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山下 太郎(やました たろう、1961年12月18日 - )… 山下 太郎(やました たろう、1961年12月18日 - )は、西洋古典学者、ラテン語学者。主要な研究対象はウェルギリウス。現北白川幼稚園園長、私塾「山の学校」代表。 京都市生まれ。京都府立鴨沂高等学校を経て、1985年京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1990年京都大学大学院文学研究科博士課程退学。京都大学助手、京都工芸繊維大学講師・助教授を務めた後、学校法人北白川学園理事長及び北白川幼稚園園長に就任。
丸山 俊明(まるやま としあき、1960年 - )は、建築・… 丸山 俊明(まるやま としあき、1960年 - )は、建築・歴史学者、住環境文化研究所主宰、元びわこ学院大学短期大学部ライフデザイン学科(キャリアデザイン)教授、元京都美術工芸大学教授(伝統建築) 京都市左京区生まれ。京都府立鴨沂高等学校卒業。1983年琉球大学法文学部史学科日本史専攻卒業。1989年大阪工業技術専門学校2部建築学科卒業。2001年京都工芸繊維大学大学院博士課程修了、「山城国農村部の建築規制に関する研究」で学術博士。熊谷建築設計事務所所員、京都環境計画研究所所員、丸山建築設計事務所・住環境文化研究所主宰をへて、2012年京都美術工芸大学工芸学部建築コース(伝統建築)教授、2016年3月退職。
苧阪 直行(おさか なおゆき、1946年12月16日 - )… 苧阪 直行(おさか なおゆき、1946年12月16日 - )は、日本の心理学者。京都大学名誉教授。専門は、認知科学・社会脳科学・ワーキングメモリ。大阪大学脳情報通信融合センター招聘教授、日本学士院会員。2020年春、瑞宝重光章受章。文学博士。 父・苧阪良二は心理学者で京都大学名誉教授、妻・苧阪満里子も心理学者で大阪大学名誉教授。 京都府出身。1965年京都府立鴨沂高等学校卒業。1971年京都教育大学教育学部卒業。1976年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学、1979年「周辺視に於ける明るさ受容機構の精神物理学的研究」で文学博士の学位を取得。1977年追手門学院大学専任講師、1981年同助教授、1987年京都大学文学部助教授、1994年教授、2008年文学研究科長・文学部長、2010年定年退任、名誉教授。
岸田 雅雄(きしだ まさお、1946年5月29日 - 202… 岸田 雅雄(きしだ まさお、1946年5月29日 - 2020年1月21日)は、日本の法学者。専門は、商法・法と経済学・ファイナンス論。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1997年)。神戸大学名誉教授[リンク切れ]、早稲田大学名誉教授。早稲田大学大学院ファイナンス研究科長・早稲田大学ファイナンス研究センター所長を歴任。 京都府出身で、1970年に滋賀大学経済学部を卒業後、1972年に神戸大学法学部卒業、同年に司法修習を修了した(最高裁判所)。ニューヨーク大学・ロー・スクール修了。神戸大学法学部助手・助教授・教授、同大学院法学研究科教授を経て、2004年に早稲田大学へ移籍。同年、神戸大学より名誉教授の称号を受けた。
上野 民夫(うえの たみお、1938年(昭和13年)1月19… 上野 民夫(うえの たみお、1938年(昭和13年)1月19日 ‐ 2018年(平成30年)9月17日)は、日本の化学者。専門は天然物有機化学。京都大学名誉教授。 京都市左京区岡崎に生まれる。父は開業医を営んでいた。京都府立鴨沂高等学校から京都大学農学部に進み、1962年に卒業。同大の大学院博士課程(農学研究科)を1967年3月に修了して、農学博士号を取得した。 1967年5月よりダルムシュタット工科大学(当時は西ドイツ)の有機化学研究所で研究員となる。1968年に帰国し、9月より京都大学農学部附属農薬研究施設、農薬化学生物学部門の助手に就任。以後、助教授(1979年4月)を経て、1992年6月に教授(農芸化学科生物調節化学講座)に昇格した。
家森 幸男(やもり ゆきお、1937年 - )は、日本の医学… 家森 幸男(やもり ゆきお、1937年 - )は、日本の医学者。医学博士。WHO循環器疾患専門委員、武庫川女子大学国際健康開発研究所長、ハーバード大学客員教授、京都大学名誉教授(予防栄養学)。病理学専攻。日本に「カスピ海ヨーグルト」を紹介したことで知られ、長寿に関する研究で知られる。 京都府出身。京都府立鴨沂高等学校を経て、1962年、京都大学医学部を卒業し、1967年に京都大学大学院医学研究科博士課程修了。島根医科大学教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授などを務めた。
谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月… 谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月26日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。京都大学名誉教授。弁護士、弁護士法人松尾綜合法律事務所客員弁護士。 京都府立鴨沂高校卒業、日本の司法試験は、京都大学法学部在学中に合格。その後、民法並びに民事訴訟法などを主な研究領域とした学者を目指し、海外のロースクールへ留学。 倒産法分野の研究においては、日本では権威的存在である。また、株式会社における総会決議の効力を争う訴訟について、その実質が会社という法人自身は紛争主体になっていない内部紛争であることに着目し、会社の被告適格性に疑問を呈した「コップの中の嵐」理論でも知られる。 民法学者谷口知平の次男。
河合 秀和(かわい ひでかず、1933年4月28日 - )は… 河合 秀和(かわい ひでかず、1933年4月28日 - )は、日本の政治学者。学習院大学名誉教授。専門は比較政治、イギリス政治。 1933年、京都市生まれ。1952年京都府立鴨沂高等学校卒業。1956年に東京大学法学部を卒業した。1961年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専攻修了。1962年オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジに留学。1966年学習院大学法学部助教授。1970年学習院大学法学部教授をつとめた。2000年学習院大学東洋文化研究所長。2004年学習院大学を退任後に、中部大学国際関係学部特任教授として教鞭をとった。2008年3月末を以て、中部大学特任教授を退任。 この他に、1991年から1992年に放送大学客員教授。
鈴江 璋子(すずえ あきこ、1933年(昭和8年)3月 - … 鈴江 璋子(すずえ あきこ、1933年(昭和8年)3月 - )は、日本の英文学者、実践女子大学名誉教授。 大阪市東淀川区生まれ。京都府立鴨沂高等学校卒業。1955年京都大学文学部英文科卒業。1962年同大学院博士課程満期退学。1965年龍谷大学文学部助教授、68年実践女子大学文学部助教授、75年教授、2004年定年、名誉教授、創価大学客員教授。2006-2010年日本ギャスケル協会会長。
川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )… 川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。滋賀県立琵琶湖博物館前館長(名誉学芸員)。専門は群集生態学、動物社会学。理学博士(京都大学 , 1960年)。 京都市出身。1948年(昭和23年)京都府立第二中学校を卒業、1951年(昭和26年)京都府立鴨沂高等学校を卒業後、京都大学理学部に入学。宮地傳三郎教授を師事し、動物学と生態学を学んだ。 1960年、京都大学の助手に任官。その後、1967年に助教授、1977年に教授に昇任。1996年に教授を退官後、滋賀県立琵琶湖博物館館長に就任した。2010年に滋賀県立琵琶湖博物館館長を退任。 淡水生物の生態を主に研究。
北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年1… 北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年12月1日)は、日本の地球物理学者。九州大学名誉教授。理学博士。京都市出身。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部地球物理学科に入学。京都大学山岳部に在籍。1954年(昭和29年)卒業、同大学院修士課程に進学し、長谷川万吉研究室で広野求和から地磁気の指導を受ける。なお、のちに第4次南極越冬隊に参加し、ブリザードのため遭難死した福島紳とは、小学校から大学院まで一貫して同級生同士だった。 修士課程在籍中、長谷川万吉から第1次南極地域観測隊への参加を打診される。その後、長谷川が、隊長に選ばれた永田武との確執から、南極関係の人事から事実上手をひくことになっため、山岳部の先輩である今西錦司に直訴して西堀栄三郎副隊長への紹介状を書いてもらい、西堀に直訴して観測隊に加えられる。
福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 … 福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 - 1960年(昭和35年)10月10日行方不明、17日認定死亡)は日本の地球物理学者。理化学研究所研究員(宇宙線研究室所属)、南極地域観測隊員。第4次南極越冬隊に参加中、ブリザードのため遭難し、日本の南極観測において初めての死者となった。南極大陸のやまと山脈の最高峰「福島岳」は、その名にちなんでつけられたものである。 1930年(昭和5年)9月24日、京都に生まれる。父は、法学者で関西大学法学部教授の福島四郎。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部に入学。1954年(昭和29年)卒業、同大学院自然科学研究課程修士課程に進学、1956年(昭和31年)修了し同博士課程に進学、1959年(昭和34年)退学。
大槻 幹郎(おおつき みきお、昭和3年(1928年) - )… 大槻 幹郎(おおつき みきお、昭和3年(1928年) - )は、日本の美術史・仏教文化を専攻する学者。専攻は日本美術システム・仏教文化史。 昭和3年(1928年)、京都府に生まれる。京都師範学校、立命館大学文学部史学科卒業。京都府立鴨沂高等学校教諭を経て、花園大学文学部非常勤講師となる。他に黄檗山万福寺黄檗文化研究所研究員・元花園大学国際禅学研究所客員研究員。
木村 靜子(きむら しずこ、旧姓は桂、1927年 - )は、… 木村 靜子(きむら しずこ、旧姓は桂、1927年 - )は、日本の法学者。専門は刑法。成蹊大学名誉教授。指導教員は滝川幸辰。論文や基本書では「木村静子」と表記されることも多い。
村上 武次郎(むらかみ たけじろう、1882年11月10日 … 村上 武次郎(むらかみ たけじろう、1882年11月10日 - 1969年7月29日)は、日本の冶金学者。 京都府南桑田郡(現:亀岡市)に生まれる。京都府師範学校を経て東京高等師範学校を卒業し、京都府立第一高等女学校(現:京都府立鴨沂高等学校)の教師職に就くが、再び学問を志し29歳で京都帝国大学理学部純正化学科へ入学。卒業後も大学に残り講師を務める。近重眞澄の推挙で、1916年新たに設立される東北帝国大学に臨時理化学研究所(所長本多光太郎、現:東北大学金属材料研究所)に赴任する。以後KS鋼・新KS鋼の研究に携わり、ステンレス鋼や高速度工具鋼など新素材の領域で優れた業績を上げた。 娘婿に今井勇之進がいる。
井上 秀(いのうえ ひで、1875年(明治8年)1月6日 -… 井上 秀(いのうえ ひで、1875年(明治8年)1月6日 - 1963年(昭和38年)7月19日)は、日本の家政学者・教育家。日本女子大学校(現在の日本女子大学)初の女性校長(第4代、1931年11月 - 1946年11月)。 1875年(明治8年)1月6日、兵庫県氷上郡船城村(現・兵庫県丹波市)に生まれる。10歳で氷上郡各町村組合立氷上高等小学校に入学。在学中に裁縫の教師から「女に学問はいらないというのは古い考え方である。これからは女子も大いに勉強して国家に尽くす人にならなければいけない」と言われ、京都府立第一高等女学校を志す。 15歳で京都府立第一高等女学校に進学する。同校の寮で広岡浅子(明治・大正期に活躍した女性実業家)の娘・亀子と同室になった縁で、広岡家が営む大阪の豪商・加島屋久右衛門家にも出入りするようになる。