山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化… 山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化学者。理学博士。専門は、無機化学で、名古屋大学名誉教授、大同工業大学名誉教授。京都府出身。
愛知県立旭丘高等学校:73人
山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化… 山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化学者。理学博士。専門は、無機化学で、名古屋大学名誉教授、大同工業大学名誉教授。京都府出身。
大野 英二(おおの えいじ、1922年10月20日 - 20… 大野 英二(おおの えいじ、1922年10月20日 - 2005年9月6日)は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。
山田 鐐一(やまだ りょういち、1922年4月29日 - 2… 山田 鐐一(やまだ りょういち、1922年4月29日 - 2008年6月16日)は、日本の法学者。
吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 199… 吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 1991年7月30日)は、日本の科学史家。京都大学名誉教授。専門は科学技術史。
大竹 秀男(おおたけ ひでお、1920年 - 2006年)は… 大竹 秀男(おおたけ ひでお、1920年 - 2006年)は、日本の法制史学者、神戸大学名誉教授。近世法制史が専門。 滋賀県出身。愛知県第一中学校、第八高等学校、1943年東北帝国大学法文学部卒、入営して敗戦を迎え、47年東北大学助手、高柳真三に師事、51年神戸大学助教授、62年「農民家族の法史的研究」で東北大法学博士。同年西ドイツ留学、教授、83年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。
尾之内 由紀夫(おのうち ゆきお、1915年8月18日 - … 尾之内 由紀夫(おのうち ゆきお、1915年8月18日 - 2009年2月12日)は、日本の土木工学者。1967年に建設事務次官を務めた。 愛知県知多市八幡出身。愛知一中を経て、1939年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、内務省、人事院で務め、1963年、建設省の道路局長となり、1966年から技監および1967年より建設事務次官を務める。1970年に日本道路公団の副総裁となり、1976年に本州四国連絡橋公団の総裁となる。1975年から1976年にかけて土木学会の会長を務め、1980年から日本道路協会の会長を務めた。1987年、勲一等瑞宝章受章。 2009年2月12日に肺炎のため死去した。叙正四位。
梅村 淸明(うめむら せいめい、1908年9月10日 - 1… 梅村 淸明(うめむら せいめい、1908年9月10日 - 1995年7月14日)は、日本の体育学者、教育者。 中京商業学校創立者の梅村淸光の子息として茨城県水戸市において生まれた。旧制愛知第一中学校(現 愛知県立旭丘高等学校)、名古屋高等商業学校(現名古屋大学)、神戸商業大学(現神戸大学)をそれぞれ卒業する。 神戸商業大学卒業後に父が興した中京商業学校の教諭となる が、1933年に父の逝去により中京商業学校校長(梅村学園2代目校主)となる。1935年には1932年ロサンゼルスオリンピック陸上競技日本代表で、日本陸上競技選手権大会女子100mを3連覇した渡辺すみ子と婚姻する。 1942年に日本軍に召集されて出征。
篠原 卯吉(しのはら うきち、1903年4月9日 - 199… 篠原 卯吉(しのはら うきち、1903年4月9日 - 1993年3月3日)は、日本の電気工学者。第5代名古屋大学総長。第58代電気学会会長。 名古屋市生まれ。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、1926年九州帝国大学工学部電気工学科卒業、九州帝国大学講師。1927年北海道帝国大学講師。同年北海道帝国大学助教授。1930年照明学会評議員。1935年九州帝国大学工学博士。1940年名古屋帝国大学理工学部教授。1953年名古屋大学工学部長。1958年郵政省電波技術審議会委員。1960年電気通信学会東海支部長。1961年電気学会浅野賞受賞。1963年名古屋大学教養学部長。同年名古屋大学総長、電気学会副会長、第6期日本学術会議会員、文部省大学設置審議会委員。
原 随園(はら ずいえん、旧字体: 原 隨園、1894年〈明… 原 随園(はら ずいえん、旧字体: 原 隨園、1894年〈明治27年〉3月19日 - 1984年〈昭和59年〉3月25日)は、日本の西洋史学者。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校卒、東京帝国大学卒。姫路高等学校 (旧制)教授、1924年東北帝国大学助教授、1933年京都帝国大学文学部西洋史教授。同年「テセウス伝説考」で京大文学博士。京都大学図書館長、文学部長。1957年定年退官、名誉教授、立命館大学教授。1964年退職。専門は古代ギリシア史。
小酒井 不木(こさかい ふぼく、1890年10月8日 - 1… 小酒井 不木(こさかい ふぼく、1890年10月8日 - 1929年4月1日)は、日本の医学者・随筆家・翻訳家・推理作家・犯罪研究家。別名は鳥井零水。 医学者としては生理学・血清学の研究で業績を上げた。また、1921年(大正10年)から8年間に渡って探偵小説などの文筆活動を行った。江戸川乱歩のデビュー作である『二銭銅貨』は、不木が推薦したことで世に出た作品である。医師で順天堂大学名誉教授の小酒井望は長男。 1890年(明治23年)10月8日、愛知県海東郡新蟹江村(現・海部郡蟹江町大字蟹江新田)の地主の家の長男として生まれた。本名は小酒井光次(こさかいみつじ)。父親は小酒井半兵衛であり、村長や郡会議員も務めた人物である。
金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年〈明治19年〉… 金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年〈明治19年〉3月17日 - 1959年〈昭和34年〉6月16日)は、日本の大蔵・法制官僚、政治家、憲法学者。岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣。初代国立国会図書館長も務めた。 愛知県名古屋市生まれ。愛知一中、旧制一高を経て、1912年(明治45年)東京帝国大学法科大学を卒業。文官高等試験行政科試験に合格し大蔵省に入省、税務監督局属兼大蔵属。 1914年(大正3年)法制局に移り、法制局参事官、第一部長を歴任。この間、大学で法学、憲法学を講じ、『帝国憲法要説』等を著わした。1934年(昭和9年)岡田啓介内閣の法制局長官に就任するが、在任中に法制局長官就任以前の著作『帝国憲法要説』が天皇機関説的であるという理由で右翼勢力から攻撃を受け、1936年(昭和11年)辞任に追い込まれた。
瀧 正雄(たき まさお 1884年(明治17年)4月14日 … 瀧 正雄(たき まさお 1884年(明治17年)4月14日 - 1969年(昭和44年)8月12日)は、日本の政治家、法学者。衆議院議員、貴族院議員をつとめ、近衛文麿の家老格の側近として知られた。
神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(… 神戸 正雄(かんべ まさお、旧字体:神戶 正雄、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、日本の法学者・経済学者・政治家(京都市長で、公選第一号の市長)。文化功労者。愛知県一宮市出身。 日本における消費税提唱の先駆者として知られる。 1877年(明治10年)、愛知県一宮に生まれる。旧制愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)、三高、一高を経て、1900年東京帝国大学法科大学政治科卒業、同大学大学院(財政学専攻)卒業。 1902年京都帝国大学法科大学助教授に就任。1904年(明治37年)ドイツ・イギリスに留学する。海外渡航が極めて困難な時代にあって、視察旅行とは違い実際に現地に居住し学究できたことは、神戸の人格形成に大きな影響を与えたと言われている。
稲田 龍吉(いなだ りょうきち、1874年(明治7年)3月1… 稲田 龍吉(いなだ りょうきち、1874年(明治7年)3月18日 - 1950年(昭和25年)2月27日)は、愛知県名古屋市出身の細菌学者。九州帝国大学医学部第一内科初代教授、恩賜財団母子愛育会愛育研究所(現・日本総合愛育研究所)初代所長を歴任。東京大学名誉教授、医学者。 洋学校を経て上京し、共立学校などの予備校に在籍した後、第一高等中学校を経て1895年(明治28年)帝国大学医科大学(現 東京大学医学部)に入学、1900年(明治33年)に首席で卒業し、青山胤通教授の内科教室に入局。 1902年(明治35年)から文部省海外留学生としてドイツに公費留学。1905年(明治38年)京都帝国大学福岡医科大学内科学第一講座初代教授に着任(現九州大学医学部第一内科(病態修復内科))。
笹川 臨風(ささかわ りんぷう、1870年9月2日〈明治3年… 笹川 臨風(ささかわ りんぷう、1870年9月2日〈明治3年8月7日〉 - 1949年〈昭和24年〉4月13日)は、日本の歴史家、評論家、俳人。本名は種郎(たねお)。 1870年、東京府神田末広町(現・千代田区外神田)で生まれた。父の義潔は旧幕臣で、後に内務省土木局に勤務し、大阪、名古屋などで勤務したため、一家は各地を転々とした。旧制愛知県立中学校(現愛知県立旭丘高等学校)、第三高等中学校を経て、帝国大学(現東京大学)国史科を卒業。 卒業後は教員となり、旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)校長等を経て明治法律学校教授(のち明治大学に昇格)となったが、1920年に学長木下友三郎と田島義方学監の退任を求めた植原・笹川事件が起こり、学生を扇動した罪により解職された。
岸上 鎌吉(きしのうえ かまきち、ローマ字表記:Kamaki… 岸上 鎌吉(きしのうえ かまきち、ローマ字表記:Kamakichi Kishinouye、慶応3年11月4日(1867年11月29日) - 昭和4年(1929年)11月22日)は、日本の動物学者・水産学者。日本の水産学黎明期の学者であり、水産上の重要生物を中心に日本に於ける動物分類学の基礎を築いた学者の一人として位置づけられる。 慶応3年、尾張国知多郡横須賀村(後の愛知県知多郡横須賀町、現在の東海市)に生まれる。明治13年(1880年)に愛知県立旭丘高等学校の前進である愛知県中学校へ入学、明治16年(1883年)東京大学予備門へと進む。帝国大学理科大学動物学科へ入学後、箕作佳吉に師事する。丘浅次郎とは動物学科での同期であるが、岸上は本科生であり丘は撰科生である。
清沢 満之(きよざわ まんし、1863年8月10日(文久3年… 清沢 満之(きよざわ まんし、1863年8月10日(文久3年6月26日) - 1903年(明治36年)6月6日)は、日本の明治期に活躍した真宗大谷派(本山・東本願寺)の僧侶、哲学者・宗教家。旧姓は「徳永」。幼名は「満之助」。院号法名は、「信力院釋現誠」。
三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5… 三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日(万延元年5月19日) - 1945年(昭和20年)11月26日)は、日本の哲学者、評論家。加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。本名は雄二郎
宮田 聡 は、愛知県名古屋市出身の電気化学者。理化学研究所に… 宮田 聡 は、愛知県名古屋市出身の電気化学者。理化学研究所においてアルミニウムの陽極酸化被膜(アルマイト)の高圧蒸気処理法を確立した。
梅村 淸明 は、日本の体育学者、教育者。
山田 邦博 は、日本の建設・国土交通技官。佐藤直良以来約10… 山田 邦博 は、日本の建設・国土交通技官。佐藤直良以来約10年ぶりの河川系技官出身国土交通事務次官を務めた。
笹井 芳樹 は、日本の発生学者・医学者。学位は、博士(医学)… 笹井 芳樹 は、日本の発生学者・医学者。学位は、博士(医学)(京都大学)。神経誘導因子「コーディン」の発見者。オルガノイド研究で先駆的業績を持ち、「ブレイン・メーカー」と称された。京都大学再生医科学研究所教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB) グループディレクター、同副センター長を歴任。
山田 一郎(やまだ いちろう)は、日本の工学者。東京大学大学… 山田 一郎(やまだ いちろう)は、日本の工学者。東京大学大学院教授。工学博士(東京大学、1985年)。