都築 幹彦(つづき みきひこ、1929年1月27日 - 20… 都築 幹彦(つづき みきひこ、1929年1月27日 - 2020年8月16日)は、日本の実業家。元ヤマト運輸代表取締役社長。東京都出身。 青山小学校・慶應義塾普通部を経て、1950年に慶應義塾大学経済学部卒業後、ヤマト運輸に入社。運輸畑一筋を歩み、1959年に路線部営業課長の時、路線部部長に着任した小倉昌男と出会い、以後30数年にわたって共に労組、運輸省、郵政省等との折衝にあたる。支店長等を経て1973年に取締役に就任。以後、常務取締役に就任後は関東支社長→営業開発本部長→営業本部長を歴任。常務時代の1976年に事業の大転換をはかる為に「クロネコヤマトの宅急便」を開始して、15年かけて悲願の全国ネットワークを完成させる。
河添邦俊(かわぞえ くにとし、1929年1月27日 - 19… 河添邦俊(かわぞえ くにとし、1929年1月27日 - 1995年)は、日本の障害児教育学者・教育者。 島根県浜田市生まれ。島根大学卒業。島根県柿木村柿木中学校教諭、島根県立浜田ろう学校教諭、東北福祉大学助教授、教授、高知大学教育学部教授、河添育児学研究所長。妻は河添幸江。
戸田 芳実(とだ よしみ、1929年1月26日 - 1991… 戸田 芳実(とだ よしみ、1929年1月26日 - 1991年8月29日)は、日本の歴史学者。神戸大学名誉教授。日本中世史。 浪速高等学校を経て、1955年卒業論文「古代社会における在地の変質について」をまとめ、 京都大学文学部卒業、1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1961年神戸女子薬科大学講師、1964年助教授、1968年東京都立大学人文学部助教授、1974年神戸大学文学部教授。1991年定年退官、名誉教授。同年神戸女子大学文学部教授となるも約5か月で没した。 1964年に「中世領主制成立史の基礎研究」により、京都大学から文学博士の学位を授与される。 学生時代に他の多くの人と同じく石母田正の「中世的世界の形成」に影響を受け、その後の進路を決定した。
平尾 辰夫(ひらお たつお、1929年1月26日 - 202… 平尾 辰夫(ひらお たつお、1929年1月26日 - 2022年4月13日)は、日本の実業家。東宝取締役、コマ・スタジアム取締役などを歴任し、ミュージカル「レ・ミゼラブル」、「ミス・サイゴン」の日本公演に尽力した。 和歌山県出身。1955年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業し、同年に東宝に入社。取締役、常務、専務などを歴任し、コマ・スタジアム取締役も務めた 「レ・ミゼラブル」(1987年)、「ミス・サイゴン」(1992年、1993年)の日本での初公演に尽力し、キャメロン・マッキントッシュと信頼関係を築き、日本での長期公演の礎を築いた。 2022年4月13日、脳出血のために死去。93歳没。
神山 好市(こうやま こういち、1929年〈昭和4年〉1月2… 神山 好市(こうやま こういち、1929年〈昭和4年〉1月25日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の政治家。東京都中野区長を4期務めた。位階は正五位。 東京都小平市生まれ。1950年、中野区役所に就職。1953年、中央大学経済学部を卒業した。中野区教育委員会事務局次長を経て、1983年より中野区助役。1986年4月の青山良道中野区長の死去に伴い、6月に実施された中野区長選に出馬し、初当選した。同年9月、青山前区長の下で決定された中野区・北京市西城区(中華人民共和国)の姉妹都市提携を締結した。 青山前区長同様、革新勢力の支援を受けており、アメリカ合衆国やイギリスが臨界前核実験を実施した際は抗議文を送付した。
菅沼 赫(すがぬま かく、1929年1月24日 - )は、日… 菅沼 赫(すがぬま かく、1929年1月24日 - )は、日本の俳優。東京都北区出身。旧芸名菅沼 赫二、本名は滝口角治。
川中 なほ子(かわなか なほこ、1929年1月24日 - 2… 川中 なほ子(かわなか なほこ、1929年1月24日 - 2017年10月17日)は、日本の宗教哲学者。 1950年東京女子大学在学中にイエズス会の洗礼を受ける。東京女子大学(哲学科)、オックスフォード大学大学院神学部(宗教哲学専攻)卒業。藤女子大学教授、副学長を務めた。日本ニューマン協会会員。夫は川中康弘・上智大学教授。次男は川中仁・上智大学教授、副学長。兄は心理学者の相場均(高田敏江の亡夫)。
青柳 志解樹(あおやぎ しげき、1929年1月24日 - 2… 青柳 志解樹(あおやぎ しげき、1929年1月24日 - 2021年2月14日)は、日本の俳人・実業家。本名・青柳茂樹。長野県出身。 長野県南佐久郡穂積村(現・佐久穂町)に生まれる。旧制東京農業大学専門部修了。1957年東急グループの「五島ローズガーデン」に入社し、バラ栽培に従事する。1963年に独立し、造園業の「東京緑地」を設立するが、1983年に廃業し、文筆に専念する。 1953年、林邦彦を知り、加藤楸邨の「寒雷」に投句。また同郷の相馬遷子の影響を受ける。1957年「鹿火屋」に入会、原コウ子に師事。1979年「山暦」を創刊・主宰。1992年、句集『松は松』で第32回俳人協会賞、2014年『里山』で第3回与謝蕪村賞を受賞。
小林 一夫(こばやし かずお、1929年(昭和4年)1月24… 小林 一夫(こばやし かずお、1929年(昭和4年)1月24日 - 2007年(平成19年)12月13日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県熊谷市長。埼玉県議会議員(1期)。熊谷市名誉市民。 位階は従四位。現熊谷市長の小林哲也は実子。 埼玉県大里郡熊谷町(現熊谷市)出身。明治大学法学部卒業。熊谷市議会議員(3期)、同議長を経て、1983年(昭和58年)、自由民主党公認で埼玉県議会議員に当選。ついで1期目途中の1986年(昭和61年)、熊谷市長増田敏男の衆院選立候補(落選)による辞職に伴う市長選挙に立候補し、当選した。市長は2002年まで4期務めた。2007年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの え… 時実 新子(ときざね しんこ、本名:大野 恵美子(おおの えみこ)、1929年1月23日 - 2007年3月10日)は、日本の川柳作家、随筆家。現代川柳の一時代を築いた人物として知られる。岡山県上道郡九蟠村(現・岡山市東区西大寺)出身。 1941年、岡山県立岡山西大寺高等女学校(現・岡山県立西大寺高等学校)入学。学徒動員や空襲を経て、1946年兵庫県姫路市の文具商と結婚。傷痍軍人であった夫の暴力に苦しむ中で、新聞の投稿欄で川柳に出会う。もともとは学生時代から短歌を詠んでいたが[要出典]、1954年神戸新聞の川柳壇に初めて投句して入選する。1956年「ふあうすと」に参加するも、翌年同会を退会して『川柳研究』幹事となる。
土 隆一(つち りゅういち、1929年1月23日 - 201… 土 隆一(つち りゅういち、1929年1月23日 - 2015年4月2日)は、日本の古生物学者、地質学者。静岡大学名誉教授。 静岡県を主とした東海地方及び南米における古生物学、地質学、地殻進化学に成果がある。静岡大学に地球科学科を新設し、静岡県の自然災害における現地調査に尽力した他、退官後は富士山の保全活動にも従事した。学内では防災委員会地震対策検討部会と同地震対策専門部会の委員長を務め、国際学会関係の委員長や静岡県関係の諸審議会委員としても社会的に貢献した。 1929年台北市南門町出身。幼少期は台湾で過ごし、1935年に台北師範附属小学校に入学するも、1941年の卒業校は東京市立番町小学校である。
榊原 胖夫(さかきばら やすお、1929年1月23日 - 2… 榊原 胖夫(さかきばら やすお、1929年1月23日 - 2013年7月24日)は、日本の経済学者。同志社大学名誉教授。 名古屋市生まれ。1952年同志社大学経済学部卒、54年同大学院経済学研究科修士課程修了、同志社大学経済学部助手。1954年アマースト大学大学院、1956年ハーバード大学大学院に学ぶ。 1957年帰国、1958年同志社大学経済学部専任講師、1960年助教授、1966年教授。1993年定年、名誉教授、帝京平成大学情報学部教授。大阪商業大学商経学部教授。関西外国語大学教授。1988-90年日本アメリカ学会会長、のち名誉会員。交通経済学。
鈴木 健二(すずき けんじ、1929年〈昭和4年〉1月23日… 鈴木 健二(すずき けんじ、1929年〈昭和4年〉1月23日 - 2024年〈令和6年〉3月29日)は、日本のフリーアナウンサー・司会者。元NHKアナウンサー。 『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。 NHKのエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)になり、1988年にNHKを定年退職した後、熊本県立劇場の館長に就任し、伝承芸能の復元などにつとめ、1998年には青森県立図書館および青森近代文学館の館長に就任した。 兄は映画監督・俳優の鈴木清順。 東京府東京市本所区(現・墨田区亀沢)出身、生粋の江戸っ子。
新田 義弘(にった よしひろ、1929年1月21日 - 20… 新田 義弘(にった よしひろ、1929年1月21日 - 2020年3月15日)は、日本の哲学研究者、東洋大学名誉教授。専攻は、現象学・解釈学。 1929年、石川県生まれ。東北大学文学部を卒業。卒業後は、東洋大学助教授となり、教授となった。2000年に定年退任し、名誉教授となった。 新田義貞の末裔[要出典]。 (古田光、廣川洋一、中野幸次、竹田篤司、上妻精、飯島宗享、城塚登、岩永達郎、新田義弘、市倉宏祐による共編著)
須磨 千頴(すま ちかい、1929年1月20日 - )は、日… 須磨 千頴(すま ちかい、1929年1月20日 - )は、日本の歴史学者。南山大学名誉教授。専門は日本中世史。 福井県三方郡(現:三方上中郡若狭町)に生まれる。福井県立小浜高等学校(現:福井県立若狭高等学校)を経て、1953年、東京大学文学部国史学科卒業。1960年、東京大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程満期退学。その後、南山大学講師、助教授を経て、1971年に教授に就任。99年定年、名誉教授。2004年、40年以上を費やした「賀茂別雷神社境内諸郷の復元的研究」で 恩賜賞・日本学士院賞を受賞。 以降、南山大学助教授、教授。
西倉 実(にしくら みのる、1929年1月20日 - 195… 西倉 実(にしくら みのる、1929年1月20日 - 1955年12月19日)は、島根県簸川郡大社町出身のプロ野球選手。
永積 昭(ながづみ あきら、1929年〈昭和4年〉1月20日… 永積 昭(ながづみ あきら、1929年〈昭和4年〉1月20日 - 1987年〈昭和62年〉7月10日)は、歴史家(専攻は東南アジア史)。元東京大学文学部教授。 東京府大塚に生まれる。父永積寅彦は、侍従であった(昭和天皇の同級生で、その大葬では祭官長)。 1954年、東京大学文学部東洋史学科卒、同大学大学院博士課程中退、コーネル大学大学院博士課程修了。1967年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授、1971年、東大文学部助教授、1974年、教授。定年を前に58歳で死去。没後、妻の永積洋子(三木清の娘)が教授に就任し、東大文学部では、初の女性教官となった。著書に『インドネシア民族意識の形成』『アジアの多島海』などがある。
根岸 世雄(ねぎし ときお、1929年1月20日 - 200… 根岸 世雄(ねぎし ときお、1929年1月20日 - 2005年1月26日)は、日本の数学者。元東京薬科大学教授、元駿台予備学校数学科講師、同主任。東京都出身。東京大学理学部物理学科卒業、同大学院修了。「3N+Y(野澤悍、中田義元、根岸世雄、山本茂年の頭文字から)」の一人として駿台の内外で親しまれていた。また、東京出版の月刊誌『大学への数学』の執筆をしていたこともある。墓所は多磨霊園 研文書院が出版していた大学受験用の参考書『大学への数学』シリーズ。 ※ 共著者 中田義元、藤田宏、長岡亮介ら この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月… 須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月1日) - 1998年3月20日)は、日本の随筆家・イタリア文学者・翻訳家。 20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごした。日本に帰国し40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として注目され、50代後半からは随筆家としても脚光を浴びた。代表的な著作に『ミラノ霧の風景』(1990年)、『コルシア書店の仲間たち』(1992年)など。 死去後の2014年に、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設されている。 大手の空調・衛生設備業者、須賀工業(旧須賀商会)経営者の家に生まれる。
ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010… ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010年11月8日)は、日本の元プロレスラー、元レフェリー。 本名は樋口 寛治(ひぐち かんじ)。愛称は「ジョー」。 神奈川県横浜市出身。法政大学卒業。俳優の樋口隆則は息子。 日本プロレスと全日本プロレスでレフェリー、外国人係を務めた後、プロレスリング・ノア監査役、GHCタイトル管理委員長を歴任した。 実家は本牧の洋食材の問屋で、幼少時からコーヒーを嗜み、ジャズを愛好する少年だった。周囲の環境から、英語や洋食の調理もお手のものであった。また柔道の道に進み、二段まで昇段。終戦後は進駐軍に柔道を教えていた(この時期に英語をマスターしたとの記述もある)。
薗田 香融(そのだ こうゆう、1929年〈昭和4年〉1月18… 薗田 香融(そのだ こうゆう、1929年〈昭和4年〉1月18日 - 2016年〈平成28年〉8月4日)は、日本史・仏教学者。関西大学名誉教授。 和歌山県和歌山市に、薗田香勲の長男として生まれる。祖父は薗田宗恵。母方祖父は芦津実全。弟に薗田宗人、薗田坦、芦津家を継いだ芦津丈夫がいる。 第三高等学校を経て、1951年京都大学文学部史学科卒業。1953年関西大学文学部助手、専任講師、助教授を経て、1965年教授。1980年「古代財政史の研究」で関西大学文学博士。1999年定年退職、名誉教授。浄土真宗本願寺派妙慶寺第14世住職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
工藤 圭章(くどう よしあき、1929年1月18日 - 20… 工藤 圭章(くどう よしあき、1929年1月18日 - 2008年4月4日)は、日本の建築史学者。 青森県南津軽郡大鰐町大鰐で大鰐温泉の湯元の家系に生まれた。弘前高等学校、海軍兵学校76期を経て、日本の降伏後弘前高等学校に戻り、1954年横浜国立大学工学部建築学科卒、1956年東京大学大学院数物系研究科修士課程修了、奈良国立文化財研究所建造物研究室臨時筆生。59年同庁務員。62年文部技官任官。64年奈良国立文化財研究所平城宮発掘調査部第二調査室長。65年「ナラの街区変遷過程の研究」で工学博士の学位を取得。67年文化財保護委員会事務局建造物課文化財調査官。1968年文化庁文化庁文化財保護部建造物課文化財調査官。
永嶋 大典(ながしま だいすけ、1929年1月18日 - )… 永嶋 大典(ながしま だいすけ、1929年1月18日 - )は、日本の英語学者、大阪大学名誉教授。専門は英語史。 福岡県出身。東京大学文学部英文科卒。福岡学芸大学講師、西南学院大学講師、神戸大学助教授、大阪大学教養部助教授、言語文化部教授、1993年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授、1999年甲子園大学教授。英訳聖書、サミュエル・ジョンソンなどについて研究した。
村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月1… 村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。 浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、二代目広沢虎吉の弟子であった実父・広沢仙遊(本名・近藤官七)、やはり浪曲師であった実母・矢野ツタ子の子として生まれる。生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となる。
唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日… 唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日本の映画監督である。神奈川県横浜市生まれ、国籍は中華人民共和国である。日本名唐沢 二郎(からさわ じろう)、別名早坂 紘(はやさか こう)あるいは早坂 絋清(はやさか こうせい)の名でも活動した。「早坂絋」「早坂絃」「早坂宏」と記されることもある。おもにテレビ映画において「唐順棋」、劇場用映画において「唐沢二郎」「早坂紘」を使い分けた。連続テレビ映画『水滸伝』、『西遊記』では時代考証を手がけた。 1929年(昭和4年)1月16日、神奈川県横浜市中区元町に生まれる。『日本映画監督全集』によれば、本籍は中華人民共和国上海市延安東路(中国語版)にあるといい、同国は1949年(昭和24年)10月1日に建国されており、同書の記述が正しければ同国建国以降のものであり、唐の誕生の時点では同地は中華民国に属していた。
神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 201… 神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 2017年1月3日 )は、日本の俳優。広島県呉市出身。オフィス佐々木所属。海軍経理学校卒業。元妻は女優の文野朋子(1987年に死別)。晩年は京都府に在住していた。
平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006… 平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006年7月8日)は、日本の教育学者、愛知教育大学・名古屋外国語大学名誉教授。 三重県桑名市出身。1951年東京文理科大学教育学科卒、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授。92年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、2001年名誉教授。 ドイツ教育史が専門で、ヒトラーの『わが闘争』の訳者でもある。
松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2… 松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2023年10月2日)は、日本の医学者であり、感染症学・熱帯医学の専門家。長崎大学熱帯医学研究所名誉教授であり、長崎大学医学部附属病院の熱研内科科長も務めた。特に呼吸器感染症や結核の研究において多大な貢献を果たし、日本の熱帯医学発展に寄与した。1991年に紫綬褒章を受章。 1929年(昭和4年)、宮城県大崎市に生まれる。戦時中は海軍兵学校に入り、長崎県佐世保の針尾島にいた。戦後、1947年(昭和22年)に旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)卒業。第二高等学校を経て東北大学医学部に進学し、東北大学医学部大学院内科系を修了した。その後は同大学第一内科学教室で研究を開始した。
津室 隆夫(つむろ たかお、1929年1月15日 – 200… 津室 隆夫(つむろ たかお、1929年1月15日 – 2005年11月22日)は、総合建設会社・大林組の第4代社長である。日本経営者団体連盟(現日本経済団体連合会)常任理事および政策委員、日本サテライトオフィス協会理事も務めた。 1929年1月15日、大阪府大阪市で誕生。京都大学工学部建築学科を卒業後、大林組に入社した。 東京本社に新設された「エンジニアリング本部」の初代本部長に就任。1989年6月、第3代社長・大林芳郎の後を継いだ。創業者一族以外の社長就任は同社史上初である。 1990年7月にCI(コーポレートアイデンティティ)を導入、新たな社章の制定や地球環境部の設置を行った。また、創業100周年となる1991年には、長期経営ビジョン「大林組ルネッサンス111」の策定を推進した。
松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1… 松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1月15日 - 2007年 <平成19年> 8月6日)は、日本の作曲家、俳人。東京芸術大学名誉教授。 京都市(下京区仏光寺通室町西入ル)で生まれる。両親は京都の町人の出身であり、父は代々呉服屋の家系であった。父は尺八を、母は箏を嗜んでいた。禎三は、幼い頃から音楽に興味を示し、小学生で簡単な作曲は始めていた。京都時代は1945年から1949年まで高橋恒治にピアノを、1947年から1949年まで和声を長廣敏雄に師事。10歳の頃には父をがんで失い、1949年には母を結核で失う。1945年に旧制第三高等学校理科に入学。寮生活を通じて、音楽だけでなく様々な出会いと経験を積む。
江守 五夫(えもり いつお、1929年1月15日 - 201… 江守 五夫(えもり いつお、1929年1月15日 - 2016年10月18日)は、日本の社会学・法学者。千葉大学名誉教授。専門は法社会学、民族学。 結婚のあり方などから日本社会の構造を探究し、村落、家族の研究につとめ、婚姻史、婚姻思想の分析に業績をあげた。 石川県金沢市に生まれる。1951年に東京大学法学部を卒業した。東京大学社会科学研究所助手を経て、1958年に明治大学法学部助教授となる。以後、同大学で教授に就任後、千葉大学人文学部に移り、さらに法経学部の教授を務めた。1983年から1987年まで、東大社会科学研究所の併任教授も兼務した。1993年に千葉大学を定年退官して、名誉教授となる。その後は帝京大学文学部教授、東京家政大学文学部教授を務めた。
久保 亘(くぼ わたる、1929年(昭和4年)1月15日 -… 久保 亘(くぼ わたる、1929年(昭和4年)1月15日 - 2003年(平成15年)6月24日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)、副総理(第1次橋本内閣)、大蔵大臣(第101代)、鹿児島県議会議員(3期)、日本社会党書記長、社会民主党副党首、民主改革連合最高顧問、民主党参議院議員会長を歴任。正三位勲一等旭日大綬章。 鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市)出身。(旧制)長崎県立佐世保中学校1年修了を経て熊本陸軍幼年学校に進学。陸軍予科士官学校在籍中に敗戦により学校解散・復員し、鹿児島師範学校(現:鹿児島大学)に編入学。予科士官学校では鹿児島市長赤崎義則と同期。師範学校卒業後に広島文理科大学(現:広島大学)史学科へ入学し西洋史を専攻、1952年に卒業して鹿児島県の高校教諭となる。
白石 英司(しらいし えいじ、1929年1月15日 - 19… 白石 英司(しらいし えいじ、1929年1月15日 - 1983年1月27日)は、日本の実業家。白石古京の長男でもある。 京都府出身。立命館大学法学部卒業後に1959年に京都新聞社に入社。取締役を経て、1978年には副社長に就任し、1981年には社長に就任した。1977年には近畿放送の社長にも就任した。 日本文化財団理事長、日本新聞協会理事、共同通信社理事なども歴任した。 1972年にノルウェーの聖オーラヴ勲章(国際文化功労)を、1973年に紺綬褒章を、1979年にイタリアのコンメンダトーレ勲章(国際文化功労)をそれぞれ授章した。 1983年1月27日、転移性骨腫瘍のために在職中のまま京都市の病院で死去。
高丘 季昭(たかおか すえあき、1929年(昭和4年)1月1… 高丘 季昭(たかおか すえあき、1929年(昭和4年)1月14日 - 1996年(平成8年)3月13日)は、日本の実業家、記者、華族。ファミリーマート会長、西友会長、セゾングループ代表幹事などを歴任した。華族制度廃止前の爵位は子爵。 東京生まれ。子爵高丘家・高丘和季の子。妻は子爵・高木正得の四女・小夜子。母方の祖父は男爵・千秋季隆。 1930年に父・和季が死去したため爵位を継ぎ、1947年の華族制度廃止まで務める。1951年に東京大学法学部政治学科を卒業後、東京新聞に入社。経済記者を務めるほか、労組委員長も担う。 ニッポン放送解説委員を経て、東大時代から交友があった堤清二からの誘いで、1963年西武百貨店に入社する。
原 範行(はら のりゆき、1929年1月14日 - 2018… 原 範行(はら のりゆき、1929年1月14日 - 2018年4月23日)は、日本の実業家。ホテルニューグランド代表取締役会長兼社長や、横浜グランドインターコンチネンタルホテル取締役会長、日本ホテル協会会長などを歴任した。 フランス共和国パリ生まれ。1953年東京工業大学(現東京科学大学)金属工学科卒業、日産自動車入社。1971年原地所部を原地所に改組し、原地所代表取締役社長就任。1979年ホテルニューグランド取締役。1983年ホテルニューグランド代表取締役社長。1991年横浜グランドインターコンチネンタルホテル取締役会長。 1999年日本ホテル協会会長。2000年横浜文化賞受賞。同年横浜商工会議所副会頭。
斉藤 陽子(さいとう たかこ、1929年1月14日 - 20… 斉藤 陽子(さいとう たかこ、1929年1月14日 - 2025年9月30日)は、福井県生まれの現代美術家。1960年代を代表する芸術運動、フルクサスで活動し、晩年までフルクサス関連の展示に参加し続けた 。1978年からデュッセルドルフ在住、2025年に同地にて死去。 生涯に概算で2,800点の作品を制作し、逝去時点の各収蔵機関の公表資料から確認できる範囲では、世界合計で60以上の収蔵機関に500点以上が収蔵されている。 彼女の作品の中で数多く収蔵されているシリーズは、チェスセット (1964~)、ユー・アンド・ミー・ショップ (You + Me Shop、1965頃~)、ペーパー・キューブ(1971~)、 ゲーム/パフォーマンスウェア(2000頃~)、絵画(1950~60年代)である。
正田 彬(しょうだ あきら、1929年(昭和4年)1月13日… 正田 彬(しょうだ あきら、1929年(昭和4年)1月13日 - 2009年(平成21年)6月1日)は、日本の法学者。専門は経済法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1968年)。慶應義塾大学名誉教授。カトリック信徒(洗礼名アロイジオ)。 正田彬は数学者・正田建次郎の長男としてベルリンで生まれる。父方の祖父は日清製粉グループ本社創業者の正田貞一郎、母方の祖父は天文学者の平山信。元日清製粉(現・日清製粉グループ本社)社長の正田英三郎は父方の叔父で、建築家の平山嵩は母方の伯父。また父方の従弟に医師・政治家の水島裕と日清製粉グループ本社名誉会長相談役の正田修が、父方の従妹に上皇后美智子が、母方の従兄に物理化学者の坪井正道がおり、父方の義理の伯父に化学者の水島三一郎が、母方の義理の伯父に地球科学者の坪井誠太郎が、母方の義理の叔父に元東洋製作所社長の佐竹義利がいる。
佐治 乾(さじ すすむ、1929年1月13日 - 2001年… 佐治 乾(さじ すすむ、1929年1月13日 - 2001年2月7日)は、日本の脚本家。 兵庫県出身。関西大学文学部英文学科卒業。主に映画、テレビドラマなどを手掛けた。生前は脚本家事務所・ラグス所属。 大学在学中より官能小説を中心とした投稿作家として多額の賞金を稼ぎ、卒業後、脚本家の八木保太郎に師事。 1954年、映画『ママの日記』でデビュー。1955年、日活と契約。1959年、東映に移り、50年代は日活、60年代は主に東映アクション、サスペンスものを多数執筆した。 珍しい名前のため、最初に名前を聞いた者からは、誰かの変名かペンネームかと思われたという。特に『恋と太陽とギャング』(石井輝男監督)、『誇り高き挑戦』(深作欣二監督)など現代ギャングものに才能を発揮し、1970年には日活ニューアクションの傑作『反逆のメロディー』を執筆。
井上 正(いのうえ ただし、1929年(昭和4年)1月12日… 井上 正(いのうえ ただし、1929年(昭和4年)1月12日-2014年(平成26年)6月14日)は、日本の美術史家。佛教大学教授、京都造形芸術大学教授を歴任。専門は日本彫刻史。 長野県飯田市出身。奈良時代の僧行基の巡錫伝承を持つ寺院の仏像を丹念に調査し、上代日本の彫刻史に根本的な見直しを迫る「霊木化現仏」の概念を提唱。それまで9世紀作とみなされてきた木彫仏の制作年代を、50 - 100年引き上げる学説を提示した。
蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - … 蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - 2021年8月8日)は、日本の歌人。本名・浜高家さくら子。東京都豊島区目白生まれ。 東京府立第三高等女学校(現在の東京都立駒場高等学校)卒業。 1946年(昭和21年) 「をだまき」に入社。高瀬一誌らと中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。その後、「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事した。 1953年(昭和28年)、「短歌人」が編集委員制度移行の際、編集委員に就任。以後55年間に渡って編集に携わる。 1982年(昭和57年)歌集『紺紙金泥』で第9回日本歌人クラブ賞。 1994年(平成6年)、歌集『鱗翅目』で第15回ミューズ女流文学賞。 1983年(昭和58年)より1987年(昭和62年)まで現代歌人協会理事。
青砥 順(あおと じゅん、昭和4年(1929年)1月11日 … 青砥 順(あおと じゅん、昭和4年(1929年)1月11日 - 平成20年(2008年)3月31日)は、日本の実業家。元米子信用金庫会長。位階は正六位。旭日双光章。 父は元米子信用金庫会長青砥喜三郎、兄は元山陰放送社長青砥昇。 鳥取県米子市出身。米子中学校を経て、昭和27年(1952年)関西大学経済学部卒業。昭和32年(1957年)米子信用金庫入庫。昭和43年(1968年)同審査部長、常勤理事。昭和45年(1970年)常務理事。昭和49年(1974年)専務理事。昭和58年(1983年)理事長。 平成20年(2008年)3月31日、79歳で死去。死没日付をもって正六位に叙され、旭日双光章を追贈された。
村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017… 村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017年1月17日)は、日本の美術評論家、小説家。 岐阜県出身。1951年に旧制名古屋外国語専門学校(南山大学の前身)フランス語科卒業、1954年に早稲田大学政経学部卒業。また、中央大学文学部仏文科も卒業。紀伊國屋書店洋書部勤務などを経て、日本美術評論家連盟会員、国際美術評論家連盟会員になる。1971年頃から1974年まで読売新聞に美術批評、美術関係の記事を寄稿をする。美術雑誌『みづゑ』に「海外短信」の題名で日本国外の美術情報を連載、他誌でも展覧会評を寄稿した。 美術館や東京都内デパートの展覧会の監修も行い、カタログに寄稿した。1979年の第1回日本秀作美術展(読売新聞社主催)の審査、監修をし、2003年の第25回まで務めた。
前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日… 前島郁雄(まえじま いくお、1929年(昭和4年)1月11日 - 2020年(令和2年)3月9日)は、日本の地理学者・気候学者。旧・東京都立大学名誉教授。社団法人東京地学協会名誉会員、公益社団法人日本地理学会名誉会員。 長野県小諸市で出生。青森県青森市出身。旧制弘前高等学校理科甲類を経て、1951年に旧制東京大学理学部地理学科を卒業、1956年に東京大学理学部大学院修了。その後1966年に"Natural Seasons and Weather Singularities in Japan" 「日本の自然季節と天候特異日」により理学博士の学位を取得。 1956年より早稲田大学教育学部助手となり、1958年より講師、1962年より助教授。
牧 二郎(まき じろう、1929年1月10日 - 2005年… 牧 二郎(まき じろう、1929年1月10日 - 2005年5月31日)は日本の理論物理学者。京都大学名誉教授。東京都出身。
加藤 精一(かとう せいいち、1929年1月9日 - 201… 加藤 精一(かとう せいいち、1929年1月9日 - 2016年1月19日)は、日本の経営者。岡三証券社長、会長を務めた。位階は従四位。 三重県津市出身。1951年に慶應義塾大学経済学部を中退し、1954年に岡三証券に入社し、同時に取締役にも就任。1956年に常務、1958年に専務を経て、1961年には社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2005年から名誉会長を務めた。2003年には岡三ホールディングス会長にも就任。 1998年7月から2000年6月までに日本証券業協会会長も務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、2001年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2016年1月19日、心不全のために死去。
蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月… 蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月8日 - 1994年(平成6年))は、日本の実業家。 山陽国策パルプ(現:日本製紙)元専務取締役。山陽国策産業(現:日本製紙総合開発)元社長。 愛媛県新居浜市出身。蝶野勝四郎・ヒロの次男に生まれる。1952年(昭和27年)九州大学農学部林学科を卒業し、同年4月山陽パルプ(現:日本製紙)に入社。1972年(昭和47年)3月31日に山陽パルプと国策パルプ工業が合併し、山陽国策パルプ発足後、1981年(昭和56年)6月取締役に就任。 1985年(昭和60年)常務、1989年(平成元年)6月専務を経て、1991年(平成3年)6月退任。山陽国策パルプ(現:日本製紙総合開発)に就任した。
坂田 期雄(さかた ときお、1929年1月8日 - 没年不詳… 坂田 期雄(さかた ときお、1929年1月8日 - 没年不詳)は日本の行政学者・ 博士 (社会福祉学)。専門は地方自治、地域福祉。都市経営総合研究所所長。東洋大学名誉教授、西九州大学客員教授。 長野県生まれ。東京府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日… 渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日 - 2020年3月7日)は、日本の政治家。位階は従三位。元栃木県知事(在任期間は1984年12月9日 - 2000年12月8日)。 栃木県出身。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)から、東京陸軍幼年学校へ。終戦後に旧制宇都宮中学校へ復学。水戸高等学校 (旧制)を経て1953年3月、東京大学法学部を卒業、農林省に入省。食品流通局長や水産庁長官などを経て1984年7月に農林水産事務次官に就任。同年11月に事務次官を辞任し、同年12月9日に行われた船田譲の辞職に伴う栃木県知事選挙に立候補し当選。5期目を目指して立候補した2000年11月19日の栃木県知事選挙でわずか875票の差で前今市市長の福田昭夫に敗れた。
市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015… 市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015年12月1日)は、日本の会計学者。 岐阜県恵那市生まれ。名城大学商学部卒、1956年立教大学大学院修士課程修了。関東学院大学助教授、1968年東京経済大学経営学部助教授、72年教授、経営学部長、99年定年、名誉教授。『万葉集』の研究もおこなった。
宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007… 宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007年2月3日)は、日本の作曲家、洗足学園大学名誉教授。姪に歌手の松尾和子がいる。 北海道旭川市出身。東京藝術大学で池内友次郎に師事。1954年からフランスのパリへ留学しパリ音楽院でジョリヴェやメシアンのクラスで勉強。1957年に卒業したが1961年まで現地に残る。1965年に「ピアノ協奏曲第1番」で芸術祭奨励賞を受賞した。フランスの書法を取っているが日本的な力強さもある作風で、代表作に1966年にのピアノのためのトッカータがある。 1956年、ピアニストの田中希代子と結婚(1959年に離婚)。 1981年から洗足学園大学音楽学部・同学園短期大学音楽科で教鞭をとり、1995年から1999年まで大学音楽学部長・短大音楽科長を務めた。