スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
枝廣 直幹(えだひろ なおき、1955年(昭和30年)9月2… 枝廣 直幹(えだひろ なおき、1955年(昭和30年)9月29日 )は、日本の政治家、財務官僚。第13代福山市長。石川県総務部長、財務省主計局主計官、内閣官房内閣審議官、近畿財務局長等を歴任。 広島県福山市北吉津町出身。母方の祖父に渡邊伝七商店(現株式会社ナベショー)創業者の渡邊伝七がいる。渡邊家は宝永7年(1710年)から明治の廃藩置県まで代々吉津の番所の役人を務めた家系で、北吉津町の番所跡には現在渡邊神社が鎮座する。 福山市立東中学校、広島県立福山誠之館高等学校を経て、1980年、一橋大学経済学部経済学科を卒業。大学では荒憲治郎ゼミに所属。部活動は一橋大学管弦楽団で、コンサートマスターも務めた。
大村 筆雄(おおむら ふでお、1918年4月10日 - 20… 大村 筆雄(おおむら ふでお、1918年4月10日 - 2008年9月29日)は、日本の大蔵官僚。 広島県福山市三之丸町生まれ。広島県立福山誠之館中学校から第六高等学校(文科乙類)に入学。六高時代は柔道部に入部。官僚の道を選ぶべく東京帝国大学法学部を目指し、1938年に入学。東京帝大法学部法律学科3年次の1940年10月に高等試験行政科及び司法科を合格。東京帝大法学部法律学科を卒業し、1941年 大蔵省に入省し、国民貯蓄奨励局に配属された。8か月の勤務の後、広島の部隊に陸軍二等兵として入隊。1944年3月 パラオ諸島の中心コロール島に着任した。米軍の攻略目標から外れた大村らの基幹部隊は、パラオ本島のジャングルの中で持久作戦に入る。
広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 19… 広安 孝夫(ひろやす たかお、1910年4月17日 - 1959年4月18日)は、日本の官僚、聖職者、教育者、翻訳家。文部省文部事務官、文部省宗教課文部属、日本聖公会の伝道師。 1910年(明治43年)4月17日、広島県沼隈郡郷村(現・福山市)にて、広安助一郎の三男として生まれる。 1923年(大正12年)、広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)へ入学。結核のため2年間の休学を経て、1930年に同校を卒業。青年期に兄・広安謙一の影響を受けてキリスト教を知るが、兄は、札幌農学校のクラーク博士の遺風を慕って、北海道帝国大学医学部に学び、後に旭川で開業医となっている。 1932年(昭和7年)3月25日に、地元の福山基督教会の司祭・横田金熊のもとで洗礼を受ける。
荒木 茂久二(あらき もくじ、1907年7月25日 - 19… 荒木 茂久二(あらき もくじ、1907年7月25日 - 1991年6月25日)は、日本の官僚、経営者。広島県福山市引野町出身。 農家の次男として生まれる。父の茂市は引野町長、広島県会議員を務めた。 誠之館中学(現広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に鉄道省に入省した。仙台鉄道局書記。 鉄道省大臣官房文書課、広島鉄道局総務部長、東京鉄道局総務部長、運輸省大臣官房文書課長(途中まで大臣秘書官兼務)などを務める。 1949年6月に運輸省官房長に就任。在任中に下山事件、三鷹事件、松川事件の三大公安事件が続発した。1952年1月に鉄道監督局長に就任。
藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年〈明治39年〉11月… 藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年〈明治39年〉11月10日 - 1992年〈平成4年〉4月17日)は、日本の新聞記者、官僚、政治家。衆議院議員、総理府総務副長官(事務担当)。 岡山県出身。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 時事新報、読売新聞の記者を経て官界に転じ、逓信大臣秘書官、司法大臣秘書官、綜合計画局参事官、戦災復興院事務官、建設省弘報課長、総理府総務副長官(事務)を歴任。臨時恩給等調査会委員、南方同胞援護会設立委員、中央青少年問題協議会副会長、日本民主党事務局長、自由民主党事務局長も務めた。 1958年(昭和33年)の衆議院総選挙で岡山県第2区から自民党公認で出馬するが次々点で落選(ちなみに次点は藤井勝志)、1960年(昭和35年)の総選挙でトップ当選して衆議院議員となるが、この時大規模な選挙違反を起こして運動員や妻が検挙される。
島居 辰次郎(しますえ たつじろう、1905年9月12日 -… 島居 辰次郎(しますえ たつじろう、1905年9月12日 - 1997年10月4日)は、日本の逓信官僚。海上保安官、海上保安庁長官。広島県尾道市出身。 広島県立福山中学校(現福山誠之館高等学校)、第一高等学校を経て1930年、東京大学法学部卒業。1930年、逓信省入省。1938年12月8日、ダグラス14人乗りの航空機DC-2(台北福岡ルート、フライトは台北のフィールド(この台北松山空港)から早朝6時30分、離陸、福岡、九州で飛ぶ)、"富士"がクラッシュを生き延びた。北海道海運局、近畿海運局長などを経て1953年海上保安庁次長。1955年5月から1958年12月まで海上保安庁長官を務めた。退官後は特定船舶整備公団理事長、日本原子力船開発事業団理事長などを務めた。
高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 196… 高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 1965年8月10日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は従三位。衆議院議員(6期)、法務大臣を歴任。 広島県福山市深津町出身。福山中学校(現・福山誠之館高校)から1921年、第六高等学校を経て1927年、東京帝国大学法科大学英法科卒業。高等文官試験行政科に合格し逓信省入省後、札幌・熊本通信局で幹部を務めた後、逓信省簡易保険局管理課長、商工省金属回収本部総務課長、広島商工局商工部の部長を歴任。また、軍需省では大阪燃料局の局長などを務めた。 終戦後の1949年、旧広島3区から自由党公認で第24回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。以降、在職中に死去するまで連続6回当選(当選同期に佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・中川俊思・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
土肥 米之(どひ よねゆき、1898年(明治31年)3月20… 土肥 米之(どひ よねゆき、1898年(明治31年)3月20日 - 1990年(平成2年)7月24日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 広島県出身。第六高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し三重県属となる。 以後、島根県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、宮城県総務部長、兵庫県書記官・総務部長、大阪府書記官・総務部長、四国地方行政協議会参事官などを歴任。 1942年1月、鳥取県知事に就任。統制経済の円滑な実施、翼賛体制の確立に尽力し、1943年7月に辞職した。1945年4月に愛媛県知事に就任し、戦後の復興に尽力。
重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 19… 重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 1981年6月3日)は、日本の農商務官僚、政治家。元衆議院議員。従三位勲二等旭日重光章。参議院副議長を務めた重政庸徳は兄で、安倍源基は親戚。 広島県深安郡神辺町(現福山市)に生まれる。広島県立福山中学(現・広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部を卒業後、1923年、農商務省に入省。小磯内閣の農商次官、農業報国会理事、東久邇宮内閣の農林次官を歴任、商工省の岸信介とともに官僚の双璧と言われた。戦後は占領軍に公職追放された。1948年9月10日には昭和電工疑獄事件で嫌疑がかけられ逮捕され、一部無罪となるものの懲役1年・執行猶予1年が確定した。
藤井 崇治(ふじい そうじ、1894年7月1日 - 1975… 藤井 崇治(ふじい そうじ、1894年7月1日 - 1975年3月18日)は、大正、昭和期の逓信官僚。電源開発総裁。位階は従三位。広島県深安郡山野村(現福山市山野町)出身。 広島県立福山中学(現福山誠之館高校)、旧制第三高等学校を経て1921年、京都帝国大学法学部法律科卒業。逓信省入省。1927年札幌逓信局規画課長、1932年郵務局規画課長。この時期を通して郵便配達方法の改善に着目、郵便戸番制の採用など独創的な方策を樹立し、これらは後に新住居制度や郵便番号制度の普及に役立ったとされる。満州事変から1か月半後の1933年4月、満洲電信電話設立の要務を帯びて関東庁逓信局長に任命され大連に赴任。旧満州国の電力サイクルの統一等に尽力。
藤野 恵(ふじの めぐむ、1894年(明治27年)4月16日… 藤野 恵(ふじの めぐむ、1894年(明治27年)4月16日 - 1949年(昭和24年)10月9日)は、日本の内務・文部官僚。官選県知事、文部次官。 広島県出身。藤野玖三の四男として生まれる。広島県立福山中学校、第六高等学校を卒業。1919年7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し群馬県属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格。 1920年10月、群馬県多野郡長に就任。以後、静岡県理事官・内務部社会課長兼調査課長、臨時震災救護事務局事務官、内務省社会局事務官、兼社会局書記官・社会部福利課長、同部保護課長などを歴任。 1935年1月、香川県知事に就任。 1936年6月、文部省実業学務局長に転じ、さらに同普通学務局長を務めた。
挟間 茂(はざま しげる、1893年3月24日 - 1987… 挟間 茂(はざま しげる、1893年3月24日 - 1987年12月3日)は、日本の内務官僚、内務次官。 日本住宅公団総裁。広島県福山市出身。旧姓・三谷。「梜間茂」表記の文献もあり。戸籍上は旧字体の挾間。 海軍大佐挾間光太の養子。福山中学(現福山誠之館高校)~第六高等学校を経て1919年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。内務省に入省、衛生局長、茨城県知事、土木局長、地方局長などを歴任。1937年衛生局長として保健所法制定に尽力、現在の保健所制度の基礎を作った。茨城県知事時代の大洪水に対する災害復旧政策は今日でも評価が高い。1940年第2次近衛内閣の内務次官に就任。大政翼賛会の結成をすすめ、翌1941年大政翼賛会組織局長として国民を戦時体制に動員した。
丸山 鶴吉(まるやま つるきち、1883年〈明治16年〉9月… 丸山 鶴吉(まるやま つるきち、1883年〈明治16年〉9月27日 - 1956年〈昭和31年〉6月3日)は、日本の内務官僚、政治家、教育者。警視総監、宮城県知事、武蔵野美術学校校長。位階は従三位。広島県沼隈郡松永村(現・福山市松永町)生まれ。 1883年(明治16年)、松永下駄の創始者、丸山茂助の四男として生まれる。負けん気の強い少年で、5年生になる頃には学校を仕切った。広島県立福山中学(現・福山誠之館高校)、第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学政治学科に入学。卒業後1909年(明治42年)、内務省に入る。 香川県警部、警視庁特高課長、保安課長、静岡県内務部長を歴任。保安課長時代には私娼撲滅運動を展開した。
河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 -… 河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 - 1948年3月31日)は、日本の官僚、科学者、実業家。 「河内菌」の発見により焼酎の品質を飛躍的に向上させた近代焼酎の父。広島県深津郡吉津村(現・福山市吉津町)生まれ。 河内は、代々続く醤油屋の家に生まれた。幼少期から麹や醪に馴染み、広島県立福山中学(現・福山誠之館高校)を経て大阪高等工業醸造科(現・大阪大学工学部発酵工学科)を卒業。家業が不振となったため、1909年に大蔵省入りし、熊本税務監査局鹿児島工業試験場へ技師・酒の鑑定官として赴任した。同年秋、造り酒屋の技術指導員として訪れた巡視先で、鹿児島焼酎と出会う。当時の焼酎はとても不味く、また暑い時期はすぐに腐っていた。
大平 駒槌(おおだいら こまつち、1870年1月25日(明治… 大平 駒槌(おおだいら こまつち、1870年1月25日(明治2年12月24日)- 1957年(昭和32年)4月11日)は、日本の農商務官僚、実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 広島県で大平儀右衛門の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1896年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1897年3月、農商務省に入省し、鉱山監督官輔に任じられ福岡鉱山監督署に在勤。 以後、農商務属・鉱山局勤務、札幌鉱山監督署鉱政課長、東京鉱山監督署鉱政課長、大阪鉱山監督署長を歴任し、1906年3月に退官した。 その後、大阪藤田組に入り、鉱山部庶務課長、兼小坂鉄道 (株) 専務取締役、藤田組証券課長、兼大阪合同紡績 (株) 監査役を務め、1908年12月に退社した。
江木高遠(えぎたかとお、1850年2月3日(嘉永2年12月2… 江木高遠(えぎたかとお、1850年2月3日(嘉永2年12月22日) - 1880年(明治13年)6月6日)は、文明開化期の学者、啓蒙家、外務官僚。養子に入り、『高戸賞士』を名乗った時期があった。米国で軍事と法律を学び、教員を経て演説家として名を馳せたが、外交官として渡米後ピストル自殺した。 備後福山藩の儒官、江木鰐水の第四子として福山に生まれた。幼名は賞士、通称は賞一郎。母は、年(とし)。 1856年(安政3年)(7歳)、藩校誠之館に入り、1868年(明治元年)(19歳)秋、長崎でフルベッキに学び、翌年、藩の推薦により東京の開成学校に転じ、明治2年(1869年)に慶應義塾に学んだ。1870年(明治3年)(21歳)、華頂宮博経親王の随員の一人としてニューヨークへ渡り、コロンビア法律学校(Columbia Law School)に学んだが、1872年、病気の親王と帰国し、1874年再渡米して、1876年卒業した。