住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2… 住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2017年12月)は、日本の俳優。本名は同じ。旧芸名は住吉 道博。 旧関東州・大連出身。成城大学卒業。娘は女優の如月皐。高瀬プロダクション、アディックエージェンシー、オフィス松田などに所属していた。 1957年、埼玉県に引き揚げる。成城大学芸術学部在学中に劇団俳優座第14期生となり、卒業後の1965年に劇団青俳に入団。以後、テレビドラマを中心に活動し、1970年の『金太郎の孫』で布団屋職人を演じ、同年の『東京赤坂三代目』では呉服店の店員を演じるなど職人や店員役を多く演じた。 1976年、『がんばれ!!ロボコン』にスケジュールの都合で降板することになった大野しげひさに替わり、ロボコンの居候先のパパ役を演じた。
大内 捷司(おおうち かつじ、1942年1月12日 - )は… 大内 捷司(おおうち かつじ、1942年1月12日 - )は、日本の裁判官、弁護士。名古屋高等裁判所部総括判事や、名古屋地方裁判所所長、札幌高等裁判所長官、総務省公害等調整委員会委員長等を歴任した。 東北大学法学部卒業後、1967年東京地方裁判所判事補任官。1970年金沢地方裁判所判事補。1973年盛岡地方裁判所判事補。1977年岡山地方裁判所倉敷支部長。1979年岡山地方裁判所判事。1983年名古屋地方裁判所判事。1987年福島地方裁判所判事。1991年名古屋高等裁判所判事。1992年名古屋地方裁判所部総括判事。1998年福井地方裁判所長。1999年名古屋高等裁判所部総括判事。2002年名古屋地方裁判所長。
横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日… 横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日本の通産官僚。日本銀行政策委員、中小企業金融公庫副総裁を歴任。義父は佐橋滋。 大阪府立大手前高等学校を経て、
橋口 公一(はしぐち こういち、1942年(昭和17年)1月… 橋口 公一(はしぐち こういち、1942年(昭和17年)1月11日 - )は、日本の固体力学者。
嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17… 嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2025年11月14日)は、日本の編集者、作家、エッセイスト。本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)。 父は、朝日新聞社社員から、多摩美術大学の教授に転じたデザイナーの祐乗坊宣明。弟の祐乗坊進は造園コンサルタントで多摩美術大学講師。 静岡県浜松市に生まれ、1950年から東京都北多摩郡国立町(現:国立市)に育つ。国立学園小学校卒業。小学校時代の同級生に、後の外務省・軍縮大使の登誠一郎、朝日新聞社の宮本貢がいた。 桐朋中学校・高等学校を経て、1965年國學院大學文学部国文科卒業。専攻は中世文学。また、笠井叡は高校の2年後輩で、大学時代に笠井から土方巽を紹介され、金粉ショーのアルバイトをやったこともある。
今宮エビス(いまみや えびす、1942年1月10日 - 20… 今宮エビス(いまみや えびす、1942年1月10日 - 2008年1月27日)は、お笑い芸人、漫才師。京都府京都市嵯峨野出身。本名は土屋 嘉生(つちや よしお)。芸名は吉田留三郎が命名。
小松 政夫(こまつ まさお、本名:松崎 雅臣(まつざき まさ… 小松 政夫(こまつ まさお、本名:松崎 雅臣(まつざき まさおみ)、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2020年〈令和2年〉12月7日)は、日本のコメディアン、タレント、俳優、声優。社団法人日本喜劇人協会会長(第10代)。福岡県福岡市瓦町(現:博多区上川端町)出身。 愛称は「親分さん」「小松の親分(自らのコントから)」「小松与太八左エ門」。所属事務所は有限会社ドン・タック。プロデューサーハウスあ・うんとスケジュール窓口で業務提携。 7人兄妹の5番目として、櫛田神社の前および鐘紡福岡工場の近くで育つ(博多の総鎮守である櫛田神社の前が自宅であることを福岡県福岡市博多区にいる仲間たちにも自慢していたことがあった)。
長田 紀生(おさだ のりお、1942年1月10日 - )は、… 長田 紀生(おさだ のりお、1942年1月10日 - )は、日本の脚本家、映画監督である。別名として、青山 剛(あおやま ごう)がある。日本シナリオ作家協会会員。脚本を提供した連続テレビ映画『キャプテンウルトラ』では主題歌の作詞も手がけ、脚本家としての初期の代表作『修羅雪姫』では挿入歌の作詞・作曲も手がけた。 1942年(昭和17年)1月10日、中華民国北京市に生まれる。父は南満州鉄道(満鉄)勤務であったため同地で育ったが、1945年(昭和20年)8月15日に第二次世界大戦が終結、1946年(昭和21年)には内地に引揚げた。 早稲田大学第一文学部演劇科に進学。演劇科の同級に大原清秀、やまさき十三、松本幸四郎、小林勝也、呉徳洙、北村皆雄、シュミット村木眞寿美ら。
澤部 肇(さわべ はじめ、1942年1月9日 - )は、日本… 澤部 肇(さわべ はじめ、1942年1月9日 - )は、日本の経営者。TDK社長、会長を務めた。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て、1964年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東京電気化学工業(のちのTDK)に入社した。1996年6月に取締役に就任し、1998年6月に社長に就任。2006年6月から2011年6月までに会長を務めた。 2020年4月に旭日重光章を受章した。
三浦 洋義(みうら ひろよし、1942年1月8日 - )は、… 三浦 洋義(みうら ひろよし、1942年1月8日 - )は、学校法人三浦学園の学園長・理事長。 東京都出身。幼少よりポール・ヴィノグラドフ、豊増昇に師事しピアノの指導を受ける。 慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学ビジネススクール修了。米カリフォルニア大学バークレー校留学。 1964年東京オリンピックの際、英国選手団の通訳を務める。大学卒業後はシェル石油(現・出光昭和シェル石油)に勤務した。 1993年、日本音楽高等学校の創立者・三浦泰の死去に伴い、学校法人三浦学園の学園長・理事長に就任。2019年、令和元年度東京都教育功労者受賞。
桜井 正光(さくらい まさみつ、1942年1月8日 - 20… 桜井 正光(さくらい まさみつ、1942年1月8日 - 2024年1月24日)は、日本の経営者。リコー特別顧問、日本気候リーダーズ・パートナーシップ代表、NPO法人日本防災士機構評議員、経済同友会代表幹事を務めた。 東京都出身。東京都立墨田川高等学校、早稲田大学第一理工学部工業経営学科卒業後、リコー入社。1993年Ricoh Europe B.V.取締役社長。 コピー機関連の英国工場の立ち上げや、海外販社の運営、研究開発部門で手腕を発揮。1996年に上席役員を八人抜いての大抜擢で社長に就任した。「販売のリコー」と呼ばれる同社で技術者出身社長は初めて。11年間社長を務め、連結の売上高は約2倍の2兆689億円、純利益は約5倍の1117億円に拡大させた。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年〈昭和17… 小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣(第87・88・89代)、農林水産大臣(第37代)、外務大臣(第127代)、厚生大臣(第68・69・80代)、年金問題担当大臣(竹下改造内閣)、郵政大臣(第55代)、大蔵政務次官(第2次大平内閣)、衆議院大蔵委員長、衆議院議員(12期)、自由民主党総裁(第20代)を歴任した。 福田赳夫の秘書を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で初当選し、以降12期連続当選。自由民主党では清和会(福田派、安倍派、三塚派、森派)に所属した。また、山崎拓や加藤紘一と「YKK」を結成し、経世会支配からの脱却や党の世代交代を訴え「グループ・新世紀」を旗揚げした。
新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、… 新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、日本の経済学者。専門は農業史。 新潟県新発田出身。新潟県立柏崎高等学校、新潟短期大学を経て、1964年明治大学卒業。学部生時代は雄弁部に所属。 大学では横畑護のゼミで学ぶ。後に五島茂にも師事し、ロバート・オウエンの研究をする。 大学院時代、大宅壮一東京マスコミ塾第3期生となる。大宅壮一の死後は、大宅の側近にあたる青地晨主催の読書会に合流。 大森実主催の太平洋大学にも参加、サンフランシスコ到着時にプラハの春の第一報を聞いたという。 1973年、明治大学農学部農業経済学科講師、1994年、同教授。明治大学ラグビー部選手として名を馳せた渡邉大吾は教え子。
竹内 洋(たけうち よう、1942年(昭和17年)1月8日 … 竹内 洋(たけうち よう、1942年(昭和17年)1月8日 - )は、日本の社会学者(教育学博士)。専門は、教育社会学。京都大学教育学部名誉教授。関西大学名誉教授。
真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本… 真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本の女優。大分県日田市出身。特技は日舞。
落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は… 落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は、日本出身のジャーナリスト、小説家である。
中西 重忠(なかにし しげただ、1942年1月7日 - )は… 中西 重忠(なかにし しげただ、1942年1月7日 - )は、日本の生化学者、分子神経科学者。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所所長。Gタンパク質共役受容体に関する世界的権威として知られる。岐阜県大垣市出身。2015年文化勲章受章。 沼正作と共に、多ホルモン前駆体の構造、遺伝子、進化に関する研究を発表して有名となり、「記憶のもと」と考えられるタンパク質のNMDA型グルタミン酸受容体の構造を世界で初めて解明した。 京都大学医学部の同期である本庶佑とは、学生時代からの親友であり、互いに切磋琢磨するライバル関係にある。2015年に中西が文化勲章を受章した際のインタビューでは、本庶について「学生時代、自分はあまり勉強しなかったが、中西君は非常に熱心に実験をしていた」という本庶側の回想に対し、中西は「お互いに『勉強は好きじゃない』と言い合いながら、自由な校風の中で自由にやらせてもらった」と語っている。
西山 孝朗(にしやま たかお、1942年1月7日 - 202… 西山 孝朗(にしやま たかお、1942年1月7日 - 2021年2月以前)は、日本のサッカー選手。ポジションはDF。 早稲田大学在籍時の1964年に日本代表に選出され、同年2月25日のセランゴール州選抜戦で代表デビュー。3月3日のシンガポール戦で国際Aマッチ出場を果たした。また同年8月から9月のヨーロッパ遠征にも参加した。 なお、詳細な没年は不明であるが、2021年2月時点で故人となっている。
大久保 計雄(おおくぼ かずお、1942年1月7日 - )は… 大久保 計雄(おおくぼ かずお、1942年1月7日 - )は、徳島県麻植郡鴨島町(現・吉野川市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 阿波高校では1年次の1957年から正捕手としてチームを引っ張り、4番打者としてシャープな当たりと大物打ちで活躍。甲子園出場こそ無かったが、遠投100m以上の強肩ぶりに7球団が注目。加藤久幸スカウトや林義一監督代行の熱心な勧誘により、1960年に近鉄バファローへ入団。2年目の1961年に一軍初出場も腰椎分離症を発症し、以降は二軍の試合に出場することが多くなり、1967年限りで現役を引退。 引退後は近鉄で用具係(1968年 - 1970年)→二軍コーチ補佐(1971年)→一軍トレーニングコーチ(1972年 - 1983年)→一軍バッテリー兼トレーニングコーチ(1984年 - 1985年)→二軍トレーニングコーチ(1986年 - 1987年)→一軍バッテリーコーチ(1988年 - 1990年)を歴任し、2連覇を含む3度のリーグ優勝(1979年 - 1980年, 1989年)に貢献。
萩野 幸三(はぎの こうぞう、1942年(昭和17年)1月6… 萩野 幸三(はぎの こうぞう、1942年(昭和17年)1月6日 - )は、日本の政治家。元愛知県日進市長(3期)。 日進村立東部小学校(現:日進市立東小学校)、愛知中学校、愛知高等学校卒業。1964年(昭和38年)3月、南山大学経済学部経済学科卒業。 1964年(昭和38年)4月、愛知時計電機株式会社に就職。1973年(昭和48年)7月、同社を退職。同年8月、日進町役場に就職。なお1994年(平成6年)10月1日に日進町は日進市に移行する。2002年(平成14年)3月、日進市役所を退職。 2003年(平成15年)7月13日に行われた日進市長選挙に無所属で出馬するも現職の佐護彰に敗れ落選。投票率は47.01%。
岩谷 宏(いわたに ひろし、1942年1月6日 - )は、日… 岩谷 宏(いわたに ひろし、1942年1月6日 - )は、日本のライター、翻訳家。 旧:京城府(韓国)生まれ。3歳の時に引き揚げ。福岡県立福岡高校を経て、1964年京都大学文学部仏文科卒業、卒論はランボー。 約1年半ブラブラした後、1965年秋上京して、パン菓子業界紙、マーティング会社等に勤めた。 1970年、朝日ジャーナル懸賞論文に「“生活”の中に何が発見できそうか」で入選。 1972年、渋谷陽一、松村雄策、橘川幸夫らと、ロック雑誌『Rockin'on』を創刊。創刊時より、ロック評論、エッセイを執筆し、訳詞を手がける。初期『rockin'on』の理論的指導者でもある。 1985年に『rockin'on』を離れた以降は、ラジカルなコンピュータ文化に希望を託し、主にコンピュータ関連の著述・翻訳活動に取り組む。
中園正樹(なかその まさき、1942年〈昭和17年〉1月6日… 中園正樹(なかその まさき、1942年〈昭和17年〉1月6日 - 2018年〈平成30年〉12月25日)は、日本の建築家。株式会社松田平田設計 前・代表取締役社長。妻は女優の日色ともゑ。兵庫県出身。 2018年12月25日、がん闘病の末、76歳没。
安森 敏隆(やすもり としたか、1942年1月6日 - 20… 安森 敏隆(やすもり としたか、1942年1月6日 - 2018年1月9日)は、日本の歌人・日本近代文学研究者。専門は、近代・現代の詩歌文学。斎藤茂吉と塚本邦雄研究。同志社女子大学名誉教授。短歌結社誌「ポトナム」代表・「京都短歌」(朝日新聞京都版)選者・現代歌人集会理事。全国大学国語国文学会常任理事・キリスト教文学会関西支部理事を歴任。 広島県出身。学生時代、「立命短歌」「京都大学短歌会」に参加。「幻想派」を永田和宏・河野裕子等と、「枯野」を俳人の坪内稔典等と創刊。1981年、歌集「沈黙の塩」で第5回現代歌人集会賞受賞。2009年、歌集「百卒長」で第36回日本歌人クラブ賞受賞。近年は、介護する人・される人たちへの「介護百人一首」(NHK教育テレビ「福祉ネットワーク・介護の達人」)や「城崎百人一首」「城崎百人一句」(城崎温泉主催)や「SEITO百人一首」(同志社女子大学主催)を中心に「介護短歌」等を提唱した。
大利根 勝子(おおとね かつこ、1942年〈昭和17年〉1月… 大利根 勝子(おおとね かつこ、1942年〈昭和17年〉1月6日 - 、本名:斎藤 勝子〈さいとう かつこ〉)は、女流の浪曲師。全盲。岩手県東磐井郡八沢村(現:一関市)生まれ。 「大利根勝子は五つの時に、流行り病をわずらって、三日三晩の高熱で、危うく命は助かるも、母の姿も見えぬ目に。咲き誇る花の薫りで春を知り、秋の夜長の虫の声、耳を傾けしみじみと、たとえこの眼は見えぬとも、聴いてくださる皆様の、熱い眼差し五体に受けて、行く末長くご贔屓を、高座(たかざ)ながらも願います」という今では珍しくなった自己紹介の外題付けを使い、1994年に東京都・浅草の木馬亭で復活し、2023年2月の引退興行まで活動していた。
苅谷 道郎(かりや みちお、1942年1月5日 - )は、日… 苅谷 道郎(かりや みちお、1942年1月5日 - )は、日本の技術者、実業家。ニコン代表取締役社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者や、同社代表取締役会長を務めた。 神奈川県横浜市出身。1960年関東学院高等学校卒業。1965年横浜国立大学工学部応用化学科卒業。体育会ヨット部出身。無機化学を専攻し、1967年横浜国立大学大学院工学研究科修士課程修了、日本光学工業(現ニコン)入社。技術者としてレンズ開発などに携わった。1995年取締役相模原製作所長、1999年映像カンパニープレジデント。2001年常務。2002年精機カンパニープレジデント。2003年専務。2004年副社長。2005年社長兼CEO兼COO。
川上 浩(かわかみ ひろし、1942年1月5日 - )は、日… 川上 浩(かわかみ ひろし、1942年1月5日 - )は、日本の実業家。ヤマハの第7代社長を務めた。オーディオ機器製造の株式会社ソリッドアコースティックス取締役会長。 ヤマハ第4代、6代社長を務めた『ヤマハ中興の祖』川上源一の長男として東京都に生まれた。祖父はヤマハの第3代社長の川上嘉市。静岡県立浜松北高等学校に在校時はアーチェリー部を創立。高校2年の時にアーチェリー全日本選手権で優勝している。 1965年4月日本大学理工学部機械学科卒業、ソニーに入社しテープレコーダーの商品化開発に携わる。 1971年日本楽器製造(現在のヤマハ)入社。1972年に電気音響部長。1977年に同社取締役に就任。1979年常務取締役、1981年副社長就任。
前田 三男(まえだ みつお、1942年1月5日 - )は、日… 前田 三男(まえだ みつお、1942年1月5日 - )は、日本の光学者、レーザー科学者。九州大学名誉教授。久留米工業高等専門学校名誉教授、元校長。工学博士(九州大学、1971年)。元日本工学アカデミー正会員。 長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1964年九州大学工学部電気工学科卒業後、1969年同大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了。 1969年に九州大学工学部講師となり、1971年助教授、1981年教授。同大学では先端科学共同研究センター長(1997年 - 2000年)、大学院システム情報科学研究院長(2001年 - 2005年)を務め、レーザー装置の開発やその応用に関する研究に取り組んだ。
高木 侃(たかぎ ただし、1942年1月4日 - 2018年… 高木 侃(たかぎ ただし、1942年1月4日 - 2018年11月22日)は、日本の法制史学者、専修大学史編集主幹。専攻は日本法制史、家族史。埼玉県出身。 1942年朝鮮・慶尚北道生まれ。1960年埼玉県立本庄高等学校卒業。1966年中央大学法学部法律学科卒業。1969年同大学院法学研究科修士課程修了。1994年「縁切寺満徳寺の研究」で中央大学より博士(法学)の学位を取得。愛知学院大学助教授、関東短期大学教授、国際日本文化研究センター客員教授、2002年専修大学法学部教授。2011年比較家族史学会会長。太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長。近世の離婚研究で知られる。
三井 誠(みつい まこと、1942年1月4日 -)は、日本の… 三井 誠(みつい まこと、1942年1月4日 -)は、日本の法学者。同志社大学客員教授。神戸大学名誉教授。専門は刑事訴訟法。法学博士(東京大学、1969年、学位論文「起訴便宜主義」)。佐賀県佐賀市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
池田 知久(いけだ ともひさ、1942年1月4日- )は、日… 池田 知久(いけだ ともひさ、1942年1月4日- )は、日本の中国思想学者。東京大学名誉教授。博士(文学)(東京大学・1998年)(学位論文「『荘子』-「道」の思想とその展開」)。専門は、先秦思想、特に易。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大出 健(おおいで けん、1942年1月4日 - )は、日本… 大出 健(おおいで けん、1942年1月4日 - )は、日本の翻訳家。電子書店グーテンベルク21主宰。 茨城県古河市出身。本名・大和田伸。1968年東京大学文学部卒、講談社出版研究所に入る。1980年からフリー。『ギネスブック』、ゲームブック、「修道士カドフェル」シリーズなどの翻訳をおこなう。1998年からインターネット上の書店「グーテンベルク21」を開始した。
熊野 隆司(くまの りゅうじ、1942年1月4日 - 200… 熊野 隆司(くまの りゅうじ、1942年1月4日 - 2004年11月8日)は、日本の俳優。東京都葛飾区出身。東京都立向島工業高等学校卒 。プロボクサーを経て、東宝、劇団世代に所属していた 。 晩年は葛飾 刻斎(かつしか こくさい)名義で舞台を中心に活動していた。 2004年11月8日、肝硬変のため死去。62歳没。
大下 哲矢(おおした てつや、1942年1月3日 - 202… 大下 哲矢(おおした てつや、1942年1月3日 - 2023年〈令和5年〉1月7日[要出典])は、日本の俳優。本名、小泉 弘徳(こいずみ ひろのり)。 神奈川県平塚市出身。法政大学中退。かとう企画に所属していた。 デビュー当時は、185cmの高身長と幼少期より培った柔道で爽やかなスポーツマンを演じることが多く、中年になると強面なスタイルを活かし、主に刑事ドラマや時代劇で味のある悪役を演じることがあった。 晩年は、元々の趣味である陶芸に精を出して山梨県北杜市に移住し、工房を構える。工房名「偏屈工房」。 愛犬の名前は「ほくと」(犬種:グレートピレニーズ)。 2023年〈令和5年〉1月7日、自宅にて体調不良を訴え倒れる。
石川 宣雄(いしかわ のぶお、1942年〈昭和17年〉1月3… 石川 宣雄(いしかわ のぶお、1942年〈昭和17年〉1月3日 - 2026年〈令和8年〉2月6日)は、日本の政治家、実業家。 第5代石川県穴水町長(4期)、のと鉄道取締役などを歴任。 石川県鳳珠郡穴水町出身。1960年(昭和35年)3月、石川県立輪島高等学校を卒業。1962年(昭和37年)8月、中央大学文学部を中退。 1996年(平成8年)4月、株式会社いろは代表取締役に就任。地元の食品スーパーの経営などを手掛け、2005年(平成17年)5月には穴水町商工会会長に就任。 2006年(平成18年)1月22日、穴水町長選挙に無所属で出馬し、同じく無所属で新人の布施豊樹を破り、初当選。※当日有権者数:9,384人人 最終投票率:77.94%(前回比: 12.99pts) 同年6月、のと鉄道取締役に就任。
佐藤 信夫(さとう のぶお、1942年1月3日 - )は、日… 佐藤 信夫(さとう のぶお、1942年1月3日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)、フィギュアスケートコーチ。1960年スコーバレーオリンピック、1964年インスブルックオリンピック日本代表。1965年世界選手権4位、全日本選手権通算10回(10年連続)優勝。妻の佐藤久美子(旧姓・大川)、娘の佐藤有香ともにフィギュアスケート選手である。 大阪市出身。関西大学第一高等学校から関西大学に進む。大学卒業とともに競技を引退するつもりだったが、国土計画(現・プリンスホテル)のスケート経験者に声をかけられて入社し、スケートを続けた。尼崎にできた西武のボウリング場に勤めていたため、ボウリングが得意だという。
南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は… 南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は、日本の経営者。日東紡社長。日本紡績協会会長。宮崎県都城市出身。
保母 武彦(ほぼ たけひこ、1942年1月3日 - )は、日… 保母 武彦(ほぼ たけひこ、1942年1月3日 - )は、日本の経済学者、財政学者。島根大学名誉教授、元島根大学副学長。日本財政学会顧問。中国寧夏大学客座教授。岐阜県出身。 学問としての専門領域は、財政学、地方財政論、地域経済論であるが、「研究者は、社会的に発言をしていかねばならない」という信条から、「豊かな汽水域を後世に活かす市民会議」代表、「21世紀環境委員会」委員、「日本環境会議」理事、「自治体問題研究所」理事等を務め、多くの環境保全運動、市民運動を科学面、理論面から支える指導者としての活動をしている。 特に、全国的に「無駄な大型公共事業」として知られた「宍道湖・中海の干拓・淡水化事業」を、2000年に中止に追い込んだ住民運動においては、それを支えた団体(財団法人・宍道湖・中海汽水湖研究所:2006年朝日新聞明日への環境賞受賞)の代表者として、中心的役割を担った。
尾崎 俊治(おさき しゅんじ、1942年1月3日 - 202… 尾崎 俊治(おさき しゅんじ、1942年1月3日 - 2021年6月10日)は、日本の工学者。広島大学名誉教授。専門は信頼性理論。工学博士。 愛知県出身。1970年、京都大学大学院工学研究科数理工学専攻博士課程修了。1970年より広島大学講師、助教授を経て1986年教授。広島大学在任中に南カリフォルニア大学、マンチェスター大学の研究員として過ごした。2001年に退官、2001年より南山大学数理情報学科教授に就任。 尾崎洋二(理学博士)は実兄に当たる。 2021年6月10日、死去。79歳没。死没日をもって従四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈される。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
井手 和英(いで かずひで、1942年(昭和17年)1月3日… 井手 和英(いで かずひで、1942年(昭和17年)1月3日 - )は、日本の銀行家。福岡県出身。筑邦銀行代表取締役会長。藍綬褒章 2007年(平成19年)。旭日小綬章 2019年(令和元年)。 筑邦銀行ホームページ この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
南塚 信吾(みなみづか しんご、1942年1月3日 - )は… 南塚 信吾(みなみづか しんご、1942年1月3日 - )は、日本の歴史学者、千葉大学・法政大学名誉教授。専門はハンガリー史。2020年4月より「世界史研究所」所長。 1942年、富山県富山市生まれ。東京大学教養学部を卒業し、東京大学大学院博士課程修了。 卒業後は津田塾大学学芸学部の講師・助教授をつとめ、千葉大学文学部助教授・教授を経て、1998年から2000年まで千葉大学副学長を務める。2004年から法政大学国際文化学部教授を務め、2012年定年退職。名誉教授となる。 その間、ハンガリー(1972年 - 1974年、1991年 - 1992年)およびブルガリア(1983年 - 1984年)に留学した。
山田 鋭夫(やまだ としお、1942年1月3日 - )は、日… 山田 鋭夫(やまだ としお、1942年1月3日 - )は、日本の経済学者、名古屋大学名誉教授。専攻は、レギュラシオン理論、理論経済学、市民社会論。 名古屋生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、名古屋大学経済学部卒業、同大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。平田清明門下。 1989年「経済学批判の近代像」で大阪市立大学経済学博士。滋賀大学経済学部講師・助教授、大阪市立大学助教授・教授をへて、1990年名古屋大学経済学部教授、1999年経済学部長、2005年定年退官、名誉教授、九州産業大学経済学部教授。2012年退職。2020年、瑞宝中綬章受章、2021年現代公共政策学会賞(日本政治法律学会)受賞。
奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ … 奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ 2007年(平成19年)8月8日)は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト。TBSで一貫して報道アナウンサーを担い、プロデューサーも務めた。 東京都文京区出身。東京都立板橋高等学校、立教大学法学部卒業。身長180cm。 1965年4月にTBSに入社。1966年報道ニュースアナウンサーとして配属され、一貫して報道アナウンサーを務める。日本航空機ハイジャック、東大闘争、成田空港建設反対闘争、あさま山荘事件など大事件を扱う。朝の情報番組『おはよう700』メインキャスター(1977年 - 1980年)、政治部総理大臣官邸記者クラブ担当記者(1980年 - 1981年)、『テレポートTBS6』メインキャスター、『スーパーワイド』ニュースコーナーキャスター、『おはようクジラ』プロデューサーなども務めた。
宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -201… 宮原 安春(みやばら やすはる、1942年1月2日 -2017年1月20日)は、日本の元政治運動家、ノンフィクション作家。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。長野県上田高等学校卒業、早稲田大学第二文学部露文科中退。 平岡正明らと政治結社『犯罪者同盟』を結成。1962年に、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校に、学生として参加し、事務局だった平岡正明と知り合う。平岡ともに、自立学校の講師だった森秀人に師事。 1963年、犯罪者同盟の機関誌の単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行したところ、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から捜査を受ける。なお、この捜査の際、安原の自宅に赤瀬川原平(赤瀬川も自立学校の学生であった)の芸術作品「印刷千円札」があったことから、「千円札裁判」が起きるきっかけになった。
常森 寿子(つねもり としこ、1942年(昭和17年)1月2… 常森 寿子(つねもり としこ、1942年(昭和17年)1月2日 - )は、日本の声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。旧姓は江幡。 旧満洲国(中国東北地方)に生まれる。医師の父は応召して戦死し、1945年(昭和20年)母と二人で広島県安芸津町(現在の東広島市)に引き揚げ、さらに呉市に移った。5歳からピアノを習いピアニストを目指したが、中学生のとき阿部幸次の助言で声楽に転向し、1964年(昭和39年)に東京芸術大学声楽科を卒業。阿部幸次、浅野千鶴子、ジョルジュ・ファパレット、ロート・マーリングに師事。1965年(昭和40年)にバリトン歌手の常森闘志と結婚した。 1966年(昭和41年)1月7,8,10日に藤原歌劇団のビゼー『カルメン』ミカエラ役でデビューした。
山内 康仁 (やまうち やすひと、1942年1月2日 - )… 山内 康仁 (やまうち やすひと、1942年1月2日 - )は、日本の技術者、実業家。アイシン精機代表取締役社長や、同社代表取締役副会長、日本鋳造工学会会長などを務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。1968年東北大学大学院工学研究科修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社、鋳造担当に配属。1995年取締役。1999年常務取締役。2001年専務取締役。2005年からアイシン精機代表取締役社長を務めたが、2008年にリーマン・ショックが発生。2009年3月期には上場以来初の営業赤字となり、豊田幹司郎代表取締役会長の下で、アイシン精機代表取締役副会長に退いた。同年藍綬褒章受章。2011年アイシン精機相談役。
川端 世輝(かわばた せいき、1942年1月2日 - 201… 川端 世輝(かわばた せいき、1942年1月2日 - 2016年5月3日)は、日本の経営者。電気化学工業(現デンカ)社長を務めた。 岩手県出身。1965年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に電気化学工業に入社した。1997年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2004年6月に専務を経て、2006年6月に社長に就任。2011年4月に相談役に就任。 2016年5月3日、心不全のために死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永易 将之(ながやす まさゆき、1942年1月1日 - 20… 永易 将之(ながやす まさゆき、1942年1月1日 - 2003年4月1日)は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。 1970年の「黒い霧事件」にて八百長をしていたと証言し、池永正明らと共に永久追放処分とされた。 1942年元日に大阪府守口市で生まれる。大阪工業大学高等学校から電電近畿に入社し、1961年の都市対抗野球大阪大会に出場すると日本新薬戦でノーヒットノーランを達成した。1962年の第33回都市対抗野球大会1回戦(対日本ビール戦)に先発し、この試合では大会史上最長記録となる延長22回まで試合が進む。延長22回裏に一死から太田誠(のちに駒澤大学監督)にサヨナラ本塁打を被弾して敗戦投手となったが、この試合を完投した永易が投じた270球は2022年現在でも都市対抗野球の最多投球記録である。
豊原 洋治(とよはら ようじ 1942年1月1日 - )は、… 豊原 洋治(とよはら ようじ 1942年1月1日 - )は、広島県出身の実業家。元豊田通商代表取締役副会長。豊田通商のプロパー社員。
スコット津村(Scott Tsumura、1942年1月1日… スコット津村(Scott Tsumura、1942年1月1日 - )は、日本生まれのアメリカのゲームクリエイターで、Tozai, Inc. (Tozai Games) の共同創業者兼エグゼクティブ・プロデューサー。代表作にファミコン版『スペランカー』、アーケードゲーム版およびコンソール版『ロードランナー』、『ムーンパトロール(英語版)』『スパルタンX』『R-Type Dimensions』などがある。米国ワシントン州在住。