村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 198… 村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 1985年1月5日)は、日本の労働運動家、政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 福島県白河市出身。1939年仙台逓信講習所卒、白河郵便局に勤務する。第二次世界大戦中に召集され南方作戦を経験、多くの戦友を失ったことが戦後、労働運動に携わる動機となる。1956年全逓福島地区委員長、福島県労組協議会議長などを経て、1965年の第7回参議院議員通常選挙で福島県選挙区から日本社会党公認で立候補して初当選。4期連続当選した。この間、社会労働委員長、災害対策特別委員長、参議院国会対策副委員長、社会党県委員長などを歴任した。 議員在職中の1985年1月5日、心筋梗塞のため、福島県白河市で死去した。
吉田 善哉(よしだ ぜんや、1921年5月3日 - 1993… 吉田 善哉(よしだ ぜんや、1921年5月3日 - 1993年8月13日)は、競走馬の生産者。北海道札幌市出身。社台グループの創業者。 1921年、北海道月寒の畜産家・吉田善助(善助の父・善太郎の項を参照)の三男として生まれる。善助は酪農家として日本に初めてホルスタイン種の乳牛を導入した人物でもあり、1928年から白老町社台地区に2000haの土地を購入して社台牧場を開設し、サラブレッド生産に着手していた。善哉は1940年、空知農業学校畜産科を卒業後、社台牧場千葉富里分場の場長を任された。しかし同年より始まった太平洋戦争の戦況悪化と共に、従業員が次々と徴兵され、善哉はひとりで牧場を切り盛りすることを余儀なくされた。
朝香 千賀子(あさか ちかこ、1921年〈大正10年〉5月3… 朝香 千賀子(あさか ちかこ、1921年〈大正10年〉5月3日 - 1952年〈昭和27年〉12月6日)は、日本の旧皇族。元華族。朝香宮鳩彦王の第1王子・孚彦王の妃。旧名は、藤堂 千賀子(とうどう ちかこ)。父は、伯爵藤堂高紹。母は、真田幸民伯爵令嬢・信子。皇籍離脱前の身位は王妃で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、孚彦王妃 千賀子(たかひこおうひ ちかこ)であった。 1938年(昭和13年)12月16日、朝香宮鳩彦王の長男・孚彦王と結婚。その後、冨久子女王、誠彦王、美仍子女王の1男2女をもうける。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により夫・孚彦王や家族と共に皇籍を離脱し、以後は「朝香 千賀子(あさか ちかこ)」と名乗る。
福島 新吾(ふくしま しんご、1921年〈大正10年〉5月2… 福島 新吾(ふくしま しんご、1921年〈大正10年〉5月2日 - 2013年〈平成25年〉5月1日)は、日本の政治学者。専修大学名誉教授。政治学原論専攻。 1921年、福島喜三次の四男として東京に生まれる(母〈1893-1981〉は明治期の外交官杉村濬の長女)。 太平洋戦争中に学徒出陣を経験した後、1947年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東京大学社会科学研究所助手(1947-54年)を経て専修大学に移り、1960年より専修大学法学部教授。同法学部長を務めた。 「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 従兄(母の妹の長男)に作曲家・音楽評論家の柴田南雄がいる。 2013年5月1日に肺炎のため死去。
滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1… 滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2008年〈平成20年〉2月25日)は、日本の法学者(東洋法制史)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、山口県岩国町で生まれた。東京で育ち、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学。中国法制史を専攻し、石井良助に師事。1943年に法学部を卒業した。卒業後は、戦時下であったが大学院特別研究生に採用された。 1948年、東京大学法学部助教授に就任し、東洋法制史の授業を担当。1959年に同教授に昇格。1962年、学位論文『中国家族法の原理』を東京大学に提出して法学博士号を取得。1969年『中国家族法の原理』(1967年)で日本学士院賞受賞。
又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月… 又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2004年〈平成16年〉4月8日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大尉(大日本帝国陸軍)、陸将補(陸上自衛隊)。初代自衛隊沖縄地方連絡部長。 初代沖縄県知事屋良朝苗の教え子であり、沖縄返還の際に政府・自衛隊・沖縄県の交渉に関わった。 沖縄県読谷村生まれ。旧制沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)では陸軍特攻隊の伊舎堂用久中佐と同窓。1941年8月、陸軍士官学校(55期)卒業。歩兵第130連隊(高田)、仙台、得撫島守備を経て、独立混成第101旅団司令部付。 終戦後、知念高校教諭を務める。1955年、陸上自衛隊入隊。
一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 20… 一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 2010年4月16日)は、静岡県六合村(現:島田市)出身のプロ野球選手(投手、外野手)。
吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 199… 吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 1991年7月30日)は、日本の科学史家。京都大学名誉教授。専門は科学技術史。
松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日… 松田 毅一(まつだ きいち、1921年(大正10年)5月1日 - 1997年(平成9年)5月18日)は、日本の歴史学者。専門は、戦国時代から江戸時代初期の日欧交渉史、特にポルトガル・スペインとの関係史。京都外国語大学名誉教授。香川県高松市出身、大阪市育ち。 ヨーロッパ各地(ポルトガル・スペイン・バチカン等)やフィリピン、マカオ等の文書館に保存されている日本関係史料の発見・翻訳・紹介に取り組み、また多数の著書・論文を発表して日本における上記分野の研究の進展に貢献する一方、こうした研究成果の一般市民への啓発・普及、関係諸国との学術・文化交流にも尽力した。 清泉女子大学教授時代に、非常勤講師として横浜国立大学でスペイン語の講義をおこない、沢木耕太郎も授業を受けている。
藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007… 藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007年9月13日)は、日本の経営者。住友金属鉱山社長、会長、相談役、経済同友会幹事等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。 旧制の東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を経て、1939年3月第一高等学校卒業。第一高等学校では水泳部主将。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に住友金属鉱山に入社。1967年5月に取締役に就任し、1970年2月に常務を経て、1973年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任。1988年相談役に就く。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2007年9月13日老衰のために死去。
島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年… 島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年1月29日)は、日本の法学者。専門は民法、家族法。学位は法学博士(東北大学・1962年)。一橋大学名誉教授。中川善之助門下。弟子に奥山恭子(横浜国立大学名誉教授)、許末恵(青山学院大学教授)など。 横浜市生まれ。1934年3月埼玉県立師範学校附属小学校(埼玉大学教育学部附属小学校の前身)卒業、1941年武蔵高等学校(旧制)(武蔵中学校・高等学校の前身)卒業、1943年東北帝国大学法文学部法科第1類卒業。1962年東北大学より法学博士の学位を取得。 1943年東北大学法文学部助手。1945年召集により富山連隊入隊。1949年助手論文「社会家族と自然家族」を書き、新設の金沢大学法文学部の法科の助教授に就任。
上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29… 上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29日 - 2015年 <平成27年> 2月8日)は、日本の経営者、銀行家。鹿児島銀行頭取を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制、現鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、1941年に鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を卒業。1942年11月出征、1945年11月復員。1946年に鹿児島銀行に入行。1948年伊集院支店を振り出しに、串良支店、都城支店と勤務し、1953年本店営業部貸付課長代理に着任して以降、ほぼ一貫して営業畑を歩む。1972年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年に専務を経て、1986年に副頭取に就任し、1988年3月には頭取に昇格。
藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2… 藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 - 2004年9月18日)は、東京府豊多摩郡大久保町(現・東京都新宿区百人町)生まれのガラス工芸家。 東京美術学校で彫金を学ぶが、途中でガラス工芸に転向する。その後、イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立した。 1955年の市川市北方に転居。 1989年(平成元年)日本芸術院会員、1997年(平成9年)文化功労者、1999年(平成11年)、市川市名誉市民、2002年(平成14年)文化勲章受章。 宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)に、藤田喬平ガラス美術館がある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
小針 春芳(こばり はるよし、1921年4月24日 - 20… 小針 春芳(こばり はるよし、1921年4月24日 - 2019年4月19日)は、栃木県那須郡高林村(現・那須塩原市)の元プロゴルファー。 晩年まで拠点は那須一筋であったため、「那須の神様」「那須の小天狗」の異名を持った。 実家は農業を営んでいたが、生活は苦しく、米飯が食えるのは盆か正月くらいで、後は稗か粟が毎日であった。小針はこうした家庭の実情の中、一念発起して働きに出ることになるが、高等小学校を卒業して国鉄の試験を受けるも色弱で不合格になった。夢破れた時に那須ゴルフ倶楽部がキャディを募集していたため、1936年に入社。色の識別ではゴルフを覚えた頃にも苦労があり、当時はグリーンのマークは赤い毛糸を使用していたが、判別できなかった小針だけ黄色であった。
永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 200… 永原 稔(ながはら みのる、1921年4月21日 - 2006年12月17日)は、日本の政治家。新自由クラブ衆議院議員(1期)。
犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 20… 犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の慈善家・環境活動家・小説家。 首相を務めた犬養毅の孫にあたる。カトリック信徒。 現在の東京都新宿区四谷に犬養健・仲子夫妻の長女として生まれる。父・健は犬養毅の嗣子で親子2代の政治家であり、母方の曾祖父が長与専斎と後藤象二郎である。母方の祖父は男爵長与称吉。従姉の娘に緒方貞子、異母妹に安藤和津がいる。 女子学習院、津田英学塾で学んだ後、アメリカ合衆国やフランスに留学。 1970年代以降ヨーロッパに在住し、環境破壊抑止を目指した「みどり一本」運動を提唱したり、1979年から世界の飢餓、難民問題に深くかかわった。また欧州滞在中は、ジュネーヴ空港に近いフランスの街フェルネ=ヴォルテールに住み、ライフワークの聖書研究のかたわら、難民支援活動を積極的に展開した。
小野 三嗣(おの みつつぐ、1921年(大正10年)4月19… 小野 三嗣(おの みつつぐ、1921年(大正10年)4月19日 - 2007年(平成19年)3月22日)は、日本の運動生理学者。 秋田県大館生まれ。1942年陸軍航空士官学校(55期)卒、45年大尉に昇進、航空第二師団参謀部付、1950年東京慈恵会医科大学医学部卒業。同名取礼二生理学教室所属、60年 東京慈恵会医科大学医学博士。論文の題は「所謂光力学的作用による骨格筋収縮の機転について」62年慈恵医大講師、1963年東京学芸大学助教授。1964年東京オリンピックで重量挙げのトレーニング-ドクターとなり、全員入賞に貢献した。1966年横浜国立大学教授、1970年東京学芸大学教授。85年定年退官、名誉教授。
都丸 哲也(とまる てつや、1921年〈大正10年〉4月18… 都丸 哲也(とまる てつや、1921年〈大正10年〉4月18日 - 2023年〈令和5年〉8月13日)は日本の政治家。東京都保谷市(現:西東京市)長を1977年から1993年まで務めた。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会世話人などを歴任した。 群馬県勢多郡横野村(赤城村を経て、現在の渋川市)で生まれる。東京都立大森高等学校を経て、学習院大学文学部でフランス文学を専攻。1959年保谷町議を経て1967年の市制後は市議。1969年に保谷町長→市長を務めていた原田彰俊が収賄で逮捕されて辞職したことに伴う出直し市長選で、社会党公認で立候補。この時は共産党や民主社会党(後の民社党)が独自候補を擁立したことに加えて、同じ社会党籍を持っていた市助役まで立候補したことから保守系の内藤利紀に敗北。
梅村又次(うめむら またじ、1921年4月18日 - 200… 梅村又次(うめむら またじ、1921年4月18日 - 2006年12月29日)は、日本の経済学者。学位は、農学博士(九州大学・論文博士・1961年)(学位論文「賃金・雇用・農業」)。一橋大学名誉教授。 栃木県出身。1945年九州帝国大学農学部卒、1961年「賃金・雇用・農業」で九州大学より農学博士の学位を取得。1948年経済安定本部物価局勤務、1949年労働省労働統計調査部、1951年一橋大学経済研究所助教授となり、教授。1974年所長。1985年定年退官し、名誉教授、創価大学経済学部教授。1998年退職。1964年『戦後日本の労働力』で第5回エコノミスト賞受賞。1971年『労働力の構造と雇用問題』で日経・経済図書文化賞受賞。
高橋 正雄(たかはし まさお、1921年4月18日 - 20… 高橋 正雄(たかはし まさお、1921年4月18日 - 2008年)は、日本のアメリカ文学者、中央大学名誉教授。 東京生まれ。東京帝国大学文学部英文科卒、中央大学法学部助教授、教授、1992年定年退任、名誉教授。
室井 摩耶子(むろい まやこ、1921年〈大正10年〉4月1… 室井 摩耶子(むろい まやこ、1921年〈大正10年〉4月18日 - )は、日本のピアニスト。2025年現在、104歳でなお現役の日本最高齢ピアニストである。 東京府(現・東京都)に生まれる。成城小学校に入学した6歳からピアノを始め、小学4年次から高折宮次に師事。1941年、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)を首席で卒業。同校研究科へ進み、レオニード・クロイツァー教授に師事、1943年に修了。 1945年1月、日比谷公会堂での日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)の演奏会でソリストを務めてデビュー。終戦後、本格的にリサイタル活動を開始。エリック・サティやデュカスなど多くの作品を日本初演した。
矢口 純(やぐち じゅん、1921年4月18日 - 2005… 矢口 純(やぐち じゅん、1921年4月18日 - 2005年4月30日)は、日本の編集者、エッセイスト。 東京雑司ヶ谷生まれ。本名読み・きよし。父は英文学者・矢口達。1943年早稲田大学政経学部を繰り上げ卒業し入隊、敗戦時には仙台陸軍飛行学校の将校生徒。千葉県の誉田で村会議員を務める。1948年婦人画報社に入社、『博愛』編集長として出向、十返千鶴子が編集員だった。1950年『婦人画報』編集部に戻る。55年、石原慎太郎は「太陽の季節」が芥川賞をとる前に編集部を訪ね、矢口がルポ「スポーツ・ゲート」を連載させた。62年取締役編集長となり、銀座の酒場で山口瞳と知り合い、「江分利満氏の優雅な生活」を連載させる。
小林 信郎(こばやし のぶお、1921年4月17日 - 19… 小林 信郎(こばやし のぶお、1921年4月17日 - 1992年5月23日)は、日本の文部官僚、教育学者。 東京出身。1943年東京帝国大学文学部卒。文部省初等中等教育局視学官、日本女子大学文学部教授。92年定年退任、名誉教授。
酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 19… 酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 1991年8月17日)は、日本の翻訳家、エジプト研究家。文筆家。 新潟県佐渡島生まれ。1943年東京外国語学校仏語部卒業。1955年から1957年まで朝日新聞社特派員としてエジプトに滞在。古代エジプトの研究・訳業著述に従事。 1991年8月17日、頚椎損傷のため死去。
酒井 文徳(さかい ふみのり、1921年4月16日 - 19… 酒井 文徳(さかい ふみのり、1921年4月16日 - 1995年12月28日)は日本の医学者(腎臓生理学、薬理学、毒性学)。 長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市内田)に生まれる。旧制福島県立白河中学、旧制松本高等学校理科乙類を経て1945年(昭和20年)東京帝国大学医学部卒業。 東京大学医学部副手、東京医科歯科大学医学部助教授(薬理学教室)、東京大学医学部助教授(薬理学教室)を経て、1966年(昭和41年)東京大学医学部薬理学第2講座教授。1975年(昭和50年)に東京大学医学部長、1977年(昭和52年)に第50回日本薬理学会会長、1980年(昭和55年)に第23回日本腎臓病学会会長、1982年(昭和57年、東京大学名誉教授、日本学術振興会理事、1986年(昭和61年)第4回国際トキシコロジー学会会長、1987年(昭和62年)に日本学術振興会理事長に就任。
塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - … 塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - 2009年3月20日)は、日本のマルクス主義経済学者、社会運動史・労働運動史研究者。学位は経済学博士(立命館大学、1987年)。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授、立命館大学名誉教授。 昭和34年労働運動史研究会を設立。40年日本科学者会議常任幹事。平和・大衆運動にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
今井 陽(いまい よう、1921年 <大正10年> 4月15… 今井 陽(いまい よう、1921年 <大正10年> 4月15日 - 1999年 <平成11年> 9月7日)は、日本の医学者。医学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。専門は生化学・栄養学。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 北海道出身。1944年北海道帝國大學医学部卒業。赤紙により召集。1946年終戦により復員。 1946年北海道帝国大学医学部助手。1949年北海道大学で「微生物体脂質に関する研究」にて医学博士を受く。1950年北海道大学医学部助教授。その後、北海道大学医学部教授。同医学部長など歴任。1985年北海道大学停年退官。同名誉教授。1985年北海道栄養短期大学食物栄養学科教授。同食物栄養学科長。
窪田 精(くぼた せい、1921年4月15日 - 2004年… 窪田 精(くぼた せい、1921年4月15日 - 2004年2月29日)は、日本の小説家。 山梨県北巨摩郡高根町(現北杜市)に生まれた。高等小学校修了間際に上京し、夜学に通いながら、大衆演劇の世界にはいる。そのなかで、社会の矛盾にめざめ、傾向映画作品の舞台化をめざす劇団わかもの座に参加する。1940年、演劇活動のなかで右翼の襲撃をうけ、そのトラブルのなかで治安警察法違反に問われて、下獄した。戦時中は南洋群島のトラック島に送られ、流刑囚の生活を送った。 戦後出獄したあと文学の道を選ぶ。清瀬村にあった国立療養所に勤務するなかで、小沢清らと新日本文学会の下部のサークルをつくる。1949年、新日本文学会に入会する。
永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 19… 永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 1975年5月17日)は、日本の広告研究者、評論家。 山梨県塩山市郊外に生まれる。山梨県立日川中学校、多摩美術大学卒業。台糖株式会社宣伝課長、日本経済新聞社『日経広告手帖』編集長、中部日本放送「CBCレポート」編集長、「週刊明星」創刊にかかわり、市場調査機関・永田オペレーション・センターを設立、のち電通PRセンターとし、初代社長となる。1970年株式会社ジャパーク(JPRC)を創立。評論家として著書多数を著した。 1960年代、永田が電通PR(現電通パブリックリレーションズ)社長時代提唱したとされる。
長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 19… 長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 1996年1月5日)は、日本の編集者、実業家。青林堂の創業者で、漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』の初代編集長。 白土三平、水木しげる、つげ義春、花輪和一、蛭子能収、矢口高雄、滝田ゆう、淀川さんぽ、楠勝平、佐々木マキ、林静一、池上遼一、安部慎一、鈴木翁二、古川益三、ますむらひろし、勝又進、つりたくにこ、川崎ゆきお、赤瀬川原平、内田春菊、丸尾末広、ひさうちみちお、根本敬、南伸坊、渡辺和博、みうらじゅん、杉浦日向子、近藤ようこ、やまだ紫、山田花子、ねこぢる、山野一、泉昌之、西岡兄妹、東陽片岡、魚喃キリコ、など有名作家にもなった異才を多数輩出した編集者の一人。
大津留 温(おおつる おん、1921年4月13日 - 201… 大津留 温(おおつる おん、1921年4月13日 - 2019年4月25日)は、日本の建設官僚。建設事務次官。 福岡県出身。佐賀高等学校 (旧制)卒、1943年東京帝国大学法学部卒、内務省に入省。大臣官房属。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 人事院職階課長、建設省住宅局宅地課長、住宅総務課長、大臣官房人事課長、1963年計画局参事官、1967年主席監察官、1968年住宅局長、1970年官房長、1973年建設事務次官、1975年宅地開発公団副総裁、1977年住宅金融公庫総裁。
溝口 一雄(みぞぐち かずお、1921年(大正10年)4月1… 溝口 一雄(みぞぐち かずお、1921年(大正10年)4月12日 - 1994年(平成6年)9月23日)は、日本の会計学者。神戸大学名誉教授。 1921年、東京都品川区生まれ。1943年、明治大学商学部卒。神戸大学経営学部助教授を経て、1957年、同教授。1972年、学部長。1985年に退官して名誉教授となり、広島修道大学教授を務めた。第13期日本学術会議会員。
滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年… 滝沢 武雄(たきざわ たけお、正字体:瀧澤 武雄、1921年4月12日 - 2022年6月6日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。日本貨幣史、東北史を研究した。 東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)出身。1943年早大文学部史学科国史学卒、1947年同大学院中退。早大文学部助教授、1971年教授、1992年定年退任、名誉教授。1996年春、勲四等旭日小綬章受勲。
渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 20… 渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 2008年11月19日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1942年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1945年に山陽電気鉄道に入社。1966年11月に取締役に就任し、1973年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1986年6月に会長を経て、1991年6月から相談役を務めた。 2008年11月19日に死去。87歳没。
田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 19… 田村 芳朗(たむら よしろう、1921年4月11日 - 1989年3月20日)は、日本の仏教学者・法華宗僧侶。東京大学名誉教授。千葉県長生郡長生村の浄教寺住職を務めた。東京大学文学部インド哲学仏教学研究室「日本仏教思想講座」を設けた。 1921年、大阪府大阪市に生まれた。1943年に第三高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部梵文学印度哲学科に入学。同年12月に学徒出陣で応召入隊。 1946年に復学。1949年、東京大学文学部印度哲学科を卒業した。同大学大学院(旧制)に進み、1954年に修了。 1956年、東洋大学文学部助教授に就いた。1962年、学位論文『鎌倉新仏教の研究:日蓮思想の周辺』を東洋大学に提出して文学博士号を取得。
平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 19… 平井 啓之(ひらい ひろゆき、1921年4月10日 - 1992年12月27日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 1921年、京都府で生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学フランス文学科に入学。在学中の1943年に学徒出陣で応召。戦後復員し、1948年に東京大学を卒業した。 卒業後は、東京大学教養学部仏文科助手に採用された。1952年、新制東京大学教養学部専任講師となり、1954年に助教授、のち教授昇格。しかし、1969年に大学紛争が起こると辞職。その後は、立教大学教授、桃山学院大学教授を務めた。 戦争と天皇制を批判し続け、左翼的な姿勢を鮮明にした学者であった。わだつみ会発足当時からの会員で、のち常任理事をつとめた。
駒野 昇(こまの のぼる、1921年(大正10年)4月10日… 駒野 昇(こまの のぼる、1921年(大正10年)4月10日 - 2011年(平成23年)1月11日)は、日本の政治家。埼玉県日高市長(初代)。陸軍大尉。 旧日本陸軍将校から自治体首長に転じた異色の人物。ベッドタウン化が進展していた日高町の市制施行を実現し、近隣市町と足並みを揃えつつ都市基盤の充実に取り組んだほか、巾着田等市内の観光・ハイキングコースの整備を行った。
竹松 哲夫(たけまつ てつお、1921年4月8日 - 200… 竹松 哲夫(たけまつ てつお、1921年4月8日 - 2006年1月17日)は日本の農芸化学者。専門は農薬化学。宇都宮大学名誉教授。 長野県上伊那郡富県村(現伊那市)生まれ。旧制上伊那農業学校を経て宇都宮高等農林学校卒業。1942年応召、1946年復員。1947年宇都宮高等農林学校講師、1951年宇都宮大学助手、1964年助教授、1967年教授。1968年宇都宮大学雑草防除研究施設長を併任。1985年東京農工大学連合大学院教授を兼任。 除草剤の土壌中における処理層理論を世界で初めて発表し、除草剤開発の基礎を構築した。またPCP処理法、カヤツリクサ科高度選択除草剤、ウリベスト除草剤などを発明し、イネ科属間選択性DCPAの発見など、雑草防除研究の発展に貢献した。
今福 将雄(、1921年〈大正10年〉4月8日 - 2015… 今福 将雄(、1921年〈大正10年〉4月8日 - 2015年〈平成27年〉5月27日)は、日本の俳優。本名及び旧芸名は今福 正雄(読み同じ)。 福岡県飯塚市出身。旧制福岡県立嘉穂中学校(現福岡県立嘉穂高等学校)卒業。文学座映画放送部に所属していた。 1940年に旧制中学校を卒業し、九州飛行機の技師となる。 終戦直後、たまたま闇市で知り合いになった人にラジオドラマの効果音の手伝いを頼まれ、1946年NHK福岡放送劇団に入る。 ラジオドラマ『コメロンの貧乏神』で踏み切りの番人をしている老人役を演じ、テレビドラマへも進出。 1965年に第5回日本放送作家協会男性演技賞を受賞した。 1966年に福岡放送劇団の廃止を受け、文学座に研究生として入る。
田中 岑(たなか たかし、1921年4月4日 - 2014年… 田中 岑(たなか たかし、1921年4月4日 - 2014年4月12日)は、日本の洋画家。春陽会会員。 香川県三豊郡和田村(現 観音寺市豊浜町)出身。旧制香川県立三豊中学校、日本大学芸術科卒業。 1937年(昭和12年)三豊中学4年生の時に美術部を創る。1939年(昭和14年)東京美術学校油絵科に入学、小林万吾が保証人であった。その後、海老原喜之助に出会い日本大学芸術科に転校を薦められて入学した。在学中、独立美術協会展などに出展する。 兵役に就き復員後、第15回独立美術展に出品する。1947年(昭和22年)自由美術協会展に出品、同年4月に上京して以後出展を続けた。1950年(昭和25年)春陽会の出展して研究賞を受賞。
依田 圭五(よだ けいご、1921年4月4日 - 1979年… 依田 圭五(よだ けいご、1921年4月4日 - 1979年2月24日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 東京都出身。1948年東京帝国大学法学部卒。文京区議、東京都議会議員を経て、1967年の第31回衆議院議員総選挙において東京8区から日本社会党公認で立候補して初当選した。この間、1951年の文京区長選挙に社会党公認で立候補したが落選した。衆議院議員は1期務めた。1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。1972年の第33回衆議院議員総選挙でも落選した。党内では社会党都議団幹事長、同政務調査会長、都市問題政策副委員長などを務めた。このほか青森短期大学講師、同教授、青森大学教授となった。
松原 武生(まつばら たけお、1921年4月3日 - 201… 松原 武生(まつばら たけお、1921年4月3日 - 2014年12月15日)は、日本の物理学者。 大阪市出身。旧制北野中学、旧制大阪高校を経て、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業。同大学院に進み「結晶によるX線散漫散乱の理論的研究」で博士号。同大助教授を経て北海道大学で教授に就任。その後は京都大学教授、岡山理科大学教授を歴任。元日本物理学会会長。 場の量子論の手法を統計物理学に適用することで、グリーン関数 に関する統計力学の手法を提案した。 豊沢豊と行った半導体の不純物バンドに関する研究は、ランダム格子内の電子の運動を記述する松原-豊沢モデルとなった。 他には誘電体、超伝導、超流動も研究した。
万井 正人(まんい まさんど、1921年4月3日 - 200… 万井 正人(まんい まさんど、1921年4月3日 - 2006年1月4日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授、医学博士。専門は運動生理学。抗老化医学、作業能率や安全性、疲労の予防・回復などにかかわる研究を行う。1997年には、誰でもどこでも簡単にでき高齢者から子どもまで楽しめるスポーツとして、スカイクロスを考案。 1944年、京都帝国大学医学部医学科を卒業し、同大学医学部副手、大阪医科大学講師、龍谷大学講師、皇學館大学講師・助教授、京都大学助教授・教授を歴任。1984年に京都大学を退官後、名誉教授。また大阪産業大学教授をつとめた。1994年、勲三等瑞宝章受章。 2006年1月4日、京都市内の自宅で心不全のため85歳で死去した。
刺賀 信雄(さすが のぶお、1921年 <大正10年> 4月… 刺賀 信雄(さすが のぶお、1921年 <大正10年> 4月3日 - 2008年 <平成20年> 4月22日)は、日本の経営者。日本板硝子社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1944年に神戸商業大学を卒業し、1948年に日本板硝子に入社。1971年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1991年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2008年4月22日に老衰のために死去。87歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
滝平 二郎(たきだいら じろう、1921年(大正10年)4月… 滝平 二郎(たきだいら じろう、1921年(大正10年)4月1日 - 2009年(平成21年)5月16日)は、日本の版画家・きりえ作家である。日本美術会委員、日本児童出版美術家連盟会員、日本きりえ協会代表委員。 ※四国新聞記事以外の出典は『滝平二郎望郷編』。 茨城県新治郡玉川村(現:小美玉市)に生まれる。実際には4月10日生まれだが、父親が早く学校に入れたいために4月1日と繰り上げて誕生日を届け出たため、入学が1年繰り上がった。 茨城県立石岡農学校(現:茨城県立石岡第一高等学校)在学中は風刺漫画に関心を寄せていた。1938年に農学校を卒業し、同年若林一男や高林宏一らと漫画研究同人展を開くが、卒業後は木版画へと向かった。
高橋 茂(たかはし しげる、1921年4月1日 - 2005… 高橋 茂(たかはし しげる、1921年4月1日 - 2005年11月22日)は、日本の工学者。東京工科大学名誉教授。工学博士。 慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。1944年6月、慶應義塾大学卒業前に運輸通信省電気試験所第5部に入所する。 1953年に「電気絶縁材料の誘電特性とその測定法の研究」において、慶應義塾大学第一号となる工学博士の学位を授与された。 その後トランジスタ計算機の開発に着手し、ETL Mark IIIを完成させた。ETL Mark IIIは、日本では2番目、トランジスタ式計算機としては日本初の電子式コンピュータである。 さらに次いで、接合型トランジスタの採用で安定性を増し、多くの計算機メーカーが製品化のベースとしたETL Mark Ⅳを完成させるなど、国産電子計算機の発展に大きな貢献をした。
松浦 巖(まつうら いわお、1921年4月1日 - 1980… 松浦 巖(まつうら いわお、1921年4月1日 - 1980年2月18日)は、日本の経営者。東京都出身。 1941年に東京商科大学経済学部を卒業し、同年に兼松江商に入社。 1971年11月に取締役に就任し、1974年5月に常務に就任した。1977年に副社長に就任し、1978年6月に社長に昇格した。 1980年2月18日心筋梗塞のために死去。58歳没。 学生時代にはサッカー選手として活躍していた。
武藤 輝彦(むとう てるひこ、1921年〈大正10年〉4月 … 武藤 輝彦(むとう てるひこ、1921年〈大正10年〉4月 - 2002年〈平成14年〉10月)は、日本の打ち上げ花火師、日本煙火協会専務理事、日本煙火芸術協会事務局長を務めた。サークル花火万華鏡を主宰、打上花火に関連した著書が多い。日本初の女性弁護士・判事・裁判所長を歴任した三淵嘉子の次弟。
成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 20… 成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 2007年11月17日)は、日本の俳人。青森県青森市出身。本名は力(ちから)。 青森工業学校(現・青森県立青森工業高等学校)卒業。上京して富士航空計器株式会社に就職するが、肺結核に罹患し帰郷。療養中に文学への関心を深めるなかで俳句に傾倒していく。郷土俳句を提唱する高松玉麗(たかまつぎょくれい)主宰の俳句結社「松濤社」(しょうとうしゃ)に入会するも1年余りで退会。1943年、幹事の吹田孤蓬(すいたこほう)に誘われ青森俳句会に参加する[要出典]。超結社の同人組織である青森俳句会は「俳句論から必ず文学論や芸術論になる」楽しい句会で、若い千空は自由闊達な空気を感じながら養分を吸収した。
樹下 太郎(きのした たろう、1921年3月31日 - 20… 樹下 太郎(きのした たろう、1921年3月31日 - 2000年12月7日)は、日本の小説家。 東京市池袋生まれ。本名・増田稲之助。京橋商業学校(現東京都立芝商業高等学校)卒、理研スプリングK.K.入社。出征し、復員後、福音電機に勤務、ドラマや放送台本を書く。1958年『週刊朝日』『宝石』共催の懸賞に「悪魔の掌の上で」が佳作入選。1961年「銀と青銅の差」で、1963年「サラリーマンの勲章」で直木賞候補。 推理小説、サラリーマン小説を書いた。