栄屋 悦男(さかえや えつお、1930年2月13日 - )は… 栄屋 悦男(さかえや えつお、1930年2月13日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手。 全鐘紡時代には第23回都市対抗野球大会で優勝。1954年に大阪タイガースに入団。即戦力として期待され、最初は期待に応える活躍をしたものの8月頃に打球が目に当たり怪我を負ってしまう。この怪我が原因で、視力が低下し当初のような活躍ができなくなってしまった。1955年オフ、僅か2年で自由契約になり、広島カープに移籍。しかし、4試合の登板にとどまり退団した。
内山 秀夫(うちやま ひでお、1930年2月13日 - 20… 内山 秀夫(うちやま ひでお、1930年2月13日 - 2008年4月6日)は、日本の政治学者。専門は政治学。学位は、博士(法学)(慶應義塾大学・論文博士・1999年)(学位論文「比較政治の方法に関する研究」)。慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学法学部に学士入学し、1958年に卒業。経済学部時代は、前田祐吉と同級生だった。 アメリカ合衆国連邦議会研究員を経て、1967年同大学法学部助教授就任、1973年より教授。1988年慶應義塾福澤研究センター所長。その後1994年から1998年まで新潟国際情報大学学長を務める。1995年慶應義塾大学名誉教授。1999年「比較政治の方法に関する研究」で慶應義塾大学より博士(法学)の学位を取得。
檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、… 檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、日本の中国文学者、文芸評論家。 東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科を卒業した。東大在学中より『新日本文学』の編集に携わり、同誌を中心に文芸評論を執筆、大岡昇平が大衆文学を批判した際に反論した。のち広島大学教授、青陵女子短期大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
有元 正雄(ありもと まさお、1930年2月13日 - 20… 有元 正雄(ありもと まさお、1930年2月13日 - 2024年1月14日)は、日本の歴史学者。広島大学名誉教授。 岡山県生まれ。1953年、広島文理科大学史学科卒業。1971年、「地租改正と農民闘争」で広島大学文学博士。岡山朝日高等学校教諭、広島修道大学助教授を経て、広島大学教授。1998年、定年退官、名誉教授、広島経済大学教授。2005年、退職。
宮崎 慎一(みやざき しんいち、1930年2月12日 - )… 宮崎 慎一(みやざき しんいち、1930年2月12日 - )は、元日本教育テレビ(NET:現・テレビ朝日)プロデューサーである。 一橋大学経済学部を卒業後、1954年に東映本社に入社。京都撮影所、東京撮影所を経て、1958年、日本教育テレビ(略称:NET)に移籍。テレビアニメ、テレビドラマなどを手掛けた。
福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 201… 福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 2015年7月14日)は、日本の小説家。元大阪工業大学教授。 大阪市生まれ。京都大学文学部(美学美術史専攻)卒業。高校教師をしながら文筆活動をする。同人誌『VIKING』に参加。1979年『おやじの国史とむすこの日本史』によりサントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞。1991年から97年、大阪工業大学教授。 在阪・同窓の小松左京らと親交が深い。小松の処女長編『日本アパッチ族』の主人公、木田福一は、福田の名前から取ったものである。作品は、自己の高校教諭(日本史・世界史)としての経験に依拠したものや、歴史に因んだものが多く、また、SF的な作品もある。
佐々木 茂美(ささき しげみ、男性、1930年2月11日 -… 佐々木 茂美(ささき しげみ、男性、1930年2月11日 - )は、日本の機械工学者、気の研究家、電気通信大学名誉教授。本名は栗田 慶祐。 長野県上水内郡(現長野市)生まれ。1953年東北大学工学部精密工学科卒業。「炭素鋼の疲れ損傷度に関する研究」で工学博士。東芝機械、防衛大学校機械工学科講師、1972年電気通信大学助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授、東海大学教授。2009年秋瑞宝中綬章受勲。 1974年のユリ・ゲラー来日を機に念力などの超常現象に興味を持ち、日本サイ科学会会長。「気」を研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 20… 相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 2004年5月21日)は、日本の俳優。秋田県北秋田郡鷹巣町出身。晩年の所属は株式会社仕事。
更田 豊治郎(ふけた とよじろう、1930年2月10日 - … 更田 豊治郎(ふけた とよじろう、1930年2月10日 - 2016年2月29日)は、日本の物理学者。第2代原子力規制委員会委員長の更田豊志は子。 上海生まれ。1953年3月、大阪大学理学部物理学科卒業。1957年1月、大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)に入所。1989年1月、副理事長。1993年退職。 1961年6月8日、大阪大学より理学博士号取得。 一般社団法人日本原子力学会副会長、財団法人原子力データセンター(現高度情報科学技術研究機構)理事長、財団法人環境科学技術研究所会長、財団法人日本海洋科学振興財団理事長を歴任した。 2000年、勲三等旭日中綬章を受章。
岡田 宏(おかだ ひろし、1930年2月10日 - 2019… 岡田 宏(おかだ ひろし、1930年2月10日 - 2019年11月29日)は、日本の公団理事。 東京都出身。1953年に東京大学工学部土木工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社。1983年12月に常務理事に就任し、1986年12月に技師長、1987年10月に日本鉄道建設公団副総裁を経て、1989年67から1992年5月までに総裁を務めた。1992年7月にさくら銀行顧問、1993年7月に海外鉄道技術協力協会理事長を歴任した。 2000年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 2013年11月29日に死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
勝俣 孝雄(かつまた たかお、1930年2月10日 - 20… 勝俣 孝雄(かつまた たかお、1930年2月10日 - 2019年3月11日)は日本の経営者。新日本製鐵(現:新日鐵住金)副社長、九州石油(現:ENEOS)社長・会長を務めた。 東京府東京市出身。1953年に東京大学法学部卒業、八幡製鐵(後の新日本製鐵)入社。秘書生活を21年勤め社内では名物秘書長として知られた。 「ゴードファーザー」こと永野重雄、稲山嘉寛の二人が1983年に引退宣言。これにより1952年 - 1954年入社組の今井敬(旧富士出身)、佐々木喜朗(旧富士。大学の同期)、永野辰雄(永野重雄の長男)、勝俣の四人がほぼ同時期に取締役に昇進、激しい出世争いとなった。財界人脈が豊富な勝俣が次期社長候補No.1と期待されていた。
窪川 健造(くぼかわ けんぞう、1930年2月10日 - 2… 窪川 健造(くぼかわ けんぞう、1930年2月10日 - 2015年8月6日)は、日本の映画監督。主にテレビドラマの演出として活躍した。 1930年に文芸評論家の窪川鶴次郎と作家の佐多稲子の長男として生まれる。1953年、東京大学仏文学科卒。近代映画協会にて吉村公三郎、新藤兼人両氏に師事。『原爆の子』(1952年)に助監督として参加する。映画監督デビューは松川事件の被告の家族を描いた『手をつないで』(1960年)。専らフリーの立場でテレビ映画の監督として従事。テレビドラマ『チャコとケンちゃん』『木枯し紋次郎』『鉄平と順子』『放浪記』『剣客商売』などの演出を手掛けた。1978年放送の東海テレビ製作フジテレビ系ドラマ『雪山讃歌・ある青春〜立てた!滑れた!』で第1回赤十字映画祭テレビ映画部門最優秀賞。
三輪 秀彦(みわ ひでひこ、1930年2月10日 - 201… 三輪 秀彦(みわ ひでひこ、1930年2月10日 - 2018年12月15日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。元明治大学教授。 愛知県名古屋市生まれ。1953年東京大学文学部仏文科卒。國學院大學講師などを経て、1966年に明治大学講師となり、1973年以降助教授、のち教授を2001年まで務めた。 モーリス・ブランショ『死の宣告』、ナタリー・サロート『見知らぬ男の肖像』、マルグリット・デュラス『ジブラルタルの水夫』といった前衛フランス文学のほか、ジョルジュ・シムノン、ジュール・ヴェルヌ、ジェラール・ド・ヴィリエなどの娯楽小説も多く訳した。1963年『内面の都市』で文藝賞佳作となったこともある。日本近代文学などの文芸批評もある。
稲石 三二(いないし みつじ、1930年2月10日 - 20… 稲石 三二(いないし みつじ、1930年2月10日 - 2008年4月8日)は、日本の体育科教員、ハンドボール指導者。 愛知県豊橋市に生まれ、日本体育専門学校(現日本体育大学)を卒業。1950年から名古屋市立桜台高等学校教諭および同校ハンドボール部監督を務め、全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会(インターハイ)に5連覇を含む9回優勝、国民体育大会で3連覇2度を含む9回優勝など、数多くの実績を残し選手を育てた。 高校教諭退職後、名古屋文理短期大学、名古屋文理大学の教員として体育学の研究およびハンドボール部指導を行った。 現在にいたるまで、愛知県がハンドボール王国と言われるほどハンドボールが盛んな理由は、稲石による普及活動に加え、稲石の教え子たちが後に高校教諭等になってハンドボール指導にあたったためである。
澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月… 澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月10日 - 2006年8月28日)は、日本のジャズ・ギタリスト。 1930年2月10日、愛媛県西宇和郡八幡浜町出身。少年時代に『姉妹と水兵』(1944年アメリカ映画)を見て、劇中のギター演奏に魅せられたのがギターを始めるきっかけになったと言う。 第二次世界大戦後に東京へ出て、本格的にジャズギターを始めると共に、米軍キャンプを回るようになる。 1954年に神奈川県横浜市の伊勢佐木町にあったクラブ:モカンボで行われた『モカンボ・セッション』では、ハナ肇、植木等、守安祥太郎らと共に参加している。 1957年にチコ・ハミルトン楽団のギタリストだったデンプシー・ライトに弟子入りし、本格的なジャズギターテクニックの伝授を受けた。
佐藤 巌(さとう いわお、1930年(昭和5年)2月9日 -… 佐藤 巌(さとう いわお、1930年(昭和5年)2月9日 - 2014年(平成26年)1月25日 )は、日本のフランス文学者であり教育者である。岡山大学名誉教授。岡山県高梁市出身。 1930年(昭和5年)岡山県高梁市に生まれる。1947年(昭和22年)に地元の旧制高梁中学校(現在の岡山県立高梁高校)を4年で卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に第六高等学校文科へ進学した。卒業を経て、1950年(昭和25年)東京大学へ入学した。東大では文学部フランス文学科に進学し、研究テーマは、ポール・エリュアール であった。1953年(昭和28年)同大学を卒業(旧制大学3年制最後の卒業者)した。
岩井 靖(いわい やすし、1930年2月9日 - 2012年… 岩井 靖(いわい やすし、1930年2月9日 - 2012年1月27日)は、日本の経営者。オリックス副社長、オリックス・ブルーウェーブ球団社長を務めた。父親は岩井雄二郎。 兵庫県神戸市出身。1953年に京都大学法学部を経て、1955年にアメリカのコーネル大学経営学部大学院を卒業し、同年8月に岩井産業に入社した。1969年6月にオリエント・リース(のちのオリックス)に転じ、1975年9月に取締役に就任し、1976年に常務、1988年12月に専務を経て、1991年10月には副社長に就任した。1995年7月にはオリックス球団社長に就任。1998年10月から1999年3月までに会長を務めた。 2012年1月27日、肺炎のために死去。
北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2… 北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2018年9月6日)は、日本の元女優、元声優。新字体で北条 美智留と表記されることもある。六芸社に所属していた。父は劇作家、著述家の北條秀司。 神奈川県足柄下郡小田原町(現:小田原市)出身。1939年4月、父秀司が劇作家の専業になるために箱根登山鉄道を退社し東京市麻布笄町(現:港区西麻布4丁目)に転居した後、戦火が激しくなってきた1945年4月に足柄下郡箱根町強羅に疎開して3年間を過ごす。終戦後の1948年4月に鎌倉郡大船町山崎(現:鎌倉市)に転居した後、1952年3月に同じ鎌倉市内の現自宅に転居し、2018年に亡くなるまでの66年間をこの家で過ごした。
ハナ 肇(ハナ はじめ、本名:野々山 定夫(ののやま さだお… ハナ 肇(ハナ はじめ、本名:野々山 定夫(ののやま さだお)、1930年〈昭和5年〉2月9日 - 1993年〈平成5年〉9月10日)は、日本のドラマー、コメディアン、俳優。コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーであり、同バンドのドラマーでもある。 東京府北豊島郡(現在の東京都豊島区)長崎町生まれ。工学院土木科(後の工学院大学専門学校)を中退した。1990年10月13日、特選校友として学長より証書を授与され卒業を認められる。 妻は、結婚当時日活のスター女優だった島村葉子。かつて阪神タイガース、埼玉西武ライオンズに在籍した元プロ野球選手の桟原将司は又甥に当たる(ハナの兄が桟原の祖父という関係である)。
西澤 泰二(にしざわ たいじ、1930年2月8日 - ) は… 西澤 泰二(にしざわ たいじ、1930年2月8日 - ) は、日本の金属工学者。東北大学名誉教授。元日本金属学会会長。元日本鉄鋼協会副会長。西澤潤一第17代東北大学総長は兄。 兄に西澤潤一。旧制宮城県仙台第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)を経て、1952年旧制東北大学工学部金属工学科卒業。伊達宗行は旧制中学校時代の友人。1957年東北大学大学院特別研究奨学生修了、東北大学工学部金属工学科助手。1960年 東北大学工学部金属材料工学科助教授。1962年東北大学工学博士。1964年から1966年までスウェーデン王立工科大学客員研究員として在外研究に従事。1969年東北大学工学部材料物性学科教授に昇格。
関 千恵子(せき ちえこ、1930年2月8日 - )は、日本… 関 千恵子(せき ちえこ、1930年2月8日 - )は、日本の女優。東京府荏原郡目黒町(現・東京都目黒区)出身。夫はプロデューサーの市川喜一。本名・市川 千恵子(いちかわ ちえこ)。 日本女子大学附属高等女学校(現・日本女子大学附属中学校・高等学校)卒業後、大映第2期ニューフェイスに合格して、1948年大映に入社。1947年の『看護婦の日記』に主役としてデビューする。 1951年にフリーランスとなる。
松平誠(まつだいら まこと、1930年2月8日 - 2017… 松平誠(まつだいら まこと、1930年2月8日 - 2017年11月30日)は、日本のコンピューター技術者、生活文化学者。専攻、生活文化論。 東京府東京市(現東京都千代田区)生まれ。1953年京都大学文学部卒業。日本ユニバック(現・日本ユニシス)勤務後、立教大学教授、1996年定年退任、女子栄養大学教授。1989年「都市生活文化論 -都市祝祭の構成原理-」で筑波大学文学博士。『都市祝祭の社会学』(1990)で今和次郎賞受賞。
築地 利三郎(つきじ りさぶろう、1930年〈昭和5年〉2月… 築地 利三郎(つきじ りさぶろう、1930年〈昭和5年〉2月8日 - 2025年〈令和7年〉3月11日)は、日本の声楽家(バリトン(バスバリトン))。音楽教育者。合唱指揮者。 秋田県大曲市(現:大仙市)出身。弟に洗足学園音楽大学元名誉教授の築地文夫、兄に有機農業運動指導者の築地文太郎がいる。1955年(昭和30年)東京芸術大学卒業。畑中良輔、中山梯一に師事。柔らかく重厚味のある声で、ドイツ歌曲を深く学び、1957年(昭和32年)ヴォルフのみによるリサイタルを開き好評を得たほか、日本歌曲、ロシア歌曲にも独特な味わいをみせている。 オペラでは1953年(昭和28年)二期会第2回公演フリードリッヒ・フロトー『マルタ』でデビュー。
木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023… 木村 草弥(きむら くさや、1930年2月7日 - 2023年6月12日)は、日本の歌人、詩人。本名は重夫(しげお)。 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。 青谷小学校、京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎や田辺保らがいた。
梯 郁太郎(かけはし いくたろう、1930年2月7日 - 2… 梯 郁太郎(かけはし いくたろう、1930年2月7日 - 2017年4月1日)は、日本の技術者、実業家。エース電子工業、ローランド、ATVの創業者。ATV株式会社代表取締役会長、公益財団法人かけはし芸術文化振興財団名誉顧問。 梯は電子音楽の規格MIDI(Musical Instrument Digital Interface)の制定に貢献した。長年にわたって電子楽器の発展および普及に努めた多大な功績により、1991年には米国バークリー音楽大学から、名誉音楽博士号を授与された。また、2000年にはハリウッドにあるロック・ウォークに手形を残し殿堂入りした。そして、2013年には第55回グラミー賞にて、デイヴ・スミス(英語版)とともにメーカーを問わない電子楽器の世界共通規格としてMIDIの制定に尽力し、MIDI規格がその後の音楽産業の発展に貢献したことが評価され、技術グラミー賞を受賞した。
菊川忠夫(きくかわ ただお、1930年2月7日- )は、日本… 菊川忠夫(きくかわ ただお、1930年2月7日- )は、日本の哲学研究者、神奈川工科大学名誉教授。 東京府(現杉並区)生まれ。1952年東京文理科大学卒、55年同大学院修士課程修了。米国オハイオ大学留学。1960年「現代功利主義論」で論争新人賞受賞。1965年東京都立九段高等学校教諭、幾徳工業高等専門学校助教授、78年教授、神奈川工科大学教授、2001年定年、名誉教授。
森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 201… 森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 2018年5月23日)は、京都府出身の税理士。元日本税理士会連合会会長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
タキエ・スギヤマ・リブラ(Takie Sugiyama Le… タキエ・スギヤマ・リブラ(Takie Sugiyama Lebra、1930年2月6日 - 2017年5月26日)は、アメリカ合衆国の人類学者。ハワイ大学マノア校名誉教授。日本名は杉山 多喜江。 静岡県清水市生まれ。1951年津田塾大学学芸学部卒業。1954年学習院大学法学部卒業。1960年ピッツバーグ大学大学院修了、M.A.。1967年同大学Ph.D.。1996年までハワイ大学人類学部教授を務め、ハワイ大学人類学名誉教授の称号を受けた。アメリカ合衆国に帰化し、2017年にホノルルで死去後、夫で同じく人類学者のウィリアム・P・リブラとともにパンチボウルに埋葬された。日本名は杉山多喜江。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
近藤 淳(こんどう じゅん、1930年2月6日 - 2022… 近藤 淳(こんどう じゅん、1930年2月6日 - 2022年3月11日)は、日本の物理学者(物性物理学)。勲等は文化勲章。学位は理学博士(東京大学・1959年)。東邦大学名誉教授、国立研究開発法人産業技術総合研究所名誉フェロー、日本学士院会員、文化功労者。 日本大学理工学部助手、東京大学物性研究所助手、電気試験所主任研究員、電子技術総合研究所主任研究員、東邦大学理学部教授などを歴任した。 1930年2月6日生まれ、東京府(現在の東京都)出身。1954年東京大学理学部物理学科卒業。1959年理学博士(東京大学)。 日本大学理工学部助手、東京大学物性研究所助手を経て、通商産業省工業技術院の電気試験所/電子技術総合研究所(現独立行政法人産業技術総合研究所)。
小林望(こばやし のぞむ、1930年2月6日 - )は、日本… 小林望(こばやし のぞむ、1930年2月6日 - )は、日本の気候学・地理学者。青山学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。東京教育大学大学院修了、1969年「中緯度の大陸東岸及び西岸の上層気候学的研究」で理学博士。青山学院大学経営学部教授。
小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日… 小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日本の司会者、コメディアン、ボードビリアン、実業家である。娘は歌手の小野ひとみ。 1930年(昭和5年)2月5日、北海道に生まれる。新制・北海道立札幌第二高等学校(現在の北海道札幌西高等学校)では映画評論家の品田雄吉と同期、俳優の左右田一平は一期下であった。同校卒業後、北海道大学に進学するも中途退学。 1952年(昭和27年)、日本コロムビアの司会者として舞台に立ち、デビューする。 昭和中期にテレビや寄席などで活躍、美空ひばりや灰田勝彦の物まね、テレビ番組『そっくりショー』の司会などで知られた。また、テレビ映画『オットいたゞき』では人情味あふれる詐欺師役を演じ、テレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』では声優を務めるなど、多方面で活躍した。
京極 昭(きょうごく あきら、1930年2月5日 - 202… 京極 昭(きょうごく あきら、1930年2月5日 - 2021年5月22日)は、ベガルタ仙台社長。 古川高等学校、東北大学英文学科を卒業後、河北新報社にて報道部長、編集局長、専務取締役を歴任。報道部長時代には連載企画「植物人間」で1973年度日本新聞協会賞(編集部門)を受賞した。1999年にベガルタ仙台の運営会社「東北ハンドレッド」の代表取締役社長に就任。2003年12月、チームのJ2降格を受けて引責辞任。
中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は… 中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は、日本の経営者。住友金属工業社長を務めた。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)出身。1947年に旧制小倉中学校卒業。熊本大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学部を修了し、同年に住友金属工業に入社。 小倉製鉄所所長、取締役、常務、鹿島製鉄所所長、専務を経て、1992年6月から1996年6月までに社長を務め、1996年6月から1998年6月までに副会長を務めた。社長在任時には、円高に対応して、人員削減を中心としたリストラを実施した。また、鹿島製鉄所所長在任時には新宮康男とともに住友金属工業蹴球団をJリーグに参加するために地域自治体への陳情活動を行っていた。
林 玲子(はやし れいこ、1930年2月5日 - 2013年… 林 玲子(はやし れいこ、1930年2月5日 - 2013年8月29日)は、日本の日本経済史学者。流通経済大学名誉教授。日本経済史・女性史専攻。 東京生まれ。1951年東京女子高等師範学校理科物理選修卒、1955年東京大学経済学部卒、1965年同大学院経済学研究科博士課程満期退学、1967年「江戸問屋仲間の研究」で経済学博士の学位を取得。流通経済大学助教授、教授、2001年定年退任、名誉教授。2013年8月29日、肺炎のため死去。83歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
秋山 正幸(あきやま まさゆき、1930年2月5日- )は、… 秋山 正幸(あきやま まさゆき、1930年2月5日- )は、日本の英文学・比較文学者、日本大学名誉教授。 栃木県出身。1946年栃木県立石橋中学校卒業。1952年日本大学文学部英文学科卒業。1964-1965年ミシガン州立大学およびオレゴン大学大学院に留学。日本大学文理学部助教授、文理学部教授、国際関係学部教授、大学院国際関係研究科教授、国際関係学部長、大学院国際関係研究科長、日本大学副総長を経て、2001年定年退任、日本大学名誉教授、日本大学陸上競技部前部長。1999年「ヘンリー・ジェイムズの国際小説研究 -異文化の遭遇と相剋」で博士(国際関係)。2009年春、瑞宝中綬章受勲。
牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1… 牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1997年10月6日)は、日本のドキュメンタリー映像作家。父は歴史学者の牛山栄治 東京都出身。小学6年生から旧制中学校卒業まで現在の茨城県龍ケ崎市で過ごす。 茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)を経て1953年、早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業。早稲田大学卒業後、開局したての日本テレビに入社し、報道記者として活躍。 1954年に日本テレビで放送された、吉田内閣不信任案における国会の混乱や造船汚職事件などを扱った『特集第十九国会』が彼のテレビ・ドキュメンタリーのデビューとなった。 1961年から、ドキュメント番組『ノンフィクション劇場』を制作。
粕谷 一希(かすや かずき、1930年(昭和5年)2月4日 … 粕谷 一希(かすや かずき、1930年(昭和5年)2月4日 - 2014年(平成26年)5月30日)は、日本の編集者、出版事業家、文筆家。都市出版株式会社社長を経て、相談役。 保守派の編集者として多くの書き手を送り出し、戦後日本の論壇に保守主義、現実主義の潮流を築いた。東京府出身。 東京雑司が谷に生まれる。旧制東京府立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部卒業。学生時代には河合栄治郎、和辻哲郎、波多野精一、猪木正道、蠟山政道、丸山眞男の著作を読み、高坂正顕、鈴木成高、西谷啓治、高山岩男など敗戦後否定されていた京都学派の戦中期の著作にも影響を受けた。 1955年、中央公論社に入社。
田口 精一(たぐち せいいち、1930年2月4日 - 202… 田口 精一(たぐち せいいち、1930年2月4日 - 2025年10月21日)は、日本の俳優。生前は劇団民藝に所属していた。 兵庫県神戸市出身、多摩美大卒。1952年の『巖頭の女』で初舞台を踏んだ。 2025年10月21日午後9時21分、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で死去。95歳没。同月29日に劇団民藝が発表した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 201… 品田 雄吉(しなだ ゆうきち、1930年2月3日 - 2014年12月13日)は、日本の映画評論家。 北海道留萌管内遠別町生まれ。仏文学者で早稲田大学名誉教授の品田三和一良(品田一良)は実兄。北海道札幌西高等学校、北海道大学法文学部国文学科卒業。 北海道大学在学中に『キネマ旬報』編集部の荻昌弘に見出され、同誌の懸賞論文に入選。このことから1953年の大学卒業後にキネマ旬報社に入社して『キネマ旬報』編集部配属となり、1955年まで在籍。後に『映画旬刊』と『映画評論』の編集部に在籍。1965年にフリーとなり映画評論家として活動を始めた。 1989年から多摩美術大学教授、のち名誉教授。 日本芸術文化振興会運営委員・映画部会長、独立行政法人国立美術館運営委員、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭顧問、ゆうばり応援映画祭実行委員長、川喜多記念映画文化財団理事、最北シネマ株式会社特別顧問、日本映画製作者連盟理事を歴任した。
金谷 晴夫(かなたに はるお、1930年2月3日 - 198… 金谷 晴夫(かなたに はるお、1930年2月3日 - 1984年2月13日)は、日本の発生生物学者。 兵庫県生まれ。甲南高等学校 (旧制)を経て東京大学理学部卒業。1961「プラナリアの極性に関する実験的研究 」で東京大学より理学博士の学位を取得。 東京大学海洋研究所助教授、岡崎国立共同研究機構分子科学研究所教授を経て、1983年4月、基礎生物学研究所所長に就任。 ヒトデを材料とした研究で新ホルモンの存在を発見したり、生殖の内分泌機構を解明した。1970年、ローマ教皇庁科学アカデミーよりピウス11世メダル受賞。1983年、文化功労者と中日文化賞(多細胞動物の卵成熟機構の研究)を受賞。 1984年2月13日、死去。
徳田 修造(とくだ しゅうぞう、1930年2月3日 - )は… 徳田 修造(とくだ しゅうぞう、1930年2月3日 - )は、日本の経営者。日本衛星放送(現在のWOWOW)社長、会長を務めた。 北海道出身。1953年に北海道大学工学部を卒業し、同年に郵政省に入省し、1984年7月には放送行政局長に就任。1985年6月をもって、退官し、1988年6月には日本衛星放送社長に就任し、1993年6月からは常任理事を務めた。1986年8月には日本ケーブルテレビ連盟理事長に就任。
岡本 克己(おかもと かつみ、1930年2月3日 - 200… 岡本 克己(おかもと かつみ、1930年2月3日 - 2002年4月11日)は日本の脚本家。作家。エッセイスト。大学卒業後放送局と契約し、ラジオドラマの脚本や番組の企画に携わる。その後は数多くのテレビドラマの脚本を執筆し、1980年代からは主に2時間サスペンスの脚本を多く手掛けた。作詞家の岡本おさみは実弟。 鳥取県米子市に生まれる。1953年、早稲田大学卒業時に早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の戯曲募集で自作「木枯」が入選する。1954年から5年間ニッポン放送と契約し、番組の構成やラジオドラマの脚本を手掛け、1959年にフジテレビ開局前の試験放送ドラマ『億万長者』でテレビドラマの脚本家としてデビューする。
矢原 秀男(やはら ひでお、1930年2月2日 - )は、日… 矢原 秀男(やはら ひでお、1930年2月2日 - )は、日本の政治家、元公明党参議院議員(3期)。 広島県出身。1954年近畿大学法学部卒。卒業後は大谷重工業に入る。1963年尼崎市議になり、のち兵庫県議になる(2期)。1974年の第10回参議院議員通常選挙で兵庫県から公明党公認で立候補して初当選。1980年の第12回参議院議員通常選挙で落選。1983年の第13回参議院議員通常選挙で復帰。1989年の第15回参議院議員通常選挙でも再選した。国会内では参議院運輸、法務各委員長を務め、党内では党中央委員、党兵庫県本部長などを務めた。1994年新進党に参加。翌1995年の参院選に出馬せず引退した。
小森 香子(こもり きょうこ、1930年2月1日 - 20… 小森 香子(こもり きょうこ、1930年2月1日 - 2023年6月28日)は、詩人、社会運動家。旧姓・相本。代表作は『母の友 2012年 02月号』 『青い空は青いままで子どもらに伝えたい―母と子で語る昭和といま』 『陽子』などがある。 東京雑司ヶ谷生まれ。父は相本修平、母は桂島ふじ(桂島不二の名で雑誌に投稿していた)で、三女として生まれる。東京都立第十高等女学校在学中に学徒動員を経験。空襲で関西へ疎開したが、再び動員される。 神戸女学院家政学部卒業後、大日本紡績本店に勤務するが、レッドパージに遭う。社会主義者の小森良夫(1926年 - 2008年)と結婚し、新日本文学会で詩や小説を発表。1961年から、夫が世界労働本部の常駐スタッフに就任したため4年間プラハに住む。
濱中昭一郎(はまなか しょういちろう、1930年2月1日 -… 濱中昭一郎(はまなか しょういちろう、1930年2月1日 - )は、日本の実業家。初代東京地下鉄株式会社代表取締役会長、日本通運株式会社相談役。
野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2… 野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2月1日 - 2015年(平成27年)11月18日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。17・18世紀フランス思想史を専攻。 1930年、神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校で学び、高等学校時代からの友人に出口裕弘、澁澤龍彦がいる。1953年、東京大学文学部仏文科を卒業。 1962年、(旧)東京都立大学人文学部仏文科助手に就いた。後に助教授、教授に昇進。1990年から2001年まで、駒澤大学外国語部教授をつとめた。2015年に死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は… 高田 正一(たかだ まさいち、1930年2月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1953年に新潟大学人文学部を卒業し、同年3月に北越銀行に入行した。1981年6月に取締役に就任し、1986年4月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年4月には相談役に就任。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2… 小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2003年9月21日)は、日本の医学者・精神科医、精神分析家。学位は、医学博士。慶應義塾大学環境情報学部教授、東京国際大学教授を歴任。 青年が大学を留年しつづけ、その後も定職につかない傾向の増加を分析し、彼らを人生の選択をさけていつまでも可能性を保ったまま、大人になることを拒否して猶予期間にとどまる「モラトリアム人間」と呼んだ。 1930年東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1954年慶應義塾大学医学部卒業。1960年「自由連想法の研究」で医学博士の学位を取得。1972年慶應義塾大学医学部助教授。1990年慶應義塾大学環境情報学部教授。
河原 四郎(かわはら しろう、1930年1月31日 - 20… 河原 四郎(かわはら しろう、1930年1月31日 - 2017年5月6日)は、日本の実業家。元大同生命保険代表取締役社長。元立命館大学校友会会長。 大阪府出身。1956年立命館大学経済学部卒業、大同生命保険入社。1973年東京支社長。1982年常務取締役。1985年専務取締役。1988年代表取締役副社長。1990年代表取締役社長。1994年代表取締役会長。1995年藍綬褒章受章。1996年立命館大学校友会会長。1998年相談役。2001年勲三等瑞宝章受章。2017年肺炎のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鈴木 修(すずき おさむ、1930年〈昭和5年〉1月30日 … 鈴木 修(すずき おさむ、1930年〈昭和5年〉1月30日 - 2024年〈令和6年〉12月25日)は、日本の実業家。 中央相互銀行での勤務を経て、鈴木自動車工業株式会社代表取締役社長(第4代)、スズキ株式会社社長(初・第4代)、スズキ株式会社最高経営責任者(初代)、財団法人スズキ教育文化財団理事長(初代)、スズキ株式会社最高執行責任者(第3代)、スズキ株式会社相談役、公益財団法人スズキ財団理事長、同顧問などを歴任。1987年11月藍綬褒章受章、2000年4月勲二等旭日重光章受章。2025年1月パドマ・ヴィブーシャン勲章(英語版)受章。 岐阜県益田郡下呂町(現在の下呂市)生まれ。旧姓は松田。益田農林学校(現益田清風高校)卒業。