高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025… 高桑 昭(たかくわ あきら、1937年4月1日 - 2025年8月3日)は、日本の法学者・法務官僚・弁護士。学位は、法学博士(京都大学)。立教大学法学部教授・京都大学大学院法学研究科教授・帝京大学教授などを歴任。 東京市渋谷区生まれ。1955年東京都立小石川高等学校卒業、1959年司法試験合格、1960年東京大学法学部卒業。 1962年東京地方裁判所判事補、その後法務省民事局参事官(外務省条約局併任)、1968年コロンビア大学修士課程修了。1976年辞職。1988年立教大学法学部教授、1993年京都大学大学院法学研究科教授、2000年定年、帝京大学教授、2003年成蹊大学大学院法務研究科教授、2013年退職。
瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐… 瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐ 2013年〈平成25年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は正三位。旧姓は戸島。 衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第45・62・63代)、建設大臣(第65代)、内閣官房副長官(政務担当・鈴木善幸内閣)、自由民主党国会対策委員長(第38代)を歴任した。 石川県七尾市出身。石川県立七尾高等学校、中央大学法学部卒業。 益谷秀次の秘書を経て地盤を後継。いわゆる防衛族議員とされる。岳父は元カワラ金属社長の瓦辰二。 1988年、潜水艦なだしお事件の責任をとって防衛庁長官を引責辞任する。辞任の翌日から日本中の三十数遺族すべてを線香を持って訪ね歩いた。
井上 英明(いのうえ えいめい、1937年4月1日 - )は… 井上 英明(いのうえ えいめい、1937年4月1日 - )は、比較文学者、明星大学名誉教授。 福岡県生まれ。福岡県立修猷館高等学校を経て、早稲田大学文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程満期退学。明星大学日本文化学部教授、学部長を経て2007年定年退職。『源氏物語』の海外での受容が主たる研究主題。
箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )… 箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。東北銀行頭取を務めた。 岩手県出身。1959年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に東北銀行に入行した。1990年6月に取締役に就任し、1993年4月に常務、1998年6月に専務を経て、2000年6月には頭取に就任。2004年6月から2007年6月までに会長を務めた。 2007年4月に旭日小綬章を受章。
神崎 克郎(かんざき かつろう、1937年(昭和12年)4月… 神崎 克郎(かんざき かつろう、1937年(昭和12年)4月1日 - 2006年(平成18年)2月15日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は法学博士(神戸大学・論文博士・1969年)。神戸大学名誉教授。叙正四位・受勲瑞宝中綬章。兵庫県出身。弟子に伊勢田道仁など。 商品取引所審議会委員、商品取引所審議会会長、公認会計士審査会委員、証券取引所審議会委員、証券取引審議会不公正取引特別部会委員、大学設置審議会専門委員、司法試験第二次試験考査委員、信託法学会理事、日本私法学会理事、日米法学会日本支部理事、日米法学会日本支部評議員、金融法学会理事、日本海法学会理事、村田奨学財団選考委員、信託協会信託研究奨励金選考委員、村田製作所社外取締役、証券保管振替機構社外取締役を歴任。
光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年… 光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年不明)は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督、アニメーターである。土田プロダクションに所属していた。福岡県大牟田市出身。 妻はスタジオ雲雀会長である光延幸子、息子はスタジオ雲雀社長の光延青児。 子供の頃から好きな漫画のイラストを模写することが好きで、中学入学後に漫画雑誌への投稿を始める。本人は一度、雑誌『漫画少年』に自分の作品が載ったことがあると話している。 多摩美術大学を卒業後、1959年(昭和34年)に東映動画に入社。当時は特にCMに興味を持っていなかったが、「これからは宣伝の時代。宣伝界にしがみついていれば何とか食っていけそう」と自分なりに考えて望んで、退社してフリーになる1966年(昭和41年)までCM課に配属されて勤務。
佐野 光司(さの こうじ、1937年4月1日 - )は、日本… 佐野 光司(さの こうじ、1937年4月1日 - )は、日本の音楽学者、現代音楽研究の第一人者。スクリャービン研究で名高い音楽学者。桐朋学園大学名誉教授。 東京藝術大学音楽学部楽理科卒業後、同大学大学院音楽研究科音楽学専攻修了、同大助手に就任。母校で講師を務めつつ、桐朋学園大学音楽学部教授を務める。 京都賞など数ある権威ある賞の選考委員を務めている。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。… 三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。本名:伊藤三平。三重県一志郡一志町(現・津市)出身、高砂部屋所属。 小父は呼び上げの名人・多賀之丞。長兄も呼出であった(光之助)。 1950年9月初土俵。裁縫が得意で、呼出の袴の修繕を一手に引き受けていたという。 最終場所の初日の結びの一番で、柝の音を間違ったタイミングで鳴らしてしまうというハプニングがあった。
米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2… 米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - 2018年11月16日)は、日本の実業家。位階は正三位。 学位は経済学修士(デューク大学・1965年)。住友化学株式会社相談役、一般社団法人日本経済団体連合会名誉会長、経済産業省産業構造審議会会長、住友化学工業株式会社(現住友化学株式会社)代表取締役社長・会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、石油化学工業協会会長、社団法人日本化学工業協会会長、一般社団法人日本経済団体連合会会長(第3代)などを歴任した。 1937年3月31日、兵庫県神戸市長田区に生まれる。甲南高等学校を経て、1956年4月に東京大学法学部入学、1960年3月、東京大学法学部卒業後、住友化学工業(現住友化学)に入社する。
大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長… 大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 佐世保北高校から1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年に球団が吸収合併したため1957年は大映ユニオンズ所属となり同年引退。カーブ、シュートを武器とした。 弟の清は、のち西鉄に入団している。
藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )… 藤林 英雄(ふじばやし ひでお、1937年3月31日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター、テレビプロデューサー。東京府(のちの東京都)出身。学習院大学政経学部卒業。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社。1963年11月1日、アナウンサーの報道局への大量異動が行われ、同ニュース部に配属。1965年12月よりニュース取材部へ配属。1967年11月15日より、アナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部勤務兼アナウンサー研修室付となった。アナウンサーとしては、主にニュースを担当。 1970年7月にテレビ本部報道局ラジオニュース部配属となる。以降、1972年11月よりテレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1974年3月より報道局編集部兼解説室委員、1986年7月より政経部に在籍し、その間報道記者・ニュースキャスター(1975年より)を務めた。
加藤 尚彦(かとう なおひこ、1937年3月31日 - )は… 加藤 尚彦(かとう なおひこ、1937年3月31日 - )は、日本の政治家。 元衆議院議員(1期)。横浜市会議員(5期)。自由民主党横浜市連幹事長、新党さきがけ神奈川県代表代行などを務めた。 現在、政治団体市民の党日本代表。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2… 相川 鐵崖(あいかわ てつがい、1937年3月30日 - 2023年10月19日)は、書家、書学者、美術史家、芸術家。東京学芸大学名誉教授。本名は相川 政行(あいかわ まさゆき)。 相川岩吉・志なの七人兄弟の三男として、神奈川県久良岐郡六浦荘村で生まれる[要出典]。横浜市出身。1955年、横浜市立金沢高等学校卒業、1959年、東京学芸大学中等教育特別教科教員養成課程書道科卒業、1960年、同大学専攻科(芸術・書道専攻)修了。 1961年、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校教諭、1977年、東京学芸大学教育学部助手。その後、専任講師、助教授を経て、1987年教授、2000年名誉教授。この間、法政大学通信教育部非常勤講師、日本大学文理学部非常勤講師、東京大学東洋文化研究所内地研究員など、また山東大学客員教授、西安交通大学客員教授などを務める。
万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月2… 万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月29日 - 不明)は、日本の女優。関東州大連出身。神奈川県横浜市育ち。 柔道教師の父を持ち幼い頃日本へ引揚の形で帰国。横浜の関東学院高等学校在学中に家庭よみうりのカヴァーガールになったのがきっかけで新東宝にスカウトされる。高校卒業後の1956年に、新東宝の四期スターレットとして入社。同期に北沢典子、三ツ矢歌子、原知佐子、朝倉彩子らがおり、小柄ながらも美人グラマー女優として人気を博した。1958年には『スター毒殺事件』で初主演。 1961年8月に新東宝が倒産したため、9月に大映へ移籍。翌年には市川雷蔵主演の『婦系図』でお蔦役を演じ知名度を得る。
村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日… 村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日本の実業家。兵庫県芦屋市出身。米カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)経営学部大学院修士課程修了。米国IBM入社(1962年)N.Y.ミッドタウンオフィス勤務。1960年春、UCLAの入学手続きに行った際、受付の隣にはIBM社が寄付したウェスターンデータセンターがあり、中にはIBM7090が稼働していた。そのそばには江崎ダイオードが飾られていた。世界初の半導体コンピュータを目の当たりにして、深い感動を覚え、コンピュータ業界に骨をうずめる決心をした。当時、コンピュータの実物を目の当たりにした数少ない日本人であったろう。卒業後、米国IBMに入社し、30年間日米はじめ、カナダ、中南米、オーストラリア、アジアなどを担当した。
森 重昭(もり しげあき、英語: Shigeaki Mori… 森 重昭(もり しげあき、英語: Shigeaki Mori、1937年〈昭和12年〉3月29日 - 2026年〈令和8年〉3月14日)は、日本の歴史研究家である。日本本土空襲などで命を落とした連合国の捕虜に関する研究で知られる。 広島県広島市(現・広島市西区)に生まれる。中国憲兵隊司令部近くの済美学校幼稚園に入学する。国民学校(基町の広島陸軍偕行社付属済美国民学校)3年時に集団疎開に行かず広島市己斐の己斐国民学校(現・広島市立己斐小学校)に転校、1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下の瞬間、爆心地から西へ約2.5キロメートル地点の、自宅付近の旭山神社の前の橋の上を歩いていたときに被曝する。
伊藤 新造(いとう しんぞう、1937年(昭和12年)3月2… 伊藤 新造(いとう しんぞう、1937年(昭和12年)3月29日 - )は、日本の実業家。富士銀行常務取締役を経て、芙蓉総合リース、富士総合研究所社長等を務めた。 お笑い芸人のいとうあさこは長女。 東京府(現:東京都)出身。長男として生まれ、父は高岳製作所取締役の伊藤啓介、母は山岡勘一の長女伊藤みち。 麻布高校、東京大学法学部卒業後、1959年(昭和34年)4月に富士銀行(現:みずほ銀行)採用。当時の富士銀行では将来の幹部候補を10人程度に絞って育成していたが、伊藤はその一人だったという。支店長として本郷、九段支店など各地で勤務、1987年(昭和62年)6月には取締役に選任され人事部長、89年5月には本店営業第一部長、90年5月に常務取締役に昇格。
丸尾 常喜(まるお つねき、1937年3月29日 - 200… 丸尾 常喜(まるお つねき、1937年3月29日 - 2008年5月7日)は、日本の中国近現代文学者。東京大学東洋文化研究所名誉教授。 1939年、熊本県生まれ。東京大学文学部中国文学科で学び、1962年に卒業。大阪市立大学大学院修士課程に進み、1964年に中退。その後は熊本県立人吉高等学校教諭として教鞭を執った。 1968年、北海道大学文学部助手となり、1973年に助教授昇格。1990年より東京大学東洋文化研究所教授。1992年、学位論文『魯迅と伝統に関する基礎的考察』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1997年定年退官、名誉教授。2005-2008年日本中国学会理事長。2008年胃がんのため札幌市の病院で死去。
実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - … 実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - 2006年11月29日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家、小説家。元東京藝術大学演奏芸術センター教授。妻は女優の原知佐子。 現在までのところ、デビュー作(長編映画第1作)『無常』でFIAPF(国際映画製作者連盟)公認の国際映画祭(ロカルノ国際映画祭)の最高賞を獲得した、唯一の日本人監督である。海外では非常に多く見られる、映画監督から継続的なオペラ演出を手掛けた人物としても日本で唯一であった。[要検証 – ノート] 1937年(昭和12年)3月29日、東京府東京市四谷区(現・東京都新宿区四谷)に生まれ、中国青島で育つ。曽祖父は臼杵藩士であった。
八木 甫(やぎ はじめ、1937年3月29日 - 1996年… 八木 甫(やぎ はじめ、1937年3月29日 - 1996年6月18日)は日本の経済学者、翻訳家、経済ジャーナリスト。 専攻は現代経済分析。経済への政治な介入について、日米英の国際比較を行った。 東京都出身。1960年早稲田大学政治経済学部卒。東洋経済新報社に勤務する傍ら翻訳業を始め、1970年には日本総合研究所主任研究員兼『季刊現代経済』編集室長に就任。1985年には松阪大学経済学部助教授に採用され、1991年に教授に昇進。1996年に癌で死去した。最後の訳書は吉野俊彦との共訳で死後に出版された。
村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本… 村井 仁(むらい じん、1937年3月28日 – )は、日本の通産官僚、政治家。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は… 中野 忠良(なかの ただよし、1937年3月27日 - )は、日本のジャーナリスト、文筆家。 大分県東国東郡国東町生まれ。筆名・宮梵児。1959年國學院大學政経学部卒。雑誌記者を経て、1965年からフリー。 おいしい水の会事務局長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)のプロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。 1955年から1956年までの登録名は和田 博美。 鹿児島で生まれたが、父親の転勤で幼少時に臼杵へ転居。小学校5年から捕手となり、臼杵高校でも野球部に入部するが、父が「息子を医者にさせたい」と考えており一旦退部。後に「血を見るのは苦手だった」という事情で野球部に復帰。捕手として2年次の1953年に秋季九州大会へ進むが、1回戦で長崎商に延長15回サヨナラ負け。3年次の1954年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き東九州大会に進出するが、1回戦で黒木基康のいた高鍋高に完封を喫し、甲子園には届かなかった。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。
江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 20… 江原 達怡(えはら たつよし、1937年3月26日 - 2021年5月1日)は、日本の俳優、実業家。血液型はA型。東京府出身。慶應義塾大学卒。 劇団の地方巡業に参加していたのを経て、1948年に『鐘の鳴る丘』に子役で出演。その後東宝へ入社し、久保明らと共に若手青春スターとして活躍。 1961年にスタートした『若大将シリーズ』では、若大将の友人・江口役でレギュラー出演。加山雄三らと共に若々しい演技に加え、清潔感ある都会派の好青年役で人気を集めた。 その他、黒澤明監督の『椿三十郎』、『赤ひげ』などの名作に出演。岡本喜八監督作品の常連として、『独立愚連隊』、『江分利満氏の優雅な生活』などにも助演し、印象を残した。
小林 弘忠(こばやし ひろただ、1937年3月26日 - 2… 小林 弘忠(こばやし ひろただ、1937年3月26日 - 2017年7月)は、日本のノンフィクション作家。 東京生まれ。1960年早稲田大学教育学部卒業、毎日新聞東京本社に入社。社会部、地方版編集長、情報調査部長、メディア編成本部長などを歴任する。 1992年退社後、2002年まで立教大学、武蔵野女子大学などで講師のかたわら、ノンフィクションを中心とした執筆活動を続ける。 2006年『逃亡―「油山事件」戦犯告白録』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
千波 丈太郎(せんば じょうたろう、1937年3月25日 … 千波 丈太郎(せんば じょうたろう、1937年3月25日 - )は、日本の俳優。本名:小野 貞夫。 大阪府出身。清風高等学校、拓殖大学 政経学部経済学科卒業。日活、大映を経て、田中プロモーションに所属していた。 大学を卒業した後、オーディションを経て1959年に第7期ニューフェースとして新東宝に入社し、1960年に映画『大虐殺』でデビュー。同年、日活に移籍して“鹿島貞夫”名義で数本の映画に出演した後、1962年に大映と専属契約を結ぶ。悪役俳優として頭角を現し、粗暴なヤクザからニヒルな殺し屋までの数々を演じたことから、大映作品に欠かせない顔となる。 大映倒産後の1970年代からはテレビに活路を見出し、東映を中心に各社のアクションドラマにも多数出演。
柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は… 柴田 秀勝(しばた ひでかつ、1937年3月25日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、演出家。
樽本 樹邨(たるもと じゅそん、1937年3月25日 - 2… 樽本 樹邨(たるもと じゅそん、1937年3月25日 - 2025年12月23日)は、日本の書家。本名は樽本英信(たるもと ひでのぶ)。中京大学名誉教授。日展名誉会員、読売書法会顧問。日本藝術院賞受賞者。 名古屋市に生まれる。中京商業高校在学中は野球部に所属し、所属中の1954年に同部は全国高等学校野球選手権大会で優勝を果たしたが、部員のレベルが高く、樽本自身はボールさえ持たせてもらえなかった立場であり、のちに書道部へ移った。書道部では中林子鶴の指導を受け、張猛龍碑の書写を重ねたことが、その後の書業の基礎になったと回想している。 中京大学商学部を1960年に卒業した。その後、中京商業高校教諭、中京大学文学部講師、助教授、教授を務め、のちに中京大学名誉教授となった。
馬場 伸也(ばんば のぶや、1937年3月25日 - 198… 馬場 伸也(ばんば のぶや、1937年3月25日 - 1989年10月6日)は、日本の政治学者、大阪大学法学部教授。専門は、国際政治学、カナダ研究、平和学、国際社会学。 京都府京都市生まれ。同志社大学法学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校から博士号(歴史学)取得。カナダ・マギル大学準教授、津田塾大学教授を経て、1982年から大阪大学で教鞭を執る。日本平和学会会長(1987年-1989年)、日本カナダ学会初代会長を務める。1989年、心不全のため死去。 日本の国際関係論に、国家というアクターを中心に考えない視座や文化というものの見方を導入した先駆者の一人として、今日でも評価されている。
三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東… 三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東京都港区出身の脚本家。実践女子学園高等学校卒。 主婦ライターとして知られる。主婦業の傍らに独学でシナリオを学び、NHK懸賞テレビドラマ『芽吹く頃』で佳作入選を果たす。その後、シナリオ作家協会研修科修了後に石森史郎に師事。1970年に『いたずら天使チッポちゃん』 でデビューを飾る。代表作に『ケンちゃんシリーズ』、『あばれはっちゃく』、『樫の木モック』、『キャプテン翼』、『ナッキーはつむじ風』、『さわやか3組』など。現在は日本シナリオ作家協会の会員で、同協会のシナリオの通信講座の講師を務めている。 平成以降はアニメ脚本の仕事が減ったため、地方の舞台脚本の公募に投稿を重ね、北海道ローカルのテレビドラマや児童劇などを手がけた。
寺村 信行(てらむら のぶゆき、1937年3月24日 - )… 寺村 信行(てらむら のぶゆき、1937年3月24日 - )は、日本の官僚。元国税庁長官。血液型はB型。 満洲生まれ、育ちは愛知県。蒲郡市立形原小学校、形原中学校中途で港区立青山中学校に転校。都立日比谷高校を経て東京大学法学部三類(政治学)を卒業後の1961年、大蔵省入省。最初の配属は、銀行局金融制度調査官付(のちの同局調査課)。1967年7月、名古屋北税務署長。 主に官房と主計局に長く在籍し、銀行局経験は入省時の2年2ヶ月余りと、総務課長補佐(総括)時代(1976年7月 - 1977年6月)のみ。その後、主計官(法規課)、同(農林水産担当)などを経て、山口光秀次官 - 西垣昭官房長時代、続いて吉野良彦次官 - 小粥正巳官房長時代の1985年 - 1987年の2年間、官房秘書課長。
荒木 俊夫(あらき としお、1937年3月23日 - 199… 荒木 俊夫(あらき としお、1937年3月23日 - 1993年7月28日)は、日本の政治学者。元・北海道大学教授。北海道利尻郡利尻町生まれ。生家は、利尻島有数の網元。 主に、国民の投票行動に関して研究。また亥年現象には批判的である。
黒田 夏子(くろだ なつこ、本名:非公開、1937年3月23… 黒田 夏子(くろだ なつこ、本名:非公開、1937年3月23日 - )は、日本の小説家。東京・赤坂出身。父はサンスクリット学者の辻直四郎。 4歳の時に母親が結核で死去し、自身も自宅療養する中、5歳の時に物語を書き始める。 小学校から高校まではカトリック系の湘南白百合学園に通った。高校の文芸部雑誌に「タミエ」の出る作品を初めて掲載する。その号に「遠い日の断章」という四行九連の詩を掲載した。早稲田大学教育学部国語国文学科に進学し、在学中に同人誌『砂城』を主宰した。 同時期、早大国文科の先輩に寺山修司と山田太一がおり、元NHKアナウンサーでエッセイストの下重暁子は同級生で同人誌仲間であった。大学卒業後は横須賀の緑ヶ丘女子高校に国語教師として2年間勤めた後、事務員、フリーの校正者、その他様々なアルバイトとして働く。
森 陶岳(もり とうがく、1937年3月23日 - )は、岡… 森 陶岳(もり とうがく、1937年3月23日 - )は、岡山県出身の陶芸家。本名は才蔵。両親は、岡山県備前市伊部の備前焼窯元の森秀次とけい。備前焼窯元六姓の流れをくむ。岡山県指定重要無形文化財保持者。 岡山大学教育学部特設美術科卒後、中学の美術教師を3年で退職して陶芸の道に入る。 各種の窯を築いて焼成を重ねた末、小さな窯では「古備前の魅力」の謎解きは出来ないとして、古備前が焼成された中世の大窯焼成計画を立てた。兵庫県相生市内の山中に半地下直炎式登り窯(全長46メートル)を築き、1980年1月8日から53日間窯を焚いて、ひもづくりの大甕(おおがめ)など備前陶器多数を焼成。その直後に岡山県邑久郡牛窓町寒風(現・瀬戸内市牛窓町寒風)に移り、ここに全長53メートルの「寒風大窯」(さぶかぜおおがま)を築き、1986、1990、1994、1999、2005、2011年の計6回、作品を焼いた。
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる… 村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる)、旧姓:村川、1937年(昭和12年)3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校、福島大学経済学部卒業。実父は教員・国文学研究者で『俳人一具全集』などの編集を手掛けた村川幹太郎。長兄は指揮者の村川千秋。姪はヴァイオリニストの村川千尋。 村山郡館林藩領内の里正の血筋であり、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。福島大学卒業後の1959年、日活に入社し上野日活劇場の営業部で辣腕を振るうも方向性の不一致から同年に退社し、翌年に演出部へ復職し助監督となる。社内では舛田利雄、中平康、西河克己、森永健次郎、社外では貞永方久、森谷司郎らの助監督を務め、特に日米合同スタッフによる戦争大作『トラ・トラ・トラ!』では、日本側演出部総チーフ(ノンクレジット)として現場を取り仕切った。
広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、… 広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、日本のテレビディレクター。長野県出身。 日本大学芸術学部映画学科卒。東映東京撮影所で助監督を経て、東映テレビ・プロダクションに所属。後にフリーとなる。
平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 196… 平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 1968年8月21日)は、元競輪選手。宮城県刈田郡蔵王町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第13期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。選手登録番号6789。 競輪学校91期生であった元競輪選手の平間一洋の大叔父にあたる。 宮城県立大河原高等学校を卒業後、アマチュア選手としてアジア大会などのスクラッチ(現在のスプリント)種目に出場し数々の優秀な成績を治める。この頃は早稲田大学商学部の聴講生であったが、大学の自転車部が平間を一般学生として登録し出場させていたため、部全体が長期の活動停止処分を受けてしまい、アマとしての活動が難しくなったため、プロである競輪への転向を決断している。
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月… 雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。 父・愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、幼少期のいづみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接して育った。1946年(昭和21年)、いづみが9歳の時、当時通信社に勤務していた父・愛三が自殺。
浅野 楢英(あさの ならひで、1937年3月20日 - 20… 浅野 楢英(あさの ならひで、1937年3月20日 - 2016年)は、日本の論理学者。東北大学名誉教授。専門は、論理学、弁証法、レトリックの研究。 大阪府出身。1960年神戸大学経済学部卒、1964年京都大学大学院文学研究科(修士課程)哲学専攻修了、文学修士。1967年同大学院文学研究科(博士課程)哲学専攻単位取得満期退学。 京都大学文学部助手、森村医学教育研究所助教授、兵庫医科大学助教授を経て、1974年東北大学教養部助教授、1986年同教授、1993年同大学院情報科学研究科教授。2000年定年退官、名誉教授、宝塚造形芸術大学教授。
渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 20… 渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 2023年10月13日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正四位。 西鉄労組書記長から私鉄九州地連委員長を務めた後、参議院議員(4期)、社会民主党幹事長(第3代)、社会民主党副党首、社会民主党選挙対策委員長などを歴任。
桑山 浩然(くわやま こうねん、1937年3月19日 - 2… 桑山 浩然(くわやま こうねん、1937年3月19日 - 2006年10月15日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。室町幕府における公方御倉の存在を明らかにし、幕府財政の中での土倉役や酒屋役の重要性を主張したことで、幕府財政にメスを入れる先駆的な研究を果たした。 満州(中国東北部)に生まれ、新潟で育つ。1959年に新潟大学人文学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科へ進む。 1964年から東京大学史料編纂所に勤務し、1979年に助教授、1984年に教授となった。 1997年に退職して、同大名誉教授。滋賀大学教育学部教授を経て、2001年からは国士舘大学文学部教授を務めた。この間、お茶の水女子大学等においても非常勤講師を担当した。
鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和1… 鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和12年〉3月19日 - )は、日本のコピーライター、ゴルフマナー研究家。 1937年、秋田市に生まれる。小学校は静岡県藤枝市、中学校高校は東京都で過ごす。早稲田大学文学部仏文科へ。在学中に同人誌「早稲田作家」を主宰した。卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科へ進み、1961年コピーライターとして日本デザインセンターに入社。。1963年、東京コピーライターズクラブTCCの第1回新人賞受賞、入会。その後、1964年にアド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを経て、フリーランスに。1969年、株式会社タイム設立。。TCC年艦事業部長、コピー年艦審査委員、日本広告制作会社連盟(OAC)常務理事、広告学校全25期専任講師、日本広報協会技術アドバイザーなどを歴任。
片岡 健治(かたおか けんじ、1937年3月18日 - )は… 片岡 健治(かたおか けんじ、1937年3月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。 大田原高校を経て、社会人野球のいすゞ自動車で活躍し、1959年に社会人・大学生混成の第3回アジア野球選手権大会全日本代表に選出された。同社を経て1960年に中日ドラゴンズへ入団。 1年目から新人王を期待されたが、キャンプで風邪をひき、さらに無理がたたり肩を痛める。その後、4月17日の国鉄スワローズ戦で1試合投げたが、7月に投げられない申し訳なさから任意引退を申し出た。その後再び中日と再契約したものの、翌1961年に引退。
阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003… 阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003年12月1日)は、日本の宗教学者。元國學院大學学長。比較文化、宗教論専攻。大学論に関する業績もある。 大阪府出身。都立日比谷高校を経て、1959年に東京外国語大学卒業、東京大学文学部に学士入学、1961年同卒業。東京大学大学院人文社会系研究科宗教学専攻修士課程を修了後、1964年からフルブライト奨学生としてクレアモント大学大学院に留学し、博士課程を修了(Doctor of Philosophy)。1968年からウィスコンシン大学オークレア校助教授。日本学術振興会・文化庁・文部省放送教育開発センター教授・放送大学教授・愛知学院大学教授を経て、1994年から國學院大學文学部教授、1999年より國學院大學学長。
畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 199… 畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 1995年6月1日)は、日本の大蔵官僚。防衛事務次官。血液型はO型。兄は通産審議官などを務めた畠山襄、甥は資源エネルギー庁次長や産業技術環境局長を歴任した畠山陽二郎。 東京都出身(父は東京都、母は鹿児島県)。武蔵高等学校中学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(主計局法規課)。1966年9月 厚生省薬務局企業課企画係長。1967年10月 厚生省環境衛生局環境衛生課。課長補佐時代は主に主計局を中心に勤務。1977年6月 熊本県企画開発部長。主計局主計官(防衛担当)、主計局調査課長などを経て、1985年6月 大臣官房調査企画課長。
杉本 大一郎(すぎもと だいいちろう、1937年3月18日 … 杉本 大一郎(すぎもと だいいちろう、1937年3月18日 - )は、日本の天文学者・宇宙物理学者。専門は恒星進化論。学位は、理学博士(京都大学)。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。2012年瑞宝中綬章受章。 京都府乙訓郡新神足村(現・長岡京市)出身。父は開業医。1955年、京都府立桂高等学校卒業。国語の担当教員は、後に国文学者となる清水好子だった。京都大学工学部電子工学科に進学するも2年次に転部し、1959年に京都大学理学部物理学科を卒業。京都大学大学院理学研究科に進学し、林忠四郎が教授を務める天体核研究室に入り林に師事する。1964年、京都大学大学院理学研究科原子核理学専攻博士課程を修了し、理学博士の学位を取得。
ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:… ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:和田 恵美子、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉11月13日)は、日本の衣裳デザイナー。映画と舞台の双方で世界各地で数多くの作品を手がけ、日本人としてはこの分野で初めて世界的に広く知られる存在となった。 京都府出身。同志社女子中学校・高等学校を経て、1959年に京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)西洋画科を卒業した。大学在学中の20歳の時、NHKのドラマ制作部にいた演出家の和田勉(2011年に死別)と結婚した。1957年、夫が演出する舞台『青い火』の衣裳を手がけたのを機に衣装デザイナーとなる。 以後、日本映画の衣装デザインを数多く手がけ、とくに『乱』(1985年・黒澤明)の衣裳デザインにより日本人女性初となるアカデミー賞(衣裳デザイン賞)を受賞したことで世界的に知られるようになった。
関口 礼子(せきぐち れいこ、1937年3月18日 - )は… 関口 礼子(せきぐち れいこ、1937年3月18日 - )は、日本の教育学者。元図書館情報大学教授。 東京生まれ。1959年お茶の水女子大学文教育学部文学科卒、1972年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。1969年ミュンスター大学(ベストフェリッシェ・ビルヘルムス大学)国家社会学部社会学・教育学博士。1975年聖徳学園岐阜教育大学助教授、1982年図書館情報大学助教授、教授、2002年定年退官、大妻女子大学社会情報学部教授、2009年日本の社会研究所教授研究員。『カナダハイスクール事情』で1998年カナダ首相出版賞受賞。1988年、旧姓(関口)使用を求めて図書館情報大学を提訴、一審で敗訴、1998年控訴審で和解。