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清原 康平(きよはら やすひら、1914年(大正3年)1月1… 清原 康平(きよはら やすひら、1914年(大正3年)1月14日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の陸軍軍人。歩兵少尉。歩兵第3連隊附。二・二六事件に参加、反逆罪(群衆指揮等)で無期禁固刑を受ける。その後恩赦により釈放、公職追放になるものの、恩赦の後も活躍した。2.26事件の直前、湯川智恵子と結婚して姓は、湯川康平となったが、軍関係では清原が使われている。 反乱部隊の指揮官の一人であった清原は、貴族院議員が集まり何事かを相談している華族会館を占拠し西園寺公望の秘書である原田熊雄を殺害せよとの命令を栗原安秀中尉から受け取った。逮捕後の清原の手記によると、華族会館の玄関で原田をみつけたが、その態度があまりに惨めだったので軍刀で切り捨てる気にもなれず見逃したと述べている。
安田 優(やすだ ゆたか、1912年(明治45年)2月1日 … 安田 優(やすだ ゆたか、1912年(明治45年)2月1日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍砲兵少尉。陸軍砲工学校学生。二・二六事件に参加して他の将校らと内大臣斎藤實、教育総監渡辺錠太郎を相次いで襲撃、殺害し、事件後処刑された。 安田のほか、中尉坂井直、少尉高橋太郎、少尉麦屋清済が率いる150人の襲撃部隊が、東京府東京市四谷区仲町三丁目(現東京都新宿区若葉一丁目)の内大臣斎藤実の私邸を急襲。斎藤を機関銃で殺害した。 このあと、 安田は高橋少尉とともに30人を連れ、上荻窪の渡辺錠太郎教育総監私邸へ向かい、 渡辺を射殺。後の安田の供述によれば、本来、渡辺に関しては殺害する意図は無く、陸軍大臣官邸まで連行するのが目的であったという。
河野 壽(こうの ひさし、1907年(明治40年)3月27日… 河野 壽(こうの ひさし、1907年(明治40年)3月27日 - 1936年(昭和11年)3月6日)は、日本の陸軍軍人。航空兵大尉。所沢陸軍飛行学校操縦学生。 二・二六事件で蹶起し、湯河原で牧野伸顕を襲撃したが負傷。翌月、入院先の熱海で自決した。 民間人を主体とした襲撃部隊(河野以下8人)を指揮し自動車2台に分乗、歩兵第一連隊を2月26日0時40分頃出発。 5時頃湯河原に到着、伊藤屋旅館の元別館である「光風荘」にいた牧野伸顕前内大臣を襲撃した。警護の巡査皆川義孝は河野らに拳銃を突きつけられて案内を要求されたが、従う振りをしつつ、振り向きざまに発砲し、河野及び予備役曹長宮田晃を負傷させたが、皆川巡査は殺害された。
林 正義(はやし まさよし、1906年(明治39年) 2月1… 林 正義(はやし まさよし、1906年(明治39年) 2月14日 - 1980年(昭和55年)9月26日)は、日本の海軍軍人。五・一五事件に連座し、反乱予備罪で有罪となった海軍中尉である。幽顕塾塾長。 熊本県出身。祖父は横井小楠と親交があった人物で、父は刀工、母は神風連に関わった人物の娘である。島田数雄(上海日報主筆)は叔父。妻は五・一五事件で首相官邸を襲撃した海軍士官の一人、村山格之の姪。 済々黌中学を卒業。福村利明は同級生で、刎頚の仲であった。2年の浪人を経て海軍兵学校56期に入校。高橋赫一、田辺弥八、三上作夫のほか、 古賀清志ら五・一五事件に関わる3名が同期生である。卒業席次は111中107番。
福村 利明(ふくむら としあき、1905年(明治38年)10… 福村 利明(ふくむら としあき、1905年(明治38年)10月2日 - 1944年(昭和19年)5月15日)は、日本の海軍軍人。海兵54期卒。戦死による二階級特進で、最終階級は海軍少将。 熊本県出身。1905年(明治38年)10月2日、福村卯吉の二男として生まれる。中学済々黌の出身で、林正義は同級生であった。のち林とともに王師会の結成に加わる。1926年(大正15年)3月、海軍兵学校(54期)卒業。1927年(昭和2年)10月、海軍少尉に任官。1929年(昭和4年)11月、海軍中尉に昇進し第一遣外艦隊司令部付となる。 1930年(昭和5年)4月、霧島乗組となり、出雲乗組、第5駆逐隊付、波風乗組、第3艦隊司令部付、常磐乗組、安宅乗組を歴任。
堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年〈明治33年〉9月… 堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年〈明治33年〉9月27日 - 1948年〈昭和23年〉9月25日)は、日本の海軍軍人、体操研究者。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。海兵50期。 御馬下尋常小、濟々黌を経て、海軍兵学校第50期入校。席次は入校時298名中283番、卒業時272名中156番。堀内は第13期飛行学生(艦上機班)となったが飛行作業中に車輪止め位置を直そうと駆け寄りプロペラ接触、2日間意識不明の重症を負い2ヶ月間程治療後、飛行場に出るも教官から次期飛行学生に編入されると告げられ憤然とし「次期編入であれば飛行学生を辞めます」と立ち去ったという。このため砲術専攻へ転科し、のち駆逐艦や巡洋艦の砲術長を歴任した。
中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6… 中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6日 - 1980年(昭和55年)9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県下益城郡松橋町長。 熊本県出身。中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第79連隊付となる。陸軍歩兵学校付などを経て、1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業した。 1930年(昭和5年)8月、歩兵大尉に昇進し歩兵第79連隊中隊長に就任。参謀本部付勤務、参謀本部員、アメリカ駐在、中国駐在、アメリカ大使館付武官補佐官を務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に昇進。
綾部 橘樹(あやべ きつじゅ、1894年(明治27年)4月1… 綾部 橘樹(あやべ きつじゅ、1894年(明治27年)4月18日 - 1980年(昭和55年)2月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・矢野。 大分県出身。農業・矢野黙三郎の息子として生まれ、綾部伝一郎陸軍少佐の養嗣子となる。中学済々黌、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1915年5月、陸軍士官学校(27期)を卒業し、同年12月、陸軍騎兵少尉に任官、騎兵第12連隊付となる。陸軍騎兵学校で学ぶ。1918年8月から翌年7月までシベリア出兵に出動。再度、騎兵学校で学んだ後、1924年11月、陸軍大学校(36期)を首席で卒業した。 騎兵第12連隊中隊長、陸軍省軍務局課員(軍事課)、ソ連駐在、参謀本部員、兼軍令部員、関東軍参謀(作戦主任)、参謀本部課長などを歴任し、日中戦争に騎兵第25連隊長として出征した。
武藤 章(むとう あきら、1892年(明治25年)12月15… 武藤 章(むとう あきら、1892年(明治25年)12月15日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 日中戦争、対米交渉、フィリピン戦などに従事。一夕会メンバー。統制派だったが後に東條英機との対立で逆に皇道派の山下奉文の部下に配属された。第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判でA級戦犯に問われ、南方戦線での虐殺事件にも関わっていたことで処刑された。 1892年(明治25年)12月15日、熊本県上益城郡白水村(現・菊陽町)に父・定治、母・加野の間に四人兄弟の次男(兄1人姉2人)として生まれる。武藤家は代々藩医をしていた士族の家系で、地主であった。
古閑 健(こが たけし、1892年(明治25年)12月11日… 古閑 健(こが たけし、1892年(明治25年)12月11日 - 1984年(昭和59年)10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 熊本県出身。徳島県警部・古閑巌彦の二男として生まれる。中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第48連隊付となる。1914年(大正3年)8月から12月まで青島の戦いに出征。1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を卒業した。 1922年(大正11年)12月、参謀本部付勤務となり、陸軍兵器本廠付(作戦資材整備会議調査班)、陸軍技術本部付兼軍務局課員を務め、1928年(昭和3年)8月、歩兵少佐に昇進。
寺倉 正三(てらくら しょうぞう、1889年(明治22年)1… 寺倉 正三(てらくら しょうぞう、1889年(明治22年)10月14日 - 1964年(昭和39年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。 岐阜県出身。農業・寺倉祐九郎の二男として生まれる。中学済々黌中退、名古屋陸軍地方幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となる。1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(31期)を優等で卒業した。 1920年(大正9年)4月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員、陸軍歩兵学校付(ドイツ出張)、ドイツ駐在、歩兵第37連隊付などを経て、1925年(大正14年)8月、歩兵少佐に進級し歩兵第8連隊付となる。
上村 利道(うえむら としみち、1889年(明治22年)2月… 上村 利道(うえむら としみち、1889年(明治22年)2月10日 - 1947年(昭和22年)9月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 熊本県出身。中学済々黌中退、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第48連隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。 歩兵第48連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、歩兵第13連隊大隊長、第9師団参謀、臨時上海派遣軍参謀、台湾軍参謀などを歴任し、1934年(昭和9年)8月、陸軍大佐に昇進し歩兵第24連隊長となった。 1936年(昭和11年)8月、参謀本部庶務課長となり、日中戦争に上海派遣軍参謀副長として出征。
坂口 静夫(さかぐち しずお、1887年1月17日 - 19… 坂口 静夫(さかぐち しずお、1887年1月17日 - 1947年3月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 熊本藩士・坂口騏十郎の三男として生まれる。中学済々黌を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し、同年12月、陸軍少尉に任官。 1920年8月、歩兵第48連隊中隊長に就任し、陸軍兵器本廠員、陸士予科中隊長などを経て、1925年4月、近衛歩兵第3連隊付(東京府立第二中学校配属将校)となる。歩兵第27連隊付、第1師団司令部付、第7師団副官、歩兵第24連隊付、独立守備歩兵第9大隊長などを歴任し、1937年8月、陸軍大佐に昇進。 1937年11月、第16師団司令部付(第三高等学校配属将校)となり、歩兵第109連隊長を経て、1939年9月、陸軍少将に進級。
井上 貞衛(いのうえ さだえ、1886年(明治19年)11月… 井上 貞衛(いのうえ さだえ、1886年(明治19年)11月5日 - 1961年(昭和36年)10月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 熊本県出身、本籍は高知県。熊本県警部・井上作郎の三男として生れる。中学済々黌を中退、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1908年5月、陸軍士官学校(20期)を卒業、同年12月、歩兵少尉に任官し、歩兵第53連隊付となった。 歩兵第44連隊中隊長としてシベリア出兵に参加。同連隊大隊副官、第11師団司令部付、同師団副官、歩兵第12連隊大隊長、歩兵第10旅団副官、横浜高等工業学校配属将校、独立守備歩兵第3大隊長、歩兵第5連隊長などを経て、1939年3月、陸軍少将に進級。
山室 宗武(やまむろ そうぶ、1880年10月21日 - 1… 山室 宗武(やまむろ そうぶ、1880年10月21日 - 1963年10月31日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 熊本県出身。士族山室宗意の二男として生れる。中学濟濟黌を経て、1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業、翌年6月、砲兵少尉に任官し野砲兵第18連隊付となる。翌年、日露戦争に出征。陸軍砲工学校高等科で学んだ。 陸軍野戦砲兵射撃学校教官、同校教導大隊中隊長、野戦砲兵監部員、野砲兵第14連隊大隊長、陸軍野戦砲兵学校教導連隊大隊長、同校教官、欧州出張、野戦重砲兵第8連隊長、野戦砲兵学校教導連隊長などを経て、1932年(昭和7年)4月、陸軍少将に進級。 陸軍技術本部員、技術本部第3部長、野戦砲兵学校幹事、同校長などを歴任し、1936年(昭和11年)3月、陸軍中将となった。
深沢 友彦(ふかざわ ともひこ、1880年(明治13年)7月… 深沢 友彦(ふかざわ ともひこ、1880年(明治13年)7月20日 - 1970年(昭和45年)8月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。第10代八王子市長を務めた。 細川家の家臣である深澤家の長男として熊本県熊本区藪内町(現熊本市中央区上通町)に生まれる。熊本県立済々黌中学校を卒業後、1900年(明治33年)に陸軍士官学校(12期)卒業。1901年(明治34年)6月25日、陸軍歩兵少尉に任官。シベリア出兵では1924年(大正13年)10月にサガレン州派遣軍歩兵第一大隊長となる。 その後、熊本陸軍幼年学校長、熊本陸軍教導学校長、歩兵第45連隊長などを経て、1930年(昭和5年)12月、陸軍少将に進み歩兵第33旅団長に就任。
津野田 是重(つのだ これしげ、1873年(明治6年)11月… 津野田 是重(つのだ これしげ、1873年(明治6年)11月25日 - 1930年(昭和5年)9月2日)は、大日本帝国陸軍の軍人、政治家。熊本県出身。最終階級は陸軍少将。衆議院議員。 熊本藩士、陸軍大尉・津野田是秋の長男として生まれる。中学済々黌、陸軍幼年学校を経て、1895年(明治28年)2月、陸軍士官学校(第6期)歩兵科を首席卒業。同年5月、陸軍歩兵少尉任官、近衛歩兵第1連隊付となる。1900年(明治33年)12月、陸軍大学校(14期)を優等で卒業。 1901年(明治34年)6月、参謀本部出仕となり、参謀本部部員、フランス駐在、参謀本部付を経て、1904年(明治37年)5月、第3軍参謀に発令され日露戦争に出征。
緒方 武(おがた たけし、1873年〈明治6年〉1月12日 … 緒方 武(おがた たけし、1873年〈明治6年〉1月12日 - 1940年〈昭和15年〉6月4日)は、熊本県出身の日本の剣道家(教士)、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は、陸軍歩兵中尉(従七位勲六等)、元熊本県議会議員。 明治6年(1873年)1月12日、父清彦、母千伊の長男として熊本県西合志村梅屋敷(現合志市)に生まれる。 心通学舎(現・合志小学校)から済々黌で学び、東京師範学校に入る。剣道は新陰流(戸波派)宮川末五郎の相伝を受け、第十九代当主となる。 明治30年(1897年)から明治33年まで第五高等学校に奉職。同僚に夏目漱石がいる。 明治33年(1900年)三宅多留次と武徳祭にて柔道試合。 明治36年(1903年)より紫溟会から熊本県議会議員選挙に出馬、当選。
吉岡 範策(よしおか はんさく、1869年5月8日(明治2年… 吉岡 範策(よしおか はんさく、1869年5月8日(明治2年3月27日) - 1930年(昭和5年)3月19日)は、日本の海軍軍人。海軍中将。 1869年(明治2年)5月、肥後国(現・熊本県宇城市小川地区)に、肥後藩士の長男として生まれる。済々黌卒業。1891年(明治24年)海軍兵学校18期を卒業し、海軍少尉となる。日清戦争では防護巡洋艦「浪速」の分隊士として東郷平八郎艦長の下に従軍。「富士」回航委員などを経て、1901年(明治34年)海軍大学校2期を卒業。1904年(明治37年)海軍少佐となり、日露戦争では、第2艦隊旗艦「出雲」の砲術長として日本海海戦に参戦した。1912年(大正元年)大喪儀海軍事務委員、海軍演習審判官となる。