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中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月1… 中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉1月24日)は、日本の官僚。位階は正四位。 愛知県出身。第八高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年7月、高等試験行政科試験に合格して厚生省に入省し厚生属任官。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官。第22戦隊司令部付第2艦視艇艦司令承命服務となる。経理学校付第12期見習尉官隊第二分隊士(教官)を経て、1945年3月、主計大尉に進み、同年4月、第103戦隊司令部付春風勤務で終戦を迎えた。
川松 鍵三(かわまつ けんぞう、1914年〈大正3年〉10月… 川松 鍵三(かわまつ けんぞう、1914年〈大正3年〉10月 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、拓務官僚。 愛知県出身。第八高等学校を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科試験に合格。1940年(昭和15年)3月東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年台湾総督府殖産局兼拓務省殖産局勤務となる。ついで、総督府官房審議室に転じ、1941年(昭和16年)6月、地方理事官に進み、高雄州恒春郡守に就任し、1942年(昭和17年)8月、台南州教育課長に転じた。 戦後は、愛知県文書課長、愛知労働基準局労災補償課長、徳島県経済部長、同県商工水産部長、東京事務所長、兵庫労働基準局次長、奈良労働基準局長、大阪労働基準局次長、公共企業体等労働委員会事務局名古屋支局長を歴任した。
谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日… 谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日 - 1994年〈平成6年〉10月3日)は、日本の内務・警察官僚。内閣官房副長官、最後の官選奈良県知事。 三重県津市出身。谷口周三郎の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、京都府属となる。 以後、富山県の課長、静岡県警察部警務課長、神奈川県商工課長、内務事務官、警保局勤務、岐阜県経済部長、厚生省軍事保護院職業課長、内閣参事官などを歴任。 1947年3月、前任の野村万作が知事選に出馬のため辞任したことに伴い奈良県知事に発令された。知事選挙を執行して同年4月に退任。
大島 弘夫(おおしま ひろお、1903年〈明治36年〉11月… 大島 弘夫(おおしま ひろお、1903年〈明治36年〉11月25日 - 1953年〈昭和28年〉10月4日)は、日本の内務官僚。官選青森県知事。 石川県金沢市長町出身。第八高等学校(現・名古屋大学)を首席で卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し新潟県属となる。 以後、富山県書記官・警察部長、軍事保護院事務局長、総力戦研究所員、内閣参事官などを歴任。 1944年8月、青森県知事に就任。戦時下の食糧増産に尽力。1945年4月、内務省管理局長に転任。内務省調査官、大臣官房調査部長を歴任。1946年1月に退官。その後、公職追放となった。
橋本 政実(政實、はしもと まさみ、1902年(明治35年)… 橋本 政実(政實、はしもと まさみ、1902年(明治35年)1月2日 - 1962年(昭和37年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。旧姓・坂井。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 長崎県出身。橋本家の養子となる。第八高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し東京市事務員となる。1926年、内務省に転じ東京府属となる。 以後、高知県書記官・警察部長、情報局情報官・第四部長などを歴任。1944年7月、岐阜県知事に就任。1945年4月に茨城県知事に転じ、終戦を迎えた。同年8月、内務省警保局長に就任。同年10月、公職追放となり退官した。
澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日… 澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1993年(平成5年)12月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選奈良県知事。 実兄に空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃に参加した嶋崎重和がいる。 三重県出身。澤重元の長男として生まれる。第八高等学校を首席で卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を首席で卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、国際労働機関帝国事務局勤務、佐賀県勤務、岐阜県勤務、内務省土木局河川課長、同地方局監督課長、同会計課長などを歴任。 1943年7月、奈良県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1945年2月、厚生省衛生局長に転任。
武若 時一郎(たけわか ときいちろう、1901年(明治34年… 武若 時一郎(たけわか ときいちろう、1901年(明治34年)4月 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。最後の官選広島県知事。 京都府出身。武若喜太の長男として生まれた。第八高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し東京府属となる。1926年12月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、京都府社会課勤務、内務属・土木局勤務、内務事務官、内閣紀元二千六百年祝典事務局書記官、内閣情報部書記官、神祇院書記官兼秘書官、造神宮主事、外務書記官、近畿地方行政事務局次長などを歴任。 楠瀬常猪が知事選挙に立候補するため広島県知事を辞任したことを受け、近畿地方行政事務局次長であった武若が事実上の選挙管理知事として任命され、1947年3月14日に40代官選広島県知事に就任。
小田 成就(おだ しげなり / じょうじゅ、1901年(明治… 小田 成就(おだ しげなり / じょうじゅ、1901年(明治34年)1月1日 - 1975年(昭和50年)6月12日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選奈良県知事。海軍司政長官。妻・英子は樺山資英の三女。位階は正四位。勲二等瑞宝章。 兵庫県出身。小田半平の二男として生まれる。第八高等学校を卒業。1923年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し奈良県属となる。 以後、奈良県警察部保安課長、大阪府監査官・保安課長、神奈川県社会課長、同地方課長、同庶務課長、和歌山県書記官・学務部長、愛知県書記官・学務部長、文部書記官、文部省社会教育局成人課長などを歴任。
柴田 栄(しばた さかえ、1900年11月12日 - 198… 柴田 栄(しばた さかえ、1900年11月12日 - 1982年9月23日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(3期)、林野庁長官(第3代)。 愛知県川中村大字福徳(現名古屋市北区福徳町)に生まれる。第八高等学校を経て、1928年に東京帝国大学農学部林学科を卒業。 大学卒業後、白沢営林署長、真室川営林署長、青森営林署長、秋田営林局長などを歴任した。真室川営林署長時代にはスキー大会を発案及び主催。真室川町秋山スキー大会の始まりだった。 1952年9月3日、林野庁長官に就任。1954年12月11日にインドで開催された第4回世界林業会議に日本代表として出席した。1955年11月19日、同長官を退任。
谷口 明三(たにぐち めいぞう、1900年(明治33年)10… 谷口 明三(たにぐち めいぞう、1900年(明治33年)10月14日 - 1987年(昭和62年)10月9日)は、日本の内務・警察官僚。官選宮崎県知事、北海道開発庁次長。旧姓・田中。 現在の山口県下関市出身。田中種吉の三男として生まれ、谷口寛の養子となる。第八高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。横浜市役所を経て、1926年、内務省に入省し徳島県属となる。 以後、鳥取県警察部課長、青森県警察部課長、茨城県警察部課長、大阪府警察部課長、内務省事務官、満州国治安部警務司長、埼玉県内務部長などを経て、警視庁警務部長となる。 1944年8月、宮崎県知事に就任。
村田 五郎(むらた ごろう、1899年〈明治32年〉4月11… 村田 五郎(むらた ごろう、1899年〈明治32年〉4月11日 - 1982年〈昭和57年〉3月24日)は、日本の内務官僚。官選群馬県知事、情報局次長。 愛知県出身。実業家・村田義教の長男として生まれる。台北中学、第八高等学校を経て、1923年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年5月、内務省に入り富山県警部として警察部警務課に配属された。 以後、富山県氷見郡長、東京府内務部農林課長、同学務部社会課長、同知事官房主事兼秘書兼文書課長、東京府工業組合監督官、大分県書記官・警察部長、警視庁衛生部長、同庁官房主事、厚生省体力局体育課長、内務秘書官・警保局外事課長、福岡県総務部長、内務省地方局振興課長、兼平沼騏一郎国務大臣付秘書官、内務事務官・警保局保安課長などを歴任。
鶴 友彦(つる ともひこ、1898年(明治31年)1月10日… 鶴 友彦(つる ともひこ、1898年(明治31年)1月10日 - 1960年(昭和35年)9月1日[要出典])は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚、海軍司政長官。 鶴丈一郎の三男として大阪府大阪市に生まれる。第八高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学し、在学中の1922年(大正11年)11月に高等試験行政科に合格。1923年(大正12年)同大卒業と同時に台湾総督府殖産局農務課に奉職。 翌年12月、台南州警務局警務課長に転じ、1927年(昭和2年)台北州内務部勧業課長、1930年(昭和5年)同州地方課長、1931年(昭和6年)総督府交通局参事、逓信部庶務課長兼海事課長、1933年(昭和8年)総督府高等海員審判所審判官、1935年(昭和10年)台中州内務部長を経て、1936年(昭和11年)台南州内務部長に就任。
柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日… 柴山 博(しばやま ひろし、1897年(明治30年)5月9日 - 1991年(平成3年)12月29日)は、日本の鉄道・内務官僚、弁護士。官選鹿児島県知事。 愛知県出身。柴山重幸の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。鉄道省に入り鉄道局副参事となる。1924年、内務省に転じ復興局勤務となる。 以後、宮崎県事務官、埼玉県事務官、新潟県書記官・学務部長、茨城県書記官・経済部長、徳島県書記官・警察部長、山梨県書記官・総務部長、神奈川県書記官・総務部長、内務省勅任監査官などを歴任。 1943年4月、鹿児島県知事に就任。
八田 三郎(はった さぶろう、1896年(明治29年)2月 … 八田 三郎(はった さぶろう、1896年(明治29年)2月 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選鳥取県知事、陸軍司政長官。旧姓・和田。 三重県出身。和田綱紀の三男として生まれ、八田一精の養子となる。第八高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し群馬県属となる。 以後、地方警視・大阪府警察部勤務、地方事務官・長崎県勤務、香川県書記官・学務部長、秋田県書記官・警察部長、奈良県書記官・学務部長、石川県書記官・警察部長、拓務書記官・警務課長、茨城県書記官・警察部長、長野県書記官・経済部長、奈良県総務部長、岡山県総務部長などを歴任。
森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12… 森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12月17日 - 1956年(昭和31年)6月9日)は、大正から昭和前期の法制官僚、政治家、弁護士。貴族院勅選議員、法制局長官。 現在の三重県桑名市で、伊藤伊右衛門の三男として生まれ、森山兵介の養子となる。1914年(大正3年)7月、第八高等学校一部丙を首席で卒業。1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、同月、内務省に入り内務属・土木局工営課に配属された。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。 その後、兼警察講習所教授、埼玉県視学官、帝都復興院計画局制度課、復興局事務官・長官官房計画課などを歴任。
山内 義文(やまうち よしふみ、1893年(明治26年)7月… 山内 義文(やまうち よしふみ、1893年(明治26年)7月 - 1945年(昭和20年)1月19日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。陸軍司政長官。旧姓・伊藤。 三重県出身。伊藤茂右衛門の四男として生まれ、山内家(本籍:愛知県)の養子となる。第八高等学校を卒業。1918年7月、京都帝国大学法科大学政治経済学科を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、内務省に入省し警保局嘱託となる。 以後、高知県警部・警務課長、神奈川県警視・監察官、福井県警視・特別高等課長、山口県書記官・警察部長、岐阜県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、高知県書記官・総務部長、鹿児島県書記官・総務部長、静岡県書記官・総務部長などを歴任。
伊藤 武彦(いとう たけひこ、1891年 (明治24年)11… 伊藤 武彦(いとう たけひこ、1891年 (明治24年)11月20日 - 1939年(昭和14年)10月27日)は、日本の内務官僚。県知事。 岐阜県出身。伊藤伊八郎の三男として生まれる。第八高等学校を経て、1915年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年、内務省に入り、富山県属となる。 以後、富山県警視、千葉県市原郡長、朝鮮総督府秘書官、内務省参事官、内務大臣秘書官、内務書記官、警保局庶務課長、土木局道路課長、同港湾課長、衛生局保健課長などを歴任。 1931年12月、岐阜県知事に就任。以後、滋賀県知事、福島県知事を歴任。1937年7月、岡山県知事となる。
松尾 長造(まつお ちょうぞう、1891年(明治24年)5月… 松尾 長造(まつお ちょうぞう、1891年(明治24年)5月16日 - 1963年(昭和38年)5月21日)は、日本の文部官僚。広島女子高等師範学校校長。 長崎県出身。1917年(大正6年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。1920年(大正9年)、第八高等学校教授となる。ついで文部事務官、督学官・書記官、宗教局宗教課長・保存課長、社会教育局成人教育課長・庶務課長などを歴任し、1937年(昭和12年)に宗教局長となり、1940年(昭和15年)には図書局長に転じた。同年日語文化協会内に日本語教育振興会が設置され、同協会理事長の阪谷芳郎の依嘱により、松尾が委員長に就任。 戦争末期の1945年(昭和20年)、新設された広島女子高等師範学校校長に就任した。
二見 直三(ふたみ なおぞう、1888年〈明治21年〉10月… 二見 直三(ふたみ なおぞう、1888年〈明治21年〉10月4日 - 1953年〈昭和28年〉12月30日)は、日本の内務・警察・台湾総督府官僚。官選滋賀県知事、盛岡市長。 岩手県盛岡市出身。二見直吉の長男として生まれる。盛岡中学、第八高等学校を卒業。1915年、東京帝国大学法科大学を卒業。1917年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1918年2月、内務省に入省し福井県属となる。 以後、福井県警視、山口県理事官、秋田県書記官・学務部長、大分県書記官・警察部長、奈良県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、宮城県内務部長、北海道庁土木部長などを歴任。 1936年4月、滋賀県知事に就任。同年9月、台湾総督府警務局長に転じた。