坂本 信昭 (さかもと のぶあき、1940年5月4日 - )… 坂本 信昭 (さかもと のぶあき、1940年5月4日 - )は、日本の教育学者。駒澤大学名誉教授。 岡山県真庭郡落合町(現真庭市)の瑞景寺に生まれる。1953年3月 河内小学校卒業。1956年3月 有隣中学校卒業。1956年4月 静岡県袋井市曹洞宗専門僧堂可睡斎に安居。それと同時に静岡県立袋井高等学校定時制(夜間部)に入学。1959年3月 曹洞宗専門僧堂可睡斎を修了。1959年4月 東京都私立 駒澤大学高等学校2学年に編入学し、1961年3月 同等学校卒業。1961年4月 駒澤大学文学部社会学科に入学、1965年3月 同大学卒業。1965年4月 駒澤大学聴講生(1966年3月まで)。 1966年4月 栃木県私立葛生高等学校教諭となり、翌1967年3月まで勤務。
坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日… 坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日 - 2022年〈令和4年〉1月26日)は、日本の実業家。 山梨県甲府市出身。ブックオフコーポレーション創業者(同社代表取締役社長→会長を歴任)。その後、俺の株式会社を創業し、同社名誉会長。 経営哲学などにおいて、京セラ創始者の稲盛和夫の影響を多大に受けている実業家のひとり。稲盛の提唱する「6つの精進」などを経営理念に取り入れている。 大学時代は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団と慶應義塾大学落語研究会に所属。
松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 20… 松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 2022年2月23日)は、日本の彫刻家、美術教師、絵画教育の研究者であり、1975年に誰でもたのしく絵が描ける指導方法として「キミ子方式」を発表した。キミ子方式は仮説実験授業研究会に紹介されると広く実践され、その指導法の有効性が確立した。また「美術の授業研究会」と「キミコ・プラン・ドゥ」を設立しアートスクールで多くの人々に絵の描き方を教えた。 1975年に松本は三原色と白だけを使って、モデルごとに描き始めを決めて、色作りをしながら隣へ隣へと描き進めていく絵画指導法を開発した。松本はそれをキミ子方式と名付けて、臨時教員として小中学校で実践していった。
永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は… 永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は、日本の実業家。南国殖産代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長・グループCEO。元鹿児島県経営者協会会長。長崎自動車取締役、宮崎ガス取締役、日本ガス取締役、南日本銀行監査役。 鹿児島県鹿児島市出身。1959年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。1965年一橋大学経済学部卒業。一橋大学ア式蹴球部出身。同年積水化学工業入社。1993年積水化学工業東京支店長。 1996年南国殖産取締役企画部長。1997年南国殖産常務取締役。1998年南九州サンクス代表取締役社長。2000年鹿児島県労働委員会委員。2004年から南国殖産代表取締役社長を務め、鹿児島市の景観まちづくり賞を受賞した南国センタービルの開発などを進めた。
前原 英夫(まえはら ひでお、1940年5月3日 - )は、… 前原 英夫(まえはら ひでお、1940年5月3日 - )は、日本の天文学者。元国立天文台岡山天体物理観測所所長。 藤田良雄に師事した。埼玉県出身。 前原の天文学者としての業績は、かつては楕円銀河に分類されていたNGC2242を岡山天体物理観測所の188センチ反射式望遠鏡による観測で惑星状星雲であることを確かめたことである。この研究は、中国の研究者からNGC2242のスペクトルに惑星状星雲特有の輝線が見られることを知らされて行われたものである。そのため、NGC2242は今日では日本の天文学者によって新たに惑星状星雲のリストに付け加えられた天体として知られている。
伯 壬旭(はく じんきょく、1940年5月2日 - )は、株… 伯 壬旭(はく じんきょく、1940年5月2日 - )は、株式会社シリウス代表取締役会長。本名は小島露観。伯魔壬旭、万師露観などの別名でも知られる。カルト的・右翼的な主張をしているので、宗教家・右翼思想家と扱われることもある。独自の世界観における世界戦略家。帝國ザイクス内における敬称は軍帥(ぐんすい)。 1940年(昭和15年)東京に生まれる。東京都立西高等学校を卒業後、東京大学理科一類に入学。東京大学工学部土木工学科を卒業後、川崎製鉄での1年間のサラリーマン生活を経て、二千年紀の世界のあるべき姿を求めて思索、研究生活に入る。多くの哲学・宗教・学問を探求した後、チベット密教に基礎を置くジュアルカル大師の「神智学」に出会う。
小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、… 小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、日本のジャーナリスト。NHK記者を務めた。専門はロシア情勢。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年に東京外国語大学ロシア語学科を卒業。 同年にNHK入局後、神戸放送局で新人時代を送る。東京に異動後は外信部(現在の国際部)に配属され、1970年から1972年までモスクワ特派員を務めた後、ウィーンを拠点とする東欧移動特派員として活動した。 東京に戻ってからは、1982年より野中ともよと共に『海外ウィークリー』(現在の『NHK海外ネットワーク』のルーツにあたる)のキャスターとして活動。番組終了後、再び現場に戻り、1984年から1987年まで、1989年から1995年までの2度に渡ってモスクワ支局長を務める。
出口 典雄(でぐち のりお、1940年5月2日 - 2020… 出口 典雄(でぐち のりお、1940年5月2日 - 2020年12月16日)は、日本の演出家。劇団シェイクスピア・シアター主宰、同劇団附属演劇研究所講師。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木下 恭輔(きのした きょうすけ、1940年5月2日 - 2… 木下 恭輔(きのした きょうすけ、1940年5月2日 - 2016年3月7日)は、日本の経営者。アコム社長を務めた。同じくアコム社長を務めた木下盛好は弟。 兵庫県出身。1963年に立命館大学法学部を卒業し、同年に丸糸商店(のちのマルイト)に入社。1965年に取締役に就任し、1971年に専務を経て、1977年3月に社長に就任し、1978年10月にはアコム社長に就任。2000年6月から2010年6月までに会長に就任。 2016年3月7日に肺炎のために死去。75歳没。
神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1… 神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1日 - )は、日本の登山家、冒険家。登山界のリーダー、山岳団体の要職を務めた人物である。 東京都出身。日本大学山岳部出身。 神崎は、エベレストに4回挑戦したが頂上には到達できず、自身を「悲劇の登山家」と呼んでいた。1970年のエベレスト登山では滑落事故を経験し、1980年のチョモランマ登山では急性心筋梗塞を発症した。 NHK文化センター、読売日本テレビ文化センター、昭和女子大オープンカレッジ各登山教室講師 太郎と花子山の会会長 ジャックアンドベティ山の会会長 数多くの世界の登山、トラッキングを会員を連れて挑戦 韓国(北漢山、智異山、月出山、道峰山、漢拏山、雪岳山)、中国(雪宝頂)、台湾(玉山、雪山、南湖大山、中央尖山)、香港(海の見える山)、ロシア(アパチャ山)、トルコ(カッパドキア)、カンボジア、イタリア(ドロミテ)、グルジア(コーカサス)、スペイン(ピレネー山脈)、カザフスタン(天山)、アメリカ(グランドキャニオン、ヨセミテ国立公園)、イギリス(ウェールズ)、南極など 2019年時点で79歳であったが、月に10〜15日は古い友人たちと山歩きを楽しんでいた。
田島 裕(たじま ゆたか、1940年4月30日~2022年9… 田島 裕(たじま ゆたか、1940年4月30日~2022年9月29日)は、日本の法学者(英米法・比較法)だった人物。筑波大学名誉教授。法学博士(カリフォルニア(バークレー)大学)。博士(文科系)(ケンブリッジ大学)。愛知県生まれ 1964年愛知大学法経学部卒。1970年カリフォルニア大学バークレー校にて法学博士。1974年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(指導教授:伊藤正己)。1976年ケンブリッジ大学にて博士号を受ける。 1974年大阪市立大学法学部助教授。1979年カリフォルニア大学ロー・スクール教授(~1980年)。1982年大阪市立大学法学部教授。1986年ハーバード・ロー・スクール客員教授(~1987年)。
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
大川 修平(おおかわ しゅうへい、1940年4月29日 - … 大川 修平(おおかわ しゅうへい、1940年4月29日 - 2019年12月12日)は、日本の牧師、神学者である。 単立高知ペンテコステ教会主任牧師を務めた。高知ペンテコステ教会を開拓伝道から建て上げた。 京都大学文学部英米文学科および同大学院修士課程修了。1960年の安保闘争の後、京都福音教会に導かれ受洗する。 京都市内の公立高等学校で英語教師および高知大学助教授を経て牧師職に専念。元日本ユナイテッド・ペンテコステ教団宣教部長および会計を歴任。 ただし、ワンネス派の教えを否定し、三位一体の教理を受け入れている。 フルゴスペル神学大学院およびアジア教会成長神学院の教授および講師を歴任。 ルーマニア、オーストリア、ハンガリー、イタリア、ギリシャ、クレタ島、ケニア、インド、フィリピン、大韓民国、米国で宣教活動をする。
金原 策太郎(きんばら さくたろう、1940年4月29日 -… 金原 策太郎(きんばら さくたろう、1940年4月29日 - )は、日本の経営者。平和不動産社長を務めた。東京都出身。 1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年4月に東京証券取引所に入所した。1996年5月に常任理事に就任し、1997年5月に常務理事、2001年11月に専務、2002年6月に平和不動産専務を経て、2005年6月に副社長に就任し、2007年6月には社長に昇格した。2010年6月から相談役を務めた。
関口 巌(せきぐち いわお、1940年4月28日 - )は、… 関口 巌(せきぐち いわお、1940年4月28日 - )は、東京都出身の元NHKのアナウンサー。東京都立北園高等学校、東京外国語大学卒。 1963年にNHK入局。山形・青森・宮崎・鹿児島・名古屋・宇都宮・東京等の放送局でアナウンサーを担当。 宮崎・鹿児島・宇都宮では「夕べのひととき」や「FMリクエストアワー」(いずれもFM放送)を担当。リスナーから寄せられるアイドルのリクエストには応じず、リスナーに媚びない選曲と番組進行で人気を集める。 2000年4月4日から「サンセットパーク」のディスクジョッキーを担当、その途中で定年退職を迎える(2002年3月26日降板)。現在は嘱託職員(専門委員)としてラジオの「NHKニュース」「株式市況」「気象通報」、NHKワールド・ラジオ日本の「ニュース」を担当している。
山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 20… 山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 2010年10月22日)は、日本の会計学者。専門は会計学。学位は、商学博士(拓殖大学・1994年)。元国士舘大学21世紀アジア学部教授。 山形県米沢市生まれ。1963年高崎経済大学経済学部経済学科卒業後、同年4月旺文社入社(1966年6月まで勤務)。 1971年3月拓殖大学大学院経済学研究科修士課程修了後、同年4月高崎経済大学経済学部助手、1972年4月同大学経済学部専任講師、1975年4月同大学経済学部助教授、1981年同大学経済学部教授。2000年同大学経済学部長。2002年4月同大学大学院経済・経営研究科修士課程教授。2004年4月同大学大学院経済・経営研究科博士後期課程教授。
鵜木 洋二(うのき ようじ、1940年4月28日 - 202… 鵜木 洋二(うのき ようじ、1940年4月28日 - 2021年2月23日)は、日本の実業家。学校法人福岡工業大学理事長、福岡ダイエーホークス社長。 1940年、宮崎県都城市に生まれる。1964年に法政大学法学部法律学科を卒業し、ダイエーに入社する。米国ダイエー副社長、ユニードダイエー常務、福岡ダイエーホークス社長などを歴任する。1994年に学校法人福岡工業大学理事・評議員、1997年に理事長に就任する。2021年2月23日、肺癌のため死去。80歳没。 中内功の懐刀として、企業買収に手腕を発揮し、1988年のダイエーによる南海ホークスの買収と福岡移転に深く関わり、初代球団社長に就任する。日本初の開閉式福岡ドームの建設に尽力し、球団強化のために当時、西武ライオンズの球団管理部長だった根本陸夫を招き、福岡ダイエーホークスの基礎を作った。
高井良 一男(たかいら かずお、1940年4月26日 - )… 高井良 一男(たかいら かずお、1940年4月26日 - )は山口県下関市出身の元プロ野球選手(内野手)。
吉野 利弘(よしの よしひろ、1940年4月25日 - )は… 吉野 利弘(よしの よしひろ、1940年4月25日 - )は、日本の英語学者。立教大学名誉教授。
細川 恒(ほそかわ ひさし、1940年(昭和15年)4月24… 細川 恒(ほそかわ ひさし、1940年(昭和15年)4月24日 - )は、日本の通産官僚。元通商産業審議官。
藤原 武平太(ふじわら ぶへいた、1940年(昭和15年)4… 藤原 武平太(ふじわら ぶへいた、1940年(昭和15年)4月24日 - )は、日本の通産官僚。通商産業省通商政策局次長、駐ブルガリア大使。情報処理推進機構理事長などを歴任。 著者 チャールズ・キンドルバーガー編、共訳 藤原武平太・和田和、日本生産性本部、1971年 熊谷弘(内閣官房長官・通産相)、渡辺修(通産次官)、山口務、久禮彦治(日本産業デザイン振興会理事長、駐連合王国公使)、山浦紘一(石油連盟専務理事、特許庁審査第一部長)、合田宏四郎(日本ガス機器検査協会理事長、JGA副会長、関東通産局長)、糟谷晃(夭折)、横田捷宏、中田哲雄、辛島修郎(自販連副会長)など
本田 良一(ほんだ りょういち、1940年4月24日 - 2… 本田 良一(ほんだ りょういち、1940年4月24日 - 2022年7月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)、参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長、熊本県議会議員(3期)、熊本市議会議員(2期)などを歴任。 尚、現職の阿蘇市派出畳店出の本田雄三議員とは関係ない 熊本県玉名郡南関町出身。熊本県立南関高等学校を経て、北九州市立大学外国語学部中国語学科卒業。 1964年、日本電信電話公社九州電気通信局に入社する。 1979年、熊本市議会議員に初当選し、2期務める。 1987年、熊本県議会議員初当選。3期目の満了まで6か月を残した1998年の第18回参議院議員通常選挙に旧民主党公認で熊本県選挙区から立候補。
沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月2… 沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月23日 - )は、日本の政治家。 飯能市議会議員(1期)、埼玉県議会議員(3期)、飯能市長(3期)を歴任。2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 埼玉県英霊にこたえる会会長。飯能市英霊にこたえる会会長。明治神宮崇敬会飯能支部支部長。 飯能自動車学校の設置者。一男四女の父。 代々埼玉県飯能市岩沢の素封家として栄えてきた沢辺家は、瀞壱の祖父沢辺庄太郎が入間郡加治村の村長、父の沢辺浩(こう)が飯能町の町議会議員を務めるなど、地域のリーダーシップを取っていた。 飯能町立加治小学校の教員をしていた父の浩が1937年(昭和12年)に朝鮮全羅南道に一家で出向し、巨文島の小学校に校長として赴任している中、1940年(昭和15年)4月に誕生した。
井ノ部 康之(いのべ やすゆき、1940年4月23日 - )… 井ノ部 康之(いのべ やすゆき、1940年4月23日 - )は、日本の小説家。 1940年(昭和15年)、福井県大野市に生まれる。福井県立大野高校卒業後、東北大学文学部美学美術史学科卒業。 図書編集者の後、テレビの構成作家となり、ドキュメンタリー番組、スポーツ番組、ワイドショー番組などの台本を多数執筆。1993年には「雪炎・星と語る男たち」でギャラクシー選賞を受賞。 近年は小説・ノンフィクションの執筆に専念している。主な作品は、千家三部作「千家再興」、「千家奔流」、「千家分流」(読売新聞社)。2020年には齢80にして、「白嶺の金剛夜叉 山岳写真家 白籏史郎」(山と渓谷社)を上梓した。
龍村 仁(たつむら じん、1940年4月23日 - 2023… 龍村 仁(たつむら じん、1940年4月23日 - 2023年1月2日)は、ドキュメンタリー監督、元NHKディレクター。有限会社龍村仁事務所代表。 兵庫県宝塚市出身。1963年、京都大学文学部美学科卒業後、NHKに入局。報道局を経て教育局でフィルムドキュメンタリーの演出に従事。 NHK 教養部のディレクターだった 1973年3月、龍村は、当時矢沢永吉などが所属していたロックバンド・キャロルに密着したドキュメンタリー番組を企画・製作したが、完成した作品にNHKの上層部が難色を示し、再編集した上で音楽番組として放送した。これに憤った龍村はその後、NHKを欠勤し、同じくNHK職員だった小野耕世(現マンガ評論家)と共に、ATGで龍村の監督によるドキュメンタリー映画『キャロル』を製作。
高谷 保宏(たかや やすひろ、1940年4月23日 - )… 高谷 保宏(たかや やすひろ、1940年4月23日 - )は、日本の経営者、銀行家。近畿大阪銀行頭取を務めた。 兵庫県出身。1964年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に近畿相互銀行(のちの近畿銀行)に入行した。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1998年1月に専務を経て、1999年6月に社長に就任し、2000年4月から2003年4月までに近畿大阪銀行頭取を務めた。
斎藤慎一郎(さいとう しんいちろう 1940年4月22日 -… 斎藤慎一郎(さいとう しんいちろう 1940年4月22日 - 2007年12月16日)は神奈川県横浜市出身の童話作家、詩人、クモ研究家。「クモクモ仙人」と呼ばれた。中池見湿地のクモを調査したことがきっかけで同湿地の保護など地球環境保護の問題にも取り組んだ。 東京教育大学(芸術学)卒業。日本蜘蛛学会、山村民俗の会、国際泥炭学会(IPS)、世界自然保護基金日本委員会、東京・中部・三重蜘蛛談話会会員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
6代目 小川 後楽(おがわ こうらく、1940年4月22日 … 6代目 小川 後楽(おがわ こうらく、1940年4月22日 - 2016年9月19日)は、煎茶家(小川流煎茶6代目家元)。筆名は楢林 忠男。京都造形芸術大学教授および同大学理事を兼任した。また関西学院大学非常勤講師、佛教大学客員教授としても教壇に立った。専門は日本文化論、伝統芸能史。 京都府京都市出身。1963年(昭和38年)、立命館大学文学部日本史学科卒業。奈良本辰也の下で日本近世思想史を専攻し、卒業後は京都芸術文化研究所に入所した。1971年(昭和46年)、小川流煎茶家元を継承する。 1991年(平成3年)より、京都造形芸術大学客員教授に就任。 1979年(昭和54年)、第1回訪中以後、ほぼ毎年1-3回、現在までにおよそ四十回近く訪中。
柴田 昌宏(しばた まさひろ、1940年4月22日 - )は… 柴田 昌宏(しばた まさひろ、1940年4月22日 - )は、日本の元俳優、鍼灸師。 俳優の潮万太郎を父に持ち、姉に女優の弓恵子、弟に俳優の柴田侊彦という役者家族に育つ。 早稲田大学文学部卒業。1961年に俳優座の養成所に入所、1964年に劇団雲に参加。役者仲間からは「マーチャン」のあだ名を付けられていた。日本テレビの数ある青春ドラマで出演を重ねるが、家族ほどの役には恵まれず引退したのち鍼灸師となり鍼灸院を開業する傍ら太極拳講師としても活動している。
門奈 紀生(もんな としお、1940年4月21日 - )は日… 門奈 紀生(もんな としお、1940年4月21日 - )は日本のバンドネオン奏者。タンゴ楽団『アストロリコ』代表。東京都出身。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。 中学生のときに聴いたタンゴのレコードに魅せられて、21歳のときにバンドネオンを始める。新宿のキャバレーのタンゴバンドでデビューを果たし、ダンスホールなどのいろいろ楽団を転々して、『坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテーニャ』に入団し、海外公演もこなす。『ロス・タンゲーロス』を始めとして、様々な楽団での演奏もある。 1973年、プロのバンドネオン奏者としての活動を休止する。プロ活動休止の間も、教会で賛美歌をバンドネオンで演奏することもしていた。
蒲田 勝(かまた まさる、1940年4月21日 - )は、日… 蒲田 勝(かまた まさる、1940年4月21日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は短距離走。 田辺市立明洋中学校では野球部に所属していた。本人の弁では、3年生時に教員の勧めにより通信陸上大会の走高跳に出場したのが、陸上競技に接した最初だった。 和歌山県立田辺高等学校に進学し、陸上部に入部する。 全国高等学校総合体育大会陸上競技大会において、男子100メートル競走に2年生と3年生時に2連覇(1957年・1958年)を達成、3年生時には200メートル競走でも優勝する。高校2年生時の第12回国民体育大会(静岡国体)では100メートル競走で10秒5の高校生日本記録を出して優勝した。3年生時の1958年アジア競技大会では400メートルリレーメンバーに選出され、銀メダルを獲得している。
池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は… 池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本経団連評議員会副議長、経済同友会副代表幹事、全国法人会総連合会長などを歴任した。 福岡県筑紫野市出身。福岡県立福岡高等学校を経て、1963年九州大学経済学部卒業、朝日麦酒(現アサヒグループホールディングス)入社。飲料営業部営業課長を経て、1987年営業部副部長。1996年取締役。1997年常務取締役。1999年専務取締役。2000年専務執行役員。2001年専務取締役。2002年代表取締役社長兼COO。2006年代表取締役会長兼CEO。2008年九州大学経済学部同窓会会長。
笹月 健彦(ささづき たけひこ、1940年4月21日 - )… 笹月 健彦(ささづき たけひこ、1940年4月21日 - )は日本の医学者。九州大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長。遺伝子学・免疫学専攻。
北村 敏夫(きたむら としお、1940年4月21日 - 20… 北村 敏夫(きたむら としお、1940年4月21日 - 2022年6月19日)は、日本の経営者。澁澤倉庫社長、会長を務めた。 三重県出身。1964年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に澁澤倉庫に入社した。1994年6月に取締役に就任し、1998年6月に常務を経て、2000年6月に社長に就任。2004年6月に会長に就任を経て、2008年6月には相談役に就任。 2022年6月19日、死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川嶋 辰彦(かわしま たつひこ、1940年〈昭和15年〉4月… 川嶋 辰彦(かわしま たつひこ、1940年〈昭和15年〉4月20日 - 2021年〈令和3年〉11月4日)は、日本の経済学者。学習院大学名誉教授。国土交通省専門委員。研究分野は空間経済学、統計学、計量経済学。学位はPh.D.(米国ペンシルベニア大学・1971年)。文仁親王妃紀子の父。 学習院馬術部大学部長であり、皇太子明仁親王一家(当時)とは部の会合で何度か顔を合わせ、面識があった。 日泰間の学生交流やボランティア活動にも力を入れており、講演活動や学校の総合学習などの講師などの活動も盛んに行っている。 秋篠宮文仁親王(礼宮)と長女・紀子の婚約内定の報道がなされた際、メディアでは社内の表記基準に従い標準字体の「川島」と報道した媒体も存在したが、宮内庁関係者などからの強い要望もあり、異体字を使用した戸籍名の「川嶋」に表記を改めた。
岡崎 宏司(おかざき こうじ、1940年4月20日 - )は… 岡崎 宏司(おかざき こうじ、1940年4月20日 - )は、日本の自動車評論家。本名は同じ字だが「ひろし」と読む。内閣府第7次中央交通安全対策会議専門委員。国土交通省安全基準検討会委員。2000年から2001年に開催された三菱自動車品質諮問委員会のメンバー。東京生まれ、1964年日本大学芸術学部放送学科卒業。日本自動車ジャーナリスト協会会員。「クルマの動質」「ブランディング」についての研究評価を専門とする。 息子に自動車ジャーナリストの岡崎五朗がいる。 現在の主な出稿先は、『Web LEON』、『CAR and DRIVER』、 他に、『モーターファン』、『毎日新聞(夕刊)』、『報知新聞』、『週刊プレイボーイ』、『月刊プレイボーイ』、『メンズエクストラ』、『LEON』、『サンデー毎日』(2011年をもち、722回の連載終了)、『MADURO』、『メンズクラブ』、『SAPIO』、『NAVI』、『THE EV TIMES』などに連載。
小川 康雄(おがわ やすお、1940年4月19日 - )は、… 小川 康雄(おがわ やすお、1940年4月19日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校から1959年に西鉄ライオンズへ入団。同年退団。
福原 勝(ふくはら まさる、1940年4月19日 - )は島… 福原 勝(ふくはら まさる、1940年4月19日 - )は島根県出身の元プロ野球選手。右投右打。 1959年に島根県立益田産業高等学校から近鉄バファローに入団。1年目から一軍で登板し、3年目の1961年の大毎オリオンズ戦で初勝利。1965年7月10日の東京戦ではプロ初完投を完封勝利で飾ったが、この年限りで引退した。ストレートが武器だったが、シンカーも投げた。
山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 201… 山根 秀夫(やまね ひでお、1940年4月19日 - 2016年1月18日)は、日本の経営者。神戸新聞社、デイリースポーツ各社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1964年早稲田大学第一政治経済学部卒業後、神戸新聞社入社。1993年取締役、1995年常務を経て、1997年社長就任。2003年会長を経て、2005年相談役。1995年阪神淡路大震災の際には本社屋に大きな被害が出る中で、編集局長として京都新聞社の協力を得た上で新聞の発行を継続した。1997年から2003年までにデイリースポーツ社長も務めた。 2016年1月18日腎不全のために死去。75歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
石黒 直次(いしぐろ なおつぎ、1940年(昭和15年)4月… 石黒 直次(いしぐろ なおつぎ、1940年(昭和15年)4月18日 - )は、日本の政治家。元秋田県仙北市長。旧角館町(現・仙北市)長。 秋田県仙北郡角館町出身。秋田県立角館高等学校を経て、東北大学工学部精密工学科卒、同大学大学院工学研究科修士課程修了。修了後は神戸製鋼所に入社、圧縮機設計課長などを歴任する。1988年、帰郷し、横手市の横手精工に入社し、工場長となる。1994年、角館町助役に就任、2005年、同町長に当選する。同年、角館町は田沢湖町、西木村と合併し、仙北市が発足、合併後の市長選挙に立候補し、元西木村長と元田沢湖町課長を破って当選した。仙北市長を1期務め、2009年の市長選挙では再選を目指したが、元秋田県議の門脇光浩に敗れた。
大友 浩(おおとも ひろし、1940年〈昭和15年〉4月17… 大友 浩(おおとも ひろし、1940年〈昭和15年〉4月17日 - )は、日本のフランス文学者。文学博士(東京大学)。Ph.D.(ボルドー大学)。元北星学園大学学長。現在、北海道大学及び北星学園大学名誉教授。山形県鶴岡市出身。 1963年東京大学教養学部卒業。1968年同大学院文学研究科博士課程修了。1971年ボルドー大学大学院文学研究科博士課程修了。1971年北海道大学文学部助教授。その後、同文学部教授。1994年大妻女子大学社会情報学部教授。北海道大学名誉教授。2000年北星学園大学学長に就く。2002年北星学園大学短期大学部学長に就く。2006年同学長退任。同文学部教授。2008年北星学園大学退職。
安斎 育郎(あんざい いくろう、1940年4月16日 - )… 安斎 育郎(あんざい いくろう、1940年4月16日 - )は、日本の医療工学者・物理学者・軍事学者・平和学研究者。工学博士(東京大学・1969年)(学位論文「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」)。立命館大学特命教授・名誉教授、立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長。専門は、放射線防護学、平和学。
磯部 修三(いそべ しゅうぞう、1940年4月15日 - )… 磯部 修三(いそべ しゅうぞう、1940年4月15日 - )は、高校野球の指導者、高校・大学教員。 1978年、浜松商業高校、2007年には、常葉菊川高校野球部を、それぞれ選抜高等学校野球大会全国優勝に導いた。 静岡県生まれ。1959年、静岡県立静岡高等学校卒業。神戸大学卒業。 1965年、掛川西高校社会科教諭・野球部副部長、1972年、浜松商業高校社会科教諭・野球部監督に就任。1978年、センバツ大会優勝。1980年、選手権大会8強。1984年3月で浜松商業高校を退任後、浜松南高校社会科教諭を経て、磐田南高校社会科教諭・野球部監督を務めた。 その後は一時、野球部の指導から離れ、県教育研究所指導主事・浜名高校教頭、磐田北高校教頭など歴任した。
宮崎 揚弘(みやざき あきひろ、1940年4月15日- )は… 宮崎 揚弘(みやざき あきひろ、1940年4月15日- )は、西洋史学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。本名・宮崎洋。慶應義塾大学文学部卒、同大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学。北海道教育大学釧路分校講師、助教授、慶應義塾大学商学部助教授、教授、2006年定年、名誉教授、帝京大学文学部教授。2011年退職。近世フランス史専攻。
原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2… 原中 勝征(はらなか かつゆき、1940年4月15日 - 2025年7月11日)は、日本の医師。医学博士(東京大学、1975年)。医療法人杏仁会大圃病院(きょうじんかい おおはたびょういん)会長。第18代日本医師会会長。 1940年、茨城県生まれ。福島県浪江町出身。『日本医師会 平成三十年の歩み』にある経歴中で茨城県生まれと記載されているが、『浪江町くらしのガイドブック』には郷土出身者の一人として掲載されている。 1966年に日本大学医学部卒業。1967年に東京大学医学部に入局。1980年に東京大学医科学研究所内科医局長、1990年に東京大学助教授に就任。この間、TNF-αの研究で世界的な業績を挙げる。
中村 次郎(なかむら じろう、1940年4月14日 - 、2… 中村 次郎(なかむら じろう、1940年4月14日 - 、2025年12月11日 )は、NHKの気象解説で知られる気象キャスターである。 群馬県高崎市(旧倉渕村)出身。群馬県立榛名高等学校、専修大学法学部中退。鉄道会社勤務を経て、1963年、財団法人日本気象協会に入り、ラジオの気象解説を担当。1975年にNHK総合テレビに初出演、以後2005年3月まで(ラジオは2006年3月まで)約30年間にわたり同局の気象キャスターとして活躍。気象予報士ではなかったが、季節感を大切にした朴訥とした語り口の「天気予報」にはファンが多かった。2000年代には日本気象協会を退職し、有限会社気象環境サービスに移籍。気象情報出演終了後も、NHKの首都圏ローカル枠で情報番組に出演、2006年4月からは「ゆうどきネットワーク」で不定期コーナー「中村次郎の日々是好日」を担当していた。
渡辺 一秀(わたなべ かずひで、1940年4月14日 - )… 渡辺 一秀(わたなべ かずひで、1940年4月14日 - )は、日本の実業家。マツダ代表取締役会長や、日本自動車工業会副会長、中国経済連合会副会長などを務めた。 山口県出身。山口県立山口高等学校を経て、1964年大阪市立大学法学部卒業、マツダ入社。1992年取締役に昇格。1997年常務取締役。1998年専務取締役。1999年代表取締役副会長。 2000年からマツダ代表取締役会長を務め、経営不振が続く中で人員削減などにあたった。2006年相談役。2008年中国電力監査役。日本自動車工業会副会長、中国経済連合会副会長、広島商工会議所副会頭、マツダ財団理事長、中国実業団陸上競技連盟会長なども歴任した。
松永 真(まつなが しん、1940年4月13日 - )は、日… 松永 真(まつなが しん、1940年4月13日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)理事。東京藝術大学客員教授。日本デザインコミッティー理事。 東京市芝区高輪生まれ。父は書家。第二次世界大戦中の5歳から福岡県筑豊地域、15歳からを京都で過ごす。 1964年、東京藝術大学美術学部デザイン科卒。資生堂の宣伝部に7年在籍した後、1971年松永真デザイン事務所設立。 1997年『松永真のデザイン展』(セゾン美術館)開催。 各企業のCI計画やポスターなど、携わった作品多数。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )… 坪内 ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )は、東京府(現:東京都)出身の女優・タレント。本名、櫻井美紀子。 父親は演劇評論家・坪内士行(宝塚歌劇団職員・宝塚音楽学校の顧問も歴任した)、母親は宝塚歌劇団1期生であり宝塚歌劇団卒業生の雲井浪子(本名:坪内操、旧姓:高井)。さらに母の姉と妹に同1期生の八十島揖子と同15期生の緒島なお子もいるという、演劇にゆかりのある家庭に生まれた(士行は坪内逍遙の兄の子で、一時、逍遙の養子だったが、1919年に養子縁組を解消した)。日本女子大学附属豊明小学校を経て、日本女子大学附属中学校・高等学校在学中に宝塚音楽学校受験を試みたが、元タカラジェンヌの母親に大反対されて受験を断念する。
尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 20… 尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 2004年11月9日 )は、日本の元ラグビー選手。 村野工業高校から法政大学へと進学。大学では1年目から活躍し、関東リーグ戦初優勝に貢献。 卒業後はトヨタ自動車に入社した。1963年のBCカナダ戦で初キャップを獲得。 1968年にオールブラックスジュニアを敵地で破った時の日本代表の主将であった。 元トヨタ自動車副部長。