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野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月2… 野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月21日 - 2023年 <令和5年> 5月20日)は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1948年に第五高等学校を経て、1951年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1978年2月に大臣官房審議官、同年8月にアジア開発銀行理事、1982年9月に東洋信託銀行常勤顧問、1986年9月に西宮酒造副社長を歴任し、1989年6月に十八銀行副頭取に就任し、1990年2月には頭取に昇格。2000年6月には会長に就任。 2023年5月20日、老衰のために死去。95歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉… 賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉5月19日 - 2001年〈平成13年〉6月23日)は、日本の経営者・実業家。キヤノン元社長・会長・名誉会長。キヤノンカメラを大手情報機器メーカーに成長させるなど「キヤノン中興の祖」と呼ばれている。長年に渡り、経済同友会副代表幹事を務めた。 愛知県岡崎市田町生まれ。生後半年で岡崎市を離れ、父の郷里である大分県中津市で育った。20歳で、太平洋戦争の敗戦を迎えた後、代用教員や行商など苦学を重ねながら青山中学校、第五高等学校を経て千葉工業大学工学部に入学するも中退。その後、故郷の九州大学経済学部へ入学し、1954年(昭和29年)に卒業する。 九州大学卒業後、現在のキヤノン(旧キヤノンカメラ)に入社。
鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1… 鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身。 朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた。 1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した。1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業。歩兵第56連隊(55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える。淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う。
下川 常雄(しもかわ つねお、(1910年(明治43年)1月… 下川 常雄(しもかわ つねお、(1910年(明治43年)1月5日 - 2003年(平成15年)7月22日)は、日本の実業家。住友ゴム工業二代目社長・会長、兵庫県教育委員長。 福岡県嘉穂郡二瀬村(現:飯塚市)片島出身。地主・村長の下川久次郎の三男。1928年(昭和3年)に第五高等学校に入学、柔道部に属した。東京帝国大学商業学科を経て、1934年(昭和9年)、住友電気工業に入社。高校の1年先輩の鍋島綱利宅に下宿、その後も家族ぐるみでの交流を続けた。 日中戦争勃発後は内地の歩兵第24連隊留守隊に応召し、1937年(昭和12年)12月、歩兵少尉に任官。翌1938年夏、補充要員として上海に上陸し、歩兵第124連隊の連隊旗手となり、杭州、ついで南支方面に転じ、バイアス湾上陸作戦に参加した。
高橋 良麿(たかはし よしまろ、1907年(明治40年)11… 高橋 良麿(たかはし よしまろ、1907年(明治40年)11月3日 - 1991年(平成3年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。最後の官選和歌山県知事。 大分県出身。高橋兼太郎の二男として生まれる。第五高等学校を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、熊本県属となる。 1941年、岩手県書記官・経済部長に就任。1942年3月から1943年12月まで南西方面海軍民政府セレベス民政部経済部長を務めた。以後、岡山県部長・警察部長、東京都経済局食糧課長、警視庁刑事部長、京都府警察部長を歴任。 1947年2月、和歌山県知事に就任。
坂田 勝郎(さかた かつろう、1904年(明治37年)10月… 坂田 勝郎(さかた かつろう、1904年(明治37年)10月1日 - 1990年(平成2年)1月16日)は、毎日新聞社元常務取締役(大阪本社代表)、毎日放送(MBS)元社長・会長、テレビ東京(TX)元取締役、宮崎放送(MRT)元取締役。 宮崎県延岡市出身。旧制第五高等学校(現・熊本大学)を経て、京都帝国大学卒業後、1932年(昭和7年)に大阪毎日新聞社へ入社。1943年(昭和18年)に大阪毎日新聞と東京日日新聞は新聞統制で東西で異なっていた題号を「毎日新聞」に統一し、両紙の発行元であった大阪毎日新聞社は社名を「毎日新聞社」に改めてから、バンコク特派員、広島支局長、郷里である宮崎支局長、宮崎放送取締役を務め、毎日新聞社常務取締役(大阪本社代表)に就任した。
館林 三喜男(舘林 三喜男、たてばやし みきお、1904年1… 館林 三喜男(舘林 三喜男、たてばやし みきお、1904年1月25日 - 1976年10月22日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。 佐賀県副知事、衆議院議員(4期)、三愛石油株式会社社長(第2代)、株式会社リコー社長(第2代)などを歴任した。 内務省に入省し要職を歴任するも、太平洋戦争後は公職追放となる。第25回衆議院議員総選挙で当選を果たし、以降2回の落選を挟みながら4期務めた。第31回衆議院議員総選挙にて3度目の落選となる。以降はリコー三愛グループの事業に携わり、三愛石油の副社長を経て社長に就任し、のちにリコーの社長も務めた。 佐賀県西松浦郡有田町出身。第五高等学校を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科卒。
龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)… 龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)9月27日 - 1981年(昭和56年)5月29日)は、昭和期の日本の政治家、内務官僚、実業家。衆議院議員、官選鹿児島県知事、初代大川市長。 福岡県出身。第五高等学校を首席で卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。 内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、栃木県学務課長、鹿児島県農務課長、千葉県学務課長、鳥取県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、内閣情報部第二課長、京都府学務部長、警視庁刑事部長、兵庫県警察部長、近畿地方総監府第一部長などを歴任。
津上 研蔵(つがみ けんぞう、1900年3月17日 - 没年… 津上 研蔵(つがみ けんぞう、1900年3月17日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、実業家。 津上嶮路の四男として、福岡県糸島郡北崎村(現・福岡市)に生まれる。津上製作所(現・ツガミ)創業者津上退助は実兄。1920年福岡県中学修猷館、1922年3月第五高等学校理科乙類を経て、1925年3月九州帝国大学工学部機械工学科を卒業。 卒業後、三菱鋼業に入社。1928年津上製作所に転じ、1929年技師長となる。1940年名古屋帝国大学工学部教授、および愛知県工学試験所部長を兼ね、1945年津上製作所取締役に選ばれ、1947年常務に進む。1964年5月津上文化機器販売社長に就任。 機械学会(現・日本機械学会)評議員、長岡市商工会議所理事、日本小型工作機械工業会(現・日本精密機械工業会)会長なども務めている。
下村 彌一(しもむら・やいち、1897年(明治30年)8月1… 下村 彌一(しもむら・やいち、1897年(明治30年)8月16日 - 1990年(平成2年)4月6日)は、日本の実業家。坂本龍一の祖父。 長崎県諫早市出身。下村代助の三男。生家は小さな農家である。1905年に父の代助は家族を連れ佐世保に移住し、市役所の臨時雇いの雑用夫として働いた。 現在の佐世保市立白南風小学校を卒業後、家が貧しかったため佐世保海軍工廠の見習工になった。しかし、進学が諦め切れず旧制長崎県立佐世保中学校の校長を訪ねて直談判し、試験を受けて中学4年に編入学する。1919年に旧制第五高等学校文科甲類に入学し、池田勇人と友人となり、1922年に卒業。1925年に京都帝国大学法学部を卒業し、小学校時代の恩師の娘・美代と結婚。
笹山 忠夫(ささやま ただお、1896年3月9日 - 197… 笹山 忠夫(ささやま ただお、1896年3月9日 - 1974年9月26日)は、日本の実業家。アラスカパルプ社長。 大分県大分市出身。旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学卒。卒業後は日本銀行に入り、その後安田銀行を経て、日本興業銀行に勤める。戦後の1946年、財閥解体による持株会社整理委員長に就任した。持株会社整理委員長時代の1948年、昭和電工に関する問題に関し、衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。1953年、戦後初の海外事業会社アラスカパルプを設立した。1956年、同社の社長に就任、1968年に会長に就任した。1974年死去。 1957年には日本相撲協会に請われて設立されたばかりの運営審議委員会委員となった。
桃原 茂太(とうばる / ももはら しげた、1892年(明治… 桃原 茂太(とうばる / ももはら しげた、1892年(明治25年)11月18日 - 1955年(昭和30年)2月28日)は、沖縄県出身の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 宜野湾間切大謝名(現宜野湾市)で、桃原正裕の長男として生まれる。沖縄県第一中学校、第五高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。その後、東洋拓殖 (株) に入社。同参事、同監事、同太田及び釜山支店支配人、日蘇石油販売 (株) 専務取締役などを務めた。 1934年、帰郷して那覇市松山町で弁護士を開業。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で沖縄県選挙区から出馬し、翼賛政治体制協議会の非推薦候補であったが当選し衆議院議員を一期務めた。
大岩 復一郎(おおいわ またいちろう、1890年〈明治23年… 大岩 復一郎(おおいわ またいちろう、1890年〈明治23年〉1月1日 - 1956年〈昭和31年〉2月27日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の電気技術者、実業家である。長野電気取締役兼支配人、中部配電第2代社長、信越放送初代会長などを務めた。 大岩復一郎は、1890年(明治23年)1月1日、愛媛県士族大岩甚太郎の長男として生まれた。出身は愛媛県周桑郡小松町(現・西条市)。愛媛県立西条中学校を経て1913年(大正2年)7月に第五高等学校(熊本)の大学予科工科を卒業したのち、東京帝国大学工学部電気工学科を1919年(大正8年)7月に卒業した。大学卒業後は一旦陸軍に入り中野電信隊の工兵伍長に任ぜられる。
若松 虎雄(わかまつ とらお、1890年(明治23年)1月1… 若松 虎雄(わかまつ とらお、1890年(明治23年)1月1日 - 1949年(昭和24年)9月24日)は、大正から昭和前期の外交官、実業家、政治家。衆議院議員。カトリック教徒。 長崎県南高来郡、のちの島原市で、若松長次郎の四男として生まれ、1921年(大正10年)に分家した。第五高等学校を経て、1913年(大正2年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年(大正3年)東京帝国大学法科大学経済学科を卒業した。 大蔵省に入省し専売局書記に任官。1917年(大正6年)久原鉱業に転じ、久原商事副支配人、同ロンドン支店長代理を歴任。1921年(大正10年)外務省に転じ、ロンドン在勤で副商務官、在英国大使館商務書記官を務めた。
森本 貫一(もりもと かんいち、1888年(明治21年)6月… 森本 貫一(もりもと かんいち、1888年(明治21年)6月1日 - 1979年(昭和54年)9月26日)は、日本の技術者、実業家。三菱化成工業(現三菱ケミカル)社長や、旭硝子(現AGC)社長、電気化学協会会長を務めた。正四位勲二等瑞宝章。 熊本県宇土市生まれ。第五高等学校を経て、1915年九州帝国大学工科大学応用化学科卒業、旭硝子入社。1940年尼崎工場長。1944年三菱化成工業常務取締役、日本板硝子取締役。1946年に三菱化成工業社長に就任したが同年公職追放となった。1951年旭硝子会長、旭化学工業奨励会理事長。 1952年から旭硝子社長を務め、高度経済成長期に、ブラウン管用ガラスや、自動車用ガラスの製造を進めた。
前田 穰(まえだ みのる、1887年〈明治20年〉10月15… 前田 穰(まえだ みのる、1887年〈明治20年〉10月15日 - 1955年〈昭和30年〉6月28日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、実業家、政治家。参議院議員(1期)。 三重県四日市出身。第五高等学校を経て、1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学を卒業。鉄道院(のち鉄道省)に入り神戸鉄道管理局書記に任官。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、大阪鉄道局課長、門司鉄道局課長、運輸局総務課長、大臣官房人事課長、大阪鉄道局長、仙台鉄道局長、鉄道省運輸局長などを歴任。1934年(昭和9年)8月、同省監督局長に就任し、1937年(昭和12年)7月まで在任して退官した。 その後、阪和電鉄監査役、南海電鉄常任監査役、都市計画三重地方委員、三重県労働調停委員、三重交通社長、ユネスコ三重協力会会長、三重県経営者協会会長、同県社会福祉協議会会長などを務めた。
石橋 正彦(いしばし まさひこ、1884年〈明治17年〉9月… 石橋 正彦(いしばし まさひこ、1884年〈明治17年〉9月22日 - 没年不明)は、日本の政治家、会社役員、島根県多額納税者。島根県簸川郡平田町長。島根県会議員。 島根県楯縫郡平田町(のちの簸川郡平田町、平田市、現・出雲市)の人・石橋孫八の四男。1907年、第五高等学校第一部英法科を卒業。1911年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。農業を営み、会社重役である。 1914年、農会長に推される。1915年、家督を相続する。1919年、簸川郡会議員に当選する。1921年、平田町会議員となる。1922年、島根県会議員に当選する。一畑電気鉄道監査役、産業組合中央会島根県支部長、島根県農会副会長をつとめる。
須之内 品吉(すのうち しなきち、1883年(明治16年)1… 須之内 品吉(すのうち しなきち、1883年(明治16年)11月24日 - 1965年(昭和40年)11月20日)は、日本の法学者、教育者、衆議院議員(立憲政友会)、実業家。立教大学経済学部教授・学監。弁護士。立教大学では20年以上に渡り商法の講義を講じたほか、学監や立教学院常務理事などの要職を務め、長く発展に寄与した。 愛媛県和気郡和気村(現在の松山市)出身。 1907年(明治40年)3月、旧制立教中学校卒業。1910年(明治43年)7月、旧制第五高等学校卒業。 1914年(大正3年)7月に東京帝国大学法科大学英法科を卒業。同年7月、東京市にて弁護士を開業。 1918年(大正7年)7月、東京帝国大学大学院で2カ年商法専攻を修了。
辛島 浅彦(からしま あさひこ、1882年(明治15年)7月… 辛島 浅彦(からしま あさひこ、1882年(明治15年)7月17日 - 1965年(昭和40年)10月15日)は、日本の実業家。東洋レーヨン会長や、人絹絹統制会会長を務めた。藍綬褒章受章。 大分県生まれ。1905年第五高等学校工学部(現熊本大学工学部)卒業、芝浦製作所入社。1910年三井物産ロンドン支店詰。三井物産名古屋支店長代理等を経て、1927年東洋レーヨン常務取締役滋賀工場長に就任。 1933年からは東洋レーヨン専務取締役として経営にあたり業績の急成長を実現した。1937年東洋レーヨン会長。1942年人絹絹統制会会長。 1944年国策パルプ工業社長。1946年山陽パルプ取締役。1949年日本貿易会長、山陽パルプ監査役、大日本印刷監査役。
上田 万平(うえだ まんぺい、1880年(明治13年)10月… 上田 万平(うえだ まんぺい、1880年(明治13年)10月4日 - 1935年(昭和10年)7月8日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。 熊本県天草郡高浜村(現天草市)に上田稲穂の長男として生まれ、上田松彦の養子となる。江戸時代中期から後期に同村の名主を務め、国学者や陶芸家として活動した上田宜珍は先祖にあたる。第五高等学校を卒業。1906年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁事務官、香川県事務官・警察部長、農商務参事官、同書記官、静岡県内務部長、京都府内務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1921年5月、岐阜県知事に就任。
野依 辰治(のより たつじ、1880年〈明治13年〉1月 -… 野依 辰治(のより たつじ、1880年〈明治13年〉1月 - 1940年〈昭和15年〉3月2日)は、日本の実業家。三井生命保険取締役会長。生命保険会社協会理事。族籍は福岡県平民。養子・金城の長男はノーベル化学賞を受賞した野依良治である。 福岡県人・野依範治の長男。1901年、第五高等学校大学予科第一部(法科)を卒業。1905年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。1917年、家督を相続する。 三井物産東京本店に入る。1910年、選ばれてドイツに出張を命ぜられ、未取引地方の開拓に努力する。同社金物部長、営業部長、大阪支店長、専務取締役を経て三井生命保険取締役会長兼常務取締役である。 宗教は真宗。趣味は読書、散歩。
木村 彦右衛門(きむら ひこえもん、1879年(明治12年)… 木村 彦右衛門(きむら ひこえもん、1879年(明治12年)2月5日 - 1933年(昭和8年)3月31日)は、日本の商人(薬種商)、成見屋薬局経営者、薬学者。 正七位勲六等。薬学博士。大阪薬学専門学校校長。大阪府薬剤師会長。日本薬剤師会副会長。族籍は大阪府平民。 大阪府出身。先代・木村彦右衛門の長男。幼くして父母を喪う。博聞強記で、4歳の頃には百人一首の全部を暗誦した。1883年1月、家督を相続し先代を襲名する。1893年、大阪共立薬学校に入り専ら薬学を修めた。 1899年、第五高等学校医学部薬学科(現・長崎大学薬学部)を卒業。1年志願兵として入営。東京帝国大学医科大学に入り薬学を研究した。長井博士に就いて薬化学を研究すること5年に及んだ。
中井 励作(なかい れいさく、1879年(明治12年)1月3… 中井 励作(なかい れいさく、1879年(明治12年)1月3日 – 1968年(昭和43年)2月18日)は、農商務官僚、商工官僚、実業家。 熊本県出身。第五高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。翌年より農商務試補、山林局事務官、水産局書記官、広島大林区署長、高知大林区署長、東京大林区署長、大臣官房文書課長、会計課長、特許局長、山林局長を歴任した。1924年(大正13年)、農商務次官に就任し同年末に製鉄所長官に転じた。1934年(昭和9年)、製鉄所が日本製鉄株式会社に改組されると初代社長に就任し、1939年(昭和14年)まで在任した。
岸原 重治(きしはら しげはる、1878年9月 - 没年不詳… 岸原 重治(きしはら しげはる、1878年9月 - 没年不詳)は、日本の電気技術者・実業家。官営八幡製鐵所の草創期から電気技師を務め、鉄鋼電気技術の基礎を築いた。 福岡県士族岸原義路の長男として生まれる。1896年福岡県立尋常中学修猷館、1899年7月第五高等学校工科を経て、1903年7月京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業。 1905年、創立間もない官営八幡製鐵所の電気工事嘱託となり、1909年技師に任ぜられる。1910年に開設された、青少年未経験工の技術教育を行う「製鉄所幼年職工養成所」の教科書編纂委員を命ぜられ、「電気学大意」を作成した。その後、工務部電気科長を経て、1923年動力部長に就任。
中根 貞彦(なかね さだひこ、1878年(明治11年)2月4… 中根 貞彦(なかね さだひこ、1878年(明治11年)2月4日 - 1964年(昭和39年)1月24日)は、日本の実業家、政治家、歌人。三和銀行頭取、貴族院勅選議員。旧姓・片切、号・九峯。 大分県海部郡二王座村(のち北海部郡臼杵町を経て現臼杵市)に生まれた。大分士族・片切八三郎の三男。幼くして両親と死別し、佐伯の中根祚胤(百九銀行頭取)の養子となる。1901年(明治34年)第五高等学校大学予科第一部(法科)を卒業した。1905年(明治38年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 日本銀行に入行する。以後、同行ロンドン代理店監督役、同国庫局長、同大阪支店長、同理事などを歴任。1933年(昭和8年)に三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の3行が合併して三和銀行が創立され初代頭取に就任し、1945年(昭和20年)まで在任した。
納富 陳平(のうとみ ちんぺい、1876年(明治9年)12月… 納富 陳平(のうとみ ちんぺい、1876年(明治9年)12月26日 - 1934年(昭和9年)3月1日)は、日本の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員。北浜銀行取締役兼支配人、福岡銀行取締役などを歴任。 福岡県怡土郡神在村(糸島郡加布里村大字神在、前原町、前原市を経て現糸島市神在)で、納富義雄の二男として生まれる。1896年(明治29年)福岡県立尋常中学修猷館、1899年(明治32年)第五高等学校法科、1903年(明治36年)京都帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年8月、北浜銀行に入行。陸軍三等主計となる。 その後、北浜銀行取締役兼支配人となり、1919年(大正8年)12月、同行破綻の整理を行い退職。
肥後 八次(ひご はちじ、1875年10月24日 - 195… 肥後 八次(ひご はちじ、1875年10月24日 - 1955年6月5日)は、日本の逓信官僚、実業家。逓信省初代電気課長、初代電気局監理課長、第3代電気局長を歴任して電気行政に貢献し、退官後は住友合資(住友本社)理事や住友の関連会社の各役員を務めた。 鹿児島県鹿児島市下竜尾町生まれ。鹿児島県士族肥後宗右衛門の二男。1895年7月、鹿児島高等中学造士館予科を卒業。1897年7月、第五高等学校大学予科第一部を卒業。1900年7月、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、内務省入省。同年の文官高等試験に合格。1902年3月、静岡県参事官に任じられる。1903年2月、分家。1903年11月、逓信省参事官兼逓信書記官に転じる。
賀来 佐賀太郎(かく さがたろう、1874年〈明治7年〉1月… 賀来 佐賀太郎(かく さがたろう、1874年〈明治7年〉1月16日 - 1949年〈昭和24年〉4月6日)は、日本の農商務官僚、実業家。台湾総督府総務長官。 大分県宇佐郡佐田村(現:宇佐市安心院町佐田)で、佐田賀来氏一族の賀来重八郎の長男として生まれ、親戚の賀来熊次郎(本名は惟達、『大神系譜』の著者)の養子となる。第五高等学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年8月、農商務省に入り、鉱山局属となる。 1900年(明治33年)11月、文官高等試験行政科試験に合格した。東京鉱山監督署で鉱山監督官として勤務。1903年(明治36年)9月、台湾総督府に転じ、同年10月、民政部通信局庶務課長に就任。
田中 千里(たなか ちさと / せんり、1872年9月22日… 田中 千里(たなか ちさと / せんり、1872年9月22日(明治5年8月20日) - 1938年(昭和13年)2月11日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 石川県出身。田中信吾の長男として生まれる。第五高等学校を卒業。1906年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し茨城県属となる。 以後、茨城県警視・保安課長兼衛生課長、同庶務課長、青森県事務官・教育社寺兵事課長、長野県事務官・警察部長、広島県警察部長、神奈川県警察部長、千葉県内務部長、大阪府警察部長などを歴任。 1921年5月、大分県知事に就任。
不破 熊雄(ふわ くまお、1871年11月12日(明治4年1… 不破 熊雄(ふわ くまお、1871年11月12日(明治4年11月)- 1955年7月4日)は、日本の実業家。 福岡藩士不破國雄の二男として福岡県に生まれる。1890年福岡県立尋常中学修猷館、1892年第五高等中学校工科を経て、1895年帝国大学工科大学機械工学科を卒業。 1895年三井工業部に入社し、芝浦製作所に勤務した後、第五高等学校工科教授を数年務め、三井鉱山技師に転じる。1911年欧米各国の鉱山界を視察し、帰国後山野炭鉱所長、田川炭鉱所長を経て、取締役となる。三井窒素工業社長・会長、東洋高圧工業(現・三井化学)取締役も兼任している。 退任後は三井合名会社重役待遇となる。墓所は多磨霊園
赤星 典太(あかほし / あかぼし てんた、1868年10月… 赤星 典太(あかほし / あかぼし てんた、1868年10月22日(慶応4年9月7日)- 1958年(昭和33年)6月13日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、錦鶏間祗候。 肥後国熊本城下手取本町(現熊本市)出身。熊本藩士・赤星晋作の長男として生まれる。第五高等学校を卒業。1896年(明治29年)帝国大学法科大学を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。大蔵省に入省し主税局属となる。 1897年(明治30年)司税官・金沢税務管理局在勤となる。以後、根室税務管理局長、札幌税務管理局長、会計検査官補、司法省参事官兼司法書記官、同書記官・総務局会計課長、農商務書記官、行政裁判所評定官などを歴任。