小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 201… 小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 2017年4月15日)は、日本の数学者・数理経済学者。 長野県更級郡上山田町(現千曲市)生まれ。旧制日本大学第二中学、旧制第一高等学校理科を経て、1948年東京帝国大学理学部卒。武蔵大学助教授、上智大学助教授、教授、1970年学習院大学経済学部教授、97年定年、名誉教授。
旧制第一高等学校:572人
小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 201… 小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 2017年4月15日)は、日本の数学者・数理経済学者。 長野県更級郡上山田町(現千曲市)生まれ。旧制日本大学第二中学、旧制第一高等学校理科を経て、1948年東京帝国大学理学部卒。武蔵大学助教授、上智大学助教授、教授、1970年学習院大学経済学部教授、97年定年、名誉教授。
田中 英夫(たなか ひでお、1927年1月13日 - 199… 田中 英夫(たなか ひでお、1927年1月13日 - 1992年8月20日)は日本の法学者。専門は英米法。東京大学法学部長・名誉教授。末延三次門下。弟子に寺尾美子など。 一橋大学名誉教授田中和夫の長男として東京に生まれる。 1943年福岡県中学修猷館卒業、1945年第一高等学校卒業を経て、1951年、東京大学法学部を卒業し、1954年、同大学院を修了。1962年、法学博士(東京大学)の学位を取得する(学位論文「私有財産権の保障規定としてのデュー・プロセス・クローズの成立」)。 その後、1954年10月、東京大学法学部助教授を経て、1964年、東京大学法学部教授に就任。この間、2度にわたりハーバード大学ロー・スクールにおいて客員教授として日本法を講義している。
澤田 洋太郎(さわだ ようたろう、1927年(昭和2年) -… 澤田 洋太郎(さわだ ようたろう、1927年(昭和2年) - 2014年(平成27年)は、日本の歴史学者、高等学校社会科教諭。 東京府に生まれる。1948年に第一高等学校を、1951年に東京大学法学部政治学科を卒業。 大学卒業後は東京都高等学校社会科教諭として、東京都立江戸川高等学校などで政治・経済を講じた。1978年から1982年まで東京都立大学附属高等学校教頭を経て退職。 その後は著作を精力的に行い、日本古代史や憲法改正論議、共産党や資本主義などの政治経済の解説、社会人向け教養書などを多数執筆した。また、古代史研究では大和王権を朝鮮半島からの渡来王朝とする説を論じることもある。
桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、… 桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、児童文化史研究家。東京に生まれ、神奈川県鎌倉市、藤沢市で育つ。第一高等学校卒、東京帝国大学法学部法律学科卒業。公務員として自治省、神奈川県、鹿児島県、大阪府に30年勤務。日本赤十字社職員として大阪府支部、日赤本社に十余年勤務。大阪府教育長在職中に大阪府立国際児童文学館の設立に関与。2011年『日本最初の少年少女雑誌『ちゑのあけぼの』の探索 「鹿鳴館時代」の大阪、京都、神戸』で日本児童文学学会特別賞受賞。
猪熊 時久(いのくま ときひさ、1926年〈大正15年〉5月… 猪熊 時久(いのくま ときひさ、1926年〈大正15年〉5月17日 - 2002年〈平成14年〉6月20日)は、日本の経営者。明電舎社長、会長を務めた。群馬県前橋市出身。妻は聖心女子大学名誉教授・猪熊葉子。カトリック教徒。 1947年第一高等学校を卒業。1950年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1977年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1983年6月には明電舎副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。1991年6月には会長も兼任、1992年6月に会長に専任し、1998年6月から相談役を務めた。 2002年6月20日呼吸不全のために死去。
鶴見 良行(つるみ よしゆき、1926年4月28日 - 19… 鶴見 良行(つるみ よしゆき、1926年4月28日 - 1994年12月16日)は、日本のアジア学者・人類学者。 1926年、外交官・鶴見憲の息子としてアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれた。外交官の父の仕事の影響で、ワシントンD.C.、ポートランド、ハルビンなど一家は在外生活を重ねた。第一高等学校の受験に失敗して、東京外国語学校に入学。同校を1年で退学し、水戸高等学校を経て、東京大学法学部に入学した。1952年に東京大学法学部を卒業。 1946年にいとこの鶴見俊輔、鶴見和子が関係した雑誌『思想の科学』が発刊されると、思想の科学研究会の常任活動に参加し、自身はコミュニケーション論を研究した。
早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 … 早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 - 2014年8月26日)は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授、同大学元理学部長、職業能力開発総合大学校元校長、同大学校名誉教授。日本基督教団の牧師でもあった。東京大学工学博士。専門は固体光物性、紛体物性、エネルギー変換物性。 東京市本所区に生まれる。父50歳、母41歳という老齢の父母のもと、7人兄弟の末子として誕生した(8人目の子供だが1人は夭逝していた)。下町育ちそのままに、中学2年生までは毎日午後9時過ぎまでガキ大将として日々を過ごした。また、幼年のころから剣道の修練に励んだ。中学3年生のときにそれまでの生活にむなしさを感じ、第一高等学校に入ることと、剣道から禅の道に転換する目標を立てた。
稲垣 真美(いながき まさみ、1926年2月8日- )は、日… 稲垣 真美(いながき まさみ、1926年2月8日- )は、日本のノンフィクション作家、評論家。美学、プラトンを専攻。2012年、筆名を稲垣太瑚に変更した。 日本文芸家協会、日本ペンクラブ各会員、全日本国際酒類振興会会長。 京都府八幡町(現八幡市)生まれ。浄土宗の仏教学者を父にもち、幼時から少年時まで京都・鴨川沿いで育つ。 当時の木内重四郎京都府知事の構想で、大正7年実験的に特殊な英才教育を実施した京都府立師範学校附属小第二教室で学んだ。 第一高等学校 (旧制)を経て東京大学文学部美学美術史学科卒。1955年、同大学院修士課程修了。 1965年「苦を紡ぐ女」で直木賞候補。「花粉になった女」で岸田戯曲賞候補。
杉山 彌太郎(杉山 弥太郎、すぎやま やたろう、1926年1… 杉山 彌太郎(杉山 弥太郎、すぎやま やたろう、1926年1月8日 - 1991年)は日本の大蔵官僚。大臣官房地方課長、日本専売公社総務部長、日本専売公社総務理事などを務めた。 静岡県出身。旧制静岡中学校4年から第一高校文科丙類に進学する。1949年 東京大学法学部政治学科卒業。「我が国の復興に働きたい」との現地から大蔵省かジャーナリストを目指していた。1950年1月 国家公務員六級職試験を合格。 同年 大蔵省入省。東京財務部総務課属。1955年6月30日 石狩税務署長。 1965年12月 海外経済協力基金調査部調査第一課長。1967年12月 広島国税局総務部長。1969年8月15日 国際金融局企画課長。
大沢 弘(おおさわ ひろし、1926年 - ?)は、日本の建… 大沢 弘(おおさわ ひろし、1926年 - ?)は、日本の建築家。逓信技師・日本電信電話公社の建築担当として活動。 長野県出身。旧制飯田中、第一高等学校を経て、1948年東京大学卒業後、逓信省営繕部を経て日本電信電話公社建築部に配属。大手町電電ビル別館で、1969年 日本建築学会賞(作品)受賞。他の代表作に自邸、1990年竣工の立正佼成会神戸教会(監修)1973年竣工の東京データ通信専用局舎など。 著書に、『建築家のスケッチ集』(1977年 日本建築学会)など。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
石川 誠(いしかわ まこと、1925年12月6日 - 199… 石川 誠(いしかわ まこと、1925年12月6日 - 1992年2月24日)は、日本の内科医。専門は消化器病学、特に消化吸収。医学博士。 東京出身。第一高等学校 (旧制)から、東北大学医学部卒業。1950年、同大医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1953-1958年、フルブライト留学生として米国留学。1970年、東北大学医学部助教授。1974年、山形大学医学部教授(内科学第二講座初代教授)。1980年、同大大学病院院長。退官後、寒河江市立病院院長を務めた。1992年2月24日、腹部大動脈瘤破裂のため死去。66歳没。 日本消化器病学会会長、日本胃集団検診学会会長、日本内科学会・日本消化器内視鏡学会・日本消化器集団検診学会・日本臨床栄養学会などの評議員、厚生省特定疾患「消化吸収障害調査研究班」班長などを歴任。
中島 敏次郎(なかじま としじろう、1925年9月2日 - … 中島 敏次郎(なかじま としじろう、1925年9月2日 - 2011年12月13日)は、日本の外交官。条約局長、外務審議官、駐オーストラリア大使、駐中国大使、最高裁判所判事、あさひ法律事務所顧問等を歴任[要出典]。妻の康子は、第61代警視総監、のちに自由民主党衆議院議員であった田中栄一の次女[要出典]。 中島房吉、中島静子の間の4人兄弟の二男として生まれる。旧制第一高等学校、東京大学法学部を卒業し、1948年に外務省入省。在中国日本国特命全権大使として在任中に六四天安門事件が起こり、在留邦人を無事国外に避難させた。 婚外子相続差別訴訟の1995年7月5日の最高裁大法廷の判決では民法の婚外子相続差別規定を合憲とする多数意見に対して、違憲とする少数意見を表明した。
篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 201… 篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 2015年10月31日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門は、ヨーロッパ、特にドイツの政治史。 1925年、東京都目白生まれ。第一高等学校から東京帝国大学へ進み、政治学を専攻する。しかし、太平洋戦争の下で同世代は兵役あるいは学徒として出生してゆき、篠原も兵役に就くが外地に出るまえに敗戦を迎え、自身は結核を発症した。。東京帝国大学へ復学し、1950年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。1950年4月より東京大学法学部助手となった。しかし、再び結核を発病し、伏臥生活を送りつつ、ドイツ語の資料を読んで助手論文を執筆。 1953年7月、東京大学法学部助教授に昇進。
杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 20… 杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 2008年1月16日 )は、日本の運輸官僚、実業家。第10代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1985年 - 1987年)。従三位勲一等。 東京市大森区で生まれ、4歳のとき父親が死亡し母親が美容師となって生計を立てた。東京府立電機工業学校(現在の東京都立産業技術高等専門学校)、旧制第一高等学校、東京大学経済学部卒業。1951年に運輸省へ入省。入省同期に、山地進(日本航空社長・会長、運輸省鉄道監督局長)、妹尾弘人(海上保安庁長官)などがいる。1969年鉄道監督局国鉄部財政課長に就任の後、国鉄部長になる。このころ自由民主党の有力な運輸族であった三塚博・加藤六月らと親しくなる。
山本 悟(やまもと さとる、1925年7月14日 - 200… 山本 悟(やまもと さとる、1925年7月14日 - 2006年12月17日)は、日本の官僚。総理庁、自治省から宮内庁次長(1978年 - 1988年)に転じ、侍従長(1988年 - 1996年)を務めた。 東京府立一中、第一高等学校を経て、1945年に東京帝国大学法学部に入学した。直後に徴兵検査を受け、8月20日の入営を控えていたところで終戦を迎えた。 在学中の1947年11月に高等文官試験行政科に合格した。1948年、東京大学法学部政治学科を卒業して総理庁に入庁し、内事局官房自治課に配属された。 総理庁の入庁同期には、中島二郎(のち警視庁副総監)、林忠雄(のち自治省事務次官)がいる。 1966年に自治省選挙課長、1968年に徳島県副知事、1971年に自治省行政局選挙部長、1973年に自治省官房長、1976年に自治省行政局長、1977年に自治省財政局長を歴任した。
西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 201… 西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 2019年11月2日)は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。1944年、第一高等学校理科卒業。1947年、東京帝国大学理学部地理学科卒業、同副手。1949年,助手。1955年から1958年まで西ドイツのボン大学に留学。1958年、東京大学教養学部助教授。1961年、「日本における自然地域の変貌」で東京大学理学博士。1971年、教授。1986年、定年退官、名誉教授、立正大学教授。1996年、退職。その後も、富士学会名誉会長などを務めていた。2005年、瑞宝中綬章受章。 2019年11月2日13時38分、急性腎不全のため東京都多摩市の病院で死去。
寺岡雅之(てらおか まさゆき、1925年6月1日 - 199… 寺岡雅之(てらおか まさゆき、1925年6月1日 - 1990年11月24日)は日本の大蔵官僚。南九州財務局長、中国財務局長などを務めた。 大分県出身。旧制第一高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。東大法学部在学中の1950年1月に国家公務員六級職試験を合格。1950年4月 大蔵省に入省。主計局総務課に配属。1969年8月 関東財務局理財部長。1970年7月 国税庁徴収部徴収課長。1971年6月 国税庁徴収部管理課長。1972年6月27日 南九州財務局長。1973年1月16日 中国財務局長。1974年7月10日 大臣官房付。同年7月 退官。同年10月 日本定航保全専務取締役。1981年6月3日 中小企業退職金共済事業団理事(〜1985年7月12日)。
高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010… 高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010年4月9日)は、日本の中国文学者・中国思想学者。学習院大学名誉教授。 1925年、朝鮮京城に生まれる。父は大分県出身で中国思想学者の高田眞治、母方の祖父は英文学者の皆川正禧。1945年、第一高等学校休学中に入営、満州で敗戦を迎え、1947年、帰国。1952年、東京大学中国文学科を卒業し、同大大学院へ進学するも中退。1953年、大倉山学院給費生。 1955年、学習院高等科国語講師。1957年、学習院高等科国語教諭。1964年より東京女子大学専任講師、助教授。1972年より東京大学文学部中国文学科助教授、1974年、東京大学文学部中国文学科を退職し学習院大学文学部史学科教授となり、1996年に定年退職。
齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 -… 齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 - )は、日本の経済学者。専攻は日本経済史・社会政策、日本近・現代史。 東京府北豊島郡岩淵町(現・東京都北区)生まれ。1938年東京市富久尋常小学校卒業後、海軍省大臣官房、東京帝国大学農学部水産学教室、私塾必成塾に勤務。1943年東京府立第四中学校夜間部卒業。同年城北高等補習学校卒業。1945年海軍兵学校繰上卒業。1949年第一高等学校文科丙類卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業、同大学経済学部農業経済政策講座助手。1958年日本福祉大学助教授。1963年名古屋市立女子短期大学助教授、1967年教授。1987年退職、愛知大学教養部教授。
杉山 英男(すぎやま ひでお、1925年(大正14年)4月1… 杉山 英男(すぎやま ひでお、1925年(大正14年)4月11日 - 2005年(平成17年)2月18日)は、日本における木質構造の学問・研究の草分けであり、第一人者。国内外で評価が高い。工学博士、農学博士。東京大学名誉教授。 1925年(大正14年)、静岡県生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。第一高等学校、東京大学建築学科、東京大学大学院で学ぶ。1951年(昭和26年)より明治大学工学部、1973年(昭和48年)より東京大学農学部、1986年(昭和61年)より東京理科大学理工学部で教育・研究に当たる。日本建築学会賞、日本農学賞、米国林産学会業績賞などを受賞。正五位。瑞宝中綬章。 木質構造研究会(事務局:東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料科学専攻 木質材料学研究室)では、「木材・木質材料・木質構造に関する研究・技術開発の推進に多大な貢献をした個人」を対象に、木質材料・木質構造技術研究基金賞:第一部門(杉山英男賞)を授与している。
鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2… 鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2015年10月14日)は、日本の物理学者。専門は、宇宙線物理学。信州大学名誉教授であった。 1925年鷺坂清信・操夫妻の次男として東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区赤城元町)に生まれた。 1931年東京府麴町区小学校に入学。1937年、第一東京市立中学校に入学。1942年、旧制第一高等学校理科に入学。 1945年、名古屋大学理学部物理教室に入学。旧制一高・名古屋大学理学部を通じての級友に物理学者の丹生潔がいる。 入学した年の7月に長野県神川村(現・長野県上田市)に疎開。 この頃、結核を発症し、上田で結核病院に入院療養する。 1945年にはやや快方に向かい、長野県松代町にあった松代地震研究所々長を務めていた父のもとで暮らした。
亘理彰(わたり あきら、1925年3月20日 - )は日本の… 亘理彰(わたり あきら、1925年3月20日 - )は日本の大蔵官僚。 防衛施設庁長官、防衛事務次官、石油公団副総裁、日本不動産研究所理事長、同研究所会長などを務めた。 東京府出身。東京府立第九中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年12月 大蔵省入省。主計局属。1950年5月 伊予西条税務署長。1951年8月 川口税務署長。 その後は主計局総務課長補佐、主計局主計官補佐(通商産業係主査)、主計局総務課長補佐兼主計局法規課長、大臣官房専門調査官兼臨時行政調査会事務局資料課兼臨時行政調査会調査などを務める。 1965年6月 主計局調査課長。1968年6月 主計局主計官(外務、通商産業担当)。
山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年… 山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年〉2月4日 - 1992年〈平成4年〉4月1日)は、昭和から平成初期の国税官僚、政治家。小田原市長(2期)。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学、旧制第一高校を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部卒業。国税庁に入り、1953年倉吉税務署長、1955年金沢国税局総務部総務課長。1965年札幌国税局総務部長、1967年国税庁長官官房審議官、1968年国税庁長官官房参事官、1969年東京国税局調査第1部長、1970年東京国税局調査第1部長兼調査第2部長兼兼調査第3部長。同年東京国税局調査第1部長。1971年東京国税局総務部長、1973年広島国税局長、1975年大蔵省銀行局保険部長、1976年国税庁次長、1977年東京国税局長。
大野 透(おおの とおる、1925年 - )は、日本語学者。… 大野 透(おおの とおる、1925年 - )は、日本語学者。 第一高等学校理科から東京大学理学部物理学科へ進学。 『漢文法の溯源的研究I』で1985年に九州大学より、『万葉仮名の研究』で1987年に國學院大學より、それぞれ文学博士号を取得した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2… 黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2014年2月24日)は、日本文学・中国文学者。 旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科卒(1953年)。藤家礼之助と同人雑誌に加わり作家を目指す。 1963年(昭和38年)「蜘蛛と毛糸」並びに「落下」にて群像新人賞候補。 結婚の際には宇沢弘文が仲人を務めた。千葉県立千葉中学校・高等学校国語科教諭のかたわら、現代語訳に疑問を持っていた「夕顔の巻」の研究を進める。 大東文化大学教授。1995年定年退任。『源氏物語私論』で文学博士。
犬塚堯(犬塚尭、いぬづか ぎょう、1924年2月16日 - … 犬塚堯(犬塚尭、いぬづか ぎょう、1924年2月16日 - 1999年1月11日)は日本の詩人。「地球」「歴程」同人。 中国長春生まれ。佐賀県伊万里市で育つ。第一高等学校 (旧制)を経て東京大学法学部卒業後、1950年に朝日新聞社に入社。1959年、特派員として第4次南極観測隊に同行取材する。のち、印刷局長や九州朝日放送専務を歴任。 1969年、詩集『南極』により第19回H氏賞受賞。1984年、詩集『河畔の書』により第2回現代詩人賞受賞。
藤村 正太(ふじむら しょうた、1924年〈大正13年〉1月… 藤村 正太(ふじむら しょうた、1924年〈大正13年〉1月9日 - 1977年〈昭和52年〉3月15日)は、日本の推理作家、小説家、放送作家。社会派推理小説の作家の一人。別筆名に川島 郁夫。 京城府(現在のソウル特別市)生まれ。第一高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1949年、東京大学法学部政治学科を卒業。同年、結核の療養中に本名の川島郁夫名義で投稿した「黄色の輪」が雑誌「宝石」の百万円懸賞に入選。 NHKの犯人当て推理番組「私だけが知っている」の脚本執筆陣に参加。
塩澤 君夫(しおざわ きみお、1924年1月7日 - )は、… 塩澤 君夫(しおざわ きみお、1924年1月7日 - )は、日本経済史家。名古屋大学名誉教授、愛知県立大学名誉教授。 東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)生まれ。1941年東京府立第五中学校卒業。1943年第一高等学校文科乙類卒業、東北帝国大学法文学部経済学科入学。1944年学徒動員。1945年召集解除、復学。1947年東北帝国大学法文学部卒業、東北帝国大学助手(法学部勤務)。1950年東北大学経済学部講師。1951年名古屋大学経済学部助教授。1962年「古代専制国家の構造」で経済学博士(東北大学)。1964年名古屋大学経済学部教授、1972年同大学経済学部長(1974年まで)、1973年同大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研究センター初代センター長(1974年まで)。
石井 素介(いしい もとすけ、1924年1月 - 2017年… 石井 素介(いしい もとすけ、1924年1月 - 2017年3月24日)は、経済地理学、ドイツ研究などを専門とし、経済地理学会会長なども務めた日本の地理学者、明治大学名誉教授。 愛媛県周桑郡小松町(後の西条市)に生まれる。 1943年に第一高等学校を卒業して東京帝国大学理学部地理学科に進んだ。戦時下の学生生活の中では、満洲国での調査も経験した。 1946年に大学を卒業して、内務省国土局計画課などを経て、1948年から総理府資源調査会事務局に8年間勤務した。資源調査会に勤務した時期には、特に水害調査に従事し、以降、資源論や災害論に取り組む契機となった。 1956年に明治大学文学部史学地理学科(地理学専攻)専任講師に転じ、1957年に助教授、1963年に教授に昇任した。
外尾 健一(ほかお けんいち、1924年(大正13年) - … 外尾 健一(ほかお けんいち、1924年(大正13年) - 2021年(令和3年)3月30日)は、日本の法学者。専門は労働法。東北大学名誉教授。元東北学院大学教授。2000年勲二等瑞宝章受章。台湾・台北市出身。 1941年台北州立台北第一中学校卒業。徴兵により、電信第二九連隊に入隊。1946年復員。1948年第一高等学校 (旧制)卒業。 1951年(昭和26年)東京大学法学部卒業。1951年東京大学社会科学研究所助手(指導教員:有泉亨)。1956年東北大学法学部助教授。1962年3月31日「フランス労働協約の研究」で東北大学より法学博士の学位を取得。1963年東北大学法学部教授。1965年東北大学評議員。
衞藤 瀋吉(えとう しんきち、1923年(大正12年)11月… 衞藤 瀋吉(えとう しんきち、1923年(大正12年)11月16日 - 2007年(平成19年)12月12日)は、日本の国際政治学者。専門は、中国を中心とする東アジア政治史、国際関係論。東京大学名誉教授、亜細亜大学名誉教授。亜細亜大学学長、東洋英和女学院院長を歴任。 1923年、旧満州奉天(現・瀋陽)で生まれた。「エリート教育、特殊教育を実践したユニークな学校」として知られていた満洲教育専門学校附属奉天千代田小学校を卒業。1941年に奉天第一中学校、1943年に第一高等学校文科甲類を卒業。同年、東京帝国大学法学部政治学科に入学。 しかし、同1943年の学徒出陣により陸軍に入隊。広島市の大本営第2通信隊に所属した1945年8月、広島駅近くの松本商業(現・瀬戸内高校)内にあった建物内で被爆。
三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> … 三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> 4月18日 - 2010年 <平成22年> 10月19日)は、日本の仏教学者。専門は、仏教学・インド哲学。筑波大学名誉教授。位階は正五位。 1923年、静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。第一高等学校在学中、1943年、学徒出陣するが内地勤務で敗戦を迎えた。 戦後は東京大学文学部哲学科へ進み、学部卒業後は同大学院(旧制)修了。卒業後は母校の東京大学助手となった。ミュンヘン大学に留学、1962年にPh.Dを取得し帰国。帰国後、國學院大學助教授に就任。1971年、『東洋思想と西洋思想』を國學院大学に提出して文学博士号を取得した。 1975年より筑波大学教授。
前沢 泰(まえざわ やすし、1923年 - 1986年)は、… 前沢 泰(まえざわ やすし、1923年 - 1986年)は、日本の教育者、教育学者。 長野県飯田市出身。1944年旧制第一高等学校卒。戦後中学校教師を務めた。1977年退職後、長野県下伊那郡上郷町(現飯田市)に転居。1961年より全国生活指導研究協議会(全生研)中央常任委員を務める。
旦弘昌(だん ひろすけ、1922年10月7日 - 2006年… 旦弘昌(だん ひろすけ、1922年10月7日 - 2006年1月1日)は、日本の大蔵官僚。関税局総務課長、大臣官房審議官(大臣官房担当)、国際金融局次長、関税局長、国際金融局長、日本銀行理事などを務めた。 満州営口市生まれ(父母は岡山県真庭郡勝山町出身)。第一高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学するも1943年12月 臨時招集となる。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校し、同年9月に卒業。1945年9月 海軍主計中尉。1946年3月 予備役。1947年12月 高等試験行政科。1948年9月 東京大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省入省。
角田 豊(すみだ ゆたか、1922年8月19日 - 1978… 角田 豊(すみだ ゆたか、1922年8月19日 - 1978年9月7日)は、日本の法学者。 神奈川県逗子生まれ。第一高等学校、1944年東京帝国大学法学部政治学科卒、同大学院、1943年徴兵、ポツダム中尉。1946年中央労働学園調査部職員、1948年同専門学校助教授、1949年中央労働学園大学助教授、1951年静岡大学文理学部助教授、1964年同志社大学教授。
小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966… 小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966年10月27日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学国文科入学。学徒出陣で伊豆大島で陸軍少尉。1948年、東京大学国文科卒。養徳社勤務を経て、1952年、学習院教授。1956年に東京大学国語国文学会賞受賞(久松賞)を受賞。1956年、共立女子大学短期大学部助教授。1960年、学習院大学助教授。1964年、教授。貞門俳諧を専門とした。44歳で死去。
巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995… 巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995年10月13日)は、日本の評論家、翻訳家。 福島県郡山市に生まれる。第一高等学校を経て1948年東京帝国大学文学部哲学科卒業、大学時代は出隆に師事。 東洋経済新報社に勤め、1959年カッパ・ブックスより『姦通のモラル』を刊行、一夫一婦制には無理があるとして夫婦の自由恋愛を勧め、嫉妬心を批判した。バートランド・ラッセルの結婚観の影響を受けつつ、博識に裏打ちされた優れた著作である程度売れたが、むろん現状に変化はなく、続編を四部作まで刊行したものの、以後は女性向けの恋愛論や消費者問題に移行。 日本消費者協会勤務の後、消費者問題研究所長。相模女子短期大学教授、相模女子大学教授、同学芸学部長を務めた。
田村 善藏(たむら ぜんぞう、1922年(大正11年)4月6… 田村 善藏(たむら ぜんぞう、1922年(大正11年)4月6日 - 2008年(平成20年)6月8日)は、日本の薬学者、分析化学者。薬学博士、東京大学名誉教授。薬理学者の田村憲造は父、農芸化学者の田村学造は弟である。 1922年(大正11年)4月6日、東京帝国大学医科大学助教授(当時)の田村憲造の長男として生まれる。東京高等師範学校附属中学校から、旧制第一高等学校へ進み、東京帝国大学医科大学薬学科へ入学する。薬学科へ進んだのは、父・憲造の共同研究者であった石館守三が新設された薬品分析化学講座の教授をしており、憲造からの勧めがあったからだという。1945年(昭和20年)4月、決戦教育措置要綱により授業停止となり、賀茂海軍衛生学校へ学徒勤労動員となった。
服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日… 服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日 - 1956年(昭和31年)1月1日)は日本の文芸評論家、翻訳家。 第一高等学校理科を経て京都大学文学部独文科中退(学徒兵として応召)。1954年(昭和29年)、奥野健男、日野啓三、清岡卓行、村松剛、島尾敏雄、遠藤周作、吉本隆明たちと「現代評論」を創刊。同年「新世代の作家たち」を発表。1955年(昭和30年)、評論「われらにとって美は存在するか」を「群像」3月号から9月号まで連載。マルクス主義を背景にしたイデオロギー的批評の全盛期にあって、それとは全く異質な審美的批評の確立を図り、新進批評家として注目を集める。 しかし出版社への借金が嵩み、このことを苦にして、1956年(昭和31年)1月1日、八ヶ岳山麓の清里村キリスト教団清里センター清泉寮から失踪。
吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月1… 吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月17日 - 1978年(昭和53年)1月28日)は日本の海洋物理学者。 1922年に大阪府で出生。旧制大阪府立北野中学校、旧制第一高等学校を経て、1944年に東京帝国大学理学部地球物理学科を卒業後、日本の海洋物理学の有識者に学んだり、カリフォルニアのスクリップス海洋研究所で研究をしたりした。1953年東京大学理学博士、学位論文の題は「海の波浪及び海洋に起る波動の研究 」。 1954年には東京大学理学部助教授、1964年には同大教授に就任した。沿岸湧昇の国際的な権威であり、日本海洋学会でも指導的な立場となった。1968年には第3回日本海洋学会賞を受賞した。
木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 201… 木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 2019年10月11日)は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。福岡県生まれ。 1938年に第一高等学校理科乙類へ入学し、1941年に東京帝国大学理学部地質学科へ入学、1943年9月に東京帝国大学大学院へ入学する。その後休学し、海軍技術見習尉官(短期)となる。1945年に海軍技術大尉となり、1946年5月に復員。10月東京帝国大学大学院に復学する。1947年9月に東京帝国大学理学部助手となり、1950年3月に名古屋大学理学部助教授、1957年に東京大学教養学部助教授となる。1958年に東京大学より理学博士の学位を受ける。1962年5月に東京大学理学部教授(地質学第二講座)、1964年より1976年まで東京大学地震研究所教授を併任、1982年定年により退職し、東京大学名誉教授となる。
須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 201… 須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 2015年1月9日)は、日本の脚本家・小説家。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。鹿児島県いちき串木野市串木野地域出身。別名義に須崎 勝弥。 父が三菱鉱業に勤め、京城支社にいる頃に生まれる。市来尋常高等小学校(現いちき串木野市立市来小学校)在学を経て、1939年(昭和14年)旧制京城中学校卒業。1942年(昭和17年)旧制第一高等学校卒業。東北帝国大学法学部在学中の1943年(昭和18年)に学徒出陣となり、1944年(昭和19年)に卒業扱い。学徒出陣では出水海軍航空隊に少尉で任官され、沖縄戦線に出撃するなどをして茨城県百里海軍航空隊で終戦を迎えた。
遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 200… 遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 2005年5月5日)は、日本の法学者。専門は民法。学習院大学名誉教授。山形県米沢市出身。 米沢市の実家(鍛冶町)の斜向かいに我妻栄の生家(鉄砲町)があった。米沢興譲館中学校3年時に肋膜炎・肺結核を患い、以後三十数年間は持病を抱えながらの生活となる。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。法学部大学院で我妻に師事した。 学習院大学名誉教授。元司法試験考査委員(任:1968年 - 1984年)および元国家公務員上級試験(現在の国家公務員第I種試験)考査委員(任:1970年 - 1972年)。元弁護士。勲三等瑞宝章受章。 米沢高等学校で教師と野球部監督を務め、プロ野球で活躍する皆川睦雄(南海ホークス)を指導した経歴を持っている。
上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1… 上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1999年11月27日)は、日本の中国史学者。中国古代史専攻。東京大学教授、関東学院大学教授などを歴任。 上原専禄の長男として東京府北豊島郡滝野川(現・北区滝野川)に生まれる。1942年第一高等学校卒業、東京帝国大学文学部東洋史学科入学。しかし、太平洋戦争の戦局悪化により、1943~1945年学徒兵として従軍。 戦後、1948年に東京大学卒業、同大学院に入学。1953年より母校の東京大学教養学部専任講師となり、1955年助教授、1967年教授。1982年に定年退官。名誉教授の称号を辞退し、その後は関東学院大学教授として教鞭をとった。1987年に関東学院大学も退職。
森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 19… 森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 1993年3月18日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。ヨーロッパの哲学を研究。 フランス・パリ生まれ。1939年京都府立京都第一中学校卒、1942年第一高等学校(文科甲類)卒、1947年京都帝国大学文学部哲学科卒、1949年京都帝国大学大学院修了。1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年同講師、1957年大阪市立大学文学部助教授、1965年京都大学文学部倫理学科助教授、1967年同教授、1985年定年退官、名誉教授。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1… 遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月4日)は、日本の官僚、実業家。妻は、遠藤マツ子。遠藤周作は、実弟。ペンネームは吹田紀夫。 鳥取県生まれ。1926年、父常久の転勤(第三国立銀行から安田銀行)で、一家で満洲関東州大連に移る。1935年6月23日、カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で主任司祭永田辰之助神父より兄弟で受洗。1933年、旧制灘中学校に入学。四修で第一高等学校に合格。1942年に東京帝国大学法学部を卒業し逓信省へ入省、1971年に電電公社理事、1973年に総務理事に就任。1977年2月に田村電機製作所社長に内定。趣味は、ゴルフ、観劇。
土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 20… 土居 良三(どい りょうぞう、1921年1月11日 - 2005年5月15日)は、日本の伝記作家。 東京生まれ。第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業。学徒出陣の一員で武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。第二海軍衣糧廠(姫路市)被服部材成部員付兼運輸主任として勤務。1945年(昭和20年)9月に主計中尉に進み、同年10月、予備役に編入され解員(復員)。 戦後は実業界で、テキスタイル・コンサルティング代表取締役等を務めた。 軍艦奉行・木村摂津守(木村芥舟)の従者として咸臨丸に搭乗し、太平洋を渡り渡米した長尾幸作の曾孫で、その航海日誌『鴻目魁耳』を手がかりに、『咸臨丸海を渡る』を著し、1994年に和辻哲郎文化賞受賞。
岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月… 岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月7日 - 2009年(平成21年)8月9日)は、日本の哲学者。一橋大学名誉教授。日本平和委員会代表理事、唯物論研究協会委員長等を歴任。 東京市本郷区生まれ。第一高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部卒業。1949年東京大学文学部卒業。北海道大学文学部助教授、教授、1973年一橋大学社会学部教授、1980年唯物論研究協会委員長。1984年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日本平和委員会代表理事等を歴任した。 日本共産党の出隆(のちに共産党を除名)に師事して古代ギリシア哲学を専門としたが、左翼的立場にたち、梅原猛や河合隼雄を批判、また歴史に取材した戯曲や小説も書いた。
赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1… 赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1月3日 - 1994年6月26日)は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家、著述家、大学教官である。日本映像学会会員。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町)に、神保町の東京堂(現在の東京堂書店)支配人の子息として生まれる。 旧制・第一高等学校在学時の1940年(昭和15年)に、橋川文三と同級であり、橋川に保田與重郎の『後鳥羽院』等の著作を勧めている。自らも詩作を行い、『歴程』同人であった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、同校を卒業して東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に進学した。