益田 一(ますだ はじめ、1921年6月18日 - 2005… 益田 一(ますだ はじめ、1921年6月18日 - 2005年12月8日)は、日本の写真家、魚類研究家。 1921年に東京で生まれる。慶應義塾大学文学部独文科卒業。 1960年代以降水中写真家として活動し、多くの魚類図鑑を刊行した。益田海洋生物研究グループを結成して活動。当時としては画期的なカラー写真による生態観察の成果を次々と発表し、海洋関係の学会に新風を吹き込んだ。 1964年、伊豆海洋公園(静岡県伊東市)に伊豆海洋公園ダイビングセンターを設立、所長を務めた。また、東海大学の海洋学部アクアラング訓練所を改称し、潜水訓練センターを設立(1985年閉鎖)。1974年、株式会社益田海洋プロダクションを設立し、代表取締役会長を務めた。
もっと読む
辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 20… 辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 2019年9月23日)は、日本の実業家。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業株式会社専務、トヨタ自動車株式会社副社長、トヨタ自動車株式会社副会長、国際デジタル通信株式会社会長、株式会社豊田自動織機製作所会長などを歴任した。 滋賀県彦根市出身。1946年に神戸経済大学(現神戸大学)卒業。 大学卒業後、トヨタ自動車工業に入社し、大学の先輩にあたる花井正八に師事。1972年楠兼敬とともに取締役に昇格。1978年常務取締役。1980年専務取締役。1982年副社長。1985年藍綬褒章受章。1986年から副会長として円高緊急対策委員長を務め、円高への対応などにあたった。
もっと読む
前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)… 前田 幸市郎(まえだ こういちろう、1921年(大正10年)6月16日 - 1989年(平成元年)9月18日)は東京都出身の指揮者、大学教授。 東京都生まれ。加賀前田家の支藩である富山藩の前田家、男爵前田利功の三男。 1942年東京音楽学校(現東京藝術大学)声楽科卒業。同研究科にて指揮法を学ぶ。橋本國彦、尾高尚忠、クルト・ヴェスに師事。 NHK交響楽団、東京混声合唱団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団等を指揮。 また東京室内混声合唱団、東京大学音楽部コールアカデミーなどの指導に当たった。 教育者として、山形大学、横浜国立大学、東京音楽大学にて教鞭をとった。 息子にチェロ奏者・上野学園大学教授の前田幸康がいる。
もっと読む
石元 泰博(いしもと やすひろ、1921年6月14日 - 2… 石元 泰博(いしもと やすひろ、1921年6月14日 - 2012年2月6日)は、日本の写真家。 アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ。3歳のときに、両親の故郷である高知県高岡町(現・土佐市)に移り住む。1939年、高知県立農業学校(現・高知県立高知農業高等学校)を卒業後に再渡米し、カリフォルニア大学農業スクールで農業を学ぶ。第二次世界大戦中の1942年から1944年まで、日系人の強制収容によりコロラド州南東部のアマチ収容所に収容され、この期間に写真に興味を持つようになる。1944年、沿岸の州への居住禁止を条件に解放され、シカゴに移住する。ノースウェスタン大学建築科から転じて、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで写真を学び、1952年に卒業。
もっと読む
春日 俊二(かすが しゅんじ、1921年6月14日 - 没年… 春日 俊二(かすが しゅんじ、1921年6月14日 - 没年不明)は、日本の俳優、声優。旧芸名は春日 俊次(読みは同じ)。本名は春日 章良(かすが あきよし)。 新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。東京芸術劇場、劇団青俳、劇団民藝、銀座プロ、劇団新劇場に所属していた。
もっと読む
田川 博一(たがわ ひろいち、1921年6月13日 - 20… 田川 博一(たがわ ひろいち、1921年6月13日 - 2000年2月10日)は、日本の編集者、経営者。文藝春秋社副社長を務めた。 新潟県出身。1937年に早稲田大学文学部仏文科を卒業し、同年に文藝春秋社に入社。1945年、陸軍航空機整備員として第三振武隊(後に第二十振武隊)の特攻機整備業務に従事した。第二次世界大戦後、文芸春秋の編集委員を経て、1952年に別冊文芸春秋編集局長に就任し、特集漫画読本・文藝春秋・週刊文春の各編集長、広告局長、取締役、常務、専務を経て、1986年5月に副社長に就任。1987年6月に常任監査役を経て、1989年6月に相談役に退く。 2000年2月10日、肺炎のために死去。
もっと読む
森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 19… 森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 1993年3月18日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。ヨーロッパの哲学を研究。 フランス・パリ生まれ。1939年京都府立京都第一中学校卒、1942年第一高等学校(文科甲類)卒、1947年京都帝国大学文学部哲学科卒、1949年京都帝国大学大学院修了。1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年同講師、1957年大阪市立大学文学部助教授、1965年京都大学文学部倫理学科助教授、1967年同教授、1985年定年退官、名誉教授。
もっと読む
生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> … 生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> 6月12日 - 2004年 <平成16年> 12月11日)は、日本の経営者。北海道ガス社長を務めた。位階は正五位。 愛知県名古屋市出身。1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1948年に東京ガスに入社。1972年9月に取締役に就任し、1973年9月に常務、1977年1月に専務を経て、1981年7月に副社長に就任し、1985年6月には北海道ガス社長に就任。1990年6月に取締役相談役に就任。 1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2004年12月11日肺水腫のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
呉 鐸根(オ・タックン、ご たくこん、大正10年(1921年… 呉 鐸根(オ・タックン、ご たくこん、大正10年(1921年)6月12日 - 2013年9月15日)は、韓国の政治家。元検察総長、法務部長官。 元財務部長官の千炳圭は姉妹の夫。元国会議員の金龍周の息子の1人(金武星の兄)は娘婿。 1921年、慶尚北道義城にて出生。本貫は海州呉氏。1943年、明治大学法学部卒業(戦時下の繰り上げ卒業)。史上最年少で日本の高等文官試験(後の国家公務員Ⅰ種試験)に合格。1950年、大邱地検検事に着任して以降、累進し、検察総長、法務長官などを務めた。
もっと読む
高木 宏夫(たかぎ ひろお、1921年6月11日 - 200… 高木 宏夫(たかぎ ひろお、1921年6月11日 - 2005年8月27日)は、日本の宗教学者。 大阪府出身。皇學館大学卒、1949年(昭和24年)東京帝國大學文学部宗教学科卒、同年東京大学東洋文化研究所助手、、1958年(昭和33年)東洋大学社会学部助教授、教授。同井上円了記念学術センター初代所長。1992年(平成4年)定年退任、名誉教授。 著作「日本人の宗教生活の実体」で1956年第一回姉崎記念賞。
もっと読む
楠 正俊(くすのき まさとし、1921年〈大正10年〉6月1… 楠 正俊(くすのき まさとし、1921年〈大正10年〉6月11日 - 2007年〈平成19年〉12月13日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。海軍軍人。東洋英和女学院大学教授の楠精一郎は息子。 1921年(大正10年)東京府(現在の東京都)生まれ。1947年(昭和22年)文部省大臣官房宗務課(現在の文化庁文化部宗務課)勤務。3年勤務した後、1951年に設立された新宗連の結成に事務局員として参加。後に事務局長を務める。 1965年(昭和40年)第7回参議院議員通常選挙で全国区に自由民主党から出馬し、初当選。1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙全国区で再選。1973年(昭和48年)4月30日自民党の玉置和郎参議院議員、藤尾正行衆議院議員と訪台。
もっと読む
宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10… 宇佐美福生(うさみ ふくお、1921年(大正10年)6月10日-1984年(昭和59年)6月2日)は、日本の政治家・俳人・市民運動家。北海道紋別郡生田原町出身。旧制北海道野付牛中学校(現、北海道北見北斗高等学校)を経て、早稲田大学政経学部卒業。北海道北見市長(1967年-1975年、2期)。 早稲田大学卒業後、市の職員として北見市立東陵中学校などの中学校教諭に就く。教師時代から、市民運動・住民運動に力を入れ、1956年(昭和31年)に北海道教職員組合北見市支部執行委員長に就き、その後、全北海道労働組合協議会副議長を歴任。1967年(昭和42年)北見市長選挙に出馬し現職の滝野啓次郎を破って革新系首長として初当選する。
もっと読む
清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004… 清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004年12月10日)は、日本の国文学者。専門は平安文学、主に『源氏物語』について研究した。夫は万葉学者で京都女子大学名誉教授の清水克彦。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立大手前高等女学校卒、1942年奈良女子高等師範学校卒、天王寺高等女学校教諭。1944年東北帝国大学文学部国文科に入学、1946年中退して京都帝国大学文学部国文科に転じ、1949年卒業、同大学大学院に入学。1952年京都府立桂高等学校教諭、1956年退職。京都学芸大学や京都大学、同志社大学の非常勤講師を経て、1965年金蘭短期大学助教授。1967年関西大学文学部専任講師、1968年同助教授、1971年同教授。
もっと読む
荒木 一雄(あらき かずお、1921年6月8日 - 2013… 荒木 一雄(あらき かずお、1921年6月8日 - 2013年1月17日)は、日本の英語学者。学位は、文学博士(東京教育大学・1967年)。名古屋大学名誉教授。 鳥取市出身。1944年東京文理科大学卒。鳥取大学講師、大阪市立大学講師、助教授、1967年「A study of Shakespeare’s use of simple relative pronouns」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1969年名古屋大学文学部教授、1970年文学部長、1985年定年退官、名誉教授、甲南大学教授、京都外国語大学教授。1997年退職。同年勲二等瑞宝章受章。
もっと読む
福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 … 福田 武(ふくだ たけし、1921年〈大正10年〉6月5日 - )は、日本の政治家。元栃木県鹿沼市長(2期)。 栃木県出身。旧制宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部卒。卒業後は陸軍に入隊する。 戦後は地元で肥料商を始め、鹿沼相互信用金庫に入り、理事長、会長となる。ほか、鹿沼商工会議所会頭、栃木県信用金庫協会会長、全国信用金庫協会理事などを歴任する。 1992年(平成4年)鹿沼市長稲川武が2回目の当選を決めた直後に急逝したために行われた市長選挙に立候補し、対立候補に大差を付け、当選。1996年(平成8年)に再選。2000年(平成12年)に三選を目指したが、元鹿沼市議会議長の阿部和夫に敗れた。
もっと読む
冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 198… 冨原 芳彰(ふはら よしあき、1921年6月5日 - 1988年1月26日)は、英文学者、筑波大学名誉教授。 静岡県御殿場市生まれ。1944年東京文理科大学英文科卒、兵役ののち、研究社入社、『英語青年』の編集にあたる。1959-1960年ハーヴァード大学に留学。一橋大学社会学部助教授、筑波大学教授、1979-1980年日本英文学会会長。1985年定年退官、大妻女子大学教授。1988年、在職中に心筋梗塞のため死去。 シェイクスピアが専門、福原麟太郎に師事した。しばしば富原芳彰と表記される。
もっと読む
工藤 綏夫(くどう やすお、1921年6月3日 - 2015… 工藤 綏夫(くどう やすお、1921年6月3日 - 2015年1月17日)は、日本の倫理学者。秋田大学名誉教授。 秋田県生まれ。1946年東京文理科大学哲学科倫理学専攻卒、秋田大学教育学部助教授、教授、1985年定年退官、名誉教授、日本赤十字看護大学教授。 1995年勲二等瑞宝章叙勲。 2015年1月17日、老衰のため死去。93歳歿。没後に正四位に叙された 。
もっと読む
木屋 隆安(きや たかやす、1921年6月1日 - 1992… 木屋 隆安(きや たかやす、1921年6月1日 - 1992年3月11日)は、日本の作家、ジャーナリスト。 東京市芝白金三光町に生まれる。本籍・福岡県。1942年大東文化学院本科卒業、広島文理科大学文学部史学科入学。43年11月学徒動員、福岡歩兵24連隊入隊。45年満洲でソ連に捕えられ抑留、1950年に帰国、時事通信社入社、松山支社、本社政治部、地方部、外信部員、香港特派員、前橋支部長(モスクワ特派員の内示を受けるが入国拒否に遭う)。社会部次長、文化部長、社会部長、72年退社、1973年内外ニュース主筆、78年退社、中外ニュース社取締役主筆・編集主幹、専務。吉川晋に師事して小説も書いた。
もっと読む
末永 俊郎(すえなが としろう、1921年5月31日 - 2… 末永 俊郎(すえなが としろう、1921年5月31日 - 2007年7月8日)は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。 浪速高等学校を経て、1943年東京帝国大学心理学科卒、東大文学部助教授、教授、1982年定年退官、日本大学教授。1989年帝京大学教授、1997年定年。1994年 日本心理学会名誉会員。2007年、肺炎による呼吸器不全のため86歳で死去した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
岡 義達(おか よしさと、1921年5月28日 - 1999… 岡 義達(おか よしさと、1921年5月28日 - 1999年6月2日)は、日本の政治学者。専門は、政治学。東京大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制府立高等学校、1946年東京帝国大学法学部政治学科卒業。1951年同大学院特別研究生中退。堀豊彦に師事。一橋大学社会学部助教授(1954-1964年)、東京大学法学部教授(1964-1982年)、大東文化大学法学部教授(1982-94年)を歴任。1999年、食道癌のため死去。
もっと読む
横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 199… 横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 1996年7月30日)は、日本の経済学者・統計学者。大阪大学名誉教授、高岡短期大学初代学長・名誉教授。博士。数理経済学者として日本の戦後初期の経済学発展に大きく貢献した。 神奈川県生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。第七高等学校造士館 (旧制)理科甲類に1940年4月入学、1942年9月卒業。東京帝国大学理学部数学科に1942年10月入学、1945年9月卒業。1946年2月1日に関東学院中学部講師嘱託となり、6月1日に関東学院工業専門学校講師に転任、12月1日に同校教授に昇任し1949年3月31日まで務める。1949年度は新制静岡県立富士高等学校に教諭として勤務。
もっと読む
片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 20… 片山 伍一(かたやま ごいち、1921年5月27日 - 2001年1月28日)は、日本の経営学者。九州大学名誉教授。日本経営財務研究学会会長や、日本学術会議会員を務めた。勲二等瑞宝章受章。 熊本県生まれ。1953年九州大学経済学部卒業。馬場克三門下。同年九州大学経済学部助手。1958年九州大学経済学部助教授(経営学講座)。1960年九州大学経済学部助教授(経営財務論講座(新設))。1968年九州大学経済学部教授(経営財務論講座)。1977年日本学術会議会員(第3部)。1986年日本経営財務研究学会会長。退官後、福岡大学教授、九州大学名誉教授。1995年勲二等瑞宝章受章。指導学生に丑山優九州大学名誉教授など。
もっと読む
原 五郎(はら ごろう、1921年5月26日- 2012年6… 原 五郎(はら ごろう、1921年5月26日- 2012年6月16日 )は、日本の経営者。三井倉庫社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1946年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三井倉庫に入社した。1973年に取締役に就任し、1974年5月に常務、1977年3月に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1981年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2012年6月16日、呼吸不全のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - … 堯天 義久(ぎょうてん よしひさ、1921年5月24日 - 2013年1月20日)は、日本の建築学者。専門は建築構造学。第8代神戸大学学長、第3代大学入試センター所長を務めた。 香川県観音寺市出身。1939年、愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)卒業。1941年、徳島高等工業学校(現・徳島大学工学部)機械工学科卒業。 1942年に東京工業大学(のちの東京科学大学)附属高等工業教員養成所建築学科に入学。1944年に卒業し、同年9月に神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)に着任する。 1947年、神戸工業専門学校教授。1951年、神戸大学助教授。1959年、東京工業大学工学博士。 神戸大学教授を経て、1981年から1985年まで神戸大学学長を務め、神戸大学名誉教授の称号を受けた。
もっと読む
山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没… 山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 長崎県出身。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1975年4月から1979年4月までに理事を務め、同年6月に副頭取に就任し、1980年9月には協和銀行頭取に昇格。1986年9月に会長に就任し、1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)を経て、1998年4月から名誉顧問を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
もっと読む
相良 亨(さがら とおる、1921年 <大正10年> 5月2… 相良 亨(さがら とおる、1921年 <大正10年> 5月23日 - 2000年 <平成12年> 10月14日)は、日本の学者。専門は日本思想史(日本倫理思想史)。東京大学名誉教授。日本学士院会員。位階は従四位。 1921年、石川県金沢市に生まれる。旧制水戸中学、旧制水戸高等学校を経て、1944年東京帝国大学文学部倫理学科卒業。和辻哲郎に師事。茨城大学助教授、1965年東京大学文学部助教授、1971年教授。1982年定年退官、名誉教授、共立女子大学教授。1996年春、勲三等旭日中綬章受勲。2000年、逝去。死没日付をもって従四位に叙された。 師・和辻哲郎の和辻倫理学を継承し、日本文化での「美と倫理」を考究した。
もっと読む
堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997… 堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997年10月6日)は、ジャーナリスト、俳人。 愛知県名古屋市生まれ。本名・堀健三。名古屋高等商業学校卒、神戸大学卒。1948年中部日本新聞に入社、ニューデリー特派員、モスクワ特派員、論説委員、1972年「東京新聞」の「筆洗」欄を担当。モスクワ滞在の際「フルシチョフ」をもじって古蝶(ふるしてふ)の俳号をつける。東京新聞客員論説委員。1993年『俳人松瀬青々』で俳人協会評論賞受賞。
もっと読む
稲田 陽一(いなだ よういち、1921年5月21日 - 20… 稲田 陽一(いなだ よういち、1921年5月21日 - 2006年5月20日)は、日本の法学者(憲法)・弁護士。岡山大学名誉教授。 香川県高松市出身。第六高等学校卒、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒、香川大学経済学部助教授、岡山大学法学部助教授、教授を務め、1987年定年退官、名誉教授となり、高岡法科大学法学部教授を務めた。弁護士。
もっと読む
鈴木 雅洲(すずき まさくに、1921年(大正10年)5月2… 鈴木 雅洲(すずき まさくに、1921年(大正10年)5月21日 - 2015年(平成27年)11月23日)は、日本の産婦人科医、東北大学名誉教授。仙台市青葉区出身。 東京帝国大学医学部卒。1955年東北大学より医学博士の学位を取得。東北大学医学部産婦人科教室、1964年新潟大学医学部教授、1970年東北大学医学部教授。1983年日本で初めて体外受精児の誕生に成功、1992年顕微鏡下での授精による出産を成功させる。1985年東北大退官、名誉教授、小山市民病院院長、1986年スズキ病院(現・スズキ記念病院)院長。 2015年、「ヒト体外受精・胚移植の確立と普及に関する研究」により日本学士院賞を受賞。
もっと読む
久米 豊(くめ ゆたか、1921年(大正10年)5月20日 … 久米 豊(くめ ゆたか、1921年(大正10年)5月20日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の実業家、元日産自動車社長、元日本自動車工業会会長。東京都出身。位階は従三位。
もっと読む
宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - … 宮坂 宥勝(みやさか ゆうしょう、1921年5月20日 - 2011年1月11日)は、日本の仏教学者・インド哲学研究者。名古屋大学名誉教授。真言宗智山派管長、総本山智積院化主。 1921年、長野県岡谷市で生まれた。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制智山専門学校(現・大正大学)を経て、東北大学法文学部印度科に進学。1948年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1954年、博士課程を中退。 1954年、高野山大学助教授に就いた。1957年、学位論文『インド仏教の認識論:とくにPramanavarttika(英語版)を中心として』を東北大学に提出して文学博士の学位を取得。1965年、高野山大学教授に昇格。
もっと読む
田淵 安一(たぶち やすかず、1921年5月20日 - 20… 田淵 安一(たぶち やすかず、1921年5月20日 - 2009年11月24日)は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の抽象画家。 1921年に福岡県小倉市(現・北九州市)に生まれ、母親の影響で幼少時からオーブリー・ビアズリーやラファエル前派などに親しんだ。1941年に第三高等学校(現・京都大学)文科丙類に入学。中学時代から絵画制作を行っており、三高在学中の1942年と1943年には京都市美術展に入選している。1943年には学徒動員で日本国海軍に入隊し、米子海軍航空基地で太平洋戦争終戦を迎えた。 終戦直後の1945年には東京大学文学部美術史学科に入学して猪熊弦一郎に師事し、1948年には東京大学大学院に進学した。
もっと読む
相田 暢一(あいだ ちょういち、1921年5月19日 - 2… 相田 暢一(あいだ ちょういち、1921年5月19日 - 2012年4月17日)は、日本の元大学野球選手、アマチュア野球指導者、アマチュア野球審判員。1940年代から2010年代にかけてアマチュア野球の振興に尽力し、その功績が評価され野球殿堂入り(特別表彰)を果たした。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学校(現在の北海道小樽潮陵高等学校)で投手としてマウンドに立ち、旧制中学校卒業後に早稲田大学に入学する。法学部で学ぶ傍ら、部活に打ち込んだが、肩を負傷したことをきっかけにマネジャーに転身する。 早稲田大学在学中の1943年、学徒出陣前に早大戸塚球場で行われた出陣学徒壮行早慶戦(いわゆる最後の早慶戦)の実現に奔走、当時の早稲田大学総長だった田中穂積など早大関係者を説得して回った。
もっと読む
山口 武平(やまぐち ぶへい、1921年〈大正10年〉5月1… 山口 武平(やまぐち ぶへい、1921年〈大正10年〉5月19日 - 2018年〈平成30年〉7月27日)は、日本の政治家。位階は正五位。 茨城県猿島郡神大実村助役、茨城県議会議員(14期)、茨城県議会議長(第64・97代)、全国都道府県議会議長会長、自由民主党茨城県支部連合会会長、同連合会最高顧問などを歴任した。 茨城県猿島郡神大実村(現在の坂東市)出身。茨城県立水海道中学校を経て、秋田鉱山専門学校卒業。 神大実村の助役を経て、1955年に茨城県議会議員選挙に初当選を果たした。同期には梶山静六(のちの内閣官房長官)がおり、梶山が国政に転出した後も盟友の関係であり続ける。1966年に茨城県議会議長選出をめぐる茨城県議会黒い霧事件で起訴され、最高裁判所まで争うが1989年1月に懲役8月執行猶予3年・追徴金20万円の有罪判決が確定した。
もっと読む
伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007… 伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007年5月14日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官。沖縄県出身者初の国務大臣として知られる。
もっと読む
小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月1… 小澤 正明(おざわ せいめい、1921年(大正10年)5月14日 - 2012年(平成24年)6月14日)は、日本の国文学者。元八幡大学学長、名誉教授、文学博士(関西学院大学・論文博士・1979年)。九州近代文学会理事。静岡県沼津市出身。 台北帝大時代、海軍予備学生として学徒出陣、長崎相浦海軍基地で出陣を待ったが終戦となる。1947年(昭和22年)戸畑専門学校で発足したサークル文芸部では戸専文学を発行。他に単行詩集、文学雑誌などを相次いで発行し文学啓蒙運動に力を注いだ。川端康成の研究でも知られており「川端康成文芸の世界」で文学博士号を取得している。
もっと読む
森川 敬介(もりかわ けいすけ、1921年5月14日 - 1… 森川 敬介(もりかわ けいすけ、1921年5月14日 - 1990年6月12日)は、日本の経営者。センコー社長を務めた。 東京都出身。1942年に鹿児島高等商業学校を卒業。肥料配給公団宮崎支所での勤務を経て、1949年9月に扇興運輸(現在のセンコー)に転じ、1969年11月に取締役に就任し、1971年4月に常務を経て、1976年10月に社長に就任。 1990年6月12日、肝不全のために死去。69歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 … 由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉5月20日)は、日本の喜劇俳優。本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。1950年代半ばからお笑いユニット“脱線トリオ”の一人として有名になり、解散後は喜劇役者、またコメディアンとして東北弁を駆使した言い回しや持ちギャグを用いてお茶の間を沸かせた。 宮城県石巻市にて、大工の親方である佐々木庄治と母きよの子として生まれる(3男3女の6人兄弟の長男)。父は腕のいい大工として知られていた。幼少期から茶目っ気があり、父の宴会で芸を披露するなどしていた。現在の石巻市立門脇小学校へ入学すると、学芸会で毎年主役を演じた。1930年小学3年次にレビュー劇団を見て感動し、後日東京に行くため、家出して入団を希望するが父親に連れ戻されたため断念したことがある。
もっと読む
竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月… 竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月12日 - 1945年(昭和20年)4月9日)は、日本の詩人。 三重県宇治山田市吹上町(現・伊勢市吹上)に生まれた。 明倫小学校を卒業後、宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に進学、中学在学中より友人と回覧雑誌を製作。1940年(昭和15年)に日本大学専門部映画科に入学し、伊丹万作の知遇を得る。1942年(昭和17年)6月、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。同年9月に日本大学を繰り上げで卒業し、入営。久居(現・津市)で初年兵として1年の訓練の後、吉沼(現・茨城県つくば市)で落下傘兵として厳しい訓練を課される。
もっと読む
大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月… 大崎 順彦(おおさき よりひこ、1921年〈大正10年〉5月10日 - 1999年〈平成11年〉8月25日)(享年78才) は、日本の耐震工学者。地震自体と地盤、構造物を一体で捉える研究手法で地震工学に大きな業績を残し、後進も多数育てた。建設省建築研究所と東京大学などで研究した後に民間へ転じ、清水建設副社長などを務めた。 京都府出身。第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)、東京帝国大学第一工学部航空学科を卒業。航空用エンジンの振動を研究した。 太平洋戦争後の1949年(昭和24年)、建設省建築研究所に勤務。アメリカ合衆国に留学して1953年(昭和28年)にノースウェスタン大学大学院を修了した。
もっと読む
時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009… 時岡 弘(ときおか ひろむ、1921年5月9日 - 2009年11月27日) は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。福井県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
もっと読む
杉浦 守邦(すぎうら もりくに、1921年5月8日 - 20… 杉浦 守邦(すぎうら もりくに、1921年5月8日 - 2015年12月4日)は、日本の医師、医学史家、山形大学名誉教授。位階は従四位。 1945年、京都府立医科大学卒。1955年、「教職員結核の疫学的研究」で同大医学博士。同大学助手、滋賀県教育委員会学校衛生技師、山形県教育委員会学校保健課長。1965年、山形大学教育学部教授。1969年から1981年まで、同大学保健管理センター所長。1987年、定年退官、名誉教授、京都蘇生会総合病院副院長、2004年、同名誉院長。 1996年に勲三等旭日中綬章を受けた。 『江戸期文化人の死因』で、間宮林蔵の死因を梅毒と推定した。
もっと読む
山田 修(やまだ おさむ、1921年〈大正10年〉5月8日 … 山田 修(やまだ おさむ、1921年〈大正10年〉5月8日 - 2017年[要出典])は、日本の教育者、教育評論家。 群馬県多野郡藤岡町(現:藤岡市)出身。農家の二男として生まれる。 美土里小学校尋常高等小学校卒業後、高津仲次郎の設立した多野実業公民学校に入学し農業や養蚕を学ぶも月謝が払えず2年で中退、月謝が不要な熊谷陸軍飛行学校に入り、1938年卒業後は教官を打診されていたが、中国戦線を志願し、41年まで北京の南苑飛行班に属した。整備班長はのちに東大野球部監督となる神田順治中尉だった。乗機は九七式軽爆撃機や九七式重爆撃機で、上海や南京とを行き来して内地から送られてきた機体の回送を任務としており、南寧作戦では物資輸送に従事したこともある。
もっと読む
荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 -… 荒 松雄(あら まつお、1921年(大正10年)5月7日 - 2008年(平成20年)11月8日)は、日本の歴史学者(インド史・南アジア史)、小説家。位階は従四位。勲等は瑞宝重光章。学位は博士(史学)(専修大学・2001年)。筆名は「新谷 識」(しんたに しき)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学東洋文化研究所教授、東京大学東洋文化研究所所長、津田塾大学学芸学部教授、恵泉女学園大学人文学部教授、財団法人東洋文庫研究員などを歴任した。 1921年、東京府東京市浅草区浅草材木町(現在の東京都台東区雷門二丁目)の裕福な商家、材木問屋に生まれた。5人きょうだいの末っ子であった。
もっと読む
川崎 徳次(かわさき とくじ、1921年5月7日 - 200… 川崎 徳次(かわさき とくじ、1921年5月7日 - 2006年4月25日)は、プロ野球選手(投手、外野手)・監督。
もっと読む
星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - … 星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - 2010年3月13日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法。東京学芸大学名誉教授、立正大学名誉教授。 1921年、栃木県日光市に生まれる。旧制第二高等学校を経て、1943年に東北帝国大学法文学部法学科入学。入学直後に入営することとなり、戦後復員後に復学。1947年に同校を卒業し、東北大学特設研究科に進学して1948年に修了。同年、東京第三師範学校長の田中保房に誘われて同校の講師に就任。学制改革に伴い、東京学芸大学講師、助教授、教授として研究・教育活動を継続。1975年に日本学術会議中央選挙管理委員長、1981年に定年まで1年残して退任。
もっと読む
成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5… 成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5月6日 - 2001年(平成13年)4月15日)は秋田県能代市出身の木工家、著述家、教育者。 秋田県立能代工業学校木材工芸科を卒業後、海軍省艦政本部に就職。その後東京高等工芸学校卒業ののち、日本楽器に就職。大日本帝国陸軍航空技術予備役少尉。 軍隊からの復員を果たした後、故郷へ戻り1953年(昭和28年)3月まで秋田県立能代工業高等学校木材工芸科教師を努める。1958年(昭和33年)4月より千葉大学工業短期大学部木材工芸科講師に就任した。その後1978年(昭和53年)に千葉大学建築工学科講師を経て、1985年(昭和60年)2月14日工学博士を取得し、教授に昇格。
もっと読む
香川 保一(かがわ やすかず、1921年(大正10年)5月5… 香川 保一(かがわ やすかず、1921年(大正10年)5月5日 - 2014年(平成26年)6月13日)は、日本の裁判官、弁護士。位階は正三位。勲等は勲一等。社団法人民事法情報センター(解散済み)理事長。 札幌高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官、最高裁判所判事などを歴任した。 大阪府南河内郡三日市村(現在の河内長野市)の出身。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年に東京大学法学部を卒業するとともに、司法試験へ合格。
もっと読む
高柳 信一(たかやなぎ しんいち、1921年5月5日 - 2… 高柳 信一(たかやなぎ しんいち、1921年5月5日 - 2004年12月16日)は、日本の法学者。専門は憲法・行政法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。宮澤俊義門下。弟子に宮崎良夫、大浜啓吉など。 東京都出身。指導教官は田中二郎、宮沢俊義に師事。1960年に渡辺洋三とともに公法私法研究会を設立し、公法私法一元論を唱えた。憲法分野では特に学問の自由、大学の自治の研究で知られる。大学の自治については、制度的保障説ではなく機能的自由説を、親の教育権については、憲法的自由説をとっている。また家永教科書裁判についての発言も多い。 2004年12月16日午後11時54分、肺炎により東京都練馬区内の病院で逝去。
もっと読む
千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 20… 千葉 乗隆(ちば じょうりゅう、1921年5月4日 - 2008年4月12日)は、浄土真宗の僧侶、仏教学者・歴史学者。学位は、文学博士(論文博士・1977年)。龍谷大学名誉教授・元学長、元相愛学園長・理事長。 真宗史、真宗教団史他の研究において数多くの研究、業績を残した。浄土真宗本願寺派安楽寺第26世住職。徳島県生まれ。
もっと読む