和田 英一(わだ えいいち、1931年6月1日 - )は、日… 和田 英一(わだ えいいち、1931年6月1日 - )は、日本の計算機科学者。東京大学名誉教授、IIJ技術研究所研究顧問。
旧制武蔵高等学校:14人
※有名人ナビに登録されている14人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
和田 英一(わだ えいいち、1931年6月1日 - )は、日… 和田 英一(わだ えいいち、1931年6月1日 - )は、日本の計算機科学者。東京大学名誉教授、IIJ技術研究所研究顧問。
唐沢 俊二郎(からさわ しゅんじろう、1930年6月24日 … 唐沢 俊二郎(からさわ しゅんじろう、1930年6月24日 - )は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。第3次中曽根内閣の郵政大臣、第1次海部内閣で自民党総務会長を歴任した。
上田 薫(うえだ かおる、1920年(大正9年)5月17日 … 上田 薫(うえだ かおる、1920年(大正9年)5月17日 - 2019年10月1日)は、日本の教育学者。東京教育大学教授、立教大学教授、都留文科大学学長を務めた。「社会科の初志をつらぬく会」名誉会長。 大阪府にて出生。兵庫県立第一神戸中学校から、旧制武蔵高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に進むが、1943年12月に仮卒業となり学徒出陣し、南京に送られる。敗戦により国民党軍の捕虜になった後、1946年1月日本に帰国した。1946年9月に文部省に入省し、新教育の小学校社会科の学習指導要領と教科書の作成にあたった。続いて「道徳教育のための手引書要綱」を作る。1951年9月名古屋大学教育学部、東京教育大学教育学部、立教大学文学部で教員生活を送り、最後は都留文科大学学長を務めた。
岡田 利弘(おかだ としひろ、1918年 - 2003年)は… 岡田 利弘(おかだ としひろ、1918年 - 2003年)は、日本の物理学者。東京府生まれ。
梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 19… 梅澤 濱夫(うめざわ はまお、1914年10月1日 - 1986年12月25日)は、日本の医学者、細菌学者、文化勲章受章者。
浅井 得一(あさい とくいち、1913年 - 2003年)は… 浅井 得一(あさい とくいち、1913年 - 2003年)は、日本の地理学者(地理教育)・軍人。 東京生まれ。旧制武蔵高等学校文科甲類を経て、1936年(昭和11年)京都帝国大学文学部地理学専攻卒。大学卒業後、すぐに旧制立教中学校の専任教員となり、1941年(昭和16年)まで地理と歴史を教えた。 小牧実繁らの大東亜地理学派の一人。戦時下の1942年(昭和17年)12月、南方軍情報官としてビルマに赴任、陸軍司政官となる。1944年(昭和19年)4月25日、南方軍ビルマ方面軍・磯村武亮参謀副長の示唆を受け、ビルマ国国家主席・バー・モウの暗殺を企てるが、ビルマ兵の警戒により失敗、逮捕されるも日本へ帰される。
丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1… 丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1日 - 1988年(昭和63年)12月26日)は日本の芸能プロデューサー・音楽評論家。東京府出身。
梅澤 純夫(うめざわ すみお、1908年11月22日 - 2… 梅澤 純夫(うめざわ すみお、1908年11月22日 - 2000年3月30日)は、日本の有機合成化学者。専門は抗生物質。慶應義塾大学名誉教授。
鬼頭 英一(きとう えいいち、1908年6月26日 - 19… 鬼頭 英一(きとう えいいち、1908年6月26日 - 1969年9月9日)は、日本の哲学者。 愛知県名古屋市出身。1930年東京帝国大学文学部哲学科卒。立教大学教授、武蔵高等学校教授、1951年金沢大学教授を経て、1965年九州大学文学部教授となる。昭和初期から実存主義哲学に着目し、ハイデッガー、ヤスパースらを紹介した。70年安保にむけての学園闘争のさなかの1969年9月9日、福岡市の博多東急ホテル浴室で、シャワー取り付け口にかけた布で首吊り自殺した。のち著作集全8巻が刊行された。
増井 経夫(ますい つねお、1907年(明治40年)1月28… 増井 経夫(ますい つねお、1907年(明治40年)1月28日 - 1995年(平成7年)6月17日)は日本の東洋史学者。専攻は清代史。 1907年、東京都生まれ。東京帝国大学文学部東洋史学科に進み、1930年に卒業。卒業論文は「清代の広東貿易について」。 卒業後は日本大学、東京外国語大学、明治学院大学、武蔵高等学校等で講師を務めた後、武蔵大学教授を経て、金沢大学法文学部教授に就任。1972年に金沢大学法文学部教授を定年退官。
国松 孝二(國松孝二、くにまつ こうじ、1906年11月3日… 国松 孝二(國松孝二、くにまつ こうじ、1906年11月3日 - 2006年5月8日)は、日本のドイツ文学者。旧制武蔵高等学校教員、九州帝国大学教授、東京大学教授、立教大学教授、専修大学教授を歴任。 兄は経済地理学者の国松久弥。 千葉県船橋町(現船橋市)生まれ。旧制水戸高等学校を経て、1930年東京帝国大学文学部独文科卒。1931年旧制武蔵高等学校教員。1945年九州帝国大学教授。1950年東京大学教養学部教授、1956年同文学部教授、1967年定年退官、立教大学教授。1970年から専修大学教授、1977年、退職。 中世から近現代までのドイツ語ドイツ文学に精通し、ゲーテ、 シュトルム 、ハンス・カロッサ等の名作の名訳を残した。
山川 黙(やまかわ しずか、1886年〈明治19年〉7月26… 山川 黙(やまかわ しずか、1886年〈明治19年〉7月26日 - 1966年〈昭和41年〉2月21日)は、日本の教育者、登山家。旧姓は河田。武田久吉らと日本博物学同志会に参加し、日本山岳会の創始者のひとり。慶応義塾大学教授、旧制武蔵高等学校校長などを務めた。夫人は明治天皇、昭憲皇太后の女官で権掌侍の三千子(子爵久世通章の長女)。 1886年(明治19年)7月26日、東京府四谷区四谷信濃町に生まれる。父は東京市助役を務めた河田烋(かわだ きょう)で、兄は河田烈(かわだ いさお)である。1904年(明治37年)、東京府立第一中学校を卒業する。1905年(明治38年)、日本山岳会の創立発起人となる。
羽田 亨(はねだ とおる、1882年(明治15年)5月15日… 羽田 亨(はねだ とおる、1882年(明治15年)5月15日 - 1955年(昭和30年)4月13日)は東洋史学者。京都大学名誉教授。文化勲章受章者。 文学博士(京都帝国大学、1922年)。京都府峰山町(現・京丹後市)生まれ。
山川 健次郎(やまかわ けんじろう、嘉永7年/安政元年閏7月… 山川 健次郎(やまかわ けんじろう、嘉永7年/安政元年閏7月17日〈1854年9月9日〉- 昭和6年〈1931年〉6月26日)は、明治から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。東京帝国大学総長の在任期間は計11年11か月に及び歴代最長。 会津藩出身で白虎隊士(途中離脱)として明治政府と戦った後、アメリカへの官費留学を経て東京開成学校・東京大学(日本人初の物理学教授)に登用された。その後、東京帝国大学理科大学長、東京帝国大学総長、明治専門学校(九州工業大学の前身)初代総裁、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵高等学校中学校および武蔵大学の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。