倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 201… 倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 2011年1月30日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。 法学博士(大阪大学、1974年、学位論文「民事交通訴訟の研究」)。 昭和40年代から50年代前半にかけて、東京地方裁判所に創設された交通事故事件専門部の部総括代理と民事13部部総括を歴任し、いわゆる「倉田コート」を率いた。 法律書に加え、裁判官生活をめぐるエッセーや幅広い分野の読書をもとにしたエッセーの著者としても知られる。ハードSF研究所客員。その博識ぶりについて、ある裁判官は「彼は文学歴史から異常性愛の世界に至るまで、これ知らないというものはない、一番知らないのは法律だが、それでも俺たちよりは知っている」と評した。
縫田 清二(ぬいた せいじ、1922年1月20日 - 199… 縫田 清二(ぬいた せいじ、1922年1月20日 - 1995年5月12日)は、日本の社会思想史家。横浜国立大学名誉教授。 イギリス領インド帝国ボンベイの在ボンベイ総領事館舎で生まれる。日本を経て、1927年にマニラの総領事館舎に移る。1936年暁星小学校卒業。1940年暁星中学校卒業。学徒出陣のため1943年に東京外国語学校フランス語貿易学科を半年間繰り上げ卒業した。 同年海軍第三期兵科予備学生として旅順方面特別根拠地隊予備学生教育部に入隊し、青島市で研修を受けた。1944年特信班に編入され、海軍少尉任官。同年海軍通信学校を卒業し、練馬のあたりにあった軍令部特務班で、英米の情報活動に従事した。
大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月2… 大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月20日 - 2002年(平成14年)9月5日)は、昭和・平成期の日本画家であり、京都市立芸術大学名誉教授である。 京都府京都市生まれ。本名は大野 秀隆。 須田国太郎の指導を受けた1941年(昭和16年)京都市立美術工芸学校日本画科を終えると、京都市立絵画専専門学校日本画科(現・京都市立芸術大学)を1943年(昭和18年)に卒業。 1948年には星野眞吾の推薦を受けパンリアル美術協会に参加し、下村良之介らと翌1949年に「パンリアル宣言」を発表、パンリアル美術協会を公に結成する。同年、第1回展を開催し、1958年(昭和33年)まで同展に出品。
山中 鏆(やまなか かん、1922年1月20日 - 1999… 山中 鏆(やまなか かん、1922年1月20日 - 1999年9月26日)は、山口県下関市出身の日本の実業家。伊勢丹専務から、松屋では副社長・社長・会長を歴任、経営危機に陥っていた同社の再建を果たした後、東武百貨店の社長・会長を歴任した。『ミスター百貨店』『百貨店経営の神様』『松屋中興の祖』とも称された。 1922年1月20日、山口県下関市で7人兄弟の長男として生まれる。名前の鏆は『康熙字典』に記載されている中国の漢字で、大倉土木(現・大成建設)で北洋軍閥向けの貿易を担当していた父親が、「鉄をも貫くような強い意志」との意味を込めて命名した。この仕事のため生後1年で満州の奉天に渡り、南満州鉄道附属地で暮らした。
柳瀬 睦男(やなせ むつお;栁瀨 睦男、1922年1月19日… 柳瀬 睦男(やなせ むつお;栁瀨 睦男、1922年1月19日-2008年12月7日)は、日本の物理学者、科学哲学者、カトリック司祭。 大阪府出身。東京帝国大学理学部卒。1961年「最良の観測装置」で東大理学博士。上智大学理工学部助教授、1964年教授、副学長、同生命科学研究所長、同アジア文化研究所長、81年学長。1995年4月、勲二等瑞宝章を受章。相対性理論や量子力学が現代社会におよぼす哲学的意味を追究した。
照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ、1922年1月18日 -… 照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ、1922年1月18日 - 没年不明)は、高知県南国市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は北村 照光(きたむら てるみつ)。171cm、99kg。最高位は西十両筆頭。得意技は左四つ、寄り。 1936年1月場所に初土俵。入門してしばらくは全く勝ち越すことができかったが、1939年1月場所に入門して初めての勝ち越しを決めると、逆に勝ち越しを続けていき、1941年5月場所に十両昇進。1943年5月場所には西十両筆頭まで躍進するも入幕ならず、1947年11月場所に25歳で廃業した。
大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 20… 大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 2017年11月11日)は、日本のフリーライター。日本エディタースクール講師。 佐賀県生まれ。東京帝国大学文学部を経て九州大学法文学部卒業。 大戦末期に学徒出陣し、西部第47部隊に入営。甲種幹部候補生に合格し、久留米第一予備士官学校に11期生として入学。歩兵砲中隊速射砲区隊を経て福知山の中部軍教育隊での教育機関を終えたのち、12月に大村に戻り初年兵教育を担当する。45年頭に新田原飛行場の警備兼塹壕構築に従事。3月中旬に第156師団に転じ、速射砲中隊を経て5月より歩兵第454連隊(護西第22804部隊)第3大隊副官に転じる。7月に幹部候補生教育隊も兼任した。
吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月1… 吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月17日 - 1978年(昭和53年)1月28日)は日本の海洋物理学者。 1922年に大阪府で出生。旧制大阪府立北野中学校、旧制第一高等学校を経て、1944年に東京帝国大学理学部地球物理学科を卒業後、日本の海洋物理学の有識者に学んだり、カリフォルニアのスクリップス海洋研究所で研究をしたりした。1953年東京大学理学博士、学位論文の題は「海の波浪及び海洋に起る波動の研究 」。 1954年には東京大学理学部助教授、1964年には同大教授に就任した。沿岸湧昇の国際的な権威であり、日本海洋学会でも指導的な立場となった。1968年には第3回日本海洋学会賞を受賞した。
北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 19… 北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 1994年2月25日)は、日本の男性俳優、声優。劇作家、演出家。東京都出身。 日本大学芸術科卒業。 1944年、瑞穂劇団に入団。1947年、新協劇団入団。1958年、東京芸術座入団。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属。1965年の時点では劇団砦に所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日… 平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日 - 2009年(平成21年)12月27日)は、大日本帝国海軍軍人及び航空自衛官である。第13代航空幕僚長。鹿児島県出身。 鹿屋中学を経て海軍兵学校(第69期)卒業。戦時中は当初は艦隊勤務で真珠湾攻撃時は戦艦「霧島」に乗艦して作戦に参加。軽巡洋艦「阿武隈」ではアッツ島の戦いで陸戦隊を指揮している。空母「翔鶴」では高角砲指揮官として南太平洋海戦、第二次ソロモン海戦に参加したが、航空機の優位を痛感し、飛行学生を志望する。 艦上爆撃機の訓練を受けるが、1944年(昭和19年)末に特攻隊が編成され、その分隊長となる。特攻兵器「桜花」22型の開発実験に携わり、1945年(昭和20年)8月15日午後1時に正式採用のための最終判定の実験が行われることとなり、爆撃機「銀河」に搭載された「桜花」に搭乗する予定であった。
李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 200… 李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 2007年8月3日)は、韓国の政治家、元駐日大使。 韓国・慶尚北道出身。旧制五高を経て東京帝国大学法学部中退後、ソウル大学校経済学部卒。1948年、韓国政府が初めて実施した外交官試験に合格。駐日代表部参事官、外務部次官などを歴任した後、1980年に国家保衛立法会議委員に選出された。1983年から1986年まで外務部長官。1988~1991年には外相経験のある「大物大使」として、駐日大使を務めた。日本でも交友関係が広く、知日派とされた。 2007年8月3日、老衰のため死去。85歳没。
木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 201… 木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 2019年10月11日)は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。福岡県生まれ。 1938年に第一高等学校理科乙類へ入学し、1941年に東京帝国大学理学部地質学科へ入学、1943年9月に東京帝国大学大学院へ入学する。その後休学し、海軍技術見習尉官(短期)となる。1945年に海軍技術大尉となり、1946年5月に復員。10月東京帝国大学大学院に復学する。1947年9月に東京帝国大学理学部助手となり、1950年3月に名古屋大学理学部助教授、1957年に東京大学教養学部助教授となる。1958年に東京大学より理学博士の学位を受ける。1962年5月に東京大学理学部教授(地質学第二講座)、1964年より1976年まで東京大学地震研究所教授を併任、1982年定年により退職し、東京大学名誉教授となる。
和田 稔(わだ みのる、1922年(大正11年)1月13日 … 和田 稔(わだ みのる、1922年(大正11年)1月13日 - 1945年(昭和20年)7月25日)は、福岡県小倉出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍少尉。 福岡県小倉市立堺町尋常小学校、静岡県立沼津中学校、第一高等学校(一高)を首席で卒業後、現役で東京帝国大学法学部に合格。沼津で開業医の温厚な父と、愛情深い母、兄思いの3人の妹と1人の弟の7人家族であった彼は、一高から東京帝大というエリートコースを順調に進み、都会に出て独り暮らしをするが、故郷が恋しくて、週末はよく沼津に帰郷していた。 帝大に入ってから、彼は学生生活と言いながら、軍事教練ばかりする生活に嫌気が差していた。日々、ラジオでは戦況の悪化が知らされている頃だ。
泉 茂(いずみ しげる、1922年1月13日 - 1995年… 泉 茂(いずみ しげる、1922年1月13日 - 1995年5月11日)は、日本の洋画家及び版画家。
大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 201… 大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 2010年3月25日〈日本時間3月26日〉)は、日本のジャーナリスト。兵庫県神戸市出身。 作家の柴田錬三郎は従兄弟。
藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年(大正11年)1月… 藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年(大正11年)1月13日 - 2000年(平成12年)7月18日)は、昭和から平成時代の通産官僚。実業家。通産事務次官。電源開発社長、同顧問。 岡山県岡山市出身。藤原末作・貞子の長男として生まれる。旧制一高を経て1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業し、翌1949年商工省総務局に入る。同期に牧野隆守、村上信二郎、平松守彦、大永勇作(元中小企業信用保険公庫総裁)、大薗英夫(元日本自転車振興会理事長)らがいる。大臣秘書官事務取扱、貿易振興局輸出保険課長、大臣官房審議官、化学工業局化学第一課長、企業局外資課長、貿易振興局貿易振興課長、産業政策局総務課長、中小企業庁小規模企業部長、通産省大臣官房審議官、生活産業局長、官房長、通商政策局長を経て、1981年(昭和56年)6月、通産事務次官に就任した。
星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 200… 星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 2007年11月8日)は、日本の技術評論家。 東京府生まれ。松本高等学校理科甲類を経て、1944年(昭和19年)東京工業大学電気化学科卒業。内閣技術院参技官補、海軍少尉兵学校教官、文部省科学官補を経て、1946年(昭和21年)に民主主義科学者協会の設立に参加する。 1962年(昭和37年) - 1968年(昭和43年)立命館大学経営学部教授。1981年(昭和56年) - 1997年(平成9年)帝京大学経済学部教授。その他の時期は、主に技術評論家として技術論と現代技術史の研究に専念する。 1961年(昭和36年)に発表された代表的な著作『マイ・カー』は、日本の本格的モータリゼーション初期におけるオーナードライバー向け通俗啓蒙書であり、オーナー自らが運転する自家用自動車を指す「マイカー」my car という和製英語を一般に普及させたとされる。
岩田 慶治(いわた けいじ、1922年1月12日 - 201… 岩田 慶治(いわた けいじ、1922年1月12日 - 2013年2月17日)は、日本の文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授、東京工業大学名誉教授。 1922年、神奈川県横浜市で生まれた。旧制富山高校で学び、地理学に関心を持っていた。戦後の1948年、京都大学文学部市学科を卒業。卒業論文は、オーストラリアのアルンタ族の地域観に関するものであった。 その後は大阪市立大学助教授に就いた。東京工業大学教授の後、国立民族学博物館教授となった。1986年に国立民族学博物館を定年退官し、名誉教授となり、東京工業大学の名誉教授となった。その後は大谷大学教授として教鞭をとった。2013年2月17日、肺炎により死去。
桐榮 良三(とうえい りょうぞう、1922年1月12日 - … 桐榮 良三(とうえい りょうぞう、1922年1月12日 - 2003年2月16日)は、日本の化学工学者。京都大学名誉教授。主な専門は乾燥工学。工学博士(1953年)(学位論文「固体乾燥の応用的研究」)。香川県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
嵯峨 公元(さが きんもと、1922年〈大正11年〉1月12… 嵯峨 公元(さが きんもと、1922年〈大正11年〉1月12日 - 1998年〈平成10年〉10月26日)は、日本の旧華族。嵯峨実勝の長男。母は浜口吉右衛門の娘・尚子。嵯峨家31代当主。長姉が愛新覚羅溥傑夫人の浩。妻は春陽堂書店社長・和田利彦の次女。 東京帝国大学を卒業して陸軍に入り、終戦時は陸軍少尉。1941年、杉並の邸宅を鈴木三郎助(味の素創業社長)に売却し、横浜市港北区日吉に移住する。 1961年に、長姉の浩が北京の夫・溥傑の元に帰ってから亡くなるまで支えた。父の跡を継いで第2代町田学園園長、町田学園第4代理事長を務める傍ら、姉を支えるために1964年に冷凍船株式会社を設立し、三国間貿易を始めた。
伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈… 伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈大正11年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉1月31日)は、日本の建築史家・建築評論家・作家。学位は、工学博士。日本の民家研究を行った。 工学院大学学長および理事長。ワシントン大学客員教授、文化財保護審議会委員、文化財建造物保存技術協会理事長などを歴任。 岐阜県安八郡北杭瀬村(現・大垣市)生まれ。旧制大垣中学校を卒業し、第四高等学校に入学。1942年に同校を卒業し、東京帝国大学第二工学部建築学科に進学。1945年に卒業後、東京大学第二工学部大学院で関野克に師事。同大学副手・助手になるが肺結核が悪化し、7年間の入院生活を強いられる。
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月… 安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月11日 - 1998年(平成10年)2月1日)は、昭和から平成時代の政治家。岐阜県瑞浪市長。 岐阜県出身。1946年(昭和21年)岐阜農林専門学校卒業。 1946年(昭和21年)土岐郡日吉村農地調査会書記、1963年(昭和38年)瑞浪市総務課長、1975年(昭和50年)総務部長、1977年(昭和52年)収入役、1980年(昭和55年)助役を経て、1987年(昭和62年)7月、瑞浪市長に無投票で当選した。 2期務め、1995年(平成7年)7月に引退した。
船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日… 船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本の政治家。医師。医学博士。栃木県小山市長(3期)。 栃木県下都賀郡豊田村(のち美田村、現・小山市)卒島出身。1944年、東北帝国大学専門部卒。卒業後は軍医として台湾に赴任する。戦後、帰国し、小山市で開業した。1988年、小山市長選挙に立候補し初当選。1992年と1996年は無投票当選。市長を3期務めた。2021年2月15日、老衰のため死去、99歳。死没日をもって正八位から従五位に叙される。
高村 暢児(たかむら ちょうじ、1922年1月11日 - 1… 高村 暢児(たかむら ちょうじ、1922年1月11日 - 1998年10月18日)は、日本の著作家。 奈良県生まれ。本姓・篁。明治大学卒。産経新聞社に入社し、1958年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。22年の記者生活を送った後に作家に転身。
波多江 健郎(はたえ たけお 大正11年(1922年)1月1… 波多江 健郎(はたえ たけお 大正11年(1922年)1月11日-平成27年(2015年)10月25日 )は、日本の建築家。都市計画家。都市研究者。波多江健郎建築研究所を主宰。工学院大学名誉教授。社団法人大都市圏研究開発協会「リバーブル21東京」研究委員会委員長。 東京生まれ。1948年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。日本放送協会NHK建築部勤務を経て1952年渡米し米国ワシントン州立大学建築学部を卒業し米国建築学士修得。その後ハーバード大学デザイン大学院にて修士課程を修了し米国建築修士修得。大学院在学中にボストンやニューヨーク・タイムズスクエアエリア、スプリングフィールドなどの中心市街地の都市再開発に携わる。
中山 あい子(なかやま あいこ、1922年(大正11年)1月… 中山 あい子(なかやま あいこ、1922年(大正11年)1月9日 - 2000年(平成12年)5月1日)は東京府(現・東京都)出身の小説家。本名、中山 愛子。 長崎の活水女学院を卒業後、結婚したが夫の戦死に遭い、一児(のちの女優中山マリ(燐光群))を抱えて寡婦となる。このため住み込みの英文タイピストとしてイギリス大使館に16年間勤務。退職後は東京神田の貸しビルに住み込み管理人として勤める。その傍ら、『女流』『炎』などの同人誌に小説を発表。1963年(昭和38年)、『優しい女』で『小説現代』の第1回小説現代新人賞を受賞して文壇に登場。『奥山相姦』『幻の娼婦たち』などを発表し、色川武大から「女流の焼跡闇市派」と賞賛される。
武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012… 武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012年6月25日)は、日本の法学者。 青森県青森市出身。1944年中央大学法学部卒。大蔵省に入り、大蔵省高等財務講習所(現在の税務大学校)第1期となり、主税局税制第一課を経て、1966年成蹊大学経済学部助教授、1967年教授、1988年学部長。1989年退任、名誉教授となる。税務会計研究学会会長、財団法人租税資料館理事長を務めた。専門は法人税法。
橋本 南海男(はしもと なみお、1922年〈大正11年〉1月… 橋本 南海男(はしもと なみお、1922年〈大正11年〉1月8日 - 1997年〈平成9年〉12月11日)は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。群馬県出身。 1922年、群馬県富岡市出身の父・市郎の子として台湾に生まれる。台南市旧制第一中学校、旧制台北高等学校理科甲類卒。1944年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、1946年に沖電気工業に入社した。1970年に取締役に就任し、1975年に常務、1979年6月に専務を経て、1982年5月に社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1992年10月に相談役を経て、1993年6月に特別顧問に就任。通信機械工業会会長も務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。
富岡 惣一郎(とみおか そういちろう、1922年1月8日 -… 富岡 惣一郎(とみおか そういちろう、1922年1月8日 - 1994年5月31日)は、日本の洋画家。 新潟県高田市南本町出身。新潟県立高田商工学校卒業。黄変や亀裂、剥落などのない白い絵の具を自ら開発して作品を手がけ、「トミオカホワイト」と呼ばれた。著名な作品に「白の世界シリーズ」など。 現在[いつ?]、新潟県南魚沼市の八海山山麓には、1990年(平成2年)11月に開館した「トミオカホワイト美術館」があり、富岡惣一郎の作品が多数収蔵・展示されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978… 片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978年10月7日)は、宮城県仙台市出身の俳優。岐阜大学卒。本名同じ。東映に所属していた。 東映の映画・テレビで脇役中心に活動。 1978年10月4日、自動車で外出した後に消息を絶ち、3日後の10月7日、静岡県賀茂郡南伊豆町の県道下に転落した自動車内で遺体となって発見された。56歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
久保 慶三郎(くぼ けいさぶろう、1922年(大正11年)1… 久保 慶三郎(くぼ けいさぶろう、1922年(大正11年)1月7日 - 1995年(平成7年)5月30日)は、昭和から平成時代の土木工学者。 1945年(昭和20年)東京帝国大学工学部第二工学部土木工学科を卒業し、同大講師、1948年(昭和23年)第二工学部助教授、1963年(昭和38年)東京大学生産技術研究所教授を歴任し、1982年(昭和57年)退官する(名誉教授)。埼玉大学へ転じ、1985年(昭和60年)より工学部長を務め、1987年(昭和62年)退官し、さらに東海大学教授となった。
森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 201… 森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 2018年6月4日)は、日本の経営者。山之内製薬社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1945年に東京帝国大学農学部農林学科を卒業し、1947年5月に山之内製薬に入社。1970年2月に取締役に就任し、1976年3月に常務、1979年8月に専務を経て、1980年3月に社長に就任。1992年6月に会長も兼任し、同年10月には会長に専任し、2000年6月までに務めた。 1999年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2018年6月4日、老衰のために死去。96歳没。
楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011… 楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011年10月30日)は、中国古典研究者、専門は老荘思想などの中国哲学。早稲田大学名誉教授。 1922年、東京で生まれた。父・楠山正雄は、大正・昭和前期に活躍した演劇評論家で、児童文学者。早稲田大学文学部東洋哲学科で学び、1943年に卒業。同大学大学院に進み、福井康順に師事した。 大学院修了後、早稲田大学文学部助教授に就任。1962年、教授に昇格。1977年、学位論文『老子伝説の研究』を早稲田大学に提出して文学博士号を取得。1992年に早稲田大学を定年退職し、名誉教授となった。 学界では、1989年から1991年まで日本中国学会理事長をつとめた。
新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -201… 新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -2015年10月14日)は、日本の小説家。 京都府生まれ。本名・中島光子。京都府立第一高等女学校卒業。1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学して、1941年に「京千鈴」の芸名で宝塚歌劇団に入団して初舞台を踏む。宝塚歌劇団29期生。同期生に淡島千景、久慈あさみ、南悠子らがいる。 1944年に宝塚歌劇団を退団して京都市役所に勤務する。1948年、本名名義で童話集『子りすちゃんとあかいてぶくろ』を刊行する。1959年『危険な関係』で第5回江戸川乱歩賞を受賞し、第42回直木三十五賞候補に挙がる。なお同作は初めて直木賞候補となった江戸川乱歩賞受賞作である。
上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 20… 上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 2002年3月8日)は、日本の経営者、工学博士。山陽特殊製鋼社長を務めた。兵庫県姫路市仁豊野出身。父は上杉源蔵(元 福徳相互銀行)。 桃李小学校(現 姫路市立砥堀小学校)、旧制姫路中学(現:兵庫県立姫路西高校)卒業。1945年に東京帝国大学工学部冶金工学科を卒業し、1949年5月に山陽特殊製鋼に入社。1959年5月に取締役に就任し、1961年5月に常務、1974年12月に専務を経て、1981年2月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1989年6月に取締役相談役に就任し、1992年6月に相談役に就任。 常務時代に、山陽特殊製鋼倒産事件が起こる。
伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年… 伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年11月18日)は、日本の経営者。住友商事社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1949年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本建設産業(のちの住友商事)に入社した。1966年7月に鋼材貿易部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格し、1990年6月に会長に就任した。1995年6月に相談役に就任し、1997年2月から名誉顧問を務めた。 1984年2月に藍綬褒章を受章した。 2004年11月18日、急性骨髄性白血病のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日… 青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日 - 1995年(平成7年)11月26日)は、日本の法学者。位階は正五位。 専門は法哲学、刑事法。元日本大学法学部教授。 高梨公之博士に師事し、法哲学、刑事法の分野においての業績で有名。 記念論文集に『青木清相教授古稀特別記念号』日本法学第57巻第4号平成4年(日本大学法学会)がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助… 四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助、本名: 若林 英次、1922年1月5日 - 2010年8月7日)は、東京市芝区宇田川町出身の長唄囃子方、篠笛演奏家・作曲家。福原流鳴物六代目宗家、福原流百之助派四代目家元。東京芸術大学客員教授、国立劇場養成所講師。 長唄囃子方五代目福原百之助の跡取りとして生まれ、母親も長唄の師匠。幼い頃より芸の薫陶を受けた。 1939年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。 第二次世界大戦中は駆逐艦の建造等に動員されたが、戦後邦楽界の再建に携わり、1940年に福原英次を名乗る。1964年に六代目百之助を襲名。1981年に長唄協会理事。
奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 201… 奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 2012年12月1日)は、日本の詩人。愛媛県生まれ。中央大学法学部卒。『中央評論』編集部に勤務し、中央大学出版部長、中央大学就職部長を務めるかたわら詩を書いた。
藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5… 藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5日 - 2008年 <平成20年> 6月15日)は、日本の経営者。安藤建設社長、会長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1946年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同年に安藤組(のちの安藤建設)に入社。 1967年に取締役に就任し、1972年5月に常務、1975年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1982年6月には社長に昇格。1989年6月に会長を経て、1997年6月には相談役に就任。 1993年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年6月15日急性肺炎のために死去。86歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2… 山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也(やまだ せいや)。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学(入学時は東京医学専門学校)卒業、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や忍法帖シリーズに代表される大衆小説で知られている。2010年(平成22年)、その名を冠した「山田風太郎賞」が創設された。 筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する。
木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4… 木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4日 - 1989年(平成元年)10月9日)は、亜細亜大学アジア研究所教授。チベット研究で著名。モンゴル名はダワサンボー。 長崎県佐世保市生まれ。九州学院卒業後、海員養成所に入り、南洋定期航路線に乗り組むも船員生活を断念。1940年、興亜院のモンゴル留学生として蒙古善隣協会興亜義塾に二期生として入学(同じくチベット調査した西川一三は三期生)。1941年蒙古善隣協会職員。1942年、大東亜省内蒙古張家口大使館調査課。1943年、チベットに潜行して諜報活動に従事し、プンツォク・ワンギャルらチベット人と知り合う。1950年、インド経由で日本に帰国。
神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 201… 神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 2012年)は、日本の教育哲学者、香道家。 東京生まれ。東京文理科大学哲学科卒。中央大学文学部教育学科教授。1992年定年退職、名誉教授。三条西実隆を始祖とする香道御家流の皆伝で、香道御家流桂雪会会長。
大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 19… 大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 1942年7月)は、日本の女優である。父は大都映画創立者の河合徳三郎、姉は女優の琴路美津子、異母姉も女優の三城輝子である。満20歳で早世した。 1922年(大正11年)1月4日、東京府東京市(現在の東京都区部)に、のちに河合映画製作社、大都映画を設立する河合徳三郎を父とし、「大川世喜子」として生まれた。 東京高等音楽学院大塚分教場(現在の東邦音楽大学)に学び、1934年(昭和9年)に父の経営する大都映画に12歳で入社する。同年、隼秀人(のちのハヤフサヒデト)主演、大江秀夫監督のサイレント映画『俺は日本人だ』に出演して、映画界にデビューする。
勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正1… 勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正11年〉1月4日 - 2019年〈平成31年〉2月2日)は、室町時代に栄えた日野家分家である烏丸家の分家に当たる勘解由小路家11代目の当主、子爵。山口県に在住し、日本一長い五文字の名字を持つ人物の一人であることでも知られていた。山形県山形市生まれ。 出生時の名は松村淳二。大分県知事や貴族院勅選議員を務めた松村義一の次男であり、戸籍上の父である勘解由小路資承は母方の祖父にあたる。4歳で資承の養嗣子となり、資淳に改名し、勘解由小路家11代目当主となった。 母の松村好子(まつむら いつこ)は子爵勘解由小路資承の長女であり、副島種臣の外孫でもあった。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018年10月28日)は、日本の経営者。兼松江商社長、会長を務めた。静岡県御殿場市出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、同年に兼松江商に入社。1969年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年12月に社長に就任し、1989年6月には会長に就任し、1992年6月に相談役を経て、1994年6月から名誉顧問を務めた。 1983年5月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年10月28日老衰のために死去。96歳没。
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 201… 皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 2014年8月16日)は、日本の音楽家。 立正高等女学校(現・東京立正高等学校)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)出身。 1943年から子供たちに始めた歌唱指導が、戦後はひばり児童合唱団へと発展し、安田祥子・由紀さおりの姉妹をはじめ幾多の才能を育てた。合唱団の現代表で元子役の皆川おさむは甥。個人レッスンで吉永小百合に歌を教えた。 2014年8月16日、中下咽頭腫瘍のため死去。92歳没。生涯独身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922… 鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922年1月2日 - 2009年8月1日)は、日本の社会学者。東京外国語大学名誉教授。 福島県出身。東北帝国大学法文学部社会学科卒、同大学院特別研究生修了。東京外国語大学助教授、教授、学長を務め、名誉教授、明星大学教授、和洋女子大学学長を歴任。
品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016… 品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016年1月27日)は、日本の教育評論家。新潟県妙高高原町生まれ。日本女子大学家政学部卒。児童科で児童心理学を専攻し卒業。田中教育相談所、主婦の友相談室で教育相談を担当。品川不二郎と結婚、共著も多く、マスコミ、講演を行った。