佐藤 昌介(さとう しょうすけ、1918年1月24日 - 1… 佐藤 昌介(さとう しょうすけ、1918年1月24日 - 1997年5月16日)は、日本近世史学者、洋学史専攻。 1918年、北海道生まれ。松本高等学校文科甲類を経て、1943年東京帝国大学文学部国史学科を卒業。 戦後、東北大学教養部教授となった。1962年、学位論文『洋学史における主要問題:洋学と封建権力との関係をめぐって』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1981年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。
玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - … 玉野井 芳郎(たまのい よしろう、1918年1月23日 - 1985年10月18日)は、日本の経済学者。経済学博士(東北大学・1960年)。東京大学名誉教授。正四位、勲三等旭日中綬章。 弟に発生学の専門家、千葉大学名誉教授の玉野井逸朗がいる。 経済学者大河内一男の弟子の一人。 専攻は経済理論、経済学史。後期にはエコロジーや反近代主義に関心を移し、カール・ポランニーやイヴァン・イリイチを日本に紹介した。 著作集全4巻がある。 1984年、小出昭一郎、槌田敦、河宮信郎、室田武、藤田祐幸らとエントロピー学会を設立している。エントロピー読本に村上陽一郎、武谷三男、鶴見和子、廣松渉、伏見康治、宇井純、野坂昭如らの著名人が執筆しているのは玉野井芳郎の影響力が貢献している。
竹下 数馬(たけした かずま、1918年1月23日 - 20… 竹下 数馬(たけした かずま、1918年1月23日 - 2003年10月7日)は、日本文学者。 大分県出身。1941年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。東京大学副手、上智大学講師を経て、1950年に立正大学文学部助教授、次いで教授に就任。1988年に定年を迎え、立正大学名誉教授となる。浅野晃に師事し、松尾芭蕉などの研究を行った。
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22… 蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は、日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。専門は財政学。獨協大学名誉教授。 1918年、青森県東津軽郡小湊町(現平内町)で生まれた。旧制巣鴨中学校・浦和高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学経済学部に進学。1941年、繰り上げ卒業。海軍兵科予備学生(1期)として海軍に入隊。連合艦隊司令部附となり、海軍甲事件で負傷した宇垣纏の秘書を務め、『戦藻録』の一部を筆記した。最終階級は海軍大尉。 1945年、巣鴨経済専門学校教授に就いた。1947年、北海道大学法文学部予科専任講師に転じた。1950年、北海道総合開発委員会事務局次長に就任。
安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞ… 安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞう>、1918年<大正7年>1月22日 - 2008年<平成20年>10月18日)は、日本の性風俗研究家、AV男優である。最晩年の別称は安田老人。 1918年(大正7年)1月22日、指物師である父、安田利作、母、キヨノの長男として、東京都荒川区にて出生。生家は職人を何人も雇う、家具製造所であった。木工が好きではなかった安造は、高等小学校卒業後の1930年(昭和5年)、神田の文房具店に奉公に出された。 この頃、得意先の女子店員に誘惑されたり、公衆便所を覗いたりして性に目覚める。 その後、築地の魚河岸で働くが、1年もしないうちに辞め、実家へ戻った。
早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2… 早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2010年12月26日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。第5代千葉商科大学学長。 北海道札幌市生まれ。1935年札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一ゼミ出身。同年末永隆甫とともに企画院嘱託となる。同年東京商科大学経済研究所員。1947年北海道大学法文学部助教授。1957年北海道大学経済学部教授。1960年理論・計量経済学会理事。1961年北海道同大学経済学博士。1965年北海道大学経済学部長。1968年北海道地方労働委員会公益委員、北海道開発委員会委員。1969年北海道地方最低賃金審議会委員。
竹田 四郎(たけだ しろう、1918年1月20日 - 200… 竹田 四郎(たけだ しろう、1918年1月20日 - 2009年1月29日)は、日本の政治家。日本社会党所属の参議院議員。 静岡県生まれ。1942年に東京大学を卒業し、日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)へ入社する。徴兵のため退職するが、終戦後、日本鋼管へ復職する。神奈川県議会議員となる。 1967年、神奈川県知事選挙に日本社会党公認で立候補するが小差で落選。 1968年に第8回参議院議員通常選挙の神奈川県選挙区で当選し、3期18年間、参議院議員を務めた。 2009年1月29日に洞不全症候群のため死去した。
岸田 稚魚(きしだ ちぎょ、1918年(大正7年)1月19日… 岸田 稚魚(きしだ ちぎょ、1918年(大正7年)1月19日 - 1988年(昭和63年)11月24日 )は、俳人。本名は順三郎。 東京都北区生まれ。石田波郷に師事。父・録三郎は龍川の俳号で増田龍雨の門下。家は代々酒屋であった。 1936年、巣鴨商業学校卒業。1939年、のちに書家として活躍する兄・稚候に連れられ「馬酔木」(主宰:水原秋桜子)の新年句会に参加。翌年11月、「馬酔木」に投句を始める。1940年、結核の療養のため、茅ヶ崎の南湖院に入院、「療養知識」の俳句欄(選者:石田波郷)に投句。1943年、波郷の主宰誌「鶴」に参加。1948年、「鶴」休刊、波郷の命により、「寒雷」(主宰:加藤楸邨)に移る。
渡邊 睦裕(わたなべ むつひろ、1918年1月18日 - 2… 渡邊 睦裕(わたなべ むつひろ、1918年1月18日 - 2003年4月1日)は、大日本帝国陸軍の軍人。近衛歩兵第一連隊所属。最終階級は軍曹、ポツダム曹長。 捕虜監視員として東京俘虜収容所本所(大森)、第四分所(新潟県直江津)、第十二分所(長野県満島)に勤務。日本軍によって捕らえられた戦争捕虜を虐待していたことで知られる。捕虜たちから「ザ・バード(the Bird)」とあだ名されていた。敗戦後、戦犯として指名手配されるが、連合国軍による占領終結まで逃げ延び、起訴されることはなかった。 6人兄弟の4番目として、ホテルや鉱山を経営する豊かな家に生まれる。早稲田大学に進学し、フランス文学を専攻。卒業後、徴兵されるまでの1か月間、同盟通信社に勤務していた。
二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、191… 二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、1918年1月18日 - 2010年2月17日)は、歌舞伎役者。屋号は橘屋。定紋は根割り橘、替え紋は渦巻。公家役を得意とした。 1918年(大正7年)1月18日、十二代目片岡仁左衛門の次男として生まれる。 1922年(大正11年)12月天満八千代座『三日月次郎吉』の三太で本名の片岡義直の名で初舞台。 1940年(昭和15年)十五代目市村羽左衛門の養子となる。 1941年(昭和16年)1月歌舞伎座『鞍馬山だんまり』の牛若丸で二代目市村又三郎を襲名し名題昇進。 1946年(昭和21年)3月、父、十二代目片岡仁左衛門が下男に殺される(片岡仁左衛門一家殺害事件)。
露原 千草(つゆはら ちぐさ、1918年〈大正7年〉1月17… 露原 千草(つゆはら ちぐさ、1918年〈大正7年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉3月9日)は、日本の女優。東京府荏原郡大崎町(現東京都品川区大崎)出身。頌栄女子学院高等学校卒業。本名は服部 千草。 2004年3月9日、86歳で死去。
吉野 益(よしの ます、1918年〈大正7年〉1月15日 -… 吉野 益(よしの ます、1918年〈大正7年〉1月15日 - 2015年〈平成27年〉2月1日)は、日本の政治家。群馬県藤岡市長(4期)。旧姓・塚越。 群馬県藤岡市出身。群馬県立藤岡中学校(現在の群馬県立藤岡高等学校)卒業。東京中央郵便局に2年間勤務した後、1939年(昭和14年)宇都宮野砲兵第20連隊に入営し、中国大陸に派遣され帰国。1943年(昭和18年)吉野家に婿入りする。群馬県経済連に入り、多野支所長、経済連資材、肥料、畜産の各課長、畜産部長、参事を歴任する。その後、全国食肉学校理事、同副校長となる。 1978年(昭和53年)藤岡市長選挙に当選。市長就任後は、畜産の振興など産業育成策を進め、また、小中学校の新校舎の建設や都市計画事業、環境衛生施設の整備など長期的な発展力のある街づくりを目指した。
安部 舜一(あべ しゅんいち、1918年1月15日 - 20… 安部 舜一(あべ しゅんいち、1918年1月15日 - 2003年10月26日)は、日本の経営者。熊本日日新聞社社長、会長を務めた。熊本県出身。 1938年に鹿児島高等商業学校経済学科を卒業し、同年に南洋拓殖に入社。1946年7月に熊本日日新聞社に転じ、1968年に取締役に就任し、1971年に常務、1973年に専務を経て、1977年5月に社長に就任。1985年12月に会長に就任。 1988年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2003年10月26日多臓器不全のために死去。85歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
前田 義信(まえだ よしのぶ、1918年(大正7年)1月15… 前田 義信(まえだ よしのぶ、1918年(大正7年)1月15日 - 2004年(平成16年)2月4日)は、日本の交通経済学者。 長崎県南高来郡島原町(現・島原市)に生まれる。1920年11月宇治山田市(現・伊勢市)に移住、1931年3月福岡市に移住し、1935年3月福岡県中学修猷館、1938年3月旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1938年4月京都帝国大学経済学部に入学、1941年3月同大学の学士試験に合格する。 1941年4月辰馬汽船(後に合併により山下新日本汽船、ナビックスラインを経て現・商船三井)に入社するが、1948年3月に退社し、1950年10月京都大学経済学部大学院に入学、1956年3月に退学。
大口 駿一(おおぐち しゅんいち、1918年1月15日 - … 大口 駿一(おおぐち しゅんいち、1918年1月15日 - 1990年2月21日)は、日本の経営者。東京都出身。 1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に農林省に入省。1965年6月に大臣官房長に就任し、1966年7月に食糧庁長官を経て、1968年6月から1969年11月までに農林事務次官を務めた。 その後は、日本水産に転じ、1973年5月に専務に就任し、1980年6月には社長に就任した。1986年6月には会長に就任。 1990年2月21日心不全のために死去。72歳没。
岩月 収二(いわつき しゅうじ、1918年(大正7年)1月1… 岩月 収二(いわつき しゅうじ、1918年(大正7年)1月15日 - 2005年(平成17年)9月7日)は、日本の政治家。元愛知県安城市長(3期)。位階は従五位。 愛知県安城町(現・安城市)出身。安城町立青年学校を経て、1938年(昭和13年)3月に満州国公主嶺陸軍航空隊第七教育隊に入隊。1941年(昭和16年)3月、陸軍航空技術学校卒業。1944年(昭和19年)7月、少尉候補者試験に合格。 1946年(昭和21年)、安城町役場に奉職。1958年(昭和33年)、自治大学校卒業。総務部長時代、東海道新幹線建設に先立って用地買収に奔走した。1969年(昭和44年)5月、助役に就任。 1979年(昭和54年)の安城市長選に向けて、「市長選はしこりが残るような争いをしない方がいい」と考えた杉浦正行県議が中心となり、候補者擁立を目的とする団体「住みよい安城をつくる市民の会」が作られる。
島方 金則(しまかた かねのり、1918年1月14日 - 1… 島方 金則(しまかた かねのり、1918年1月14日 - 1995年8月4日)は、長野県松本市出身のプロ野球選手。
安達 生恒(あだち いくつね、1918年 <大正7年> 1月… 安達 生恒(あだち いくつね、1918年 <大正7年> 1月14日 - 2000年 <平成12年> 10月10日)は、日本の農業経済学者、島根大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 新潟県出身。1941年京都帝国大学農学部卒。愛媛大学助教授、教授、1957年島根大教授。82年定年退官、社会農学研究所を開設、所長。農業の近代化が農村の荒廃を生んだと述べ農村研究を行う。1991年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。2000年死去。死没日付で正四位に叙された。
金 周黙(キム・ジュムク、朝鮮語: 김주묵/金周默、1918… 金 周黙(キム・ジュムク、朝鮮語: 김주묵/金周默、1918年1月14日または1920年 - 1988年11月8日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第4代韓国国会議員。 本貫は旧安東金氏。号は東石(トンソク、동석)。ジャーナリストの金相範は父、学者で元保健福祉部次官の金学黙は兄、演出家・プログラムディレクターの金在衡と金在衍、実業家の金在徽は甥。 日本統治時代の忠清北道陰城郡出身。京城公立高等普通学校、早稲田大学法学部卒。1958年の第4代総選挙では民主党の候補として陰城郡選挙区から出馬し当選したが、4・19事件の直前に自由党に鞍替えし、5・16事件の後にまた野党側に戻った。他には国務総理秘書官、韓国日報政治部長、朝鮮日報政治部長、民主党中央委員、大韓証券協会常勤副会長などを務めた。
樫木 実(かしき みのる、1918年(大正7年)1月14日 … 樫木 実(かしき みのる、1918年(大正7年)1月14日 - 2014年(平成26年)1月6日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道士別市長。位階は従四位。旭日小綬章受章。 北海道上川郡士別町(現士別市)出身。多寄尋常高等小学校高等科卒業。農業に従事する傍ら澱粉工場を経営した。1951年(昭和26年)多寄村議会議員に当選し、1954年(昭和29年)合併により士別市議会議員となる。1966年(昭和41年)市議に返り咲き、以後6期当選。1974年(昭和49年)同副議長、1986年(昭和61年)議長を歴任した。1990年(平成2年)士別市長に当選し、2期務めた。1999年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
内山 正熊(うちやま まさくま、1918年1月13日 - 2… 内山 正熊(うちやま まさくま、1918年1月13日 - 2011年4月30日)は、日本の国際政治学者・外交学者。 東京都出身。本籍新潟県。1935年3月、第一東京市立中学校(のち東京都立九段高等学校)を卒業。1941年12月、慶應義塾大学経済学部を卒業。1942年1月、日本郵船に入社したが、同年12月に退職し慶応大学大学院に入学した。1943年6月、高等試験行政科に合格。 1943年10月、慶應義塾大学法学部助手となり、助教授を経て1953年4月、教授に就任。同年7月、ブリティッシュ・カウンシル留学生としてロンドン大学(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に留学。1960年3月、論文「外交と国際政治」で法学博士(慶應義塾大学)を取得。
宇佐見 英治(うさみ えいじ、1918年1月13日 - 20… 宇佐見 英治(うさみ えいじ、1918年1月13日 - 2002年9月14日)は、日本の詩人・フランス文学者・美術評論家。明治大学名誉教授。 大阪府出身。1941年(昭和16年)東京帝国大学文学部倫理学科卒。48年『同時代』の創刊に矢内原伊作らと参加、同誌の第3次第二号(黒の会、1997年5月)では個人特集も組まれた。そのほか『歴程』にも参加。明治大学商学部教授を務め、88年定年。 1957年(昭和32年)、初の著書となる『ピエールはどこにいる』を刊行。同書に収録された中編小説「死人の書」は宇佐見英治の小説における代表作であり、その後も推敲が加えられ『夢の口』『死人の書』に再録されている。 1982年(昭和57年)『雲と天人』が第20回藤村記念歴程賞を、97年『明るさの神秘』を始めとする評論活動の業績から第7回宮沢賢治賞を受賞。
平井 英子(ひらい ひでこ、1918年1月13日 - 202… 平井 英子(ひらい ひでこ、1918年1月13日 - 2021年2月21日)は、大正末期から昭和初期にかけて童謡のジャンルで活躍した日本の歌手である。出生名は林 秀(はやし ひで)、結婚後の姓名は鈴木 英子(すずき ひでこ)あるいは鈴木 英(すずき ひで)、旧姓は平井。 東京府東京市四谷区(現:東京都新宿区)塩町出身。7歳で幸田露伴の妹幸田延子に師事しピアノを学ぶ。その頃、作曲家の中山晋平の門下生となり、1928年(昭和3年)、ニッポノホン(日本コロムビアの前身)から童謡歌手としてデビューする。日本ビクター(現在のJVCケンウッド)の創立と同時に専属の童謡歌手となる。 野口雨情・中山晋平のコンビによって作曲・作詞された童謡を主に歌っていたが、佐々紅華が作詞・作曲した楽曲も歌い、本人談によると、一番「かわいがって頂いた」のは紅華だという。
一渡 明(いちわたり あきら、1918年1月11日 - 19… 一渡 明(いちわたり あきら、1918年1月11日 - 1974年12月9日)は、現在の千葉県我孫子市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は渡辺 明。164cm、102kg。最高位は東前頭18枚目。 1933年5月初土俵、1937年1月十両昇進。1939年1月新入幕したが、1943年5月に若くして廃業。その後は食堂を経営したが、交通事故が原因で店をたたみ旅館を経営していたが後遺症で死亡した。
相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - … 相武山 信男(そうぶやま のぶお、1918年1月11日 - 没年不明)は、神奈川県津久井郡(現相模原市緑区)出身で出羽海部屋に所属した昭和年間の元大相撲力士。本名は橋本 信男(はしもと のぶお)。最高位は西十両2枚目。得意技は左四つ、寄り。 1937年1月場所に初土俵を踏む。1942年5月場所に十両に昇進。立ち合いに相手の懐に飛び込んで鋭い出足を生かし、左を差して一気に出る颯爽な取り口が持ち味だった。しかし、腰が軽く四つに組まれて出足を止められると、攻め手がなく苦戦した。十両4場所目の1944年1月場所、13勝2敗の好成績を挙げた(十両優勝は上位の九州錦)。翌5月場所は自己最高位となる西十両2枚目まで上がるが、3勝7敗と負け越し、11月場所は全休し、この場所限りで廃業した。
加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 199… 加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の大正、昭和の庶民史、世相・風俗・文化史などの評論家・庶民文化研究家・紙芝居作家。 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった。父親が働かないため関東大震災前に母親と別れ、大商人の妾をしていた伯母(父親の姉)に育てられる。 紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時。高等小学校卒業後、師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働く。
下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 -… 下平 正一(しもだいら しょういち、1918年1月10日 - 1995年8月25日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)。 長野県塩尻市出身。長野県東筑摩農学校(現:長野県塩尻志学館高等学校)中退。国鉄労働組合長野地方本部委員長や塩尻町議などを歴任し、1955年の衆院選に左派社会党から立候補しトップで初当選、続く1958年の衆院選でも、社会党を脱党して立候補・当選した小沢貞孝との革新分裂選挙となったが連続当選。以後小沢が民社党へと移った後も同じ選挙区で相争う様になるが、最終的に10回連続当選した。60年安保闘争では国会内に警官隊を導入した際に負傷する。 1969年8月9日、愛知県内を自動車で走行中に後部から追突される交通事故に遭遇。
石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - … 石橋 周一(いしばし しゅういち、1918年1月10日 - 2007年8月9日)は、日本の経営者。九州電力副社長、福岡放送社長を務めた。東京都出身。 1941年に九州帝国大学工学部機械学科を卒業し、1942年に日本製鉄八幡製鉄所に入社。 1946年4月に日本発送電を経て、1951年5月に九州電力に転じ、1971年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1979年12月に副社長に就任。1987年6月から1991年4月までに福岡放送社長を務めた。 1982年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2007年8月9日肺炎のために死去。89歳没。 妻の喜和子(1925年生)は岩田屋百貨店社長中牟田喜兵衛(2代)の娘。
鈴木田 登満留(すすきだ とまる、1918年1月9日 - 没… 鈴木田 登満留(すすきだ とまる、1918年1月9日 - 没年不明)は、熊本県出身のプロ野球選手。
大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 197… 大橋 正雄(おおはし まさお、1918年1月8日 - 1975年10月4日)は、日本の政治家。2人目の和歌山県公選知事(1967年4月23日 - 1975年10月4日)として3期を務めた。長男は前和歌山市長の故 大橋建一。 和歌山市出身。父の仕事の関係で京畿道京城府(現・ソウル特別市)に生まれた。第五高等学校を卒業。1941年10月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省し千葉県属となる。千葉県警察部勤務を経て、短期現役海軍主計科士官(8期)を志願。1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎え解員(復員)した。
大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 193… 大原 敏夫(おおはら としお、1918年1月7日 - 1939年)は、愛媛県出身のプロ野球選手(捕手)。 愛媛県立越智中学校(現・愛媛県立今治南高等学校)在学時代は内野手だった。その後呉海軍工廠では捕手を務め、1937年に阪急軍に入団。 当時の阪急の捕手には倉本信護(ちなみに、彼とは呉海軍工廠でチームメイトだった)、島本義文がいて出場が難しいかと思われたが、デビュー戦となった1937年4月12日のイーグルス戦で、8番捕手として先発出場。2打数1安打1打点1盗塁と活躍し、2人の正捕手争いに割って入る事ができた。その後、倉本が名古屋軍へ移籍し、島本が持病の肩痛で出場機会が減少したことから、翌1938年に阪急の正捕手になった。
北垣 信行(きたがき のぶゆき、1918年1月7日 - 19… 北垣 信行(きたがき のぶゆき、1918年1月7日 - 1981年10月21日)は、日本のロシア文学者。 茨城県下妻市出身。1944年東京外国語学校ロシヤ語科卒業。北海道大学助教授を経て、東京大学教養学部教授。当初大竹博吉とともにルイセンコ論争に加わったが、のちロシア文学の翻訳・研究に専念し、レールモントフ、ゴーゴリのほか、トルストイ『戦争と平和』、ドストエフスキー『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などを翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月… 三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月30日)は、昭和・平成期の歌人・作家。 愛知県名古屋市にて眼科医の家系に生まれる。旧姓・杉田。杉田久女の夫・杉田宇内は遠縁にあたる。 母が崖からの転落事故の後遺症で半身不随となったため、幼少期は両親それぞれの実家や親戚宅に預けられて育つ。そうした生活から非行少女的な行動をとるようになったが、小学4年のときに担任教師の綴り方指導を受け、新愛知新聞への投稿で50回入賞するなど文才を認められたことで立ち直った。東京女子大学国文科在学中に歌誌「詩歌」に入会し、前田夕暮に師事。卒業後は名古屋市立大学病院の勤務医・三宅寅三と結婚するが、結婚の翌年に夫が太平洋戦争に召集され、その所属部隊はレイテ島で全員玉砕したと伝えられる。
比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002… 比留間 豊(ひるま ゆたか、1918年1月6日 - 2002年1月26日)は、日本の土木工学者。東京帝国大学(現在の東京大学)土木工学科卒。 技術開発、特に道路の機械化施工に取り組み、高速道路事業に大きな功績を残した。コンクリート製防護壁の発明者。土木学会名誉会員。建設省道路局道路公団監理官、株式会社間組常務取締役、東京道路エンジニア株式会社社長などを歴任。日韓トンネル研究会参与。1989年6月、勲三等瑞宝章受章。2002年1月26日、心不全のため死去、享年84。
横瀬 恭平(よこせ きょうへい、1918年 <大正7年> 1… 横瀬 恭平(よこせ きょうへい、1918年 <大正7年> 1月6日 - 2017年 <平成29年> 11月7日)は、日本の経営者。住友ゴム工業4代目社長を務めた。位階は従四位。 兵庫県出身。1941年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、1942年に住友電気工業に入社。1969年5月に取締役に就任し、1972年5月には常務に就任。1974年5月に住友ゴム工業専務に就任し、1977年9月に副社長を経て、1980年3月には社長に就任。1984年3月に副会長に就任し、1985年10月に会長、1991年3月に取締役相談役を経て、1992年3月から相談役を務めた。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1989年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008… 木原 正雄(きはら まさお、1918年1月5日 - 2008年6月24日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門はソ連などの社会主義経済。 1918年、京都府京都市に生まれた。京都市立第一商業学校でロシア語を選択し、立命館大学経済学科に進んだ。同大学を1941年に卒業。1942年、満州国総務庁高等官試補、満洲建国大学高等官試補となった。1943年から1945年にかけて民族研究所に勤務。1945年、京都帝国大学講師となった。 1946年、京都帝国大学助手に昇進。1950年、京都大学経済学部助教授に昇進。1967年、経済学博士の学位を取得。1968年、京都大学教授に昇進。1970~1971年、1973~1974年には、経済学部長を務めた。
古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5… 古茂田 守介(こもだ もりすけ、1918年〈大正7年〉1月5日 - 1960年〈昭和35年〉7月21日)は、昭和期の洋画家。新制作派協会物故会員。愛媛県道後村(現:松山市)出身。 人物画、静物画を得意分野とした。黄土色や暗褐色、くすんだ緑色等を主調として、色彩より形を重視し、均整のとれた構図の人物や静物を描いた。その色彩から、彫刻的な量感や実在感が作品に強く表れ、特別個性のある画風であった。戦後の日本美術で抽象表現主義の流行するなか、自身の信念を貫いて具象絵画を追究し続けた。 愛媛県道後村大字祝谷にて、元町会議員の父・文平の三男として生まれる。兄2人、姉1人、弟2人の6人兄弟。生まれながらにして喘息をかかえており、生涯闘病することとなる。
北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 197… 北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。
北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 197… 北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。 東京生まれ。1934年旧制府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を四修で卒業。1940年早稲田大学国文科卒。出征ののち、1943年東亜交通公社勤務。川端康成に師事し、1940年『埴輪と鏡』で芥川賞候補。戦後、鎌倉文庫に入社、編集をおこなう。1946年『寒菊』『一年』で野間文芸奨励賞受賞。1947年(昭和22年)、ラジオドラマ『向う三軒両隣』の脚本を八住利雄、伊馬春部、北村寿夫とともに交代で執筆。終戦直後の民主的で明るい人間関係を描くホームドラマは人気番組となった。1953年(昭和28年)『白扇』で直木賞候補。
白川 元春(しらかわ もとはる、1918年〈大正7年〉1月2… 白川 元春(しらかわ もとはる、1918年〈大正7年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉8月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官である。第11代航空幕僚長、第8代統合幕僚会議議長。 東京府出身。男爵陸軍大臣・白川義則の三男として生まれる。東京府立六中を経て陸軍予科士官学校に進む。原隊は立川の飛行第5聯隊。陸軍航空士官学校(51期)を卒業し、浜松陸軍飛行学校乙種学生、飛行第45戦隊付、航空士官学校区隊長を経て、飛行第90戦隊中隊長としてマレー、ジャワを転戦。陸大卒業後は、第2飛行師団参謀、終戦は南方軍総司令部参謀としてサイゴンで迎えた。 復員後は公職追放となり、妻の実家のある松江で本屋の番頭をしていた。
永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1… 永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1994年7月10日)は、大日本帝国海軍の軍人(短期現役士官)。日本の政治家。民社党委員長、衆議院議員(通算10期)、社会主義インターナショナル副議長。
西沢 実(西澤 實、にしざわ みのる、1918年(大正7年)… 西沢 実(西澤 實、にしざわ みのる、1918年(大正7年)1月2日 - 2013年(平成25年)7月2日) は、日本の放送作家・劇作家。筆名に苗川正 、芸名に西沢みのる。 日本放送芸術学会、日本放送作家協会、日本演劇協会の各会員。 長野県長野市出身。旧制海城中学卒業。1939年(昭和14年)、東京中央放送局JOAK(現・NHK)が実施した朗読の新人募集に応募する。1941年(昭和16年)には中央大学法学部在学のまま、同年に設立された東京中央放送局専属劇団俳優養成所に参加した。同年大学を繰り上げ卒業し、1942年(昭和17年)に応召して第2師団に入隊、戦車隊長としてトラック島で敗戦を迎える。軍隊での最終階級は陸軍中尉であった。
中村 太郎(なかむら たろう、1918年1月2日 - 201… 中村 太郎(なかむら たろう、1918年1月2日 - 2011年4月22日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)、労働大臣(第50代)。 山梨県東山梨郡勝沼町(現甲州市)出身。1941年、早稲田大学法学部を卒業。第二次世界大戦に陸軍主計大尉として満洲へ出征。 1950年、峡東貨物株式会社社長に就任し、山梨市教育委員会委員長などを歴任。1959年、山梨県議会議員に当選し4期務めた。その間、自由民主党山梨県支部連合政調会長、同議員団会長、県議会議長などを歴任。 1974年7月の第10回参議院議員通常選挙に山梨県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。以後、第12回、第14回参議院議員通常選挙で再選され3期務め、1992年7月の第16回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。
細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 199… 細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 1996年12月26日)は、労働運動家。 新潟県糸魚川市出身。陸軍士官学校卒業。陸軍では後に内閣総理大臣を務める田中角栄の上官だった。共に新潟出身で1918年(大正7年)年生まれという共通点があり堅い友情に結ばれていた。終戦時は関東軍第5軍司令部付陸軍中尉であった。 シベリア抑留を経験した。日本に引き揚げた後に日本国有鉄道(国鉄)に入り、国鉄労働組合(国労)へ加入した。1952(昭和27)年国労本部中央委員に就任。岩井章と共に国労内の日本共産党系勢力を指導した。1957(昭和29)年の新潟闘争で国鉄を解雇された。その後は総評反主流派の中核的な論客となったり、現場協議制度を国鉄で行ったり、国労新綱領の策定を指導したりした。
田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 200… 田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 2001年12月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党所属の衆議院議員。青森県南津軽郡田舎館村出身。姓のうち「沢」の戸籍上の表記は「澤」。 津島文治元青森県知事の娘婿で、1947年、29歳で青森県議会議員に初当選。1960年、「津軽のケネディ」を名乗って衆議院議員選挙に立候補し、初当選。以来12回連続当選(当選同期に宇野宗佑・海部俊樹・亀岡高夫・仮谷忠男・細田吉蔵・小沢辰男・佐々木義武・谷垣専一・久保田円次・伊藤宗一郎・田川誠一・藤井勝志など)。 自民党内では宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に属し、衆議院議院運営委員長、国土庁長官、自民党国会対策委員長、農林水産大臣、防衛庁長官などを歴任。
松谷 健一郎(まつたに けんいちろう、1918年〈大正7年〉… 松谷 健一郎(まつたに けんいちろう、1918年〈大正7年〉1月1日 - 2002年〈平成14年〉10月23日)は、日本の実業家。元中国電力代表取締役社長、元中国経済連合会会長。 広島市生まれ。旧制広島高等師範学校附属中学、旧制広島高等学校を経て、1941年(昭和16年)京都帝国大学工学部を卒業し、海軍を経て、中国配電入社。 1975年(昭和50年)中国電力株式会社取締役総合企画室第一企画室長、1977年(昭和52年)中国電力株式会社常務取締役、1979年(昭和54年)中国電力株式会社取締役副社長、1981年(昭和56年)中国電力株式会社代表取締役社長、1987年(昭和62年)中国経済連合会会長、1989年(平成元年)中国電力株式会社代表取締役会長、1995年(平成7年)中国電力株式会社相談役。
長持 栄吉(ながもち えいきち、1918年1月1日 - 20… 長持 栄吉(ながもち えいきち、1918年1月1日 - 2000年6月16日)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 19… 山口 正之(やまぐち まさゆき、1918年1月1日 - 1999年3月20日)は、日本のマルクス経済学者。 佐賀県佐賀市出身。東京帝国大学経済学部卒。立命館大学産業社会学部教授、1983年定年、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日中友好協会会長を務めた。1999年、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 修平(たなか しゅうへい、1918年1月1日 - 19… 田中 修平(たなか しゅうへい、1918年1月1日 - 1992年4月20日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長を務めた。 三重県出身。1948年に東京商科大学を卒業し、同年に住友銀行に入行。1972年5月に大阪建物常務に就任し、1973年6月には社長に昇格。1981年6月に会長を経て、1986年6月から相談役を務めた。 1992年4月20日急性心筋梗塞のために死去。74歳没。
磯部 健雄(いそべ たけお、1918年 - 没年不明)は、神… 磯部 健雄(いそべ たけお、1918年 - 没年不明)は、神奈川県出身のプロ野球選手。 小田原中学校から國學院大學を経て、1938年秋に名古屋金鯱軍へ入団。1940年に退団。