池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2023年〈令和5年〉1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 進学校・福岡高校では当初遊撃手であったが、1年次の1953年秋から投手に転向。2年次の1954年には夏の甲子園県予選で準決勝に進み、小倉高の畑隆幸と投げ合うが0-1で惜敗。その後も県予選で敗れ、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は西鉄の誘いを断り、1956年に兄が講師をしていた明治大学へ進学。1年次の同年秋季リーグから投手陣の主軸となり、東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、2年次の1957年秋季に7勝を記録。長嶋茂雄らのいた立大には及ばぬも2位躍進に貢献したが、冬休みのランニング中に肉離れを起こす。
坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月1… 坂野 潤治(ばんの じゅんじ、1937年(昭和12年)5月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代日本政治史。東京大学名誉教授。
多氣田 力(たけだ つとむ、1937年5月13日 - 201… 多氣田 力(たけだ つとむ、1937年5月13日 - 2017年9月7日)は、日本の実業家。アサツーディ・ケイ(ADK)代表取締役社長、コナミスポーツ&ライフ代表取締役会長。三重県出身。 1961年3月に早稲田大学第一文学部卒業と同時に旭通信社に入社。取締役、第一営業本部長、常務取締役を経て1996年3月に代表取締役社長に就任。1999年1月に第一企画と合併。2001年9月に代表取締役相談役に退き2002年4月に代表取締役を退任し青山学院大学大学院経営学研究科履修生となる。2003年3月に北海道日本ハムファイターズに移籍し相談役となる。同年6月にコナミ取締役、2004年6月にコナミスポーツ&ライフの代表取締役会長となる。
村橋 俊一(むらはし しゅんいち、1937年5月12日 - … 村橋 俊一(むらはし しゅんいち、1937年5月12日 - )は、日本の化学者。専門は、有機合成化学・有機金属化学。大阪大学名誉教授。日本化学会会長、日本学術会議会員、同連携会員などを歴任。曽祖父・村橋次郎、祖父・村橋素吉、父・村橋俊介ともに化学者。 大阪府吹田市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 茂嗣(すずき しげつぐ、1937年5月12日 - )は… 鈴木 茂嗣(すずき しげつぐ、1937年5月12日 - )は、日本の法学者。刑事訴訟法。京都大学名誉教授。日本学士院会員。法学博士。東京都出身。指導教官は平場安治。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011… 伊丹 潤(いたみ じゅん、1937年5月12日 - 2011年6月26日)は、韓国の建築家、画家。在日韓国人2世で本名は庾東龍 (ユ・ドンヨン、유동용)。本貫は茂松庾氏。 伊丹潤の名は、生まれて初めて韓国行きの飛行機に乗った伊丹空港の「伊丹」と、親しく交流していた朝鮮出身の作詞・作曲家・歌手であった吉屋潤(よしやじゅん、またはキル・オギュン(길옥윤))の「潤」とを合わせて作ったものである。姓の漢字「庾(ユ)」が、常用漢字として認められていなかったためもあるという(人名用漢字の項も参照)。 東京都出身。1964年、武蔵工業大学工学部建築学科卒業。1968年に伊丹潤建築研究所設立。2007年から2008年まで、日本民藝館運営委員。
大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月… 大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月11日 - )は、日本の裁判官。元内閣法制局長官。弁護士(八重洲法律事務所)。兵庫県出身。
保谷 高範(ほうや こうはん、1937年〈昭和12年〉5月1… 保谷 高範(ほうや こうはん、1937年〈昭和12年〉5月11日 - 2006年〈平成18年〉8月27日)は日本の政治家。西東京市長(1期)、旧保谷市長(2期)。位階は従五位。勲等は旭日小綬章。 法政大学経済学部卒業後、市長就任前に保谷中町四郵便局長に就任し、特定郵便局長業務推進連絡会保谷部会長を務めた。その後、政界へ進出。 1993年(平成5年)、保谷市長選挙に自由民主党、公明党、民社党、日本新党の推薦を受けて立候補し、5選を目指した都丸哲也を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:74,320人 最終投票率:48.50%(前回比:-pts) 1997年(平成9年)、保谷市長選挙に自民党、公明党の推薦を受けて立候補し、日本共産党推薦の都丸を破って再選を果たした。
宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月1… 宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月10日 - 2023年12月7日)は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主力メンバー。 和歌山県和歌山市出身。和歌山市立明和中学校時代に近畿大会で優勝。和歌山商業高校在学中にスカウトされて、実業団の日紡貝塚(当時)に入部。 入部当初は不器用なタイプで、アタックは強烈だがレシーブやトスがこなせず、「試合に出られなくても球拾いで頑張る」と自分に言い聞かせて、2年間控えにまわる。その姿を見続けてきた大松博文監督(当時)は「必ずモノになる」と確信したと述懐している。
髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年5月9日 - 2023… 髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年5月9日 - 2023年2月7日)は、日本の弁護士。弁護士法人髙井・岡芹法律事務所の創業者、元代表社員。経営法曹会議幹事。社団法人日中協会理事。愛知県名古屋市出身。東京大学法学部卒業。専門分野は企業からの人事・労務問題、会社役員関係等々、使用者側に立つ労働法・労働問題。 この他、財団法人カシオ科学振興財団監事、財団法人労働科学研究所評議員、財団法人日本盲導犬協会理事長等々を歴任。
栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日… 栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日 - 2025年〈令和7年〉9月9日)は、日本の俳優。男性。身長175cm(1967年1月)。劇団くるみ座出身。 北海道札幌市出身。札幌市立向陵中学校、京都府立洛北高校卒業。 1965年にテレビドラマで演じた土方歳三が当たり役となり、以降も多くのドラマや映画、舞台で土方を演じた。 幼少のころに父を亡くし、札幌市立向陵中学校を卒業するころには母も亡くしたため、教師をしていた兄夫婦を頼って1953年に京都市へ移り住む。 高校へは編入というかたちで入学し、定時制へ1年間通ったのち、全日制へ移った(定時制当時は、法然院などへ来ていた映画撮影隊のロケーションを昼間の空いた時間を使ってよく観に行っていた)。
木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 199… 木島 安史(きじま やすふみ、1937年5月9日 - 1992年4月27日)は、日本の建築家。木島安史+YAS都市研究所 計画・環境建築で、多くの建築作品を残した人物。また、大学教授として人材育成にもあたった。朝鮮黄海道海州市生まれ。 1962年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。1962年からトロハ研究所。1966年 早稲田大学大学大学院修了。丹下健三都市建築設計研究所入所。1967年、エチオピアハイレシェラシェI世大学講師。1970年、相田武文とYAS都市研究所 計画・環境建築を設立。1971年、熊本大学に招かれる。1980年 熊本大学工学部教授。1991年 千葉大学工学部教授。熊本では両角光男、東京では橋本文隆と組んで活動した。
杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本… 杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家、アニメ監督。造形表現研究所所長及びタクプロダクション代表(株式会社デック)。京都アニメーション共同創業者の八田陽子(旧姓: 杉山)は実妹。2019年現在は静岡県浜松市北区に在住。妻も東映動画の元アニメーター(入社は杉山より3年後)である。 東京府(後の東京都)出身。太平洋戦争末期は山形県に疎開していた。東京都立豊多摩高等学校卒業。高校時代は山岳部に所属していた。宮崎駿夫人となる大田朱美とは中学高校で同窓だったという。 1956年5月、浪人生として東京芸術大学油絵科を目指していた時に、新聞に載った東映動画の募集広告を見た姉の勧めで採用申込に応じ、東映動画(現・東映アニメーション)に1期生として入社する。
梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5… 梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。 新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。 2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は… 松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
梶谷 素久(かじたに もとひさ、1937年(昭和12年)5月… 梶谷 素久(かじたに もとひさ、1937年(昭和12年)5月8日 - )は、日本の社会学者。 岐阜県生まれ。1961年東京外国語大学英語科卒。1964年京都大学大学院文学研究科社会学修士課程修了、64年暁烏賞受賞。名城大学法学部助教授、教授、2008年定年。 1972-1974年オックスフォード大学客員研究員、1990年カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授。国際社会学会 (ISA) 終身会員。
砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8… 砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8日 - 2020年(令和2年)8月12日)は、日本の実業家・テレビディレクター。 東京放送 (TBS) の社長・会長、横浜ベイスターズの球団オーナー、東京エレクトロンの取締役を務めた。 香川県出身。慶應義塾大学文学部卒業。 1961年(昭和36年)、TBSに入社。1967年(昭和42年)に制作部に配属され、『半七捕物帳』『時間ですよ』などのサブプロデューサーを務めた。1977年(昭和52年)にはテレビ編成部専任部長、1984年(昭和59年)にはニューヨーク支局長にそれぞれ異動となり、ニューヨーク支局長時代にはマスターズゴルフの中継権交渉などを担当した。
長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本… 長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本の社会評論家、身体運動学者。元の妻は東大名誉教授の長崎暢子。 東京生まれ。東京大学理学部卒、同大学院修士課程を経て、東京大学物性研究所、東北大学医学部リハビリテーション医学研究施設、東京都老人総合研究所勤務。1986年東北大学医学博士。1999年から東北文化学園大学医療福祉学部教授。2009年退職。 学生時代は1960年安保運動に参加し第一次共産主義者同盟で活動した。全共闘運動には助手共闘の一員として参加する。その後も左翼活動家として著述活動を続けた。 成田空港問題において、成田開港翌年の1979年に三里塚芝山連合空港反対同盟の幹部が政府と締結した覚書(その後情報漏洩により協定は流産となった)の文案は、長崎が書いたものだといわれる。
児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975… 児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975年5月22日)は、日本のジャーナリスト。田中角栄の金脈問題追及で知られる。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦の1か月前、8歳のときに画家だった父を栄養失調で亡くす。以来、母が物売りや雑役婦をして家計を支えた。兵庫県立芦屋高等学校を卒業する年の2月、55歳で定年退職した母に、仕送りは要らないから、4年間、東京で勉強させてくれと頼み、早稲田大学第二政経学部に入学。働きながら大学に通う。21歳のときに岩波書店の月刊総合誌『世界』の懸賞原稿に入選する。 卒業する1年前から光文社の女性週刊誌『女性自身』の編集部でアルバイトをはじめ、卒業後に光文社に入社。
中村 孝雄(なかむら たかお、1937年5月7日 - )は日… 中村 孝雄(なかむら たかお、1937年5月7日 - )は日本の俳優。本名同じ。 東京府(現・東京都)出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。俳優小劇場、田村企画、中里事務所に所属していた。 俳優座養成所第11期生。 主に時代劇や刑事ドラマに出演し、多数の悪役を演じている。 近年は、千葉県浦安市で演劇サークルの演劇指導を行っている。元芸優(芸能企画部)専属講師。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
広田 勇(廣田 勇、ひろた いさむ、1937年5月7日 - … 広田 勇(廣田 勇、ひろた いさむ、1937年5月7日 - )は、日本の気象学者、京都大学名誉教授。 北海道北見市生まれ、1961年東京大学理学部物理学科卒、1966年同大学院地球物理学専攻博士課程満期退学、1968年「成層圏における大規模大気擾乱に関する研究」で理学博士。東大助手、1972年気象庁気象研究所主任研究官、1974年京都大学理学部助教授となり、1983年教授。2001年定年退官、名誉教授となる。1998年-2006年日本気象学会理事長を務めた。2008年日本気象学会藤原賞受賞。
能勢 弘之(のせ ひろゆき、1937年5月7日 - 2000… 能勢 弘之(のせ ひろゆき、1937年5月7日 - 2000年8月1日)は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。法学博士。元北海道大学法学部教授。大学院入学の時点では小山昇に師事して民事訴訟法を専攻するも、のちに専攻を転じて田宮裕のもとで刑事訴訟法を研究した。 陽気な人柄で、酒豪、愛煙家であった。アメリカ・ベイラー医科大学教授で医学博士(北海道大学)の能勢之彦は長兄。自治省官僚出身の岩見沢市市長だった能勢邦之は次兄。北海道大学文類から法学部への進学次の成績は全文系学生中の全優首席で、法学部在学中は「カミソリ能勢」の異名を取る秀才であった。大学院進学時には、同期の熊本信夫、中村睦男とともに「花の昭和36年組」と呼ばれた。
阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集… 阿部 達二(あべ たつじ、1937年5月7日)は、日本の編集者・著作家。本名は達児。 青森県青森市生まれ。1961年、早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、文藝春秋に入社し、編集者として勤務。『文學界』編集長、文春文庫編集長、出版局長、編集局長を歴任した。 1999年、文藝春秋を退職。以後、「阿部達二」名義で著述家として活動。江戸川柳や古典芸能に関する造詣が深く、古典文芸に関する作品を多く執筆している。 編集者時代の主な担当作家に藤沢周平がいる。藤沢とはデビュー以来30年以上の交友を持った。後年藤沢やその作品に関する講演を行い、また著作を発表している。
濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6… 濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6日 - )は、日本の実業家。株式会社赤福前代表取締役会長(10代目当主、2代社長)、株式会社濵田総業社長。元皇學館大学常任理事、伊勢商工会議所会頭、アイティービー会長(代表権はない)。男性。三重県伊勢市出身。父は濵田裕康、母は佳代子。妻は現赤福社長(4代)の濵田勝子、 最初の名前は益種で、1962年から1963年の間に改名したとされる(『伊勢年鑑』)。 赤福9代目当主、裕康の長男として生まれた。生後9か月にして出征していた父親を戦争で失い当主となるが、実際は8代当主の未亡人である濵田ますが切り盛りし、赤福が1954年に企業化した際、ますが企業としての赤福初代社長に就任している。
小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12… 小沢 遼子(小澤遼子、おざわ りょうこ、1937年〈昭和12年〉5月4日 - )は、日本の政治家、評論家。 地方議員時代には浦和市議会議員を3期、埼玉県議会議員を1期務めた。 東京都出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校、療養生活を経た後に法政大学社会学部心理学科卒。学生時代は学生運動に明け暮れていた。後の平凡パンチのインタビュー[要文献特定詳細情報]で法政大学に入学した理由を「病み上がりだったので入学しやすく、卒業しやすいところを選んだ。」と語っている。卒業後、広告代理店、出版社勤務を経て、1967年、当時継続していたベトナム戦争に異議を唱えるため、ベトナムに平和を! 埼玉市民連合結成、自ら代表としてベトナム反戦運動を展開。
富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 201… 富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 2014年7月18日[要出典])は、京都府京都市中京区西ノ京小堀町出身のプロ野球選手である。ポジションは投手。 立命館高校では1955年に、チームの主戦投手として、二塁手の辰市祐英らとともに夏の甲子園に出場。立命館高はこの大会で、中京商や桐生高などと共に優勝候補のひとつと目されていた。準々決勝では津久見高の田中喜八郎と投げ合い完封勝利。準決勝に進むが坂出商の岡崎秀智投手(中大-電電関東)に抑えられ、1-2で惜敗した。8月には辰市らとともに全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準々決勝で新宮高の前岡勤也に投げ勝ち2-0で完封、準決勝に進むが四日市高の高橋正勝に抑えられ敗退。
上野 茂(うえの しげる、1937年〈昭和12年〉5月3日 … 上野 茂(うえの しげる、1937年〈昭和12年〉5月3日 - )は、日本の裁判官。大阪地方裁判所長、高松高等裁判所長官などを歴任した。 1960年(昭和35年)に金沢大学法文学部を卒業後、第14期司法修習生。1962年(昭和37年)4月10日に静岡地方裁判所・静岡家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、… 宮本 信生(みやもと のぶお、1937年5月3日 - )は、日本の外交官・外交評論家。 京都府京都市生まれ、愛媛県出身。1962年慶應義塾大学法学部卒、1990年「中ソ対立生成・発展の基本要因についての研究: 米中ソの「核」と中ソの大国民族主義・意識の結合」で法学博士。1962外務省入省、駐キューバ特命全権大使、駐チェコ特命全権大使を歴任後、外交評論家として執筆、講演活動に入る。2000年、フルート奏者・歌手・女優の神崎愛と結婚。
北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年… 北白川 道久(きたしらかわ みちひさ、1937年〈昭和12年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉10月20日)は、日本の旧皇族。北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子。北白川宮第5代当主。皇籍離脱前の身位は王で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、北白川宮道久王(きたしらかわのみや みちひさおう)であった。男系では崇光天皇の19世子孫、女系では明治天皇の曾孫にあたる。 1937年(昭和12年)5月2日午前9時53分、北白川宮永久王と同妃祥子の第1王子として、東京市芝区高輪の北白川宮邸で誕生。1940年(昭和15年)9月4日、父宮・永久王が事故により薨去。わずか3歳で北白川宮家を継承。未成年のため終戦時の宮家の当主の中で唯一の非軍人だった。
柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は… 柳谷 郁子(やなぎたに いくこ、1937年5月2日 - )は、日本の小説家、随筆家。文学同人誌『播火』主宰・編集長。〈播磨の黒田武士顕彰会〉理事。日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪二葉高等学校を経て、1961年早稲田大学教育学部英語英文学科を卒業する。1987年、第1回神戸新聞文芸賞小説部門優秀賞を受賞する。1997年、『月柱』で第14回大阪女性文芸賞を、『藤村の海』で第3回小諸・藤村文学賞を受賞する。2009年、黒田官兵衛を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す運動の一環で、絵本『官兵衛さんの大きな夢』を執筆する。同作品は、「官兵衛の生き方を通して、子どもたちに夢や希望を抱いてほしい」という思いから、わかりやすい言葉を選んで文章を書いたという。
正岡 道一(まさおか みちかず、1937年(昭和12年)5月… 正岡 道一(まさおか みちかず、1937年(昭和12年)5月2日 - )は、日本の実業家である。セシール創業者として知られた。 愛媛県久万高原町に生まれる。近江高等学校卒業後、自衛隊に入隊するが後に除隊する。その後タイヤ販売会社に入社し勤務した。1970年(昭和45年)に香川県高松市にてアジア物産を創業し、低価格の下着を中心としたカタログ通信販売の開発に携わった。 その後は多くの職に向けたカタログの製作及び開発に携わり、一般家庭向けのカタログの作成にも携わった。後に「セシール」に商号変更し、代表取締役社長に就任する。また、出身の久万高原の名誉町民やこけしの寄贈にも携わった。しかし1992年(平成4年)に商標権の侵害疑惑によりハヤシニットに控訴し、大阪高等裁判所にて開廷したものの後に棄却となった。
阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日… 阿部 正寿(あべ まさとし、1937年〈昭和12年〉5月2日 - )は、日本の政治活動家、著述家。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の反共活動を1960年代から支えた。「12双」の一人でもある。 世界戦略総合研究所会長。教団の広報委員長、国際勝共連合事務総長などを歴任した。 福岡県京都郡犀川町(現・みやこ町)に生まれる。1960年3月、九州大学文学部社会学専攻卒業。 1967年11月頃、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の日本会長の久保木修己は、東京都渋谷区の統一教会本部に沢浦秀夫、野村健二、阿部らを招き、「勝共啓蒙団」を結成した。「勝共啓蒙団」は李相憲が書いた『新しい共産主義批判』の原稿を韓国から入手し、野村と阿部が中心となって日本語に訳し、出版した。
二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 20… 二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 2009年1月16日)は、日本のミステリ評論家、少年小説研究家。本名、倉持功。別名、千葉健児、金田一郎、根岸洋。 茨城県生まれ。早稲田大学卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。学生時代から『宝石』誌上に「高木彬光論」などの推理小説論を発表。1961年、ミステリ誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編コンテストにて「古事記殺人事件」が最終選考に残る。1962年、権田萬治や島崎博らと『みすてりい』を創刊。 集英社で少女漫画の編集に携わる傍ら、70年代後半には『幻影城』の月評執筆者および幻影城新人賞の予選委員としても活動した。ミステリ評論のみならず、少年小説研究家でもあり、1978年に評論集『少年小説の系譜』で日本児童文学学会奨励賞を受賞。
山田 敬三(やまだ けいぞう、1937年4月30日 - )は… 山田 敬三(やまだ けいぞう、1937年4月30日 - )は、日本の中国文学研究者、神戸大学名誉教授。 大阪外国語大学、京都大学大学院修了。九州大学教養部助教授、神戸大学文学部教授、福岡大学文学部教授を経て、神戸大学名誉教授。日本現代中国学会理事を長く務め、現在は同顧問。専門は魯迅だが、華人文学、台湾文学など幅広い分野で業績がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 20… 秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 2012年2月14日)は、日本の彫刻家。 広島県広島市に生まれる。武蔵野美術大学で学び、その後、パリへ移住。 1966年から1968年まで、パリ国立高等美術学校で学び、ジャン・アルプを通じてアレクサンダー・アルチペンコからコンスタンティン・ブランクーシまでの現代彫刻を学んだ。また、秋山は共同作業を重視する彫刻シンポジウムの運動にも参加。1967年には、オーストリアのサンクト・マルガレーテン・イン・ブルゲンラントで開催された「ヨーロッパ彫刻家シンポジウム」に参加した。 秋山は、ドイツではニュルンベルク、サンクト・ヴェンデル、オッゲルスハウゼン、イタリアではローマ、カナダではバンクーバー、オーストリアではウィーン、バッド・クロイツナハ、そして日本で開催された石彫刻家のシンポジウムに参加した。
出光 芳秀(いでみつ よしひで、1937年4月26日 - )… 出光 芳秀(いでみつ よしひで、1937年4月26日 - )は、日本の実業家。新出光代表取締役会長・社長。 妻は推理作家の夏樹静子、長男は俳優の出光秀一郎。 出光佐三は伯父。出光計助は叔父。出光昭介、出光裕治、出光昭、大和勝は従兄。別所純子は従妹。出光豊は兄。 新出光創業者出光弘の四男として、福岡県福岡市に生まれる。1956年福岡県立修猷館高等学校卒業。1961年早稲田大学商学部卒業。 1962年1月新出光石油(現・新出光)に入社。1985年2月新出光石油取締役福岡支店長、同年6月常務、1987年3月専務、1993年6月新出光代表取締役専務を経て、1997年6月社長に就任。2011年6月会長に就任。
松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 200… 松田 松雄(まつだ まつお、1937年4月26日 - 2001年4月25日)は、日本の洋画家。無所属。第10回昭和会展昭和50年度(1975年)林武賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
斎藤 勝(さいとう まさる、1937年4月25日 - )は、… 斎藤 勝(さいとう まさる、1937年4月25日 - )は、日本のバレーボール指導者、アスレティックトレーナー、元バレーボール全日本男子監督。東海大学名誉教授。 東京都出身。東京都立目黒高等学校、日本体育大学体育学部体育学科を卒業後、教師となる。並行して、数々の中学、高校、大学でバレーボール部の監督として采配を振った。 1970年、第7回世界選手権で、全日本男子チームのトレーナーを務めた(当時は、東海大一高の監督で、日本協会科学技術研究員だった)。 1972年のミュンヘン五輪でも、同じく全日本男子チームのトレーナーを務め、松平康隆監督とともに、倒立歩行など、独自のトレーニング方法を考案した。 1984年、ロス五輪後に、全日本男子チームの監督に就任(当時は、東海大学体育学部教授で、同大学のバレーボール部監督)。
歌田 実(歌田 實、うただ みのる、1937年(昭和12年)… 歌田 実(歌田 實、うただ みのる、1937年(昭和12年)4月25日 - )は、日本の地質学者。 山梨県北巨摩郡小淵沢町(現・北杜市)出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学理学部卒業。1971年、東京大学から論文「本邦新第三紀凝灰岩類中の沸石帯」により理学博士を授与された。 1985年同大学理学部助教授。1986年東京大学総合研究資料館(現・東京大学総合研究博物館)助教授。1993年同資料館教授。1996年東京大学総合研究博物館教授[出典無効]。退官後、同大学名誉教授。
梅村 清弘(うめむら きよひろ、1937年4月25日 - 2… 梅村 清弘(うめむら きよひろ、1937年4月25日 - 2020年11月26日)は、日本の体育社会学者、学校法人梅村学園名誉総長。 名古屋市生まれ。父は中京大学学長・梅村淸明。中京大学商学部卒業、慶応義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了、1964年日本大学大学院文学研究科博士課程満期退学。中京商業高校(現・中京大学附属中京高等学校)校長、理事長代理、中京大学体育学部教授、同学部長。1980年中京大学学長、1988年理事長、1990年総長を兼務。2010年名誉総長。2009年、旭日重光章受章。2020年11月26日死去。叙正四位。
石川 フミヤス(いしかわ フミヤス、1937年4月24日 -… 石川 フミヤス(いしかわ フミヤス、1937年4月24日 - 2014年11月24日)は、日本の漫画家。京都府京都市南区唐橋門脇町出身。本名は石川文康。血液型はB型。 子供の頃から手塚治虫の漫画に慣れ親しむ。高校卒業後、病弱だったため就職を断念、家でも出来る仕事として漫画家を目指す。 1956年12月、日の丸文庫より『復讐の鬼』でデビュー。その後は『影』(日の丸文庫)、『街』(セントラル出版)などの貸本漫画誌に執筆。1959年、さいとう・たかを、桜井昌一、辰巳ヨシヒロらとともに漫画家グループ「劇画工房」に参加する。1960年、「劇画工房」解散後「さいとう・プロダクション」設立と共にスタッフとなる。
玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )… 玉懸 博之(たまかけ ひろゆき、1937年4月23日 - )は、日本思想史学者。文学博士(東北大学・論文博士・2000年)(学位論文「日本中世思想史研究」)。東北大学名誉教授。 岩手県二戸郡金田一村(現・二戸市)生まれ。1963年東北大学文学部日本思想史専攻卒業。68年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北大学文学部助手、73年講師、77年助教授、1986年教授(日本思想史)。2000年、「日本中世思想史研究」で、東北大学より文学博士の学位を取得。2001年定年退官、名誉教授、いわき明星大学教授、図書館長。2004年退職。日本思想史学会会長を務めた。
福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 20… 福田 弘平(ふくだ こうへい、1937年4月23日 - 2013年1月19日)は、日本の政治家。和紙職人。烏山町長を1期務めた。 1937年(昭和12年)、栃木県那須郡烏山町(現那須烏山市)の和紙職人の家に生まれる。大学を中退して全国の和紙産地で3年間修業した後、家業を継ぐ。1965年(昭和40年)、福長押絵を創設。1982年(昭和57年)、合名会社福田製紙所の代表社員に就任。和紙業者の廃業が続出する中、色付き和紙を用いた押絵を開発するなど和紙の再興に力を注いだ。 2002年(平成14年)4月14日、烏山町長選挙で当選。2005年(平成17年)10月1日、烏山町が那須郡南那須町と新設合併して那須烏山市が発足したことに伴い町長を失職した。
渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、… 渡辺 格(わたなべ ただし、1937年4月22日 - )は、日本の文筆家、動物評論家。 東京に、フランス文学者・渡辺一夫の長男として生まれる。東京都立小石川高等学校卒、東京大学教養学部教養学科フランス科卒。 大学卒業後、日本航空に入社、パリ、ブリュッセルに9年間滞在。1994年退社し、ヨーロッパ流の犬の飼い方に関心をもち著作、翻訳を行う。趣味の釣りに関する著作もある。
高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 20… 高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 2006年1月23日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 浦和高校時代はサッカーをしていたこともあった。捕手として1954年秋季関東大会県予選決勝に進むが、浦和商に惜敗。高校卒業後は日本大学へ進学し、東都大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。宮田征典とバッテリーを組み、1959年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算31試合出場、73打数20安打、打率.274、0本塁打、6打点、ベストナイン1回受賞。大学同期に会田豊彦・黒木基康(大洋)・笹木士朗(日本鋼管)らがいた。大学卒業後は富士製鐵釜石に入社し、1961年に常磐炭砿の補強選手として都市対抗に出場。
須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高… 須藤 豊(すどう ゆたか、1937年4月21日 - )は、高知県安芸郡安芸町出身の元プロ野球選手(内野手)・監督。現在は野球解説者。
武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日… 武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日 - )は、日本の政治家。埼玉県・旧上福岡市の最後の市長である。 埼玉県浦和市生まれ、6人兄弟の次男。父は浦和市議会議員、浦和市収入役を務めた。 元大蔵・財務事務次官、元日本銀行副総裁で、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長及び理事の武藤敏郎は弟。 1955年3月、浦和市立高等学校卒業。父病気のため高校卒業後は東京都内で3年間の修業を積んだ後、地元で浴場を開業した。1966年、上福岡に支店を出したことを契機に転居。PTA活動などをきっかけに市議会議員へ。 1979年4月、統一地方選挙上福岡市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。
花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は… 花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県立銚子商業高等学校から1956年に大映スターズへ入団。1957年まで在籍したが制球に難があり1勝もできなかった。
平井 宜雄(ひらい よしお、1937年4月19日 - 201… 平井 宜雄(ひらい よしお、1937年4月19日 - 2013年11月26日)は、日本の法学者。専門は民法及び法政策学。東京大学名誉教授。前専修大学法科大学院院長。法制審議会委員。財団法人不動産適正取引推進機構会長。東京出身。
庄司 薫(しょうじ かおる、1937年4月19日 - )は日… 庄司 薫(しょうじ かおる、1937年4月19日 - )は日本の小説家。本名は福田章二(ふくだ しょうじ)。