スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
安藤 広大(あんどう こうだい、1979年 - )は、日本の… 安藤 広大(あんどう こうだい、1979年 - )は、日本の実業家。株式会社識学の創業者で代表取締役社長を務める。 大阪府に生まれる。大阪府立北野高等学校を経て、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科(現・スポーツ科学部)を卒業した。[要出典] 早稲田大学卒業後、NTTドコモに入社。2006年に[要出典]ジェイコムホールディングス(現・ライク)に転職する。主要子会社のジェイコム(現・ライクスタッフィング)では取締役営業副本部長などを歴任した。 2015年に株式会社識学を設立し、2019年にマザーズ上場を達成した。 『フォーブズ ジャパン』が選ぶ、「社会を動かす、未来をつくるリーダー、アントレプレナーシップをもった経営者100人」の「今年の顔」として選出されている[要出典]。
笠原 健治(かさはら けんじ、1975年12月6日 - )は… 笠原 健治(かさはら けんじ、1975年12月6日 - )は、日本の実業家。株式会社MIXI取締役ファウンダー・上級執行役員。大阪府箕面市出身。 フォーブス誌によると2017年3月時点で資産額は1890億円、日本長者番付25位。 父は京都工芸繊維大学名誉教授の笠原正雄。母は京都市立芸術大学で講師を務めるピアニストの笠原威子。大阪府の千里ニュータウンで育った。東京大学在学中にネットエイジ社長西川潔の支援を受け、同社オフィス内にイーマーキュリーを設立。求人サイト運営を経てソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)運営に進出、「mixi」を開設した。 2015年4月13日に家族向け写真・動画共有サービス「家族アルバム みてね」をリリース。
粟飯原 理咲(あいはら りさ、1974年3月[要出典] - … 粟飯原 理咲(あいはら りさ、1974年3月[要出典] - )は、日本の実業家。アイランド株式会社代表取締役。 大阪府生まれ。大阪府立北野高等学校を経て、筑波大学第一学群社会学類を卒業後、1996年にNTTコミュニケーションズに入社。先端ビジネス開発センターに勤務。その後、リクルートに転職し、次世代事業開発室や事業統括マネジメント室を経て、総合情報サイト「All About」のマーケティングプランナーに従事。 2003年7月、アイランド株式会社代表取締役に就任。同年、お取り寄せ情報サイト「おとりよせネット」をオープン。2005年には料理ブログのポータルサイト「レシピブログ」、2006年には朝のライフスタイルマガジン「朝時間.jp」、2012年にはキッチン付きイベントスペース「外苑前アイランドスタジオ」をオープンした。
松田 憲幸(まつだ のりゆき、1965年5月28日 - )は… 松田 憲幸(まつだ のりゆき、1965年5月28日 - )は、日本出身でアメリカ合衆国在住のシステムエンジニア、実業家。ソースネクスト創業者で、同社代表取締役会長兼CEO、SOURCENEXT Inc. President CEO、ロゼッタストーン日本法人代表取締役社長。新経済連盟理事。 兵庫県姫路市生まれ。1984年大阪府立北野高等学校卒業。1989年大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部数理工学科卒業後、日本アイ・ビー・エムに入社し、システムエンジニアを務めた。1993年システムコンサルタントとして独立し、トリプル・エーを設立。同社代表取締役社長に就任。 1996年ソース(現:ソースネクスト)創業、同社代表取締役社長に就任。
高田 幸徳(たかだ ゆきのり、1964年〈昭和39年〉9月3… 高田 幸徳(たかだ ゆきのり、1964年〈昭和39年〉9月3日 - )は、日本の経営者。住友生命保険社長を務める。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校(95期)を経て、1988年(昭和63年)3月に京都大学経済学部を卒業し、同年4月に住友生命保険入社。 秋田支社長、営業企画部次長兼営業企画室長、営業企画部担当部長兼営業企画室長、営業企画部長、企画部担当部長、企画部長、執行役員兼企画部長、上席執行役員、執行役常務を歴任。健康増進型保険「Vitality」や営業企画部門を担当し、非対面で契約できるシステムの導入に取り組んだ。 2021年(令和3年)4月1日、住友生命保険代表執行役社長に就任。
森田 隆之(もりた たかゆき、1960年〈昭和35年〉2月5… 森田 隆之(もりた たかゆき、1960年〈昭和35年〉2月5日 - )は、日本の実業家。 日本電気 (NEC) 取締役代表執行役社長兼CEO。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、1983年(昭和58年)に東京大学法学部を卒業し、日本電気に入社。 入社後は海外関係部門に長く在籍し、1990年のシーメンスの私設交換機事業を皮切りにM&Aを多く手がけ、パソコン事業のレノボとの合弁化や、半導体事業のルネサステクノロジとの合弁化といった基幹事業の再編にもかかわった。 2006年に執行役員となり、2011年執行役員常務に昇格し、不採算事業再建にも関与した。海外事業の責任者だった森田は、当時の社内について「ひどい状態で大変でしたよ。
増 一行(ます かずゆき、1959年〈昭和34年〉2月19日… 増 一行(ます かずゆき、1959年〈昭和34年〉2月19日 - )は、日本の経営者。三菱商事CFOを歴任し、2025年7月より日本銀行政策委員会審議委員を務める。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、1982年(昭和57年)3月に東京大学法学部を卒業し、4月三菱商事に入社(大阪支社管理第二部配属)。業務改革・内部統制推進部長、コーポレート部門管理部長、生活産業グループ管理部長、2013年4月執行役員主計部長を歴任。 2016年(平成28年)4月1日、常務執行役員CFOに就任。2022年(令和4年)3月にCFOを退任。 2025年(令和7年)5月22日に国会の同意を得て、7月1日に日本銀行政策委員会審議委員に就任。
新貝 康司(しんがい やすし、1956年1月11日 - )は… 新貝 康司(しんがい やすし、1956年1月11日 - )は、日本の実業家。元日本たばこ産業株式会社代表取締役副社長、副CEO。第一生命ホールディングス、西日本電信電話株式会社の社外取締役、VCキャピタルファンドANRI、株式会社リボルナバイオサイエンスの顧問などを務める。その他、リクルートホールディングスの社外取締役(2014 - 2018年)、アサヒグループホールディングスの社外取締役(2018-2022年)、三菱UFJフィナンシャルグループの社外取締役(2018-2023年)、オリンパス株式会社の社外取締役(2022-2024年)、またエクサウィザーズやオープンエイトをはじめとしたスタートアップの社外取締役を歴任。
樋口 眞哉(ひぐち しんや、1953年11月12日 - )は… 樋口 眞哉(ひぐち しんや、1953年11月12日 - )は、日本の実業家。元山陽特殊製鋼代表取締役社長。大阪府出身。 1972年に大阪府立北野高等学校を卒業、同年東京大学文科一類入学。大学ではバレーボール部に所属し、男子部主将。1976年に東京大学法学部を卒業後、新日本製鐵に入社。1984年-1986年にハーバード大学経営大学院に留学、1986年に経営学修士号を取得し卒業。2007年に新日本製鐵執行役員。2010年に常務執行役員。2012年に新日鐵住金代表取締役副社長。2016年より山陽特殊製鋼代表取締役社長。新日鐵住金から増資を受けてOvakoの完全子会社化を執行。2019年より特殊鋼倶楽部会長。
中井 加明三(なかい かめぞう、1950年7月30日 - )… 中井 加明三(なかい かめぞう、1950年7月30日 - )は、日本の実業家。野村不動産ホールディングス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、野村不動産代表取締役社長、同社代表取締役会長、首都圏不動産公正取引協議会会長などを務めた。 兵庫県出身。大阪府立北野高等学校を経て、1974年関西学院大学商学部卒業後、野村證券入社。1995年取締役に昇格。1999年常務取締役。2003年野村アセットマネジメント専務執行役。2009年野村土地建物代表取締役社長。 2011年から野村不動産ホールディングス代表取締役社長を務め、2012年野村不動産代表取締役社長や野村土地建物代表取締役社長、埼玉開発代表取締役社長兼務し、純利益などで東急不動産ホールディングスを上回る不動産業界4位を実現し、財務の改善なども進めた。
上田 成之助(うえだ せいのすけ、1950年4月1日 -)は… 上田 成之助(うえだ せいのすけ、1950年4月1日 -)は日本の実業家。京阪電気鉄道相談役。京福電気鉄道会長、相談役。滋賀県出身。
尾崎 裕(おざき ひろし、1950年(昭和25年)3月11日… 尾崎 裕(おざき ひろし、1950年(昭和25年)3月11日 - )は、日本の実業家。大阪ガス相談役。 兵庫県宝塚市出身。大阪府立北野高等学校を経て、東京大学工学部卒業後、1972年大阪ガス入社。企画部国際室長、原料部長、取締役を経て、2005年に常務取締役。2008年4月に体調不良で辞任した芝野博文(2009年死去)の後任として代表取締役社長を務める。2011年6月23日より朝日放送取締役も務めている。2013年6月より、日本ガス協会会長に就任。2015年4月1日付で代表取締役会長に就任(後任は本荘武宏)。 2015年11月20日に死去した佐藤茂雄(京阪電気鉄道最高顧問)の後任として大阪商工会議所会頭を務める。
家次 恒(いえつぐ ひさし、1949年9月17日 - )は、… 家次 恒(いえつぐ ひさし、1949年9月17日 - )は、日本の実業家。シスメックス会長を務めている。 大阪府立北野高等学校を経て1973年に京都大学経済学部を卒業、三和銀行に入行した。 1986年に東亞医用電子(現在のシスメックス)に転職し、常務、専務を経て、1996年から社長に就任し、シスメックスを190か国以上の国々を取引するグローバル企業に育て上げ、売上高も飛躍的に伸ばしていった。2013年から会長と兼任。 2001年から神戸商工会議所副会頭を務め、2016年に神戸商工会議所会頭に就任した。 2022年秋に旭日重光章を受章。 2023年6月に社長職を浅野薫に譲り会長となった。
山澤 倶和(やまざわ ともかず、1947年11月26日 - … 山澤 倶和(やまざわ ともかず、1947年11月26日 - )は、日本の経営者。福井県出身。現在は、大阪経済大学理事長(2023年7月~) 大阪府立北野高等学校(78期)を経て、1971年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)に入社。 2000年6月に取締役に就任し、2002年4月に第一阪急ホテル社長に就任し、2005年4月に阪急ホテルマネジメント社長に就任し、2008年4月に阪急阪神ホテルズ社長に就任し、2012年には会長に就任した。 2012年6月から2016年6月までに阪神高速道路社長を務め、池田泉州銀行取締役も務めた。
垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本… 垣内 剛(かきうち たけし、1944年4月15日-)は、日本の実業家。西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)元代表取締役社長。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、1969年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、日本国有鉄道入社。 2003年からJR西日本社長を務めていたが、2005年のJR福知山線脱線事故の責任を取り、2006年 取締役兼執行役員に降格。2007年から取締役を退任し顧問を務めていた。事故後は、遺族らとともに悲嘆についての聖トマス大学(当時、2015年閉学)の公開講座に参加するなど深く反省を示していた。2009年 山崎正夫社長(当時)が記者会見で、歴代社長の事故への責任を明確化するために顧問契約を解消し、南谷昌二郎顧問同様、8月1日付で嘱託となることを明らかにした。
山本 雅弘(やまもと まさひろ、1940年(昭和15年)6月… 山本 雅弘(やまもと まさひろ、1940年(昭和15年)6月17日 - )は、株式会社毎日放送 (MBS) の相談役最高顧問、元社長・会長。東京放送ホールディングス取締役も務めた。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、京都大学法学部卒業。 1964年(昭和39年)に毎日放送へ入社。第5代社長斎藤守慶が営業局の中心だった昭和40年代から50年代にかけ、部下として主に営業畑を歩んだ。1975年(昭和50年)のネットチェンジは東京支社テレビ営業部配属で迎え『ストロンガー』から『スーパー1』までの『仮面ライダー』シリーズのTBS系列移行を推進。『まんが日本昔ばなし』の立ち上げでは川内康範と組み、『世界まるごとHOWマッチ』では制作会社イーストと組んで大橋巨泉とビートたけしを結び付け大ヒット、巨泉のセミリタイアを5年延長させた。
松本 徹三(まつもと てつぞう、1939年(昭和14年)11… 松本 徹三(まつもと てつぞう、1939年(昭和14年)11月15日[要出典] - )は日本の実業家であり、作家でもある。 元ソフトバンクモバイル取締役副社長(2020年3月までソフトバンクグループ シニアアドバイザー)。ORNIS株式会社代表取締役会長。株式会社 ジャパン・リンク 代表取締役社長。一般財団法人 高IQ者認定支援機構代表理事。 兄一人、姉二人の末子として東京で生まれ、生後3か月で大阪へ移る。 幼年期は兵庫県西宮市[要出典]、東京都中野区[要出典]に住み、戦争が激しくなると、栃木県上野郡東大芦村大字引田[要出典]に疎開した。疎開先で終戦になり、ラジオで玉音放送を聴いた。終戦後、大阪へ戻った。
森本 昌義(もりもと まさよし、1939年 - )は、日本の… 森本 昌義(もりもと まさよし、1939年 - )は、日本の実業家。英国国立ウェールズ大学経営大学院MBA(日本語)プログラム・CSR担当講師、森本CSR研究室主宰、経営倫理士、M.ProーConsulting代表取締役社長。 1939年大阪市生まれ。大阪府立北野高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業。ソニーに入社後、米コロンビア大学経営大学院留学、ソニーアメリカに15年、ソニーブラジルに10年勤務したのち、ソニー執行役員専務、アイワ代表取締役社長を経て、2003年6月25日にベネッセコーポレーションの代表取締役社長兼COOに就任。 その後、2006年6月代表取締役社長兼CEOに昇格。2007年2月21日、CEOを辞任し同社を退社。
藤 洋作(ふじ ようさく、1937年〈昭和12年〉9月14日… 藤 洋作(ふじ ようさく、1937年〈昭和12年〉9月14日 - )は、日本の経営者。関西電力元代表取締役社長。電気事業連合会元会長。元原子力発電環境整備機構(NUMO)副理事長。2022年(令和4年)12月現在、株式会社原子力安全システム研究所取締役会長である。 大阪府出身。国立大阪教育大学附属池田小学校・同附属池田中学校を経て、大阪府立北野高等学校卒業。 1960年(昭和35年)3月に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月関西電力株式会社に入社。1989年(平成元年)6月に支配人。1993年6月に取締役。1997年6月、専務取締役。1999年6月に代表取締役副社長となり、2001年6月、石川博志の後任の代表取締役社長に就任した。
井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 201… 井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 2019年9月19日)は、日本の実業家・経営者である。大王製紙創業家2代目で、同社社長・会長等を歴任した。 大王製紙の創業者である父伊勢吉の社長時代に、倒産という修羅場を経験したが、父と力を合わせて大王製紙を再建。家庭用紙への参入など時代の先を読む経営手腕を発揮して、同社を王子製紙、日本製紙に次ぐ業界3位の総合紙パルプメーカーに育て上げた。 1937年(昭和12年)、当時愛媛県宇摩郡三島町(現在の四国中央市)で製紙原料商を営んでいた井川伊勢吉の長男として生まれた。 1943年(昭和18年)、父・伊勢吉は大王製紙を創立、社長に就任した。 大阪府立北野高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英文学科を1年ずつ浪人留年して卒業。
藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 … 藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区出身。輸入雑貨販売店「藤田商店」「日本マクドナルド」「日本トイザらス」「日本ブロックバスター」創業者。 大阪府大阪市東淀川区に生まれる。3歳の時に千里山へ移住した。通学した三島郡千里第二尋常小学校で、成績は優秀だが母が教師に付け届けをせず、内申書の表現が良く記されずに一浪して十三の旧制北野中学へ進学した。 卒業後に戦火が激しくなったことから大阪を離れ、1944年に旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学。光クラブを経営する山崎晃嗣が1級上におり、後述する関係であった。
中尾 益朗(なかお ますろう、1923年10月28日 - 2… 中尾 益朗(なかお ますろう、1923年10月28日 - 2003年4月11日)は、日本の実業家。帝人医薬社長、帝人副社長、副会長、顧問を歴任。 鹿児島県日置郡串木野村下名、後の串木野市(現いちき串木野市)元町出身。大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を経て、1945年に第七高等学校造士館理科を卒業。1949年に東京大学工学部を卒業し、帝国人造絹絲株式会社(1962年に帝人株式会社へ商号変更)へ入社。三原工場技術課長、三原工場レーヨン製造部第二技術課長、岩国工場レーヨン製造部長、松山工場テトロン第一製造部長を経て、1970年徳山工場長、1971年松山工場長、1972年取締役、1977年常務、1980年専務、1983年副社長。
八田 竹男(はった たけお、1914年〈大正3年〉9月15日… 八田 竹男(はった たけお、1914年〈大正3年〉9月15日 - 1991年〈平成3年〉8月6日)は、吉本興業社長。興行師、芸能プロモーター。 大阪府の生まれ。旧制北野中学校(現大阪府立北野高等学校)、早稲田第一高等学院を経て、早稲田大学法学部中退。俳優の森繁久彌とは北野中学時代からの同級生で同い年であり、早稲田時代には一緒に演劇に熱中した。 戦前の1937年、吉本興業に入社。戦後は事業部、制作部の部長などを歴任。戦後は映画館経営に専念していた吉本興業に演芸部門を復活させ、うめだ花月、京都花月、なんば花月など演芸場を次々と開設し、今日の「笑いのヨシモト」を築き上げた。1977年には橋本鐵彦の後を継いで社長に就任。
吉原 治良(よしはら じろう、1905年1月1日 - 197… 吉原 治良(よしはら じろう、1905年1月1日 - 1972年2月10日)は、日本の抽象画家、実業家。吉原製油社長。具体美術協会の創設者。
山本 為三郎(やまもと ためさぶろう、1893年(明治26)… 山本 為三郎(やまもと ためさぶろう、1893年(明治26)4月24日 - 1966年(昭和41)2月4日)は、実業家。大阪市中央区船場生まれ。「ビール王」、「ホテル王」と呼ばれた。
古田 俊之助(ふるた しゅんのすけ、1886年(明治19年)… 古田 俊之助(ふるた しゅんのすけ、1886年(明治19年)10月15日 - 1953年(昭和28年)3月23日)は、日本の実業家で、第七代住友総理事である。第2次大戦の敗戦により、住友財閥が解体され、住友最後の総理事となる。 京都府葛野郡衣笠村字等持院(現・京都市北区等持院北町)の寺侍井上数馬・エンの五男として生まれる。1899年(明治32年)14歳の時、大阪製鎖所を経営する古田敬徳の養子となり、大阪府一中(現・大阪府立北野高等学校)に進んだ。六高を経て、1910年(明治43年)東京帝国大学工科大学を卒業し、住友総本店に入社する。 入社以来、ほとんど住友伸銅所の技術畑を歩き、1935年(昭和10年)の住友金属工業誕生とともに、専務取締役に任ぜられ、翌1936年(昭和11年)には合資理事として住友の大幹部の1人となった。
右近 福次郎(うこん ふくじろう、1883年〈明治16年〉1… 右近 福次郎(うこん ふくじろう、1883年〈明治16年〉10月4日 - 没年不明)は、日本の実業家、資産家。族籍は福井県平民。 福井県・右近権左衛門の男。右近和作の養弟。1901年、大阪府立北野中学校卒業。慶應義塾に学ぶ(1927年に特選)。1918年、分家する。 日本海上保険常務、同専務取締役、朝鮮電気社長、右近商事、元山水力電気、南朝鮮水力電気各取締役、日海興業、大阪酸水素、和歌山紡績各監査役等をつとめる。 実業界に入り日本海上保険、朝鮮電気、元山水力電気等の重役だった。兵庫県在籍で、住所は神戸葺合町、武庫郡住吉村室ノ内(現・神戸市東灘区住吉本町)。
松尾 四郎(まつお しろう、1883年(明治16年)5月12… 松尾 四郎(まつお しろう、1883年(明治16年)5月12日 - 1958年(昭和33年)7月17日)は、明治末から昭和前期の政治家、実業家。衆議院議員(5期)、奈良県宇陀郡松山町長(3期)、同郡大宇陀町長(1期)。 奈良県宇陀郡松山上中町(松山町大字上中、大宇陀町を経て現宇陀市大宇陀上中)で、林業・松尾徳三郎の二男として生まれた。1903年(明治36年)大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を卒業し、大和銀行(現南都銀行)に入行した。1909年(明治42年)奈良水力電気の創立に参画した。1911年(明治44年)9月、家督を相続した。奈良県農会議員、宇陀郡農会長、同教育会長に就任。実業界では、大和銀行監査役、大和電気専務取締役、大正水力電気取締役、宇治川電気取締役、三芳索道取締役、信貴生駒電気鉄道(のち信貴生駒電鉄)取締役、奈良県農工銀行取締役、南都銀行取締役、大和貯蓄銀行取締役、吉野銀行監査役、奈良信託監査役、新日本工業取締役、松尾合名会社代表社員などを務めた。
上野 精一(うえの せいいち、1882年(明治15年)10月… 上野 精一(うえの せいいち、1882年(明治15年)10月28日 - 1970年(昭和45年)4月19日)は、日本の新聞経営者。朝日新聞社社主。 1882年、朝日新聞社社主・上野理一の長男として大阪市東区平野町に生まれる。北野中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法科大学卒。大学院在籍のまま日本勧業銀行に入行するが、1910年に朝日新聞社に入社。営業部長、副社長を歴任。妻は九鬼隆義の娘の梅子(琴の奏者として知られる。戒名は慈徳院殿仁讓琴室梅箏大姉) 村山龍平社長のもとに専務取締役、取締役会長を経て1933年に社長就任。廃止されていた主筆制を復活させる。1946年、全国中等学校野球連盟(現日本高等学校野球連盟(高野連))設立、初代会長に就任。
片岡 直方(かたおか なおまさ、1882年(明治15年)9月… 片岡 直方(かたおか なおまさ、1882年(明治15年)9月26日 - 1949年(昭和24年)3月21日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。貴族院勅選議員。 東京府神田駿河台(現:東京都千代田区)で海軍主計官・片岡直輝の長男として生まれる。1893年(明治26年)父の大阪府書記官就任に伴い大阪に移住。大阪府第一中学校、第七高等学校造士館を卒業。東京帝国大学法科大学に入学したが、京都帝国大学法科大学に転じ、1910年(明治43年)7月、同大学を卒業した。 卒業後、父が役員を務めていた阪堺電気軌道に入社し、一社員として現場での働きを経験して庶務課長に昇進。3年ほど務め、今後の経営者としての働きのため金融の経験が不可欠と考え、近江銀行に転じた。
長尾 良吉(ながお りょうきち、1870年11月19日(明治… 長尾 良吉(ながお りょうきち、1870年11月19日(明治3年10月26日)- 1937年(昭和12年)1月22日)は、日本の経営者。鐘淵紡績社長を務めた。 兵庫県出身。1885年に府立大阪中学校(現大阪府立北野高等学校)初等中等科を卒業。1891年に高等商業学校(現一橋大学)本科を卒業。県立神戸商業学校教諭を経て、1895年に同校長事務取扱となる。 内外綿神戸出張所長、孟買出張所主任/副支配人を経て、1900年に鐘淵紡績に入社。1916年取締役。1922年には平生釟三郎の甲南高等学校(現甲南大学)設立を支援。1925年常務取締役。1928年副社長。1930年に社長に就任。 1933年川崎造船所取締役、本山村会議員。
乾 勲(いぬい いさお)は、日本の実業家。大阪府出身。ガンバ… 乾 勲(いぬい いさお)は、日本の実業家。大阪府出身。ガンバ大阪元代表取締役社長。 大阪府出身。一時期京都で過ごした後、大阪に戻る。大阪市立瑞光中学校、大阪府立北野高等学校、神戸大学経営学部を卒業。高校までは運動をほとんどしていなかったが、大学時代はフィールドホッケー部に所属していた。 1963年、松下電器産業株式会社に入社。営業や企画部門を中心に様々なポストを歴任し、1999年ガンバ大阪代表取締役社長に就任した。 就任当時、累積赤字を抱えていたガンバの体質改善に着手。人員整理、グッズ在庫の一掃などを進め、赤字からの脱却を果たす。Jリーグバブルの崩壊によって観客動員が最も低迷した時期であったにもかかわらず、黒字をキープさせた乾の経営手腕が、その後のガンバ躍進の基礎となった。
西村 純平(にしむら じゅんぺい)は、日本の実業家。日本貿易… 西村 純平(にしむら じゅんぺい)は、日本の実業家。日本貿易振興会理事長や、日新電機代表取締役社長、関西経済同友会代表幹事などを歴任した。 大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を経て、東京商科大学(現一橋大学)卒業。1925年住友銀行入行。1947年住友銀行常務取締役。1950年関西経済同友会代表幹事。同年日本金融学会理事。1952年住友銀行専務取締役。1953年にはライオンズクラブ大阪支部結成式に参会。1966年山口県同郷会会長。1973年勲二等瑞宝章受章。住友銀行副頭取、日新電機代表取締役社長を経て、1974年日本貿易振興会理事長、対外経済協力審議会委員。