八代 英太(やしろ えいた、1937年〈昭和12年〉6月2日… 八代 英太(やしろ えいた、1937年〈昭和12年〉6月2日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー、タレント、大学教授である。本名は前島 英三郎(まえじま えいざぶろう)。 郵政大臣(第65・66代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任。 山梨県東八代郡八代町(現:笛吹市)に生まれる。山梨県立石和高等学校(現:笛吹高等学校)卒業後、1957年 ラジオ山梨(1961年から山梨放送)にアナウンサーとして入社。1968年より日本テレビ『お昼のワイドショー』に中山千夏と共に司会者として加入。 1973年6月3日 愛知県刈谷市の市民会館で行われた畠山みどりの歌謡ショーの司会として出演。ものまねを始めようとマイクから後ずさりした際、せり舞台の穴(奈落)に転落。
尾崎 千秋(おざき ちあき、男性、1937年〈昭和12年〉6… 尾崎 千秋(おざき ちあき、男性、1937年〈昭和12年〉6月2日 - )は元京都放送・ラジオ大阪アナウンサー・フリーアナウンサー・ラジオパーソナリティー。 京都府京都市出身。1960年同志社大学卒業後にKBS京都に入社、その後ラジオ大阪に移籍し、数々の番組に出演する。その後フリーとなり、大阪樟蔭女子大学で講師を務めた。声質が横山ノックに似ている。若かりし頃の愛称は「チータン」。京都学園大学人間文化学部文化コミュニケーション学科でアナウンス論の講師を勤めていた
阪口 美奈子(さかぐち みなこ、1937年6月1日 - 20… 阪口 美奈子(さかぐち みなこ、1937年6月1日 - 2016年5月30日)は、日本の女優、声優。坂口 美奈子(読み同じ)名義での活動もある。劇団民藝に所属していた。東京都牛込区出身。 夫は俳優、声優の前田昌明。娘は舞踏家・振付師の前田新奈。 学校法人雙葉学園在学時、劇場公開されていた『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンを見たことで女優を志し、卒業後に劇団民藝へ入団。1950年代後半から舞台に立ち、同劇団の看板女優として活動。テレビドラマにも出演し、吹き替えでは声優としても活動した。 出産後の舞台で腰を痛めたことで、30代後半から活動は控えめになったという。2016年5月30日に死去。78歳没。
神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は… 神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は、日本の固体地球物理学者、極地研究家。国立極地研究所ならびに総合研究大学院大学名誉教授。地震、火山、ならびに極地研究の第一人者として活躍。 神奈川県川崎市生まれ。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京理科大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院理学研究科博士課程修了後、東京大学地震研究所に入所し、地震や火山噴火予知の研究に携わる。地震被災地や火山に赴いての指導や執筆活動等で活躍。
福地 泡介(ふくち ほうすけ、1937年6月1日 - 199… 福地 泡介(ふくち ほうすけ、1937年6月1日 - 1995年1月5日)は、日本の漫画家、随筆家、アマチュア雀士、放送タレント。福地 泡介(つくりの包の己の部分が巳)の表記も用いた。本名、福地 豊。 岐阜県関市生まれ。生家は刃物製造会社を経営し、志津三郎兼氏の末裔とされる。岐阜県立関高等学校在学中から新聞や雑誌へ漫画の投稿を行い、プロを志して荻原賢次に弟子入りを志願するが断られ、京都で予備校に通いながら浪人生活を送り、早稲田大学法学部に入学。早稲田大学漫画研究会に入部。2年上級にしとうきねおと園山俊二が、1年上級に同い年の東海林さだおがいた(2年生での入部で、福地と同期入部)。1959年、福地・東海林ほか、他校の学生漫画家を加えた4人で「グループ'59」を結成し、一般誌に合作漫画の売り込みを行ったが、ほとんど採用されずにグループは数か月で解散に追い込まれた。
牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日… 牟田 泰三(むた たいぞう、1937年6月1日 - )は、日本の物理学者である。理学博士。研究分野は、理論物理学素粒子論。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校、九州大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院数物系研究科物理学専攻修了(理学博士)。京都大学理学部助手、同大学基礎物理学研究所助教授を経て、1982年から2001年まで広島大学理学部教授。2001年より2007年5月21日まで、広島大学学長。 2007年10月より2009年6月まで、福山大学学長。2011年から2015年まで、マツダ株式会社社外取締役。 広島大学学長在任中、同大相撲部をモデルとした映画「ちゃんこ」に学長役として特別出演した。
平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、… 平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、日本の政治家。鹿児島県奄美市長(1期)。名瀬市長(3期)。名瀬市議会議員(3期)。 鹿児島県奄美市名瀬有良出身。鹿児島県立大島高等学校を経て、1961年中央大学法学部卒。東京での社会人生活の後、帰島して印刷会社を経営。奄美大島青年会議所理事長、名瀬市議を3期務め、1994年名瀬市長成田広男の辞職に伴う市長選に立候補して初当選。連続3期務めた。 2006年3月20日に名瀬市は住用村、笠利町と合併して奄美市が誕生。これに伴い、名瀬市長は3月19日付で退任となった。奄美市発足に伴う市長選挙に立候補し、拓殖大学教授の叶芳和を723票差で破った。
初瀬 龍平(はつせ りゅうへい、1937年6月1日 - )は… 初瀬 龍平(はつせ りゅうへい、1937年6月1日 - )は、日本の政治学者。現在は京都女子大学法学部客員教授、神戸大学名誉教授。専門は、国際関係論。
池森 賢二(いけもり けんじ、1937年6月1日 - )は、… 池森 賢二(いけもり けんじ、1937年6月1日 - )は、日本の実業家、エンジェル投資家。ファンケル創業者で、同社代表取締役社長や、代表取締役会長ファウンダー、日本通信販売協会会長等を歴任した。 三重県宇治山田市(現伊勢市)で東洋紡績技術者の次男として生まれる。産業能率短期大学中退後、1959年小田原瓦斯入社。1973年小田原瓦斯退社。1980年無添加化粧品事業を創業。1981年ファンケル設立、同社代表取締役社長。1999年東京証券取引所第一部上場。2003年ファンケル代表取締役会長。2004年ファンケル取締役会長。2005年ファンケル名誉会長。2013年ファンケル代表取締役会長執行役員。2017年ファンケル代表取締役会長執行役員ファウンダー。
西村 繁男(にしむら しげお、1937年5月31日 - 20… 西村 繁男(にしむら しげお、1937年5月31日 - 2015年5月)は、日本の雑誌編集者。東京都出身。『週刊少年ジャンプ』の第3代編集長、『フレッシュジャンプ』『スーパージャンプ』の初代編集長。
左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月3… 左 とん平(ひだり とんぺい、1937年〈昭和12年〉5月30日 - 2018年〈平成30年〉2月24日)は、日本の俳優、歌手、タレント。東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。世田谷高校卒業。息子の肥田木隆広は主婦の友社で雑誌の編集長を務めた。 父親は逓信省の役人で、退官後は旅館業、飲食店などを手広く経営していた。高校卒業後、進学せずにブラブラしているのを見かねた父親から、新丸子にある寿司屋の経営を任せられる。 1957年、高校の同級生だった辻しげるらと劇団を結成。その後、三木鶏郎、永六輔、いずみたくらが在籍する冗談工房に入団する。当時のマネージャーは、のちに作家となる野坂昭如だった[信頼性要検証]。
佐藤 重喜(さとう しげき、1937年5月30日 - 201… 佐藤 重喜(さとう しげき、1937年5月30日 - 2015年4月11日)は、日本の経営者。文化放送社長を務めた。 新潟県出身。1962年に早稲田大学院文学研究科を修了し、同年に文化放送に入社。1990年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1999年3月に社長に就任。2007年6月に会長に就任。 フジ・メディア・ホールディングス、フジテレビジョン各取締役、日本民間放送連盟常任理事なども歴任。 2014年4月に旭日中綬章を受章。 2015年4月11日肺炎のために死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
郷 鍈治(ごう えいじ、1937年5月29日 - 1992年… 郷 鍈治(ごう えいじ、1937年5月29日 - 1992年9月11日)は、日本の俳優。本名:瀬川 鍈治(せがわ えいじ)。旧姓:宍戸(ししど)。 妻はちあきなおみ。兄は宍戸錠、甥は宍戸開。大阪府大阪市出身。明治大学経営学部卒業。 1960年、日活に入社し『狂熱の季節』で俳優デビュー。兄の錠とは『早射ち野郎』など複数の作品で共演。映画『ハレンチ学園』で錠が演じたマカロニ先生を、テレビドラマで演じている。日活がロマンポルノに転向したため、1972年の千葉真一主演映画『麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄』(東映)を皮切りに、他社の作品にも出演していく。 その強面の容貌からヤクザ・凶悪犯・殺し屋などの悪役を演じる機会が多かった。
美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月2… 美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月29日 - 1989年〈平成元年〉6月24日)は、日本の歌手・女優・実業家。神奈川県横浜市磯子区出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現:東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。 9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍を見せ、自他共に歌謡界の女王と認める存在となった。昭和の歌謡界を代表する歌手であり、没後の1989年7月2日に国民栄誉賞を受賞した。本名:加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は「お嬢(おじょう)」。身長は155cm(推定、番組内にて和也談)。 神奈川県横浜市磯子区の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉(1912年 - 1963年)、母・喜美枝の長女・和枝(かずえ)として生まれた。
碓井 静照(うすい しずてる、1937年5月29日 - 20… 碓井 静照(うすい しずてる、1937年5月29日 - 2012年5月9日)は、日本の医師及び作家。
西澤 宏繁(にしざわ ひろしげ、1937年(昭和12年)5月… 西澤 宏繁(にしざわ ひろしげ、1937年(昭和12年)5月28日 - )は、日本の銀行家。元日本興業銀行代表取締役専務、元東京都民銀行会長、元企業再生支援機構代表取締役社長。 東京市杉並区に生まれる。父は終戦後、郷里の滋賀県愛知郡愛知川町で電気店を開業した。 1957年、京都大学に進学。作家志望から当初は文学部を目指すも、父からの忠告を入れて経済学部を選ぶ。また、同好会「基礎産業研究会」で活動した。 1961年に大学を卒業して同年4月、日本興業銀行に入行。1989年6月から取締役、1992年6月から常務取締役を歴任した。 1997年2月、東京都民銀行に顧問として入行。これは命じられての転籍だった。
山口 政廣(やまぐち まさひろ、1937年5月28日 - )… 山口 政廣(やまぐち まさひろ、1937年5月28日 - )は、日本の実業家。共同印刷代表取締役社長や、同社取締役会長、日本印刷産業連合会会長、明治大学評議員会議長等を歴任した。 1960年明治大学政治経済学部卒業、共同印刷入社。1983年共同印刷経営企画部長兼広報部長。1988年共同印刷取締役。1990年共同印刷常務取締役。1994年共同印刷専務取締役。1995年共同印刷取締役副社長。1996年共同印刷代表取締役社長。2006年共同印刷取締役会長。2007年日本印刷産業連合会会長。2010年日本印刷産業連合会顧問、連合駿台会会長。明治大学評議員会議長、明治大学校友会副会長なども歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
金野俊美(こんの としみ、1937年5月27日 - 2010… 金野俊美(こんの としみ、1937年5月27日 - 2010年9月27日)は日本の大蔵官僚。銀行局検査部長、印刷局長、ヒメノ(株)社長、同社会長などを歴任。東京都目黒区自由が丘1丁目在住。 岩手県水沢市(現:奥州市)出身。東京大学経済学部経済学科卒業。1963年4月 大蔵省入省(関税局総務課)。1969年7月 左京税務署長。1977年7月 主計局主計官補佐(通商産業第一、二係主査)。1979年7月 熊本県企画開発部長。1987年6月 証券局総務課長。1988年6月15日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1989年6月 銀行局検査部長。1991年6月11日 印刷局長。1992年6月26日 退官。同年7月 石油公団理事。
大場 脩(おおば おさむ、1937年5月26日 - )は、日… 大場 脩(おおば おさむ、1937年5月26日 - )は、日本の政治家。元北海道網走市長(3期)。旭日小綬章。 北海道常呂郡常呂町(現・北見市)出身。北海道網走南ヶ丘高等学校卒。高校卒業後、札幌国税局に入り、紋別、網走の各税務署で働いたのち、網走市役所に入る。財政課長、経済、総務の各部長を経て、助役となる。1997年に網走市役所を退職、翌1998年の網走市長選挙に立候補して新人3人の争いを制した。2002年は無投票で再選。2006年の市長選挙も無投票で三選した。市長は2010年まで務め、退任した。2011年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)、19… モンキー・パンチ(本名:加藤 一彦(かとう かずひこ)、1937年〈昭和12年〉5月26日 - 2019年〈平成31年〉4月11日)は、日本の漫画家。東京工科大学大学院修士課程修了。 有限会社エム・ピー・スタジオ代表(初代)、デジタルマンガ協会会長(初代)、大手前大学人文科学部教授、大手前大学メディア・芸術学部教授、社団法人日本漫画家協会理事、専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問などを歴任した。 筆名として加東 一彦(かとう かずひこ)、ムタ 永二(むた えいじ)、かとう・一彦(かとう かずひこ)といった名義を用いたこともある。 『ルパン三世』や『一宿一飯』を始め、多数の青年漫画を手掛けた。漫画の制作にコンピュータを積極的に取り入れており、デジタルマンガ協会を設立して初代会長を務めた。
堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(ほりか… 堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(ほりかわ あつたか)。1937年5月24日 - 2020年3月28日)は、日本のテレビドラマのプロデューサー・演出家ならびに映画監督である。群馬県吾妻郡中之条町出身。妻は脚本家、ノンフィクション作家の高木凛。エッセイスト・イラストレーターの中山庸子は従妹である。 群馬県吾妻郡の中之条町立中之条中学校から群馬県立高崎高等学校に進学。その後、東京大学に入学し文学部英文科へ進む。また、第84代内閣総理大臣の小渕恵三とは小、中学校時代同級生で幼馴染であった。中之条を離れ大学は違ったが、学生時代は山手線の中で時の話題や文学を語り合った。友としての親交は小渕が亡くなるまで続いていた。
中丸 薫(なかまる かおる、1937年〈昭和12年〉5月23… 中丸 薫(なかまる かおる、1937年〈昭和12年〉5月23日 - )は、国際政治評論家。米国財団法人『国際問題研究所』有限会社『国際問題研究会』及び『太陽の会』を主宰。日本ペンクラブ会員。配偶者は俳優の中丸忠雄(2009年、死別)。 中国生まれ。父親は明治天皇の落胤とも称される堀川辰吉郎、母親は日本赤十字の看護師として大陸に渡り、満洲事変から日中戦争期に抗日兵士の帰順工作を行ったという中島成子だとしている。 著書によれば、薫の生後45日後に盧溝橋事件が起こり、中島成子は関東軍の依頼により日中間の交渉を担うことになったため、薫は松村正之・北京大学教授[要検証 – ノート]夫妻に預けられた。6歳の誕生日を迎えてまもなく、松村夫妻の故郷である山梨県甲府市に移住。
上田 豊三(うえだ とよぞう、1937年5月23日 - )は… 上田 豊三(うえだ とよぞう、1937年5月23日 - )は日本の元裁判官。元最高裁判所判事。熊本県出身。 横尾和子と共に、選挙権の制限は国会の裁量の範囲内として、在外日本人選挙権訴訟の違憲判決に反対した一人。 弟の上田豊甫は明星大学化学科の教授である。 全員一致ないし多数意見が比較的多い。
田辺俊彦(たなべ としひこ 1937年5月23日-1991年… 田辺俊彦(たなべ としひこ 1937年5月23日-1991年1月14日)は、日本の官僚。千葉県旭市出身。
市川 忠義(いちかわ ただよし、1937年5月23日 - )… 市川 忠義(いちかわ ただよし、1937年5月23日 - )は、日本の元バレーボール選手(日本代表)。 東京都出身[要出典]。明治大学卒業。 ポジションはセッター。 東京オリンピック日本代表(12名)の最終選考では、同じセッターの猫田勝敏・出町豊と最後まで、その座を争ったが、代表入りは果たせなかった。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
梅沢 昌太郎(うめざわ しょうたろう、1937年(昭和12年… 梅沢 昌太郎(うめざわ しょうたろう、1937年(昭和12年)5月23日 - )は、日本の商学者・農学者。学位は、博士(農学)。 農業マーケティング研究の第一人者である。 流通経済大学非常勤講師、高千穂大学専任講師→助教授→教授、日本大学商学部教授および日本大学大学院商学研究科教授→客員教授を経て、日本大学商学部および日本大学大学院商学研究科の非常勤講師。 東京都出身。1960年、早稲田大学政治経済学部卒業後、協和ガス化学会社セールスマンや、社団法人日本能率協会経営のコンサルタント、社団法人農協流通研究所調査研究部長を経て、高千穂商科大学助教授→教授に就任。その後、1997年から日本大学商学部教授、日本大学大学院商学研究科教授を経て、2008年3月に定年退職。
辻川 昭(つじかわ あきら、1937年5月22日 - )は、… 辻川 昭(つじかわ あきら、1937年5月22日 - )は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。滋賀県出身。 1961年に慶應義塾大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1996年6月に専務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。 2017年11月に旭日中綬章を受章した。
坂元 良章(さかもと よしあき、1937年5月22日 - 2… 坂元 良章(さかもと よしあき、1937年5月22日 - 2025年2月2日)は、日本の経営者。栗本鐵工所社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1961年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に栗本鐵工所に入社した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1999年6月には社長に就任。2002年6月には会長も兼任し、2003年4月には会長に専任し、2004年6月からは顧問を務めた。 2025年2月2日、大腸癌のために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山保 太郎(やまほ たろう、1937年5月21日- )は、… 山保 太郎(やまほ たろう、1937年5月21日- )は、日本の経営者。三井鉱山社長を務めた。東京都出身。 1960年に東京電機大学工学部を卒業。電源開発での勤務を経て、2004年3月に三井鉱山社長に就任。2007年4月に取締役相談役に就任。
石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - … 石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - 2014年10月12日)は日本の政治家。藍綬褒章、正五位、旭日中綬章。長野県長野市出身。早大教育卒。長野県議会議員(連続9期)。長野県議会議長、自由民主党県連幹事長、全国幹事長連絡協議会会長、政権構想会議メンバー。 長野県政に強い影響力をもち、“県政の重鎮、県政のドン”とよばれた。 1937年、長野市若穂綿内(当時は上高井郡綿内村)生まれ。 早稲田大学教育学部卒業。信濃毎日新聞社勤務を経て起業する。長野青年会議所理事長を経て、1979年の長野県議会議員選挙へ出馬(無所属、当選後は自民党)しトップで初当選した。 1985年、長野市長選挙へ出馬し、塚田佐と保守を二分する激戦の末敗れたが、1987年の長野県議会議員選挙ではトップ当選で返り咲いた。
内藤 里永子(ないとう りえこ、1937年5月21日 - )… 内藤 里永子(ないとう りえこ、1937年5月21日 - )は、日本の詩人・翻訳家。 本名・理恵子。早稲田大学大学院文学研究科修了。ターシャ・テューダーなどの翻訳を手がけることで知られる。
石附 周行(いしづき しゅうこう、1937年(昭和12年)5… 石附 周行(いしづき しゅうこう、1937年(昭和12年)5月21日 - )は、日本の僧侶。曹洞宗管長。群馬県安中市出身。 群馬県安中市生まれ。1966年(昭和41年)に宗泉寺に晋住し、その後、雙林寺の住職に就任した。また1989年(平成元年)に宗議会議員に当選し1993年(平成5年)には伝道部長職に就任した。 1996年(平成8年)に宗議会議員を退任し、同年に最乗寺の住職と同専門僧堂の堂長・師家に就任。2011年(平成23年)に總持寺の副貫首に就任。 2022年(令和4年)1月21日より曹洞宗の管長に就任する。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
平野 宏(ひらの ひろし、1937年5月20日 - 2020… 平野 宏(ひらの ひろし、1937年5月20日 - 2020年9月13日)は、日本の実業家。中部飼料代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本飼料工業会会長を歴任した。 1937年、愛知県出身。 1962年、慶應義塾大学商学部卒業。 同1962年、中部飼料入社。1967年中部飼料取締役岡山工場長。1971年中部飼料取締役販売部長。1974年中部飼料代表取締役副社長。1979年中部飼料代表取締役社長。平成24年秋の勲章で旭日双光章受章。2015年中部飼料代表取締役会長。2017年中部飼料代表取締役会長兼社長。同年久光正郎の辞任を受けて日本飼料工業会代表理事・会長に就任。需要の拡大を受け、新工場建設などを行った。
鈴村 靖爾(すずむら やすじ、1937年5月20日- )は、… 鈴村 靖爾(すずむら やすじ、1937年5月20日- )は、日本の英仏翻訳家。 愛知県出身。1964年名古屋大学文学部哲学科美学卒業。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
荒木 勇(あらき いさむ、1937年(昭和12年)5月20日… 荒木 勇(あらき いさむ、1937年(昭和12年)5月20日 - )は、日本の政治家。弁護士。元千葉県習志野市長。旭日中綬章受章。 佐賀県出身。明治大学法学部卒業。 東京弁護士会常任議員を経て、1991年(平成3年)習志野市長に当選。2011年(平成23年)まで務めた。 2014年 春の叙勲で旭日中綬章を受章
藤関 勝宏(ふじせき かつひろ、1937年5月20日 - )… 藤関 勝宏(ふじせき かつひろ、1937年5月20日 - )は、日本の経営者。西友社長、会長を務めた。 東京都出身。1960年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に西武百貨店に入社。1977年3月に西友ストアーに転じ、1981年5月に取締役に就任し、1989年5月に常務、1990年5月に専務を経て、1992年5月に社長に就任。1997年10月に会長に就任し、1998年5月には取締役相談役に就任。 1991年11月に藍綬褒章を受章。
伊集 加代(いしゅう かよ、1937年5月20日 - )は、… 伊集 加代(いしゅう かよ、1937年5月20日 - )は、日本の歌手、セッションシンガー。旧芸名、伊集 加代子(いしゅう かよこ)。東京都出身。 東邦音楽短期大学声楽科でクラシックを学び、卒業後ジャズボーカリスト水島早苗に師事。フォー・シンガーズ、シンガーズ・スリーなどグループコーラスの活動と並行して、スタジオコーラス・CMソングなど数千作品に参加。「スキャットの女王」と呼び親しまれ、1960年代後半から1980年代にかけて活躍した代表的な女声スタジオコーラスシンガーの一人。 参加作品は多数・多岐に亙り、クレジットなしで参加していることも多い。以下にその代表的なものを以下に挙げる。なお、シンガーズ・スリー名義の活動も一部含む。
米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2… 米塚 義定(よねづか よしさだ、1937年5月19日 - 2014年10月18日)は日本及びアメリカの柔道家。柔道の段位は講道館9段で、空手道でも8段を所有している。アメリカでは“ヨネ”として知られた。 青森県北津軽郡武田村(のちの中泊町)出身。小さい頃は相撲や陸上競技に取り組んでいた。武田中学校を卒業後、五所川原高校に入学してから柔道を始め、受け身の練習を始めてから2年後の高校3年次には青森県代表として国体出場を果たした。日本大学に進学すると、4年間の学生生活で引き分けはあっても負け試合は1度もなく、副主将を務めて全日本学生柔道優勝大会などで活躍した。 1960年に大学を卒業後、ニューヨーク州柔道協会に招聘されてアメリカで柔道指導にあたる事になった。
松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19… 松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19日 - 2022年(令和4年)2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は従三位。元衆議院議員(通算3期)、元参議院議員(2期)。 岐阜県岐阜市出身。第3次小泉改造内閣において、2005年(平成17年)10月31日から2006年(平成18年)9月26日まで、内閣府特命担当大臣(食品安全、科学技術政策)、情報通信技術 (IT)担当大臣を務めた。 岐阜県立加納高等学校を経て、1960年(昭和35年)に東京大学法学部(法律学)を卒業後、通商産業省に入省。同期に、堺屋太一、熊野英昭(元通産事務次官)、高橋達直、吉田文毅(特許庁長官)、若林茂(大臣官房審議官、旧ヤハギ社長)など。
岡部 弘(おかべ ひろむ、1937年5月19日 - )は、株… 岡部 弘(おかべ ひろむ、1937年5月19日 - )は、株式会社デンソー元代表取締役社長。 愛知県刈谷市出身。1960年名古屋大学経済学部卒業。同年、日本電装(現デンソー)入社。総合企画室長等を経て代表取締役社長(1996年-2003年)、代表取締役会長(2004年-2007年)等を歴任。2005年より第13代愛知県経営者協会会長。
伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、… 伊東 章夫(いとう あきお、1937年5月19日 - )は、石川県金沢市出身の漫画家、挿絵画家。伊東 あきお名義で貸本漫画を手がけた。 1975年、科学まんがシリーズ『先祖をたずねて億万年』(原作:井尻正二、新日本出版社)で日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -201… 田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -2011年9月11日 )は、日本の生物学者。 埼玉県出身、埼玉県立春日部高校卒。1959年北里衛生科学専門学院卒業、1965年ペンシルベニア大学教養学部微生物学科卒業。北里大学衛生学部微生物学教室助手を経て、1977年に同大学衛生学部教授となった。アメリカ合衆国のウイスター研究所、フランスのパスツール研究所、ドイツのロベルト・コッホ研究所などへ留学し、1979年同大学院教授を併任。2003年より同名誉教授、微生物管理機構理事長となった。H2J株式会社取締役、特定非営利活動法人燃料電池・水素エネルギーネットワークの顧問などを勤める。 シロアリから分離させた水素生成菌やパンダの糞から分離した廃棄物処理菌など、地球環境へ配慮した微生物の有効利用研究の第一人者として知られ、2009年10月1日、同研究でイグノーベル賞・生物学賞を受賞した。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は… 加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は、日本の哲学者、倫理学者。京都大学名誉教授。公立鳥取環境大学名誉学長(初代学長)。人間総合科学大学特任教授。元東京大学特任教授。 ヘーゲル研究者であるが、シェリングなどドイツ観念論全般についての著述もある。1979年哲学奨励山崎賞受賞。 1980年代にバイオエシックス(生命倫理学)を日本に導入した。また近年は環境倫理についても積極的に発言を行っている。 環境倫理学と生命倫理学の分野をリード。脳死、原発など現代を鋭敏に捉える。著書に『ヘーゲルの「法」哲学』(1993年)、『新・環境倫理学のすすめ』(2005年)など。 東大在学中は共産主義者同盟(ブント)に加盟。
西岡 清吉(にしおか せいきち、1937年5月18日 - )… 西岡 清吉(にしおか せいきち、1937年5月18日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
安部 譲二(あべ じょうじ、1937年5月17日 - 201… 安部 譲二(あべ じょうじ、1937年5月17日 - 2019年9月2日)は、日本の小説家、タレント。 元暴力団員であり、自らの服役経験を基にした自伝的小説『塀の中の懲りない面々』などの著作がある。元日本航空のスチュワードとしても勤務した。また漫画原作者としても、第51回小学館漫画賞を受賞した柿崎正澄の漫画『RAINBOW-二舎六房の七人-』などの作品がある。血液型O型。 本名は安部 直也(あべ なおや)。元妻は実業家、エッセイストの遠藤瓔子で、ゲームソフトの原作・監督などを手がける遠藤正二朗は遠藤との子にあたる。 下記、ヤクザ時代の過去については「大体、10%だけがホントで、あとは膨らました脚色ですよ」、「作家は政治屋や役人と一緒で、ホントのことなんか言うわけがねぇんだよ」とも発言している。
滝沢 信一(たきざわ しんいち、1937年(昭和12年)5月… 滝沢 信一(たきざわ しんいち、1937年(昭和12年)5月16日 - )は、日本の政治家。元新潟県十日町市長(1期)。 新潟県中魚沼郡十日町(現・十日町市)出身。早稲田大学卒。十日町市議会議員、十日町商工会議所副会頭、滝沢印刷会長などを経て、2001年、十日町市長に当選した。2005年に合併による十日町市が発足、合併直後の市長選挙に立候補したが、元川西町長の田口直人に破れて落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
康 芳夫(こう よしお、1937年5月15日 - )は、東京… 康 芳夫(こう よしお、1937年5月15日 - )は、東京都出身のプロデューサー。自称「虚業家」。また、「伝説のプロデューサー」という異名でも知られる。 東京大学卒業。
伊達 貞宗(だて さだむね、1937年(昭和12年)5月15… 伊達 貞宗(だて さだむね、1937年(昭和12年)5月15日 - 1981年(昭和56年)11月9日)は伊達宗家33代当主。32代当主・伊達興宗の子。妻は小野寺利子。子に泰宗、真美(伊達氏の歴史を綴ったエッセイ『伊達家の風景』等の著者)。 学習院大学卒業。父の死後、家督を相続。仙台市博物館の名誉館長を務めた。 朝宗 - 宗村 - 義広 - 政依 - 宗綱 - 基宗 - 行宗 宗遠 - 政宗 - 氏宗 - 持宗 - 成宗 - 尚宗 - 稙宗 - 晴宗 - 輝宗 政宗 - 忠宗 - 綱宗 - 綱村 - 吉村 - 宗村 - 重村 - 斉村 - 周宗 - 斉宗 - 斉義 - 斉邦 - 慶邦 - 宗基 邦宗 - 興宗 - 貞宗 - 泰宗 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 行彦(いけだ ゆきひこ、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2004年〈平成16年〉1月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位、勲章は旭日大綬章。旧姓は粟根。 衆議院議員(10期)、内閣官房副長官(政務担当)、総務庁長官(第7代)、防衛庁長官(第50代)、外務大臣(第119、120代)、自由民主党政務調査会長(第42代)、自由民主党総務会長(第40代)等を歴任した。 妻・紀子の父は内閣総理大臣を務めた池田勇人。妻の姪・慶子の夫は衆議院議員の寺田稔。 兵庫県神戸市生まれ。父・粟根信行は行彦の7歳時に死去し、その後、父の郷里である広島市中島本町(現在の平和記念公園内)へ移る。1945年8月6日の原爆投下時は母の妹宅近くの豊田郡(現三原市)本郷町(現在の広島空港周辺)に疎開していたので、被爆を免れた。