三夏 紳(みなつ しん、1941年6月13日 - )は、日本… 三夏 紳(みなつ しん、1941年6月13日 - )は、日本の俳優、歌手である。広島県広島市出身。日本大学藝術学部卒業。大映ニューフェース第15期生。旧芸名は三夏 伸。本名は山田 義郎。1962年の映画『雪の降る町に』でデビュー。劇団三松座座長。 『座頭市物語』撮影時、ロングショットの場面で勝新太郎の代役(ノンクレジット)を務めたことがあり、その縁から『快傑ズバット』では座頭市のパロディ的な悪役・地獄市を演じている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松村 明仁(まつむら あきひと、1941年6月13日 - )… 松村 明仁(まつむら あきひと、1941年6月13日 - )は医師(医学博士)、労働衛生コンサルタント、元厚生技官。満洲国生まれ、山梨県出身。 薬害エイズ事件当時の厚生省生物製剤課長(前任者は、郡司篤晃)。1985年8月、血友病患者ら3人が、危険な非加熱濃縮製剤の市場からの早期回収を製薬会社に指導するよう陳情する為、松村課長を訪れた。これに対し、同氏は、「それは出来ない。非加熱製剤が(HIVに)すべて汚染されているとは限らない。厚生省が指導すれば製薬会社は従わざるを得ず、企業に損害を与えてしまう」と述べたとのことである。また、当時、不凍液入りのワインが市場に出回り大騒ぎとなっており、患者たちが「どうしてワインは回収できて、非加熱製剤はだめなのか」と詰め寄ると、同氏は、「ワインは一般国民が飲むが、凝固因子(血漿製剤のこと)の使用者は限られているから」と答えたという。
神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 20… 神田 草平(かんだ そうへい、1941年6月12日 - 2023年5月29日)は、日本の実業家。CKD元社長、一般社団法人日本フルードパワー工業会(JFPA)元中部支部長。 1941年の生まれ。山口県下松市の出身である。山口県立徳山高等学校卒業。1964年3月に山口大学経済学部を卒業。同年4月にCKDに入社、後に同社代表取締役社長になる。2005年6月に同社相談役に就任した。2010年6月12日退職。東海山口県人会会長である。 2023年5月29日、誤嚥性肺炎のため死去。81歳没。 中国江蘇省無錫市の市内に無錫市機械資産経営有限公司との合弁で「無錫喜開理気動工業有限公司」を運営していたが、今後の中国市場の発展拡大に伴う生産対応及び世界市場への積極的な販売促進を目的に、グローバルな生産拠点が不可欠と考え、中国江蘇省無錫市の無錫国家新技術産業開発区(工業新区)の新会社の設立に携わった。
山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )… 山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )は、日本の作家、ライター。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校、早稲田大学第一文学部に学ぶ。編集者ののち文筆家。国際問題、社会事件、歴史人物などについて執筆する。
山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、… 山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。国際リニアコライダーの物理研究責任者。元KEK素粒子原子核研究所所長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1964年東京大学理学部物理学科卒業。1969年、同大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。東京大学理学部助教授を経て、東京大学原子核研究所教授。小柴昌俊のもとで電子・陽電子衝突実験に従事。長年、DESY研究所の国際実験、HERAに貢献してきた。2007年より、国際リニアコライダーの物理研究責任者を担当している。2022年、瑞宝中綬章受章。
利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 202… 利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 2025年7月17日)は、日本の経営者。安川電機社長、会長を務めた。福岡県出身。 福岡県立小倉高校を経て、1964年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に安川電機製作所(のちの安川電機)に入社した。1992年9月に理事に就任。1995年にロボット事業部長に就任し、年間15億円の赤字をだすロボット事業部を黒字に変えた。取締役、常務、専務を経て、2004年3月に社長に就任した。2010年6月に会長に就任した。2013年6月に特別顧問に就任し、2023年に退任。 社外では、在九州フィンランド名誉領事館名誉領事、一般社団法人日本ロボット工業会会長、北九州商工会議所会頭、福岡県行政改革審議会会長などを務める。
五野井隆史(ごのい たかし、1941年6月11日- )は、日… 五野井隆史(ごのい たかし、1941年6月11日- )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。キリシタン史を専門とする。北海道幌泉郡えりも町生まれ。長男は政治学者の五野井郁夫。 五野井貞蔵・ミチの四男として北海道に生まれる。1965年(昭和40年)上智大学文学部卒業。1971年(昭和46年)上智大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。同年4月、東京大学史料編纂所に入る。1974年(昭和49年)2月より文部省在外研究員として2年間、ポルトガル・スペイン・イタリアに派遣される。1982年(昭和57年)4月、東京大学助教授。1987年(昭和62年)、学位論文「徳川初期キリシタン研究」により九州大学より文学博士の学位を取得。
樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は… 樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は、神奈川県出身の元バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール男子銅メダリスト。法政二高を経て、法政大学卒業。
星野 元(ほしの げん、1941年6月9日 - 2023年5… 星野 元(ほしの げん、1941年6月9日 - 2023年5月12日)は、日本の経営者。新潟日報社社長を務めた。 新潟県出身。1964年に早稲田大学教育学部を卒業し、同年に新潟日報社に入社。1998年に取締役に就任し、常務を経て、2003年1月には社長に就任。2008年3月に相談役に就任。 2013年11月 旭日中綬章受章。 2013年12月から2021年12月まで、学校法人新潟平成学院理事長。 2023年5月12日間質性肺炎のために死去。81歳没。
山田 隆哉(やまだ たかや、1941年6月8日 - 2020… 山田 隆哉(やまだ たかや、1941年6月8日 - 2020年6月2日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長、ジェイテクト会長を務めた。東京都出身。 1964年に東京大学経済学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 1995年に取締役に就任し、1999年6月にはダイハツ工業副社長に就任し、2000年6月に社長に昇格。2005年6月に豊田工機会長に就任し、2006年1月に光洋精工との合併により、発足したジェイテクト会長に就任。 2007年11月に藍綬褒章を受章。 2020年6月2日筋萎縮性側索硬化症のために死去。78歳没。
山口 務(やまぐち つとむ、1941年6月7日 - )は、京… 山口 務(やまぐち つとむ、1941年6月7日 - )は、京都府出身の通産官僚。 1970年代の公害第一課総括係長在任中に経験してきた産業公害対策や、さらに大気汚染防止法や水質汚濁防止法の立案作業に第一線で関わり、その経験を踏まえて21世紀に世界が直面する温暖化等地球環境問題の解決に革新的技術の開発、実用化が不可欠であり、日本が世界で主導的役割を果たすべきとして通産省(現:経産省)で地球環境室の設置を他に先駆けて実現した。この考えを基に設立された(財)地球環境産業技術研究機構(RITE:関西文化学術研究都市(京都府木津川市)に本部)の専務理事として11年間、その創立、発展を牽引し、化学的CO2固定化プロジェクト、CO2地中貯留プロジェクトや砂漠緑化プロジェクトなどCO2削減の研究開発促進に携わってきた。
貴田 宗三郎(きだ そうさぶろう、1941年6月7日 - )… 貴田 宗三郎(きだ そうさぶろう、1941年6月7日 - )は、日本の数理科学者・数学者。大阪工業大学名誉教授。学術博士(神戸大学)。 専門は、数理科学・応用数学(特に統計学)・数値解析/数値シミュレーション。 1967年京都大学理学部数学科卒業。神戸大学助手、摂南大学工学部助教授などを経て、1989年神戸大学大学院にて学術博士号を取得。1997年大阪工業大学情報科学部情報メディア学科教授。2004年同大学紀要委員会委員。2006年大阪工業大学退官、同大学名誉教授。 大阪工業大学情報科学部・摂南大学工学部(常翔学園グループ)において15年以上の長きに渡り教鞭を執り、数理科学の研究育成(京都大学数理解析研究所・神戸大学との研究連携含む)に貢献した。
スチュアート・ヘンリ(Henry Stewart, 日本名:… スチュアート・ヘンリ(Henry Stewart, 日本名:本多 俊和 (ほんだ しゅんわ)、1941年6月7日 - )は、日本の文化人類学者(早稲田大学文学博士)。専門は、北方民族学、北方民族の歴史研究、先住民族研究、考古学。 1973年早稲田大学文学部日本史専修卒業。1981年早稲田大学大学院文学研究科考古学専攻博士課程満期修了。1990年早稲田大学より文学博士の学位を取得。 目白学園女子短期大学(現目白大学短期大学部)教授、昭和女子大学教授を経て放送大学教養学部教授。2012年3月に放送大学を定年退職。 エスキモー研究の第一人者で、極北地帯の文化研究、民族研究に関する著作・論文を多数発表している。
田中 敬子(たなか けいこ、1941年(昭和16年)6月6日… 田中 敬子(たなか けいこ、1941年(昭和16年)6月6日 - )は、日本の社会貢献家・講演家。元スチュワーデス(キャビンアテンダント)。プロレスラー・力道山の妻として著書やインタビューなど多数ある。 1941年6月6日、神奈川県横浜市生まれ。父・勝五郎は神奈川県警察の警視で、茅ケ崎警察署の署長を務めた。神奈川県立横浜平沼高等学校卒業。敬子は外交官を目指しており、高校卒業後は大学進学を希望していた。当時は女性が大学に進学する事は稀であり、昭和30年代の女子は高校を卒業したら数か月間の家事手伝いという花嫁修業を経て、秋にはお見合いをして、そのまま結婚に至る事例が少なくなかった。結婚適齢期が19~22歳という時代の話である。
井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は… 井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(1期)。元公明党愛媛県議会議員(4期)。元公明党松山市議会議員(2期)。 愛媛県松山市出身。1966年、松山商科大学短期大学部中退。1978年、松山市議会議員選挙に公明党公認で立候補し初当選。1983年、再選。1986年、第38回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区から公明党公認で立候補し初当選。愛媛県選出の公明党公認国会議員の初例となる。公明党愛媛県本部代表に就任。1990年、第39回衆議院議員総選挙で落選。1991年、愛媛県議会議員選挙松山市選挙区に公明党公認で立候補し初当選。1995年、公明から立候補して再選。
石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980… 石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980年8月2日)は、日本のプロ野球選手(投手)。秋田県大館市出身。 長男ではあるが、6月4日に生まれたことに因んで「四六」というユニークな名前が付けられた。“六四”ではないのは、父親によると「六四だと頭が重くて、下が軽いからフラフラするだろう。四六だと下が大きくて安定する。男が一生、フラフラ生きてどうするのだ」であるためという。秋田商業高校では、エースとして1957年秋季東北大会県予選決勝に進むが、金足農に完封負け。翌1958年夏の甲子園に出場。しかし初戦(2回戦)で板東英二を擁する徳島商と対戦し、自らのエラーもあり0-3で敗れた。 社会人野球の日立製作所に進み、1962年に日本鉱業日立の補強選手として都市対抗に出場。
日色 ともゑ(ひいろ ともえ、1941年〈昭和16年〉6月4… 日色 ともゑ(ひいろ ともえ、1941年〈昭和16年〉6月4日 - )は、日本の女優。劇団民藝所属。 本名は中園ともゑ(なかその ともえ)。東京都出身。父親は東京新聞社社員で将棋観戦記者・演芸評論家の日色恵。夫は建築家の中園正樹(株式会社松田平田設計代表取締役社長:1995 - 2018年在任)。 小学生の時に観た映画『原爆の子』に心を打たれたことが役者を目指す原点となる。自身も戦争で祖母と叔父、叔母を亡くしており、近年も平和の尊さを訴える朗読劇に積極的に参加している。 『大草原の小さな家』の吹き替えの依頼が来た当初は声優の経験がほとんど無かったことから自信が持てなかったので、1クール(22話分)だけのつもりで引き受けたという。
上原 寿宰(うえはら としゆき、1941年6月3日 - )は… 上原 寿宰(うえはら としゆき、1941年6月3日 - )は、日本の実業家。全国共済農業協同組合連合会代表理事理事長。 1941年、長野県出身。明治大学法学部卒業。 1962年、全国共済農業協同組合連合会入会。推進部(近畿地区)部長、自動車部長、総務部長、総合企画部長などを歴任。 1996年、参事。1999年、常務理事。2005年、代表理事理事長に就任。
江連 卓(えづれ たかし、1941年6月2日 - 2024年… 江連 卓(えづれ たかし、1941年6月2日 - 2024年1月22日)は、日本の脚本家。別名義に龍達彦、海野朗、遠野海彦、水沢又三郎などがある。栃木県出身。 早稲田大学文学部演劇科卒業。在学中はシナリオ研究会に所属しており、先輩に阿部征司がいた。 当初は映画監督を志望していたが、当時は映画部門の採用があまりなかった。1964年、大学卒業後に東宝に入社するが、演出部での採用ではなかったため3日ほどで退社し、助監督として契約した。並行して東宝の演劇部に所属し舞台の脚本・演出を手がける。 30歳の時に実験劇場を立ち上げ、芸術座で自作の戯曲を上演するが、内容が難解だとする東宝側との対立や俳優とのトラブルなどにより実験劇場は解散。
金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-T… 金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-Tae、1941年6月2日-)は韓国の柔道選手。日本名は山本 義泰(やまもと よしやす)。兵庫県神戸市長田区出身。階級は中量級。身長174cm。 在日韓国人として生まれて、神港学園高校から天理大学に進み、主将を務めるなどして活躍した、1961年の世界選手権(無差別)では韓国代表で出場して、準決勝で曽根康治に判定、3位決定戦で古賀武に払腰で敗れたが4位となった。また、1963年のプレオリンピック大会の中量級では決勝で中央大学の岡野功に敗れた。 その後、1964年には東京オリンピックの中量級代表に選ばれて韓国で練習していたが、コーチがいなかったので何もかも自分でこなさなければならなかった。
小池 清治(こいけ せいじ、1941年6月2日 - 2018… 小池 清治(こいけ せいじ、1941年6月2日 - 2018年4月5日)は、日本の日本語学者、宇都宮大学名誉教授。専門は日本語史、日本語文法。 東京都足立区生まれ。1964年、東京教育大学国語国文科卒。1971年、同大学院博士課程退学。同年、フェリス女学院大学専任講師となり、1974年に助教授。1976年、宇都宮大学教育学部助教授、1994年教授。1995年、同大学国際学部教授。2004年、定年退官、名誉教授。
白沢 三郎(しらさわ さぶろう、1941年6月2日 - 20… 白沢 三郎(しらさわ さぶろう、1941年6月2日 - 2011年4月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 高校卒業後に1年間銀行員として働いたが、一念発起して早稲田大学政経学部に入学。大学卒業後は1年間の会社勤務の後にスウェーデンに留学し、3年間で世界43ヶ国をほとんど野宿の生活で旅して回った。この旅で、政治の貧困は人間を貧困にすると感じて政治家を志したという。帰国後、衆議院議員秘書を経て1983年から新潟県議会議員を2期務めた後、1990年の第39回衆議院議員総選挙に渡辺紘三の後継者として自民党の公認を受け新潟2区から立候補したが落選。 1993年の第40回総選挙では新生党から立候補し、情報労連や全電通の支援を受けて初当選。
伊東 豊雄(いとう とよお、1941年6月1日 - )は、日… 伊東 豊雄(いとう とよお、1941年6月1日 - )は、日本の建築家。一級建築士。伊東豊雄建築設計事務所代表。 東京大学、東北大学、多摩美術大学、神戸芸術工科大学で客員教授を歴任。高松宮殿下記念世界文化賞、RIBAゴールドメダル、UIAゴールドメダル、日本建築学会賞作品賞2度、グッドデザイン大賞、2013年度プリツカー賞など受賞歴多数。多摩美術大学大学院美術研究科教授。 1941年(昭和16年)、父親が日本と日本統治時代の朝鮮を行き来して陶磁器事業をしていた関係で、朝鮮の京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に生まれる。 2歳頃から中学生までを祖父と父の郷里である長野県諏訪郡下諏訪町で過ごす。
大黒 正一(だいこく しょういち、1941年6月1日 - )… 大黒 正一(だいこく しょういち、1941年6月1日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。 八幡浜高校では2年生の時に夏の甲子園に出場。 1960年に大阪タイガースへ入団。1963年に阪急ブレーブスへ移籍するも一軍試合出場は無く同年で退団した。
門岡 良典(かどおか よしのり、1941年6月1日 - )は… 門岡 良典(かどおか よしのり、1941年6月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。中日ドラゴンズに所属した門岡信行は弟。 高田高校から1961年に毎日大映オリオンズへ入団。僅か1試合の出場で、2年目の1962年に引退した。 門岡のオリオンズ入団は、翌年卒業する弟の信行を獲得するためだったとも言われている。
橋本 博之(はしもと ひろゆき、1941年6月1日 - )は… 橋本 博之(はしもと ひろゆき、1941年6月1日 - )は、日本の経営者。尼崎信用金庫理事長を務めた。 大阪府出身。1966年に関西大学法学部を卒業し、同年に尼崎信用金庫に入社した。1994年に理事に就任し、1996年に常務、1997年に専務、1998年に副理事長を経て、1999年1月には理事長に就任。2014年6月には会長に就任。
大木 あまり(おおき あまり、1941年6月1日 - )は、… 大木 あまり(おおき あまり、1941年6月1日 - )は、日本の俳人。本名は吉本章栄(ふみえ)。 東京府東京市豊島区目白に生まれる。詩人の大木惇夫の三女で、姉は藤井康栄(北九州市立松本清張記念館館長)と宮田毬栄(編集者・エッセイスト)。頌栄女子学院高等学校、武蔵野美術大学洋画科卒業。 1971年、母の勧めで俳誌「河」に入会、角川源義の指導を受ける。源義逝去ののち、1979年、進藤一考主宰の「人」に参加、同人。1983年、「人」を退会。「泉」の「雲の会」に時おり参加し、石田勝彦、綾部仁喜の指導を受ける。1990年、長谷川櫂、千葉皓史と「夏至」を創刊、同人。1994年、長谷川櫂主宰の「古志」に入会。
嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日… 嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉10月15日)は、日本の政治家。沖縄県本部町出身。自由民主党所属の元衆議院議員(4回)。 1941年6月1日生まれ。1966年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業。1980年、沖縄県議会議員に当選し、5期務めた。1994年には県議会議長に就任する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に宮里松正の後継者として自民党から初当選(当選同期に河野太郎・菅義偉・平沢勝栄・渡辺喜美・大村秀章・河本三郎・桜田義孝・下地幹郎・下村博文・新藤義孝・滝実・棚橋泰文・田村憲久・谷畑孝・戸井田徹・松本純など)。防衛庁長官政務官や内閣府大臣政務官を歴任。
菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )… 菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。北海道小樽市出身。 日本レーシングマネージメント(JRM)株式会社取締役会長・チームスガワラ前代表。長男はヤマハ発動機のデザインに関わるGKダイナミックス株式会社代表取締役の菅原義治、次男はクロスカントリードライバーで現チームスガワラ代表の菅原照仁。 日本のレース文化草創期からプライベーターとして自動車レースで活躍し、1970年代にはいち早くラリーレイド(クロスカントリー)に挑戦するなど、日本のモータースポーツのパイオニアの一人である。サーキットでもオフロードでも、小排気量車で大排気量車を追い回すのを身上とした。
大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、194… 大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、1941年〈昭和16年〉5月30日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。静岡県熱海市出身。『ルパン三世』シリーズの作曲家としても知られる。 日本テレビ音楽専属、フリーを経て、バップ専属で活動している。 静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋(後のホテル大野屋)を創業した大野市郎の次男として生まれ、小学生の時からピアノを始める。6年生の2学期までは地元の小学校に通い、その後は小田原にある小学校・中学校まで越境通学していた。小田原市立第一中学校(現:小田原市立城山中学校)卒業後は慶應義塾高等学校に進学。同級生だった明石勇(クラリネット担当、後にNHKアナウンサーとなる)らと「ジュニア・ライト・ミュージック」を結成。
中西 昭雄(なかにし てるお、1941年5月29日 - )は… 中西 昭雄(なかにし てるお、1941年5月29日 - )は、編集者。東京生まれ、京都大学文学部卒業。朝日新聞で『アサヒグラフ』や『週刊朝日』に携わったのち、1983年に月刊誌「ペンギン・クエスチョン」(現代企画室)を創刊。「日本寄せ場学会」や「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の設立に参加する。
柳田仁(やなぎだ ひとし、1941年5月29日 - )は、日… 柳田仁(やなぎだ ひとし、1941年5月29日 - )は、日本の会計学者。神奈川大学名誉教授。 神奈川県平塚市出身。1964年中央大学経済学部卒、同大学院修士課程修了、1975年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、名古屋学院大学講師、1978年助教授、1984年教授、1989年神奈川大学教授。2012年定年、名誉教授、諏訪東京理科大学教授。
村上 仁志(むらかみ ひとし、1941年5月28日- )は… 村上 仁志(むらかみ ひとし、1941年5月28日- )は、日本の経営者、銀行家。住友信託銀行会長を務めた。 三重県出身。1964年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年に住友信託銀行に入行した。1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年3月に会長に就任。2005年6月に特別顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮田 清藏(みやた せいぞう、1941年〈昭和16年〉5月2… 宮田 清藏(みやた せいぞう、1941年〈昭和16年〉5月28日 - 2025年〈令和7年〉5月24日) は、日本の工学者。東京農工大学学長や、繊維学会会長、高分子学会副会長、カリフォルニア工科大学客員教授、東京工業大学特任教授、電気通信大学特任教授等を歴任した。フランス共和国教育功労章受章。 東京都生まれ。1964年(昭和39年)東京教育大学理学部化学科卒業。1966年(昭和41年)東京工業大学 (のちの東京科学大学)大学院理工学研究科化学工学専攻修士課程修了。1969年(昭和44年)同博士課程修了、工学博士。大学院で所属した高分子工学の先輩として白川英樹がいた。専門は有機及び高分子材料の電気光学物性。
川﨑 一夫(かわさき かずお、1941年5月28日 - )は… 川﨑 一夫(かわさき かずお、1941年5月28日 - )は、日本の法学者(刑法学)。創価大学名誉教授、博士(法学)、弁護士(第一東京弁護士会)。 大阪府出身。1963年に早稲田大学第一法学部を卒業。齊藤金作に師事。早稲田大学大学院博士課程在学中の1969年11月25日、恩師・齊藤金作の死去により、西原春夫に兄事。同大学大学院法学研究科博士課程単位取得後、早稲田大学法学部非常勤講師、1971年創価大学の開学と同時に創価大学法学部専任講師、助教授、教授。創価大学法学部長、大学院法学研究科長、大学院法務研究科教授、創価大学副学長補を歴任。1998年博士(法学)(創価大学)(学位論文『体系的量刑論』)。
木棚 照一(きだな しょういち、1941年5月27日 - )… 木棚 照一(きだな しょういち、1941年5月27日 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(立命館大学・論文博士・1991年)。早稲田大学名誉教授。名古屋学院大学法学部教授。弁護士(第二東京弁護士会・木棚照一法律事務所所属)。2020年瑞宝中綬章受章。
清水 真砂子(しみず まさこ、旧字体: 淸水 眞砂子、194… 清水 真砂子(しみず まさこ、旧字体: 淸水 眞砂子、1941年<昭和16年>5月27日 - )は、日本の翻訳家・児童文学研究者。青山学院女子短期大学名誉教授。 アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』の翻訳で知られ、児童文学に関する評論・著作も多い。 1941年、朝鮮北部に生まれる。1946年春、両親の故郷である静岡県掛川に引き揚げた。 静岡大学教育学部卒業後、静岡県立高校で英語教諭を9年間務めたのち、1976年4月から2010年3月まで青山学院女子短期大学の専任教員を務め、退職後は名誉教授となった。 1968年から児童文学の翻訳および評論の仕事を始め、1974年に評論「石井桃子論」で第7回日本児童文学者協会新人賞を受賞した。
橡尾 健次(とちお けんじ、1941年5月26日 - )は日… 橡尾 健次(とちお けんじ、1941年5月26日 - )は日本出身の元サッカー選手。 古河電工などに所属。古河電工での日本サッカーリーグ通算成績は61試合1得点1アシスト。日本代表としても1962 FIFAワールドカップ・チリ大会予選など、国際Aマッチ2試合に出場した。
楠田 幹人(くすだ みきと、1941年〈昭和16年〉5月26… 楠田 幹人(くすだ みきと、1941年〈昭和16年〉5月26日 - )は、日本の政治家。福岡県筑紫野市長(2期)、福岡県議会議員(1期)を務めた。 福岡県朝倉郡夜須町(現・筑前町)出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1966年(昭和41年)、佐賀大学文理学部卒。卒業後は福岡銀行に入る。1975年(昭和50年)、筑紫野市議会議員に当選した。1979年(昭和54年)、福岡県議会議員選挙に立候補したが、この時は落選した。1983年(昭和58年)の県議選では筑紫野市選挙区から自民党公認で立候補して、初当選を果たした。1987年(昭和62年)、筑紫野市長に当選。同年2月1日に就任した。1991年(平成3年)の市長選は無投票で再選を果たした。
小野 邦久(おの くにひさ、1941年(昭和16年)5月26… 小野 邦久(おの くにひさ、1941年(昭和16年)5月26日 - )は、日本の建設・国土交通官僚、経営者。東日本建設業保証社長、国土交通事務次官、都市再生機構理事長、不動産適正取引推進機構理事長を歴任。東京都出身。瑞宝重光章。 1964年(昭和39年)に東京大学法学部を卒業し、建設省に入省。建設経済局長、大臣官房総務審議官、官房長を歴任。1999年(平成11年)に建設事務次官に就任し、2001年(平成13年)には初代の国土交通事務次官となる。 退官後は不動産適正取引推進機構理事長を経て、2005年(平成17年)都市再生機構理事長に就任。その後、東日本建設業保証株式会社の顧問に就き、2009年(平成21年)から同社の社長を務め、相談役を経て、2021年(令和3年)、顧問に就任する。
宇多 文雄(うだ ふみお、1941年5月25日 - )は、日… 宇多 文雄(うだ ふみお、1941年5月25日 - )は、日本のロシア語学者、ロシア・ソ連研究者、上智大学名誉教授。 宇多五郎の次男として神奈川県に生まれる。1964年上智大学外国語学部ロシア語科卒。外務省勤務、在ソ連邦日本大使館勤務、1970年上智大学外国語学部専任講師、助教授、教授、90-93年外国語学部長。2000-2003年ロシア・東欧学会代表理事。2012年定年、名誉教授。サンクトペテルブルク文化大学名誉博士。息子の宇多賢治郎は山梨大学准教授(経済学)。
松尾 純(まつお じゅん、1941年 〈昭和16年〉5月25… 松尾 純(まつお じゅん、1941年 〈昭和16年〉5月25日 - )は、日本の地方公務員 (技術公務員)。大阪府建築都市部長、大阪府住宅供給公社理事長を歴任。瑞宝小綬章受章。 1966年3月 大阪大学工学部卒業。同年4月 大阪府庁入職、1974年4月 生活環境部公害室特殊公害課主査、1983年5月 企画部企画室主幹、1987年5月 同室参事、1990年 (平成2年) 4月 同室総括参事、1991年5月 建築部建築指導課長、1993年4月 同部副理事兼住宅政策課長、1994年4月 同部副理事(まちづくり担当)、1995年5月 同部技監、1998年4月 立成良三の後任として建築都市部長、2000年4月 大阪府退職。
相良 匡俊(さがら まさとし、1941年5月24日 - 20… 相良 匡俊(さがら まさとし、1941年5月24日 - 2013年7月24日)は、日本の歴史学者。専門は西洋史・フランス近現代史。 鳥取県鳥取市に生まれる。洛星高等学校を経て1961年にへ入学後、1963年1965年東京大学文学部を卒業(専攻は西洋史学)。大学院では革命的サンディカリスムを研究テーマとし、社会運動史研究会に参加する。1971年よりパリ第1大学(パンテオン=ソルボンヌ校)第3博士課程へ留学。『フランス労働運動人物事典』の編集で知られるジャン・メトロンに師事し、1890年から1905年まで存在した革命的社会主義労働党(アルマヌ派)を研究した。帰国後、1975年に大学院人文科学研究科を満期退学。
加藤 隆俊(かとう たかとし、1941年5月23日 - )は… 加藤 隆俊(かとう たかとし、1941年5月23日 - )は、日本の大蔵官僚。財務官や国際通貨基金副専務理事を歴任した。 田波耕治(大蔵次官、内閣官房内閣内政審議室長)、涌井洋治(JT会長、主計局長、大臣官房長)、野田毅(衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員長、経済企画庁長官、建設大臣)、野口悠紀雄(経済学者)、滝川哲男(沖縄開発次官)、五十嵐貞一(国際上屋社長、大阪税関長)など。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小出 錞一(こいで じゅんいち、1941年〈昭和16年〉5月… 小出 錞一(こいで じゅんいち、1941年〈昭和16年〉5月22日 - )は、日本の元裁判官・元専修大学教授。愛知県名古屋市出身。 愛知県立旭丘高等学校・東京大学法学部卒業。 司法試験には1964年(昭和39年)9月に合格し、東京大学卒業後の1965年(昭和40年)4月には第19期司法修習生(司法修習地:東京)になる。その後の経歴は以下の通り。 2006年(平成18年)2月28日に依願退官し、同年4月に専修大学法学部教授に就任。専門は刑事訴訟法で、2011年(平成23年)秋に瑞宝重光章を受章した。2012年(平成24年)3月限りで定年退職。
江田 五月(えだ さつき、1941年〈昭和16年〉5月22日… 江田 五月(えだ さつき、1941年〈昭和16年〉5月22日 - 2021年〈令和3年〉7月28日)は、日本の弁護士(登録番号:15935)、政治家、裁判官。 衆議院議員(4期)、参議院議員(4期)、科学技術庁長官(第50代)、法務大臣(第86代)、環境大臣(第16代)、参議院議長(第27代)、社会市民連合代表、社会民主連合代表、民主党参議院議員会長、民主党・民進党最高顧問などを歴任した。 父は日本社会党委員長代行を務めた元衆議院議員の江田三郎。 1941年に岡山県上道郡財田村長岡に生まれる。岡山県立岡山朝日高等学校卒業後、1960年、東京大学文科一類に入学。 東京大学教養学部自治会委員長時代、大学管理制度改革に反発し、全学ストを決行。
塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - 201… 塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日 - 2017年11月14日)は、日本の新左翼活動家、元赤軍派議長、最高指導者、テロリスト。「日本のレーニン」と呼ばれた。「一向健」の組織名やペンネームでも知られた。 1941年、大阪府大阪市の十三で医師の家庭に生まれ、生後1年で岡山県和気郡神根村(現・備前市)に移り、戦後は母の郷里の広島県尾道市で育つ。尾道市立長江小学校から広島大学附属福山中学校・高等学校を経て、1962年に京都大学文学部へ入学。 京大在学中から「共産主義者同盟(ブント)」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長と幹部に就任。京大は2年で中退。1969年、それまでのブントの活動に飽きたらず、「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。
原田 和德(はらだ かずよし、1941年〈昭和16年〉5月2… 原田 和德(はらだ かずよし、1941年〈昭和16年〉5月22日 - )は、日本の弁護士、元裁判官。仙台高等裁判所長官を歴任した。 主に民事裁判を担当し、プロ野球再編問題ではオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併を巡り、日本プロ野球選手会及び古田敦也らが合併差し止めを求めた仮処分申請の即時抗告審を担当した。退官後は中央更生保護審査会委員長を務めた。趣味は野球とテニスで広島東洋カープのファン。 広島県立広島国泰寺高等学校、京都大学法学部を卒業後、1965年(昭和40年)に第19期司法修習生。1967年(昭和42年)4月7日に東京地方裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
小瀬戸 俊昭(こせど としあき、1941年5月20日 - 2… 小瀬戸 俊昭(こせど としあき、1941年5月20日 - 2023年6月9日[要出典])は、日本の元バレーボール選手。帝人三原所属。オリンピック銅メダリスト。 現在の鹿児島市出身。谷山町立和田中学校(現鹿児島市立和田中学校)を経て、鹿児島県立谷山高等学校(現鹿児島県立鹿児島南高等学校)。帝人三原に入社してから、日本バレーボール協会理事の長崎重芳に素質を認められ、アジア大会、ヨーロッパ遠征、ソ連遠征と全日本チームに選抜される。1964年東京オリンピック男子バレーボールに出場し、チームとして銅メダル獲得。
山野 史人(やまの ふびと、1941年5月19日 - )は、… 山野 史人(やまの ふびと、1941年5月19日 - )は、日本の男性俳優、声優。本名:山野 進(やまの すすむ)。大阪府大阪市出身。身長174cm、血液型はB型。劇団青年座所属。 大阪府立東住吉高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業後、1967年4月に劇団青年座に入団。同年11月の舞台『鳥たちは空をとぶ』で役者デビュー。以後、舞台、テレビドラマなどに出演するほか、声優としても活躍している。 1970年、初井言榮と結婚するも1990年に死別。 1998年9月19日に青年座の劇団員だった山野留美子と再婚。 趣味は野球、スキー、殺陣。 太字はメインキャラクター。