は、日本の広告写真家。公益社団法人日本広告写真家協会(APA)会長(2008年 - )。日本写真家協会会員。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、千葉大学工学部写真工学科を卒業。資生堂宣伝部写真部、博報堂写真部(現・博報堂プロダクツ)を経て、1989年に白鳥写真事務所を設立した。博報堂フォトクリエイティブ在籍中、大貫卓也が創作した多くの作品に関わる。 APA賞、毎日広告デザイン賞最高賞、日経広告賞グランプリ、読売広告大賞金賞、朝日広告賞、APAアワード経済産業大臣賞、ACC全日本CMフェスティバル金賞など、多数の賞を受賞した。 人物や商品など被写体の種別・大小を問わず、起こりうる限りのあらゆる広告撮影に精通するため、大手クライアントやアートディレクターからの信頼が厚く、加えて時代に左右されない普遍的な撮影センスによって、博報堂に在籍した1980年代から現在に至るまで、常に日本の広告写真の第一線で活躍する[要出典]。
礒山 雅(いそやま ただし、1946年4月30日 - 201… 礒山 雅(いそやま ただし、1946年4月30日 - 2018年2月22日)は、日本の音楽学者。元国立音楽大学招聘教授。元大阪音楽大学客員教授。 東京都生まれ。長野県で育つ。長野県松本深志高校を経て、東京大学文学部美学科卒業、同大学院美学藝術学博士課程満期退学。1982〜1984年にはミュンヘン大学へ留学。1977年に国立音楽大学助教授に就任。その後教授。図書館長や音楽研究所所長も務めた。1990年の開館よりいずみホール音楽ディレクター。2006年から2012年まで日本音楽学会会長、2015年には藝術学関連学会連合会長。サントリー芸術財団理事や日本芸術文化振興会評議員の役職も務めた。1988年バッハの研究により辻荘一賞受賞。
高山 憲之(たかやま のりゆき、1946年4月 - )は、日… 高山 憲之(たかやま のりゆき、1946年4月 - )は、日本の経済学者。専門は、公共経済学・経済政策、年金論。本名、平井。一橋大学名誉教授。(公益財団法人)年金シニアプラン総合研究機構研究主幹。長野県塩尻市生まれ。 この間ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE)・ハーバード大学、オックスフォード大学 の各客員研究員、経済企画庁経済研究所客員主任研究官(システム分析調査室長)、郵政研究所特別研究官、通商産業研究所特別研究官、国立社会保障・人口問題研究所特別研究官、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、欧州委員会(EC)、経済協力開発機構(OECD)の各コンサルタント、アジア開発銀行研究所(ADBI)の客員研究員を歴任。
太田 和彦(おおた かずひこ、1946年3月3日 - )は、… 太田 和彦(おおた かずひこ、1946年3月3日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。居酒屋探訪家の活動で知られる。日本グラフィックデザイナー協会、東京アートディレクターズクラブ所属。 1946年に終戦直後の中華民国北平市で出生し、すぐに佐世保へ引き揚げた。教職の親は転勤が多く、長野県の木曽郡や松本市で育つ。中学と高校時代に美術に関心を深め、長野県松本深志高等学校を経て東京教育大学教育学部芸術学科構成専攻でグラフィックデザインを学ぶ。 1968年に大学を卒業してデザイナーとして資生堂へ入社する。宣伝制作室のアートディレクターとして写真家の十文字美信と組んで製作した「シフォネット」シリーズなど前衛的広告が社内で賛否となる。
山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美… 山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美術監督、デザイナー。
谷川 彰英(たにかわ あきひで、1945年 - )は、日本の… 谷川 彰英(たにかわ あきひで、1945年 - )は、日本の教育学者、ノンフィクション作家。地名作家。筑波大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1968年東京教育大学教育学部卒業。1974年同大学院教育学研究科博士課程満期退学。千葉大学助教授を経て、筑波大学教授。国立大学の法人化に伴って国立大学法人筑波大学理事・副学長に就任。1996年柳田国男の教育思想研究で博士(教育学)の学位を取得。2009年、定年退職と同時にノンフィクション(地名)作家に転身。谷川健一から「日本地名研究所」を引き継ぎ、地名などに関する多くの本を執筆するとともに、NHKの「ネーミングバラエティ日本人のおなまえ!」など各種番組に出演。
田村 正勝(たむら まさかつ、1945年 - 2025年12… 田村 正勝(たむら まさかつ、1945年 - 2025年12月20日)は、日本の経済学者、早稲田大学名誉教授、一般社団法人 社会科学総合研究機構(RISS)名誉会長。難波田春夫の弟子。長野県松本市出身。 長野県松本深志高等学校卒業。1968年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。1974年、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程修了。1982年、早稲田大学教授。2015年、早稲田大学名誉教授。2020年、一般社団法人社会科学総合研究機構(RISS)名誉会長。2023年、瑞宝中綬章受章。 社会科学も自然科学と同様に、専門分化しながら発展してきた。これは厳密な科学であるためには、一面では不可欠な方向である。
高津 聖志(たかつ きよし、1944年11月16日 - )は… 高津 聖志(たかつ きよし、1944年11月16日 - )は、日本の免疫学者、富山県薬事研究所所長・富山大学客員教授・東京大学名誉教授、医学博士(大阪大学)。専門は免疫学、細胞生物学。B細胞研究における第一人者であり、アレルギーなどを抑える細胞を増やすインターロイキン-5(IL‐5)とその受容体を本庶佑と共に同定し、遺伝子を単離したことで世界的に知られる。2003年から2004年に亘って、第13代日本免疫学会会長を務めた。
田口 守一(たぐち もりかず、1944年 - )は、日本の法… 田口 守一(たぐち もりかず、1944年 - )は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「刑事裁判の拘束力」)。名誉法学博士(アウグスブルク大学)。元司法試験第二次試験考査委員(2001年まで)。早稲田大学名誉教授。信州大学大学院法曹法務研究科元教授。岐阜県生まれ。
井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は… 井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は日本のデザイナー、美術監督。特殊美術GAM主宰。かつて、本名の高橋昭彦名義で活動していた時期もあった。また亜㐂比古というサインも用いている。 長男は映画カメラマンの高橋創。長女はCGデザイナーの高橋玲香。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒業後、武蔵野美術大学で美術を学ぶ。同時期の在校生には、のちに円谷プロ作品などで仕事を共にする池谷仙克がいた。舞台美術の世界を志していたが、大学在学中にTBSテレビの美術スタッフを経て、円谷プロで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの特撮美術スタッフに加わる。『マイティジャック』よりデザイナーを務める。
原輝史(はら てるし、1943年5月3日 - 2011年8月… 原輝史(はら てるし、1943年5月3日 - 2011年8月18日)は、日本の経済学者。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学商学部卒業、1975年同大学院商学研究科博士課程満期退学。フランス・ディジョン大学に学ぶ。1986年「フランス資本主義 成立と展開」で商学博士(早大)。早稲田大学商学部助教授、教授。
稲川 照芳(いながわ てるよし、1943年‐)は、日本の外交… 稲川 照芳(いながわ てるよし、1943年‐)は、日本の外交官 。 駐ウルグアイ、駐ハンガリー特命全権大使を歴任した。 1943年 岐阜県生まれ。中津川市の親元を離れ、長野県の松本深志高等学校(第14回卒業生)に松本市の下宿から通学。高校2年時よりドイツ語学習を始め、大学入試もドイツ語で受験、東京大学在学中に民間の複数の会社が立ち上げたスカラーシップで当時の西ドイツのフライブルク大学に1年間留学。
木内 義勝(きうち よしかつ、1943年(昭和18年) - … 木内 義勝(きうち よしかつ、1943年(昭和18年) - )は、日本の情報社会学研究者、松本短期大学学長。 長野県松本深志高等学校を経て京都大学を卒業。 1970年(昭和45年)に榊田喜四夫、加藤秀俊、川添登らにより設立された株式会社CDI(コミュニケーションデザイン研究所)で、初期の研究員のひとりとなる。 その後、1976年(昭和51年)から、ハワイのイースト・ウエスト・センターに学んだ。 松本市を拠点とする情報関連企業であった株式会社エム・ケー・シー (MKC) (後のソラン株式会社の前身のひとつ)で役員を務めた後、2001年(平成13年)に当時の松商学園短期大学教授となり、翌2002年(平成14年)の松本大学の開学にともない松本大学松商短期大学部教授となり、後には学部長も務めた。
清澤 研道(きよさわ けんどう、1943年 - )は日本の医… 清澤 研道(きよさわ けんどう、1943年 - )は日本の医学者。専門は内科学、肝臓病学。医学博士(信州大学)。元信州大学医学部附属病院院長。現在は相澤病院名誉センター長、長野赤十字病院名誉院長、信州大学名誉教授。長野県出身。 C型肝炎研究で、肝がんとの因果関係を世界で初めて明らかにした。
中村 僖良(なかむら きよし、1942年4月22日 - ) … 中村 僖良(なかむら きよし、1942年4月22日 - ) は、日本の電子工学者。東北大学名誉教授。元電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長。 長野県生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1966年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科電気及通信工学専攻修士課程修了、東北大学助手。清水洋の下で、圧電振動子関連の研究を始める。1975年工学博士。1976年東北大学工学部助教授。1988年東北大学工学部教授。1996年電子情報通信学会超音波研究専門委員会顧問。2000年電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長。電気通信工学振興会理事長、半導体研究振興会理事、日本学術振興会弾性波素子技術第150委員会副委員長なども歴任した。
二木 紘三(ふたつぎ こうぞう、1942年 - )は、おもに… 二木 紘三(ふたつぎ こうぞう、1942年 - )は、おもにビジネス書やポピュラー音楽分野の歌曲について著作・記事を出している日本の著作家。 長野県松本深志高校から早稲田大学第一政治経済学部に進学。大学を卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスの文筆家となった。 1980年代以降、ビジネス書や雑学本、子ども向けの本など様々な分野で数多くの著作を発表している。 1986年の著書『ファミコン家庭学』は、ファミリーコンピュータを「新しい文化」と捉え「それを成長の糧としていくにはどうすべきか」を論じていると紹介され、1988年の著書『さわやか受験宣言』は、受験を「自立という旅に出るスタートライン」という観点から捉え直すことを勧める「よくある受験指南書とは一味違う、ユニークな本」と評された。
岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 201… 岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 2012年10月7日)は、日本の歴史学者。専修大学名誉教授。専門は西洋美術史。ミドルネームはHeinrich(ハインリッヒ)。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1965年上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1971年ケルン大学哲学部美術史学科卒業、Ph.D.取得。1968年ケルン市美術館勤務、1969年在ケルン日本文化会館勤務を経て帰国し、1976年政府関係特殊法人国際交流基金課長補佐に就任。1978年専修大学文学部専任講師、1986年教授。図書館情報大学、多摩美術大学、明治大学、明治学院大学、東京芸術大学などの兼任講師も務めた。
古厩 忠夫(ふるまや ただお、1941年5月11日 - 20… 古厩 忠夫(ふるまや ただお、1941年5月11日 - 2003年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は、中国近代史・日本近代史。長野県東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市)出身。
荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )… 荻上 紘一(おぎうえ こういち、1941年2月11日 - )は、日本の数学者。大学評価・学位授与機構特任教授。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒、東京大学理学部卒。元東京都立大学教授・第10代総長、公立大学協会長。元中央教育審議会委員。趣味はテニス、俳句。「国家の品格」の著者である藤原正彦とは非常に親しい。大学セミナーハウス館長も務める。2021年、瑞宝中綬章受章。旧都立大学の廃校が決定された時の総長であり、石原慎太郎都知事ら当時の都幹部と廃校をめぐり対立した。2012年から2016年まで大妻女子大学学長を務めた。
手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法… 手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法学者、千葉大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。同大学助手を経て、1970年千葉大学講師、1974年同大学法経学部助教授、1984年同大学教授。1985年~1987年ドイツケルン大学客員教授等を兼任。1999年4月より法経学部学部長。2007年定年退官、名誉教授となり、青山学院大学国際政治経済学部教授。2012年退職。2020年春、瑞宝中綬章受勲。専門は外国人労働者、ドイツ問題。
熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 202… 熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 2024年9月21日)は、日本のポプリ研究家、エッセイスト。夫は映画監督の熊井啓。 日本にポプリを紹介し、1980年代前半に起きたブームの火付け役。現在でもポプリの研究においての第一人者。実妹のハーブ研究家の桐原春子とともにハーブなどの香草にも造詣が深い。愛猫家として、猫に関するエッセイも多い。日本ペンクラブ会員。
倉田 毅(くらた たけし、1940年 - )は、日本の医師、… 倉田 毅(くらた たけし、1940年 - )は、日本の医師、医学者。厚生労働省 国立感染症研究所 名誉所員。学位は医学博士(信州大学・1971年)。特定非営利活動法人 バイオメディカルサイエンス研究会 会長。専門は病理学、ウイルス学など。 国立感染症研究所 所長、日本ウイルス学会 理事長、国際医療福祉大学塩谷病院 感染症専門医(教授)などを歴任した。 日本の研究所、大学のみならず、インドとバングラデシュで世界保健機関の天然痘根絶計画に参加したほか、アフリカ西部のシエラレオネでラッサ熱の研究など世界各地で研究をおこなった。 長野県に生まれる。1959年 長野県松本深志高等学校 卒業。1966年 信州大学医学部 卒業。
水城 武彦(みずしろ たけひこ、1939年10月22日 - … 水城 武彦(みずしろ たけひこ、1939年10月22日 - 2008年3月6日)は、日本の経済ジャーナリスト。NHK記者、解説委員。
飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )… 飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )は、日本の作曲家。 長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)出身。長野県松本深志高等学校を卒業後、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学、同専攻科修了。作曲を石桁眞禮生、ピアノを安藤仁一郎、小田雪江、遠山ゆや、指揮法を山田一雄にそれぞれ師事。 第32回日本音楽コンクール入賞。1964年より桐朋学園大学にて教鞭をとる。現在、桐朋学園大学名誉教授。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、作曲家の会《環》各会員。 学校向けの合唱作品が多い。
小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 -… 小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 - )は、日本の仏教学者、僧侶。駒澤大学名誉教授。大本山總持寺顧問。長野県の曹洞宗広沢寺第30世住職。 長野県松本市生れ。1956年長野県松本深志高等学校卒業。同年、駒澤大学仏教学部仏教学科入学、1961年同卒業。同年東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻修士課程入学、1964年同修了。同年、駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻博士課程に入学し1968年3月同満期退学。同年、駒澤大学文学部専任講師、同大学国際仏教研究所理事。 1970年より1973年3月まで東海大学教養部非常勤講師。1971年より1994年3月まで曹洞宗教化研修所海外開教課程嘱託講師。
若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日… 若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日本のタレント。切手収集家でもある。神奈川県藤沢市在住。愛称は「若様」。
池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、… 池田 右二(いけだ ゆうじ、1938年2月19日 - )は、日本の外交官。駐ヨルダン特命全権大使、北海道担当特命全権大使、在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使、外務省参与等を歴任した。 長野県出身。長野県松本深志高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業、外務省入省。在カナダ日本国大使館外交官補、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部一等書記官等を経て、1978年外務大臣官房領事移住部領事第一課長。1980年外務省経済局国際機関第一課長。1982年在ホノルル日本国総領事館領事。 1983年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1985年在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部参事官。1989年在ジュネーヴ日本国総領事館総領事、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部特命全権公使。
中野 慶子(なかの けいこ、1937年12月8日 - )は、… 中野 慶子(なかの けいこ、1937年12月8日 - )は、日本の歌手。長野県松本市生まれ。テレビ番組『うたのえほん』(後の『おかあさんといっしょ』)にて、眞理ヨシコ(当時は真理ヨシコ)とともに初代「うたのおねえさん」を務めた。本名︰宮崎慶子。学習院大学文学部英米文学科卒業。 子どもの時には、NHK松本児童合唱団に所属していた。地元の長野県松本深志高等学校卒業後、学習院大学文学部英米文学科に進学し、在学中の1958年にNHK俳優養成所第1期生となった。養成所ではソプラノ歌手の関種子、坂本芳子に、大学卒業後は作曲家の磯部俶に師事した。養成所卒業後、卒業メンバーで「劇団三十人会」を設立。 1960年11月、ラジオドラマ『渦潮』の主演を務め、芸術祭奨励賞を受賞。
村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本… 村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本の通産官僚、政治家。
中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月… 中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月13日 - )は、日本の経営者。三越社長・会長、相談役、特別顧問を歴任。長野県塩尻市生まれ。 名橋「日本橋」保存会会長、ECO EDO 日本橋 実行委員会 会長、慶應義塾大学評議員。
中嶋 嶺雄(なかじま みねお、1936年5月11日 - 20… 中嶋 嶺雄(なかじま みねお、1936年5月11日 - 2013年2月14日)は、日本の政治学者、国際社会学者。社会学博士。専門は現代中国政治。東京外国語大学学長、同大学名誉教授、国際教養大学学長、公立大学法人国際教養大学理事長をそれぞれ務めた。位階は従三位。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部中国科を経て、東京大学大学院社会学研究科国際関係論修士課程修了、博士課程中退。1980年、社会学博士。 中華人民共和国時代の中国についての先駆的な研究者として知られ、文化大革命に対する批判など現代中国への冷徹な認識で知られる。東京外国語大学名誉教授(1995年から2001年まで学長)、元北九州市立大学大学院教授。
上條 宏之(かみじょう ひろゆき、1936年1月17日 - … 上條 宏之(かみじょう ひろゆき、1936年1月17日 - 2023年2月7日)は、日本の歴史学者(郷土史家)・教育者。信州大学名誉教授。専攻は日本近代史。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年に東京教育大学文学部史学科を卒業。長野県内の公立高等学校教諭を経て、長野県県政史編纂室に勤務後、長野県短期大学助教授、信州大学教授を経て、長野県短期大学学長。 2018年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は… 熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は、日本の水産学者。近畿大学農学部名誉教授、学校法人近畿大学本部理事。農学博士。近畿大学水産研究所元所長。 長野県塩尻市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年、広島大学水畜産学部を卒業、近畿大学白浜臨海研究所(現・水産研究所)副手に就任。以来、約半世紀にわたり、一貫して魚類の養殖にたずさわる。数々の海産魚の完全養殖に成功したほか、交雑魚の研究でも成果をあげた。1983年同農学部教授。1991年から2008年まで同水産研究所所長。 2002年には、研究チームのリーダーとして、難しいと思われていたクロマグロの完全養殖を成功に導いた。世界初の成果である。
土屋 正孝 (つちや まさたか、1935年10月6日 - )… 土屋 正孝 (つちや まさたか、1935年10月6日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(内野手)。 警察官の長男に生まれる。土屋は野球のほか、テニス・バスケットボール・バレーボールなど、球技は何でも得意で、姉と妹は高校時代にテニスで日本一になったことがあるという球技一家であった。 松本深志高校では、1953年春季長野大会中信予選決勝に進むが、後にプロで同僚となる堀内庄・木次文夫のいた松商学園に惜敗。同年夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。高校では複数のポジションをこなし、2年生では捕手と三塁手を兼ね、3年生になると投手を任されていた。当初大学への進学を予定していたが、読売ジャイアンツ・中日ドラゴンズ・国鉄スワローズから勧誘され、1954年に巨人に投手として入団。
菴谷 利夫(いおや としお、1935年8月28日 - 201… 菴谷 利夫(いおや としお、1935年8月28日 - 2011年2月28日)は、日本の文部官僚、教育者、松本大学第2代学長。 長野県東筑摩郡島内村(現・松本市)出身。長野県松本深志高等学校、東京大学教育学部教育行政学科卒業。東大在学中、野球に打ち込んだ。 1960年に文部省に入省した。同省では、財務課長、大臣官房審議官(人事課長)、教育助成局担当審議官(高等教育局担当審議官)、京都大学事務局長(官房審議官・教育助成局担当)、教育助成局長などを歴任した。 1991年6月11日付で文部省を退職した。その後、日本育英会理事を経て、1997年12月12日付で国立特殊教育総合研究所所長となった。 1999年に、長野県の学校法人佐久学園の理事長となったが、これは1996年に傘下の信州短期大学(後の佐久大学信州短期大学部の前身)の補助金不正受給問題が明るみに出た後、立て直しを図った北條舒正(信州大学元学長)の後任であった。
竹内 淳彦(たけうち あつひこ、1935年3月20日 - 2… 竹内 淳彦(たけうち あつひこ、1935年3月20日 - 2015年6月19日)は、日本の経済地理学者、日本工業大学名誉教授。 1932年3月20日、長野県東筑摩郡四賀村(現松本市)生まれ。1953年、長野県松本深志高等学校卒業。1957年、東京学芸大学学芸学部(現教育学部)社会科卒業。東京工業高等学校赴任と同時に立正大学大学院文学研究科に進学し、1959年、立正大学大学院修士課程修了。1967年、日本工業大学開校と同時に助教授となり、1985年、同大学教授。2006年3月定年退任、名誉教授。 1976年「京浜地域における工作機械工業の地理学的研究」で文学博士(立正大学)。地道な実態調査分析とその理論化、理論に基づく地域・産業政策の提言は「竹内工業地理学」として高く評価された。
柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )… 柳澤 孝彦(やなぎさわ たかひこ、1935年1月1日 - )は、日本の建築家。
降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は… 降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は、日本の映画監督である。長野県松本市出身。
塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年… 塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年9月20日)は、日本の造園家、建設(都市計画)官僚、政治家である。位階は正五位勲四等、勲章は旭日小綬章。衆議院議員(1期)。日本造園学会常務理事、日本都市計画学会評議員。 長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京大学農学部入学。1959年(昭和34年)、 大学卒業とともに建設省入省(同期に望月薫雄元建設事務次官)。計画施設課、大阪府土木部、総理府近畿圏整備本部、首都圏整備委員会を経て、1981年(昭和56年)に建設省公園緑地課長を務め、1982年(昭和57年)8月、退官。公園緑地課長の時に、国営アルプスあづみの公園を考案したほか、東京大学・明治大学で講師を務めた。