大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 202… 大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 2025年1月28日)は、日本の大蔵官僚。名古屋国税局長や造幣局長等を務めた。 長女は翻訳家の大田亜侑。 大蔵省出身。独学で英語を学び、フルブライト奨学金、ガリオア奨学金を獲得し、アメリカ・コロンビア大学大学院へ留学。造幣局創立100周年時の造幣局長。
1920年代生まれ:8,552人
大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 202… 大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 2025年1月28日)は、日本の大蔵官僚。名古屋国税局長や造幣局長等を務めた。 長女は翻訳家の大田亜侑。 大蔵省出身。独学で英語を学び、フルブライト奨学金、ガリオア奨学金を獲得し、アメリカ・コロンビア大学大学院へ留学。造幣局創立100周年時の造幣局長。
郭 芝苑(かく しえん、Kuo Chih-Yuen, 192… 郭 芝苑(かく しえん、Kuo Chih-Yuen, 1921年12月5日 - 2013年4月12日)は、台湾の作曲家。 苗栗県苑裡鎮出身。1935年、東京の錦成中学に入学した。音楽教師からハーモニカを学び、卒業の年には東京の中学生ハーモニカコンクールで一等賞を獲得した。1941年、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)に入学。ヴァイオリン専攻を希望したが、生まれつき左手の小指が内側に湾曲していたために断念し、ピアノの心得もなかったので、作曲と音楽理論を学んだ。1943年、卒業。 1946年、台湾に戻った。1950年、台湾省音楽コンクールで作曲部門第一位を獲得。1966年、作曲を学びなおすために東京芸術大学に入学。
うしお そうじ(牛尾 走児とも、1921年12月4日 - 2… うしお そうじ(牛尾 走児とも、1921年12月4日 - 2004年3月28日)は、日本の漫画家、アニメーター、特撮・映像作品プロデューサー、演出家である。映像製作会社「ピー・プロダクション」創業者。 本名は鷺巣 富雄(さぎす とみお)。別名:若林 藤吾、若林 不二吾(わかばやし ふじご)。 弟は、アニメ制作会社エイケンでプロデューサーを務めた鷺巣政安。長男は作曲家・現ピー・プロダクション社長の鷺巣詩郎。 1921年(大正10年)東京府東京市芝区(現・東京都港区)生まれ。実家は芝区の神明で、西洋家具の製造販売や、演劇関係の小道具を扱う「明光社」という大店だった。 1939年(昭和14年)、淀橋の工学院(現・工学院大学)を心臓脚気(脚気衝心)により中退。
数原 洋二(すはら ようじ、1921年12月3日 - 202… 数原 洋二(すはら ようじ、1921年12月3日 - 2020年1月11日)は、日本の実業家、工学博士。三菱鉛筆相談役。 数原三郎の次男(長男が夭折したため人名事典等では長男と表記されているものもある)として現在の東京都品川区(当時は東京府)に生まれる。旧制神奈川県立川崎中学校、旧制静岡高等学校理科甲類を経て、1944年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業、同年10月より同大学院にて工業化学の研究に従事し、1946年京大文部省特別研究生前期課程修了。1948年4月三菱鉛筆に入社、1958年2月常務となり、1960年2月社長に就任。1981年11月藍綬褒章を受章。1987年3月に社長の座を長男・数原英一郎に譲り会長に退き、1993年3月に名誉会長、その後相談役となる。
道仏 訓(どうぶつ さとし、1921年12月2日 - 200… 道仏 訓(どうぶつ さとし、1921年12月2日 - 2005年7月25日)は、昭和期のプロ野球選手・パシフィック・リーグ審判。広島県呉市出身。
山本 静雄(やまもと しずお、1921年12月1日 - 19… 山本 静雄(やまもと しずお、1921年12月1日 - 1959年4月27日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手。
西川 建三(にしかわ けんぞう、1921年12月1日 - 2… 西川 建三(にしかわ けんぞう、1921年12月1日 - 2014年4月20日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長、会長を務めた。 滋賀県出身。1945年11月に大阪商船に入社し、1946年に京都帝国大学法学部法律学科を卒業。1974年1月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月には大阪建物社長に就任。1986年6月に会長に就任し、1991年6月に相談役を経て、1998年6月には特別顧問に就任。 2014年4月20日肺炎のために死去。92歳没。
織田 正信(おりた まさのぶ、1921年〈大正10年〉12月… 織田 正信(おりた まさのぶ、1921年〈大正10年〉12月1日 - 1955年〈昭和30年〉9月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 香川県木田郡牟礼村(現高松市)出身。1946年東京文理科大学教育学科卒。卒業後は公正新聞主幹となる。 1947年の第23回衆議院議員総選挙において香川1区から諸派(救国青年連盟)で立候補して当選した。当選時は25歳4か月25日と衆議院議員では最年少となり、この記録は2000年の第42回衆議院議員総選挙で原陽子が25歳4か月15日で当選するまでの53年間、破られなかった。 1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選。1952年の第25回衆議院議員総選挙では協同党公認で立候補したが落選した。
児玉 末男(兒玉 末男、こだま まつお、 1921年〈大正1… 児玉 末男(兒玉 末男、こだま まつお、 1921年〈大正10年〉12月1日 - 2005年〈平成17年〉2月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。 鹿児島県囎唹郡末吉村(現・曽於市)出身。1942年(昭和17年)、門司鉄道教習所卒。都城駅助役、国鉄労働組合宮崎県支部委員長などを経て、1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙に宮崎2区で日本社会党より立候補し当選、以後当選8回。 1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で落選した。2005年(平成17年)2月20日、肺炎のため都城市の病院で死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
近山 晶(ちかやま あきら、1921年〈大正10年〉12月 … 近山 晶(ちかやま あきら、1921年〈大正10年〉12月 - 2007年〈平成19年〉9月24日)は、日本の宝石学者。「日本の宝石学の父」として評価されている。 近山晶宝石研究所所長、近山技術士事務所所長。山梨大学講師、山梨県立宝石美術専門学校講師などを務めた。全国宝石学協会を創立、他に日本技術士協会名誉会員、国際宝石学会議(IGC)名誉メンバーをはじめ、イギリス、カナダ、スリランカ、ブラジル、中国の宝石学協会の名誉会員なども務めた。 山梨県甲府市に生まれる。山梨大学工学部卒業。 1952年(昭和27年)、山梨県立研磨工業指導所の研究主査として硬脆材加工を指導する。 1966年(昭和41年)、英国宝石学協会 (Gemmological Association of Great Britain) の認定するディプロマ会員(FGA, Fellow of the Gemmological Association)の資格を日本人2人目として取得する。
上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 -… 上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 - 2011年5月21日)は、日本の農芸化学者。九州大学名誉教授。専門は発酵工学、醸造工学。 福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、広島高等工業学校を経て、1945年九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業する。 1945年九州帝国大学副手、1947年九州大学助手、1959年助教授を経て、1967年教授に就任する。1958年農学博士の学位を得る。 1985年九州大学を退官し名誉教授となり、同年熊本工業大学教授に就任する。 1986年紫綬褒章、1992年勲三等旭日中綬章を受章。
片岡 孝(かたおか たかし、1921年(大正10年)11月3… 片岡 孝(かたおか たかし、1921年(大正10年)11月30日 - 1999年(平成11年)8月13日)は、大阪外国語大学の外国語学部(ロシア語科)名誉教授で、ロシア語学者。号は枕流(ちんりゅう)。 1720年(享保5年)、片岡氏は出石郡香住村(現 豊岡市香住)から出石城下に移り居住した。
薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - … 薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - 1994年5月22日)は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官、帝都高速度交通営団総裁を務めた。和歌山県和歌山市出身。 1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。官房長、海運局長を経て、1975年から1978年までに海上保安庁長官を務めた。帝都高速度交通営団を経て、1983年から1986年までに総裁を務めた。 1994年には勲二等旭日重光章を受章した。 1994年5月22日心不全のために死去。72歳没。
中島 爾(なかじま みつる、1921年11月29日 - 20… 中島 爾(なかじま みつる、1921年11月29日 - 2004年9月1日 )は、日本の経営者。日本触媒社長を務めた。 京都府出身。1944年に京都帝国大学工学部を卒業し、1949年に日本触媒化学工業(のちの日本触媒)に入社。1967年7月に取締役に就任し、1973年8月に常務、1979年2月に専務を経て、1984年2月には副社長に就任し、1986年2月には社長に昇格。1990年2月には会長に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年9月1日肺炎のために死去。82歳没。
茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月2… 茅原 一也(ちはら かずや、1921年〈大正10年〉11月28日 - 2006年〈平成18年〉8月29日)は、日本の地質学者、鉱物学者、岩石学者、ヒスイ研究者。理学博士。元キタック最高技術顧問。新潟大学名誉教授、日本地質学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟師範学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京高等師範学校を修了、1946年(昭和21年)9月に東京文理科大学地学科(地質鉱物学専攻)を卒業。 1946年(昭和21年)10月に新潟中学校教諭に就任、化学と地学と音楽を担当、1950年(昭和25年)3月に新潟大学理学部地質鉱物学教室助手に就任、1951年(昭和26年)4月に新潟大学理学部地質鉱物学教室講師に就任。
川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 20… 川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 2009年1月13日)は、漢文・中国文学、明治文学研究家。 愛媛県宇和島市出身(ただし生まれはアメリカ合衆国モンタナ州ディアロッジ)。宇和島中学(現愛媛県立宇和島東高等学校)、大東文化学院(現大東文化大学)卒業。元関東学院女子短期大学教授。 「明治村通信」の編集長を長くつとめた。 母方祖父母の住む吉田町の吉田尋常高等小学校に途中編入、母国語による学習をはじめ、のち宇和島の父母のもとに転じ宇和島市立第二尋常小学校を卒業、愛媛県立宇和島中学校在学、のち大東文化学院で漢学を学ぶ。 帝国海軍従軍後、東京にて「文芸新誌」編集人、中河与一編「現代フランス素描集」などの発行名義人に任じ、やがて新制度による中学校、高等学校発足後、宇和島市立城南中学校、愛媛県立吉田高等学校を含む県下の公立学校4校で教員勤務。
新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 -… 新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 - 2009年4月12日 )は、日本の会計学者。1985年から1990年まで日本簿記学会会長。第13期・第15期日本学術会議会員。成蹊学園名誉理事、成蹊大学名誉教授。
喜多 了祐(きた りょうゆう、 1921年11月28日 - … 喜多 了祐(きた りょうゆう、 1921年11月28日 - 2007年6月18日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士。小樽商科大学教授・一橋大学法学部教授を経て、一橋大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。中華人民共和国国務院の招聘により西安の西北法政学院において日本商法を講義。フルブライト留学生としてハーバード・ロー・スクール留学、ブリティッシュ・カウンシル留学生としてロンドン・スクール・オブ・エコノミクス法科大学院留学など海外研究の機会が多く、南山大学、富山大学、東洋大学大学院、亜細亜大学などでも講義。法学博士の学位を取得、学位論文は「私法における外観優越の理論―商法への展開のための基礎研究―」(1975年)。
宮尾 益英(みやお ますひで、1921年〈大正10年〉11月… 宮尾 益英(みやお ますひで、1921年〈大正10年〉11月28日 - 1994年〈平成6年〉5月29日)は、日本の小児科学者、小児科医。医学博士(東京大学・1953年)。徳島大学名誉教授、杏林大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村大字猫山(現 阿賀野市猫山)の10代続く医師の家・宮尾家の四男として新潟県新潟市西大畑町(現 新潟市中央区西大畑町)で育つ。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)3月に新潟高等学校を卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 実地修練後、1948年(昭和23年)10月に東京大学医学部小児科学教室(担任:詫摩武人教授)に入局、1949年(昭和24年)に助手に就任、1953年(昭和28年)5月に徳島大学医学部小児科学教室(担任:北村義男教授)助教授に就任、1964年(昭和39年)8月にドイツのマールブルク大学に留学、ホルスト・ビッケル(ドイツ語版、英語版)に師事、1968年(昭和43年)12月から1969年(昭和44年)12月までドイツのハイデルベルク大学に留学、ホルスト・ビッケルに師事、1970年(昭和45年)5月に徳島大学医学部小児科学教室第2代教授に就任、1974年(昭和49年)4月に徳島大学医学部附属看護学校第12代学校長に就任、1976年(昭和51年)2月に徳島大学医学部附属病院第13代病院長に就任、1977年(昭和52年)10月に徳島大学医学部附属助産婦学校第4代学校長に就任、1982年(昭和57年)4月に徳島大学医学部第12代学部長に就任、1987年(昭和62年)3月に徳島大学を定年退官、同年4月に徳島大学名誉教授の称号を受称、杏林大学客員教授に就任、東京海上メディカルサービス顧問に就任、1990年(平成2年)3月に千葉県柏市松ケ崎に宮尾クリニックを開業。
岩田 礼(いわた れい、1921年11月27日 - 2002… 岩田 礼(いわた れい、1921年11月27日 - 2002年)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 下関市生まれ。本籍・宮崎県。本名・戸島和郎。1943年毎日新聞社西部本社入社。直後に召集を受ける。46年復員し復職。久留米支局長、徳山支局長、学芸課副参事、76年定年退職。毎日文化センターの自分史・文章講座講師。91年第1回北九州市自分史文学大賞受賞。
坪井 清足(つぼい きよたり、1921年〈大正10年〉11月… 坪井 清足(つぼい きよたり、1921年〈大正10年〉11月26日 - 2016年〈平成28年〉5月7日)は、日本の考古学者。勲三等旭日中綬章、文化功労者。 奈良国立文化財研究所所長、元興寺文化財研究所所長。奈良国立文化財研究所では、事前の発掘調査の義務付け、発掘調査費用の原因者負担の原則の確立など、埋蔵文化財行政の枠組み構築に努めた。 1921年(大正10年)11月26日、大阪府大阪市に生まれた。父親は在野の考古学者である坪井良平であり、日立造船に勤務しながら梵鐘の研究などを行っていた。父親の勤務先の関係で東京市牛込区で育った。1934年(昭和9年)4月、父の母校でもある大阪大倉商業学校に入学した。
岸 信和(きし のぶかず、1921年〈大正10年〉11月26… 岸 信和(きし のぶかず、1921年〈大正10年〉11月26日 - 2017年〈平成29年〉10月7日)は、日本の実業家。元内閣総理大臣秘書官。元西部石油会長。 1921年、当時農商務省の官僚だった岸信介(後の第56・57代内閣総理大臣)の長男として生まれる。3歳の時に小児麻痺を患い、生涯足を引きずって歩く。 京都帝国大学在学中に、戦犯として収監されていた岸信介が接見に来た福家俊一に「信和が、難波大助になってもらっちゃ困る」と伝えたため、卒業後の1948年に信介の同級生が専務だった宇部興産 (現・UBE)に入社する。 信介が総理大臣を務めていた一時期に、総理秘書官を務めていた義弟の安倍晋太郎が衆院選出馬で辞めたため、代役で内閣総理大臣秘書官を務め、信介の総理辞任後は西部石油に入社し、後に会長に就任した。
佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - … 佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - 2008年5月6日)は、日本の内務官僚、自治官僚、政治家。秋田県知事を務めた。 1921年、秋田県小坂町に生まれる。秋田県第三中学校(現:秋田県立横手高等学校)、東北帝国大学法文学部法学科(現:東北大学法学部)を卒業。1946年3月 内閣戦争調査会事務局、同年 東京都経済局、1948年 秋田県総務部地方課長、1950年4月 地方財政委員会事務局税務部、1955年 大阪府総務部庶務課長、1959年 自治省財政局公営企業課長、1965年10月 自治省税務局財務課長、1966年7月 徳島県副知事、1971年9月 自治省税務局長等を歴任。 1973年11月に消防庁長官に就任。
小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日… 小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日 - 1995年〈平成7年〉9月22日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。福島県立医科大学名誉教授、日本血液学会名誉会員。 新潟県新潟市出生、新潟県佐渡郡金沢村大字泉(現 佐渡市泉)出身。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校文科乙類を卒業、1944年(昭和19年)9月に新潟医科大学を半年繰り上げ卒業。 1945年(昭和20年)1月に横浜市戸塚区原宿町の海軍軍医学校戸塚分校を卒業、海軍軍医中尉に任官、山口県光市光井の第一特別基地隊附、3月に山口県平生町佐賀の平生突撃隊附、8月に終戦、1946年(昭和21年)1月に復員。
武宮 敏明(たけみや としあき、1921年11月25日 - … 武宮 敏明(たけみや としあき、1921年11月25日 - 2010年1月15日)は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(捕手)・監督・コーチ。
津下 健哉(つげ けんや、1921年11月25日 - 201… 津下 健哉(つげ けんや、1921年11月25日 - 2016年5月1日)は、日本の医学者(整形外科)。学位は医学博士。広島大学医学部名誉教授。 岡山大学医学部助教授、広島大学医学部教授、広島手の外科・微小外科研究所所長などを歴任した。 岡山県出身。岡山県にて多くの医師を輩出した津下一族の生まれである。 津下も医学の道を志し、岡山医科大学を卒業した。その後、岡山医科大学が岡山大学医学部に改組されると、同学部にて助教授に就任し、整形外科を専門に担当する。のちに広島大学に転じ、医学部の教授を務めた。 退官後は、あかね会が設立した広島手の外科・微小外科研究所にて所長に就任した。 1949年、岡山大学医学博士。
瀬野 栄次郎(榮次郎、せの えいじろう、1921年11月25… 瀬野 栄次郎(榮次郎、せの えいじろう、1921年11月25日 - 2011年3月1日)は、公明党衆議院議員(4期)。公明党中央執行委員。 鹿児島県日置郡日吉町(現・日置市)生まれ。1939年、熊本県立球磨農業学校(現・熊本県立南稜高等学校)本科卒業。営林署技師、大日本帝国陸軍航空兵中尉を務めた。1959年の熊本市議会議員選挙に無所属で立候補して当選した。当選後は会派「創価学会」に所属した。1963年、熊本県議会議員選挙に熊本市から公明政治連盟所属で立候補し、同連盟として初めての議席を獲得した。1967年の県議選は公明党から立候補して再選を果たした。1969年12月5日付で県議を辞職した。同年の第32回衆議院議員総選挙で熊本1区に公明党から出馬し、初当選。
近藤 鎮雄(こんどう しずお、1921年11月24日 - 2… 近藤 鎮雄(こんどう しずお、1921年11月24日 - 2015年7月24日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1943年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に大阪商船に入社。1972年5月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1980年6月に社長に就任。1984年6月に会長に就任し、1989年6月に相談役に就任。 1981年7月に運輸大臣表彰を受け、1982年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2015年7月24日急性肺炎のために死去。93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1… 大成 正雄(おおなり まさお、1921年11月23日 - 1993年4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期、新自由クラブ)。 埼玉県北足立郡三橋村(のち大宮市、現・さいたま市)出身。浦和商業学校(現埼玉県立浦和商業高等学校)を経て、中央大学専門部経済科中退。国鉄大宮工場(現大宮総合車両センター)に入るが、間もなく召集され、陸軍中尉で終戦を迎える。終戦後は大宮工場に復帰し、同工場の労働組合の書記長になり、日本社会党に入る。1947年、大宮市議会議員に当選し、2期務める。その後、労働組合を脱退し、社会党を離党し、衆議院議員福永健司の秘書になる。1959年、埼玉県議会議員に当選し、3期務め、同議長となる。
厚見 峻(あつみ たかし、1921年(大正10年)11月23… 厚見 峻(あつみ たかし、1921年(大正10年)11月23日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。第2期海軍甲種飛行予科練習生。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍飛行特務少尉。 埼玉県北葛飾郡幸松村(現・春日部市)に、7男3女の末っ子として生まれた。 粕壁小学校を経て埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)に学び、1938年(昭和13年)4月1日、第2期海軍甲種飛行予科練習生として横須賀海軍航空隊に入隊した。海軍航空隊への入隊に先立ち、厚見は母に「母さん、これで僕の第一希望は達せられた。この上は戦闘機に乗りたいと思います。
はた たかし(1921年(大正10年)11月22日 - 20… はた たかし(1921年(大正10年)11月22日 - 2013年(平成25年)8月11日)は、日本の児童文学作家。元桃山学院短期大学教授。本名は秦敬。 愛媛県新居郡大町村(現西条市)に生まれる。名教中学校(現・東海大学付属浦安高等学校)卒業。早稲田大学専門部を中退し、1945年(昭和20年)に法政大学高等師範部国語漢文科を卒業する。1946年(昭和21年)に西条高等実践女学校教諭となり、1947年(昭和22年)より西条市内で小・中学校で教師を務める。教師定年退職ののち、1981年(昭和56年)桃山学院短期大学教授(1992年1月まで)に就任する。一方、児童文学作家として作品を発表し、同人誌「ぷりずむ」を主宰するなど、愛媛県の児童文学活動で指導的役割を担った。
佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 -… 佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 - 1996年5月28日)は、日本の哲学者。京都女子大学名誉教授。元京都女子大学学長、鳥取女子短期大学学長。 福岡県築上郡吉富町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日… 市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日 - 2023年9月24日)は、日本の民話研究家、児童文学作家。 土佐民話の会主宰、文学館・語りと紙芝居の会代表。 高知県出身。日本大学高等師範部地歴科を卒業。 高知県の民話の採話と記録に努め、月刊『土佐の民話』を発行する傍ら、民話を子どもたちに語り継ぐため、手づくり紙芝居をもって、県内各地の保育・幼稚園、小学校、図書館などへの巡回公演を行った。また小学生、一般対象に紙芝居講座(演じ方、作り方)の講師を務めた。1987年、民話の発掘と伝承の仕事により高知県文化賞を受賞。 2023年9月24日、老衰のため死去、101歳。
三輪 裕章(みわ ひろあき、1921年11月21日 - 19… 三輪 裕章(みわ ひろあき、1921年11月21日 - 1990年4月12日)は、群馬県出身のプロ野球選手。 旧制桐生中学(現:群馬県立桐生高等学校)では、1939年から1941年の選抜中等学校野球大会に出場した。1942年に阪神軍に入団。1年目から58試合に出場した。 しかし、翌1943年に徴兵され退団。戦後は全桐生に所属していたが、プロ野球に復帰することはなかった。
渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - … 渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - 2006年11月8日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授、元帝京大学教授。専門は法社会学、民法学、憲法学。
三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994… 三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994年4月8日 )は、日本の銀行家。百十四銀行頭取を務めた。 香川県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1946年に百十四銀行に入行した。1966年に取締役に就任し、1969年11月に常務、1975年12月に専務を経て、1979年12月には頭取に就任。1989年6月には会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 1994年4月8日、腹部大動脈瘤破裂のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白石 孝(しらいし たかし、1921年11月21日 - 20… 白石 孝(しらいし たかし、1921年11月21日 - 2013年10月17日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授および杏林大学名誉教授。専門は国際経済学、国際貿易論。 1921年に東京市日本橋に生まれる。1934年に明治学院中等部に入学し、翌年に慶應義塾普通部に編入する。1941年に慶應義塾大学経済学部に進学し、岩田仭のゼミで指導を受ける。1943年に同大学を卒業し、同年に南貿汽船株式会社に入社、その後兵役に服す。1945年に慶應義塾大学旧制大学院に入学し、1947年に慶應義塾大学経済学部副手、1949年に同経済学部助教授、1958年に同商学部教授となる。1960年に経済学博士の学位を取得、1964年に慶應義塾志木高等学校校長を兼任する。
長野 和吉(ながの わきち、1921年11月21日 - 20… 長野 和吉(ながの わきち、1921年11月21日 - 2024年12月8日)は、日本の経営者。三菱ガス化学社長を務めた。大分県出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、1946年11月に三菱銀行に入行。1956年11月に日本瓦斯化学工業(のちの三菱ガス化学)に転じ、1964年5月に取締役に就任し、1968年11月に常務、1971年11月に専務、1979年6月に副社長を経て、1981年6月に社長に就任。1988年6月には会長に就任し、1995年6月には相談役に退いた。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1994年11月には勲二等瑞宝章を受章を受章。 2024年12月8日、死去。103歳没。
白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 19… 白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 1991年8月16日)は、日本の経営者。東陶機器社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1946年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に東洋陶器に入社。 1965年1月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1985年2月から1987年2月までに社長を務めた。 1985年に藍綬褒章を受章。
宇都宮 敏男(うつのみや としお、1921年(大正10年)1… 宇都宮 敏男(うつのみや としお、1921年(大正10年)11月20日 - 2009年(平成21年)11月26日)は、昭和時代から平成時代の電気工学者、通信技術者。 香川県に生まれる。戦時体制中の1943年(昭和18年)9月に半年繰り上げで東京帝国大学第一工学部電気工学科を卒業。卒業後は、内定していた海軍技術士官への道を捨て、新しく発足した大学院特別研究生となり5年の研究生活を送る。特別研究生満了後、東京帝国大学助教授、教授を歴任し、1982年(昭和57年)定年退官後は東京理科大学教授、嘱託教授、非常勤講師を歴任した。その間、1959-60年(昭和34-35年)には文部省在外研究員としてアメリカのコロンビア大学の客員助教授を務めた。
善川 三朗(よしかわ さぶろう、本名:中川 忠義、1921年… 善川 三朗(よしかわ さぶろう、本名:中川 忠義、1921年〈大正10年〉11月20日 - 2003年〈平成15年〉8月12日)は、日本の宗教家。実業家。農業・畜産指導者。幸福の科学名誉顧問。徳島県麻植郡東山村(現在の吉野川市鴨島町樋山地)出身。青年師範学校卒業。長男は富山誠。次男は幸福の科学総裁である大川隆法。妻は中川君子。姉は作家の中川静子。 宮大工である中川源左衛門輝房とその妻であるテルノの次男として1921年(大正10年)11月徳島県麻植郡東山村樋山地(現・吉野川市鴨島町樋山地)に生まれる。父の源左衛門は宮大工の棟梁をしており、県内各地の寺社にその仕事の履歴を残している。 父輝房が亡くなった8歳の1930年(昭和5年)頃、中川一家は川島町に移住し、この時に「汝は、今生に大いなる責任を持って生まれたものである。
久野 洋(くの ひろし、1921年(大正10年)11月18日… 久野 洋(くの ひろし、1921年(大正10年)11月18日 - 1988年(昭和63年)5月27日)は日本の化学者。慶應義塾大学工学部(現理工学部)教授。慶應義塾長。慶應義塾長に工学部出身者が就任するのは久野が初めてであった。日本私立大学連盟会長。 父は生理学者で名古屋大学名誉教授の久野寧。妻の祖父は司法官僚の松室致。 1944年9月慶應義塾大学工学部卒業。同年10月から1945年9月まで文部省大学院特別研究生となる。1946年10月工学部助教授、専攻は応用化学。 1960年3月、慶應義塾大学工学博士。論文の題は「粉体の物理化学的性質とその応用の研究」。 同年8月アメリカのミシガン大学に招聘留学し、1961年10月帰国、1962年4月1日大学教授となる。
楠 宏(くすのき こう、1921年11月18日 - 2021… 楠 宏(くすのき こう、1921年11月18日 - 2021年2月10日 )は、日本の地球物理学者・地理学者・地球科学者である。専門は、雪氷学、両極地方の地誌。北海道釧路市出身。楠木正成の子孫にあたるという。父親は旧制一高東寮寮歌「嗚呼玉杯」「緑もぞ濃き」の作曲者楠正一(一高を中退後、石狩支庁農林技手。1945年没)。
佐々木原 正夫(ささきばら まさお、1921年(大正10年)… 佐々木原 正夫(ささきばら まさお、1921年(大正10年)11月17日 - 2005年)は、第二次世界大戦時における大日本帝国海軍のエース・パイロット。甲飛4期、飛練9期。最終階級は海軍飛曹長、ポツダム昇進により少尉。 青森県出身。1935年(昭和10年)4月、静岡県立沼津中学校に入学。後輩にのちに回天特攻隊隊員となる和田稔がいる。在学中の1938年(昭和13年)、クラスメートらとともに陸上競技部内に「器械体操倶楽部」を立ち上げた。 卒業後の1939年(昭和14年)4月、甲種飛行予科練習生4期生として霞ヶ浦海軍航空隊に入隊。予科練での一年半の基礎教育を終えて1940年(昭和15年)9月、第9期飛行練習生となり、戦闘機搭乗員としての教程を経て、開戦直前の1941年(昭和16年)9月、空母「翔鶴」乗組。
中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月1… 中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉1月24日)は、日本の官僚。位階は正四位。 愛知県出身。第八高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年7月、高等試験行政科試験に合格して厚生省に入省し厚生属任官。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官。第22戦隊司令部付第2艦視艇艦司令承命服務となる。経理学校付第12期見習尉官隊第二分隊士(教官)を経て、1945年3月、主計大尉に進み、同年4月、第103戦隊司令部付春風勤務で終戦を迎えた。
妹尾 親尚(せのお ちかひさ、1921年〈大正10年〉11月… 妹尾 親尚(せのお ちかひさ、1921年〈大正10年〉11月16日 - 2012年〈平成24年〉1月7日)は、日本の実業家。富士銀行専務取締役、オカモト社長。 福岡県に生まれる。1939年福岡県中学修猷館、1942年旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1944年、京都帝国大学法学部政治学科を卒業し陸軍主計少尉となる。在学中の1943年12月には学徒出陣をしている。 1946年5月、安田銀行(1948年富士銀行と改称し現みずほ銀行)に入行。1970年5月取締役となり名古屋支店長、1973年4月取締役大阪支店長、同年5月常務取締役、1975年5月専務取締役となる。1978年6月、富士銀行を退任し、岡本理研ゴム(現・オカモト)取締役副社長、1979年6月同社取締役社長に就任する。
市原 季一(いちはら きいち、1921年11月16日 - 1… 市原 季一(いちはら きいち、1921年11月16日 - 1979年8月3日)は、日本の経営学者。神戸大学教授・日本経営学会理事長を歴任。主にドイツ経営学の歴史研究や、同時代の西ドイツにおける経営学研究の日本への紹介にあたった。 京都市に生まれ、京都市立第二商業学校、彦根高等商業学校を卒業し、神戸商業大学(現神戸大学)に進んだが、臨時徴集で舞鶴海兵団に入り、短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで除隊し、家業に従う。 1948年に神戸経済大学助手となり、1951年に神戸大学経営学部講師、翌1952年に助教授、1961年に教授と昇進した。
渡辺 絢吾(わたなべ じゅんご、1921年11月15日 - … 渡辺 絢吾(わたなべ じゅんご、1921年11月15日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。
古濱 庄一(ふるはま しょういち、1921年11月15日 -… 古濱 庄一(ふるはま しょういち、1921年11月15日 - 2002年1月10日)は、日本の工学者、教育者。武蔵工業大学(現東京都市大学)名誉教授、元学長。水素エネルギー協会元会長。工学博士。 レシプロエンジンのピストンリング研究の大家。ピストンリングの動的潤滑理論の確立や実働状態におけるピストンとピストンリングの温度、潤滑油消費量、シリンダー変形などの実験方法を開発する。1970年代頃より日本で初めて水素エンジンの研究に取り組み、水素自動車の基礎研究と試作を行った。実験を重視する研究姿勢で水素エンジン特有のバックファイア問題の解決に尽力した。また、研究の傍ら一般や青少年向けの本を執筆し普及に努めた。
武内 文平(たけうち ぶんぺい、1921年11月15日 - … 武内 文平(たけうち ぶんぺい、1921年11月15日 - )は、日本の俳優。本名同じ。別名義:五藤 雅博(ごとう まさひろ)。 岡山県備前町出身 。日本大学芸術科卒業。 日本統治時代の朝鮮の全羅南道光陽郡で生まれる。大学卒業後、1947年、劇団文化座の創立に参加。その後は、劇団創造座を経て、劇団七曜会に入団、1957年に退団した後はグループ・てえぶらに所属し、活動の中心をラジオに移す。その後、富士放送プロ、つくしグループ創立参加。風の会、エヌ・エー・シー、楡プロダクション、サン・プロモーションに所属していた。北海道深川市在住。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。