スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
井上 誠(いのうえ まこと、1957年12月5日 - )は、… 井上 誠(いのうえ まこと、1957年12月5日 - )は、日本の実業家。株式会社極洋代表取締役社長。 鹿児島県出身。1976年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1980年横浜国立大学経済学部卒業後、大学の恩師の勧めで極洋に入社。水産部水産第3部長、水産部水産第2部長、水産冷凍食品部長等を経て、2010年大阪支社長。2012年取締役。2015年常務取締役。2017年専務取締役。2018年から代表取締役社長を務め、食品事業の強化やグローバル化を進めた。
芝田 浩二(しばた こうじ、1957年〈昭和32年〉8月16… 芝田 浩二(しばた こうじ、1957年〈昭和32年〉8月16日 - )は、日本の実業家。ANAホールディングス代表取締役社長。 鹿児島県大島郡瀬戸内町の加計呂麻島(奄美群島)出身。1976年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業し、東京外国語大学に進学。大学在学中の1979~1981年に休学して北京の日本大使館に勤める。その頃に北京空港で、当時日中間のチャーター便を運航していた全日本空輸(ANA)の客室乗務員を見かけ、故郷の鹿児島空港を想起するその光景に衝撃を受けて、国際定期便進出を目指すANAへの入社を志す。 1982年に東京外国語大学外国語学部を卒業し、全日本空輸入社。入社2年目の1983年に国際部に入る。
西 純久(にし すみひさ、1957年2月3日 - )は、日本… 西 純久(にし すみひさ、1957年2月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家、タレントマネジメント会社経営者。文化人のエージェント業務を手がける。鹿児島県出身。 静岡大学を卒業後、1980年4月にCBS・ソニーグループ(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント(略称:SMEJ))に入社。 入社後は、音楽プロデューサーとして近藤真彦、TOKIO、J-FRIENDS、ZONE、伊藤由奈を手がける。 2005年に、角川映画に女優発掘オーディションの企画を持ち込み、角川映画、ソニー・ミュージックエンタテインメント、Yahoo! JAPANとの共催による女優発掘オーディション「スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックス」を開催・運営する。
金丸 恭文(かねまる やすふみ、1954年3月12日 - )… 金丸 恭文(かねまる やすふみ、1954年3月12日 - )は、日本の経営者。フューチャー株式会社(フューチャーシステムコンサルティング株式会社、フューチャーアーキテクト株式会社)の創業者、代表取締役会長兼社長 グループCEO。フューチャーイノベーションフォーラム代表。 その他囲碁やゴルフを嗜む[要出典]。
前村 哲路(まえむら てつろ、1949年 - )は日本の実業… 前村 哲路(まえむら てつろ、1949年 - )は日本の実業家である。鹿児島県生まれ。1972年鹿児島大学教育学部卒業、ユニー入社。2001年取締役、2006年常務、2007年社長。2013年ユニーグループ・ホールディングス(現ファミリーマート)会長兼最高経営責任者に就任。
前村 哲路(まえむら てつろ、1949年(昭和24年) - … 前村 哲路(まえむら てつろ、1949年(昭和24年) - )は日本の実業家である。鹿児島県生まれ。1972年鹿児島大学教育学部卒業、ユニー入社。2001年取締役、2006年常務、2007年社長。2013年ユニーグループ・ホールディングス(現ファミリーマート)会長兼最高経営責任者に就任。
下堂薗 豊(しもどうぞの ゆたか、1948年〈昭和23年〉9… 下堂薗 豊(しもどうぞの ゆたか、1948年〈昭和23年〉9月6日 - 2026年〈令和8年〉1月1日)は、日本の実業家、茶業家。下堂園社長、会長を歴任し、鹿児島茶の販路拡大や有機栽培茶など新商品開発に尽力。 鹿児島県鹿児島市出身。父は下堂園(下堂薗茶舗)創業者の下堂薗實。1967年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1971年3月、中央大学経済学部卒業。鹿児島県茶業試験場を経て、1972年2月に有限会社下堂薗茶舗入社。1975年2月、有限会社下堂薗茶舗専務取締役に就任。初代代表取締役である實の急死により、1980年11月、有限会社下堂薗茶舗代表取締役社長(第2代)に32歳で就任。主に関西以西で流通していた鹿児島茶の、関東以北への販路拡大に尽力。
有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )… 有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )は、日本の官僚、実業家。 鹿児島県鹿児島市出身。1963年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1968年に東京大学法学部を卒業し、郵政省に入省。電気通信局電気通信事業部長、近畿郵政局長、通信政策局長を歴任し、2000年6月に退職。 アンダーコンサルティング顧問を経て、2002年7月にNTTドコモ関西の顧問に就任し、2003年からNTTドコモに併合される2008年までに社長を務めた。 東京海上日動火災保険顧問、大阪商工会議所情報・通信部会長、関西経済連合会情報通信委員会副委員長なども歴任した。 2015年春に瑞宝中綬章を受章した。
水溜 栄一(みずたまり えいいち、1942年 - )は、日本… 水溜 栄一(みずたまり えいいち、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県出身。 1961年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。1965年に鹿児島大学文理学部を卒業し、同年に南日本新聞社に入社した。2003年に専務に就任し、2006年12月には社長に昇格し、2008年12月までに務めた。
古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は… 古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は、日本の実業家。三菱商事取締役副社長等を経て、日本郵政グループで、ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長、郵便局代表取締役会長、日本郵便代表取締役会長を歴任した。 東京で生まれ、太平洋戦争中に母の故郷鹿児島県の現薩摩川内市に疎開した。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1962年九州大学法学部法律学科卒業、三菱商事入社、営業会計部配属。1992年取締役広報部長に昇格。1993年取締役人事部長。1995年常務取締役名古屋支店長。1999年取締役副社長。 2004年三菱自動車工業取締役副会長。2005年三菱商事常任顧問。2007年ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長。
是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )… 是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )は、日本の実業家。ミロク情報サービス創業者で、同社代表取締役会長取締役会議長。元テレコムサービス協会会長。後任の代表取締役社長に就任した是枝周樹は長男。 鹿児島県甑島列島の薩摩郡下甑村(現薩摩川内市)で万屋の子として生まれる。長浜国民学校、長浜中学校を経て、鹿児島市に下宿し、1956年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業。 映画監督になろうと考え松竹や日活の助監督採用試験を受けたが落ち、大学卒業後は東京オフィスマシンに入社。1977年ミロク情報サービス設立。1980年同社代表取締役社長就任。1992年同社代表取締役会長兼社長。
浜田 広(はまだ ひろし、1933年4月28日 - )は、日… 浜田 広(はまだ ひろし、1933年4月28日 - )は、日本の実業家。リコー社長、会長を歴任。 鹿児島県鹿児島市高麗町生まれ。疎開をきっかけに、小学校(国民学校)6年生の初め頃から、母の郷里である桜島の鹿児島郡西桜島村(後の桜島町、現在鹿児島市)で育つ。桜峰国民学校(西桜島村立桜峰小学校、後に桜島町立桜峰小学校、鹿児島市立桜峰小学校)卒業。学制改革により旧制鹿児島第二鹿児島中学校から新制鹿児島県立鹿児島高等学校第四部併設中学校を卒業し、1952年鹿児島県立甲南高等学校卒業。中学・高校は桜島から船で通った。1957年に東京大学経済学部を卒業し、リコーに入社。東京支社長、取締役などを歴任し、1983年から1996年までに社長を務めた。
迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025… 迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025年10月28日)は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社顧問。同社元副社長・大阪本社代表。関西プレスクラブ名誉会員。福岡県または鹿児島市出身。2017年現在、兵庫県神戸市在住。 学制改革により新制高等学校となった鹿児島県立甲南高等学校を1期生として卒業。 1954年、鹿児島大学農学部農芸化学科卒業。同年4月に毎日新聞社に入社。1985年5月、大阪本社編集局長。1986年5月、本社販売局長。1987年6月、取締役西部本社代表。1991年6月、常務取締役大阪本社代表。以後、専務取締役大阪本社代表を経て、副社長大阪本社代表に就任。2000年6月に退任し、相談役となる。
日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 -… 日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 - 2022年(令和4年)6月17日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長、鹿児島テレビ放送(KTS)社長を歴任したほか、民俗ジャーナリストとしても知られた。 父は種子島にある鹿児島県西之表町出身の小学校教師で、彼の赴任先である屋久島の上屋久村にて生誕。2歳の頃より母方の祖父である三浦安能西之表町長(元上屋久村長)のもとに預けられて幼少期を過ごす。小学校より鹿児島市に移り、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業。文化学院中退の後、鹿児島県立大学短期大学部国文科を1952年に卒業。 アルバイトをしていた南日本新聞社へ1951年に入社し、新聞記者となる。
海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2… 海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2025年5月5日)は、日本の実業家。高島屋開発社長、相談役、鹿児島市教育委員長、鹿児島県日中友好協会会長、名誉会長等を歴任。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島商業学校(現鹿児島商業高等学校)から転校して、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)に入り1947年卒業。旧制中学生時代の1945年1月から勤労動員され、第4学年に進級した4月には長崎県佐世保市の海軍工廠へ動員される。1945年6月に陸軍航空士官学校入校の二次試験を受け(敗戦により学校解散のため入校せず)、熊本市(熊本陸軍幼年学校)が試験会場だったため、佐世保市にすぐ戻らず鹿児島市潮見町(汐見町)朝日通りの実家に帰省したところ、6月17日夜の鹿児島大空襲に遭遇する。
川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 20… 川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 2009年6月29日)は、日本の経営者。三井金属鉱業社長、相談役などを歴任。 島根県出身または鹿児島県いちき串木野市旧串木野市地域出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1948年に熊本工業専門学校冶金学科(現熊本大学工学部)を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。神岡鉱山(岐阜県)や竹原製錬所(広島県)で製錬技術者として業務に従事。竹原製錬所の労組委員長も務めた。三井鉱山から1950年に神岡鉱業が分離し1952年に三井鉱山から三井金属鉱業に社名変更した後は、三井金属鉱業勤務。1981年に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1989年6月に副社長を経て、1990年6月には社長に就任した。
植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - … 植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - 2007年12月19日)は、日本の電子工学者(電気工学者)、技術経営者。Doctor of Philosophy、工学博士。日本電気(NEC)の中央研究所所長、各取締役、副社長・最高技術経営者、特別顧問、顧問を歴任し、半導体デバイス分野などで多くの実績をあげた。多摩大学名誉教授、IEEEフェロー。 鹿児島県生まれ。同県日置郡串木野村(後の日置郡串木野町、串木野市、いちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1943年広島陸軍幼年学校卒業、1945年陸軍航空士官学校(59期)卒業。1949年日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)電気工学科卒業し、同学科の助手となる。
高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2… 高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2014年7月7日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。 鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)出身。伊集院小学校、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1945年旧制第七高等学校造士館文科卒業。1949年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1972年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務、1984年6月に副社長を経て、1986年6月には社長に就任。1992年4月に会長に就任し、1996年4月には相談役に就任。社長在任中、信託協会会長も務めた。
上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29… 上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29日 - 2015年 <平成27年> 2月8日)は、日本の経営者、銀行家。鹿児島銀行頭取を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制、現鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、1941年に鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を卒業。1942年11月出征、1945年11月復員。1946年に鹿児島銀行に入行。1948年伊集院支店を振り出しに、串良支店、都城支店と勤務し、1953年本店営業部貸付課長代理に着任して以降、ほぼ一貫して営業畑を歩む。1972年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年に専務を経て、1986年に副頭取に就任し、1988年3月には頭取に昇格。
面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2… 面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2010年2月13日)は、日本の実業家。王子製紙副社長、王子ティッシュ販売社長、新王子製紙特別顧問などを歴任。 鹿児島県川辺郡加世田村武田(川辺郡加世田町武田、加世田市武田を経て現南さつま市加世田武田)生まれ。鹿児島市へ移り上荒田で育つ。荒田尋常高等小学校(現鹿児島市立荒田小学校)、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、陸軍予科士官学校を経て、1941年に陸軍航空士官学校を卒業し、少尉として陸軍入隊。1942年陸軍航空技術学校へ移り発動機の研究員。1944年陸軍航空士官学校教官。 戦後、1949年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業し、日本パルプ工業へ入社。
金久 好(かねひさ よしみ、1911年4月1日 - 2010… 金久 好(かねひさ よしみ、1911年4月1日 - 2010年7月13日)は、日本の実業家。日興證券役員、日興證券投資信託委託副社長、日興ビルディング社長などを歴任。「奄美大島に於ける「家人」の研究」等、奄美の史料論文著者としても知られる。 鹿児島県瀬戸内町出身。奄美群島加計呂麻島の諸鈍生まれ。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1931年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)文科卒業。1936年東京帝国大学経済学部卒業。三菱信託銀行から日興證券に転じる。日興證券本店債券部長(1957年)、金融法人部長(1959年)、取締役人事部長(1961年)、常務取締役(1963年)を歴任。
四元 義隆(よつもと よしたか、明治41年(1908年)3月… 四元 義隆(よつもと よしたか、明治41年(1908年)3月8日 - 平成16年(2004年)6月28日)は日本の右翼、実業家。元三幸建設工業社長・会長。政界の指南役。血盟団のメンバーの一人。別名「一匹狼の非利権右翼」。
島崎 千里(しまざき せんり、1906年(明治39年)3月2… 島崎 千里(しまざき せんり、1906年(明治39年)3月28日-1981年(昭和56年)12月26日)は、日本の実業家。電通顧問、日本マーケティング協会初代理事長。広告業界の実力者、アイディアマンとして知られ、広告の正常化・近代化に努めた。 鹿児島県熊毛郡南種子村生まれ。1918年(大正7年)仁川尋常小学校卒業、1923年(大正12年)鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業、1926年(大正15年)第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1929年(昭和4年)に東京帝国大学経済学部を卒業後、イギリスに留学。帰国後、日本生命保険を経て産業經済新聞に入社。戦時中は軍に3度応召され、中支、南支、ビルマ、シンガポールなどの戦線に赴き、韓国で歩兵太尉として終戦を迎える。
有馬 知機(ありま ちき / ともき、1901年2月25日 … 有馬 知機(ありま ちき / ともき、1901年2月25日 - 1970年12月11日)は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、日本損害保険協会副会長を務めた。 鹿児島県日置郡伊集院町(後の日置市の一部)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1924年3月に旧制山口高等学校文科乙類を卒業。旧制山口高校以来の友人に武安千春(日本セメント社長、会長、相談役)がいる。1927年3月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。 1927年4月、信託株式会社大信社へ入社。1930年3月に大信社を退職して、4月に共同火災保険株式会社へ入社。福岡支店長、関東営業部参事兼本店企画部参事、外国部長などを歴任。
本田 親男(ほんだ ちかお、1899年11月21日 - 19… 本田 親男(ほんだ ちかお、1899年11月21日 - 1980年7月30日)は、鹿児島県出身のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社社長、会長、最高顧問、毎日放送会長、相談役を歴任した他、日本新聞協会会長を2期務めた。 本田の祖先は、武蔵国本田郷の領主・本田左衛門尉貞親で、島津忠久夫人の父。 1899年11月21日、鹿児島市下荒田町生まれ。鹿児島師範学校附属幼稚園を経て、1906年に鹿児島市立八幡小学校へ入学。このころ本田の人間形成に与えた訓育がある。旧薩摩藩独自の教育制度・郷中制度の精神を受け継いだ学舎「研明舎」での教育がそれで、本田は5歳ごろより小学校の放課後にここへ通い、先輩舎生の監督下で諸学科の復習や予習をした。
島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月3… 島津 忠彦(しまづ ただひこ、1899年(明治32年)8月30日 - 1980年(昭和55年)5月12日)は、昭和期の日本の実業家、政治家、華族(男爵)。貴族院男爵議員、参議院議員(2期)。重富島津家第8代当主(越前島津家第23代当主)。 鹿児島県鹿児島市清水町出身。男爵・島津壮之助の長男として生まれる。父の死去に伴い、1925年(大正14年)4月15日、男爵を襲爵した。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制) を経て、1923年(大正12年)成蹊実業専門学校本科を卒業。三菱銀行に勤務(約10年間)。以後、三和電機社長、鈴木商店代表者、鹿児島製紙興業社長などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。
永野 芳辰(ながの よしたつ、1898年(明治31年)2月2… 永野 芳辰(ながの よしたつ、1898年(明治31年)2月20日 - 1984年(昭和59年))は、日本の内務官僚・実業家。高知県知事。1953年(昭和28年)12月25日の奄美群島本土復帰立役者のひとり。 鹿児島県大島郡笠利村の佐仁(奄美大島、現奄美市)で、永野孫七の長男として誕生。1918年(大正七年)旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校卒業、1922年(大正11年)旧制第七高等学校造士館卒業、1925年(大正14年)京都帝国大学法学部政治学科卒業。 愛知県属を振り出しに沖縄県、福島県、北海道、東京府各課長、北海道拓殖部長を経て1941年(昭和15年)大政翼賛会地方部長に就任。その後秋田県総務部長兼学務部長、広島県部長・経済部長、同内政部長を経て、1945年(昭和20年)10月、高知県知事に就任。
国生義夫(こくしょう よしお、1892年12月4日 – 19… 国生義夫(こくしょう よしお、1892年12月4日 – 1976年6月16日)は、鹿児島県出身の実業家。明治乳業の元社長・元会長。 鹿児島市の貧しい家庭に生まれる。鹿児島市立松原小学校、鹿児島県立第二鹿児島中学校、鹿児島高等農林学校農学科卒業。農林学校在学中より牛乳や乳製品について研究し、1917年には農商務省による海外実業練習生に選抜され渡米。現地で4年間、酪農について研修を受ける。 帰国後の1923年、東京菓子(現・明治製菓)に入社、1955年には明治乳業社長に就任し、以後会長まで務めた。 著書に「わが乳業記」(1969年、明治乳業刊)がある。 藍綬褒章及び勲三等旭日中綬章を受章。 1976年6月16日、心筋梗塞のため東京慈恵会医科大学附属病院で死去。
野村 不二(のむら ふじ、1891年11月4日-1987年)… 野村 不二(のむら ふじ、1891年11月4日-1987年)は、日本の弁護士(元裁判官)、林業経営者、地方政治家。鹿児島県弁護士会会長、日本治山治水協会理事などを歴任。九州経済林業社長。 鹿児島県肝属郡高山村(高山町を経て現肝付町)前田出身。父は高山町長を務めた。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)と第五高等学校 (旧制)を経て、1917年東京帝国大学法科大学を卒業。1918年司法官試補、1919年~1923年判事(浦和、名古屋、鹿児島各地方裁判所)。1921年弁護士登録。判事退官後に鹿児島市で弁護士開業し、鹿児島県会議員に推されて3期10年務める。第二次世界大戦の鹿児島市街地大空襲で子供を亡くす。
浜田 広 は、日本の実業家。リコー社長、会長を歴任。
古川 洽次 は、日本の実業家。三菱商事取締役副社長等を経て、… 古川 洽次 は、日本の実業家。三菱商事取締役副社長等を経て、日本郵政グループで、ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長、郵便局代表取締役会長、日本郵便代表取締役会長を歴任した。