塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10… 塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年〈大正10年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉9月19日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党から立候補し衆議院議員(11期)。この間財務大臣(第2代)、自治大臣(第42代)、国家公安委員会委員長(第52代)、内閣官房長官(第50代)、文部大臣(第108代)、運輸大臣(第52代)、自由民主党総務会長などを歴任。 財団法人国民政治協会(自民党の政治資金団体)会長、財団法人自由国民会議(同党の党友組織)所属。 その他、東洋大学総長、財団法人関西棋院理事長、特定非営利活動法人武士道協会理事長、『ベストヒット歌謡祭』(旧『全日本有線放送大賞』)実行委員会名誉会長なども務めた。
末廣 重二(すえひろ しげじ、1921年10月13日 - 2… 末廣 重二(すえひろ しげじ、1921年10月13日 - 2003年12月8日)は、日本の国土交通技官、理学博士。気象庁長官を務めた。 東京都出身。1946年に名古屋帝国大学理学部を卒業し、同年に気象庁に入庁。1979年に観測部長を経て、1983年4月から1985年3月までに長官を務めた。 1994年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年12月8日に肺炎のために死去。82歳没。
白壁 彦夫(しらかべ ひこお、1921年(大正10年)10月… 白壁 彦夫(しらかべ ひこお、1921年(大正10年)10月12日 - 1994年(平成6年)12月29日)は、日本の医師、医学博士。 福岡県生まれ。旧制千葉医科大学を卒業後、同大学第一内科講師を経て、順天堂大学消化器内科教授となる。千葉医科大学在籍中に「胃X線二重造影法」を開発し、世界をリードした。著書に「腹部X線読影テキスト」「消化管X線読影講座」などがある。その功績を記念し、「白壁賞」という賞が消化器の研究者に対して贈られている。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2… 古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2004年4月26日)は、日本の歴史学者。専門は中国史。東京大学名誉教授。大東文化大学名誉教授。 1921年、長野県飯田市生まれ。1942年、旧制飯田中学を卒業。1943年、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)を卒業。東京帝国大学文学部入学したが、徴兵により兵役に就いた。 1945年、太平洋戦争終結にともなって復員。東京帝国大学文学部に復学し、1948年に卒業した。東京大学大学院(旧制)に進んだが、1949年に退学して東洋文化研究所助手となった。1954年、東京大学社会科学研究所助教授に就任。1967年、同研究所教授に昇格。1978年から1983年まで、現代中国学会代表幹事を務めた。
井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月1… 井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月11日 - 2010年〈平成22年〉1月30日 )は、日本の銀行家、経営者。滋賀銀行頭取を務めた。 東京都出身。194年に東北帝国大学法文学部法科を卒業し、1946年9月に日本銀行に入行。1972年8月に預金保険機構理事を経て、1974年11月に滋賀銀行副頭取に就任し、1979年6月には頭取に昇格。1989年6月には取締役相談役に退き、1992年4月に日本銀行政策委員会委員を経て、1996年4月には滋賀銀行特別顧問に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2010年1月30日、癌のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 20… 守屋 富生(もりや とみお、1921年10月11日 - 2007年?)は、日本の英文学者。早稲田大学名誉教授。アーノルド・ベネットを専門とした。 北海道沙流郡(現日高町)出身。1942年早稲田大学文学部英文科入学、1943年学徒出陣し、1944年特別措置で大学を卒業。温祢古丹島に駐留、1945年ポツダム少尉。1946年早大大学院に在籍。1948年東京都立上野高等学校教諭、1953年谷崎精二の世話で早稲田高等学院教諭、1956年早大文学部専任講師、1959年助教授、1964年教授、1972-1974年第二文学部長、1992年定年退任、名誉教授。1996年勲四等旭日小綬章受勲。
橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本… 橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本名は豊田喜三子。旧姓・川村)は、日本の女優。
手塚 明治(てづか あきはる、1921年10月10日 - )… 手塚 明治(てづか あきはる、1921年10月10日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。1956年の登録名は手塚 耀朗(てづか てるお)。
梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2… 梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2002年9月13日)は、日本の教育心理学者、京都大学名誉教授。 旧制第三高等学校文科乙類を経て、1948年に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1966年、「音楽心理学の体系的研究」で京都大学より教育学博士の学位を取得。京都大学助教授、教授、1985年、定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年9月13日、心筋梗塞のため死去。
川原 栄峰(かわはら えいほう、1921年10月10日 - … 川原 栄峰(かわはら えいほう、1921年10月10日 - 2007年1月23日)は、日本の哲学者。僧侶、早稲田大学名誉教授。主としてハイデッガー哲学を研究した。 徳島県の真言宗の寺に生まれる。1943年早稲田大学文学部哲学科卒業。卒業直後、砲兵隊に入隊。戦後は高野山で修行に励み、そのまま高野山大学の教員となった。1957年早稲田大学法学部に移り、1973年同大学文学部教授。1977年「ハイデッガーの思惟」で早稲田大学文学博士。 1955年頃からドイツへの留学をかさね、カール・ヤスパースやマルティン・ハイデッガーといった人物と交友を持った。ハイデルベルク大学(1956-1957年、1977-1978年)やマインツ大学(1982-1983年)に学ぶ。
鈴木 久章(すずき ひさあき、1921年10月10日 - 2… 鈴木 久章(すずき ひさあき、1921年10月10日 - 2012年8月3日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。東京都出身。 1946年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1973年8月に取締役に就任し、1979年3月に常務、1980年3月に専務を経て、1981年3月に社長に就任。1987年3月に会長に就任し、1993年3月に取締役相談役を経て、1995年4月に相談役に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2012年8月3日、老衰のために死去。90歳没。
平林 剛(ひらばやし たけし、1921年10月10日 - 1… 平林 剛(ひらばやし たけし、1921年10月10日 - 1983年2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。参議院議員(2期)、衆議院議員(6期)を歴任した。 長野県上田市(旧小県郡丸子町)生まれ。小学校時に東京市板橋区に転居。旧制府立四中を経て、早稲田大学専門部法科入学後、1939年大蔵省専売局(後の日本専売公社)入局。全専売労働組合委員長を経て、1953年4月の第3回参議院議員通常選挙の全国区に左派社会党から立候補するが、次点で落選。この選挙の際、栃木県佐野市の投票所において、平林の所属政党名が日本共産党と誤って表示されていたことが明らかになり、1954年9月には下位当選者6名の当選が取り消された。
小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10… 小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10月10日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。 長野県下高井郡下木島村(現飯山市)で、小野沢広輔、ちよ の長男として生まれた。1939年(昭和14年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。戦後、木島連合青年団長から自民党長野県連青年部副部長として青年団運動に活躍し、飯山南高や飯山北高のPTA副会長、木島消防団長、飯山市農業委員会委員等を経て、1962年(昭和37年)12月、飯山市議会議員となり、同議長を務めた。 1978年(昭和53年)9月、飯山市長選挙に当選し、1890年(平成2年)9月まで3期務めた。
小前 博文(こまえ ひろふみ、1921年10月9日 - 20… 小前 博文(こまえ ひろふみ、1921年10月9日 - 2000年5月10日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
平石 磨作太郎(ひらいし まさたろう、1921年10月9日 … 平石 磨作太郎(ひらいし まさたろう、1921年10月9日 - 1992年12月23日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(5期)。 高知県長岡郡大豊町出身。1943年関西大学専門部法律学科卒。東豊永村農業協同組合長を経て、高知市役所に入り、財政課長、厚生部長などを歴任する。公明党高知県本部に入り、1974年5月の参院補選と7月の通常選挙に高知県から公明党公認で立候補したが落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙で高知県全県区から立候補して初当選。連続5期務めた。1990年の総選挙に立候補せず、政界から引退する。 1991年11月の秋の叙勲で、勲二等瑞宝章受章。 1992年12月23日、死去。
翁 久次郎(おきな きゅうじろう、1921年(大正10年)1… 翁 久次郎(おきな きゅうじろう、1921年(大正10年)10月8日 - 1996年(平成8年)9月2日)は、日本の厚生官僚・実業家。内閣官房副長官。位階は正三位。 富山県出身。富山高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業。第11海軍航空廠に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年1月、工場が愛媛県八幡浜の繊維工場に疎開。同年5月、大阪監督官事務所に転属し終戦を迎えた。同年9月に主計中尉に進む。同年10月、予備役に編入され解員(復員)。 1946年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1947年4月、高等試験行政科試験に合格。
降矢 敬雄(ふるや けいゆう、1921年(大正10年)10月… 降矢 敬雄(ふるや けいゆう、1921年(大正10年)10月7日 - 1993年(平成5年)7月14日)は、昭和期の農業協同組合指導者、労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 山梨県で生まれる。1939年(昭和14年)都留中学校(現山梨県立都留高等学校)を卒業。1943年(昭和18年)陸軍予備士官学校を卒業し、満洲国、フィリピンなどを転戦し、陸軍中尉で終戦を迎えた。 戦後、郵政事務官となり、全国特定郵便局従業員組合中央本部書記長、同副委員長を務めた。山梨県議会議員に選出され5期在任し、同議長も務めた。その他、山梨県森林組合連合会副会長・理事、同県農業協同組合中央会・信用農業協同組合連合会・経済農業協同組合連合会・全国共済農業協同組合連合会共通会長理事、家の光協会監事、全国新聞情報農業協同組合連合会理事、全国農業協同組合中央会理事などを務めた。
寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2… 寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2008年9月6日)は、作家、スポーツライター、浄土宗の僧侶。本名は成田 有恒(なりた ゆうこう)。 東京府荏原郡世田谷村(現在の世田谷区)生まれ。生家は浄土宗の大吉寺である。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業後、1945年に大正大学宗教学部卒業。大学在学中から富沢有為男の下へ出入りして文学を学び始めると共に、生家である大吉寺の住職となる。 1955年に「逢春門」で第47回サンデー毎日大衆文芸賞、翌1956年には「黒い旅路」で第8回オール新人杯受賞。この頃に記者として取材に訪れた司馬遼太郎と知り合い、1957年には彼らと同人誌「近代説話」を創刊、1961年には同誌に掲載した「はぐれ念仏」で第44回直木三十五賞受賞。
沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6… 沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6日 - 2016年3月4日)は、日本の政治家。熊本県知事(公選第7 - 9代)、参議院議員(4期)。 熊本県下益城郡小川町(後の宇城市)出身。熊本中学校(後の熊本県立熊本高等学校)、旧制第七高校を経て京都大学を卒業し、経済企画庁に入庁。熊本県の総務部長や副知事を務めた後、松野鶴平の死去を受けた1962年の第6回参議院議員通常選挙に熊本県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。再選後の1968年には大蔵政務次官に就任した。 その後、前任の寺本広作に代わり自民党の公認を得て1971年から熊本県知事に転身し、水俣病の患者認定問題などに取り組んだほか、熊本県民テレビの開局にも尽力した。
広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> … 広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> 10月4日 - 2006年 <平成18年> 5月19日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 滋賀県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。日本銀行での勤務を経て、1954年10月に滋賀銀行取締役に就任し、1959年10月に常務、1963年10月に専務、1967年11月に副頭取を経て、1971年11月に頭取に就任。1979年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年5月19日肺炎のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
佐藤 初女(さとう はつめ、1921年10月3日 - 201… 佐藤 初女(さとう はつめ、1921年10月3日 - 2016年2月1日)は、日本の福祉活動家、教育者。1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を主宰。それ以前は弘前市内で自宅を開放して同様の活動をしており、こちらは「弘前イスキア」と呼ばれていた。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、からだから心の問題も改善していくことができると訴えた。 「イスキア」とは、イタリア西南部のナポリ湾の西に浮かぶイスキア島の名前から採られたもの。ナポリの富豪の息子で、何不自由ない暮らしをしていた青年が、この島を訪れて、贅沢三昧の生活から、自分を静かに振り返ることを学び、そこの司祭館に滞在したというエピソードから借用されたものである。
小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 20… 小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 2020年2月8日)は、日本の法学者。専門は、憲法・法哲学。学位は、法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「憲法の構成原理」)。東京大学名誉教授。総合人間学会初代会長。 長野県小県郡滋野村(現・小諸市)生まれ。旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)、旧制水戸高等学校(現・茨城大学文理学部)を経て、1942年東京帝国大学文学部哲学科入学も法学部政治学科に転じる。東京帝大在学中に学徒出陣。二等兵、少尉等を経て、1947年高等文官試験合格。復学して受けた法哲学者尾高朝雄のカントに関する講義に感動し、師事する。 法哲学者として出発し、1951年、東京大学教養学部で法学を教えていたが、1959年、宮沢俊義の後任として、憲法学に転籍し、2年間のドイツ留学を経て、1961年東京大学法学部教授(憲法学)となる。
久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 194… 久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 1945年4月28日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手。大日本帝国海軍軍人。神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇のジャンプ選手として有名である。 1921年10月2日に北海道小樽市で生まれた。実家近く(小樽市奥沢・眞栄地区)にゲレンデが多かった影響もあり、少年時代よりスキーの才能を開花させた。1935年に旧制小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)入学後は、校内にジャンプ台・山小屋風ヒュッテ・夜間照明など恵まれた環境を活かし、メキメキ実力を上げていった。そして4年生だった1939年の第17回全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ少年の部で65.5m,60mのジャンプを見せ、総合点222.5の成績で優勝を果たした。
鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2… 鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2日 - 2005年(平成17年)12月3日)は、日本の官僚、政治家。消防庁長官、自治事務次官、鹿児島県知事、参議院議員を歴任。 鹿児島県日置郡田布施村大字尾下(のちの金峰町、現南さつま市)出身。鹿児島二中(現甲南高校)、七高造士館を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1943年(昭和18年)、内務省入省。朝鮮総督府への出向、静岡県副知事、税務局長、財政局長、消防庁長官などを経て、1973年(昭和48年)に自治事務次官となる。退官後の1977年(昭和52年)に鹿児島県知事選に立候補し初当選。1989年(平成元年)まで3期12年務めた。在任中は、「官僚出身」を感じさせないざっくばらんな人柄で県民に親しまれた。
大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 20… 大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
神田 信夫(かんだ のぶお、1921年(大正10年)10月2… 神田 信夫(かんだ のぶお、1921年(大正10年)10月2日 - 2003年(平成15年)12月30日)は、日本の歴史学者。専門は東洋史、特に清朝史、満州族史。明治大学名誉教授。父は東洋史、書誌学者の神田喜一郎。岳父は恩師でもある和田清。 1921年、京都府京都市で生まれた。父の神田喜一郎が京都帝国大学文学部史学科支那史学専攻を卒業した年に生まれ、1929年に父が台北帝国大学に赴任した際には同行し、幼少期は当時日本領だった台湾で過ごした。 1941年に台北高文科を卒業し、東京帝国大学に入学し、文学部東洋史学科で山根幸夫と同期で学んだ。1943年9月に卒業。同年10月より2年間、大学院特別研究生として、指導教授和田清のもと「満州八旗の研究」のテーマで研究を始めた。
秋月 龍珉(あきづき りょうみん、1921年10月1日 - … 秋月 龍珉(あきづき りょうみん、1921年10月1日 - 1999年9月13日)は、日本の仏教学者、倫理学者。埼玉医科大学名誉教授。成城大学講師。 宮崎県宮崎市出身。東京帝国大学文学部哲学科卒。居士身(在家)で禅の修行を行い、50歳を過ぎた1972年に臨済宗妙心寺派の僧籍に入る。臨済正宗『真人会』師家、埼玉医科大学教授、花園大学教授、雑誌『大乗禅』主幹を務めた。
松島静雄(まつしま しずお、1921年10月1日-2007年… 松島静雄(まつしま しずお、1921年10月1日-2007年1月15日)は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。労働社会学、産業社会学専攻。門下に石川晃弘。 東京生まれ。1943年東京帝国大学文学部社会学科卒。東京大学教養学部助教授、1963年教授、1981年定年退官、名誉教授、日本大学文理学部教授、1992年東京都立労働研究所所長。
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 … 竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長。
丸井 文男(まるい ふみお、1921年9月29日 - 199… 丸井 文男(まるい ふみお、1921年9月29日 - 1996年3月17日)は日本の精神医学者。専門は精神発達障害に関する研究。 長野県小県郡丸子町(現上田市)出身。昭和22年(1947年)東北帝国大学医学部卒業。昭和26年(1951年)名古屋大学医学部付属病院助手、同30年(1955年)同教育学部講師、同34年(1959年)助教授、同43年(1968年)教授。同58年(1983年)愛知教育大学学長、平成2年(1990年)長野大学学長。同7年(1995年)勲二等旭日重光章。昭和34年(1959年)名古屋大学より医学博士を取得(論文タイトルは『TATに関する研究』)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
曲直部 寿夫(まなべ ひさお、1921年9月28日 - 19… 曲直部 寿夫(まなべ ひさお、1921年9月28日 - 1996年12月17日)は日本の心臓外科医、外科学者。大阪帝国大学卒業。臓器移植や人工臓器の開発に力を注ぎ、日本の心臓外科手術の礎を作った。 1921年(大正10年)大阪府生まれ。大阪大学医学部助手であった1956年(昭和31年)、ファロー四徴症の手術において、日本国内最初の体外循環装置を用いた心臓外科手術に成功。当時はもちろん体外循環装置を動かす臨床工学技士はおらず、心臓外科医自身が人工心肺、充填液の処方、血液の用意などのシステム全体において責任があり、非常に困難な手術であった。 その後阪大教授を経て1977年(昭和52年)に国立循環器病研究センター初代病院長、1983年には同二代目総長に就任。
隈丸 次郎(くままる じろう、1921年9月26日 - 20… 隈丸 次郎(くままる じろう、1921年9月26日 - 2007年6月8日)は、福岡県久留米市出身の男子テニス選手。慶應義塾大学経済学部卒業。第二次世界大戦終戦直後の時代に、日本男子テニス界をリードした名選手のひとりである。彼は1949年から1952年まで全日本テニス選手権男子シングルス4連覇を達成し、1951年と1952年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本代表選手を務めた。現役選手時代の体格は、身長174cm・体重57kgほどであった。 隈丸がテニスを始めたきっかけは、佐藤次郎が1934年4月5日にマラッカ海峡で投身自殺した新聞記事の号外だったという。しかし、彼の近くには専門のテニスコーチがいなかったため、技術解説専門書の日本語訳を読みながら独学でテニスを勉強した。
若菜 珪(わかな けい、1921年9月25日 - 1995年… 若菜 珪(わかな けい、1921年9月25日 - 1995年8月1日)は、日本の童画画家、イラストレーター、画家。埼玉県出身。男性。主に昭和時代を中心に活動。 多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)図案科(現・美術学部グラフィックデザイン学科)卒。主に児童文学、児童誌を中心に様々な挿絵を手掛けた。日本児童出版美術家連盟会員、日本国際児童図書評議会会員であった。 イラストレーターの若菜等は実の息子である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
深緑 夏代(ふかみどり なつよ、1921年9月24日 - 2… 深緑 夏代(ふかみどり なつよ、1921年9月24日 - 2009年8月31日)は、京城(現在のソウル)出身のシャンソン歌手、音楽講師。元宝塚歌劇団雪組主演娘役の宝塚歌劇団卒業生。 本名は多田 玲子(ただ れいこ)で、愛称はターコさん、タマコさん、ターコ先生など。
村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24… 村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24日 - 2007年〈平成19年〉3月22日)は、日本の政治家。第3代日本共産党委員長(中央委員会幹部会委員長)。名誉役員。元全逓信従業員組合大阪地方協会会長。 1972年の総選挙で大阪3区(分区前)から初当選、分区後も大阪3区から衆議院議員を通算4期務めた。 広島県因島市(現:尾道市)に、10人兄弟の5番目の子として生まれる。 逓信省逓信官吏練習所行政科を卒業。戦時中は兵士として広島にいた。1947年日本共産党入党。1948年に阪神教育事件で首謀者とされ、占領政策違反で大阪刑務所に服役、1年8ヶ月投獄される。党の50年分裂では所感派に属する。
菅野 直(かんの なおし、1921年〈大正10年〉9月23日… 菅野 直(かんの なおし、1921年〈大正10年〉9月23日- 1945年〈昭和20年〉8月1日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。大東亜戦争における撃墜王。戦死認定による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 胴体に黄色のストライプが描かれた紫電改で、前方高度差1000メートル以上の高さから、背転して真っ逆さまに垂直に突っ込み、真上から敵機に攻め込む「対大型爆撃機戦法」を編み出し、米軍の大型戦闘機パイロット達の間で「イエローファイター」と呼ばれて怖れられた人物である。 1921年(大正10年)9月23日、警察署長である父・浪治の赴任先で日本統治下の朝鮮の竜口(現:北朝鮮平壌近郊)に次男として生まれる。
佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - … 佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - 2011年4月12日)は、日本の工学者、工学博士。東北大学名誉教授。東北学院大学名誉教授。宮城県古川市(現大崎市古川)に生まれる。東京タワー(日本電波塔)の放送アンテナや、新幹線の通信システムの設計、開発に従事。通信工学の権威。 専門は通信工学、電気回路学、情報伝送工学、環境電磁工学で著書も多い。主な業績として次のものが挙げられる。
宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22… 宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省官房長、行政局長、消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。 戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟。 自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父。母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。 娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。 広島県福山市出身。宮澤裕の次男。宮澤三兄弟の幼少の頃を知る従姉妹の和田貞子によれば、「三人はいずれも二歳違いで、とても仲の良い兄弟でした。住まいは東京でしたが、夏になると伯父(裕)の故郷であるこの福山に帰ってきて、海水浴などにでかけていました。
岡部 鷹司(おかべ たかし、1921年9月22日 - 201… 岡部 鷹司(おかべ たかし、1921年9月22日 - 2018年5月24日)は日本の政治家。御所浦町長(7期)を務めた。 1921年9月22日、熊本県天草郡御所浦町(現天草市)に生まれる。1940年、旧熊本県立天草中学校(現熊本県立天草高等学校)卒業。1942年、熊本高等工業学校(現熊本大学工学部)卒業。1945年、東北帝国大学工学部(現東北大学工学部)卒業し、林兼造船に入社する。1951年、九州産業交通(現九州産業交通ホールディングス)に入社する。1972年、岡部産業取締役になる。1979年5月、御所浦町長となる。1991年4月16日、第12回統一地方選挙下で告示された御所浦町長選挙で無投票で4選を果たした。
久場 とよ(くば とよ、1921年9月22日 - 2017年… 久場 とよ(くば とよ、1921年9月22日 - 2017年2月26日)は、沖縄県出身の画家。本名は久場 トヨ。 那覇市出身。那覇尋常小学校で島田寛平、沖縄県立第二高等女学校で名渡山愛順から、絵画の手ほどきを受ける。沖縄県立第二高等女学校、東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)卒業。 第二次世界大戦後、薬剤師としての仕事と並行して創作活動を続け、沖縄画壇の第一線で活躍した。1977年に沖縄女流美術家協会の初代会長に就任し、沖縄女流画壇のまとめ役を担った。 2017年2月26日に老衰により死去した。95歳。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
谷 省吾(たに せいご、1921年9月21日 - 2011年… 谷 省吾(たに せいご、1921年9月21日 - 2011年11月5日)は、日本の神道学者。皇學館大学学長を歴任。鈴木重胤と皇学研究の第一人者。垂加神道の研究にも従事した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
利根山 光人(とねやま こうじん、1921年9月19日 - … 利根山 光人(とねやま こうじん、1921年9月19日 - 1994年4月14日)は日本の美術家、画家。メキシコを題材とした情熱的な作品を数多く残し太陽の画家と呼ばれた。茨城県結城市出身。 6人兄弟の末子として生まれる。幼時より創作活動を行っていた。早稲田大学高等師範部国語漢文科(現在の教育学部国語国文学科)卒業後は、静岡県の農業学校、栃木県立烏山高等女学校、海城学園に国語教員として勤務した。その後、一時教員生活を去り、メキシコなどへ渡航した。シケイロス、オロスコなど壁画作家の影響を受ける。帰国後は聖徳学園高等保育学校、聖徳学園短期大学などで教えながら、創作活動を行う。 メキシコのマヤ文明をテーマにした作品(リトグラフ、油彩)を数多く残し、日本芸術大賞やメキシコにおける最高文化勲章であるアギラ・アステカ・ブラーカ賞などを受賞した。
長 大作(ちょう だいさく、1921年9月16日 - 201… 長 大作(ちょう だいさく、1921年9月16日 - 2014年5月1日)は、日本の家具デザイナー、建築家。 中国東北部(旧満洲)生まれ。1945年に東京美術学校建築科を卒業し、1947年に坂倉準三建築研究所に入社。 1957年の「藤山愛一郎邸」、1958年の「八代目 松本幸四郎邸」では、建築の設計から家具のデザインに至るすべてを手がけたという。 1960年に「低座イス」を発表して同年グッドデザイン賞を受賞。1972年に長大作建築設計室を立ち上げた。
山上 一夫(やまがみ かずお、1921年9月16日 – 20… 山上 一夫(やまがみ かずお、1921年9月16日 – 2013年(平成25年)8月30日)は、元日本公認会計士協会会長。 1921年出生。1942年、明治大学法学部卒業。1952年、公認会計士第3次試験合格、税理士試験合格。1989~1992年の間、日本公認会計士協会会長を務める。1984年に藍綬褒章、1992年に勲三等瑞宝章を受章。日本医科大学顧問税理士、日本公認会計士協会相談役なども務めた。 2013年、慢性心不全のため死去。92歳没。
樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2… 樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2011年10月1日)は、日本の国文学者。専門は中古・中世和歌文学。愛知教育大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。1983年角川源義賞受賞。1997年勲三等旭日中綬章受章。 1921年(大正10年)9月、愛知県名古屋市に生まれる。旧制愛知県明倫中学校、旧制第八高等学校を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学文学部国文学科卒業。1951年(昭和26年)、愛知学芸大学講師、1968年(昭和43年)、愛知教育大学教授、1985年(昭和60年)、同大学定年退官、同大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1997年(平成9年)、愛知淑徳大学定年退職、同大学名誉教授。
広瀬功(ひろせ こう、1921年9月15日 - 2006年2… 広瀬功(ひろせ こう、1921年9月15日 - 2006年2月16日)は、日本の洋画家。日展を中心に活動し、風景画や静物画で知られた。日本芸術院賞受賞者。 神奈川県に生まれる。1946年に東京美術学校油絵科を卒業し、同年日展に初入選した。1950年に日展特選を受賞し、1963年には日展審査員を務めた。 風景画や静物画を主に手がけ、日展を主な発表の場とした。1982年には日展内閣総理大臣賞を受賞し、1985年には日展出品作「高原の秋」に対して日本芸術院賞を受賞した。翌1986年には小山敬三賞を受賞した。 山岳、高原、湖沼、都市風景などを主題とし、代表作に「妙高高原新雪」などの風景画を残した。
松田 武彦(まつだ たけひこ、1921年 <大正10年> 9… 松田 武彦(まつだ たけひこ、1921年 <大正10年> 9月14日 - 1999年 <平成11年> 1月26日)は、日本の工学者、工学博士。位階は従三位。 カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)でハーバート・サイモンに学び、東京工業大学経営工学科助教授、教授、学長を歴任。日本オペレーションズ・リサーチ学会(OR学会)会長、IFORS(国際OR学会連合)会長、経営情報学会初代会長などをつとめ、日本における経営工学、OR研究の黎明期において、その発展、普及に寄与した。研究面では組織知能工学などを提唱。松田研究室出身者に飯島淳一など。
神林 虎二(かんばやし とらじ、1921年9月14日 - 没… 神林 虎二(かんばやし とらじ、1921年9月14日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。近畿銀行社長、会長を務めた。茨城県出身。 1950年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1951年に近畿相互銀行に入社。1968年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1979年6月には社長に就任した。1983年6月に会長を経て、1987年6月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。
遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 200… 遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 2005年5月5日)は、日本の法学者。専門は民法。学習院大学名誉教授。山形県米沢市出身。 米沢市の実家(鍛冶町)の斜向かいに我妻栄の生家(鉄砲町)があった。米沢興譲館中学校3年時に肋膜炎・肺結核を患い、以後三十数年間は持病を抱えながらの生活となる。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。法学部大学院で我妻に師事した。 学習院大学名誉教授。元司法試験考査委員(任:1968年 - 1984年)および元国家公務員上級試験(現在の国家公務員第I種試験)考査委員(任:1970年 - 1972年)。元弁護士。勲三等瑞宝章受章。 米沢高等学校で教師と野球部監督を務め、プロ野球で活躍する皆川睦雄(南海ホークス)を指導した経歴を持っている。